森友問題が思わぬ方向に掘り下がって、かなり大きな問題になりつつあります。いや、もうなっているという認識でいいのかな。

個人的には、書換の内容が何であれ公的な記録を書き換えたというのは許されざることであると思いますし、その書き換えの動機が、首相への「忖度」であったということは問題であろうとも思っています。

たとえば、「自分にとって不利な内容が書かれていても、不正を働いたほうが厳しく処罰される」という空気があればこのような事態は発生しなかったはずです。そんな空気を作ってしまったということそのものが現政権の問題である、ということは、まあもうハッキリと言ってしまってかまわないでしょう。

ただ、実際その一事をもって安倍政権を倒すことができるのか、あるいは倒すのが妥当なのか、ということは結構難しい。理由は単純で、倒したあとのビジョンがないからです。

私が同調するかどうかは措いても(あまり同調はしません)、「アベ政治」ではない政治が目指されているというのは分かるし、独裁色の強いいまの安倍政権ははやく倒さなければ取り返しがつかない、みたいな危機感もまあ分かります。

ただ、じゃあトップをすげ替えたとして、どんな政治が行われるのか。

いや、トップが替われば否応なく政治は変わるでしょう。ただ、その時に国民はその変化についていく覚悟があるのか。

何かが変わるということは、必ず痛みが伴います。全部うまくいくなんてことはなくて、良くなることもあれば悪くなることもある。そして、悪くなった部分でワリを喰った人たちは必ず不平不満を言います。改革というのは、常にそういう性質のものです。安倍政権をたおし、新しい首相が生まれたとして、人びとは何をその変化に求めているのか。漠然と「よくなる」ことだけを期待していたのでは、何も変わりません。

私の、退職した会社がそうでした。業績が悪化し、「変革をしなければ」みたいなスローガンは飛び交っていたのですが、外部役員を呼び入れていざ改革が始まると、あれがよくない、これがよくないと不平不満があちこちから飛び出し、結局改革は一歩も進まず仕舞い。何を目指すか、ということがはっきりしておらず、そのためにリスクや傷を負うことを誰も受け入れなかったんですね。

いまの日本の政治も似たようなものだと思います。ただ漠然と、なんとなく何かが良くなればいいと思っている。でも、それでは変化は訪れません。なぜなら、変わろうとしたときに発生する痛みを受け入れられないから。

政治にいま求められているのは、「何を目指すか」という部分で国民を説得し、魅力的で説得力のあるビジョンを提示することなんじゃないかなぁ。少なくとも、足の引っ張りあいをすることではないと思うんですけどね。