会社のプレゼン資料、「日本語おかしいだろ」(要約)と入社二年目の若い方が50代の中間管理職に怒られて、それを止めに入るだけでなく反論した30代中堅社員と喧嘩するという、なんだかよくわからないコントみたいな場面に出くわしました。出くわしたというより、向こうから歩いてきたというべきか。

原因となった日本語というのは、「彷彿」。準新人氏が「彷彿させる」と書いていたようで、「彷彿とさせる」だろう、というのがおっさん先輩の主張。んで、実際どうなんでしょうねぇと中堅氏が私のところに来たという感じ。

個人的には「彷彿として」という形は比較的目にするし、「旧時を彷彿させる」のような用法もおなじみ。また、「彷彿する」という動詞も割と見かけるなぁと。ただ、全然意識したことがなかったのでとりあえず辞書。電子辞書のデジタル広辞苑だとどっちでもよさそうな感じだったのですが根拠の説明みたいなものはなかったので、グーグル先生によろしくしてみました。

すると、随分古い記事ながらあまりにもタイムリーなテーマでこんな解説が。やっぱモメやすいところなんですかね。

 ▼「新・ことば事情 3745 「『彷彿させる』か『彷彿とさせる』か」」(ytv)

「髣髴(と)させる」はややこしいですね。これは、環境によって、どちらかしか使えない場合と、両方使える場合とがありそうです。
 
(1)まず、「髣髴として」と副詞的に使う場合は「と」が入ります。
・江分利の前に昭和12年の神宮球場が彷彿としてあらわれてくる。(山口瞳「江分利満氏の優雅な生活」)のような場合ですね。「髣髴して」にはならないでしょう。
 
これは「憤然として部屋を出る」「揚々として引き上げる」などと同じ語構成です。「憤然して」「揚々して」と言わないのと同様です。
 
(2)「~を髣髴する」のように、「~を(ありありと)眼前に見せる」の意味で使う場合は「と」は入りません。
・家全体の表情はたしかに、アレキサンドゥルの最後に見た表情を髣髴している。(森茉莉「甘い蜜の部屋」)
 
これは「表情を再現する」「表情を暗示する」などと同じ語構成です。「表情を再現とする」「表情を暗示とする」と言わないのと同様です。
 
(3)「~が髣髴する」のように、「~が(ありありと)眼前に見える」の意味で使う場合は、両方ありのようです。
・(a)わが世の春を謳っていた情景が、眼前に髣髴としてくる思がするではないか。(中山義秀「芭蕉庵桃青」)
・(b)当時の日本人にとって、きいただけでも、白く光ったおまんまが限前にほうふつする(てるおかやすたか「すらんぐ」)
 
これは、(a)「髣髴と+する(タリ形容詞+スル)」の場合と、(b)「髣髴する」という自動詞の場合の2つがあるからです。なお、この(3)は、使役形にすると、(a)は「~を髣髴とさせる」、(b)は「~を髣髴させる」になります((2)の「~を髣髴する」と似ていますが、語構成は違います)。
…………うーん?

この説明がただしいとするなら、「彷彿」には動詞と形容動詞(タル形容詞)、副詞の用法がある。ただ、動詞用法は自動詞的なのと他動詞的なのがあり(※日本語の動詞を厳密に「他動詞」と呼んでいいかわからないので変な言い方をしています)、他動詞的なほうには「~ありありと思い起こさせる」という使役のな意味を含んでいる場合がある(英語でいうとexciteとかアレ系のやつですかね)。

んで、(1)副詞の場合は「彷彿として」で確定。

(2)他動詞的な用法で、目的語「~を」をともなう場合は「彷彿する」。(~を思い起こさせる)

(3)形容動詞「彷彿たり」を現代語的に使う場合は、「彷彿とする」になる。(タル形容詞+動詞の「する」)→使役にして「~を彷彿とさせる」

(4)自動詞的な用法では、「~が彷彿する」と使う。→使役にして「~を彷彿させる」

こういうことですね。なるほど。これは非常にスッキリするし用例を見ても妥当な感じがします。

ということは「彷彿させる」も「彷彿とさせる」もどっちもありえる用法だけど、問題はその「彷彿」が自動詞なのか他動詞なのか形容詞なのか、前後の繋がりを見てみないとわかんない。ただ、(3)と(4)でほとんどの用法はカバーできそうだからどっちでも良い可能性は高いんじゃないかなぁ……ということでプレゼン資料を拝見すると「この手法は○○を彷彿させるもので……」となっていたので、(4)の解釈で正解にしていいんじゃないかとお返事しておきました。

仲裁の役に立ったのかどうかはあまり定かでありませんが、「彷彿とさせる」という「と」を入れるかたちに落ち着いたようです(少なくとも解釈は役に立ってねぇ!)。

しかしこれ、思ったよりめんどくさい話だったんですね。正直普段全然気にしてなかったので、モメていた当人たちには申し訳ないけれど面白かったです。