昨年のニュースではありますが、もうじき「新年度」を迎えるにあたり、状況が改善しているという話はいっこうに耳にしないので、ちょっと取り上げます。この辺の話って、教育にちょっとでも関わった人には馬鹿馬鹿しさがわかるけど、学校を「通う側」からしか見ていない人にはわからないと思うんですよね……。
▼「「教員不足」で緊急通知 “特別免許制度の積極活用を” 文科省」(NHK NEWS WEB)
肝心なのは、求められているのが「公立の小中学校や高校」の教員である、ということです。大学教員ではない。大学教員は、むしろなりたい人で溢れてますからね。
小中学校や高校(小中高)の教員に求められるのは、学力や教科の指導力以前に、生徒児童を「まともに生活させる力」です。チャイムが鳴ったら座る。授業中に暴れない。列を作ったらまっすぐ並ぶ。信号は赤で止まる……。高校レベルでもそういった指導が必要なことは、先般から話題の「スシロー醤油ぺろぺろ事件」を見ればわかるでしょう。全国各地の高校で、あのレベルの人たちがわんさかいるということは、小中学校はもっと酷いということです。
また、子どもたちの間でさまざまなもめ事があり、そのケアに追われる。なんせ都心だと、30人とか40人が1クラスにひしめいているわけで、そこに発生する人間関係は子どもだからこそ、無慈悲なものになりがちです。心を病む子どもも少なからずおり、彼ら彼女らの頼る先は、まず教員なのです。
これに加えて、子どもの保護者が学校に口出ししてくることも少なくありません。「モンスターペアレント」なんてことばも一時期流行りましたが、最近その名前を聞かなくなったのは、いなくなったからではなくもはや当たり前のモノとして定着してしまったからです。当人達は「当然の要求」をしているつもりでも、「全体」を優先させなければならない学校において、個別の家庭の事情はくみ取れない場合も多いということを理解しない、あるいはできない保護者は多い。その認識の齟齬を抱えたままトラブルになると、話が通じないので時間と労力と精神力を使って、事態は悪化していくとかいう地獄のような状況が訪れます。しかも、多くの保護者は若い教員を下に見ている。中には、「先生には子どもがいないからわからないでしょうけど」なんてセクハラまがいの暴言を吐く(そして、それがセクハラだと思っていない)保護者もいるようです。それでも、教員の側は保護者に訴訟をできないんですよね。いや、物理的にはできるのかもしれませんが、あんまり聞いたことがありません。
話が長くなりましたが、子どもと同レベルか、下手をすればそれ以上にやっかいな保護者がいる。30人の学級を担当すると、プラス30人の保護者、両親揃ってヤバいやつだと60人の保護者を意識しながら毎日を過ごさねばならないわけです。私立ならまだ保護者の層もある程度保証されていていくぶんかマシかもしれませんが、公立はそうとうしんどいでしょう。
で、コレに加えて授業研究やらテストの作成・採点やら部活動やらその他の校務やらがあるわけです。私の親戚で私立の高校教員がいましたが、教員が辞めすぎて人材がおらず、30代前半で教科主任と校務の主任、部活動の責任者を兼任させられ、毎日深夜2時以降の帰宅になり(電車が無いので近隣にアパートを借りたそうです)、5年で身体を壊して辞めました。それでも5年いると、辞める頃には職場の「古株」になっていたそうです。そして、そういった話が珍しくない世界だ、とも聞きました。
というわけで、教員が辞めまくって足りなくなるのは、教科の指導ができないからではありません。まずもってマンパワーが足りていないことや、「話が通じない」相手とつきあっていかねばならない精神的な負担が大きいからです。
にもかかわらず、政府は「博士号を取得した人や国際的なコンクールで実績がある人」などにも基準を緩和、といった寝ぼけたことを言っているわけです。あのね、そんな人が、自分の技能も活かせない教員になりたがるわけないでしょ。

