先日書いた「エロゲーのプレイ本数を重ねて見えてきたもの・見えにくくなったもの」の記事にさまざまなご意見やご感想をいただき、自分の説明のまずさや論の欠点などなども見えてきました。ありがたいことです。

その中で詳しくご意見を書いていただいたブログ記事(「ツゴウノイイ感想」りんごはおかずだよ)をk-pさんご本人からお伝えいただいたので、本日はそのお返事をしつつ、自説を補ってまいります。どうでもいいけどタイトルが素敵ですよね。D:driveに保存とかすればいいのかしら。

>ファクトとして、多くを語るには本数をこなしていないと幅は広がらない
これは、そのとおりだろうと思いますし、私も同じ立場のつもりで書いています。自らの主義主張についてもそうですが、読み手のさまざまな状況も含めた表現が可能になるので、基本的にはバックグラウンドがあるほうが「話に花を咲かせられる」でしょう。過去プレイした作品に対する直接的な言及が1つもなかったとしても、話の内容はまったくかわるはずです。今年のセンター試験国語の問題ではありませんが、リテラシーというやつですね。

>絶対評価と相対評価ってことを言っているのかな
これは元の記事で私が想定していた内容とは、少しズレると思いました。そして、多くの人がこのズレたほうで解釈されているのかもしれないと、投稿後に寄せられた幾つかの感想を見て思っています。つまり、私の言い方がまずかったのでしょう。

私は「2段階の経験」と言っており、これは「2種類」のような意味ではありません。つまり、どちらも経験するということです。また、「経験」という語を選んだ通り、さしあたり評価することとは分けて考えていたつもりです。評価というふうに誰かへの伝達を織り込むならば、やはり本数をこなすほうがクリティカルな表現ができるのではないかと思います。

ただ、評価に関しても実は似たようなことが言えてしまうんですよね。そのことが、話をややこしくしているのだと思います。自分では分けたつもりだったのですが、やはり不十分だったのでしょう。

ちょっと誤解の例をあえて書きますと、たとえば『古色迷宮輪舞曲』という作品がありました。これが、『Yu-no』の内容とそっくりである、下手をすればパクリである、というような批判がありました。実際に似ていたかどうかはおいといてください。とりあえず、そういう批判があった。で、そういう「過去の先例」みたいなものがあるということを、評価に加えるか加えないか、というのは結構大きな問題としてあるだろうと思います。

もういっちょ例を書くと、推理小説を読んだことのない人が、これは斬新だと思って「語り手が犯人になる」という小説を書いた。同じく推理小説を読まない読者がそれを読んで、凄い面白いと唸った。しかしそれはすでに、アガサ・クリスティの『The Murder of Roger Ackroyd』によって既に踏破された頂です。では、そのことをもって彼の斬新だったはずの小説の評価は上がるのか下がるのか……。

これは評価をめぐる問題としては非常に議論のわかれるところであり、さまざまな論点が提出されうるでしょう。ぶっちゃけこれだけで2つ3つの記事を書けると思います。しかし、私が言いたかったのはこういう話ではないということです。

私が考えていたのはそれ(評価)とは別に、既に似たようなものを経験しているがゆえにものたりなさを感じてしまうということ、です。これが「経験が濁る」みたいな話。それは、必ず発生するとは限らないけれどあるかないかで言えばあるだろうし、経験を積めば積むほどそうなる率は高いんじゃないでしょうか。そのときに感じているおもしろくなさというのは、比較だけでは処理できないことではないかなと。

上の例をひっぱると、『Yu-no』をやったから『古色』が面白くなかったというのは、なるほど説明としてはそうかもしれないけど、プレイしてるとき、ずっと『Yu-no』のことが頭に思い浮かんで比べていたんでしょうか? そういうのとは別に、まず単純に面白くないという感想があったんじゃないのか。それが言語化される段階で比較という形をとっているんじゃないのか……みたいな感じになるでしょうか。「2段階」というのはそういう含意のつもり。

最初に「経験が濁って面白さを感じない」みたいなことを書いてしまったせいで、経験が濁ってないと面白いものという印象を与えてしまったのですが、経験が濁ってなくても面白くない、ということはもちろんありえます。そして「比較」という枠におとしこまれることによって、そのおもしろくなさからこぼれ落ちるものがあるのではないか。

という具合に言い直してみましたが、どんなものでしょう。

>シナリオライターの話
正直これは、私の例が悪かったと思います。凄いわかりにくい。謝罪案件です。すみませんでした。一応言いたかったのは上のようなことの発展形のつもりでした。つまり、最初は「おもしろかった」という感想を持っていたのにあとでライターの不正が発覚した場合に「おもしろくなかった」と言ってしまうのだとしたら、それは言語化の段階でいっそう強く変質しているではないか、という感じのことを言いたかった。ただ、私のこの書き方だと、評価の上下の話をしているように読めますよね……。反省。

