新型肺炎の騒動以降痛切に感じるのは、いまの日本社会は「幅広い選択」ができなくなったんだなぁと。

経済が回らないからあれもできない、これもできない。お金がないからあれもできない、これもできない。マスク買えない、トイレットペーパー買えないみたいな話もそうですし、検査できないのもそう。仕事を休めないのも、そうしないと仕事が回らないからだし、そうまでして仕事を回さないと会社が保たないからでもある。

イベントの中止にしても、結局そこで損害だすとやっていけないから判断が伸びる。あるいは、中止にして十分な補償を出せる国ではなくなった。

「あれもできる、これもできる」という多様な選択肢を積極的に選べるのではなく、「これはダメ、あれもダメ」という消去法で方針を選ぶしかなくなっているような雰囲気を感じます。

もちろん、これまでだってそういうところはあったのでしょう。でも、経済が停滞した日本は明らかにジリ貧になっていると思う。貧すれば鈍す。まさにそのとおりだなと。

私の若かりし頃は、まだ日本社会にバブルの残り香があって、「豊かさとはなにか」みたいな議論が喧しく行われていました。そこでは、「お金だけが豊かさではない。心の豊かさが大事だ」みたいな流れがあって、金のことばかり(≒経済のことばかり)考えるのは下品で貧しい考えだ、みたいな風潮があったように思います。

けれど、今その金銭的豊かさが大きく失われて思うのは、お金って大事だよねということ。お金がイコール幸せではないかもしれないけれど、だからといってお金がなくていいわけではない。だって、それによって選択肢=可能性が貧しくなってしまうからです。

豊かさがなにか、ということは今なお私にはよくわかりません。けれど、幅広い選択肢を選び、幅広い可能性が成就する社会というのはとてもよいモノだと思います。そして、金があるからこそいろんな選択肢を選べるというのは事実としてあるんじゃないかと。お金は、よい社会の必要十分条件ではないし、十分条件でもないけれど、必要条件ではある。

ここから日本が、よい社会に戻ることはできるんでしょうか。コロナのダメージがトドメにならないことを切に祈るばかりです。