レビューを書いていたり、あるいはそれに類するものを書いていると、「好き」であることと「凄い」ということの違い、というのが1つの難問として出てきます。いや、別に難問でもないのかもしれませんが、少なくとも私にとっては、結構深刻かつ面倒くさい問題です。

「好き」というのは、私にとっての価値、つまり主観の問題です。

「凄い」というのは、誰かと共有できる価値や意味、つまり客観的に判断できることだと思ってください。

論文ならば、この「凄い」の部分がなければならないのかもしれません。 その論文が何を明らかにしていて、そのことが学問的にどういう意味を持つのか。また、その論文の結論によって今後どういう展望が開けるのか。そういうことが言われていなければならない。だからこそ、論文にとっては先行研究(他の人が何を言っているか)というのは重要なわけですね。既に言われていることを繰り返しても仕方ないですから。

私は原則、表に出す文章にはこの「凄い」部分がどこかにあるべきだと思っているし、それが大きければなお良いと思っています。文章というものが、他人に読ませる(読まれる)ものである以上、そこにはひらかれた価値があって然るべきではないかと考えている、あるいはそういう信仰を持っているからです。単に自分の「好き」の話がしたいのなら、日記とか、それこそチラシの裏――が寂しければ、せいぜいごく親しい身内にだけしておけば良い。

ただ、価値そのものや表現方法が形式的にある程度外的に決まっている論文と違い、多くの文章というのは受け手によって価値が左右されるというのが難しいところです。少しずれるかもしれませんが、Amazonのレビューでしたら、「同じような意見がいくつもある」ということは、購入者にとっての参考になるでしょう。同じものを書いたら余り意味が無いとみなされる論文とはちょっと違いますよね。

「あなたの論文はどう凄いの?」と聞かれて、「私の想いが溢れてます!」という「だけ」なら、論文としてはおそらくアウトです。しかし、ゲームや小説のレビューだったら? 「そんなに好きな人がいるなら、買ってみようかな」と思った人にとっては、じゅうぶんに価値のある情報となるでしょう。

いや、むしろ一般的には、どう「凄い」かなんてどうでもいい場合が多いのではないでしょうか。これはそういう態度をバカにしているとかではなく、単純にニーズの問題として。

たとえば、あるビールが非常に美味しいとする。そのビールの味が過去にないものだとか、材料がどうで製法がどんなものだとか、素材間の相性が良いだとかいった専門的なことは、うんちくとして、あるいは権威付けとしては重要かもしれませんが、実際にビールを飲み、楽しむ人の大部分にはわからないし、聞いて「なるほど」と思ったとしても、本質的なところでは気にする必要ないところではないか、と思うのです(それが本当であるかどうかは関係ない)。つまり、多くの読み手にとっては「凄い」よりも「好き」が伝わる文章のほうが、望ましい情報を受け取りやすいのではないか、という。

このまま結論まで走っても良いのですが、ここで少し話をねじります。

読み手にとって「良いレビュー」というのが、自分の望む情報を受け取りやすいレビューであるとします。 とすれば当然、ごく少数でも「ある情報を望んでいる人」がいれば、その情報を提供してくれるレビューはその人にとって「良いレビュー」であると言えます。

たとえば、私は凌辱系ファンタジーであれば触手が出てくるかどうかを非常に気にしますし、ヒロインが処女かどうかを気にする人というのもいます。妹が実妹か義妹かで評価が180度変わるという友人や、NTRゲーで恋人に見られる展開があるかどうかがポイントだ、という友人もおりました。

そういうピンポイントな視点を持った人のニーズに応えるレビューというのは、もちろん多くの人が読んで面白い場合もありますが、えてして他の人にはどうでもいいこだわりに見えたり、あるいはそもそも、何にこだわってるかわからなかったりするものです。

私などは、他の人のレビューを読むとき真っ先に気になるのが、その作品を褒めているか貶しているか、具体的にどこをどう面白い/つまらないと言っているか、その話はその作品にぶつけるのが妥当な話か(作品内で言われていることに沿った内容になっているか)、といったところで、その説得力を読みながら確かめることが多い。だからこそ、「凄い」の部分がある文章が良いと思うし、自分もできればそういうものを書きたいと考えてきました。

しかし、最近とみに感じるのは、しっかりしたレビューというのはそのレビューが訴えたい相手(想定読者)のようなものがきちんとおかれていて、それに向けて書かれている、ということ。だから、「私にとって」あるレビューがピンと来ない(趣味にあわない)というのはもちろん重要なことではあるのですが、もうひとつ、そのレビューが想定しているであろう読者にとってはどうだろうか、というのを考えながら読むと面白いな、と。

それは別の言い方をすれば、そのレビュアーが何を評価軸としているかを確かめながら読むということでもあります。自分が「これぞ」と思うこだわりを持って、それ以外を排除しながら読むというのも1つのスタイルだとは思うのですが、私はどうも、「自分はこう思うけど他の見方もあるよな……」と考えてしまうタチなので、こっちのほうが性に合っているんだと思います。

それは同時に、自分がレビューとかを書くスタイルにも影響していて、書き方に幅をつけたいな、と。もちろん自分のこだわりが一番でる部分というのはありますから簡単にはいかないのですが、少なくとも想定読者をきちんと立てて、そこに向けて情報をクリアーに伝えられるような書き方をできるようになりたいと思う。その中で、自分なりの書き方も作り上げていきたい。

最初の「好き」と「凄い」の話に戻すと、ともすれば、「好き」であることを「凄い」と書いてしまったり、あるいは逆に「凄い」ということを「好き」としか言えなかったりということが多々あります。そういう表現のもどかしさみたいなものを踏まえつつ、自分の書き方・読み方をアップデートしていけたらなぁと思っています。