先日話題になった、「高額転売屋がデザフェスに紛れ込んでいた」件。

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一方からの情報なので詳細は分かりませんが、少なくとも確定している情報だけでこの「白龍堂」という出展者がそうとうやらかしてるのは間違いないようです。

出てきている情報が全て本当だとすればこの業者だか個人だか分からん出展者が屑であることは論をまたないのですが、この手の話題になると必ず出てくるのが転売は良いのか悪いのか問題。

何度かチケット合戦に参加し、取得しそこね、そのチケットが高額で転売されているのを目にしたことがある身としては、転売に良い感情を抱けようはずもないのですが、たびたび指摘されているように転売というのは現在、数多くの商品であたりまえにおこなわれていることでもあります。

わかりやすいのが問屋や小売業で、生産者から購入した(仕入れた)ものを別の人間に売るわけで、これを広い意味で転売とみなすなら現代社会の流通は転売なしには成り立たないということになる。こういう流通を否定するラディカルな人もいますが(生産者との直接取引が最も安価かつ純粋な取引で、仲介業者はネット社会においては淘汰されるだろうみたいな)、およそ多くの人は、流通に関しては問題ないというふうに考えているのではないでしょうか。

では今回の件も、そういう「必要悪」的な観点から認められるかというと、もちろんそんなことはありません。明らかにダメです。ただ、それは転売行為がダメというより、転売するなというルールがあったのにそれを破ったことと、しかもあたかも自作であるかのように偽っており著作者の権利を侵害していたという、この点でダメ、ということでしょう。

ダフ屋をはじめとするチケット転売がNGなのも、法に触れたりチケット配布のルールに抵触するからという側面が大きい。その根底にあるのは、「誰でも入手可能なものを、不要にその機会を奪って他者に販売する」という行為が不当だという判断だと思われます(法学的根拠のない想像です)。

多くの人が「転売屋は死ね」とのたまうときの「転売」は、こうした違法な、「ルール違反の転売」を意味しています。その意味で転売ということばを使っている人は、「悪い転売は悪だ」と同義反復を口にしているので、「転売も認められている」という反論は意味をなしません。

この辺は単純にことばの問題という気もするので、「良い転売」は、たとえば「仕入れ」のような別の語に置き換えてしまったほうがわかりやすいのかもしれませんね。

要は、そもそも違法性のある(法律に触れるだけでなく主宰や販売者の定めたルールに触れる道義的な違反も含め)販売仲介行為によって利益を得ることを「転売」というのなら、これは当然悪だけど、販売仲介によって利益を得ることそのものは悪ではない、という話。

ことばの意味が混ざってるせいでわかりにくい気もしますけれど、「転売」ということばにはもう拭い難くマイナスのイメージがついちゃってるんで、仕入れて販売する行為自体の正当性を主張したい場合は、「転売は認められている」みたいな言い方をやめたほうが建設的かもしれませんね。