よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2016年06月

シャドウバース始めました。

Cygamesのネット対戦カードゲーム、「シャドウバース」を始めてみました。

最初の方にとんでもないトラブルがあったみたいですが、目下その辺もおさまって平和。今のところ結構面白いかなぁと思っています。ストーリーも面白い。

対戦自体はさすがにスペルが出揃っていないので割とクリーチャーゲームですけど、その辺はこれからさまざまなカードが増えていくのを楽しみに。

ただ、カードゲーはどうしても課金との戦いかつ更新スピードとの戦いになるからなぁ。どのくらい続けられるかがネックですね。

現状さっぱり勝てないのが辛いところですが、頑張って勝てるところまでは色々やってみよう。

 

漢字の意味。

すげぇどうでもいい話なんですが、えっちな本とか読んでると、腟と膣の表記があるじゃないですか。

おっきく書くと

腟 と  

です。 

辞書引くの面倒だったのでネットで検索したら、こんなのが。


 ▼「現代高等保健体育 よくあるご質問」(大修館書店)

Vaginaの意味の「チツ」には,「腟」と「膣」の字がありますが,この二つは同字といって,字体は異なるものの同様に用いられているものです。大修館の教科書では,日本解剖学会の用語委員会が編集した『解剖学用語』にしたがい,「腟」の字を用いています。医学関係の書籍はもちろんですが,一般の書籍でも「膣」ではなく「腟」が用いられる傾向にあるようです。なお,「腟」の字は『重訂解体新書』の著者大槻玄沢が,陰茎を受け入れる室であるので「月(にくづき)」に「室」で「腟」にしたことに由来があります。

へー。 ってか大槻玄沢まで遡る由緒ある文字だったんですか……。

個人的には「膣」のほうがよく見かけるイメージだったんですけど、そんなこともないんですね。イメージなんてあてにならんもんです。

求めてないです。

ちょっとマジ笑いしてしまいました。

 ▼「「ワタミ」渡邉美樹氏、都知事選再出馬に意欲 「私欲のないトップリーダーが求められている」」(J-CAST NEWS) 
   居酒屋チェーン「ワタミ」の創業者で参院議員の渡邉美樹氏(56)が、東京都の舛添要一知事の辞職に言及しながら自身の都知事選出馬をにおわせた。

   5年前の都知事選出馬を振り返って「あそこで当選したかった」と悔しさをにじませると同時に「私は絶対に税金で贅沢をつるつもりはない」と断言。自身の金銭的な価値観を披露し、「東京に求められているのはこうしたトップリーダーだ」と説明している

これは何というか……。

soujanai 



って感じですねぇ。

たしかに「政治とカネ」の問題に対してルーズな人というのは問題で、舛添氏はあからさまに地雷を踏み抜いた感があるのですが、おそらく「金に汚い」ことが根本的な問題ではないでしょう。 

たぶん舛添氏がもっとも「駄目」だったのは、彼がふつうの人の感覚(庶民感覚ではなく)を理解していなかったことではないでしょうか。

あの不満たらたらだった辞任の流れであるとか、「第三者委員会」の設置問題や「違法ではないが不適切」会見が物語っているように、 彼はおそらく、今回の件の何が問題かわかっていなかった。下手をすれば、自分はまったく何も悪いことはしていないし叩かれているのはマスコミの陰謀だくらいに考えているかもしれません。その点が、自分がなぜ非難されているかを理解したうえで、それを蹴散らしてみせる石原元知事との決定的な違いであるように、私には見えます。

最後の定例会見すっぽかしたのも、だからこそ(悪いと思っていないからこそ)でしょう。こういう態度がよろしくないし、責任の放棄だということを理解できてないんだろうなぁと。

