よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2015年01月

『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』リメイクに寄せて。

昨年末のコミックマーケット(C87)において、『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』のリメイクが発表されました。

 ▼『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』 (ティザーサイト)

yuno


 ▼『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』が18年の時を経てMAGES.より発売決定! (電撃オンライン)

 MAGES.のゲームブランド・5pb.は、1996年にエルフより発売されたPC-9801向け美少女ゲーム『この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO』のリメイクを発表。合わせてティザーサイトを公開した。

 本作は12月28日~30日で開催されている“コミックマーケット87”の5pb.ブースにてイメージビジュアルのみ公開されていたタイトル。プロデューサーは浅田誠氏、キャラクターデザインは凪良氏が担当する。

また、電撃オンラインさんではこれに際し、プロデューサーである浅田氏のインタビューを掲載。こちらには、これまで『YU-NO』のリメイクがほとんど出なかった事情や、今回elfからではなくMAGES.(5pb.)から出ることになった経緯など、興味深い内容が記されています。

 ▼『YU-NO』が約18年の時を経て復活! 浅田プロデューサーが語る「なぜ今出るのか、なぜ今まで出なかったのか」 (電撃オンライン)

その後、エルフの版権を管理している方にお話を伺って、最初はやはり許諾という形で作って、監修をお願いするという話をしていたのですが、エルフさん側にも『YU-NO』がわかる方がいないというのがネックになっていました。下手に内容を触ってしまって、当時のファンに反感をくらってしまわないかというのを気にされていて、どういう形でやれるのがベストなのかを何度もお話させてもらいました。そこで出た結論の1つが「許諾ではなくて版権の譲渡」ということでした。

すでに過去のゲームかなと思いきや案外話題性はあったようで、発表直後はあちこちでこの話題を目にしました。ただし、反応は好意的なものと批判的なものが半々くらい。リアルの知人友人関係、あるいはTwitterのタイムラインなどを見ても、まさに「賛否両論」という印象です。

賛否の表明があまり意味があるとは思いませんが、一応私の立場を先に言ってしまうと、私はいかなるかたちであれリメイクが出る、ということには賛成です。

理由はいくつかあります。主だったものを2つほど挙げると、まずきわめて有名な作品であるにもかかわらず原作が余りにも古すぎてプレイできない(あるいはやる気が起きない)という人が多いため、「出す」ということ自体に一定の意味があると思うから。

特に、古参のエロゲーマーや評論系エロゲーマーにはことあるごとに『YU-NO』を聖典として掲げる人が一定数おり、そうした人たちと若いエロゲーマーとのジェネレーション・ギャップを埋める――もっと過激なことを言えばそういった「物知り」たちの既得権益を剥奪するのに一役買うこともあるでしょう。

もっとも、今度は両方をやってしっかり比較する人の発言というのが重みを帯びてくるだけかもしれませんが……。

もう1つは、いまの内容とややバッティングするように思われるかもしれませんが、オリジナル(PC版とサターン版ありますが、その辺は一応無視して)の『YU-NO』の価値や意味に影響を与えないと思われるからです。

たとえばこれが、同じスタッフが揃って作った「続編」だったり、「リニューアル」だったりすれば、私はもっと複雑な思いを抱いたでしょう。しかしながら、(それが不可能という事情もあり)今回のリメイクは完全な第三者の手によってなされるものですから、原作の『YU-NO』とはひとまず違うものと考えることができます。

だから、どれだけズッコケてもファンにとって本当に許されざる被害を与えることはほとんどないでしょうし、成功したら成功したで見返りは大きいと思う。そういう意味で、まあ商業的にうまくいくかはおいといて、試みとしては面白いと思っています。

付け加えることがあるとするならば、願わくは真摯な敬意と情熱を傾けて取り組んでもらいたい、そしてその実態はインタビューなどで作品について語ることではなく製品のクオリティーとして表現してもらいたい、というくらいですね。

ただ、今回の件に限らずずっと思っていたのは、エロゲーを「残す」ことの難しさです。

たとえば『源氏物語』。訳本がいっぱいあります。そして大筋は一緒でも、訳者によって解釈や雰囲気が異なっている。現代語訳のみならず古文の原典だと思っているものも、実は写本をもとに後代に整理編集されたもので、ある種のリメイクだったりします(底本なになに、とかいうやつ)。その意味で私たちは、『源氏物語』のリメイク版を読んでいることが多い。

しかし「本」であれば、それこそ平安時代のものでも平気で残っており、私たちは望めばいつでも「原典」(あるいはそれに近いとされているもの)にあたることができます。これは、よくよく考えると非常に凄いしありがたいことですよね。

これに対してエロゲー(あるいはコンシューマゲームやPCゲーム全般も含めて)は、黎明期――ほんの2、30年前のものでもなかなか手に入らない。それは生産数が少ないとか管理されていないというのもさることながら、プレイ環境の変更(フロッピーからDVD)や、OSの変更(MS-DOS、Windowsの各バージョン等)、保存メディアの劣化によるデータ消去といった外的な要因が大きく影響しているものと思われます。

もちろんこれをもって、エロゲーがきわめて同時代的なものであり、ある特定の時代にプレイ環境を満たしていた人にしか味わうことのできない特別なものだ、と言ってしまっても構わないのですが、それは「文化」という側面(なんか高尚な意味ではなく)を考えると少し寂しい気もします。

作品というものが生み出されるとき、ほとんどがそうだと思うのですが、大なり小なり常にそれ以前に存在する作品を意識して創られるはずです。だから、そのジャンルにおける蓄積の「量」は、そのままその後の時代の「質」に転化される部分があるのではないでしょうか。単純に、20年前の作品で凄い面白くて画期的だったけど不幸にして日の目を見ずにくすぶっていた作品が「発掘」される――なんて可能性エロゲーではほとんどないし、それどころか「凄い面白い」と少数の人が言っている作品のプレイすらできなかったりするのですから。

