こういうニュースを見るたびに、怒りとかより恐ろしさを感じます。

 ▼「熱海「貫一お宮像」に「暴力肯定・助長の意図なし」プレート

「来年の今月今夜、この月を僕の涙で曇らせてみせる」舞台やドラマでお馴染みのこのセリフ。言わずと知れた『金色夜叉』の名シーンだ。作品の舞台である静岡県熱海市の海岸にはその場面を再現した主人公・貫一と許嫁だったお宮の銅像があり、観光名所となっている。最近、この銅像に異変が起きた。フリーライターの清水典之氏が報告する。

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 観光地・熱海を象徴する存在とも言える貫一お宮の像に、今年3月、1枚の金属プレートが設置された。この縦10cm×横40cmという、小さなプレートが物議を醸している。

 そこには日本語と英語で、「物語を忠実に再現したもので、決して暴力を肯定したり助長するものではありません」と書かれている。貫一がお宮を足蹴にするシーンを銅像で再現したことについて、“弁解”しているのだ。

(中略)

改めて、プレート設置の経緯を知るため、熱海市の担当部署を訪ねた。

「数年前からメールや手紙で『(貫一お宮の像が)女性への暴力を容認していると誤解を招くのでは』といったご意見が複数寄せられ、市議会議員からも外国人観光客への対応について指摘されました。

 そうした中に、ある女性の大学教授から市長宛ての強い抗議のメールがあった。『こんな像があったら、恥ずかしくて熱海には外国からのお客様を連れて行けない』という内容で、それが直接のきっかけになったと思います。そうは言っても像は熱海の財産で、市民も慣れ親しんでいる。撤去するとなれば別の大きな問題になります。説明のプレートを設けるのが、市ができるギリギリのラインでした」(都市整備課公園緑地室)

そもそも『金色夜叉』読んでりゃこんな感想でないだろとかそういう話はおいといて、恥しいとか不適切だとか、そういう感想を抱くのは自由です。憲法でも認められていますしね、内心の自由。

ただ、それを軽々と表に出し、あげく「運動」として圧力をかける(直接抗議のメールを送ることが、圧力でも運動でもないと思っている可能性はありますが、だとすればそれは単なる認識不足でしょう)のが怖い。

今回の件でいえば(実際送られてきたメールを見たわけではないのでアンフェアな発言かもしれませんが)、この像を設置した人がおり、見に来る人がおり、慣れ親しんできた人がいるという背景を無視しているわけです。

どちらが正しいかとか妥当かとか、そういう話をしているのではありません。ただ、このような物言いができるということは、その要求が単に個人的なものではなく公的な正当性を持っていると考えているのでしょうし、少なくとも自分たちが自明に正しいということを疑っていないように見えるのです。

人権、平等、そういうものの重要性を疑うつもりはありません。しかしそれを錦の御旗として掲げていれば他を顧みない、虐げていいという発想はいただけない。日本の俗流左翼が「天皇制」と呼ばれる(天皇陛下万歳の代わりに平等バンザイ平和バンザイを叫んで言論弾圧をする)のもしょうがないかという気がしてきます。

まだしも、自分が守ろうとするもののために他者を顧みないことに自覚的であるならば話し合いの余地があるのですが、欺瞞に無自覚であるとどうしようもなく。

こういうのが現代の狂信かなぁという思いは禁じえません。