よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2019年02月

誰も見てくれない。

一生懸命、自分なりにやってきて、それなりに結果も出してきたと思っていたことが同僚から全然評価されず、逆に「もっと一生懸命やれ」みたいなことを言われて、腹が立つより泣きそうになりました。

ぶっちゃけ結果は私の思い込みではなくてちゃんと出ているし、上司はむしろ評価してくれていたりするんですけど、一緒にやってる相手からそんなふうに見られていたんだっていう。

なんだかなぁ。

ちょっと無理

今日はほんとにちょっとした更新も難しそう。何かを考えて書く、という時間がとれません。というわけで、近況報告更新でおしまいに……。明日のシルプラさんイベントいけるんかしら。

ブチギレ案件

私が知る限り、担当者はきちんと指示通りに資料作って書類書いたのに、クライアントが指示通りじゃないと言いだして、合同の会議がやり直しになってしまった……。意味がわからない。

相手は自分が偉いと思ってるからこういうことはままあるんですけど、「言ったつもり」で実際にはちゃんとしたかたちになっていないことは多々あるわけで、ホント気をつけてほしい。やってられませんよ。

作品と作者の話。

作品と作者を巡ってこんなツイートが流れてきたのでちょっと思うところを。



まあ、この方のツイート自体はあんまり私の論と関わってきません。

一応反駁しておくと、たとえば、『HUNTER X HUNTER』が作者のアレっぷりにもかかわらずやはり「面白い」という支持を受けていたりしますし、島崎藤村なんかは姪を孕ませた挙げ句、やめてくれと言っているのにそれを小説に書いて暴露したトンデモさんですが(「島崎こま子」のWikipedia)、そのことが知られていても作品は別物として評価されています。いやもちろん、「作者は作品評価に影響する」場合もあるでしょう。しかし、作者と作品を切り離して考えようとする立場はあるし、実際にそれが行われている例もある。どのスタンスを選択するかは、人それぞれ以上のものではなく、「完全に嘘っぱち」みたいな断言をするのは軽率かなと思います。

さて、本題に入りましょう。

作品の評価に作者が影響するかどうかって話は、ややこしい話かもしれないけど難しい話ではないんじゃないかと思っています。要するにバランスの問題というのが私的な結論ですね。

作品の評価に作者を入れるか否かという話は、つまるところ、作品の「コンテクスト(文脈)」をどこまで価値として認めるか、ということです。そして、こういうときには極論が幅を利かせやすい。「コンテクスト」しか認めないか、逆に「コンテクスト」を一切認めないか、みたいな話です。

前者の例としてぱっと思いつくのは、デュシャンの「泉」という作品(便器を横に倒して署名をしたものに「泉」というタイトルを付けた作品)でしょう。作品の内容が何であっても、作家がサインをして美術館に置けばそれが美術品になる、というわけですね。こんなふうに、作品の価値は「コンテクスト」だけだ、という立場もあり得るでしょう。もっともそれができるかどうかは微妙な話で、いくら美術館に飾ってあるからといって便器を美術品だと思えるかというと正直微妙ですし、あと、こういった立場は、たとえばブランド志向(製品の内容ではなく肩書だけを価値とみなす)がそうであるように蔑視されがちですね。

逆の極端、つまり「コンテクスト」を一切無視して作品それだけを見るというのも案外困難です。素晴らしいものだと言われて家に飾って毎日眺めていた彫刻が、実は100均のものだったと聞いたらがっかりするでしょうし、壊れて使い物にならなくなったおもちゃでも大切な思い出の品であれば捨てがたい気持ちになるものです。

ことほど左様に現実に当てはめてみればかなり無理があるこうした極端な話が、それでも幅を利かせる理由は、「コンテクスト」を無視することも、あるいは逆に「コンテクスト」しか見ないことも、どちらもある種の極端であるために純粋な行為として価値付けられる場合があるからではないかと思います。

しかし、作品は常に「コンテクスト」と共にあることを思えば、そうした純粋な鑑賞行為というのはただの視野狭窄であると言うこともできるでしょう。作品解釈には作品自体と「コンテクスト」が混ざり合うものであって、あとはそのバランスが納得できるかどうかだ、みたいな話のほうが個人的には納得できます。なんでどちらか片一方だけでやらなきゃいけないんですか、と。

まあこの辺の話って作品と作者の関係を巡る話題としてずっと議論されてることな感もあります。

近代の作品解釈の歴史のうち非常に狭い範囲を雑にさらうと、作品から作者の思想を読み取ろうみたいな話があり、そこから作品を通して作者自身に迫ろうという作家論みたいな流れが生まれ、それらがひとつの到達点にたどりついた後、(「作者の死」の宣言に見られるように)純粋な解釈行為の産物として作品を措定するテクスト論的な解釈が立ち上がりました。

要するに、作品解釈においては外部にあるものを完全なかたちで純粋に読み取るべきである(絶対的なこたえがある)という立場から、作品解釈は純粋に恣意的で純粋に主観的なもので良いしそれしかできないのだ、みたいな180度ベクトルが違う方向にゲージが振り切れたわけですが、この過程で、作品の持つさまざまな「コンテクスト」も、不要なものとして扱われることになりました。

