自民党だけで過半数越えの294議席。予想される自公連合で三分の二(「圧倒的多数」)越えというとんでもない結果に終わった第46回衆議院選挙(2012年12月16日執行)。色々な人がいろいろなことを述べておられますが、私も少しだけ、日本の未来を憂う(笑)有権者として思うところを書いておきたいと思います。
▼私の投票先
まず私は、小選挙区で自民に入れました。余り具体的に言いすぎると所在があれでナニするのでぼかして書きますが、改憲や原発について各党の候補は殆ど似たような意見でした(ちょっと意外)。共産の方は当然改憲反対でしたが、まあ他は似たり寄ったり。割とどの候補も中立的で落ち着いた意見。
で、まず実現不可能なドリーミーなことを除外して政策を比べると、みんな同じようなことしか言っていなかった。ということは誰選んでも大差ないかなというところだったんですが、自民の候補はプラスアルファで教育や外交問題でオリジナルな意見を出していたので、「誰を選べば最も良い施策が期待できるか」で考えれば自民の人になるかなと。積極的に選んだように言ってますが、ぶっちゃけ消去法と言えなくもないですね。要は、一人だけちょっとちがうこと言っていたからです。
比例は民主に入れました。理由は二つ。一つは積極的に、原発対策の継続をしてもらいたかったから。目下継続性という意味では民主がこの問題に対して適任なわけで、ついでに泥船は御免とばかりにやる気のない人は逃げ出したので、まあアリかなと。二つ目は消極的理由で、恐らく自民党が圧倒的に勝つだろうという予測に基づき、「自民党にそこまで全部お任せするつもりはありませんよ」という反対意見を表明するためです。その反対意見の受け皿として選ぶなら第二党でないと意味が無く、維新になるか民主になるか悩んだのですが、維新は「太陽の党」とのゴタゴタがあったのでたぶん大きく伸びることはないだろうという予測に基づき、民主に入れました。結果、民主は大差がついたとはいえ第二党になったので一応読みは当たったかたちですが、それにしたって維新伸びすぎ、民主崩れすぎ。これはちょっと予想外でした……。
ただ、一応自分としては投票でハッキリした意思表示ができたので、その意味では満足のいく投票でした。
あ、最高裁国民審査は岡部氏と大谷氏に×をつけました。岡部氏は表現問題、大谷氏は著作権関係を巡る考え方で私と大きくひらきがあるな、と思ったので。というか国民審査は「白紙で出すと信任」になるので、よくわからない・興味がないという人は「投票用紙を返却することで棄権」するのが一番良いといわれています。
▼自民の「圧勝」は国民の総意なのか
さて、今回自公が「圧倒的多数」をとり、文字通り「圧勝」したわけですが、これをどう考えるか。私としては正直、避けたい事態でした。
東京新聞が12月17日付けの記事で、「有権者は白紙委任したわけではない」と言っていますが、これは正直何を馬鹿なこと言ってるのかという感じです。問題は事実として「白紙委任状」を渡したのと同義になっているという、そっちのほうではなかろうかと。「渡したわけではない」のではなく、「渡すつもりはなかったのに、渡してしまった」ならわかります。いや、渡すつもりあった人も多かったのかもしれませんけれど、少なくとも私には、渡すつもりはなかった。
実際、こんなデータも出ています。「自民の比例得票率、大敗した前回選とほぼ同じ」(讀賣新聞2012年12月17日)必ずしも積極的な自民支持に「転じた」とは言い難い状況もある。
改憲や、あるいは経済的混乱を打開するために「断固たる」改革を必要であると考える人にとっては、この結果は望ましいものなのでしょう。大きな改革を行う為には強い力が必要になるわけで、多少強引にでも政治を引っ張っていくパワーが生まれたということは喜ばしい。
しかし、私はそこまで――つまり、彼らが何をやってもついていきます、というくらいにまで――自民党を信じられるかというと、まったくそんなことはありません。もちろん民主党(特に昔の)よりゃマシだろうなとは思いますが、それはただ「マシ」なだけであって、自民党を積極的に、諸手をあげて歓迎したいというニュアンスでも無い。誰かが言っていましたが、消去法で自民党になった、というほうがしっくりくるわけです。
実際、マスコミ各社の記事や世論調査を見ても似たような傾向は多い。つまり、「他に入れるところもないし自民党」というニュアンスがつよい。そして、もし多くの国民がそう考えていたのだとしたら、今回の選挙にはその「国民の意思」はただしく反映されてはいないと私は考えます。