そうであるならば、蓄積を参照しづらいエロゲーの体制というのは、単純に損をしているしそのことが他の創作物に較べて活きてこない、発展に貢献できていない部分ってあると思う。今は技術的にもいろいろな選択肢が増えてきたし、真面目に考えてみても良いのかもしれません。

というわけで、『YU-NO』のリメイク、大いに結構ではあるのですが、同時に旧バージョンをそのまま(できればPCで!)プレイできる環境も整えて貰えれば最高なんだけどなぁ。

大学の講義にはマジメに出るべきか? という話

発端はこの2つのツイート。



 

 
「〇〇の授業、カモったった」と得意げにtweetする学生を見かける。しかし、カモられている先生当人は、半ば「確信犯」的に単位認定を甘くしている。それに対して、学生は、大学ビジネスから、バイト先から自分がカモにされていることを殆ど気づいていない。学生の方がより哀れな存在だと思う。もっと言えば、大学で批判的に物事を捉える訓練を経なければ、自分の頭で思考し、自分の意見をしっかる述べる訓練を経なければ、その学生は生涯にわたって、政府から、企業から、メディアから、より賢い人から、ずっとカモられ続けることになりかねない。それでも貴方は授業を「カモ」りたいのか?

良識ある教育人の立場を前提にすると、非常に妥当な発言であるという感想です。しかし、発言した学生の立場からすると、授業をカモったというのは合理性、能率性の自慢なのではないでしょうか。彼らにとって大学の講義などというものにはほとんど意味がないし、授業料は言ってみれば「大卒」という資格を手に入れるために支払っている。それならば、肩書きを効率よく手に入れているという「得意げ」な態度に対して、お前たちのほうが大学ビジネスからカモにされているのだという「返し」は、おそらく皮肉にもならないのだろうと思います。彼らにとって大学の講義というのは、自動車教習所の必要講習程度の意味しかないのでしょうから。

そうなると問題は、大学で何が学べるのか、その学んだことに意味があるのか、それを実感できるのか、という話になってくるとは思うのですが、これがなかなか難しい。

大学――に限らず、本来は高等教育一般と言ったほうが良いのかもしれませんが、さしあたっては大学――で何を学ぶか、何を学べるか、ということはつとに話題になっていますし、別に決まった答えがある話でもないでしょう。ただ、私も高等教育をうけ、現在も隅っこのほうで教育産業に関わっている人間として、少し思うところを書いてみようと思います。

議論を活性化させることを企図するならば、ここで非常に偏った、断定的な意見をぶちあげて(たとえば、「大学で学ぶことに意味なんてない!」とか、「大学を無価値だと思っている奴は首吊って死ね!」とか)煽り上等の極論を展開するほうが面白いのかもしれませんが、このブログの性質的にも私の性格的にも難しいので、まあどっちつかずの話になるのはご容赦ください。また、本人が教育系の産業に縁が深い立場にいるため、いささか大学に夢見過ぎだろ、という感じもあるとは思いますとお断りだけしておこう。

さて、一般論として大学に入った時点で、おおまかな専門は決まっていても細かい専門は決まっていない人は結構いると思います。医学部とかですら、内科か外科か、みたいなところが未定ということがありますし、文系なんかだとなおさらですよね。

そうなるとゼミに所属しながら専門の研究室を選んでいくのが1つの代表的なパターンになりますが、残念ながら大学で取得すべき単位には専門のものだけでなく、いわゆる教養科目という、「最低限この大学を出るからにはこのくらいの知識と技術は身につけましょうね」みたいなものがあります。これは、自分の専門を決定するうえで参考になる場合もありますし、またその場で役に立たないと思っても専門に入った後非常に重宝するものもあります(たとえば史学でくずし字を読む授業とか、なんの役に立つのかと思っていたら専門でめちゃくちゃ重宝しました)。

しかし現実問題として、半分か下手をすればそれ以上の講義は特に役にも立たない、というものがあります。もちろんそれが事前に分かるわけではないのですが、ある程度のリスクを承知のうえで「手を抜く」ということは、決して悪くない。中学生や高校生じゃないのですから、大学側がやれといっているからといって全部を真面目にやらねばならぬというのは、単なる思考停止でしょう。自己責任において取捨選択するということは、必要ですらあると思っています。

その一方で、大学の講義をすべて「無意味」とか「無駄」として切り捨てることもできないと私は考えています。これは私が恩師から言われたことばであり、かつまた実体験に即した話でもあるのですが、大学というのは学ぶつもりになれば何でも学ぶことができるかわりに、なにもしないでおこうとおもえば本当になにもしないで過ごすこともできる。それだけ自由があるということであり、また自主性が求められるということでもあります。もちろんここでの「学ぶ」とは、単に学問だけではなく遊びや恋も含めたさまざまな人生経験のことを意味しているのですが、今回のお話は大学の講義についてなので、問題を単純化するためいったんそこに絞ります。

実際、よほど「ヤバイ」大学でなければ図書館をはじめとしたそれなりの施設を利用することができますし、また教授陣には実力のある人が数の大小はあれ揃っています。自分の専門と違っても講義をとって質問に行くことは可能だし、私の友人ではそうやってまったく違う学部を卒業しながら、大学院から懇意の教授の下に行った人が相当数いました。留学制度を使ったり単位交換制度を利用して他大学の講義を受けに行ったりということもできると思います。大学というのは、そうとう選択肢が広い。

学問的なことでないならインカレサークルで交流範囲を広げたり、大学生の肩書きを利用していろいろなバイトをしたり……ということもありますが、まあ今回は講義を「カモ」るかどうかという話なので、そっちのほうは置いておきましょう。

ともかく、必要としている知識や技術があればほぼ何でも自在に引き出すことができるのが大学という「施設」です。 一部の講義を「カモ」っているならともかくとして、大学の講義全体を無意味・無価値と公言して低く見ている人というのは、私的な意見を言わせてもらえば、大学の利用方法をまったく分かっていないか、もしくはやりたいことがサッパリ決まっていないせいで必要としている知識や技術がないかのどちらかです。

そして、これまた個人的な見解ではありますが、大学で身に付ける基本的な知識や技術というものが、社会生活において全く不要だったり意味がなかったりするかというと、その可能性は薄いと思うのです。

一部の大学では「日本語表現」のような基本的な日本語の書き方(たとえば履歴書や手紙等)についての講義もあるようですし、もうちょっとハイレベルなところで言えば、税金のことやら著作権のことは大学で聞けばすぐ身につく知識です。技術面では、資料検索方法だったり、エビデンスの信頼性判断だったり、意見をなるべく正確に伝える書き方だったりというのが挙げられるでしょうか。これらは論文を読み、書くうえで重要になってきますからね。

そして、この手の話ってたとえばTwitterで毎日のように問題になっていたりしません?

