定期的にこういうことが起きるのですが、知人が速読の講座とテキストみたいなのをとって20万くらい使っていることがわかりました。

何度かこのブログでも書いているのですが、私自身は、商売に使われているいわゆる「速読術」みたいなやつ……某大手古本屋の「速読王」がやってるみたいにパラパラとページをめくるだけで本を読める、というのに対して非常に懐疑的です。

実際に瞬間記憶みたいなかたちでちらっと見ただけで内容を把握できる人がいないかと言われれば、いるかもしれません。でも、それは速読法のような「技術」によるのではなく、おそらくは個人の能力・才能・資質によるもので、誰かに伝授できるたぐいのものではないのではないかとも思うのです。

実際に私は、ある「速読教室」に行き、そこの参加者が、結局何ヶ月経ってもまったく速読できていないことを確認したことがあります。難解な哲学書が読めないとかではありませんよ。そういうのは、速読教室側も「内容が難しいものが理解できるわけではない」と保険をかけています。読むスピードはたしかにあがっているのですが、それはもともと遅かった人が多少本を読む習慣を身に着けたから程度のもので、それを速読の成果だと言われりゃそうなのかもしれないけれど、でも宣伝として謳っているレベルとはかけ離れてますよねという。

一応、その手のことで嘘か真か知りませんけれどわかりやすい話を紹介しておきます。

 ▼「速読教室のウソ」(個別指導塾 まなびっくす)

私は本が好きで子供の頃からいろんなジャンルの本を読んできたのですが、いつも思うのは、自分は本を読むのが遅いなぁということでした。頭の中で音読しながら読むのですが、ちょっと気が緩むと棒読みになってしまってその間の意味を理解できず、もう一度、読み直すということがしょっちゅうありました。

そこで目についたのが速読教室なるものです。本が速く読めるようになれば限られた時間でもっとたくさんの本が読めて時間を有効に活用できる。これは絶対、習得すべきだと思い、体験学習ができるという日本でもトップクラスの日本○○○○協会の速読教室に行ってみることにしました。

但し、私はその速読教室に通うかどうかの判断材料としてある物を持参しました。それをかばんの中に隠しながら速読の体験学習に臨んだのです。

迎えてくれたのは40代の人の良さそうな女性インストラクターでした。

まず初めにその人は速読の効能について滔々と語りだしました。

「前田さん、速読は人生を豊かにしてくれますよ。読書スピードが上がることにより様々な本が読めますし、右脳が活性化して資料などの処理能力も格段に向上します。きっと三か月~半年後にはその効力が実感できるようになります」と彼女。
「速読をマスターするには三か月~半年ぐらいかかるのですか?」と私。
「そうですね、こればかりは個人差があるので何とも言えないのですが、人によったら1年以上、通われる方もいらっしゃいますね」
「先生は習得するのにどれぐらいかかったのですか?」
「そうですね、本当に自分で速くなったなぁと実感できるようになったのは一年ぐらいたってからですかねぇ」
「一年ですか、それじゃ、大分お金がかかったんじゃないですか?ホームページを見ているとこちらは一か月、30,000円ほどかかるので36万円ほどかかる計算になりますね」
「いえいえ、継続割引がありますから、そんなにもかからないですけど、30万ぐらいはかかりましたね」
「それで先生は一分間に何文字ぐらい読めるようになったのですか?」
「今は一分間で5000文字ぐらいですね」
「すごいですね。普通は400~600文字ぐらいだから先生は普通の人の8倍~12倍ぐらいのスピードで読めるんですね」
「もっと速い人なら10,000文字ぐらい読めますよ」
「10,000文字!!それはすごい、文庫本が大体1ページ、500~600文字だから1分間に20ページ読めますね。それはすごいなぁ!!」
と話を合わしているとさっそくトレーニングなるものが始まりました。

まず、コンピューターを見てくださいと言われて画面を凝視しているとゆっくりと文章が流れてきてそれを黙読します。

すると「前田さん、どうですか、文意が理解できましたか」と彼女。
「はい、これぐらいのスピードなら何とかわかります」と私。
「じゃあ、段々スピードを上げていきますから目が追えなくなったらストップとおっしゃってください」
「はい、わかりました」
そして画面の文章が速く流れていきます。目で追えなくなり「ストップ」と叫ぶと彼女が「今のが、分速10,000文字の速さです」とおっしゃる。
「じゃ、1分間に10,000文字読める人は今のスピードで読んで理解できるのですか」
「そうです」
「信じられないなぁ。今のスピードで読めるなんて」
「眼球を速く動かし、視野を広げることによって映像として取り込む情報量が増え、速く読めるようになるのです。まずは視幅を広げ、視速を速める訓練をします。前田さんは高速道路を運転していて地道に下りた時に普段走っているスピードがとても遅く感じたことはありませんか?それと同じです。高速で眼球を動かし速く視点を移動させれば分速2000文字で読んでもゆっくり読んでいる感覚で読めるようになるのです」と分かったような分からないお話しの後、今度は昔の巻紙のような文庫の1ページ~10ページ分の文章が横につながった一枚の紙を渡され両手に持って広げさせられました。それはまるで卒業証書を渡すときの校長先生のようです。