どういうことかというと、単独で「絶対安定多数」(269議席)を確保し、連立で「圧倒的多数」(320議席)をしのぐというのは、明らかに「自公さんが何をやっても国民はついていきます」という意思表示です。政治不信が騒がれる現状、こんな結果になるのは奇妙といえば奇妙。もちろん、熱狂的に自民党を支持している人も増えているのだとは思いますが、それにしたって前回の選挙から考えると増えすぎです。
恐らく直接の原因は、政党が分裂しすぎたせいです。そりゃ自民以外に入れようってなったときに候補がいくつもあれば迷う。分散する。こりゃもう、明らかに第三極とかの連繋ミス。自民の比例が前回と同じくらいの得票率であるにもかかわらず、結果がひっくりかえったのはそういう背景があるでしょう。
しかしもう一つ。政党だけではなく国民の側にも問題があるように思われる。それは、国民の多くが選挙制度を通して、どのように自らの意思を国政に反映させるかということに対してあまりにも無頓着なために生じた現象ではないかということです。つまり、「自民が政権をとれば良いとは思う。でも、圧倒的多数はやりすぎだろう」と思う人は、いろんなやりようがあったはずなのですが、そういう手段を「自覚的に」選んだ人が、果たしてどれほどいたか。
要は比例を「自民」と書かなければ良いわけです。もしくは小選挙区で自民以外に入れて、比例では自民にいれるとか。(バランスばかりを元に入れる必要は無く、基幹となる政策への賛否で決めるという態度はもちろん重要です。ただ、そうすれば必ず良い結果になると信じすぎるのは微妙だと思うのですが、どうでしょうか)。
データ的なことを言えば、今回小選挙区で「維新」を選んだ人は相当多かったことがわかっています。もしかつての比例方式なら、だいぶ違う結果になっていたでしょう。(参考:「what_a_dudeの日記」2012年12月17日記事「もし全国1区比例代表ドント方式なら議席配分はどうだったか」)
これはもちろん「制度的な問題」であるわけですが、別の言い方をすれば、現状の制度であればこういう事態をある程度避けられないと言われていたにもかかわらず、その制度内で何とか民意を反映させるような有効な手段を考えなかった国民の問題もあるのではないか、というのが私の問題提起です。実際、選挙制度改革を至上命題として訴えている某党はあんまり注目されなかったみたいですし。おすし。
まあちょっとゴリ押し気味なのは自覚していますが、やはり「完璧な制度」はどこまでいってもあり得ない以上、運用でなんとかするのが重要だと思うのですよね。そして、こと日本の選挙はその運用の部分がちゃんとできていないというか。そんな感じ。
理念的なことで付言すれば、選挙は当選か落選かという「オールオアナッシング」ではなく、「50%賛成」や「70%賛成」を表現することもできる。それが、民主主義という「制度」の活用であると私は思っています。たとえば、落選しても対立候補がもの凄い追い上げを見せたら、当選した候補は「こりゃ迂闊なことをするとそっぽ向かれるな」と危機感を抱くでしょう。その意味では、敗れた候補者への投票も単純な「死票」とはならないはずです。
ところが、高校の政治経済の教科書をひらくと、「死票」は当選しなかった候補に投票して意味がなくなった票、みたいなことが書いてあって、こりゃアカン……と思うわけです。や、単純な語句定義なのかもしれないんですが、それにしても中学や高校で、選挙や民主主義のシステム的な意味を考える機会がなければ、私たちはいつまでたっても投票のバランスを考えて、民主制度を活用することなどできないのかもしれません。
つってもさっき言ったように、今回は反自民の受け皿がもの凄い分散しちゃったんで、ホントにどうしようもなかったかも。
▼自民の「圧勝」は良いことか
先ほども述べましたが、強い改革を推進するためには良いことだと思います。
ただ、私は個人的な立場としてあんまりうれしくない。というのは、私がエロゲーマーだからです。
エロゲー勢はつい最近も、表現規制問題やら児童ポルノ問題やらで国家権力と壮絶な戦いを繰り広げていましたが、結局のところ「少数派」です。他にも少数派というのはたくさんいると思うのですが、そういう人びとにとって、政府が「強く」なることは、じつはあんまり望ましくない。なぜなら、強い政府ほど「少数派」の声が届きにくくなるからです。
当たり前の話ですが、政治家は「支持者」を大事にして政治を行います。支持者の信任を得て国政を担当しているのですから。このとき、もしその政治家の人気が「ギリギリ」だったら、敵を作りたいとはあまり思わないでしょう。下手に藪をつついてネガティブキャンペーンでもされたら、たまったものではありませんから。