そのツイートがデマなのかとか、まとめサイトに騙されたとか、議論をしていたはずが噛み合わない話になっていたとか。そういう問題を「何とかする」ために必要な基本技術って、大学できちんと学べば手に入る類のものだと思うんですよね。もちろん大学じゃなくても身につけられるけど、折角金払って行ってるわけだし、プロフェッショナルが教えてくれるわけですから、そういう良質な環境をわざわざ拒絶する必要もあまりないだろうと。

ですからまあ結論としては、大学で学ぶ上で重要なのは、安易に「無意味」というレッテルを貼って斜めから大学を見ることでもなければ、盲目的に「大学バンザイ」となって講義をすべて全力で受けることでもなく、自分が何を必要としているのか、そのためにどうすればいいか、そして大学の個別の講義からは何を身につけることができるのかを精査・判別することでしょうか。

もちろん、その方法自体がそもそもわからないということもありえますが、だとすればそれを大学で身に付けることもまた可能だと思うのです。 

路上喫煙に関するルールと対処

本日の午後、万世橋のあたりを歩いているとこんな光景を見かけました。

rojyokituen

見えるでしょうか。黒のジャケットの男性、右手にタバコを持っています。いわゆる、「歩きタバコ」というやつ。以前からちらほら見かける光景ではありましたが、今回は正面から小さい子どもが歩いてきています。このまま接近すると危険かもしれない。

千代田区には路上に、「路上喫煙禁止」の看板があちこちに掲げてあることもあって、よほど注意しようかなと思いました。しかし、いわゆる自治体の「推奨マナー」であれば単なる努力義務であり、それを一般人が行政の代弁者のように振る舞っては、単なるエゴの押し付けにしかなりません。……いや、それも言い訳ですね。もちろんいま述べた事情もありますが、もう少し本音を言うと、ちょっとこわそうなお兄さんにわざわざ絡んで注意するのが面倒だったというのが大きいです。

ただ、その後注意深く路上喫煙禁止の看板などを見ていると、どうも「2000円以上の罰金」という文字が飛び込んできます。あれ? 罰則ついてるということは刑事罰なのかな? ということは、一般人が注意して構わないの? ということで、その場でスマホをいじいじして調査。


 ▼「歩きタバコは「犯罪」ではない?警察官が、路上喫煙を取り締まらない理由」(東京都議会議員 おときた駿)

警察官が歩きタバコを捕まえたり、罰金を払わせることはできません。
(警察官によっては注意してくれますが、厳密には彼らの業務対象外)

確かに東京都内には地方自治体の条例によって、歩きタバコに罰金刑を設定しているところもあります。しかしこれは「過料」という行政罰であり、刑事罰ではない=犯罪ではないのです

行政罰である「過料」を取り締まったり徴税するのは行政職員の役割であり、警察権力がこれにどうこうすることは基本的にはありません。刑事罰ではないので、実は強制力もそれほどなかったりします。

(中略)

日本一厳しく歩きタバコを取り締まっている千代田区では、専門職員を配備して一定の徴収成果を上げているそうですが、そのための人件費コストが徴収料以上に膨らんだり、支払い滞納への対応が追い付かない等の課題が指摘されています。

とはいえ、なんでもかんでも刑事罰を適用すれば監視社会へと一直線ですし、このバランスは本当に難しいものです。 
というわけで、どうやら刑事罰の範囲ではなく民事の「過料」という行政罰の模様。刑事罰の罰金はスルーするとまさに警察のご厄介になりますが、こういう民事系の罰金は強制執行がせいぜいです。ここにも書かれていますが税金の滞納とかと同じですから、一般人である私たちはモラルの面から批判することがせいぜいで、おまわりさん呼んできてもしょうがない、という話。

ただ、逆に言えば税金の滞納レベルと同レベルで行政的に処罰の対象となるのですから、一般人である私たちが「注意」をすることの正当性くらいは確保してくれそうでもあります。

ついでに、私がその時いた千代田区(ぶっちゃけ秋葉原です)は、日本一歩きタバコを取り締まっているのだそうで……。ホンマかいなと思って更に検索をかけてみますと、Wikipediaにこんな記載が。 


 ▼「路上喫煙禁止条例」(Wikipedia)

路上喫煙禁止条例は、「路上での喫煙を規制」する条文、または「歩行中の喫煙を規制」する条文が含まれた条例の総称である。事例によって「環境条例」や「歩行喫煙禁止条例」など様々な名称の条例が含まれる。
 
東京都千代田区が、安全で快適な千代田区の生活環境の整備に関する条例を2002年(平成14年)に制定し、かつ当該行為の取締を実施した。強制力のない努力義務としての条例はそれまでにもあったが、『成人の良心やモラルを信頼』する前提の条例でしかないため、それにも限度が出てきた。

千代田区の条例制定を皮切りに、他の自治体でも類似の条例を制定するもしくは条例内に罰金や過料がない、禁止または努力義務を組み込んだ条例を制定する動きが広まった。千代田区の場合は過料として2,000円(条例による上限は2万円)を徴収している。吸いがらや空き缶の散乱を防止する環境条例と関連づけて制定される自治体も多い。 

日本ではじめて強制力のある条例を実施したのが千代田区だったんですか……知らんかった。ということは、千代田区内で歩きタバコしてるヤツには堂々と注意して良いってことだな! と思いまして歩いていると、駅前の大交差点(セガのゲーセンのところ)のガードレール前でタバコを吸っているおっさんを発見!

