常々思っているのですが、私はよくわからんタイトルをつけるのが好きです。かつてブログのコツみたいな話で、ぱっと見ただけでわかるようなタイトルをつけましょうというハウツーを読んだので気をつけてはいるのですが、つい気を抜くと思いつきでタイトルにしてしまう。まあ、ストレートなタイトルにするとひねりがきいてないようでいやだし、かといって巧いものを思いつくほどのセンスもないしという、悲しい板挟みの末に出てきているわけです。

それはともかく、今回もそういう類のタイトルでして、エロい話ではありません。残念ながら。

最近気になっていた、「さわり」という語についてです。

「話のさわり~」のように使われ、私は長い間「話の最初の部分」くらいの意味だと思っていたのですが、高校の時に出したレポートで先生に朱を入れられ、「意味違うよ」と言われました。マジかと思って辞書を引くと、たしかに「話の中心」のように書かれていました。たとえば『広辞苑(5版)』では「一般的に話や物語の要点、最も興味を引く部分」。『大辞泉』だともう少し詳しく、「中心となる見どころ・聞きどころ。また、話や文章などで最も感動的、印象的な部分。「小説の―を読んで聞かせる」」となっています。

『日本国語大辞典』によれば、浄瑠璃・義太夫節の三味線で、他の流派の曲節をとりいれた部分を「他の節にさわる」と言い、その「さわった」部分がいちばん目立つ聞きどころ、聞かせどころになるため、もっとも印象的な部分、重要な部分を「さわり」と呼ぶようになった、ということのようです。

そうなると『広辞苑』のいう「要点」というのは「要約」のような意味ではなく、文字通りもっとも重要な点、ということなんでしょうね。

ただ、現実問題としてこのような意味で「さわり」を使う人というのはだんだんレアになってきているようです。なお、こちらには、私が引いた広辞苑より新しいデータが載っていますね。ただ、意味は変わっていません。

 ▼「「さわりだけ聞かせる」の「さわり」とは?」(文化庁月報 平成23年7月号(No.514))

「話のさわりだけ聞いた。」などと使う「さわり」。「国語に関する世論調査」では,「さわり」の意味を「話などの最初の部分のこと」と考える人が半数を超えているという結果が出ました。


(中略)


平成19 年度の「国語に関する世論調査」で,「話のさわりだけ聞かせる。」という例文を挙げて,「さわり」の意味を尋ねました。結果は次のとおりです。(下線を付したものが本来の意味。) 

(ア) 話などの要点のこと・・・・・・・・・・・・・・・・・・35.1%

 (イ) 話などの最初の部分のこと・・・・・・・・・・・55.0%

 (ア)と(イ)の両方・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2.7%

 (ア),(イ)とは全く別の意味・・・・・・・・・・・・・・・・0.2%

 分からない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7.0%

 年代別の結果を示すグラフからも分かるとおり,この言葉については,全ての年代を通じ,本来とは違う「話などの最初の部分のこと」という意味で使う人が多くなっています。60歳以上を除いた年代では,「話などの最初の部分のこと」が6割弱~6割台後半になっており,「話などの要点のこと」を大きく上回っています。


文化庁はあきらかに「最初の部分」のような意味を「誤用」としていますし、辞書も「誤用」扱いをしているものがあるようですが、ここまでくると本来の意味のほうが伝わりにくい気もします。「確信犯」や「ナイーブ」などと同じで、「本来の意味での~」といちいちつけなければ伝わらない、というのは非常にめんどくさい(たとえば「ナイーブ」も、原語では繊細のような意味よりも、単純、考えなしのような意味のほうが強い)。そもそも、語に「本来の」意味なんてあるのか、みたいな話もありますしね。

ただ、古い本を読む上では本来の意味を知っておいたほうが良いのだろうし、理想としては「どっちの意味だろう?」と考えながら読むのが望ましいのでしょう。そのうち、古文の単語みたいに「昔は「さわり」というのは「重要なところ」という意味だったが、いまでは「はじめの部分」という意味になったんだよ」などと言われるようになるのかもしれないし、そうなったらなったで便利なので、まあ良いのかなと言う感じがします。