3月が終わります。
早いもので、コロナのドタバタからもう一年が過ぎ、新年度が始まるという。何だか俄には信じられないところがあります。
とりあえず一年を生き延びた、というのが正直なところでこの僥倖が今年も続くことを祈るしかありません。
実は最近、コロナとは違うところで家族が命の危機に直面することが数度ありました。幸にして無事に切り抜けていまは落ち着いているのですが、人間ほんとうにいつ命が失われたり、動けなくなったりするかわからんなぁというのをしみじみと感じました。
悔いなく生きる、なんてことはたぶんほとんどの人にとって無理なことで、ひとつひとつのことを思い返せば悔いしか残らない。でも、もっとよく見つめ直すとその中にとても貴重な何かが転がっていたりするのが人生なんだろうと思います。
だから、悔いはいくらあっても構わないので、いまを肯定できるように生きたいなと。あと何年、自分の身体が思うように動くのかわかりませんけれども、その時々で相応しい喜びを見出していければそれなりに充実した人生と言えるのではないでしょうか。
さて、ウマ娘しよ……。
早いもので、コロナのドタバタからもう一年が過ぎ、新年度が始まるという。何だか俄には信じられないところがあります。
とりあえず一年を生き延びた、というのが正直なところでこの僥倖が今年も続くことを祈るしかありません。
実は最近、コロナとは違うところで家族が命の危機に直面することが数度ありました。幸にして無事に切り抜けていまは落ち着いているのですが、人間ほんとうにいつ命が失われたり、動けなくなったりするかわからんなぁというのをしみじみと感じました。
悔いなく生きる、なんてことはたぶんほとんどの人にとって無理なことで、ひとつひとつのことを思い返せば悔いしか残らない。でも、もっとよく見つめ直すとその中にとても貴重な何かが転がっていたりするのが人生なんだろうと思います。
だから、悔いはいくらあっても構わないので、いまを肯定できるように生きたいなと。あと何年、自分の身体が思うように動くのかわかりませんけれども、その時々で相応しい喜びを見出していければそれなりに充実した人生と言えるのではないでしょうか。
さて、ウマ娘しよ……。