「今から1分間、時間を計りますからなるべく速く眼球を動かして読んでみてください。それではいいですかヨーイ、スタート」「ハイ、そこまで」「どこまで読めましたか」と彼女が聞くので「ここまでです」と答えると「680文字ですね、じゃこれを記録しておきましょう」と何やら紙に書き込みます。「じゃ、もう一回行きましょう。内容を理解するのは二の次にして今はとりあえず速く読むことに集中しましょう。いいですか。それじゃ、ヨーイスタート」「はい、そこまで」「何文字読めました?」「750文字です」「速くなりましたね。その調子でスピードを上げていくといつの間にか、1000文字、読めるようになりますよ」

(そりゃ、1回目よりは2回目の方が速く読めるでしょうよ)と心の中で突っ込みを入れながら体験学習も終了の時間が近づいてきました。
終わりぎわ、彼女は満面の笑みを浮かべながら「どうですか、前田さん、今日だけでも分速750文字まで上がりましたよ、これを継続していくと分速5,000文字ぐらいまでは読めるようになります。是非ともこのまま継続されることをお勧めします」とおっしゃるので私は仕込んでいた隠し兵器を取り出し、彼女が言っていることが本当かどうか、確かめることにしたのです。

「一つお願いしてもいいですか」と私。「何ですか」と微笑みながら彼女。
「この本をここで先生に読んでほしいんです。この本は文庫本で200Pほどですから10万文字ほどです。先生なら約20分で読了することができますよね。100Pなら10分ほどです。10分だけ読んでもらって感想をきかせてもらってもいいですか」とお願いするとそれまで微笑んでいた彼女の顔がひきつり始めました。
そしてうめくように「デ、デモンストレーションは行っておりません」と言うではありませんか。
「でも、先生は一分間に5000文字読めると先ほどおっしゃったじゃないですか。ゴルフを習うのにゴルフができない人に習う人はいませんよね。それと一緒で先生に習うのなら先生が速読できるかどうか確認するのは当然のことだと思うのですが…」
「私の事が信用できないのですか」とまなじりをつり上げながら言うので「当たり前じゃないですか。先生と私はほんの数十分前に会ったばかりですよ。人間同士の信頼関係というのは長い交流時間を得て初めて醸成されるものであって初対面の人といきなり信頼関係を結ぶことなんてできませんよ」と私が言うと「信用していただけないなら教えることはできません。お帰りください」とヒステリックに言い放ちました。

こうして私の体験授業は終わったのですが、一つ良く分かったことがありました。それは世の中にはびこる速読というのは、いわゆる飛ばし読み、斜め読みであって一字一句、文字を追いながら読む読書に比べて理解度はスピードが上がれば上がるほど落ちていくということです。

例えば「昨日、私は東京に行ってりんごを買いました」という文章があるとします。
速読する人は(昨日)(私)(東京)(りんご)(買い)というワードだけ拾ってあとは頭の中で自分で勝手に文章を組み立てるのです。
ところがこの読み方だと「昨日、私は東京に行ってりんごを買いたした」という文章でも同じ意味に組み立ててしまうので原文から外れてしまいます。日本語は、てにをは、つまり助詞が変わるだけで全く意味が違ってきますので1字違うだけで内容は大きく変わり、結局、この読み方では概略はつかめても精読はできません。

要するに速読術とは、斜め読みの技術であってこんなもので高度な学術的論文や大学入試に使われる三木清、小林秀雄などの難解な文章を読みこなすことはできません。せいぜい、朝の通勤列車の中で新聞を斜め読みすることぐらいにしか使えないツールであってこんなものに20万円も30万円もかけるなんて全くナンセンスです。

また速読が右脳教育に役立つと宣伝していますが、まったく科学的根拠のない話で誰もそれを実証したことはありません。
カリフォルニア大学のエリザベス・スコッター先生はその論文で「現存する科学的根拠によれば、速度と正確さには反比例の関係があり、読み手が読むべき文書にかける時間が短いと、その分だけどうしても理解が劣ってしまいます」と長年の研究結果から結論付けています。(http://www.lifehacker.jp/2016/02/160219speed_reading.html)

個別指導塾の中には右脳教育として速読を採用している塾がたくさんありますが、そのほとんどの塾長、インストラクターは速読ができません。ただ協会の本部からソフトを買い受けて指導方法だけ学んで教えているのです。速読ができない人に速読を習うバカらしさ、それは英語ができない人に英会話を習うようなものでいくらお金をつぎこんでも上達するはずなんかありません。

「速読で右脳教育を」と謳う個別指導塾にはくれぐれも注意をされた方がいいと思います。またどうしても速読を習いたいなら一通り、話を聞いたうえで最後に本を取り出し一言、聞いてみましょう。
「ところで先生は、この本を何分で読めますか?」

速読教室の「先生」をやりこめたという話より、「日本語は、てにをは、つまり助詞が変わるだけで全く意味が違ってきますので1字違うだけで内容は大きく変わり、結局、この読み方では概略はつかめても精読はでき」ない、という指摘のほうが重要です。

そういうのでほんとうに重要な部分は文脈でわかる(後にでてくる話との整合性をとる)し重要じゃないところは誤読していても問題ない、という説明を受けたこともあるのですが、それって誤読していても筋が通っちゃったら気づけないということだし、自分の解釈に頼る領域が増えるぶん、自分の知らないこと・わからないことをわかるようにさせてくれる読書にはならない……。となると、何のために本読むの? っていうところに話がいっちゃうわけです。

私の説得が通じるかわかりませんけれど、クーリングオフ適用しないかと彼にもう一度呼びかけてみるつもりです。とはいえうーん、難しいかなぁ。