ソフトハウスキャラが解散する、という情報がTwitterで飛び込んできたのは、今日の昼過ぎだった。驚き、暫し呆然とした。正直、ワニの100日を追うくらいならキャラの100日を追いたかった。

chara

驚きは、私だけのものではなかっただろう。1時間も経たずに3000近いリツイートをされていたことが、エロゲーユーザー界隈にとっていかに衝撃的な事件だったかを物語っている。



ただ、驚きと同時に、来るべきものが来たかという率直な印象もあった。ここ数年、キャラのゲームはあまり勢いがあるとは言えず、古参ユーザーからの根強い支持こそあれ、店舗に並ぶゲームの状況を見ていると昔日ほどの売り上げがあるとはとうてい見えなかったからだ。

それでも。

私にとってキャラというブランドは特別な位置を占めるブランドであり、「休止」ではなく「解散・廃業」という事態のもたらすインパクトは到底筆舌に尽くしがたいものがある。

そんなことを言うならば、お前がもっとキャラのゲームを買えば良かったのだと言われるかもしれない。だが、それに対しては胸を張って言おう。私は、すべてのキャラの作品を購入してきた。Wikipediaの情報を転載すれば、これだけの作品がある。発売日当日に買っていないものもあるが、『南国ドミニオン』から『その大樹は魔界を喰らう!』までは全て予約で買ったし、ユーザーカードも結構送った。

2000年2月25日 - 葵屋まっしぐら
2000年9月22日 - うえはぁす 〜お姫様は今日も危険でした〜
2001年4月20日 - 海賊王冠
2001年10月26日 - 真昼に踊る犯罪者
2002年7月12日 - アルフレッド学園魔物大隊
2003年3月28日 - ブラウン通り三番目
2003年12月12日 - レベルジャスティス
2004年6月25日 - 巣作りドラゴン
2005年2月18日 - 南国ドミニオン
2005年9月30日 - ダンシング・クレイジーズ
2006年6月16日 - グリンスヴァールの森の中 〜成長する学園〜
2007年6月29日 - 王賊
2008年5月30日 - ウィザーズクライマー
2009年3月27日 - DAISOUNAN
2009年12月18日 - 忍流
2010年7月30日 - BUNNYBLACK
2011年6月24日 - 雪鬼屋温泉記
2012年1月27日 - BUNNYBLACK 2
2012年9月28日 - 門を守るお仕事
2013年6月21日 - BUNNYBLACK 3
2014年6月27日 - アウトベジタブルズ
2015年2月27日 - 悪魔娘の看板料理
2015年12月18日 - その古城に勇者砲あり!
2016年6月24日 - プラネット ドラゴン
2017年3月24日 - 呪いの魔剣に闇憑き乙女
2017年8月25日 - 領地貴族
2018年4月27日 - その大樹は魔界を喰らう!
2018年11月30日 - 悪魔聖女~デーモンガール・ステップ~
2019年12月20日 - 巣作りカリンちゃん

電気外祭りに出店していた際には当たらぬと知りつつくじに参加もしたし、相応の「買って応援」はしてきたつもりである。それでも愛が足りないのだ、もっと金を落とせば良かったのだと言われれば返すことばもないが、惜しむ気持ちが本物であることは私自身の矜持にかけて主張しておきたい。ただ、その割にグッズとかキャンペーンの景品とか一切、ほんとうに一度も当たらなかった。そういう意味では片思いにおわる運命のメーカーだったのかもしれない。(ninetailとかは当たりまくってる。色紙だけで3回かな。やはり触手との相性は最高なのだろう)

さて、私にとってのキャラは「遊べるゲームを作る」メーカーだった。

コンシューマゲームが華やかなりし90年代、パソコンゲームには「亜流」のコンプレックスがあったように思う。ファルコムやKSS、TGLのようなパソコンゲームメーカーはあったが、どれもコンシューマゲームのような大ヒットを飛ばすことはなかった。今にして思えばそれもそのはずで、パソコンなど当時はまったく普及していなかったし、そのせいでコミュニケーションツールとしてのゲームの役割を果たすことができなかったのだ。要するに、学校に行って友達とドラクエやFFの話はできても、『英雄伝説』や『Brandish』や『ぽっぷるメイル』や『ファーランドストーリー』の話は、まあコンシューマに移植されたとかそういうのは置いといて、できなかったのである。

だから、どれほどおもしろいと思っても人気が出ない。当時よく耳にした「コンシューマに負けないくらいおもしろい」とか「コンシューマには無い」といった表現こそ、そうしたコンプレックスの表出だっただろう。エウシュリーが『幻燐の姫将軍』(2001年)を出したとき、「エロゲー版のファイアーエムブレム」という呼び方が公式HPの掲示板にも数多く見られた(それも、ヘヴィユーザーが他人に「おすすめ」をするときに使っていた)。私はそれを見て、「エロゲーにしかない、エロゲーだけの面白さがあるはずなのに、どうしてコンシューマと比べなければならないのか」と歯がゆく感じたものだった。

