よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2015年07月

2015年7月31日エロゲーの日(?)の話。

今日がエロゲーの日だったのか、先週(24日)がエロゲーの日だったのか……。

販売本数的には先週のほうが多かったんでたぶん、世間的には先週がエロゲーの日なんですが、「月末金曜日」という定義にしたがえば今週ということになり、年末ほどハッキリした本数差もないのでちょっと区別しづらい。一応私の方は「その月最後の金曜日に休みを取る」ということにしているので、今日がエロゲーの日でした。私ン中ではな。

とはいえ発売本数もだいぶ少なく、購入予定も3本しかなかったため、超のんびりとお昼になってから秋葉原へ。

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人はほんとうに少なくて(エロゲーさえなければ、単なる平日の昼ですしね)、『アマカノ』新作のポップを見ながら、楽しみだなぁと思う余裕なんかもあったりして。

駅前、ソフマップアミューズメント館前には、イベント会場が設置されていました。予約者配布会&購入者配布会。『アンラッキーリバース』と、『戦極姫』、『戦御村正』をはじめとするげーせん18系列の配布会ですね。村正のみ予約をしていたのでイラストシートをいただいて離脱。アンラッキーリバース、スタッフ的には結構面白そうだしどうしようかなぁ。

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予約券引き換えのため一号店のほうへ向かいますと、こちらでも無料配布&購入者・予約者引き換えイベント。(撮影は許可を得て行なっております)

ただ、全体の撮影は禁止だったので、お願いして『らぶらぶプリンセス ~お姫さまがいっぱい!もっとエッチなハーレム生活!!~』のポップだけ撮影させていただきました。

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本日は原画家お三方(るび様、ヲリ、六九導イツキ[敬称略])のサイン会。事前抽選+当日券配布というスタイルでした。これ本体を予約しているのでホントは行きたかったんですが、ちょっと予定が入っていてサイン会が18時~では参加できなかったんですよね。なので、泣く泣くあきらめ。

撮影をご承諾くださったスタッフの皆さま、ありがとうございました。レイヤーさんも、この暑い中ホントお疲れ様で……。お体を崩されないようお気をつけ下さい。


てな感じで今日は、『天魔少女レナ』(通常版)と『らぶらぶプリンセス』、『淫らな魔法使いと救性主』の3本を購入して帰宅。「救性主」からプレイしていくと思います。今月はホント少なかったな~。 

タブレットがぶっ壊れた話。

いやー、困ったことになりました。タブレットPCが故障しまして……。

朝起きたらうんともすんとも言わないんですよ。かろうじて画面がうつったと思ったら、なんか液晶に不具合が出ていたのか、連続してアプリが起動しまくったり。

一瞬ウイルスか何かと思ったんですが、タッチパネルにトラブルが生じている模様。ドコモショップに持って行くと、液晶の故障ということで回収・修理ということになりました。

液晶の修理費用は5000円(保証をつけていれば安くなるわけではなく、5000円で同じ機種の新品とその場で交換できる)ということですが、データは全部消去する(セキュリティ考えると当然ですね)とのことで、バックアップとったり、設定保存したりでてんやわんや。

更に、暫くの間外出先でタブレットを使えないという……。

何かあるとブラウジングを便りに調べ物をしたり、地図を見たり、Twitterやアプリのゲームで時間をつぶしたりしていた私には、ものすごく不便な状態になっております。8月の頭に出張があるんだけど、間に合いそうにないんだよなぁ。どうすんべ。

旧機種でブラウジングだけでもできないものか試してみて、ダメそうなら安い型落ち品を購入してそれで使いまわす感じにしようと思っています。Wi-Fi型なら本体が死んでもネット環境はあるからノートPC等を持ち歩くことで無理やり代替品にすることができますが、キャリア系のタブレットPCの場合それできないのが厳しいですね。

まあ、10日ほどの我慢ということですから頑張って耐えよう。しかし、何もこの時期に壊れなくてもという感じですわ。まいったまいった。 

東京パクリンピック

東京五輪を巡って、また「問題」が発生しそうな気配が……。

 ▼「東京五輪のエンブレムデザインに盗作疑惑 ベルギー劇場ロゴがモチーフではと海外からも指摘」 (Fashionsnap.com NEWS)

 2020年東京五輪・パラリンピック組織委員会が24日に発表したオリンピック大会のエンブレムデザインに対して、盗作を疑う論争がネットで起こっている。ベルギーの劇場「Théâtre de Liège」のロゴと並んだ画像が拡散されており、同劇場のロゴデザインを担当したとみられる事務所も公式Facebookに「フォントが同じだ」と指摘する文章と写真を投稿している。

