教師の暴力が話題になりますが、教師が暴力を振るわれるケースもあります。先日、博多高校で生徒が教師を蹴りまくる事件があったのは記憶に新しいところですが、今度は小学校で職員の女性がバットで殴られるという事件。

 ▼「児童館で小2男児が女性職員の首をバットで殴り後遺症、傷害で児相通告 被害届に「なぜ小学生を追い詰めるのか」と逆非難」(産経WEST)

 事件後は、静かな場所なら相手の話が聞き取れるが、周囲が騒がしいと、ほとんど聞こえない状態になった。授業や課外活動で児童の発言を聞き落としてしまう可能性が高いため、学校での勤務を断念せざるを得なくなった。

 だが、それ以上に女性を苦しめたのは、周囲の反応だった。10月、教育関係者が集まる交流会に出席すると、事件を「単なる事故」と切り捨てられ、「児童が感情をむき出しにするのはむしろ良いこと」「小学生をなぜそこまで追い詰めるのか」と、被害届を出したことを逆に非難されたという

驚くのは、この件について教育関係者から、被害届を出したことを非難されているという事実です。

もちろんその「交流会」でどうしてこんなことが言われたのか文脈がわかりませんし、この取材内容がすべて真実なのかどうか、という問題はあります。「むしろ良いこと」という意見は論外にしても、「追い詰めるのか」というのは、被害届を出すのではなくその子と話し合って諭すべきだ、みたいな流れなのかもしれないとは思います。

しかしそれにしても、被害届を出すことを非難されるというのは、あまりにもおかしいと思います。

一般的な見地からみて「悪いこと」をした児童は、やはりきっちりとそのことの責任を負うべきです。それは大人の責任とは異なるかもしれませんが、自分が加害者になったこと、被害を受けた人がいることをまずは受け止めなければなりません。そして、その負わせるべき責任について声を上げる権利を持っている最初の人物は被害者です(被害者の言うとおりの責任を負わせろと言っているのではなく)。自分が「悪いこと」をしたら、そのものごとは自分の手から離れることがあるのだ、ということをきちんと学ばせるのもまた教育の仕事ではないのでしょうか。

私がいいたいのは、この被害者の女性は被害届を出すべきだとか、出すべきではないという話ではありません。それは、被害者の女性が決めるべきことだからです。私が言いたいのは、被害者の主張をまずは聞くということが加害者の負うべき責任ではないかということです。

周囲の教育関係者がそのことに口出ししているというのもどうかと思いますが、同時に、被害届が出ているということを前提にしてその児童に対する教育を行うという方向で考えないのがお話にならないなぁと思うのです。

あと、何か問題が起きた時、被害者が騒ぐと「波風を立てた人」みたいなレッテルを貼られて敬遠される文化というのもクソだと思います。おそらくこの女性、「子どもに大して被害届を出した人」ということで敬遠されることが増えるのでしょう。そういう、自分の主張を「正当なかたち」であっても強く言うことが嫌われる文化というのが、ハラスメントの温床になっている気がします。

こういうの、ホントに何とかしたほうが良いと思うんだけど、組織の力学の前にはなかなか難しいですよね。