そんなつもりで言ったんじゃなかったのに、当初の意図とまったく違って話が伝わること、というのはよくあります。

有名な話だと、「シュレディンガーの猫」がその典型の1つに入るでしょうか。

▼「シュレーディンガーの猫(本当版)」(ためになる雑学シリーズ)

シュレーディンガーは、100年ほど前、量子力学の発展に貢献した偉い科学者です。量子力学は、電子や原子と言った「肉眼では見ることの出来ないほど小さな物質」についての学問です。直接見ることは出来なくても、我々の体などは原子の集まりで出来ていますし、検出器などで調べれば、確かに存在していることが分かります。この「原子の存在」を、数学的な「式」で表したものを、「シュレーディンガーの方程式」と言います。

この方程式を解いてみると、実験的な事実と同じ答えが出てくるので、正しいと考えられてます。例えば、原子力爆弾や、コンピュータのLSI、テレビなどのブラウン管などは、この「シュレーディンガーの方程式」に沿って動いています。ですが、この方程式は、これまでの「常識」とは大きく異なる概念を含んでいるため、科学者の間でも、しばしば議論を引き起こします。その一つが、「観測が、状態を決定する」と言う概念であり、それを分かりやすく喩えたものが「シュレーディンガーの猫」です。

シュレディンガーの猫というのは量子力学における「重ね合わせの原理」を説明する際に、しばしば用いられる例です。私はかつて、これを量子力学をわかりやすく説明したモデルだ、と教わりましたし、実際いまでも、量子力学的には生きているか死んでいるかわからない不確定な猫がいる、と考えている人は少なからずいるのではないかと思います。実際、上記サイトでも「「観測が、状態を決定する」と言う概念であり、それを分かりやすく喩えたもの」としてシュレディンガーの猫を紹介している通りです。

しかし、実際にはこれはまったく逆で、シュレディンガーは「量子力学で考えると、猫は死につつ生きているという状態になるではないか。そんなの絶対おかしいよ」という皮肉として、あるいは量子力学理論の欠陥の指摘として、この喩えを用いています。

その辺の事情は各種の本を読めば腐るほど出てきますが、Webだとこちらとかに詳しいかな。

▼「シュレディンガーの猫」(哲学的な何か、あと科学とか)

でもだ。
じゃあ、この「ミクロな電子の位置」が
「犬とか、猫とか、ぼくたちが実際に見たり、触れたりできるマクロなモノ」に
影響を及ぼすような実験装置を想定したらどうなるだろうか?

そういう疑問を持ったヒトがいる。

そのヒトの名はシュレディンガー。
量子力学の基本方程式であるシュレディンガー方程式(波動関数)を作ったヒトだ。

実は、シュレディンガーは量子力学の考え方が嫌いだった。
後年、こんなヘンテコな科学に関わってしまったことを後悔して、
物理学者をやめている。

そして、物理学の世界から去るときに、
彼は、量子力学をけなすため、ある思考実験を考えた。
それが かの有名なシュレディンガーの猫である。

抽象的な理論の話やミクロの世界の話が、即座にそのまま目に見えるかたちで現実にあてはまるかというと、必ずしもそうではないと思います。そして、シュレディンガーの批判が成立しているのかどうかについて、私は判断することができません。ただ、シュレディンガーが言わんとしたことも分からんではない気がする。

ともあれ当然、彼自身は「あきらかにおかしい話」としてこの猫の例を持ち出しているわけで、この喩えにもとづいて量子力学を考えるとおかしな話になってしまうわけですね。

似たような話に、「ゼノンのパラドクス」というのがあります。「アキレスと亀」という名前のほうが有名でしょうか。

▼「無限の先にある魅力。アキレスと亀のパラドックスとその論破法を解説」(アタリマエ!)

「アキレスがどれだけ速く走ったとしても、前を行くノロマな亀に追いつく事はできない」という話のことを指します。

まず、アキレスの前方を亀が歩いており、アキレスが走って亀を追いかけたとします。

アキレスが亀に追いつくためには、まず亀がいた地点A1に到達しなければなりません。

亀がいた地点A1にアキレスが到達すると、亀はそれよりも少し進んだ地点A2まで移動しています。

さらに亀がいた地点A2にアキレスが到達しても、亀は再びそれよりも少し進んだ地点A3まで移動しています。

そこでまた亀がいた地点A3にアキレスが到達しても、亀は再び…

…そこでまた亀がいた地点A100にアキレスが到達しても、亀は…


と、この話は無限に繰り返せるので、いつまで経ってもアキレスは亀に追いつけないというお話です。

これは何がどう間違えているかを指摘しづらいというだけで明らか間違っている話です。現実には、アキレスはあっという間に亀を追い抜いて走り去るでしょう。アリストテレスの書き残した記述などを読む限り、実際にゼノンはそのつもりで、つまり理屈ばかり先走って現実をきちんと見られていない例としてこの話を持ちだしています。

にもかかわらず、「理屈で考えるとこうなるはずだ」とゼノンがトンデモ話をぶちあげた、みたいな話になっていることが結構あります。ゼノンたんかわいそう……。

で、何でこんな話をしたかというと。

なんか、実家から電話かかってきて「アンタ、仕事やめて地元に帰ってくるんだって?」とか言われてしまいまして。先月末にあった親類の法事で私が発表したことになっていて驚きました。ミジンコほどもそんなこと言った覚えないんですけど、何がどう曲解されたのか……。

うーん、ホントに誤解誤読って怖い。