小室哲哉vs週刊文春の最終章っぽくなった、先日掲載された文春のスクープに関する記事を、ちょっとわけあっていろいろと読んでいたのですが……。プレジデントオンラインの、元木昌彦氏の記事を読んで目が点になりました。

 ▼「「小室哲哉のウソ」を暴いた文春砲の逆襲 (6ページ目)
だが、自分がついた嘘について、ファンやあの時「文春潰せ」と応援してくれた人間たちに釈明する責任があるはずだ。

小室もグラビアページに登場している。ラフな格好にサングラスと野球帽といういでたちで、近所の弁当屋のメニューをじっと見ている図である。還暦間近の男のしょぼくれた姿が見事に映し出されている。

KEIKOのほうは、文春のファンへのメッセージをという求めに対して、「ご心配いただき、ありがとうございます。私は元気です」と答えている。

小室がテレビカメラの前で平気で嘘をついたのは、いま日本中を覆っている「嘘つきは安倍晋三の始まり」という空気を読んで、どうせ75日たてば忘れるさ、そう考えたからではないのか。

ファンも視聴者も世間もバカにされたものである。(文中敬称略)

usoabe


なんだこの唐突な政権批判は……。

いや、別に安倍批判をしちゃいかんと言ってるわけじゃないですよ。ただ、ここまで読めばわかるように120%政治とは関係ない、芸能人のスキャンダルと報道姿勢と嘘と、それを周りで無責任に煽る人の話をしていたわけです。それが、最後の最後にわけのわからん視点をぶちこんできた。あまりの急転直下ぶりに、あきれるのを通り越して感心してしまいました。

少なくともこれは、政権に対する私見です。主張です。そういうことが主張したいならばそれなりの手続きを踏むというのが文筆業(あるいはこの際もう売文家、といってもいいですが)の責務であろうと私は思います。素人ならいざしらず、それで金を得ているプロの文章であるならば、世の中に訴える内容に対して責任が発生する。

他の記事などを読めば、この方の思想信条的に政権批判が譲れない部分であろうことは想像に難くありません。ただそれならば、このようにこじつけた――少なくとも「うそをついている」という以外に共通点が見えず、あまりに唐突な主張を行っている文章ではなく、きちんと構成された、読むに値する主張にしてほしい。こんな雑な展開を読まされようとは、読者もバカにされたもんです。

それにしても、触手凌辱ってほんとうに良いですね。サイコーです。それではまた明日。