結婚式にいくことが最近また増えてきて、今日もカタログセットを引き出物に貰って帰ってきました。

カタログセット、たしかに便利は便利なのですが、やはりどうも味気ないと思うのは旧い人間だからでしょうか。

引き出物にかぎらずプレゼント一般を贈ったり貰ったりする時のことを考えると、ポイントは2つあるのかなと。

1つ目に気になるのは中身の種類。食べ物なのか、食器なのか、衣類なのか、時計や財布なのか……。当たり前ですが、自分/相手がまったく使わないものや役に立たないものを貰っても/贈ってもしょうがないし、ほしいと思っていたものが手に入る/贈れると嬉しくなります。

また、以前あったのですが、ちょうど時計がほしいなと思っていたときに時計のプレゼントを貰った(家族からの誕生日プレゼントでした)。私も知っている有名なブランドの時計だったのですが、その値段なら私のほしかった自動巻きの時計が買えたなーとか、そういうことを考えてしまうこともあります。もちろんそんな失礼なことは伝えませんでしたし、その時計はいまも大事に使っていますけれど。

次に、値段。貰う側からすれば、あまりにも安すぎたり、逆に高すぎたりすると、ちょっと不安になります。プレゼントをしてくれた心遣いには感謝しつつも、やはり「適度な」ものというのは感覚としてあるんじゃないかなと。贈る側としても同じ。誕生日のプレゼントに100円のものを渡すわけにはいかないし、小学校の入学祝いに何十万もする服を贈るのは場違いでしょう。

要するに「中庸」というか、ほどよいバランスがある。それらを合理的に満たすことを考えるなら、「貰う側」に選択権を与えるのがベストです。ギフト券、お金、カタログセット……というのは、そういった合理的な要求からの帰結でしょう。

ただ、プレゼントってそういう合理性とは違う分野のことなんじゃないかなーとも思うわけです。

そもそもプレゼント贈るのって感情的というか、まあ人間関係円滑にしようっていう狙いだの相手と親密になりたい下心だのあるわけで、理を突き詰めるようなものではないはずです。だから、非合理なところを楽しんでもいいんじゃないか。むしろそういう非合理的なところで新しい出会いを生むきっかけになるのがプレゼントの醍醐味なんじゃないかと。

さっきの私がもらった時計の話で言えば、私がお金貰っていたら自分の欲しい時計買ってたんでしょうけど、それだと私は私の感覚の枠からでることはなかった。新しい発見とか驚きもたぶんなかった。プレゼントの品を通して、自分だけでは経験できなかったことに触れられたとも言えるわけです。ちょっと大げさな言い方ですが。

してみると、「良い」プレゼントというのは、その人にとって邪魔ではないもの(可能ならば有用なもの)でありつつも、自分ひとりならあまり買わないようなもの、ということになるのかもしれません。もちろん、そういう価値観を共有している人でなければ通じないお話ですけれども。