だいたい、もしそういう人が技能を活かせるような学校なら、そもそも人手不足になっていません。人手が足りなくて困っているのは、もっと泥臭いことが必要な場所なのです。現状をどう認識しているのかわかりませんが、解決策がまったく現状にマッチしていない。「小中高の人手がたりない」+「教員には高度な力が求められる」+「博士号持ちの高学歴者に仕事がない」=「博士号持ってる就職できてない奴を小中高にまわそう」といった感じの計算が行われたのではないかと推察します。お役所仕事ここに極まれりという。今の公立の小中高に、そんな高度な人材がどれほどの役に立つというのか。
もちろん、だからといってどんな人でも採用すればいいかというと、それは違います。いままで述べてきたのとは別の話として、酷い教員によって酷い教育(狂育)が行われた結果、子どもたちに取り返しのつかない傷を負わせた、なんて話も珍しくありません。教員によるパワハラや淫行が発覚するにつけ、そこのクオリティを維持する大切さを誰もが痛感するでしょう。
つまり、人格的にもすぐれ、子どもたちを指導する力もあり、教科を教える技術もある。そういう人を大量に引っ張ってこないとダメなんですが……。そんなのほとんど無理じゃんと思うかも知れません。でも、解決する方法はたぶんあります。ぶっちゃけ、カネです。記事の末尾で日大教授が言っておられる「国や自治体は事態の深刻さを認識し正規の教員をしっかり確保できるよう予算を確保していくことが重要だ」というのはまことにその通りで、クソの役にも立たなさそうな施策を考えてる暇があるなら、予算ぶんどってくるべきだろ、というのが、教育にタッチしたことがある人の感覚でしょう。ただ、どんな風にその予算を使うべきかということも議論されなければなりません。
教員1人あたりの給料を良くすれば良い、という話も聞きます。でも、年収1000万円になったところで、そこまで優秀な人が何千人もいるとは思えない。ではどうするか。いっそ方向を転換して、分業すればいいのです。
たとえば、1クラスが30人から15人になるだけで、教員の負担はぐっと減ります。テストだって半分で済みますからね。また、テストを作る教員と授業を行う教員を別にしたり、学校の事務的なこと(校務)を担当する教員と授業をする教員、クラスをまとめる教員を別にしてやればいい。また、それぞれに適正な資格を設定してもいいかもしれません。臨床心理士の資格があれば、授業は担当できないけれどホームルーム教員になれるとか。むしろ、ホームルーム教員にはそういう資格を必須にするほうがいいのかな……。
ともあれそうすれば、各教員は仕事に専念できてその分余裕ができます。給料は良くならなくても、仕事が減って適正量になれば、なり手は増えるんじゃないかと思います。部活動を外部委託するという話がありますが、あれもきちんと国がお金を出して、部活動専門の教員として採用すりゃいいんですよ。そしたら、部活の指導をしたくて教員になった、いやいや保健体育教えてるクソみたいな体育教師とかいなくなってみんなハッピー。やったね。
ただ、これをやるとなると今の2倍から3倍、教員を雇う必要があります。学校の教員室(職員室)も拡大しないといけない。予算はかなりかかります。ですが、やればほぼ確実に教員のクオリティは上がるし、教育も充実する。20年、30年後の日本の将来を担う世代を、きちんと育てていくことができ、それがひいては日本社会の充実に繋がるはずなのです。
だいたい、教育のための予算(文教費)が年間予算の5%ほどしかないわけで、せめて1割にすれば、完全とは言わないまでも上のようなことはできるでしょう。もちろんそのぶんの予算どこ削るんだみたいな話はありますが、日本という国家の将来を考えるなら、無理にでも捻出すべき費用だと私は思っています。
▼「「教員不足」で緊急通知 “特別免許制度の積極活用を” 文科省」(NHK NEWS WEB)
2022年4月21日 19時15分