 アートディレクターの佐野研二郎氏が手掛けたオリンピックエンブレムは、「TOKYO」「TEAM」「TOMORROW」の頭文字「T」をイメージしており、「円」はすべてを包みひとつになった世界、「赤」はひとりひとりの赤いハートの鼓動を表現し、「和の力の象徴」としてデザインしたという。一方、「Théâtre de Liège」のロゴはデザイン事務所Studio Debieが2013年に提供したもののようで、公式ホームページではデザインプロセスも公開されている。
 
 Twitterでは両デザインを見比べた人たちが、「似てる」などと感想を投稿。「別物だろ」と擁護する意見も挙がっており、SNS上で議論を起こしている。なお現在、佐野氏が代表を務めるMR_DESIGNのTwitter、Facebookページともに閲覧できない状態になっている。

ふーむ。

これがフランスの劇場のロゴ。

theatredeliege

んで、こっちが東京五輪。


tokyo5rin

う~~~ん、似てるか似てないかで言えば似てるよなぁ。

私はデザインとかわからないから、この「円」の位置が違ったり、右下と左上の三角形(?)が若干ずれていたりするのがどのくらい「重要」で「オリジナリティ」があるのかとか理解できないんですけど、素人目にはほとんど同じに見えます。

なお、当事者であるフランスの劇場のロゴデザインを手がけた事務所、Studio Debieのコメントがこれ。拙い仏語理解力で読んだ限り、「劇場のロゴを知っていたなら論外だし、知らなくてもまあこれはいかんでしょ」みたいな感じなのでしょうか。フランス語自信ないので、読める人いたら教えて下さい。ネタ的なニュアンスなのかな。英語のほうでは「There is a striking ressemblance between the two logos. Why has it a bad reputation in Japan ?」とか言ってるから割とお怒りっぽい気もします。

studio_debie

なお、上記Studio DebieのDebie氏はこんなgifアニメーションを即興で作ってTwitterに流しています。ゆうて現時点(2015年7月29日17時)でざっと300RTですから、まとめサイトとかが大騒ぎするほど「話題」になってはいない感じですが……。



話題になっているか否かはともかく、きちんと考えるべきことですよね、これ。やっぱりパクリだなんだといわれるのは残念だし、騒動で劇場のデザイナーさんにも申し訳ないことなわけですし。

とりあえず、日本側のデザイナーである佐野研二郎氏が意図的にやったのかどうか偶然だったのかとは無関係に、実際問題として類似するデザインが存在していた(少なくともそういう指摘がなされた)のですから、このデザインで行くかどうかは、きちんとした手順に沿って見直すべきでしょう。この手のデザイン絵はそもそも似てしまうものだとか、あるいは主催国としての体面がどうとかいう話ではなく、国際社会のルールにのっとって開かれる大会である以上何らかの疑問や指摘に対する対処をするというのは当然のことです。

もちろん、選んだ責任・選ばれた側の権利というものもありますから、騒がれているような即座に「ダメ」という考えもおかしい。国際商標確認の手続きも済ませているようですしね。ですから、新しく出てきた情報を踏まえた上でこれが五輪のロゴで良いかどうかを判断する機関をちゃんと設置するなりしてやってほしい。これだけの規模の大会で、しかもその「顔」になるロゴを選ぶっていう話なんですから、きちんとした「形」を整えるのが筋だと思う。

また、佐野氏からはとにかく早目に事情を聞いて、コメントを出す。多くの人への必要な説明の第一はこれに尽きるでしょう。

剽窃や類似の事項を見抜けないのか、というと、小保方さんの騒動(もうみんなほとんど話題にしないけど!)のことを思い出すわけですが、こんなことが起きないに越したことはないにせよ、起きてしまったらどうしようもないわけで、あとはいかに誠実かつ適切な対応をとれるか、というのがキモだと思う。新国立みたいにグダグダにしてなぁなぁのまま、なんとなく変更とか、やめてくださいね。

デザイナーやコンペの担当者への責任追及というのはその後の話で、まずはどうするのが五輪にとってベストなのか、国民だけでなく世界の人も対象になっているということを忘れずに対応していただきたいです。

おそロシア

ちょっと前のニュースですが、これ。ロシア凄いですね。

 ▼「ロシアで「自撮り」死亡事故が多発、政府が安全運動を開始」 (AFPBB News)

【7月8日 AFP】ロシア内務省は7日、危険なポーズでの「自分撮り(セルフィー)」の最中に悲惨な事故に遭う人が相次いでいることを受け、自分撮りを安全な方法で行うよう呼び掛ける運動を開始した。こうした事故では、今年に入ってから数十人が死亡、約100人が負傷しているという。

 ロシア内務省が作成した「楽しいセルフィーには命を落とす危険がある」と警告するパンフレットには、「武器を持ってセルフィーを撮ると、死に至ります」などの助言が満載されている。同省はさらに、動画やウェブサイトによる呼び掛けも行っている。

