今日の昼ごろ、塾へ行きたくないと泣きわめく女の子がアパートの前でお母さんと喧嘩していました。

塾やっとるんかい! と思わんでもないのですが(そして、近所にあるあの個人塾だなとあらかた想像がつくのですが)、どうしても受験の年とかで通わせたい人っていうのはいるんでしょうね。

それはともかく、塾に行きたくない、学校に行きたくない、勉強したくない、という子どもが多いことを嘆く声は多くあります。昔(明治とかか?)の人はみんな勉強熱心だったのに嘆かわしい、みたいな話をしてる人も私の近隣にいるのですが……。

ぶっちゃけそれは誤解でございましょう。

学校にみんな通えと言われた時に「労働力が減る」と反対した人がいたように、明治だろうが昭和だろうが、別に学ぶことに価値を見出していない人はいっぱいいたはずです。その中で、意欲があったり価値を見出していた一部の人だけが積極的に学校へ行き、学んでいたから「みんな積極的だった」ように見えただけだと思います。

たとえばいま、テレビゲームは強制でやらされるものではありません。だから、基本的に好きな人だけがやってる。そういう状況では、テレビゲームをやっている人はみんなゲームに積極的だし、ゲームを楽しんでいるわけです。これが「eスポーツ」として学校に導入されて、義務教育の子どもがみんなゲームをやるということになったら、ゲームが嫌いで絶対やりたくないという人も出てくるんじゃないでしょうか。

学校嫌い、勉強嫌いの人がいるというのは当たり前の話であり、そういう子どもがたくさん出てきているということがむしろ、日本の「国民皆教育」がそれなりにうまく機能しているということの証左なのだと思います。(もっと言えば、これで90%の子どもが勉強大好き! とか言っていたらよほど厳選しているか、洗脳しているかを疑います)

嫌がっていも面倒くさがっても、最低限の知識を国民に与えるという日本の学校教育制度の、ある意味での「良さ」は、逆説的ですが学校へ行くことや勉強することを嫌がるこどもたちがいるということで見えているんじゃないかというふうにも思います。もちろん、単純に画一的な教育が問題だったり、現場の教員に不祥事が相次いでいることだったりというのは見過ごせないことではありますが、「勉強嫌いの子どもがいる」ということは、別段否定すべきことではない当然のことだと思うわけです。それは、子どもの責任でも学校という制度の責任でもないでしょう。

どちらかというと、いま学校に子どもたちをつなぎとめている「呪縛」は、学歴社会というか学校教育の成果がストレートに就職に反映されやすいという社会情勢のようにも見えます。このへんはあまりちゃんと考えていないのでテキトーですが、勉強嫌い、学校嫌だとなると「落伍者」のように扱われる。それはよろしくなかろうと。

学校が、勉強が、嫌いなら嫌いで構わない。でも、それなら義務教育を過ぎたらもっと自由な選択肢が開けてくる。そういう社会になると良いなと思います。