6月1日になり、近隣の小中学校で登校がはじまりました。我が家の周りも大量の小学生があふれ、あちこちで密を形成しており……そういう状況を見ながら、ちょっとめんどくさい話をつらつらとしていきます。

はじめにことわっておきたいのは、ここでは学校現場の先生たちを非難・批判する意図はまったくないということです。現場の先生たちにもさまざまな意見・立場があるとは思いますが、生徒・児童の登校の可否に関して現場の先生たちが決定権を持つことはほぼ無いでしょう(それは、われわれサラリーマンが出社を自己判断できないのと同様に)。むしろ教育行政や私学であれば運営母体となっている学校法人に対する問題提起のつもりで書いています。

昨日、北九州の小学校でクラスター発生の報せがはいってきました。

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 ▼「北九州 小学校でクラスター発生 9日間で市内97人 新型コロナ」(NHK NEWS WEB)
北九州市では31日、新たに12人が新型コロナウイルスに感染していることが確認されました。このうち4人は、今月28日に感染が確認された小学生と同じ学校に通う児童で、北九州市は、この小学校で感染者の集団、「クラスター」が発生したとしています。

北九州市によりますと、新たに感染が確認されたのは、小学生を含む10代から80代の男女、合わせて12人です。

このうち、いずれも10代の女子3人と男子1人の合わせて4人は、小倉南区にある守恒小学校の児童で、今月28日に感染が確認された女子児童と同じクラスです。守恒小学校では今月25日から活動が再開され、感染が確認された5人の児童も登校していたということで、北九州市は、この小学校で感染者の集団、「クラスター」が発生したとしています。

31日に感染が確認された4人の児童はいずれも症状は無いということです。

また、すでに集団感染が確認されている小倉北区の北九州総合病院では新たに医療スタッフ3人の感染が確認され、この病院で感染が確認された人の合計は26人になりました。

北九州市で31日に感染が確認された12人のうち2人は感染経路が分かっておらず、この9日間で感染が確認された97人では34人の感染経路が分かっていません。

このため、北九州市は、市民に対して、引き続き感染予防に努め、不要不急の外出を自粛するよう呼びかけています。
私は現場を見たわけではありませんが、この小学校がコロナ対策を怠ったというパターンではなく、むしろかなりコロナ対策に配慮していた部類のようです。



これが事実であろうとなかろうと、現実問題として学校現場でのコロナへの万全な対策はほぼ不可能です。これにはさまざまな理由がありますが、わかりやすいものを2つ書いてみます。

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まず根本的な問題として、コロナウィルスの全貌が医学的にあきらかになっていないからです。いま喧しく議論されている内容の大半は、「現状で蓋然性が高いと考えられる」ことです。少なくとも専門家の間でも、ほぼこれが確定だ、という話は限られているように見受けられます。専門家ですらそれですから、私を含め素人がどれほど勉強して情報を仕入れたところで、個人の行動判断に使うレベルなら良いとしても、他人の行動や生命に責任を負いきれるようなレベルで確定的な判断を下すのは困難でしょう。これはつまり、対策が万全かどうかを判断する客観的な指標が現状では成立できないことを意味します。指標がないのですから、「万全な対策」は原理的に不可能です。

※ちなみにもしあるとすれば、国か地方自治体のものになります。これは社会的な観点としては間違っていないと思います。国や自治体の示す判断基準が妥当かどうかそもそもわからない、というそもそも論まで行かずに、正しかろうが間違っていようがお上の示すものを基準としてやっていくという考え方は揶揄ではなく1つの明確な方針と言えるでしょう。ただ、その方針に従ったとしてそれはコロナ対策が完璧なのではなく指示を完璧に守っているだけにしかならないので、上の話は否定されません。

2つ目。人と人との接触が生じるからです。判明していることが少ないコロナウィルスで最低限わかっていることとして、人と人との接触によって感染が拡大する、ということがあります。ロックダウンやら何やらという施策はそうした分析に基づいて行われていますね(ロックダウンが妥当か否かは論じません)。そして小学校や中学校では、どうやっても人とすれ違う場面があります。たとえばトイレや手洗い場で接触があるでしょう。小学生低学年なら特に、登下校や休み時間の際に先生の見ていないところで学校の基準を無視するはずです。

だいたい年頃の子どもたちが、全員先生の指示に100%従うということは有りえません。見えないところで身体的な接触をするに決まっています。マスクを外して会話することもある。それを常に監視し、止めることは不可能です。いやできるんだ、学校はそれをやるべきだ、という人がおられたら、この記事を読む意味はありませんのでどうぞブラウザを閉じて下さい。