 首都モスクワ(Moscow)では今年5月、21歳の女性が銃を構えて自分撮りをし、誤って自分の頭を撃つ事故が発生。女性は頭部を負傷したが、一命を取り留めた。

 また同月にはリャザン(Ryazan)州でも、10代の若者が鉄道橋によじ登ってセルフィーを撮ろうとして送電線に触れ、感電死する事故があった。

 1月にはウラル(Ural)連邦管区で、若い男性2人がピンを抜いた手りゅう弾を持ってセルフィーを撮ろうとしたところ、手りゅう弾が爆発し死亡。自分撮り画像が保存された携帯電話が、記録として残った。(c)AFP/Anna MALPAS 

ロシア政府もかなり問題視していて、こういうパンフレットが作られたりしているのだとか。高圧線の上で撮影とかふつうしないだろ……。

russia_self
参考:「「自撮り」で死亡も、ロシア当局が事故防止パンフを作成」(CNN)

ただ、学校に配るとか言ってることからもわかる通り、これウオツカで酔っ払ったロシア人の奇行とか、麻薬でハイになった人がやっているとかではないようですね。上記の記事(CNN)によれば当局は「ソーシャルサイトの「いいね」を追い求める道が「死に通じることもあり得る」」というコメントをしています。ソーシャルサイトかぁ。日本で言えば冷蔵庫の中にはいっちゃったあの人とか、パトカーの上で暴れまわっちゃったあの人みたいな感じなんでしょうか。ホントにSNSは自己顕示欲の煉獄みたいになってますね。

それにしたってさすがロシア、クオリティが違います。感心しきり。

パンフのほうもなかなか面白い内容のようで、高電圧(напряжение)と頑張る(напрягаться)を掛けていたり、ターゲットである若者層に届きやすい、くだけた内容に仕上がっているようです。しかし、若干くだけすぎじゃないですかねぇ。皮肉に見えるというか。

また、こうした「自撮り(セルフィー)」を巡っては、つい昨日今日、こういうニュースもありました。

 ▼「国境で「自撮り」中に銃撃=ウクライナ側から?―ロシア」(Exciteニュース)

 【モスクワ時事】ロシア連邦保安局(FSB)は27日、南部ロストフ州の対ウクライナ国境地帯で休暇中のロシア人3人が自分たちを撮影中、ウクライナ側から銃撃を受け、うち1人が胸部を負傷したと明らかにした。命に別条はない。ロシア連邦捜査委員会は殺人未遂容疑で捜査を開始した。
 
 FSBの発表によると、3人は26日、国境検問所を背景に「自撮り」していたところ、ウクライナ側の軍人が「止まれ」と叫んで警告。その後、撃たれたという。旧ソ連圏の国境地帯や軍事施設などは撮影禁止の場合が多い。

 ウクライナ国境警備隊は「他国領土に銃撃することは国内法で禁止されている。弾薬の使用もない」と説明。「ロシア側の発表は事実と異なり、謀略とみられる」と反論した。その目的について「ウクライナに軍事介入している事実から目をそらすためだ」と主張した。 

そもそも軍事行動してる最中に自撮りとかしてる暇あんのか、という感じがしますが、ロシアでは兵士の「セルフィー」は比較的ふつうのことのようです。それについては、こちらの記事にたいへん興味深いことが書かれています。これまで述べてきた「若者のセルフィー」について触れながら、軍の中でも自撮りがたいへん一般的だというお話。

 ▼「ロシアの軍事介入を暴く「兵士たちのセルフィー」」(WEDGE INFINITY)

 ところで、セルフィー好きは一般の若者ばかりではない。

 ロシア語で「兵士 セルフィー」などのキーワードを入れて画像検索すると、軍の施設や演習場で撮られたと思われる画像が大量にヒットする

 日本よりもはるかに機密保持の厳しい国で一体どうなっているのかと思うが、何故か兵士が勤務中にセルフィーを撮るのは割と黙認されているらしい。

 その最たる例が、昨年2月、ロシア軍がクリミア半島を占拠した直後にVK(ロシア版Facebookと呼ばれる大手SNS)に投稿された一枚の写真だった。

 「クリミアなう」 

 とロシア語で投稿したのは、全ロシア軍中でも最精鋭の参謀本部直轄特殊部隊「特殊作戦軍(SSO)」の兵士だった。

 当時、ロシアはクリミアへのロシア軍派遣を否定し、議会等を占拠しているのはあくまでも「自警団」であるとの立場を取っていたが、これでは政府が何を強弁しようと台無しである(ロシア政府は後になってクリミア半島にロシア軍を投入していたことを認めた)。

「クリミアなう」には思わず笑ってしまった。もちろんロシアからすれば笑いごとではなさそう。

SNSで評価を得るため、無理に「つくった」記録を残すのは(命の危険はないまでも)馬鹿げたことかもしれませんが、しかし、こういう現実が発信されることでロシア政府が隠そうとしているさまざまな情報があきらかにされ残っていくということを考えると、「記録」としての自撮りというのが存外大きな意味を持つ可能性も同時に示しているように思います。