ところが、もし圧倒的強者だったら、多少の敵なんかねじ伏せて自分のやりたいことをやるのは目に見えています。独裁者というパターンですね。
むろん、自民も一枚岩ではないからことはそう単純にはいかないにしても、やはりこれまでと比べると圧倒的に強気な戦いができる政府であるということは間違い在りません。また、これだけの成果を残した党代表にはなかなか逆らえないという側面もあるでしょう。首相としても2度目だけに、前回の「反省」を活かそうという意気込みもみてとることができます。議員としても、少数の有権者の声よりも党の命令大事、という人は当然増えるでしょう。
じゃあ具体的に言えばどんなことが想定されるのか。
表現規制問題で、たとえばPTAから「児童ポルノ規制しろ」という話が出たとします。「弱い」政治家なら、これには乗り気にはなれない。なぜなら、PTAの要望はある程度無視しても指示が減るということはそこまで考えられませんが(直接的に不利益が増えるというわけではないから)、下手に表現規制問題にクビをつっこんだら、何千人、何万人の反発を買う可能性があるからです。あるいはもしも、PTAの要望を聞いて規制に乗り出したとしても、そのPTAたちを上回る勢いを規制反対派が見せれば、引き下がる可能性が高くなります。
しかし、1万人や2万人がガタガタ言ったところで関係ないや、という状態になっていたらどうでしょうか。少数派の意見など特に聞く必要も無く、「強引に」改革することが可能となります。このとき注目したいのは、PTA側の要求もまた、通りにくくなっているということです。つまり、1万人のPTAの署名を見せて嘆願しても、その人数の持つ効果は相対的に薄れてしまう。何が言いたいかというと、結果的に規制が行われたか行われなかったかとは別の問題として、自分たちの主張が聞き入れられるかどうかが自分たちの努力より、政治家の好みのほうに左右されやすくなるということです。PTAがどんなに頑張っても、政治家が規制反対派なら聞く耳をもってもらえない。
ですから、私たちのような「少数派」としてのアイデンティティに重きをおき、しかも現実問題としてお国とドンパチやらかしてるような人たちは、本来なら今回のような「圧勝」は避けたほうが、自分たちの声を政治に届けやすいわけです。そして多くの人はたぶん、自分の中に「少数派」な部分を持っていると思うので、保険として政党間の「バランス」を取ることも意識しておいたほうがいいのではないかな、と。もちろん、バランスをとったからといって民主党も規制に賛成、とかなって結局ダメという可能性はあるし、自民一党独占状態でも、党内の意見対立によってバランスをとることは可能だと思いますけれども。
▼若者は投票にいくべきか
いきましょう。
これは単純な話で、少子高齢化が進む現在、ますます「若者」の選挙に占める割合は少なくなっています。実際今後の国政は、ますます高齢者向けの施策が多くなるでしょう。国民全体に利益があることを除けば、ワリを食うのは若者世代ということになります。
この状況を少しでも良くするには、若者が少しでも多く選挙に行き、若い有権者の票の力を候補者に認めさせねばなりません。候補者が、「あいつらのこともちょっと考えないとな……」と思うようでなければならない。もちろん、候補者や高齢者の「おなさけ」で、彼らの役に立つ範囲で「若者を大事に」して「頂く」ことはできるかもしれません。でも、そんなことをして頂いても嬉しいかという話。本当に自分たちのためになる政治・ためになる政策を求める運動というのは、やはり若者たち自身でやっていく必要があるんじゃないかなぁ。涙をこらえて歌うだけでは、余りにも悲しすぎるので。
あ、私も若者ですよ……ね。もちろん。
▼いちばん偉い人へ、いまなにをするべきか
最後はこれなんですが、正直、いま「安倍内閣はダメだ」みたいなことを言っても始まらないと思うんですよね。そういう意見、しょっちゅう見るんですが、一体なにが言いたいんでしょう。はっきり言って、「安倍を選んだお前等はバカだ、これから酷い目にあって反省しろ!」と叫んでいるようにしか聞こえない。ごく一部ですがホントに「自民に投票したヤツはゴミだ」みたいなこと言ってる人もいますし……。それこそ大きなお世話で、そう叫んだから何になるのかっていう話です。
建設的な話をしたいなら、安倍政権になることはひきうけたうえで、今後の対応を考えるなり何なりがあると思うのです。