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まあそんなわけで、現状コロナへの万全な対策は不可能です。そして、いま日本はPCR検査の実施数を増やさないでコロナに対処する作戦をとっています。子どもはコロナの症状が出にくい、重症化しにくいなどと言われていますが(その真偽はおくとして)、感染しないわけではありません。無症状での感染例は多数報告されているわけですから、熱も咳も体調不良もないけれど感染している子どもはごろごろしていると考えられます。

※この日本の方針に対する議論も、ここではおこないません。これが成功か失敗か、PCR検査をすれば登校していいのか、という話がここでの主眼ではないということをご承知おきください。PCR検査を実施せずに乗り切ろうという現状の方針を前提として、登校再開というのがその方針にほんとうに合致しているのか? という話です。

そうして、無症状の子どもの間で感染が拡大し、それが各家庭に運ばれます。言うまでもなく接触機会が多いため家庭内のほうがはるかに感染の可能性が高いでしょう。すると子どもから家族が感染し、その家族内で症状がでるかもしれません。出なかったとしても、両親から職場に運ばれ、そこで感染が広がる……ということは容易に想像できます。実際、かなりの対策をしていた北九州の小学校でクラスターが発生しているわけですからね。


で、以上のような話をしていると当然、「なぜそこまでして登校させる必要があるのか?」という話になります。私が言いたいのはここです。大事なことなので2回言います。なぜ、登校が必要なのでしょうか?

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まあ、理由はいろいろ出てくると思います。たとえば……

・生徒の学力がつかない。
・生徒の学力や健康などを確認できない。
・他の生徒とのコミュニケーションがとれずに人格的な成長を促せない。
・子どもが自宅にいると困る家もある(両親共働きなど)。
・自宅にいないほうがいる子どももいる(DVなど)。
・いつまでも休校を続けるわけにもいかないのでどこかで慣らさないといけない。

私は現場の人間ではないので細かいところはわかりませんので想像ですが、これくらいは標準的に出てくる内容じゃないでしょうか。コロナの中でずっと引きこもっていることもできませんからどこかでリスクを採らないといけない、というのは確かです。しかし、それはほんとうにこのタイミングなんでしょうか。

実際これ、全員にあてはまる話ではないはずです。加えて、全部学校に登校しないと解決できないことではないですよね? オンラインで授業できてる学校もあるわけですし、健康観察は電話でもできます。

家でじゅうぶんな学習も運動もできていて、両親共働きだけど祖父母が近隣にいて預けることができる。子ども同士のコミュニケーションも、LINEやZoomでできている……そんな家であれば、通常通りの登校をする必要が出てくるでしょうか?

学校に意味がないと言っているわけではありません。教育活動というのはどんなものでもすべて何らかの意味があるはずですので、登校する、登校して集団行動をする、という中で必ず子どもたちにとって有意義な活動ができるはずです。

しかし、それがどの程度必要なもので、現状の社会情勢にかんがみて適切なのかどうなのか、デメリットと比較して是非実施しなければならないものなのか……ということが検証されているのか、甚だ疑問です。少なくとも、「感染拡大を防ぐ」という意味では、現時点での登校再開は下策ではなかろうかというのは既に述べた通りです。
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そこを曲げて登校させる理由がある子どももいる、というのはわかります。ならば、そういう子どもだけを登校させる、というのではダメなのでしょうか? たとえば家の経済的な事情でどうしてもインターネットにつないでWEB授業をうけることができない子どももいるでしょう。学校ではそういう子どもたちを集めて授業を行う。クラス全員が出てこないとダメ、って話は少ないと思うんですよね。

もちろん、ずっと家にいろというのではなく週に1回とか2週に1回とか登校するのは良いと思うんです。でも、「通常に戻す」というのを意識して毎日登校とかにする必要、いまの段階であるんでしょうか……? いや、あるのだ、ということならそれで構わないのですが、どうもきちんと議論されているように思えないのです。いま、コロナの拡散を抑えること、経済活動を止めないことが二大重要事項ですが、それを超えるメリットが果たして登校再開にあると判断したのでしょうか。

社会全体で感染をおさえるという意味では、コントロールが難しい子どもを外に出すのが最も危険な気がするのです。また、子どもたちにとっても登校することがほんとうに「良い」ことなのかわかりません。無条件に「学校に登校できるのは良いことだ」「日常を取り戻すというのは、子どもたちにとっても嬉しいことだ」という前提を置いてしまっていませんか……?

「登校再開」というのが、どうして「全員一律で毎日(あるいは週に数日)登校せねばならない」になるのか。そこをしっかり考えていくべきではないでしょうか。少なくともそんな議論もろくにできていないのに登校するのは準備不足であろうと私は思います。緊急事態宣言にあわせるのではなく、子どもの実態と社会の実態にあわせて判断するということはできないのかなぁ。そうすれば、もうちょっとフレキシブルな学校の再開ができるんじゃないかと思うのですが、どんなもんでしょうね。