もし70年前に、あるいは第一次世界大戦のころに、「セルフィー」のようなものがあれば、あるいは戦争は起こらずに済んだのでしょうか。ふと、そんなことも頭をよぎったのでした。

能力別

私の出身校の先生が、なんか用事があってこっちへいらっしゃるというので週末ちょっと会ってきました。

その時、いまの学校の様子などをうかがうと、まあその先生の主観ではあるんだけど、「ギスギスしてるよ~」とのこと。どうも、一種のエリート主義が行き過ぎた感じになっているようです。

私の通っていた高校は、一応地元では進学校でとおっており、私の在学中から成績によるクラス編成をおこなっていました。

といっても、それは字面から想像されるような差別的なものではなく(もちろんまったく差別的なものがなかったわけではないのでしょうが、それはどんな編成をしても大なり小なり生じるものでしょう)、全体的な学力が伸び悩んでいる学生には、それにあわせた進度のクラスを用意する、というもので、強制的に「下のクラス」に編成される生徒もいましたが、ボーダーラインの20名ほどは直接面談でたずね、望んで積極的に「下」へ行く人もいる、というシステムでした。

つまり、教師も生徒も、「できない奴を押し込めてる」という感じでは捉えていなかったし、実際大学受験の結果などを見ると、案外下のクラスのほうが浪人率が低かったりもしたんですよね。

成績に関係なくクラスを編成して、生徒同士がお互いに教えあう「学びの場」をつくる、というような教育論があるのは存じていますが、とりあえずその辺の話はおいときまして。

で、それがどうも、教師の側が「勘違い」をしたのか元からそういう人だったのか、何かある学年の主任に就いた先生が、とにかくエリート意識をバリバリに押し出して、上位のクラスの生徒たちには「下のクラスの奴らとは話をするな」みたいなことをバリバリに(今日は「バリバリ」をいっぱい使うつもりです。敢えてね!)言う。いっぽう下位クラスの生徒には、「上の邪魔だけはするな」みたいなことを平気で言う。そういうので2年間育ててきて、いま3年生になった学生が最高学年という状態だそうです。

ひぇえ……となりまして、PTAから苦情とか出なかったのか聞いたんですが、まあ凄い出たらしいです。ただ、その学校出身の先生で校長だか理事長だかに可愛がられているのと、上位層の模試の成績がかつてないくらい良いことで、反対する動きを黙らせているんだとか。私立の進学校のスクールカーストって怖いですねぇ。

ただ、私の主観では、やはり学校としてはあまり良くない状態だろう、と。

それは、教師と生徒の間で信頼関係が結べないからです。

どうも、その話を聞いて私が真っ先に懸念した、生徒同士の差別のようなことはほとんど起きていないようでそれはまあ不幸中の幸いというかなんというかな感じなのですが、ある意味当然でもあるとは思います。実際、私立の進学校に通うような学生は「いい子ちゃん」が多く、良くも悪くも差別は良くない、というような「当たり前」の思想を学んできたし、本音はどうであれ建前ではそれを保つようなスキルは身につけているんですね。

ただ、そんな生徒たちに対して、バリバリに差別を推進するような先生があらわれたらどうなるか。

当然、生徒たちは教師陣に対して著しく反発をおぼえ、不信感を抱くはず。少なくとも私がそういう環境にいたら、間違いなく抱いています。というような話をしたら、私の恩師も実際そんな感じだよ、と。

彼はバスケ部の顧問をしているのですが、とにかく高2(いまは高3)の生徒から過去にないくらいいろんな相談を受けた、とおっしゃっていました。

また、「下」のクラスになった学生の成績やモチベーションの下がりっぷりは半端無く、学校史上例のないくらい成績がわるく、また欠席率も高いのだとか。単にその先生の主観だけではなくデータ的にも(私はそのデータとやらを確認していないので裏はとっていませんけど)出ているなら、やはり問題含みの部分は大きいのだろうと思います。

頭で考えていてもなかなかできないくらいテンプレート的な(そういう意味ではいっそすがすがしいまでの)「上を育てて下を潰す」方針である意味感心するのですが、個人的にはやっぱりあまり好きじゃない。これでもし進学成績で良い結果が出たら、学校側としてはその方針を維持するんでしょうか。やめたほうがいいと思うんだけど。

もうまったく関わりも持っていないとはいえ、一応母校のことなので、ちょっと心配になったというお話でした。

噴火した(噴火したとは言っていない)

こちらの、朝日新聞デジタルの記事によれば、今月21日、箱根山は噴火したけど噴火していないそうです。何やらことばあそびのようですが、実際そう言ってるんだから仕方ない。

 ▼「箱根山で火山灰確認 「噴火だが噴火の表現適切でない」」(朝日新聞デジタル/2015年7月21日20時27分) 

