先日、仕事先に研修という名前で大学生が何人か来ました。この時期にかよ、と思わないでもなかったんだけど、なんか色々あったらしくてとりあえず私の近隣にも3人来ることになった。で、滅多に顔を見ない大先生(と呼ばれている上司)が書類もってやってきて、彼らを紹介してくれたのですが……。

 「○○くんは、~~大学出身(本当は在籍)だ。凄いだろう!」
 「☓☓くんは、~~大学だね」
 「△△くんは、~~大学だ」 

紹介が大学名だけやん。

まあ詳しくは書類見て、あとは本人が来てから自己紹介させろってことなのかもしれませんが、それなら大学だけ言っていくのはどうよって話ですし。

結論からいえば、その「大先生」は割りと学歴至上主義的なところがあって、常日頃から、自分の講演(市民講座みたいなのの講師をしている)に何大生が来て感心していっただの、自分の本(出版とかもしてる)はあの大学の教授の本より売れてるだのということを喧伝しているのです。

んでまあ、台風が去ったあと私たちは、「あれはどうなんだろうね……」みたいな話をしていたのですが、その中で「学歴なんて関係無いし、学歴にこだわってるヤツがクソ」とか「学歴にこだわるヤツほど実は低学歴が多い」とか、そういう話が出ました。

で、それを聞きながら、そういう意見もまた学歴にとらわれてるんじゃないかなーと思った。

もう10年以上前になりますが数学者・秋山仁氏がうちの高校に講演にきたとき、どこの大学を出たかというのはどこの幼稚園を出たかと同じくらいの意味しかない、ということを言っていました。それ聞いてそんなもんかねと半信半疑だったんですが、実際今になると私自身もまた学歴主義はクソ食らえだと思う。ただ、いわゆる高学歴の人が受験勉強のような能率性を求められる作業に対する能力がそれなりにある、ということは言えそうです。要するに、ある一定の能力のバロメーターにはなる。また、社会的にある程度利用価値があるというのも事実だろうとは思うわけです。

そもそも学歴――もっと一般的な言い方をすれば肩書き――にとらわれないというのは、相手の中身をよく見もせずにレッテルを貼らない、というところにポイントがあるはずです。しかし「肩書きにこだわるのがクソ」みたいな言い方は、方向が逆なだけで、やはり単純なレッテル貼りをしているという点では同じです。肩書き主義と正面から戦うなら、レッテルを貼らずにその人の内容と向き合う、という立場になるんじゃないでしょうか。

加えて、これは考え方の問題としてですが、「私にとって」肩書きに大した意味がないということと「他人(あるいは社会)において」肩書きに意味があるかないかということとは、いったん分けて考えたほうが良いようにも思われます。

少し話がとびますが、私の観測範囲では、肩書きにとらわれない人というのは2パターンあって、まるっきり肩書きに興味がないから無視している人と、肩書きについて一定の理解はあるけれどデメリットの部分を熟知し排除しようとしている人です。「か、肩書きなんて関係ないんだからねッ!」と声高に叫んでいる人というのは、実はツンデレさんで、肩書きに興味津々(たとえば、肩書きの立派な人をそれだけで嫌ったりする)の場合が多い気がします。

で、まるっきり興味なしの人というのはなんとなくどこか危うい。たとえばの話、どっかの国の王様がある日突然思いつきで、これまでの慣例を全てなしにして「家柄ではなく能力で国政担当者を選びます」と言い出したらどう思うか。たしかに肩書きを気にせずやってるんですが、おそらく、もの凄い反発や混乱が国内で発生するでしょう。

いやいや、三国志の曹操みたいに「唯才挙是」(唯才のみ是を挙げよ)を掲げてうまくいった人もいるではないか、と言われそうですが、彼は当時の権威的基礎教養だった儒教の利点と問題点を熟知し、自分が「唯才」を打ち出したらどういう反発が来るかというところを読みきってああいう政策を実施しました。つまり曹操は、既存の肩書きの「破壊者」であると同時に「理解者」でもあった。決して、「関心ないのでどうでもいいです」というタイプではなかったのです。

話を戻すと、自分にとって意味がないと思っても、他人や社会から見ればどうかということはわかりません。肩書きに「とらわれない」に、無視する在り方と深く理解したうえで排除する在り方があるのだとすれば、私は後者のほうが良いように思います。

かつて大学時代に所属する学部がシンポジウムをひらいたとき、どう考えてもこいつ呼ぶ意味ないだろみたいな、マスコミには顔が売れているけど研究者としては評価されてない人をパネリストとして呼んだことがありました。なんであんなの呼ぶのか……と思っていたら、指導教員はしれっと「まあ、客寄せパンダだね」と答えてくれました。不純だとか不誠実だと非難することもできるでしょうが、個人的にはじゅうぶんアリ。ああいうのが、上手いバランスで肩書きにとらわれない在り方かなぁ。

コンプレックスがどうこうみたいな精神分析学的な難しい話もありますが、私としては何かの呪縛からいい意味で解き放たれるためには、その呪縛についてしっかりと理解することが1番効果的ではないかなと思っています。