おいおい、こんな人混みで、と思い「ちょっとすいません」と声をかけたら、何とびっくり、中国語? で返事が返ってきてしまいました(ノ∀`)。どうしようかパニくりかけましたが、そこはさすが秋葉原電気街。ガードレールに提げてある路上喫煙禁止の看板に、中国語が併記されていました。

た、助かった……と一安心。そのポスターを指さしてタバコ、ダメ的な身振り手振りをするとどうも分かってもらえたらしく、タバコを消してくれました。ただし、路上にポイでしたが。携帯灰皿とかはもっていないのね。

私は喫煙者ではないけれど、別にタバコを吸うのは個人の自由だと思っていますし家族友人に喫煙者が多いのでそこまで偏見もないつもりです。歩きタバコに関しても、個人的に「嫌だな」とは思うものの、特に規制のない地域であればそれは個人の「好み」か、せいぜいが推奨マナー程度のものであって、それを押し付けようとするのは「嫌煙厨」ということばもあるように、いささか行き過ぎた態度であると思っています。

しかしながら、路上喫煙の問題点というのはつとに指摘されている通りですからあまり望ましいことではありませんし(参考:【閲覧注意】歩きタバコが予想以上に害悪だった…)、今回の千代田区のようにきちんとした条例が設定されているところなら尚のこと、歩きタバコは明確に(マナーではなく)ルール違反です。しかし、本日だけで2件を見かけたことからも分かる通り、喫煙者の方にはその辺のルールを把握していない、路上喫煙禁止の看板もどうやら目にはいらない方が時折いる。ぶっちゃけ海外の方はどうしょうもなかった気もしますが、そうでない場合おそらく、喫煙行為がひろく規制の対象になりつつあるという自覚に欠けているのではないかと想像します。そしてそういう態度のせいで、よけいに規制が広がっているのではないかという気がしないでもありません。

ヘビースモーカーである私の友人に言わせれば、彼にとっては嫌煙家よりもルールを守らない喫煙者のほうが迷惑だそうですが、それもむべなるかな、といった感じがします。近年、タバコを吸うことに対する風当たりは非常に強く、タバコの増税なども含めて喫煙者には暮らしにくい環境になってきているようですし、その辺の意識をしっかり持つほうが喫煙者にとっても結果的にプラスになるのかもしれません。まあ余計なお世話でしょうか。

加えて、路上喫煙禁止条例のある自治体では、どうやら刑事罰の対象ではないにせよ路上喫煙をしている人に「声をかけて注意をうながす」くらいのことをするのは許されそうです。なので、路上喫煙者を見かけた際には喧嘩にならない程度に声をかけていくのも良いのかもしれません。

喫煙者の方はまた違った感想をや主張を持たれるかもしれませんが、タバコを吸わない人間としてはそんな風に思っています。

『Reloaded Carmine』が本当に「有料体験版」だった話

昨日秋葉原をふらふらしていたら、お友達とお会いしました。そのときに彼から、「OYOYOさん、『RE:LOADED CARMINE』出てたのご存じですか?」との質問が。

知らなかったのでその旨伝えると、どうも彼がさっきメロンに寄ったら置いてあったんだけど、公式でも他のサイトでも発売されたという情報がないのだ、ということを教えてくれました。

 ▼「RE:LOADED CARMINE」(七譜詩)

nanahusi01

こちらのサイトトップ画像を見て頂ければおわかりかと思いますが、9月3日が土曜日となっているように、2011年頃から更新がストップしています。そんなソフトが発売されたなら、もっと話題になってもおかしくないと思うのですが……。

真偽の程を確認するために、早速メロンブックスへ。すると、何やらとんでもない情報が目に飛び込んできました。

nanahusi06
一般的なフルプライスエロゲーのようなでかい箱である。

……2000円のソフトなのに、メロンポイントが1500ポイント! わぁい! メロン1500ポイントといえば、30,000円ぶんのポイントです。これは、騙してでも買わせたいどんなことをしてでも絶対売りたいというショップさんの気概が伝わってきますね!!!


……嫌な予感しかしない。


ただ、パッケージを見るとフツーのゲームという感じがします。ソフ倫・メディ倫のシールが貼っていないし、同人ゲームの棚にあるので同人扱いなのでしょうか……。あと、発売日とかも書かれていません。どういうこっちゃ。

スタッフが夜逃げでもして流通さんが残っていたデータだけ詰め込んで売ることにしたのか、資金繰りに困って未完成だけど発売したのか……。2人でうんうんうなりながらあれこれ可能性を検討したものの、「ヤバイ」ということ以外は正直あんまりよくわかりません。

でも2000円ならポイントも貰えてグッズと交換できるしまあいいか、ということで、ワタクシ決断をいたしまして、箱を抱えて勇躍レジへ向かいました。気分は死地へ赴く戦士の気分です。脳内BGMは、ワルキューレの奇行……じゃなくて騎行。

レジでは、なんか30,000円ぶんの支払いをしたことでポイント処理をされたあと、ふつうに2160円をお支払い。そのまま帰ってきて開封。インストールしようとディスクを挿入したのですが……。なぜかインストーラーが立ち上がりません。

おいおい、オートランなしかよ。まあでもこの程度なら想定内だNE! と思ってフォルダをクリックして……我が目を疑いました。

nanahusi03

あっれ、ファイルこんだけ? しかもこれインストーラーとかじゃなくて直接起動するっぽいんですけど……? 思わずフォルダの容量を確かめると……。

nanahusi04

100Mしかありません。冷や汗がダラダラ流れます。何度目をこすっても、目の前の数字は変わらない。

実を言えば、私は過去、何度かこういうタイプのゲームファイルを見たことがありました。

そう、体 験 版 というやつです。

ちょっと現実を見ていられなくなってディスプレイから目をそらすと、ぽいっと放り出したパッケージの裏が目に入ります。そして、嗚呼、なんということでしょう。あんまりちゃんと見ていなかったパッケージ裏に、私はとんでもない文字を発見してしまったのです。

nanahusi07
パッケ裏。

リローデッドカーマインシリーズの一部を先行にてリリース

これ、買うときは特に深く考えもせず、「ああ、『RE:LOADED CARMINE』ってのはシリーズでこの後何作も続くんだな」とか思っていました。「一部」に多少の不自然さは感じつつも、『Tiny Dungeon』みたいな分割販売をするのかな、くらいのイメージだったのですが、これは現実を見たほうが良さそうです。