 ▼「舛添氏、姿見せず=最後の定例会見-疑惑説明放棄し、辞職へ」(時事通信)
 政治資金流用をはじめとする公私混同問題の責任を取り、21日付で辞職する東京都の舛添要一知事は、17日の定例記者会見に姿を見せなかった。知事として臨む最後の定例会見となるはずだったが、報道各社が加盟する都庁の記者クラブに欠席の意向を事前に伝達。クラブ側は出席を求めていたが、応じなかった。

 舛添氏は15日に都議会が辞職に同意したことを受け、本会議で「全て自らの不徳の致すところだ」などと語ったのを最後に、報道陣には口を閉ざしている。都によると、21日も退任会見を開く予定はないといい、一連の問題に関する説明を放棄した形で都庁を去ることになる。

その意味で言えば、渡邉美樹氏もおよそそうした常識なり良識なりをふまえないタイプの人であるわけで、舛添氏と大差ないでしょう。「オリンピックを前に、都知事を目指す人には、なおさら私欲がない人が求められる」などとのたまい、今回の件が「金銭感覚」や「リーダーシップ」の問題だと思っているならなおのことです。

どういうリーダーを望むかは人によって違うんでしょうけど、たぶん責任を果たす能力以前の問題として、責任が何であるかをきちんとわかっている人が求められているように、私には思われます。

うーん、書いていて思ったんですが、これってハードルが高いんだか低いんだかようわからん……。

愛国心教育?

何か、「愛国心が受験内申書で大きな役割を果たす」という話がでてきて、びっくりしていたのですが……。

 ▼2016.6.10【今週の活動報告】子どもの道徳心に成績をつける? (Youtube)

発信源は、民進党・長妻昭議員の活動報告。

書き起こしをすると、こうです。
本日も、文部科学省のお役人の方とお話をしました。非常に頑なな姿勢で……。私が気になりますのは、2年後3年後からですね、全国の小中学生に対して、道徳心・愛国心に対してひとりひとり成績をつけていく。それが、各都道府県の教育委員会の判断では、中学受験・高校受験の内申書にも入る、と。まあ、こういうことが決まってしまった訳でありまして。文部科学省はそれについてデメリットは無い、と。問題はまったく無い。こういう頑なな姿勢で、私はちょっと、背筋がぞっといたしました。

この話は、氏が「役人から聞いた」話がソースとなっています。ただ、厳密にどのような会話がされたのか、ということはここからは分からず、そこが問題の1つです。

で、この辺の話国会でしてたよなぁと思って履歴を漁っていたら、一応見つかりました。今年の1月に招集された、第190回国会の答弁。これだと、上の話とちょっと違うような印象を受けるんですよね。かなり長いのですけれど、これからの話は正確性が必要だと思うので全文引きます。

 ▼「子どもの道徳心や愛国心に成績をつける政策に関する質問主意書」(衆議院 平成二十八年一月四日提出質問第一〇号

 全国の小中学校では、それぞれ、いつから「道徳」が「特別の教科」となるのか。「特別の教科」になると、従来と何が変わるのか。
 
 また、「特別の教科」となると、小中学生の「道徳」に成績をつけることになるのか。この成績は、中学・高校受験の内申書に使用される可能性はあるか。

 また、「道徳」には、「国を愛する態度」という、いわゆる愛国心教育も含まれるのか。この「国」には統治機構は含まれるのか。

 一概に愛国心教育を否定するものではないが、子どもたち一人ひとりの、いわゆる愛国心や道徳心に成績をつけるとなれば、それは適切なのか、政府批判を自粛する空気が生まれないか、大きな懸念がある。

 この懸念について内閣の見解を問う。

 ▼「衆議院議員長妻昭君提出子どもの道徳心や愛国心に成績をつける政策に関する質問に対する答弁書」(衆議院 答弁本文情報)