 気象庁は21日、活発な火山活動が続いている箱根山(神奈川県)の大涌谷(おおわくだに)で、6月に新たに確認された火口から、噴煙にわずかに火山灰が混じっている現象を確認したと発表した。火山灰の噴出が短時間だったことから、同庁は「現象は噴火だが、住民の不安をあおるなどの防災上の影響もあるので、噴火との表現は適切でない」としている。

 箱根山での火山灰の確認は、ごく小規模な噴火があった7月1日以来。大涌谷の火口で21日正午ごろ、火山灰を含んだ噴煙を10秒ほど観測。高さ約10メートルの白色噴煙が一時的に灰色になり、50メートルほどの高さになった。噴火に伴う振動は確認されず、火山性地震も同時間帯に観測されなかった。

 気象庁では、火口から火山灰が放出される現象を噴火とする一方、噴火として記録を残すのは「火口から噴出物が100~300メートル飛んだ場合」と説明。6月30日と今月1日のごく小規模な噴火では、火口から100メートル以上離れた場所で降灰を確認したことを根拠とした。ただ、21日は火口から100メートルの範囲で降灰調査は実施しておらず、実際の火山灰が飛んだ範囲は把握できていないという。

 同庁火山課の小久保一哉・火山活動評価解析官は、今回の噴出現象について、「理科研究の小学生に、噴火かと問われれば噴火だと答える。ただ、気象庁では噴火と記録はしないと説明する」と話した。(鈴木逸弘)

これもうわかんねぇな……。

いやまあ、話としてはわかります。要するに学術的な(あるいは気象庁的な)定義の上では「噴火」という現象ではあるけれど、世間一般に認知されるような噴火ではない、という話です。専門家が即座に警鐘を鳴らすたぐいのものでもないということですから、安全性についてもさしあたっては問題ないのでしょう。

ただ、この記事を読んで微妙に感じることが2つ。

1つは、単純に命名の問題です。「噴火」というと混乱するから言わない、というようなことになるくらいなら、学術的な「噴火」のほうに、はやいところ違う名前でもあてておいてほしい。混乱の原因は元から断て、というそれだけ。

もう1つは、この記事について。この記事で何が言いたかったのか。

災害情報の欄にあるけど、災害じゃない、みたいな話だし、そもそも危機管理の話題は全然出てきません。

内容を読む限り、「火口から火山灰が出てるけど問題ありません」という話なんでしょうか。だとしたら、「住民の不安をあおるなどの防災上の影響もあるので、噴火との表現は適切でない」云々の話は不必要な情報(内容をわかりにくくするだけ)だと思います。

あるいは、気象庁のいう「噴火」ということばが実質的に2通りの意味を持っている、というトリビア的な話をしたかったのでしょうか。とてもそうは読めないけれど、そういうことならまあ分からなくもない。でも、伝えることに意味のある情報だとは思えないなぁ。

というわけで、形式から内容まで、あますところなく「よくわからない」感じだなぁという印象。こちらとしてはとりあえず、箱根が大丈夫なのかをまず真っ先に確認したいんですけど、どうなんでしょうねその辺は。

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【2015.0727追記】
Twitterでこなたんさん(@konata_tahake)からご意見と参考資料をご指摘いただきました。こなたんさん、ありがとうございました。

 ▼「“噴火だが噴火とは呼ばない”改め、“噴火だが噴火の表現適切でない”」(Togetterまとめ)

 ▼「噴火の記録基準について」(気象庁)

1.「噴火」現象と気象庁における噴火の記録基準
 
「噴火」とは、「火山現象の一種で、地球内部から、(火山)物質が比較的急速に放出される現象」(荒牧、1975)であると言われており、気象庁では「火山現象として、火口外へ固形物(火山灰、岩塊等)を放出または溶岩を流出する現象」を「噴火」としています。しかし、「噴火」には、富士山の宝永噴火から、桜島でよく発生している山頂噴火、阿蘇山の中岳第一火口付近で降灰がある程度のものまで、その規模は大小様々です。

そのため、気象庁の火山観測では、ある規模以上のものを「噴火」として記録することとし、この基準を「噴火の記録基準」と呼んでいます。もちろん、この気象庁の基準に満たない小さな「噴火」現象も存在します。 

(中略)

噴火の規模については、大規模なものから小規模なものまで様々であるが、固形物が噴出場所から水平若しくは垂直距離概ね 100~300m の範囲を超すものを噴火として記録する。 
 

これによると、気象庁の「噴火」の定義は学術上の「噴火」定義にもとづいたものが採用されています。ただし、噴火は規模の振れ幅が大きいため、「記録する噴火」と「記録しない噴火」とを分けている、というのが実際のところであるようです。

つまり、今回の「噴火」は「広義では噴火だが、狭義(記録するかしないか)では噴火でない」という話なのでしょう。たしかに朝日の記事にも、最後に「気象庁では噴火と記録はしないと説明する」というコメントが記載されています。しかし、それならなおのこと、「住民の不安をあおるなどの防災上の影響もあるので」云々という、あたかも気象庁が恣意的に定義をかえて語ったかのような情報は掲載する意味がなくなってくるような……。