いったんお手洗いに行き、顔を洗い、水を飲み、心を落ち着けてPCの前へ。

こ、こういう時はあれです。readme.txtです。「私を読んで!」と向こうから待ってくれてるんですから、ちょっと見てみましょう。すると……。

◇reloaded carmine01 先行エピソード版をお買い上げ頂きありがとうございます。

◇動作環境
 OS:WindowsVista/7/8 日本語版
 CPU:Intel Pentium 4 1GHz以上
 メモリ:256MB以上必須 / 512MB以上推奨
 グラフィック:ハイカラー以上必須
 音源:DirectSound対応のPCM音源必須
 その他:2倍速以上・2層対応のDVD-ROMドライブ
      DirectX9.0c以降

◇インストール
 DVD内収録のreloaded carmineフォルダ一式をハードディスク等のお好きな場所に置いて下さ
い。

OH MY GOD! これアカンやつや……。なんやねん先行エピソード版って。もう確定じゃないですか。

手の震えを抑えながら、「nscr.exe」というファイルをダブルクリックいたしました。すると……。

nanahusi02

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

キタキタキタキタ━━━(゚∀゚≡(゚∀゚≡゚∀゚)≡゚∀゚)━━━━!!

キタ━━━━━━(Д゚(○=(゚∀゚)=○)Д゚)━━━━━━━!!

キ━━━(;´Д`);´Д`);´Д`);´Д`);´Д`)━━━━テナイ!!!

いやもう、どう見ても体験版です。本当にありがとうございました。

ちなみに、ここから語ることはもうほとんどありません。

なにせ、各エピソードは5分もかからず終了するのですから。あ、音声なしです。いろいろ終わってる感じですね。相当深刻なレベルで。

よく、できのわるい作品・不具合が頻発する作品を揶揄して「有料体験版」 などということがありますが、これからはその呼称はぜひ、取り下げて頂きたい。なんせ、2000円で「先行エピソード」を販売したソフトがここに存在するのですから……。

世界よ、これが本当の有料体験版だ!

というわけで、謎はすべて解けました。まあネタとメロンポイントに飢えてる人以外は買わなくていいんじゃないかと思います。あ、ちなみにこれ、有名な話だったりするんでしょうか? だとしたら勝手に盛り上がっちゃって恥ずかしい限りなので、スルーしといてください。

一応真面目な話を最後にしておくと、どういう事情か正確にはわかりませんが、実際問題開発資金が尽きたとかじゃないかと思うんですよね~これ。なので、製品をプレイしたいと思っておられる方は買って応援というのもありえるのかもしれません。

あと、実際購入した立場から言わせていただくと、今後製品が出る見込みがあるのか、あるいは単に借金の穴埋めで出るはずのない作品の「つぎはぎ」を無理やり販売しているのかというのは、できれば明らかにしてほしい。「先行エピソード」ということは次が出るはずなので、出ないならまぁ半ば詐欺ですよね。

中身はDVDだったので、店頭配布用の体験版CDが使い道ないから売りに出したとかではなさそうだけど、箱の印刷代とか輸送費もかかるだろうにこういうパッケージで出したのはどういう事情なのか……。

いまはクラウドファウンディングとかのやり方も出てきているし、ある程度状況を明らかにして期待しているユーザーの援助を乞う、というのもアリではないでしょうか。それで全然ダメなようなら、まあそれまでだったということで。

肩書きにとらわれないということ

先日、仕事先に研修という名前で大学生が何人か来ました。この時期にかよ、と思わないでもなかったんだけど、なんか色々あったらしくてとりあえず私の近隣にも3人来ることになった。で、滅多に顔を見ない大先生(と呼ばれている上司)が書類もってやってきて、彼らを紹介してくれたのですが……。

 「○○くんは、~~大学出身(本当は在籍)だ。凄いだろう!」
 「☓☓くんは、~~大学だね」
 「△△くんは、~~大学だ」 

紹介が大学名だけやん。

まあ詳しくは書類見て、あとは本人が来てから自己紹介させろってことなのかもしれませんが、それなら大学だけ言っていくのはどうよって話ですし。

結論からいえば、その「大先生」は割りと学歴至上主義的なところがあって、常日頃から、自分の講演(市民講座みたいなのの講師をしている)に何大生が来て感心していっただの、自分の本(出版とかもしてる)はあの大学の教授の本より売れてるだのということを喧伝しているのです。

んでまあ、台風が去ったあと私たちは、「あれはどうなんだろうね……」みたいな話をしていたのですが、その中で「学歴なんて関係無いし、学歴にこだわってるヤツがクソ」とか「学歴にこだわるヤツほど実は低学歴が多い」とか、そういう話が出ました。

で、それを聞きながら、そういう意見もまた学歴にとらわれてるんじゃないかなーと思った。

もう10年以上前になりますが数学者・秋山仁氏がうちの高校に講演にきたとき、どこの大学を出たかというのはどこの幼稚園を出たかと同じくらいの意味しかない、ということを言っていました。それ聞いてそんなもんかねと半信半疑だったんですが、実際今になると私自身もまた学歴主義はクソ食らえだと思う。ただ、いわゆる高学歴の人が受験勉強のような能率性を求められる作業に対する能力がそれなりにある、ということは言えそうです。要するに、ある一定の能力のバロメーターにはなる。また、社会的にある程度利用価値があるというのも事実だろうとは思うわけです。