 お尋ねの特別の教科である道徳(以下「道徳科」という。)の導入の時期については、学校教育法施行規則の一部を改正する省令(平成二十七年文部科学省令第十一号)附則第一項の規定により、小学校については平成三十年四月一日、中学校については平成三十一年四月一日とされている。「従来と何が変わるのか」というお尋ねについては、道徳を教育課程上「特別の教科」として位置付けた上で、文部科学大臣の検定を経た教科用図書を導入するものであり、また、いじめの問題への対応の充実や発達の段階をより一層踏まえた体系的なものとする観点からの内容の改善、問題解決的な学習を取り入れるなどの指導方法の工夫を図ることなどにより、発達の段階に応じ、答えが一つではない道徳的な課題を一人一人の児童生徒が自分自身の問題と捉え、向き合う「考える道徳」、「議論する道徳」へと転換を図るものである。
 
 お尋ねの「成績をつける」の意味するところが必ずしも明らかではないが、道徳科における児童生徒の学習の評価については、平成二十七年文部科学省告示第六十号による改正後の小学校学習指導要領(平成二十年文部科学省告示第二十七号。以下「新小学校学習指導要領」という。)及び平成二十七年文部科学省告示第六十一号による改正後の中学校学習指導要領(平成二十年文部科学省告示第二十八号。以下「新中学校学習指導要領」という。)において、児童生徒の「学習状況や道徳性に係る成長の様子を継続的に把握し、指導に生かすよう努める必要がある。ただし、数値などによる評価は行わないものとする」としている。また、道徳科における児童生徒の学習の評価については、中央教育審議会で平成二十六年十月二十一日に取りまとめられた「道徳教育に係る教育課程の改善等について(答申)」において「児童生徒が自らの成長を実感し、学習意欲を高め、道徳性の向上につなげていくとともに、評価を踏まえ、教員が道徳教育に関する目標や計画、指導方法の改善・充実に取り組むことが期待される」と指摘されていること等を踏まえ、文部科学省としては、「道徳教育に係る評価等の在り方に関する専門家会議」(以下「専門家会議」という。)において、数値による評価ではなく記述式の評価とすること、他の児童生徒との比較による相対評価ではなく児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止め励ます評価とすること、「善悪の判断、自律、自由と責任」といった個々の内容項目ごとではなく大ぐくりなまとまりを踏まえた評価とすること等の点について検討しているところである。
 
 お尋ねの「中学・高校受験の内申書に使用される可能性」の意味するところが必ずしも明らかではないが、そもそも入学者選抜の方法等は都道府県教育委員会等入学者選抜の実施者が決定することとされている。なお、専門家会議においては、入学者選抜との関係をも踏まえて、先に述べた評価の在り方を検討しているところである。
 
 お尋ねの「「道徳」には、「国を愛する態度」という、いわゆる愛国心教育も含まれるのか」の趣旨が必ずしも明らかではないが、教育基本法(平成十八年法律第百二十号)及び学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)の趣旨を踏まえ、新小学校学習指導要領においては「我が国や郷土の伝統と文化を大切にし、先人の努力を知り、国や郷土を愛する心をもつこと」等、新中学校学習指導要領においては「優れた伝統の継承と新しい文化の創造に貢献するとともに、日本人としての自覚をもって国を愛し、国家及び社会の形成者として、その発展に努めること」等を道徳科の指導内容として規定しているところであり、現行の小学校学習指導要領及び中学校学習指導要領においても、同様の趣旨を盛り込んでいる。ここにいう「国」については、新小学校学習指導要領及び新中学校学習指導要領の道徳科の解説において、政府や内閣などの統治機構を意味するものではなく、歴史的に形成されてきた国民、国土、伝統、文化などからなる歴史的・文化的な共同体としての国を意味するものである旨記述している。
 
 道徳科における児童生徒の学習の評価については、先に述べたとおり数値などによる評価は行わないこととしており、また、右に述べた学習指導要領の解説も踏まえれば、「子どもたち一人ひとりの、いわゆる愛国心や道徳心に成績をつけるとなれば、それは適切なのか、政府批判を自粛する空気が生まれないか」との御懸念は当たらないものと考えている。