現行政権に対して危機感を煽りたいとか警鐘を鳴らしたいというのならわかります。わかりますが、それならそれで言い方がある。もっと具体的には、「どの層に向けて言うのか」というターゲットの問題を考えないといけない。
もともと安倍政権に批判的な人たちは、いまさらそんなこと言われなくてもわかっています。彼らの同調を得たいだけならなんぼでも叫べば良いけど、それって空しいだけですよね。ツイッターで言えば、仲間内だけでリツイートとお気に入り登録を繰り返して人気者気分を味わっているだけ、みたいな。まったくの無駄とは言いませんが、効果は薄いと思います。
では、安倍政権バンザイの人にぶつけたら? これは当然無意味です。聞く耳もちません。信仰と信仰の衝突。宗教戦争勃発です。不毛のきわみ。
ということは狙いは、「とりあえず自民に投票はしたけど、そんなに深く考えていたわけでもない人たち」のはずです。そういう対象を、どうしたいのか。叱りとばしても反発を買うだけですから、そりゃ味方に引き入れたいのでしょう。引き連れてデモをするとか。しかし、「圧倒的多数」を確保した相手にそういう手が通じにくいということこそ、まずまっさきに認めなければならないことではないのかという気がする。
何が言いたいかというと、もう自民政権を一気に瓦解させるとか、国民を「啓蒙」して反自民にして大革命とかいうのは困難だと思うわけです。現実問題として。ならば、いまの政権の中でどれだけ自分たちの主要な要求を通していけるかということを考えるほうが大事なんじゃないか、と。撤退戦だと言われるかも知れませんが、そりゃもうあれだけ派手に自民が勝ってる時点で、それに抵抗するなら撤退戦です。そこを放置して勝ち負けの戦いをしてもしょうがない。
たとえばですが、自民党の中で自分たちと比較的意見の近い相手を探してリストアップし、彼らの発言力が大きくなるように働きかけるとか、逆にどうやっても絶対無理、という相手を見つけて監視するとか(これはやってる人多そうですね)。高潔な理想を掲げ、叫べば良いというのは立派な「永遠の野党」的発想であって、政治への働きかけを考えるならそれでは済まないだろうと。
実際、そういう活動にすでに移っている方もおられますし、私が見ている以上に多いのかもしれません。自民の悪口と、自民に投票した人の悪口をいってるだけというほうが特殊な例なのかもしれませんが、まあでも、そう言う人の方が目立つってのはあると思うんですよね……。
それ以前に私みたいな口先だけのヤツに何か言われること自体がお嫌かもしれませんが。
なお同様のことは私のように自民に投票した人にも言えることで、反-自民の人が言っている重要なポイントには耳を傾け、自民党政権が舵取りをあやまらないよう注意していかねばならないと思います。
これは綺麗事ではなくて、政府が強い力で政治を運営するようになったのだから、国民の側もある程度一致団結して、その政府のコントロールをしないといけないと思うんですよね。それなのに無駄に対立を煽ろうというのは馬鹿げているし、今回は自民に「乗った」人が圧倒的に多いのだから、反-自民の側は戦略的に多少迂回する必要もあるのではないのかな、と。
……まあそういう器用なことは難しいから、今回みたいな選挙結果になったといえばその通り。
▼じゃあお前は何してんのよという話
これが問題ですよねー。エラそうに講釈たれて、じゃあお前はどうなの? っていう。実際のところ、私は未来への展望をいまのところあまり持っていません。というか安倍政権が実際どう動くかは未知数だし、たぶん実際に大きな動きを取るのは参院選の後ではないかと考えているので、その間の様子を見ながら考えるしかないと思っています。
ただ、今回の選挙の「反省」はある程度しておかねばならないとも思った。そういう意味では私の関心は、民主主義制度について一人一人がもっと意識と知識を持つことになるのかもしれません。私自身まだまだ勉強しないといけないことは山積みですが、そうした問題意識の「実践」として今回のような記事を書いてみた次第です。書きたいことは多々あるし、目配りが行き届いていないところも同様に山のようにあるとは思うのですが、ひとまずここで〆に。
今日はリアリティの話続けようかというところ、タイムリーな話題と言うことで選挙に乗っかってみました。一応自民政権で良いとは思ってるんですよ。できれば僅差勝ちが良かったというだけで……。まあ徴兵制は勘弁してもらいたいなあ。エロゲーできなくなりますし。
なんか中途半端につっこんで終わったなぁと思われたらごめんなさい。でもいまはこれが精一杯。