そもそも学歴――もっと一般的な言い方をすれば肩書き――にとらわれないというのは、相手の中身をよく見もせずにレッテルを貼らない、というところにポイントがあるはずです。しかし「肩書きにこだわるのがクソ」みたいな言い方は、方向が逆なだけで、やはり単純なレッテル貼りをしているという点では同じです。肩書き主義と正面から戦うなら、レッテルを貼らずにその人の内容と向き合う、という立場になるんじゃないでしょうか。

加えて、これは考え方の問題としてですが、「私にとって」肩書きに大した意味がないということと「他人(あるいは社会)において」肩書きに意味があるかないかということとは、いったん分けて考えたほうが良いようにも思われます。

少し話がとびますが、私の観測範囲では、肩書きにとらわれない人というのは2パターンあって、まるっきり肩書きに興味がないから無視している人と、肩書きについて一定の理解はあるけれどデメリットの部分を熟知し排除しようとしている人です。「か、肩書きなんて関係ないんだからねッ!」と声高に叫んでいる人というのは、実はツンデレさんで、肩書きに興味津々(たとえば、肩書きの立派な人をそれだけで嫌ったりする)の場合が多い気がします。

で、まるっきり興味なしの人というのはなんとなくどこか危うい。たとえばの話、どっかの国の王様がある日突然思いつきで、これまでの慣例を全てなしにして「家柄ではなく能力で国政担当者を選びます」と言い出したらどう思うか。たしかに肩書きを気にせずやってるんですが、おそらく、もの凄い反発や混乱が国内で発生するでしょう。

いやいや、三国志の曹操みたいに「唯才挙是」(唯才のみ是を挙げよ)を掲げてうまくいった人もいるではないか、と言われそうですが、彼は当時の権威的基礎教養だった儒教の利点と問題点を熟知し、自分が「唯才」を打ち出したらどういう反発が来るかというところを読みきってああいう政策を実施しました。つまり曹操は、既存の肩書きの「破壊者」であると同時に「理解者」でもあった。決して、「関心ないのでどうでもいいです」というタイプではなかったのです。

話を戻すと、自分にとって意味がないと思っても、他人や社会から見ればどうかということはわかりません。肩書きに「とらわれない」に、無視する在り方と深く理解したうえで排除する在り方があるのだとすれば、私は後者のほうが良いように思います。

かつて大学時代に所属する学部がシンポジウムをひらいたとき、どう考えてもこいつ呼ぶ意味ないだろみたいな、マスコミには顔が売れているけど研究者としては評価されてない人をパネリストとして呼んだことがありました。なんであんなの呼ぶのか……と思っていたら、指導教員はしれっと「まあ、客寄せパンダだね」と答えてくれました。不純だとか不誠実だと非難することもできるでしょうが、個人的にはじゅうぶんアリ。ああいうのが、上手いバランスで肩書きにとらわれない在り方かなぁ。

コンプレックスがどうこうみたいな精神分析学的な難しい話もありますが、私としては何かの呪縛からいい意味で解き放たれるためには、その呪縛についてしっかりと理解することが1番効果的ではないかなと思っています。

『大図書館の羊飼い-Library Party-』の話

PSVitaソフト『大図書館の羊飼い-Library Party-』がマスターアップしていました。

 ▼公式サイト:大図書館の羊飼い-Library Party-

Vitaちゃんを持っていないので買おうか買わないか考え中なのですが、買うなら予約してショップ特典キープしたいんですよね(ショップ特典)。個人的に気になってるのは、AnimateさんのB2布ポスター。絵柄行ってみましょう、はい、ドン。

daitokailib
どーん

マーベラスです。すばらしい。

鈴木さんエロいです。天保山バンザイですよ。浪漫の塊。ロマンキャンセル。ネオ・ウイングさんのポーチも気になるんですが、ちょっとサイズが使いづらそうかな……?

Vitaも一緒に買うとなると結構な出費になりそうだしなぁ。ゲームソフトだけ買っても良いんですけどやらないゲームを買うのも何やら勿体ない気がするので。ただでさえエロゲーも溜まってるのに!

明日17日には、秋葉原で体験版プレイイベント(これ)もあるみたいなので、ちょっとそれに立ち寄ってどうするかを決めようと思います。

daitokailib02

体験版レビュー:『シルヴァリオ ヴェンデッタ』

めずらしく、本日2つ目の更新。

lightさんから2015年2月に発売予定の『シルヴァリオ ヴェンデッタ』。体験版レビューキャンペーンなるものを実施していたので、流れに乗る感じで体験版プレイしてみました。ってか締切今日までっての忘れてたんですよ! あぶないあぶない……。なお、今回プレイしたのは体験版1のほう。体験版Ver2は1月16日解禁の模様。Hシーンなかったけど2のほうには搭載されるのでしょうか。楽しみです。

『シルヴァリオ ヴェンデッタ』応援中!

【タイトル】 シルヴァリオ ヴェンデッタ
【種類】 Windows用ゲームソフト(18歳未満購入禁止 )
【発売日】 2015年2月27日予定
【価格】 8,800円(税抜)
【原画】 KeG / 夕薙
【シナリオ】 高濱亮 / 昏式龍也 / 無義歩
【音楽】 樋口秀樹 / 押上極

 ▼体験版感想キャンペーン (※リンク先18禁)




▼プレイ時間
設定いじったりショートカットいじったりしながら読みましたが、1時間半ほどでした。ゆっくりやっても2時間かからないと思います。

▼コンフィグ・システム類
体験版ということで基本的なところから。メッセージスキップ、セーブへのコメント挿入、ショートカット等々、最低限はかるがるクリアしてかなり行き届いた感じです。個人的に気になる部分はほとんど問題なし。また、地味ですがバックログ画面が好印象です。バックログでもルビが消えませんし、背景もゲーム画面透過とかではなく、雰囲気づくりができているので。