一応怪我の功名というか、ご指摘いただいた部分は興味深かった。たとえば「このライターさんだからおもらしがあるだろう」とか「このメーカーだからお尻があるよね」といった、事前に情報が入ることによって発生する知識、みたいな観点は私の議論からは抜けていました。といっても、私の議論にはそもそも想定されない(私はプレイ後の言語化の段階で介入してくる知識を問題にしているので、事前の知識は「濁らない経験」に含まれる)のですが。

とりあえず、事前に情報や知識をもっているからこそ楽しめる(掘り下げて考えたり、予想してわくわくできる)ということは否定しません。

>「分かる」と「味わう」の話
ここが最大の難所で、私の主張と何かがずれているなと思っていたのですが、どうも何であるかハッキリとわからず……。頂いたご意見を何度も読みなおして、これかな? と思うところがあったので、ちょっと私見を交えつつ考えを述べさせてもらいたいと思います。

k-pさんがおっしゃっているのは、知識が増えることで味わえることも増える、という主旨だと思うのですが、ここで「味わう」の意味がずれているのが元凶ではないかというのが私の予想です。結論を先に言えば、私の言う「分かる」と「味わう」を足した内容をk-pさんは「味わう」と言っておられるように読める。なので、理屈というか用語のうえではk-pさんを私は噛み合わないのですが、主張内容自体はバッティングしないように思うのです。

とりあえず、「「数こなしゃ良いってもんじゃない」のと同様、「数をこなさなくても良いわけではない」」と書いた通り、私は「分かる」のほうが「味わう」より上か下かみたいな話をしていたつもりはありません。また、「分かる」ようになると必ず「味わう」ことができなくなるという2択のようなことを想定していたのでもない。「分かる」は経験の積み重ねの上にしか成り立ちませんが、「味わう」はむしろいつでもどこでも、誰にでもひらかれているものだと思っています。

ですから、「分からない」よりは「分かる」ほうが良いにきまっている。ただ、「分かる」を強くしすぎた結果、「味わう」を侵食してしまうことがあるのではないか、みたいな話をしていたつもりです。「意図的にバランスをとる」云々と書いたのはそのあたりを意識してのことでした。ただ、読み返すと「分かる」ようになると「味わう」が必ずできなくなるように読める箇所もあるので、私自身はっきりしない考えで書いていたことは確かです。ご指摘いただいて明確に意識することができ、ほんとうに感謝しています。

イメージ的にはベン図みたいな感じになるんですかね。すごいざっくりですけど、下みたいなイメージ。

ajiwau

で、私が問題にしていたのは「分かる」ことが増えすぎて感想を語りだす際に比較だけになるということへの戒めです。たとえば「寧々はかわいいけど同系列の灯里ほどではないし、下ネタのキレは瀬奈のほうが良かった」みたいなことを言ったとして、なるほど寧々は灯里や瀬奈の下なのだなというのは言えているのですが、それは寧々本人に対する感想になっていないではないか、と。

たとえば私が、「君はA君ほど数学はできないしB君ほど国語はできないよね」と言われたら、それはまあそうかもしれないけど肝心の私はどうなのよ、と言いたくなると思います。逆に、他の人の成績ガン無視で「ホントに凄い! 天才!」とか言われても白々しいでしょうし……。なのでまあ、両者のバランスがとれているのが理想ではあるわけです。

「味わった」経験が「分かる」というフィルタを通った結果、必要以上のものまで分離してしまうのではないか。面白かったとき、あるいは面白くなかったときに、ついつい比較項を探して説明をつけてしまう自分がときどき嫌になる。そんな感じのお話です。だから、「味わう」のほうが作品を楽しめるとか、そういう話ではない。なんかその辺りのところがうまく伝わる表現にできていなかったんじゃないかな、と。

また、私が感じている不安はひとえに私のものだという立場で書いています。全員に通じるとはもちろん思っていませんし、エロゲーの受容はかくあるべし、みたいな話でもない。そこは最初のイントロでことわっていたつもりでした。もちろん完全に私だけの話ならそれこそ「バランスを欠いた」論述ですからお話にならないので、ある程度他の方に「届く」ことを期待していたつもりはありましたが。

と、まあこんな感じでしょうか。厳密に1つ1つのご意見・ご質問に回答するかたちにはなっていませんが、上の内容で直接言及していない部分にも概ねおこたえしたことになるかなと思いますので、こんなところでしめたいと思います。

最後に改めてk-pさんに、ご感想のお礼を。自分の書いていたことを改めて見なおして、言い切れていない部分、自分でもはっきりせずに書いていた部分などを見つめなおすことができました。貴重な機会をいただきほんとうにありがとうございました。