もし本当にこんな風に言っていたのだとしても、記事を書く段階で調査とかすれば(きちんと調べずにブログを書いた私が言うのもあれですが、まあ向こうは商売なので言わせてもらいます)、そういう恣意的な判断で言っているわけではない、ということはわかるでしょうし、今回の件はちゃんとしたルールで定まっている「記録しない噴火」ということのようですから、むしろその定義について書いたり、なぜそのような定義になったのかを明らかにしたり、というのが「良い新聞記事」だったのかもしれません。

気持ちに混ざりモノがあったっていいじゃないという話。

今日、地下鉄に乗っていると、前に座った若い(といっても学生ではなさそうだった)カップルがこんな話をしているのが耳に入ってきました。なお、会話調で書いていますが実際の音声を記録したものではなく、記憶を便りにして多少脳内編集してあります。

女「○○はさぁ、お年寄りに席譲るとかってどう思う?」
男「ん~?」
女「アタシはさぁ、何かイヤなんだよね。偽善者っぽくて。イイ人だと思われたくてやってるワケじゃん?」
男「あ~、ワカルかも。嘘くさくてわざとらしいよネ」

とかまあ、だいたいこんな感じです。この話題はこれっきりで、その後は何か私生活のことをしゃべっていました。

お年寄りに対して席を譲る、というのが偽善っぽくて嫌だ、という以上の話ではないのですが、こういう考え方ってよくあるよなぁ、と思わないでもありません。

もう少しちゃんとした形で問いなおすなら、世間的に善とされている行為する場合、純粋にその行為の結果だけを目的として行わなければならないのか、ということになるでしょうか。

「世間的に善とされている行為」というのは、今回の場合「お年寄りに席を譲る」ことです。「純粋にその行為の結果だけを目的として行う」というのは、たとえば「イイ人だと思われたい」とか、「誰かに褒められたい」というような下心(そう呼んで良いなら)をもたずに、本来「席を譲る」ということで達成されるはずの結果のみを目指して行為することを言うと思ってください。

なんか電車の中で若い男女が与太話風に話をしているから微妙に聞こえたというのはあるのですが、こういったかたちで、ある種の「純粋さ」を求める言説というのは頻繁に目にするように思います。そして、席を譲る、というような行為でなければ、結構な割合でそういう下心があるというのは非難の対象になる。

たとえば、積極的に発信をするような活動をしている人に「あれ、結局目立ちたいだけだよね」とか。

実際、何というか意図が透けて見えてしまうことのカッコ悪さみたいなものはあるのだろうけれど、こういうのってケースバイケースなんじゃないかなぁと私なんかは思います。そりゃまあ、純粋に行為することができればカッコいいんでしょうけど、別に混ざりモノがあったっていいじゃないか、と。

混ざりモノのほうが多くて、「善」いおこないが本当の意図のほうを隠蔽するタテマエになっていたら、それは幾分か批判されてしかるべきかもしれませんが、そうでないなら別にいいじゃん、と。

そもそも実際問題、人間「純粋な」モチベーションで行為することってどれだけあるかと言われたらほとんど無い気がします。いろんな思惑が重なって行為というのは生まれてきている。だから、褒められたいとかいい人だと思われたいとか、そういう気持ちが混ざっていたって別にそのことをもって「偽善」呼ばわりされなくてもいいんじゃないでしょうか。

別に積極的に不純さを肯定しようというつもりはありませんけれど、純粋さを根拠にして世の中を斜めから見よう、という態度はいかにも若々しいというか、あんまりイケてないなぁと、そんなことを思ったのでした。

あ、電車はガラガラだったので、その男女が席譲れよとかそういう話ではないです。

テニサーとぼく。

何やら、2012年の「事件」に関して訴訟が起きたことで、ちょっとした話題になっています。

 ▼「東大生“一気飲み”死亡 両親が損害賠償を求め提訴」(Yahoo!ヘッドライン)

 一気飲みで死亡した東大生の両親が損害賠償を求めて提訴です。

 2012年7月、当時、東京大学教養学部2年の高原滉さん(当時21)は、テニスサークルのコンパで焼酎約1.1リットルを飲んだ後、昏睡(こんすい)状態に陥り、急性アルコール中毒で死亡しました。両親は22日、昏睡状態の滉さんを救護せず、4時間にわたって放置したとして、当時、コンパに参加していた元学生ら21人に対し、約1億6900万円の損害賠償を求めて提訴しました。父親は「こんな目に遭うのは息子を最後にしたい」と話しました。