ただ、ウィンドウサイズが固定っぽく変更できないのはちょっと残念でした。私が見落としているだけかもしれませんが。

※追記 外部のmaliecfg.exeからサイズ変更できるということを教えていただきました。やはり、私が見落としているだけだったようです。誤ったことを書いてしまい申し訳ありません。おしえてくださったじゃこさん、ありがとうございました。

▼感想
さて、軽く感想など。

『Vermilion』ライン……と言って良いのかわかりませんが、lightの第二バトルラインの4作目。現在lightさんは、『Dies irae』ライン、『Vermilion』ライン、Sweet lightラインという、だいたい3ラインで動いているように見えます。本家lightに「中ニバトルもの」が集中しており、ここ2、3年ですっかりバトルもののブランドというイメージが定着してきた感。秋葉原を歩いていても、大通りに面したとらのあな店頭のでかいポスターも、lightといえばバトルもの! みたいなウリ文句になっていました。

んで今回の『シルヴァリオ ヴェンデッタ』、15周年記念として製作された第一弾で、シナリオ昏式龍也さんは今までどおりですが、原画から泉まひるさんがはずれ、夕薙さんとKeGさんのダブル原画になっています。まひるさん、また学園ものとか描いてくれないかな……。

それはさておき。

体験版範囲では非常に期待できるな、という印象でした。凄い魅力的。

ストーリーはOHPで3ページにわたって書いてあるので、まあそっちを見てください。今回の体験版範囲はキャラの紹介と「思わせぶり」な導入で終わっています。長さ的にも、個別のキャラや事件についてつっこんだ感想を書くのはちょっと難しいです。

ただ、体験版の構成は非常にうまいと思いました。内容の話じゃなくて申し訳ないんですが、過去と現在を巧みに織り交ぜながら、未来(この先の展開)を暗示的にちらつかせるので、物語の続きを読みたくなる。特にゼファーと軍の関係、彼の能力の秘密あたりが明かされることを思うと旨が高鳴ります。

また、ユーザーが期待しかつ「ウリ」となるバトルシーンをがっつり見せつつ、日常も過不足なく混ぜていて、ちょっとやればだいたいの雰囲気がきちんと分かる。主要なキャラを短い期間でざざっと出しながら、それでいて「あ、紹介パートですね。お疲れ様でーす」みたいな説明感が薄く、キャラが登場するたびに少しずつ世界・物語に引き込まれていく感じがしました。必要な情報を効果的に提供しながら、作品のイントロダクションとしての機能も備えた魅力的な構成だと思います。

cg07
迫力あるバトルシーンがめまぐるしく展開される。

おそらく作品冒頭はこの体験版と大差ない内容になるのではないかと思うのですが、これなら「最初1時間で投げた」というようなことにはなりにくそう。

また、演出面も相変わらずキレがあって良いですね。体感ですが画面効果はいつも以上に積極的な感がありました。めまぐるしくキャラの表情が入れ替わり、立ち絵の遠近、1枚絵の挿入、カットイン等の画面効果がバンバン入ります。バトルもの、かくあるべし。目がチカチカするけど。

戦闘シーンはアニメーションなどをガンガン使う演出を取り入れているブランドもあり、静止画とエフェクトでまわすというのに物足りなさを感じる人もいるかもしれませんが、テキストも含めた想像力で楽しむものなので、私はこれでじゅうぶんかなと思っています。

ただ、メッセージ画面はいささか残念。普通のメッセージウインドウ形式と全画面文字が入るノベル形式の併用ですが、個人的には『Vermilion』のようなフキダシスタイルのほうが、フキダシの形なども含めてキャラクターの感情表現が豊かになるので好きなのです。まああれは手間が大変そうだから仕方ないのかもしれませんが……。

音楽は、体験版範囲は神がかってます。まずゲームを起動すると流れてくるケルトっぽい歌が良い。……いや、実際のケルト音楽がどんなもんか全然知らないんで適当言ってます。すみません。ただ、これたぶん樋口さんです。「norn」(『Dear My Friend』でしたっけ)を彷彿とさせる、物悲しくも美しい曲。Youtubeにあがっているムービーとちょっと違う気がしますが気のせいでしょうか。声がちょっと高いような。

総じて作品の雰囲気にあった音楽が、効果的に使われていると感じました。個人的にサウンドは作品の雰囲気づくりに占める割合がもの凄く高いので読み進めるモチベーションがぐっとあがる。ありがたいです。

cg09
コミカルパートにもバッチリ対応。尻を押さえろ!

CVに関しても文句なし。いやホントみなさんハマり役じゃないでしょうか。主人公ゼファーが『Electro Arms』と同じくCV:ルネッサンス山田のせいもあってか、なんとなくデジャブ感があるのはご愛嬌で。ただ、ちょっと「ひとりがたり」が多いのでじゃまに感じる人はいるかもしれません。あと、余りに台詞がクサすぎて恥ずかしくなるかも……。これを「ウッヒョー」と狂喜乱舞しながらニヤニヤしてクリックできるようになると、立派な中二ジャンキーの仲間入りですね。

テキストは今回の範囲たぶん昏式さんだと思うのですが、安定しているし読みやすい。組織名に星座を割り振ってみたり、漢字にオリジナルのふりがなを振ったり横文字で読ませたりという中二の王道的な「格調高い」雰囲気を持ちながらも、読者を置いてけぼりにしないようなテンポ、読みやすさへの配慮があって、いい意味で抑制が効いています。振り落とされた奴は知らん! とばかりに走って行くのではなく、こちらのテンションが上がってくるのを待ってからエンジンをかけてくれる、じわじわ浸透するタイプのテキストです。非常に好み。

