先日ガジェット通信に掲載されていた、読売新聞の記者がペヤングについて書いた記事のお話。
▼「「四角い容器に熱湯を注ぐと、食欲をそそるソースのにおいが立ちこめる」読売新聞のペヤング記事にツッコミ入る」 (ガジェット通信)
ペヤングはソース焼きそばですからお湯を注いでも「ソースのにおい」はしませんし、麺をすするまえに湯切りとかかやく投入とかの作業があるわけでして、さすがにさまざまなツッコミが入っていました。完全にネタ記事ですね。やっぱり新聞記者という職業柄、ソースには最大限注意すべきだったのかもしれません(違)。
冗談はさておき、わりとマジレスというかきちんと読むと、カップ焼きそばではなくてカップ麺のように書いているんですよね。単に表現力がなかっただけという可能性もありますが、そうでないとすれば、ここには冗談では済ませられないような大きな問題がある。
おそらくですが(つまり証拠はない推測ですが)、この記者の方は取材にも行ったしイベントの現場に同席していたのでしょう。しかし、彼は現場を《見て》いなかった。記事に書くべきことはだいたい決めていて、そのために用いるテンプレート的な表現みたいなものも頭のなかでできあがっていたのではないかと思います。
その結果、実際に起きていないことを、さも事実であるかのように書いてしまったり、カップ焼きそばの話なのにカップ麺っぽい書き方になっていることにも気づかなかった。「間違えただけ」とか「表現がまずかった」と言うかもしれませんが、そういう話ではなく、ある先入観や決め付けによって不正確な情報を(意図的ではないにしろ)与えているということが問題です。
ソース(情報源のほう)をきちんと見てもいなければ、自分の表現が通常どのような意味に受け取られるかに対する反省もなされていない。その意味であまりに不誠実で不正確であり、このもと記事(既に現在は削除されている)はクオリティが低いと言わざるをえないでしょう。
いつぞやの、海上自衛隊の船と漁船の衝突事故などその典型ではないかと思うのですが、「漁船が海自の船にぶつかった」なのか「海事の船が漁船にぶつかった」なのかで、そこから受ける印象や伝わる事実のイメージは大きく異なってきます。
もちろん何から何まで完璧にやれとは言えません。しかし、ものを見るときに先入観がいかに危険であるか、そして情報を伝えるときに表現がいかに重要であるか、 マスコミの方ならずともあらためて考え、重く受け止めるべき問題なのではないかと思います。
▼「「四角い容器に熱湯を注ぐと、食欲をそそるソースのにおいが立ちこめる」読売新聞のペヤング記事にツッコミ入る」 (ガジェット通信)
四角い容器に熱湯を注ぐと、店内に食欲をそそるソースのにおいが立ちこめる。
(中略)
3分が経過すると、4人は勢いよく麺をすすった。
ペヤングはソース焼きそばですからお湯を注いでも「ソースのにおい」はしませんし、麺をすするまえに湯切りとかかやく投入とかの作業があるわけでして、さすがにさまざまなツッコミが入っていました。完全にネタ記事ですね。やっぱり新聞記者という職業柄、ソースには最大限注意すべきだったのかもしれません(違)。
冗談はさておき、わりとマジレスというかきちんと読むと、カップ焼きそばではなくてカップ麺のように書いているんですよね。単に表現力がなかっただけという可能性もありますが、そうでないとすれば、ここには冗談では済ませられないような大きな問題がある。
おそらくですが(つまり証拠はない推測ですが)、この記者の方は取材にも行ったしイベントの現場に同席していたのでしょう。しかし、彼は現場を《見て》いなかった。記事に書くべきことはだいたい決めていて、そのために用いるテンプレート的な表現みたいなものも頭のなかでできあがっていたのではないかと思います。
その結果、実際に起きていないことを、さも事実であるかのように書いてしまったり、カップ焼きそばの話なのにカップ麺っぽい書き方になっていることにも気づかなかった。「間違えただけ」とか「表現がまずかった」と言うかもしれませんが、そういう話ではなく、ある先入観や決め付けによって不正確な情報を(意図的ではないにしろ)与えているということが問題です。
ソース(情報源のほう)をきちんと見てもいなければ、自分の表現が通常どのような意味に受け取られるかに対する反省もなされていない。その意味であまりに不誠実で不正確であり、このもと記事(既に現在は削除されている)はクオリティが低いと言わざるをえないでしょう。
いつぞやの、海上自衛隊の船と漁船の衝突事故などその典型ではないかと思うのですが、「漁船が海自の船にぶつかった」なのか「海事の船が漁船にぶつかった」なのかで、そこから受ける印象や伝わる事実のイメージは大きく異なってきます。
もちろん何から何まで完璧にやれとは言えません。しかし、ものを見るときに先入観がいかに危険であるか、そして情報を伝えるときに表現がいかに重要であるか、 マスコミの方ならずともあらためて考え、重く受け止めるべき問題なのではないかと思います。






