3年前の事件に対して、随分と時間が経ってから提訴するんだなあと、少し驚きです。 

事件が事件だけに、ご両親も生半可な気持ちで訴訟に踏み切ったわけではないでしょうから、この3年の間に何かがあったんでしょうか。

Twitterでちらほら流れていたお話を拝見したところ、「被告(被告人ではない)が社会的な責任能力を持てるのを待ったのではないか」というようなお話があり。社会的責任というか、ちょうど就活とかの時期を狙い撃ちってことなのかな。そうだとしたら凄い狙いすました復讐ですね。

他には「3年間反省が見られなかったからではないか」という見解もあり、そうだとするとなかなかドラマチックな展開ではあるのですが(本当に「反省」を見せていれば訴えられなかったのだから、被告は二重の意味で被害者と遺族に対する罪を犯したのだ、といった要素が入ってきていかにもなストーリーになる)、実態はどんなもんなのか。

どちらの意見もなるほどと思うものの、決定的なことはわかりませんしねぇ。あるいはもう少し事務的・手続き的な要素による部分もあるのではないかと思っています。その辺りも報道とかされてるのかな。

それはさておき、私もこの手の……かどうかはわかりませんが、「テニサー」というのに入ろうとしたことがあります。まあ私はテニスやってたからってのがあって、大学に入って「部活」ほどガンガンやりたくはないけど、コートを使って週に何日か身体を動かすくらいはしたいな、と。テニサーの実態はインカレ系の飲みサーが多い、みたいな話は聞いていたので、とりあえず話を聞いてみて、よさげなところに入ろう、と。

ところが、サークル勧誘日みたいな日に友人と回って驚きました。

マジで自分にあいそうなところがない(笑)。

最初に行ったところでは、「うちのサークルに入りたい? 試験があるけどいい?」って言われました。テニスの実力でも見るのかな? と思って了承すると、「オーケー、じゃあ何か一発芸して?」と。

(゚Д゚)ハァ? って感じですよ。後から聞いたところによると、そのサークルは他大学の女性陣との交流が活発で、飲み会の場が活動の主戦場。女の子を呼べるようなイケメンか、さもなくば飲み会の席を盛り上げられる、面白くてノリの良いヤツしかいらない、ということだった模様。当然私はどちらにもあてはまりません。エロゲーが好きなだけのキモヲタですからね。

向こうも私のようなのはいらんだろうし、こっちも御免こうむりたいところだったので、丁重にお断りしてその場を離れました。もちろん、まったく惜しまれる様子はなかったです。

他の「テニサー」も回ったものの、どこも大なり小なり似たような感じ。まともに練習してます、みたいなところはほとんどありません。というか、説明を聞きに行くと最初に飲み会のスケジュールから説明です。あと、合宿の場所。テニス関係ないじゃねーかっていう。

結局テニス入るのやめて他の運動(しかも部活)をやることにしました。大学から始めたのであんまりうまくはなれなかったけど、そこそこ楽しかったです。

ともあれ、いま述べた私の体験したテニサーのようなものを1つの「大学文化」だと言うのは構いませんし、やってる側の方々からすれば、みんなで集まって親睦を深め合うことの何が悪いのかという感じなのでしょう。もちろん、それ自体は悪いことだとは思いません。

しかし、新入生勧誘の場で「一発芸をしろ」と言ってみたり、ある種の外見差別的な「選抜」制度を隠そうともせずにあけっぴろげにやっているというのは、やはり少々「変」なことという感じがするし、少なくとも学問の場、文化の土壌である大学でやるべきことではない、と私は思います。

身内意識、仲間意識が発達しすぎて、外からの批判的な視線を入れられなくなっていて、しかもそれに自分たちで気づけなくなる……というのが、こういうサークルが「行き過ぎ」を呼ぶ原因なのかもしれませんね。今回報道されている話を聞きながら、昔の自分の体験とともに、そんなことを考えたりしました。

まあ私の大学が頭おかしかっただけ、という話もありそうですけど。

Twitterから壁紙が消えた話。

Twitterの壁紙、表示されないの自分のクライアント側の不具合かなと思っていたら、どうも公式でそういう仕様変更になっていたんですね。最近ライブだ何だでネット滞在時間が減っていたので、完全に情報原始人と化してました。

 ▼「Twitterが壁紙の表示を廃止、今後は一部画面での表示のみに仕様を変更」(Gigazine)

Twitterがウェブ版画面の仕様を変更し、各ユーザーのホームページやタイムライン画面に表示されていた壁紙が削除され、単色の背景に変更されていることが明らかになりました。今後は一部画面においてのみ、各ユーザーがカスタマイズした背景画像が表示されるようになっています。

といっても完全に背景画像が見えなくなるわけではなく、タイムライン上に表示はされないけれど「ツイートの詳細をクリックして」によってツイート単品を抜き出したり、リストで見る分には(ツイートする側が壁紙を設置し、かつそれが表示されるよう設定してあれば)見られるようです。