やはりこれを読むと、長妻昭議員が動画で言ってることは、どうもミスリーディングな気がする。

まず、成績評価についてですが、政府見解(おそらく文科省も同じ)としては、「学校でやるんだから成績はつける」。ただし数値ではなく「記述式の評価」をする、としています。また、「愛国心教育」に関しては、現行の教育指導要領と変わらず、その枠を大幅に出るものではない、という話ですね。「国」に関しては政治機構は含まない(現在の政権、みたいな意味はもたない)としています。成績が受験に使われるかということについては、地方自治の範囲だから政府が関与することではないというスタンスですね。

まあ、私もこういう発言を鵜呑みにするほど幸せな頭ではないのですが、長妻議員はこのあたりのことを、すごく誤解されやすいような言い方で伝えている。たとえば「成績評価」ということばをきくと、私たちはまず数値化されるんだろう、というイメージを持ちます。でも、この「評価」ってのはだいぶ違うものが想定されている。少なくとも答弁のうえでは。

また、「各都道府県の教育委員会の判断では、中学受験・高校受験の内申書にも入る」という言い方は、政府が積極的に、道徳教育の評価を内申点として採用することを勧めているような印象を与えますが、実際には「各都道府県の教育委員会が決めることだ」というニュアンスです。

「いわゆる愛国心教育」についても、長沼議員の想定している(そして、氏にコミットする多くの論者が想定しているであろう)、おそらくは教育勅語に代表されるような戦前の「愛国教育」であるかのような口ぶりですけれど、この部分についてはコンセンサスが得られていないと思います。

いや、「安倍首相が言ってるんだから実際にはこういう意味だろう!」ってのを言いたいのは分かるんですけど、建前上は違うこと言ってるわけですし、そこがどういう話になったのかっていうのを、むしろきちんと発信してほしいわけでして。

とにかく全編こんな感じですので、なんとなく文科省の「お役人」に対しても、自分のイメージを押しつけることを優先してまともに噛み合った話ができてない(あるいは、向こうの言うことをいったんそのまま聞くことをせずに自分のバイアスをかけまくって理解している)んじゃないかという疑いを、どうしても持ってしまいます。

ちなみに、私は現在の「道徳」必修化、「愛国心教育」の路線にはそうとう懐疑的です。また、安倍首相や下村旧文部科学大臣が、戦前の「国民道徳論」のような愛国心教育を目指しているのではないか、という疑いも持っている。彼らの作ったこの路線が、最終的に国民道徳論のような恐るべきレールを敷いてしまうのではないかという懸念も分からんではない。

当然、この問題はきちんと考えていかなければならないと思っています。けれど、その「きちんと」考えるっていうことのためには、長妻議員のような態度が邪魔になることもあります。問題をちゃんと整理して、相手が言っていることをちゃんと聞いて、それを正しく伝えなければならないと思う。でないと、議論相手からは「こいつは話をしても無駄なやつだ」と思われて無視されるし、全然勘違いな言論を引き起こして多くの人が「きちんと」考えることを妨げることにもなりかねません。

たとえば、長妻議員の発言に対する反応を集めたTogetterで、こういうのがありました。

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脊髄反射してるだけの意識高くすらない人たちの言動にいちいちケチつけんのもどうかと思いますけど、「愛国心の点数化」って、少なくとも政府や「お役人」が言っている「成績」とは、若干違う話が前提になっているというのは、ここまでのお話からご理解いただけるのではないかと思います。

もうこの時点で政府・文科省からすれば、「はいはい、ちゃんと言ってること読んでから出直してきてね」ってことになってしまいかねません。だとすればこの方の精力的な発言は、少なくとも今回の議論については無価値なものとなりますし、そこから話を膨らませた人たちの努力と時間も無駄になってしまいます。(なっている、といっているのではなくてその可能性がある、という話)

