ちょうど、今日で東日本大震災から10年。発生が、14時46分でした。改めて、被災された方々、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

10年をひと昔、と言います。劇的に何かが変わるわけではないのでしょうが、それでも10年という歳月はひとつの区切りを意識させるのにじゅうぶんな長さを持っています。しかし、震災に区切りがついたかと言われると難しい。そもそも、私にとっては永遠に区切りなんてつかないのではないか。そんな気がしています。

このブログでは何度か同じことを書いていますが、私は阪神淡路大震災を、まさに淡路島の近くで直撃被災しました。家は壊れるし、水は来ないしでかなり厳しい目にあいました。東日本大震災のときは東京にいました。幸いこのときは、被害は大きかったもののほんとうに深刻な被害には見舞われませんでしたが、かつてを思い出してそれなりに恐ろしい気持ちを味わいました。正直、あの時の「足元がふらつく」感覚をまた味わうことになるとは思っていなかったので、驚きも大きかったですね。

東日本大震災は、阪神淡路から16年。ひと昔と半分くらいの時間が経っていました。自分の中で「終わった」感覚は無かったのですが、それでも阪神淡路の記憶はずいぶん風化していたような気がします。日常生活で思い出したりすることはまずありませんでした。しかし、東日本大震災を経て、私の中には再び阪神淡路が戻ってきました。

2011年以降、「震災」というと東日本大震災を指すようになり、阪神淡路大震災は過去のものになったという印象があります。世間的にはその意味で、東日本大震災が阪神淡路大震災にとっての区切りだったのかもしれません。しかし、私にとっては逆で、東日本以来阪神淡路のほうが自分にとっての大きな震災だったな、と思うようになりました。

どちらがひどかったとか、そういう話ではもちろんありません。私が震災と言われて思い出すのは、どこまでいっても阪神淡路なのだ。阪神淡路は今もなお私の中で終わってなどいなかったのだということが確認できた、という話です。逆に、阪神淡路を遠く関東で聞き、東日本大震災を直接味わった人にとっては震災=東日本という図式が完成したことでしょう。ここで私が言いたかったのは、どれだけ月日が流れ、震災の爪痕が街中から見えなくなろうとも、経験した当事者にとっては区切りなど訪れない。震災は、そういうレベルの事柄だったということです。

私は、当事者性に閉じこもって他からの理解を拒絶する行為や言説を嫌います。しかしだからといって、当事者性が存在しないと言っているわけではありません。体験した人がいるかぎり、震災はそれぞれの中に、それぞれのかたちで存在している。そしておそらく、その当事者が死を迎える日まで区切りを迎えることなく残り続けるものだと思います。後ろ向きだと、いつまでも引きずっていると言われたとしても、それで良いのではないでしょうか。だって、どうしようもないことですし。

いつか、直接震災を経験した人が誰もいなくなった時が訪れたら、その時がほんとうの意味で世間や社会にとって震災のひと区切りだと言えるのかもしれません。