数日前に話題になった、北海道教育委員会の提唱する「ノーゲームデー」

 ▼「どさんこアウトメディアプロジェクト

Action 1  「ノーゲームデー」の設定・推進 

 各家庭や地域における望ましいネット利用に向けた行動や学校、家庭、地域におけるルールづくりの促進に向け、大人も子どももゲーム(コンピューターゲーム、携帯式のゲーム、携帯電話やスマートフォンを使ったゲームなど)をしない日を設定し、実践を呼びかけます。
 
 「ノーゲームデー」とは・・・
 ★ 毎月第1・第3日曜日を「ノーゲームデー」として設定しました。
 ★ 大人も子どももゲームをしないで、電子メディアへの接触時間を見直す取組です。 
 ★ ゲームをしないで、「家族の団らん」を大切に「体験活動」や「読書活動」に親しみ、学校、家庭、地域における望ましいネット利用に向けたルールづくりの促進を図るものです。  

こうした取り組み自体は、2000年頃から既に存在しました(参考:メディア漬けからの脱出〜ノーゲーム・ノーゲームデーの取り組み[特定非営利活動法人「子どもとメディア」])。2月1日には、キックオフイベントも開催されていたようで……果たしてどうなったのか。

「ノーゲームデー」★キック・オフイベント開催のお知らせ(PDF)

ICT教育ニュース
北海道教育委員会は、「『ノーゲームデー』★キック・オフイベント」を、2月1日に道内すべての青少年体験活動支援施設(ネイパル)で開催する。

この催しは、北海道子どもの生活習慣づくり実行委員会が推進する、子どものネット利用などを含む望ましい生活習慣を定着するためのプロジェクト「どさんこアウトメディアプロジェクト」を周知するためのもの。同実行委員会では、毎月第1第3日曜日を「ノーゲームデー」として設定した。「ノーゲームデー」は、大人も子どももゲームをせずに、家族の団らんや体験活動、読書活動などを楽もう、という試み。

イベントでは、親子や仲間での体験学習や創造体験などの活動を行う。

正直いろいろバカバカしくて、もはや開いた口が塞がらない状態ではありますが、こういう与し易い敵(ゲーム業界を叩いても軋轢が起こりにくいし、かりに起こったとしても勝てる)を作ってわかりやすい悪者にしたて、積極的に叩いていくことでなにかやってるポーズをとる、というのは教育委員会みたいな中身はないけどプライドと世間体だけは無駄に持ってる組織にとって非常にやりやすいんでしょうね。あ、割と毒を吐いてますがホントはこの10倍くらい言いたい悪口があるのでご容赦ください。

NHKの報道によれば「子どもたちの学力の低迷はゲームのしすぎにも原因があるとして、道教委などは、毎月第1・第3日曜日は子どもたちがゲームをしない、「ノーゲームデー」とするよう呼びかけています」とのことだったので、学力低下の原因として「ゲーム」を槍玉に挙げ、ついでに生活全般を見なおして「豊かな」暮らしに結びつけましょう、という非常にわかりやすい意図が見えます。

ただ、そもそもが「電子メディアへの接触時間を見直そう」というスローガンを掲げたプロジェクトの一貫ですから「ゲーム」というのはあくまで具体例の1つにすぎず、上にリンクを張った元サイトを読めば分かる通り、問題は「ゲーム」というよりネット(を含む電子メディア)利用全般みたいですね。たぶんTwitterとかLINEも含まれていると思う。なので、ここからは「ゲーム」だけでなく「ネット」も含んだ「電子メディア」の話という前提で進ませてください。

こういうのを見ると、これまた最近話題になった、北國新聞のコラムを思い出します。



写真が見えにくいかもしれないので冒頭だけ引用。

またか、の思いである。「人を殺してみたかった」と殺人の動機を話した女子学生がいた。約20年前から急激に増えた殺人事件の動機である精神鑑定を待たねばならないが、共通するのはネット利用の若者たちだ。殺人ゲームに溺れて現実と虚構の世界の区別がつかなくなって近所の家に乱入し、あるいは通りがかりの老人を襲い、ある少女は友人を手に掛ける女性を殺した疑いの警察官もネット利用者だった。独身といいながらネットで結婚生活を紹介していたという。自ら墓穴を掘っているのだが、なぜそこまでネットとつながりたいのだろう。ここにも虚構世界の危うさをみる……。

