これなぁ……。
▼「イギリスの新紙幣にベジタリアンが大激怒「信じられない」 なぜ?」(ハフィントンポスト)
▼「イギリスの新紙幣にベジタリアンが大激怒「信じられない」 なぜ?」(ハフィントンポスト)
イギリスで9月に発行されたばかりの新5ポンド札が、窮地に立たされている。ハフィントンポストUK版などが伝えた。新5ポンド札はプラスチック製で破れにくく、水や汚れにも強い。イングランド銀行のマーク・カーニー総裁は、カレーに新5ポンド札を浸して、その耐久性をアピールした。ところが、Twitterのある質問をきっかけに、新5ポンド札に対する怒りが爆発している。「ステフィ・ロックス : @イングランド銀行、新しい5ポンド札にタローが使われているって本当ですか?」「イングランド銀行:ステフィ・ロックス、5ポンド札に使われているポリマー・ペレットに、タローが含まれています」タローとは牛や羊などの脂肪を溶かして固形にした物質だ。ろうそくやスープなどに含まれることもある。しかしこれを知った人たち、特にベジタリアンや宗教上の理由から動物を避けている人たちを心配する声が、ソーシャルメディアに次々と投稿された。
まあ確かに、宗教上の理由とかで嫌がるのは分かるんですが、イギリスはイスラム教国家じゃないし、ベジタリアン国家でもないし、真っ当な要求といえるかはそうとう疑問。
いや、これたとえば「タローを使うと凄く安価に偽造防止ができて、他に代替手段がない」みたいな要素だったらどうなんでしょう。明らかに多くの人にメリットがある。でも、一部の人のためにそのメリットを採用するのをやめろという主張はどこまで通用するのか。
マイノリティの声を無視しろ、と言っているわけではありません。しかし、聞くべき少数派の意見とそうでない意見というのはどう区別すれば良いのか。たとえば秋葉原のオタクが「東京都の青少年健全育成条例によるゾーニングで自分たちの権利が侵害されている」と主張して、彼らは「マイノリティのアイデンティティに関わる問題だ」と言ってくれるんですかね? それとも、自分たちの主張は正当だけど他は知らん、という話になるの? なんとなく後者になりそうな気はしますけども。
こういう問題って、日本では常識とか空気とかそういう漠然とした感覚で乗り切ろうとしますけど、ガチできちんと考えることも大事だとは思うんですよね。ひと昔前に流行ったサンデル先生とか。あの手の議論ってなんか白熱教室がどうしたこうしたみたいな授業方法の話で落ち着いちゃった感があるけど、本質的には社会を支える理屈をいちからキチンと考えようってところが重要なのではないかなぁ。
今回の話でいえば、(もちろんそんなに単純ではないにしても)「わたし」の利益と「みんな」の利益は一致するのか。もし一致しないとすればどういう対応をすべきなのか、という話ですよね。
マイノリティの声に耳を傾けることが自明に善であるというのなら、社会は当然そのように運営されるべきであって難しい話は必要ありません。でも、おそらくそうではないですよね。耳を傾けるべきマイノリティの声と、そうでない声はあるはずだし実際に私たちはそれを区別しているはずです。
ロールズの格差原理あたりはその線引きをどうするかという根本的な議論を試みたものだと思います。議論の妥当性はともかく、「弱者を救済するのがいいことなんだ!」って喚き散らすだけではなくてどういう原理に基づけばそれを説得的に提示できるかということと真剣に向き合ってるのはやっぱ偉いですよね。
んで、功利主義原則にもとづいても格差原理にもとづいてもこの意見はスルーな感はありつつも、どうしてもタローを使う必要性がないのに使うのはマイノリティに対する嫌がらせだってのは分からんでもない。必須でないなら配慮があっても良い気はします。
うーん、難しい話ですね、やっぱり。めんどくさい(だめじゃん)。
いや、これたとえば「タローを使うと凄く安価に偽造防止ができて、他に代替手段がない」みたいな要素だったらどうなんでしょう。明らかに多くの人にメリットがある。でも、一部の人のためにそのメリットを採用するのをやめろという主張はどこまで通用するのか。
マイノリティの声を無視しろ、と言っているわけではありません。しかし、聞くべき少数派の意見とそうでない意見というのはどう区別すれば良いのか。たとえば秋葉原のオタクが「東京都の青少年健全育成条例によるゾーニングで自分たちの権利が侵害されている」と主張して、彼らは「マイノリティのアイデンティティに関わる問題だ」と言ってくれるんですかね? それとも、自分たちの主張は正当だけど他は知らん、という話になるの? なんとなく後者になりそうな気はしますけども。
こういう問題って、日本では常識とか空気とかそういう漠然とした感覚で乗り切ろうとしますけど、ガチできちんと考えることも大事だとは思うんですよね。ひと昔前に流行ったサンデル先生とか。あの手の議論ってなんか白熱教室がどうしたこうしたみたいな授業方法の話で落ち着いちゃった感があるけど、本質的には社会を支える理屈をいちからキチンと考えようってところが重要なのではないかなぁ。
今回の話でいえば、(もちろんそんなに単純ではないにしても)「わたし」の利益と「みんな」の利益は一致するのか。もし一致しないとすればどういう対応をすべきなのか、という話ですよね。
マイノリティの声に耳を傾けることが自明に善であるというのなら、社会は当然そのように運営されるべきであって難しい話は必要ありません。でも、おそらくそうではないですよね。耳を傾けるべきマイノリティの声と、そうでない声はあるはずだし実際に私たちはそれを区別しているはずです。
ロールズの格差原理あたりはその線引きをどうするかという根本的な議論を試みたものだと思います。議論の妥当性はともかく、「弱者を救済するのがいいことなんだ!」って喚き散らすだけではなくてどういう原理に基づけばそれを説得的に提示できるかということと真剣に向き合ってるのはやっぱ偉いですよね。
んで、功利主義原則にもとづいても格差原理にもとづいてもこの意見はスルーな感はありつつも、どうしてもタローを使う必要性がないのに使うのはマイノリティに対する嫌がらせだってのは分からんでもない。必須でないなら配慮があっても良い気はします。
うーん、難しい話ですね、やっぱり。めんどくさい(だめじゃん)。