しかし、そうなると今度はもう対象が何かなんてことは関係ない。私たちが読み取っているのは作品ではなくて「コンテクスト」の集合体だったんじゃないか、みたいな話が出てくる。私たちはシェイクスピアという作者のメッセージを受け取っているのでもなければ、シェイクスピアの作品を読んでいるのでもなく、『ハムレット』と『マクベス』と『リア王』の作者の書いた作品という情報を受け取っているのだ、みたいな。

まあでも、実際にはシェイクスピアのメッセージは作品の中に幾らかは含まれているでしょうし、そこには厳然とシェイクスピアの書いた文章があるってことになってるし、同時に彼の生きた時代背景やその後の歴史に与えた影響みたいなのもある程度考慮しながら読む、ということになるんじゃないかと思います。これが大学の研究とか、まあもうちょっと広範囲の学問的アプローチであれば、その内容を精密にするために「純粋」な立場を推し進めるというのはアリでしょう。でも、それは所詮方便というか、研究のための手法でしかないのではないかと思います。

結局、「作者がクソだから作品もクソ」と言っていたり、「作品と作者は一切関係ないから、この作品の中に作者の人生観を読むのは駄目」と言っている人がいたとして、それはどちらかの読み方がおかしいとか間違っているとかじゃなくてバランスのとり方の問題であって自分の好みに近いのを選べばいいんじゃないかと。たとえば私は、極端に振り切れてるのはどうかと思いつつ、偏りとしては「作者と作品は関係ない」ほうにゲージが寄ってるタイプですね、たぶん。

解釈方法ってのはもう宗教みたいなものなので、過剰に攻撃的になってほかを排除するよりは、接点と相違点を理解した上で可能な範囲で交流するほうが有意義な気はしています。ブーメランにはなってないよね……?

消えた休日

謎の仕事INによって休日がグッバイしました。

ランクマとかの真っ最中だというのに、ほんともう、勘弁してほしいです。

とんでもすり替え

これはHIDOIというか何というか。不妊治療をしていた医師が、自分の精子を使っていたという。正直、遺伝子関連の医療を根本的に揺るがすような事件だと言っても良い気がします。

 ▼「不妊治療医の精子で200人誕生か、裁判所がDNA鑑定命令 オランダ」(CNN.co.jp)
オランダの不妊治療医をめぐり、ドナーの精子と自分の精子をすり替えて最大200人の子どもを誕生させた疑いが浮上している。裁判所は13日、原告22人の訴えを認め、医師のDNA鑑定を実施するよう命じた。

原告団のメンバーはいずれも、ヤン・カールバート医師の治療で生まれた。カールバート氏は2017年に89歳で死去。疑惑については否定していた。

しかし裁判所は今回、カールバート氏が自身の精子を使っていたとみなす十分な証拠があると判断。家族に対してDNA鑑定を認めるよう命じた。

カールバート氏の息子のDNAについては既に、治療で生まれた47人と生物学的な関係があることが分かっている。オランダで放映されたドキュメンタリー番組によると、カールバート氏は最大200人の父親になった可能性もある。

カールバート氏をめぐっては17年の裁判でも同様の申し立てが認められ、DNA回収も済んでいる。ただ、当時の判事は証拠不十分と判断し、原告はこれまで金庫内のDNAを入手することができなかった。

カールバート氏は病院やロッテルダムのクリニックでの勤務を経て、同市で自身のクリニックを開業。09年に閉院した際、ドナーの精子の扱いや管理体制をめぐる不正が発覚していた。

被疑者死亡してるし、カネの問題ではないだろうし、原告側は拳のおろしどころあるんでしょうかね、これ。結局どれほど医療が発展したところで、最後は人の手を経る、というのがいまの限界ということなのでしょうか。産地偽装とかと同じで、カスタマーの側は確認のしようもないですからねぇ。

今日からランクマ

ハチナイのランクマ、バレンタイン記念始まります。

適当にがんばります……。

バレンタイン

どうしてみんな、そんなにさわぐのか。

わかりません。

べつにちょこれーとも、たべたくないし。

あしたは、ふつうのもくようび。

つつがなくくらしましょう。

リュックがほしい……。

最近、仕事に行くのにリュックって良いなぁと思っています。

ひと昔前ならリュックなんてカジュアルだから論外! って風潮ありましたけど、最近は普通のビジネスパーソンなら割とリュック市民権得てきていますしね。

んで何が良いって、両手が空くところ。雨の日に傘を持ちやすいとか、携帯操作しやすいとかってのもさることながら、満員電車で痴漢じゃないですよアピールのために両手でつり革を持てるのが素晴らしい。まさに神。

そう考えてマルイで安いリュック(3,980円)買ってみたんですけど、やっぱ安かろう悪かろうですかねぇ……。なで肩の私にはショルダー部分がフィットせず、すぐずり落ちるしゆさゆさ揺れるし、ファスナーは自然に開いていくしでイマイチどころかいま3つくらい駄目でした。

吉田カバン(PORTER)とかの良さげなのになると10倍くらいの値段になっちゃうんですけど、そのくらい出したほうが長い目で見れば良いのかなぁ。ちょっと時間をかけてじっくり悩むことにします。

もう雪はいらない。

中途半端に降ったり止んだり……。

しかも休日の、出かけようかどうかっていうときに降るのは本当にやめてほしい。

今日はアメ横行って、3連休セールでいろいろ買い物しようと思っていたんですけど結局動けませんでした。残念無念です。

しばらくはまとまった休みどころか単発の休みも無いし、楽しくお買い物は難しそうですねぇ。
《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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