あと、昨日(6月16日)見た、長沼氏の「活動報告」動画、視聴回数は1300回程度でした。その何倍かは発言がRTされていたりするのですが、実際にソースをきちんと見ている人というのは限られており(他に見る手段があるのかもしれませんが)、多くの人はSNSなどで「ほかの人がこの件について行っている発言」をもとに、つまり「又聞き」の状態で議論を行っているのかなぁと。

aikoku

だから、「何をどう伝えるか」ということの意味はいっそう大きい。

こうした議論の場合、自分がなにを伝えたいかと同じくらい、あるいはそれ以上に、相手が何を言っているかということも重要です。そこを軽視すると、自分で創りだした敵の幻影に向かって虚しく空砲を撃ち続けることにもなってしまいかねないからです。

なればこそ、長妻氏は、彼が戦おうとしている敵がどんな姿なのか、その正確な情報を伝えるということをまずすべきではないのかと思うわけです。たとえが適切かは分かりませんが、戦いに勝つには情報が重要です。最前線で戦い華々しい活躍をする英雄に人は憧れるかもしれませんが、そうした戦いを支えるのは偵察がもたらした情報の積み重ねです。

そして偵察のとらえた敵の情報が正確でなければ戦いはできません。過大評価をしても、過小評価をしてもよくない。

長妻議員は、自分が「英雄」になろうとしているのかもしれませんが、たぶんいま求められているのは優秀な偵察のしごとのほうです。「長妻昭」の意見や運動によってではなくても、この「道徳教育」の流れがとまるならば構わないとか、そういう気概みたいなものが欲しい。

たぶん、長妻氏のような、現場の最前線に立っていて、行動力と発信力があるタイプの人の発言というのは、この手のコミュニティで大きな影響力を持ちます。それだけに、より慎重で精確な態度が求められるんじゃないかなぁと。

……何か議員さんを個人攻撃したみたいな記事になってしまいましたが、私が「何を問題にしているか」は、分かって頂けるでしょうか。それは、相手の発言を雑に解釈した結果、議論すべきテーマや内容、解決のための手段、そのために採用すべき戦略、といったものが全部狂っていく可能性がある、ということです。集団的自衛権の話とかも、個人的にはその類だったと思うんですよね。

成立を防ぎましょうというだけでなく、もし成立してしまったのだとしたら、彼らの想定する「最悪」からどう身を守るのか。今回の話であれば、(最悪を戦前国民道徳論の復活であると想定するなら)うまく解釈して「国民道徳」的な方向に行かないように言質をとるとか、「道徳」の評価方法に関して情報開示を求めて、その内容を詰めるのに関わっていくとか……。そういう次善策を呼びかけたり、そのために国民ひとりひとりが何をすればいいか、具体的にアイディアを出す、ということをしていけば良いんじゃないのかなぁ。

日本の政治家に、そういう政治性と戦略性を持った戦いをして欲しいと願うのは、贅沢なことでしょうか。 

記事が消えた……。

1時間くらいかけて書いてた記事が、くろーむ先生のアップデートとかで消えました……。・゚・(ノД`)・゚・。

ライブドアブログは最新記事の保存がされてるはずなんですけど、復旧おしても真っ白で。泣ける。

書きたい話ではあったから明日か明後日くらいには同じ話をしたいとは思ってるんですけど、今日はもう無理。やっぱり、最初から直接ブログに書くんじゃなくてテキストエディタとかで書いてから貼り付けたほうが安全なのかなぁ。

ひーん、二度とこんな思いはしたくないであります。 

区切り間違い。

今日都バスの中で、前の席(2人掛け)に座った学生がノートだかプリントだかを見ながらクイズを出し合っていたのですが、「憲法は、“わたし、にんげん”の争いには適用されない」という声が聞こえて、思わずズッコケそうになりました。