新年度も各地で厳しい「教員不足」の状況が発生しているとして、文部科学省は教員免許がなくても知識や経験がある社会人を採用できる制度を積極的に活用するよう全国に緊急で通知しました。文部科学省が昨年度初めて行った全国調査では、4月の始業日の時点で公立の小中学校や高校などで合わせて2558人の教員不足が明らかになりましたが、今年度も厳しい教員不足の状況が報告されているとして、文部科学省は全国の教育委員会に緊急で通知しました。この中では、教員免許がなくても知識や経験のある社会人を教員として採用できる特別免許の制度について、博士号を取得した人や国際的なコンクールで実績がある人などにも基準を緩和できるとしたうえで、積極的な制度の活用を促しています。また、教員免許を持つ人を採用できない場合に例外的に認められる臨時免許についても、中学校の免許がある人に小学校の臨時免許を与えたり、免許があったものの更新しなかった人に臨時免許を与えたりできるとしています。そのうえで、特別免許や臨時免許で採用される人は必要な知識や技能が不足していることも想定されるとして、各自治体に適切な研修を求めています。
教育財政や教員の配置に詳しい日本大学の末冨芳教授は「緊急的な対策だけでなく抜本的な対策を同時に進めることが重要で、この状況が続けば子どもの学びや成長への影響が懸念される。国や自治体は事態の深刻さを認識し正規の教員をしっかり確保できるよう予算を確保していくことが重要だ」と指摘しています。
小中学校や高校(小中高)の教員に求められるのは、学力や教科の指導力以前に、生徒児童を「まともに生活させる力」です。チャイムが鳴ったら座る。授業中に暴れない。列を作ったらまっすぐ並ぶ。信号は赤で止まる……。高校レベルでもそういった指導が必要なことは、先般から話題の「スシロー醤油ぺろぺろ事件」を見ればわかるでしょう。全国各地の高校で、あのレベルの人たちがわんさかいるということは、小中学校はもっと酷いということです。
また、子どもたちの間でさまざまなもめ事があり、そのケアに追われる。なんせ都心だと、30人とか40人が1クラスにひしめいているわけで、そこに発生する人間関係は子どもだからこそ、無慈悲なものになりがちです。心を病む子どもも少なからずおり、彼ら彼女らの頼る先は、まず教員なのです。
これに加えて、子どもの保護者が学校に口出ししてくることも少なくありません。「モンスターペアレント」なんてことばも一時期流行りましたが、最近その名前を聞かなくなったのは、いなくなったからではなくもはや当たり前のモノとして定着してしまったからです。当人達は「当然の要求」をしているつもりでも、「全体」を優先させなければならない学校において、個別の家庭の事情はくみ取れない場合も多いということを理解しない、あるいはできない保護者は多い。その認識の齟齬を抱えたままトラブルになると、話が通じないので時間と労力と精神力を使って、事態は悪化していくとかいう地獄のような状況が訪れます。しかも、多くの保護者は若い教員を下に見ている。中には、「先生には子どもがいないからわからないでしょうけど」なんてセクハラまがいの暴言を吐く(そして、それがセクハラだと思っていない)保護者もいるようです。それでも、教員の側は保護者に訴訟をできないんですよね。いや、物理的にはできるのかもしれませんが、あんまり聞いたことがありません。
話が長くなりましたが、子どもと同レベルか、下手をすればそれ以上にやっかいな保護者がいる。30人の学級を担当すると、プラス30人の保護者、両親揃ってヤバいやつだと60人の保護者を意識しながら毎日を過ごさねばならないわけです。私立ならまだ保護者の層もある程度保証されていていくぶんかマシかもしれませんが、公立はそうとうしんどいでしょう。
で、コレに加えて授業研究やらテストの作成・採点やら部活動やらその他の校務やらがあるわけです。私の親戚で私立の高校教員がいましたが、教員が辞めすぎて人材がおらず、30代前半で教科主任と校務の主任、部活動の責任者を兼任させられ、毎日深夜2時以降の帰宅になり(電車が無いので近隣にアパートを借りたそうです)、5年で身体を壊して辞めました。それでも5年いると、辞める頃には職場の「古株」になっていたそうです。そして、そういった話が珍しくない世界だ、とも聞きました。
というわけで、教員が辞めまくって足りなくなるのは、教科の指導ができないからではありません。まずもってマンパワーが足りていないことや、「話が通じない」相手とつきあっていかねばならない精神的な負担が大きいからです。
