物語を読んでいると、「先が読めない」というのが面白さとして言われます。

しかしこれは、いきなりヒロインが宇宙人カミングアウトをしたり、古代ローマ人がカウボーイの格好して鉄砲ぶっぱなしたりというトンデモ展開がこのまれる、ということではないでしょう。そういうシュールな話も確かに面白さのひとつではあるのでしょうが、「先が読めない」というのはどちらかというと、ある程度先が読めているということのように思われます。

たとえば、主人公とヒロインA、Bがいたとして、三角関係になっている。そうすると、読み手としては「AかBとひっつくんだろうな。できればAとひっついてほしいな」とか、「Bとハッピーエンドになるんじゃないかな、なってほしいな」とか、「ハーレムがいいなぁ」とか、「そろそろテコ入れでCというヒロインが出てくるんじゃないか」とか、まあいろいろと考えるでしょう。そして、そんな風に何通りか先の展開に期待がありつつ、どうなるか分からない、というのが「先が読めない」ということです。

重要なのは、この「期待」の部分であって、これが次の展開をサッパリ予想できないようなお粗末なものだったり、逆に予想できすぎるもの(絶対主人公が勝つと決まっている試合とか)だと興味が薄れて面白く感じることはないでしょう。結末にしても同様で、テンプレで予想通りすぎる結末が続いたり、逆にあまりに突飛な結末が続くと白けていくものです。

もちろん物語の面白さというのはそれだけではないでしょう。掛け合いやネタのような細部から、登場人物たちの心情の機微などいくらでもある。ただ、物語を引っ張る大きな力の1つは、どれだけうまく予想させ、またその予想を適度に外すかというところにあるのだと思っています。

で、これってよく考えると物語だけではなく、論述もそうなんですよね。

読んでいる人が全然意味不明なプロセスで意味不明な結論に至っても、逆にありきたりなプロセスでありきたりな結論しかでなくても、いまいち面白みに欠ける。読んでいて楽しい議論というのは、こちらに色んなことを考えさせて、しかもそれを裏切るような、あるいは新たな発見を促してくれるような、そういう文章です。

そんなわけで、「先の見えない」話というのを上手く書けるようになりたいなぁと常々思っているんですが、まあなかなか難しいところです。