彼女の読んでいたものを見たわけではないので想像ですが、それは「わたしにんげん」ではなくて、「私人間(しじんかん)」ではないでしょうか。憲法の、私人間効力の話。わたしにんげんって、妖怪人間かよ……。

bem

まあ万が一にも学校の先生がそう読んだということはないでしょうから、話全然聞いてないけどメモだけとったか何かで意味分かってないんでしょうねぇ。普段めったに使わないことばだからしゃーないといえばしゃーないのかな。

その女学生の無知を笑うのは簡単なのですが、私たちの日常生活でも、文字を変なところで区切ると意味がおかしなことになる文章って割とあって、たとえばこれ。

higasioosaka

「東大阪大生」(ひがしおおさかだいせい)ですが、思わず「とうだい・はんだいせい」か? と思ってしまったり。

stanford

これも、「大レイプ事件」かと一瞬思ってしまったり。

間違えずに読むのも大変ですけど、誤解のない書き方を心がけるっていうのも結構大事かなと思います。流石に「私人間」は避けがたいでしょうけど、何か書くときには極力気をつけよう……。

教わらない不幸

先日、青学(あおがく。せいがくではない)の学生がスーパーマーケット店内でサンバを踊って馬鹿騒ぎした挙句、その動画をアップロード公開して炎上するという、わざとやってるんじゃないかと疑いたくなるような話が話題になっていました。

 ▼「青山学院大の学生、店内でのバカ騒ぎ迷惑行為で炎上!集団未成年飲酒も発覚」(探偵ファイル)

私も「ヤンヤンヤンヤヤンヤンヤヤ」とかいって踊ってる動画を見ました。とりあえずまあ何というか……。どうしてまた、こんな(おつむが)可哀想なことになっちゃったんでしょうねぇ。

よりにもよって店内で踊ったのかとか、それを撮影したのかとか、挙句の果てにSNSでアップロードしちゃったのかとか、突っ込みどころはいくらでもあるというかむしろ突っ込みどころしかない行為なのですが、こういうのも一種、教育の影響なのかなぁと思います。

やらかしたことの善悪はともかくとして、その後の対応を見る限り、彼ら彼女らはおそらく、自分たちがどんなふうに周りから見られるかということを理解していない。いや、そもそも意識すらしていなかったのかもしれません。これが、叩かれるのを覚悟であえてやっていたというならまだマシなのですが。

おそらくそうなった原因というのは、自分と違う考えの相手とか、思い通りにいかない存在に出会うことがなかったからでしょう。 教育心理学とか発達段階の話ででてくる「社会化」というやつです。

『社会学的方法の規準』という本の中でデュルケームが述べているように、社会化には不可避に強制力が伴い、むしろその強制こそが、自分と外部とを分ける意識を生むのです。(これは私の解釈ですが、自分と違う存在を強く意識するのは、自分に思い通りにいかないものを強制されたときが一番だ、くらいに考えていいのかなと)

そして、その役割は家庭でも教育現場でも、まずは大人が担ってやらなければなりません。ある価値観にアジャストするかどうかはともかく、自分が所属しているコミュニティがどういう価値観で動いているのかということは、きちんと伝え、教えてあげなくてはいけないでしょう。こういうのはだいたい、本人の能力とかの問題ではないと思います。 

なので、こういうのを見るたびに「馬鹿だなぁ」と思う一方、「気の毒だなぁ」とも思います。そしてもっと怖いのは、こういう人たちが量産されて人の親になったとき、自分の子どもにさまざまなことをきちんと「教える」ことができるのかなと。 

教育をきちんとやるっていうのは、学力云々以前に、まずそういうところなんじゃないかなぁ。この人たちだって、青学に入れたくらいだから「お勉強」はできたわけでしょうしねぇ。 