にもかかわらず、政府は「博士号を取得した人や国際的なコンクールで実績がある人」などにも基準を緩和、といった寝ぼけたことを言っているわけです。あのね、そんな人が、自分の技能も活かせない教員になりたがるわけないでしょ。

だいたい、もしそういう人が技能を活かせるような学校なら、そもそも人手不足になっていません。人手が足りなくて困っているのは、もっと泥臭いことが必要な場所なのです。現状をどう認識しているのかわかりませんが、解決策がまったく現状にマッチしていない。「小中高の人手がたりない」+「教員には高度な力が求められる」+「博士号持ちの高学歴者に仕事がない」=「博士号持ってる就職できてない奴を小中高にまわそう」といった感じの計算が行われたのではないかと推察します。お役所仕事ここに極まれりという。今の公立の小中高に、そんな高度な人材がどれほどの役に立つというのか。
もちろん、だからといってどんな人でも採用すればいいかというと、それは違います。いままで述べてきたのとは別の話として、酷い教員によって酷い教育(狂育)が行われた結果、子どもたちに取り返しのつかない傷を負わせた、なんて話も珍しくありません。教員によるパワハラや淫行が発覚するにつけ、そこのクオリティを維持する大切さを誰もが痛感するでしょう。
つまり、人格的にもすぐれ、子どもたちを指導する力もあり、教科を教える技術もある。そういう人を大量に引っ張ってこないとダメなんですが……。そんなのほとんど無理じゃんと思うかも知れません。でも、解決する方法はたぶんあります。ぶっちゃけ、カネです。記事の末尾で日大教授が言っておられる「国や自治体は事態の深刻さを認識し正規の教員をしっかり確保できるよう予算を確保していくことが重要だ」というのはまことにその通りで、クソの役にも立たなさそうな施策を考えてる暇があるなら、予算ぶんどってくるべきだろ、というのが、教育にタッチしたことがある人の感覚でしょう。ただ、どんな風にその予算を使うべきかということも議論されなければなりません。
教員1人あたりの給料を良くすれば良い、という話も聞きます。でも、年収1000万円になったところで、そこまで優秀な人が何千人もいるとは思えない。ではどうするか。いっそ方向を転換して、分業すればいいのです。
たとえば、1クラスが30人から15人になるだけで、教員の負担はぐっと減ります。テストだって半分で済みますからね。また、テストを作る教員と授業を行う教員を別にしたり、学校の事務的なこと(校務)を担当する教員と授業をする教員、クラスをまとめる教員を別にしてやればいい。また、それぞれに適正な資格を設定してもいいかもしれません。臨床心理士の資格があれば、授業は担当できないけれどホームルーム教員になれるとか。むしろ、ホームルーム教員にはそういう資格を必須にするほうがいいのかな……。
ともあれそうすれば、各教員は仕事に専念できてその分余裕ができます。給料は良くならなくても、仕事が減って適正量になれば、なり手は増えるんじゃないかと思います。部活動を外部委託するという話がありますが、あれもきちんと国がお金を出して、部活動専門の教員として採用すりゃいいんですよ。そしたら、部活の指導をしたくて教員になった、いやいや保健体育教えてるクソみたいな体育教師とかいなくなってみんなハッピー。やったね。
ただ、これをやるとなると今の2倍から3倍、教員を雇う必要があります。学校の教員室(職員室)も拡大しないといけない。予算はかなりかかります。ですが、やればほぼ確実に教員のクオリティは上がるし、教育も充実する。20年、30年後の日本の将来を担う世代を、きちんと育てていくことができ、それがひいては日本社会の充実に繋がるはずなのです。
だいたい、教育のための予算(文教費)が年間予算の5%ほどしかないわけで、せめて1割にすれば、完全とは言わないまでも上のようなことはできるでしょう。もちろんそのぶんの予算どこ削るんだみたいな話はありますが、日本という国家の将来を考えるなら、無理にでも捻出すべき費用だと私は思っています。