そんなわけで、これにておわかれ。また明日(。・x・)ゝ。
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▼私の投票先
まず私は、小選挙区で自民に入れました。余り具体的に言いすぎると所在があれでナニするのでぼかして書きますが、改憲や原発について各党の候補は殆ど似たような意見でした(ちょっと意外)。共産の方は当然改憲反対でしたが、まあ他は似たり寄ったり。割とどの候補も中立的で落ち着いた意見。
で、まず実現不可能なドリーミーなことを除外して政策を比べると、みんな同じようなことしか言っていなかった。ということは誰選んでも大差ないかなというところだったんですが、自民の候補はプラスアルファで教育や外交問題でオリジナルな意見を出していたので、「誰を選べば最も良い施策が期待できるか」で考えれば自民の人になるかなと。積極的に選んだように言ってますが、ぶっちゃけ消去法と言えなくもないですね。要は、一人だけちょっとちがうこと言っていたからです。
比例は民主に入れました。理由は二つ。一つは積極的に、原発対策の継続をしてもらいたかったから。目下継続性という意味では民主がこの問題に対して適任なわけで、ついでに泥船は御免とばかりにやる気のない人は逃げ出したので、まあアリかなと。二つ目は消極的理由で、恐らく自民党が圧倒的に勝つだろうという予測に基づき、「自民党にそこまで全部お任せするつもりはありませんよ」という反対意見を表明するためです。その反対意見の受け皿として選ぶなら第二党でないと意味が無く、維新になるか民主になるか悩んだのですが、維新は「太陽の党」とのゴタゴタがあったのでたぶん大きく伸びることはないだろうという予測に基づき、民主に入れました。結果、民主は大差がついたとはいえ第二党になったので一応読みは当たったかたちですが、それにしたって維新伸びすぎ、民主崩れすぎ。これはちょっと予想外でした……。
ただ、一応自分としては投票でハッキリした意思表示ができたので、その意味では満足のいく投票でした。
あ、最高裁国民審査は岡部氏と大谷氏に×をつけました。岡部氏は表現問題、大谷氏は著作権関係を巡る考え方で私と大きくひらきがあるな、と思ったので。というか国民審査は「白紙で出すと信任」になるので、よくわからない・興味がないという人は「投票用紙を返却することで棄権」するのが一番良いといわれています。
▼自民の「圧勝」は国民の総意なのか
さて、今回自公が「圧倒的多数」をとり、文字通り「圧勝」したわけですが、これをどう考えるか。私としては正直、避けたい事態でした。
東京新聞が12月17日付けの記事で、「有権者は白紙委任したわけではない」と言っていますが、これは正直何を馬鹿なこと言ってるのかという感じです。問題は事実として「白紙委任状」を渡したのと同義になっているという、そっちのほうではなかろうかと。「渡したわけではない」のではなく、「渡すつもりはなかったのに、渡してしまった」ならわかります。いや、渡すつもりあった人も多かったのかもしれませんけれど、少なくとも私には、渡すつもりはなかった。
実際、こんなデータも出ています。「自民の比例得票率、大敗した前回選とほぼ同じ」(讀賣新聞2012年12月17日)必ずしも積極的な自民支持に「転じた」とは言い難い状況もある。
改憲や、あるいは経済的混乱を打開するために「断固たる」改革を必要であると考える人にとっては、この結果は望ましいものなのでしょう。大きな改革を行う為には強い力が必要になるわけで、多少強引にでも政治を引っ張っていくパワーが生まれたということは喜ばしい。
しかし、私はそこまで――つまり、彼らが何をやってもついていきます、というくらいにまで――自民党を信じられるかというと、まったくそんなことはありません。もちろん民主党(特に昔の)よりゃマシだろうなとは思いますが、それはただ「マシ」なだけであって、自民党を積極的に、諸手をあげて歓迎したいというニュアンスでも無い。誰かが言っていましたが、消去法で自民党になった、というほうがしっくりくるわけです。
実際、マスコミ各社の記事や世論調査を見ても似たような傾向は多い。つまり、「他に入れるところもないし自民党」というニュアンスがつよい。そして、もし多くの国民がそう考えていたのだとしたら、今回の選挙にはその「国民の意思」はただしく反映されてはいないと私は考えます。