傘の雨漏り

今日は久々に、朝から雨でした。

仕事に行く時に傘をさしていたのですが、どうも水漏れがしている……。よく見ると、傘のてっぺんのところから水が漏れて内側に入ってきているんですね。

これはもうお払い箱かと思いつつ、一縷の望みを託して一応グーグルに聞いてみたら、凄いですね、こういうのも対策があるようで。

 ▼「雨漏りがする」(Sun Barrier100)

ただ、原因と場所は特定できなくても、傘のてっぺんを疑って雨漏り対策をしておくことはできます。
市販の防水スプレーをしっかり傘の頂上付近に吹き付けます。ビッショリと濡れるくらいが目安です。
 
そして、傘の裏からも同じ要領で吹き付けます。(※ここがポイントです!)
 
次に、傘の頂上にかぶせてある陣笠(写真の金色の部品)と中棒の間に隙間が空いていないか確認してください。ここに隙間があると当然雨が中棒をつたわって入ってきますよね。強力接着剤で隙間を埋めて下さい。

これで、雨漏りが止まらない場合は・・・、やはり購入されたお店でご相談されることをおすすめします。

革靴を履く都合で常に防水スプレーを持ち歩いているので、どれどれ……とやってみると、ホントにぴたりと雨漏りが止まりました。

いまの傘は使い勝手がよくて、もう3年くらい使っているので(使い捨ての傘を何本もなくす私も、こいつを持っているときは傘を忘れたりしません)、復活できてよかった。そのうち駄目になるのかもしれないけれど、使えるうちは頑張ろうと思います。 

シュレディンガーとアキレス

そんなつもりで言ったんじゃなかったのに、当初の意図とまったく違って話が伝わること、というのはよくあります。

有名な話だと、「シュレディンガーの猫」がその典型の1つに入るでしょうか。

▼「シュレーディンガーの猫(本当版)」(ためになる雑学シリーズ)

シュレーディンガーは、100年ほど前、量子力学の発展に貢献した偉い科学者です。量子力学は、電子や原子と言った「肉眼では見ることの出来ないほど小さな物質」についての学問です。直接見ることは出来なくても、我々の体などは原子の集まりで出来ていますし、検出器などで調べれば、確かに存在していることが分かります。この「原子の存在」を、数学的な「式」で表したものを、「シュレーディンガーの方程式」と言います。

この方程式を解いてみると、実験的な事実と同じ答えが出てくるので、正しいと考えられてます。例えば、原子力爆弾や、コンピュータのLSI、テレビなどのブラウン管などは、この「シュレーディンガーの方程式」に沿って動いています。ですが、この方程式は、これまでの「常識」とは大きく異なる概念を含んでいるため、科学者の間でも、しばしば議論を引き起こします。その一つが、「観測が、状態を決定する」と言う概念であり、それを分かりやすく喩えたものが「シュレーディンガーの猫」です。

シュレディンガーの猫というのは量子力学における「重ね合わせの原理」を説明する際に、しばしば用いられる例です。私はかつて、これを量子力学をわかりやすく説明したモデルだ、と教わりましたし、実際いまでも、量子力学的には生きているか死んでいるかわからない不確定な猫がいる、と考えている人は少なからずいるのではないかと思います。実際、上記サイトでも「「観測が、状態を決定する」と言う概念であり、それを分かりやすく喩えたもの」としてシュレディンガーの猫を紹介している通りです。

しかし、実際にはこれはまったく逆で、シュレディンガーは「量子力学で考えると、猫は死につつ生きているという状態になるではないか。そんなの絶対おかしいよ」という皮肉として、あるいは量子力学理論の欠陥の指摘として、この喩えを用いています。

その辺の事情は各種の本を読めば腐るほど出てきますが、Webだとこちらとかに詳しいかな。

▼「シュレディンガーの猫」(哲学的な何か、あと科学とか)

でもだ。
じゃあ、この「ミクロな電子の位置」が
「犬とか、猫とか、ぼくたちが実際に見たり、触れたりできるマクロなモノ」に
影響を及ぼすような実験装置を想定したらどうなるだろうか?