ホント、この適当な論調なんとかならないんでしょうか。

双方言わんとすることはわかります。「電子メディア」が悪い。これです。恐らく、下のような構造になっているのだと思います。

 1.現代にはさまざまな問題が起こっている。
 2.人のつながりなどの在り方が昔と変わってしまったことが原因である。
 3.なぜ変わってしまったか。その原因の大部分は「電子メディア」(ゲーム)にある。
 4.そう言える根拠は、「電子メディア」とはとにかく悪いものだからである(虚構だとか危険だとか何でもいいけど)。

話を北教委の話に戻すと、この「ノーゲームデー」から漂ってくる「ぜんぶ「電子メディア」のせいだ」的な議論の頭がいかに話しにならないかについては、いろんな人がいろんなことを言っています。簡単にまとめると、

 1.「電子メディア」(ゲーム)と現代の問題の因果関係は証明されていない
 (犯罪者の9割がパンを食べたことがある、というレベルの相関関係しかない)
 2.「電子メディア」の持つプラスの効能を無視している
 3.昔だってもっとひどい問題は起きていた
 4.目的と手段が一致していない

みたいな話があるでしょうか。どれもだいたい妥当なことを言ってる人がそこかしこにいる感じ。

「家族の団らん」を大切にする。それは結構なことでしょう。しかし、「電子メディア」利用を続けたままでも家族の団らんは可能でしょう。たとえばゲーム。子どもがモンハン好きなら、親もやればよろしい。2人とか3人で趣味を共有する。すばらしいじゃないですか。でも、どうせそれはダメっていうんでしょ? なんでキックオフイベントでやってるみたいな「穴釣り」とか「スノーシュー」みたいなことでないといけないのか私には解りませんけど。

学力が低下している? それは大変ですね(棒)。でも、1日ゲーム(やネット)を禁止にしたところで勉強するんですかね。違うことやって終わりじゃないですか? マンガ読んだり。

それよりなにより、北海道教育委員会のお歴々は、これから20年、30年後も「ノーゲームデー」を維持し、「電子メディア」利用を「制限する」方向性でやっていけると思っているのでしょうか? 私にはその見通しのなさが何よりも滑稽に映ります。まあなんというか、「健康な身体のためには運動を妨げ排気ガスをまき散らし、交通事故の原因となる自動車がよくない。健康のためにノーカーデーを設定しましょう」みたいな。

おそらく彼らは、「電子メディア」中心の文化を理解する気がない。「できない」のではなくて、試すつもりすらないのだと思います。だから、こんな見当違いなことしか言えないし、それがどうしようもなく斜め上であることに気づくこともできない。

「電子メディア」にはまりすぎることの危険性というのは確かにあります。また、道教委が採り上げているような野外活動の魅力もあると思う。それが間違っているとは思わない。しかし、そこから「「電子メディア」から遠ざかろう」という発想になるのが意味不明です。危険だけど、私たちの社会はこれからネットなしで動くことはないし、危険を知りつつもそれを使いこなすことが求められるはずです。いや、既に求められている。

そこで必要なのは、つきなみですが、「ネットリテラシー」のような「電子メディア」への理解であって拒絶ではない。ゲームにしても同じことです。かつての子どもたちの遊びが鬼ごっこやかくれんぼだったのと同じレベルで、いまの子どもたちにとってはヴァナ・ディールやらサブル島やらで駆けまわるのが遊びになっているんですから、そこで安全に遊ぶ術を身につけさせたほうが現実的だし、そこから可能になる「家族の団らん」とやらもありえるハズです。

正面から真剣に問題と向き合うなら、そういう可能性も含めて「電子メディア」とのつきあいかたを考える必要があると思う。

ただ臭い物に蓋をして綺麗なことを言っておけばいいだろうみたいな「ノーゲームデー」は正直、一顧だにあたいしないばかりか、議論を低いレベルで停滞させ、議論を感情的にし、論者の対立を煽るだけの、害悪に近い話に私には見えました。

もちろん私のこの感想は、シンポジウムに参加したものでも道教委の方に取材をしてきちんと話を聞いた上でのものでもなく、単にホームページの文章を読んだだけで書いたものですから事実誤認だったりするのかもしれません。しかし、「ノーゲームデー」としてOHPに掲載されている内容が語っているのはそういう短絡的なものにしか見えないというのは、いち読者として主張しておきたいと思います。