どういうことかというと、単独で「絶対安定多数」(269議席)を確保し、連立で「圧倒的多数」(320議席)をしのぐというのは、明らかに「自公さんが何をやっても国民はついていきます」という意思表示です。政治不信が騒がれる現状、こんな結果になるのは奇妙といえば奇妙。もちろん、熱狂的に自民党を支持している人も増えているのだとは思いますが、それにしたって前回の選挙から考えると増えすぎです。
恐らく直接の原因は、政党が分裂しすぎたせいです。そりゃ自民以外に入れようってなったときに候補がいくつもあれば迷う。分散する。こりゃもう、明らかに第三極とかの連繋ミス。自民の比例が前回と同じくらいの得票率であるにもかかわらず、結果がひっくりかえったのはそういう背景があるでしょう。
しかしもう一つ。政党だけではなく国民の側にも問題があるように思われる。それは、国民の多くが選挙制度を通して、どのように自らの意思を国政に反映させるかということに対してあまりにも無頓着なために生じた現象ではないかということです。つまり、「自民が政権をとれば良いとは思う。でも、圧倒的多数はやりすぎだろう」と思う人は、いろんなやりようがあったはずなのですが、そういう手段を「自覚的に」選んだ人が、果たしてどれほどいたか。
要は比例を「自民」と書かなければ良いわけです。もしくは小選挙区で自民以外に入れて、比例では自民にいれるとか。(バランスばかりを元に入れる必要は無く、基幹となる政策への賛否で決めるという態度はもちろん重要です。ただ、そうすれば必ず良い結果になると信じすぎるのは微妙だと思うのですが、どうでしょうか)。
データ的なことを言えば、今回小選挙区で「維新」を選んだ人は相当多かったことがわかっています。もしかつての比例方式なら、だいぶ違う結果になっていたでしょう。(参考:「what_a_dudeの日記」2012年12月17日記事「もし全国1区比例代表ドント方式なら議席配分はどうだったか」)
これはもちろん「制度的な問題」であるわけですが、別の言い方をすれば、現状の制度であればこういう事態をある程度避けられないと言われていたにもかかわらず、その制度内で何とか民意を反映させるような有効な手段を考えなかった国民の問題もあるのではないか、というのが私の問題提起です。実際、選挙制度改革を至上命題として訴えている某党はあんまり注目されなかったみたいですし。おすし。
まあちょっとゴリ押し気味なのは自覚していますが、やはり「完璧な制度」はどこまでいってもあり得ない以上、運用でなんとかするのが重要だと思うのですよね。そして、こと日本の選挙はその運用の部分がちゃんとできていないというか。そんな感じ。
理念的なことで付言すれば、選挙は当選か落選かという「オールオアナッシング」ではなく、「50%賛成」や「70%賛成」を表現することもできる。それが、民主主義という「制度」の活用であると私は思っています。たとえば、落選しても対立候補がもの凄い追い上げを見せたら、当選した候補は「こりゃ迂闊なことをするとそっぽ向かれるな」と危機感を抱くでしょう。その意味では、敗れた候補者への投票も単純な「死票」とはならないはずです。
ところが、高校の政治経済の教科書をひらくと、「死票」は当選しなかった候補に投票して意味がなくなった票、みたいなことが書いてあって、こりゃアカン……と思うわけです。や、単純な語句定義なのかもしれないんですが、それにしても中学や高校で、選挙や民主主義のシステム的な意味を考える機会がなければ、私たちはいつまでたっても投票のバランスを考えて、民主制度を活用することなどできないのかもしれません。
つってもさっき言ったように、今回は反自民の受け皿がもの凄い分散しちゃったんで、ホントにどうしようもなかったかも。
▼自民の「圧勝」は良いことか
先ほども述べましたが、強い改革を推進するためには良いことだと思います。
ただ、私は個人的な立場としてあんまりうれしくない。というのは、私がエロゲーマーだからです。
エロゲー勢はつい最近も、表現規制問題やら児童ポルノ問題やらで国家権力と壮絶な戦いを繰り広げていましたが、結局のところ「少数派」です。他にも少数派というのはたくさんいると思うのですが、そういう人びとにとって、政府が「強く」なることは、じつはあんまり望ましくない。なぜなら、強い政府ほど「少数派」の声が届きにくくなるからです。
当たり前の話ですが、政治家は「支持者」を大事にして政治を行います。支持者の信任を得て国政を担当しているのですから。このとき、もしその政治家の人気が「ギリギリ」だったら、敵を作りたいとはあまり思わないでしょう。下手に藪をつついてネガティブキャンペーンでもされたら、たまったものではありませんから。