そういう疑問を持ったヒトがいる。

そのヒトの名はシュレディンガー。
量子力学の基本方程式であるシュレディンガー方程式(波動関数)を作ったヒトだ。

実は、シュレディンガーは量子力学の考え方が嫌いだった。
後年、こんなヘンテコな科学に関わってしまったことを後悔して、
物理学者をやめている。

そして、物理学の世界から去るときに、
彼は、量子力学をけなすため、ある思考実験を考えた。
それが かの有名なシュレディンガーの猫である。

抽象的な理論の話やミクロの世界の話が、即座にそのまま目に見えるかたちで現実にあてはまるかというと、必ずしもそうではないと思います。そして、シュレディンガーの批判が成立しているのかどうかについて、私は判断することができません。ただ、シュレディンガーが言わんとしたことも分からんではない気がする。

ともあれ当然、彼自身は「あきらかにおかしい話」としてこの猫の例を持ち出しているわけで、この喩えにもとづいて量子力学を考えるとおかしな話になってしまうわけですね。

似たような話に、「ゼノンのパラドクス」というのがあります。「アキレスと亀」という名前のほうが有名でしょうか。

▼「無限の先にある魅力。アキレスと亀のパラドックスとその論破法を解説」(アタリマエ!)

「アキレスがどれだけ速く走ったとしても、前を行くノロマな亀に追いつく事はできない」という話のことを指します。

まず、アキレスの前方を亀が歩いており、アキレスが走って亀を追いかけたとします。

アキレスが亀に追いつくためには、まず亀がいた地点A1に到達しなければなりません。

亀がいた地点A1にアキレスが到達すると、亀はそれよりも少し進んだ地点A2まで移動しています。

さらに亀がいた地点A2にアキレスが到達しても、亀は再びそれよりも少し進んだ地点A3まで移動しています。

そこでまた亀がいた地点A3にアキレスが到達しても、亀は再び…

…そこでまた亀がいた地点A100にアキレスが到達しても、亀は…


と、この話は無限に繰り返せるので、いつまで経ってもアキレスは亀に追いつけないというお話です。

これは何がどう間違えているかを指摘しづらいというだけで明らか間違っている話です。現実には、アキレスはあっという間に亀を追い抜いて走り去るでしょう。アリストテレスの書き残した記述などを読む限り、実際にゼノンはそのつもりで、つまり理屈ばかり先走って現実をきちんと見られていない例としてこの話を持ちだしています。

にもかかわらず、「理屈で考えるとこうなるはずだ」とゼノンがトンデモ話をぶちあげた、みたいな話になっていることが結構あります。ゼノンたんかわいそう……。

で、何でこんな話をしたかというと。

なんか、実家から電話かかってきて「アンタ、仕事やめて地元に帰ってくるんだって?」とか言われてしまいまして。先月末にあった親類の法事で私が発表したことになっていて驚きました。ミジンコほどもそんなこと言った覚えないんですけど、何がどう曲解されたのか……。

うーん、ホントに誤解誤読って怖い。 

古いPCが逝った話。

長く使っていたPCが、突然ブルースクリーンになりウンともスンとも言わなくなりました……。

Hardware Malfunction
Call your hardware vendor forsupport
NMI:Parity Check/Memory Parity Error
The system has halted

というエラーメッセージ的にメモリがやられたのかなと思うのですが、換装には結構時間がかかるし手間もかかるので正直やりたくない……。

ただ、結構重要なデータも入れてあって、一応バックアップとってはいるけどここ何週間かサボっていたので、できることなら最新のデータを拾いたい。でも、それにかかるコスト(手間暇と金)を考えると見合うかどうか微妙なラインという。

このままお払い箱にするか、頑張って復旧するか、ちょっと考えないといかんですなぁ。時間が欲しい時に限ってこれとか、ホントに参った……。 
《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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