それまでの作品群が決して劣っていたとは言わないが、ソフトハウスキャラを有名にしたのは『巣作りドラゴン』の成功だったことは、おそらく多くの人が同意してくれるのではないかと思う。私自身は『無人島物語』が好きだったという理由で(つまりはコンシューマの二番煎じを味わいたいという理由で)『南国ドミニオン』を購入したのだが、そのときに「ああ、このメーカーはコンシューマを相手にしていないのだ」と感じた。そこからさかのぼって、評判の良かった『巣作りドラゴン』に触れ、その思いをさらに強くした。キャラというメーカーは、エロゲーとして遊べるゲーム、エロゲー独自の価値に挑戦していたメーカーだった。

私は、その誇り高い姿勢が好きだった。正直『南国ドミニオン』はゲームとして見ればそこまで洗練されているとは言えず、シナリオはぶっちゃけいまいちだったが、それでも私が嫌いになれないのは、そういう姿勢を感じさせるからである。

以降、試行錯誤を繰り返しながらキャラの作品は成長してきた。その精華と言うべきは『ウィザーズクライマー』と『BUNNY BLACK』だろう。

キャラ作品の魅力の1つは「やりこみ」だと言われる。絶妙のバランスで少しずつキャラクターを成長させていき、仲間を増やし、できることの幅が広がっていく。そして1度クリアすると、その育成したキャラクターを使ってさらに難度の高いステージに挑戦していける……。いろいろなトライを繰り返しながら無限にゲームを遊び尽くすことができるのだ。

上記2作品はそのバランスが非常に優れていることに加え、ゲーム部分の成長がシナリオ面と連動していた。主人公が成り上がっていき、他に認められるというストーリー展開がゲームパートのキャラクターの成長する過程と重なり非常に爽快感があった。キャラの出世作・代表作といえば『巣作りドラゴン』であることに異論はないが、キャラというメーカーの完成形といえば、私は上記2作を挙げたいと思う。(ちなみに、一番好きなのは『王賊』だったりする)

私の見方が絶対に正しいと主張するつもりはない。ただ、いま述べてきたような私の感覚にしたがえば、2010年以降10年間、キャラはそれらを超える作品を出せなかったということになる。もちろん、いろいろな試みはあったことは心得ている。しかし、周回要素を削り、ゲームバランスをライトユーザー向けにし、反復要素を簡略化した結果ただの作業に落としてしまったのが最近のキャラだった。

どうしてそうなったのかは分からない。あるいは私のような感覚はもう「老害」と呼ばれるべきもので、いまのライトユーザーに向き合った結果こうなっているのかという思いも持っていた。だが、解散・廃業という結果を見るにそのシフトチェンジにも失敗したのだろう。

今や、「ゲーム」を重視して作るメーカーはほんとうに少なくなった。アボガドパワーズやelfも今は亡く、アリスソフト、エウシュリー、アストロノーツ・シリウス、ninetail、時々戯画といったところだろうか。もちろん同人ゲーム界隈を見れば意欲的なところは数多あるにしても、20年に亘ってエロゲーを支えてきたメーカーが失われることに、曰く言いがたい念を抱く。ほんとうに惜しい。

地理的に、関西(大阪)のメーカーであったことも残念だ。これでキャラが消え、アリスソフトも消えたりしたら大阪からエロゲーの火が失われるのではないかという懸念もある(そもそもあったのかという話もあるが)。イベントの東京一極集中の問題などを考えれば、全国にエロゲーブランドが散っていることは意味があると思うし、近隣のゲームショップへの働きかけなどもあればその地方でエロゲーを盛り上げることも可能になる。キャラほど名のあるメーカーが失われることは、エロゲーの地方分権にとっても痛手となることは間違いないだろう。

また、キャラは「ゆかり教育」の指定推薦校でもあった。特定ラインの作品では必ず、メインヒロイン級に青山ゆかり嬢(嬢?)を起用しており、キャラといえば青山ゆかり! みたいな印象を持っている人も多かっただろう。同様のブランドにAXLがあったが、こちらも全作品で原画をつとめてきた瀬之本久史氏が退社し、出世作となった『恋楯』を戯画に委ね、今や開店休業状態になっている。ゆかり教育の代名詞とも言うべきこの2メーカーが力を失っていくことに、時代の変化を感じざるを得ない。その変化は悪いことばかりではないのだろうけれど、寂しさはどうしてもついてくる。

ともあれ、山のようにある語るべきことをすべて語るわけにもいかない。そろそろ3,000文字もこえてキリが良くなったので、この辺で想い出語りを締めくくって追悼としたい。


ソフトハウスキャラさん、20年間ほんとうにお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。