ところが、もし圧倒的強者だったら、多少の敵なんかねじ伏せて自分のやりたいことをやるのは目に見えています。独裁者というパターンですね。
むろん、自民も一枚岩ではないからことはそう単純にはいかないにしても、やはりこれまでと比べると圧倒的に強気な戦いができる政府であるということは間違い在りません。また、これだけの成果を残した党代表にはなかなか逆らえないという側面もあるでしょう。首相としても2度目だけに、前回の「反省」を活かそうという意気込みもみてとることができます。議員としても、少数の有権者の声よりも党の命令大事、という人は当然増えるでしょう。
じゃあ具体的に言えばどんなことが想定されるのか。
表現規制問題で、たとえばPTAから「児童ポルノ規制しろ」という話が出たとします。「弱い」政治家なら、これには乗り気にはなれない。なぜなら、PTAの要望はある程度無視しても指示が減るということはそこまで考えられませんが(直接的に不利益が増えるというわけではないから)、下手に表現規制問題にクビをつっこんだら、何千人、何万人の反発を買う可能性があるからです。あるいはもしも、PTAの要望を聞いて規制に乗り出したとしても、そのPTAたちを上回る勢いを規制反対派が見せれば、引き下がる可能性が高くなります。
しかし、1万人や2万人がガタガタ言ったところで関係ないや、という状態になっていたらどうでしょうか。少数派の意見など特に聞く必要も無く、「強引に」改革することが可能となります。このとき注目したいのは、PTA側の要求もまた、通りにくくなっているということです。つまり、1万人のPTAの署名を見せて嘆願しても、その人数の持つ効果は相対的に薄れてしまう。何が言いたいかというと、結果的に規制が行われたか行われなかったかとは別の問題として、自分たちの主張が聞き入れられるかどうかが自分たちの努力より、政治家の好みのほうに左右されやすくなるということです。PTAがどんなに頑張っても、政治家が規制反対派なら聞く耳をもってもらえない。
ですから、私たちのような「少数派」としてのアイデンティティに重きをおき、しかも現実問題としてお国とドンパチやらかしてるような人たちは、本来なら今回のような「圧勝」は避けたほうが、自分たちの声を政治に届けやすいわけです。そして多くの人はたぶん、自分の中に「少数派」な部分を持っていると思うので、保険として政党間の「バランス」を取ることも意識しておいたほうがいいのではないかな、と。もちろん、バランスをとったからといって民主党も規制に賛成、とかなって結局ダメという可能性はあるし、自民一党独占状態でも、党内の意見対立によってバランスをとることは可能だと思いますけれども。
▼若者は投票にいくべきか
いきましょう。
これは単純な話で、少子高齢化が進む現在、ますます「若者」の選挙に占める割合は少なくなっています。実際今後の国政は、ますます高齢者向けの施策が多くなるでしょう。国民全体に利益があることを除けば、ワリを食うのは若者世代ということになります。
この状況を少しでも良くするには、若者が少しでも多く選挙に行き、若い有権者の票の力を候補者に認めさせねばなりません。候補者が、「あいつらのこともちょっと考えないとな……」と思うようでなければならない。もちろん、候補者や高齢者の「おなさけ」で、彼らの役に立つ範囲で「若者を大事に」して「頂く」ことはできるかもしれません。でも、そんなことをして頂いても嬉しいかという話。本当に自分たちのためになる政治・ためになる政策を求める運動というのは、やはり若者たち自身でやっていく必要があるんじゃないかなぁ。涙をこらえて歌うだけでは、余りにも悲しすぎるので。
あ、私も若者ですよ……ね。もちろん。
▼いちばん偉い人へ、いまなにをするべきか
最後はこれなんですが、正直、いま「安倍内閣はダメだ」みたいなことを言っても始まらないと思うんですよね。そういう意見、しょっちゅう見るんですが、一体なにが言いたいんでしょう。はっきり言って、「安倍を選んだお前等はバカだ、これから酷い目にあって反省しろ!」と叫んでいるようにしか聞こえない。ごく一部ですがホントに「自民に投票したヤツはゴミだ」みたいなこと言ってる人もいますし……。それこそ大きなお世話で、そう叫んだから何になるのかっていう話です。
建設的な話をしたいなら、安倍政権になることはひきうけたうえで、今後の対応を考えるなり何なりがあると思うのです。
