今朝職場に向う駅(東京メトロ)で、車いすの方のために昇りエスカレーターを止めて「ご案内」をしているところに遭遇しました。そのとき、駅員さんが側を通る人たち(つまり、階段で昇らざるをえない人たち)に「申し訳ございません」と謝っていた。で、私はふと思ったんですよ。「それ、謝る必要あるのか?」と。

これまでも同じような場面には遭遇していたのですが、ホントにふと、という感じです。なんで謝るんだろう、と。

いやまあ、気持ちは分かるんですよ。お急ぎのところ、駅側の都合で足止めしちゃってごめんなさい、ということですよね。通路も狭くなるし。あと、朝の通勤時は人の数が凄くてイライラしてる人もいるだろうから、そういう人を爆発させないように下手に出てるっていうのは解るつもりです。

ただ、それを駅員さんが言っちゃうってのはどうなんだろうなぁ、と。

私としては、駅のような公共施設が車いすの方や何らかの障がいをおった方のためにサポートをするのは当然であると思います。その前提の部分を否定されるとどうしようもないのですが、一応メトロ側も当然のつもりでサポートしているものと仮定させてください。

そうすると、そのメトロを利用する乗客も、やはりある程度そういうサポートに協力するのは当然であって良いと思う。マナーでもルールでも構いませんが、電車の中では携帯電話で会話をしないとか走り回らないとか、優先座席はなるべく譲るようにしようとか、そのレベルで良いと思う。

「申し訳ない」と車いすを使っているご本人が言うなら良いんですが、駅員さんが謝っちゃうと、彼らは他の乗客に対して謝らなくてはいけないこと=「迷惑」なことをやっているということになる。そして車いすの方は、そういう「迷惑」をかけている、ということにならないでしょうか。

もちろん、「申し訳ありません」が謝罪なのか(つまり、単にすみません、くらいの意味を丁寧に言ってるだけというつもりではないのか)とか、ほんとうに「迷惑」に対する謝罪なのか、あるいは謝罪する理由は駅側にもあるのではないか(たとえば、本来用意すべき専用エレベーターを設置していないなど、駅側の「車いすの方へのサポート体制」が不十分な結果他の人にも影響を与えたことを詫びているのかもしれない)ということはもう少し精査する必要があるのかもしれませんが、とりあえず私の中では上のような考え方は比較的矛盾なく導き出されるように思えるし、実際そんなふうに解釈可能なことを「代弁」して言っているのだとすればそれはやっぱ問題があるとも思う。

で、結論としてはやっぱり運営側はそういうのが「迷惑」だとか思わせないほうがいいんじゃないかなぁ。普通に「ご理解とご協力をありがとうございます」でいいじゃないか、と。

そうすれば、お礼を言われた側はまあ気持ちよく階段を昇れるし、多少イラッときても表に出すのはなんとなくかっこ悪い感じになるし、何より車いすの方のためにエスカレーターが止まることが「迷惑」なことではなく「良いこと」だという意識にも繋がっていく……。

そんなふうに考えたんですけど、考えすぎですかね。