安倍元総理大臣の「国葬」を電通が取り仕切るのではないかという話が出て、かなり批判が起きているようです。
▼「安倍元首相「国葬」はまさかの“電通案件”「五輪汚職」特捜部ガサ入れで注目」(日刊ゲンダイ)
電通といえば、ただでさえ大規模イベントをめぐる癒着や中抜きが取り沙汰されてあまり印象のよくない企業。そこへ来て、いまは東京五輪の収賄をめぐって東京地検から家宅捜索を受けているということもあり、「もし本当なら頭おかしい」という感じの世論は強くなっているようです。
まあたしかに、国葬を「大規模なイベント」と考えれば簡単にはいかないのかもしれません。実際に名前がでなくても、いたるところに彼らを使わなければできないようなノウハウもあるのでしょう。が、それにしても、利権まみれできわめて印象のよくない電通しかないのかというのは、私も首を傾げたくなるところ。国家の儀式を、1営利企業に投げないと行えないというのは困るのではないかという気がします。
また、目前に迫った臨時国会で行われる予定だった「追悼演説」が延期されたという話もあります。その原因がまた情けなく、与党内の内ゲバ。
▼「「残した派閥をばかに」 安倍派の猛反発で甘利氏の追悼演説頓挫」(毎日新聞)
まことにバカバカしい話で、なくなった方とは関係のない、生者のくだらない見栄と思惑でさまざまなことが狂っているわけです。「元」とはいえ一国の総理大臣が凶弾に倒れ、国会の場でまず真っ先にそのことを述べることができないとはどういうことか。安倍元総理への弔意を述べるとともに、こうした事件が二度と起こらないよう与野党関係なく心を一つにすることが重要なのではないでしょうか。
慣例では、亡くなった方とは異なる政党の中でふさわしい方(党首や、関係の深い相手)が追悼演説を行うのだそうですが、その慣例をあえて変更したこともよくわかりません。まあこれは絶対守るべき慣例だとも思えませんが、民主主義の府において、異なる勢力からの追悼を受けるということはある程度意味のあることのようにも思われるからです。
ともかくも、1国の元宰相がなくなった。それも、卑劣な方法で、おそらくは無念のうちに。かかる状況に際して、死者に敬意を払い、生前の功績を振り返ってその冥福を静かに祈りながら、同じことが繰り返されることのないよう残された者たちが決意を新たにする。そういう峻厳な場を、国民全体に対してのみならず国会内ですら持つことができなくなっているのが今の日本なのだとすれば、これほど無惨なものはないと思います。
残念で、悲しいことです。
▼「安倍元首相「国葬」はまさかの“電通案件”「五輪汚職」特捜部ガサ入れで注目」(日刊ゲンダイ)
世論の賛否が割れる安倍元首相の国葬を巡って、28日各省庁の幹部らでつくる「葬儀実行幹事会」の初会合が開かれた。国葬は9月27日に日本武道館で実施されることが決まっており、幹事会は準備を急ぐ方針だが、ここへきて国民をザワつかせる事態が浮上。式典を運営するのが、ナント、大手広告代理店の「電通」だというのだ。一部で報じられ、SNSで話題を呼んでいる。電通といえば、目下、東京五輪のスポンサー契約を巡る汚職疑惑の“震源地”。受託収賄容疑で東京地検特捜部から任意で聴取されている大会組織委員会元理事の古巣だ。東京・港区の本社にも26日、家宅捜索が入った。そんなタイミングで国論を二分する国葬の担い手として名前が挙がったものだから、SNSでは《ガサ入れ真っ最中のはずだが!》《国葬が電通葬に》《いつから電通は葬儀屋に?》と驚きの声が上がっているのだ。こんな状況で本当に電通が国葬を取り仕切るのだろうか。電通に問い合わせると「当社は回答する立場にございません」とのことだった。
電通といえば、ただでさえ大規模イベントをめぐる癒着や中抜きが取り沙汰されてあまり印象のよくない企業。そこへ来て、いまは東京五輪の収賄をめぐって東京地検から家宅捜索を受けているということもあり、「もし本当なら頭おかしい」という感じの世論は強くなっているようです。
まあたしかに、国葬を「大規模なイベント」と考えれば簡単にはいかないのかもしれません。実際に名前がでなくても、いたるところに彼らを使わなければできないようなノウハウもあるのでしょう。が、それにしても、利権まみれできわめて印象のよくない電通しかないのかというのは、私も首を傾げたくなるところ。国家の儀式を、1営利企業に投げないと行えないというのは困るのではないかという気がします。
また、目前に迫った臨時国会で行われる予定だった「追悼演説」が延期されたという話もあります。その原因がまた情けなく、与党内の内ゲバ。
▼「「残した派閥をばかに」 安倍派の猛反発で甘利氏の追悼演説頓挫」(毎日新聞)
自民党が8月の臨時国会で実施する予定だった安倍晋三元首相の追悼演説を先送りする検討に入ったのは、甘利明前幹事長(麻生派)が演説を行うことに対して与野党の反発が強まったためだ。特に銃撃事件で会長の安倍氏を失った自民党安倍派(清和会、97人)で批判が強まったことが大きな要因となった。安倍派が反発を強めたのは、甘利氏の20日のメールマガジンがきっかけだ。この中で甘利氏は安倍派について「『当面』というより『当分』集団指導制をとらざるを得ない。誰一人、現状では全体を仕切るだけの力もカリスマ性もない」と指摘した。これに安倍派最高顧問の衛藤征士郎・元衆院副議長は21日の同派会合で「こんなに侮辱されたことはない」と激しく反発。派内では他にも「甘利氏こそカリスマ性がない」などと批判する声が相次いだ。党は甘利氏の演説を検討したのは「安倍氏の遺族の意向を踏まえた」ためだとしているが、同派から「なぜ安倍氏が残した派閥をばかにする甘利氏に演説させるのか」「国民の気持ちは甘利氏ではない」などの声が漏れた。反発は安倍派のみならず党内の他派閥にも広がり、党執行部には「いつ甘利氏に決めたのか」など、再考を求める意見が寄せられているという。党内では、甘利氏に代わって第2次安倍政権で安倍氏を官房長官として支え続けた菅義偉前首相や岸田文雄首相による演説を求める声があり、野党からは野田佳彦元首相らを推す声が出ている。
まことにバカバカしい話で、なくなった方とは関係のない、生者のくだらない見栄と思惑でさまざまなことが狂っているわけです。「元」とはいえ一国の総理大臣が凶弾に倒れ、国会の場でまず真っ先にそのことを述べることができないとはどういうことか。安倍元総理への弔意を述べるとともに、こうした事件が二度と起こらないよう与野党関係なく心を一つにすることが重要なのではないでしょうか。
慣例では、亡くなった方とは異なる政党の中でふさわしい方(党首や、関係の深い相手)が追悼演説を行うのだそうですが、その慣例をあえて変更したこともよくわかりません。まあこれは絶対守るべき慣例だとも思えませんが、民主主義の府において、異なる勢力からの追悼を受けるということはある程度意味のあることのようにも思われるからです。
ともかくも、1国の元宰相がなくなった。それも、卑劣な方法で、おそらくは無念のうちに。かかる状況に際して、死者に敬意を払い、生前の功績を振り返ってその冥福を静かに祈りながら、同じことが繰り返されることのないよう残された者たちが決意を新たにする。そういう峻厳な場を、国民全体に対してのみならず国会内ですら持つことができなくなっているのが今の日本なのだとすれば、これほど無惨なものはないと思います。
残念で、悲しいことです。