現行政権に対して危機感を煽りたいとか警鐘を鳴らしたいというのならわかります。わかりますが、それならそれで言い方がある。もっと具体的には、「どの層に向けて言うのか」というターゲットの問題を考えないといけない。
もともと安倍政権に批判的な人たちは、いまさらそんなこと言われなくてもわかっています。彼らの同調を得たいだけならなんぼでも叫べば良いけど、それって空しいだけですよね。ツイッターで言えば、仲間内だけでリツイートとお気に入り登録を繰り返して人気者気分を味わっているだけ、みたいな。まったくの無駄とは言いませんが、効果は薄いと思います。
では、安倍政権バンザイの人にぶつけたら? これは当然無意味です。聞く耳もちません。信仰と信仰の衝突。宗教戦争勃発です。不毛のきわみ。
ということは狙いは、「とりあえず自民に投票はしたけど、そんなに深く考えていたわけでもない人たち」のはずです。そういう対象を、どうしたいのか。叱りとばしても反発を買うだけですから、そりゃ味方に引き入れたいのでしょう。引き連れてデモをするとか。しかし、「圧倒的多数」を確保した相手にそういう手が通じにくいということこそ、まずまっさきに認めなければならないことではないのかという気がする。
何が言いたいかというと、もう自民政権を一気に瓦解させるとか、国民を「啓蒙」して反自民にして大革命とかいうのは困難だと思うわけです。現実問題として。ならば、いまの政権の中でどれだけ自分たちの主要な要求を通していけるかということを考えるほうが大事なんじゃないか、と。撤退戦だと言われるかも知れませんが、そりゃもうあれだけ派手に自民が勝ってる時点で、それに抵抗するなら撤退戦です。そこを放置して勝ち負けの戦いをしてもしょうがない。
たとえばですが、自民党の中で自分たちと比較的意見の近い相手を探してリストアップし、彼らの発言力が大きくなるように働きかけるとか、逆にどうやっても絶対無理、という相手を見つけて監視するとか(これはやってる人多そうですね)。高潔な理想を掲げ、叫べば良いというのは立派な「永遠の野党」的発想であって、政治への働きかけを考えるならそれでは済まないだろうと。
実際、そういう活動にすでに移っている方もおられますし、私が見ている以上に多いのかもしれません。自民の悪口と、自民に投票した人の悪口をいってるだけというほうが特殊な例なのかもしれませんが、まあでも、そう言う人の方が目立つってのはあると思うんですよね……。
それ以前に私みたいな口先だけのヤツに何か言われること自体がお嫌かもしれませんが。
なお同様のことは私のように自民に投票した人にも言えることで、反-自民の人が言っている重要なポイントには耳を傾け、自民党政権が舵取りをあやまらないよう注意していかねばならないと思います。
これは綺麗事ではなくて、政府が強い力で政治を運営するようになったのだから、国民の側もある程度一致団結して、その政府のコントロールをしないといけないと思うんですよね。それなのに無駄に対立を煽ろうというのは馬鹿げているし、今回は自民に「乗った」人が圧倒的に多いのだから、反-自民の側は戦略的に多少迂回する必要もあるのではないのかな、と。
……まあそういう器用なことは難しいから、今回みたいな選挙結果になったといえばその通り。
▼じゃあお前は何してんのよという話
これが問題ですよねー。エラそうに講釈たれて、じゃあお前はどうなの? っていう。実際のところ、私は未来への展望をいまのところあまり持っていません。というか安倍政権が実際どう動くかは未知数だし、たぶん実際に大きな動きを取るのは参院選の後ではないかと考えているので、その間の様子を見ながら考えるしかないと思っています。
ただ、今回の選挙の「反省」はある程度しておかねばならないとも思った。そういう意味では私の関心は、民主主義制度について一人一人がもっと意識と知識を持つことになるのかもしれません。私自身まだまだ勉強しないといけないことは山積みですが、そうした問題意識の「実践」として今回のような記事を書いてみた次第です。書きたいことは多々あるし、目配りが行き届いていないところも同様に山のようにあるとは思うのですが、ひとまずここで〆に。
今日はリアリティの話続けようかというところ、タイムリーな話題と言うことで選挙に乗っかってみました。一応自民政権で良いとは思ってるんですよ。できれば僅差勝ちが良かったというだけで……。まあ徴兵制は勘弁してもらいたいなあ。エロゲーできなくなりますし。
なんか中途半端につっこんで終わったなぁと思われたらごめんなさい。でもいまはこれが精一杯。
そんなわけで、これにておわかれ。また明日(。・x・)ゝ。





