ぼちぼち『千恋*万花』を進めています。

んで、エロゲーやっててこういう会話が出てくるとですね。

senren03

「女の子でもこんな会話するんだ~。○学生の頃の女子もこんな話してたのかな~」とか、「レナも彼氏いなかったのか~」とか、「ウブよのう……」とか思うんじゃなくて、「ユーザーに向けてサラっと処女アピールすんのやめろよなー、萎えるわ」とか思っちゃうのが少し寂しい。

あと、小太刀ちゃんと鈴木が喋ってるナーとか、そんなこと考えちゃうのも悲しい。

昔はそんなこと思わなかったのになぁ。これって変な知識ついたせいでメタに作品見ちゃって楽しくないパターンの1つですかねぇ。

事実かどうかははともかくとして、そういうふうに見ちゃうのってたとえば「子どもだましにだまされなくなった」的な意味でいいことなのかもしれないし、実際そうすることでよりハイレベルな作品を求めることもできるようになったとは思うんです。わざとらしい会話じゃなくする技術を求めたり、演技に違いを求めたり。

ただ、突っ込みどころ満載の子ども向けアニメに無心で熱狂できたみたいに、そこにある勢いとかパワーみたいなのを享受できた幸せってあるなぁとは思うわけです。もちろん、ある程度相対化することでしか見いだせない楽しみみたいなのもあるんで、単純な優劣の問題ではないのですけれど。

作品が面白くないってのは、作品自体の性質であると同時にそれを受け取る私たちの側に起因する問題でもあるよなぁと、こういうことに触れるたびに思います。 

別に、ネイティブ信仰ではないですよ。何も知らない未開のままが最高であった、みたいな。そういう話にしちゃうと批評とかに限らず文化全般の否定になっちゃいますし。

そうではなく、作品と受け手とのコミュニケーションっていうのはやはり双方向的なもので、作品を面白いと思っている時、つまらないと思っている時、どちらも同時に自分の中にあるものを見つめているんだということは、もう少し意識しつつプレイしようかなとか、そんなことを思ったのでした。

いやそれがもう既に、私が最初に「寂しい」といったメタの立場にとどまり続けるという宣言ではないかというツッコミが入りそうですね。ただ、ずっと前に書いた気がするけれど、私たちはもうメタをやめてベタに戻ることはほとんどできないので、基本的にメタの道で頑張るしかないんじゃないかなあ、と。

だからこそ、本当に極稀に出逢う、ベタに熱中できる作品に心酔するのかもしれません。