個人的にはTwitterの壁紙にはまったくこだわりはないものの、多くの人はそこにさまざまな「ネタ」を盛り込んだりしていて個性の表現の場として非常に充実した内容を持っていたと思います。どういう理由で壁紙を表示させないとしたのかはわかりませんが(ヘッダー画像は消えていなかったので、エロ関係をふくめ画像をチェックなしで表示させるのがマズイ、とかいう話ではないようにも思うのですが)、いささか残念ですね。

あとタイムラインが真っ白でやたら殺風景になったのも物悲しい。

私の生活文化圏で直撃する影響としては、エロゲーのTwitterキャンペーンとか今後どうするんだろうっていう。ヘッダーとツイート、アイコンだけでやるのかな。壁紙で表示されるのがいちばんインパクトあったと思うだけに心配かつ寂しいです。

まあ、この変更に関しては不満も相当多いみたいだし、システム的にどうしてもこうしないとダメみたいな話でもなさそうなので、もしかするとやってみたけど不評だったから元に戻るようなこともあるのかなーと思って楽観的に眺めていますが、戻らなかったら戻らなかったで、そのうち見慣れて気にしなくなるのかなぁ。

「あまり本を読まない中学生・高校生」の話。

先日Twitterでこういう記事が出ていまして。

 ▼「あまり本を読まない中学生・高校生が、夏休みに何か一つ小説を読んでみようと思ったときにお薦めしたい厳選10作」 

この記事自体には特にどうということもありません。おもしろそうな本をありがとうございます、くらいです。ただ、タイトルにある「あまり本を読まない中学生・高校生」 というのが私の意識を捉えました。

この方が「基準としては、「小説」であることと、あまり長くないこと、比較的入手しやすいこと、そして、読みやすくて、面白いこと」と書いておられる通り、要するに読みやすくエンターテインメント要素が強い、ということを象徴的に表現したフレーズだというのはわかるのですが、教育産業にタッチしている身分から言わせてもらうと、どうすれば「あまり本を読まない中学生・高校生」に本を読ませられるか、というのは冗談抜きに深刻な問題です。

いや、べつに無理やり読ませなくてもいいのかもしれませんけれども、私が関わったことのある「本を読まない中学生・高校生」というのは、「あまり」どころか「ぜんぜん」であり、その内実も私の想像を絶しているところがあった。

以下実体験や知人・友人から聞いた話に少しイロをつけて(内容からバレないよう)具体例を書いてみます。

・高校3年生で国立大の理系を受験しようという男子学生、あまりに国語ができないのでどのくらい本を読むか訊ねたら、 それまでの人生で教科書以外に読んだことのある本は『ハリー・ポッター』だけと言われた(しかもたぶん、あんまり読んでない)。

・某予備校の私立文系受験希望者クラスで小論文の講義をしていたら、「本文からの抜き書き」をまともにできない学生がクラスの半分以上だったため、話をすると中高の間に活字だけの本を1冊も読んでいないという学生が10名以上いた。

・都内の中学で、朝「読書の時間」というのを設けているが、本当に「読めない」のではなく「読まない」学生というのは多い。強制するスタイルが反感を買っているのかもしれないが、三年間一度も本をひらかなかった生徒が何人もいる。

・間接話法が読めない学生が増えた。たとえば「ドラえもんが、のび太くんキミは本当にダメだなぁと言っていたよ」という文章が出てくると、主語がドラえもんなのかのび太なのかキミなのか分からなくて混乱する。中学の国語の時間にこれで問題を出すと、クラスの半分くらいが間違える。

他人から聞いた話については嘘かホントかわからないのですが、ぶっちゃけどれも「えぇ……」となるような内容じゃないかと思います。あるいはこんなもの生ぬるくて、もっと酷い話をご存じの方もおられるやもしれませんが。

これが最近の学生に特有のことなのか、あるいは目立たなかっただけで昔からこんなものだったのか、そのあたりのことはわかりません。自分の狭い経験や適当な印象で話をして良いことだとも思わないので控えますけれど、文章を読む、という経験をあまりしないまま成長する学生が少なからずおり、しかも大学へ入れてしまうというのは、個人的には驚くべき事態という感じがします。

読書をしている人が偉いとか偉くないとか、そういう議論にはあまりしたくないのですが、少なくとも「読む」ことからさまざまな情報をひきだしたり、書かれてあることからものごとをイメージしたり、ということの内容が、そうとう異質なものになってきている印象は拭えません。たぶん、コミュニケーションのありかたとかも、そうとうの違いがあるんだろうと思われます。

こういうのって、「本を読まんのはけしからん」とか「本を読むようにしよう」とか言ったところでどうこうなる話でもないので、何をどうすることもできません。ただ、文化ってどうなっていくのかなと若干微妙な気持ちもします。まあ、それはそれで新しい文化が生まれてくるものなのかもしれませんが。

機会があれば、このあたりのことについてはもう少し詳しく書こうかなと思っています。 
《自己紹介》

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