もちろん、日常パートも面白い。ミリィちゃんかわいいですわ。年頃のいい香りがしてやべっいかんいかんって感じですよ、ホント(笑)。

「給料前借りしたあげく一夜で溶かして闇金に走るタイプですね」のようにセリフの中に作品内部の生活感を入れながら、各キャラクターの考え方、視点などがしっかり入っているので、掛け合いがいきいきとしています。趣味似非紳士(ロリコンフェミニスト)のようにさらっと混ぜてくるネタも雰囲気を壊すものではないし、これはなんとなくの感覚ですが、キャラによって中二の度合いも少しずつ使い分けられているような繊細さも感じます。

cg03
日常パートではガラリと雰囲気が変わるが、キャラがいきいきと動きまわる様子が伝わってくる。

個人的には、こういう「静」の部分――日常の生活感がしっかり出ているというのがすごくポイント高くて、これがじゅうぶんに描けているからこそ「動」にあたる非日常(戦闘)のかっこよさや激しさが際立つのだと思っています。そしてクライマックスに向かって日常と非日常が重なりあっていく、というダイナミズムが期待できる。

全編このペースならまったく文句ありません。とはいえライターさん3名なので最終的にどんな風になるか。シナリオそのものの出来不出来に加えて、用語の使い方とか人称呼称とか文章全体における漢字の比率とか、そういう細部の雰囲気の積み重ねが重要になってきそう。

グラフィック面は、ご覧のとおりなので全く心配していません。泉まひるさんが今回参加しておられないようでそれは残念ですが、クオリティ面ではかなりハイレベルなのではないでしょうか。私的にも好きな絵柄なので文句なしです。

というわけで、体験版やった感じ「買い」。まあもう予約してるんで検討もクソもないんですが、プレイの優先度はぐいーんと上がりました。2月期待の作品としてカウントしても良いかなと思っています。

テクストの「正しい」解釈という思想について

いきなり本筋とはあまり関係のない話で恐縮ですが、今週の土曜日からセンター試験が始まります。受験生のみなさんは今頃大変な思いをされておられることでしょう。近くて遠い二次元の街から健闘を祈っています。

さて、確か昨年度だか一昨年度だかのセンター国語追試で、田島正樹『正義の哲学』から出題されていたなぁと思いだし、なんとなく読み返していました。今回とりあげるのは、その中で映画『マトリックス』を話題にした部分。『マトリックス』で主人公たちがコンピューターに夢(ヴァーチャルな世界)を見させられているということに気づき、「真実」(リアル)に目覚めた彼らが他の人間も覚醒させようとする、というおおざっぱな紹介のあと、次のように続けられています。

ここで、リアルな世界とヴァーチャルな世界を本当に区別するものがいったい何か、という問題が生じる。コンピュータと闘う人間が、コンピュータにつながって夢を見ている人間と違って現実に触れていると思えるのは、彼らがヴァーチャルな世界をいわば巨大なテクストとみなし、その任意の場所に「外」から侵入することができるからである。彼らの侵入は、テクストを切ったりつないだりする解釈的介入に他ならない。つまり彼らにとって、この日常世界は一つの夢というテクストであり、その意味を支配する魔法にかけられているようなものだ。この魔法は解かれねばならぬもの、少なくとも別の魔法によって別の意味を帯び得るもの、つまりは解釈によってまったく別様の読解も可能なものなのだ。

ここには、テクストの読解、あるいはもっと広い意味で世界の認識というものに関するある立場(合理論的な立場)からの問題がとても分かりやすく描きとられているように私には思われます。

あるテクストがあったとします。「夢」を見ている人というのは、そのテクストに関する自分の解釈が絶対的なものであることを疑っていない人のことです。そして、「真実」に目覚めた人が、その解釈の誤りを指摘する――さしあたりそんな風に読めるでしょう。

しかし、そうすると「真実」に目覚めた人は、どうして自分が見ているものが「真実」だと言えるのでしょうか? その人が見ているものもまた、もう一つの「夢」にすぎない――そんな可能性は考えられないのでしょうか? 『正義の哲学』は、そのことに踏み込んでいきます。

すると、現実の世界への覚醒と見えたものは、結局「この世界」(ヴァーチャルな世界)への解釈的介入がもたらした効果(仮象)に過ぎないと言えるのではないか? つまり、ヴァーチャルな世界を離れて、そこへと覚醒すべき確固とした現実があるわけではないのだ。 …(中略)… コンピュータの夢から覚醒した者も、それがもう一つの夢でないという確証は、それだけでは得られないだろう。

ある「夢」を相対化した。しかし、それを可能にするものもまたもう一つの「夢」でしかない。「真実」はどこにも存在しない。これが「真実」で、あれが「夢」であると断言することはできない。理論的には、どうしてもそうなってしまう。だから、「あらゆる理由は不十分であり、あらゆる推論は決断である」。

この後議論は、じゃあ世界は「真実」を放棄して無秩序な「夢」の中で没交流化していくしかないのかという問いに対し、「決断」そして「信仰」によってそれをクリアしていくしかない、という重要な話になりますが、まあその辺はひとまずおいときます。

私は上記のような考えに結構同意する立場なのですが、ここで肝心なのは相対化の視線を自分にも向けるということでしょう。お前が見ているのは「夢」だが俺が見ているのは「真実」だという主張が必ずしも誤っているとは言えませんが(「真実」である証拠がないのと同時に「真実」でないという証拠もないから)、そう主張することで生じるのはお互いに異なる神を喚び出して戦う、泥沼の宗教戦争です。

そして、この手の宗教戦争に手を染める人というのは存外少なくない。それは実際の宗教の対立だけではなく、たとえば、テクスト解釈では「作者の死」をめぐる現代日本の言説なんかの中にもよく見られます。

ここで言うテクストは主に小説(物語)のことですが、こうした思想が生まれる背景として、「作者の考え」を小説からとりだすのが「正しい」読解であるという考え方がありました。いわゆる作家論的な読みです。しかしそれは、読者の自由な読みを唯一絶対の「正しい」読みによって圧殺するものだとも言えた。「作者の死」は、作家論が捉える「作者」なるものが唯一絶対である保証など何もないと喝破し、テクストを前に可能な読みは無限にあるということを示しました。つまり、「作者」という唯一の神から読者を解き放った。

しかし、「作者」を倒すために用いられた理論というのは、同時に他のあらゆる解釈の根拠も唯一絶対ではありえないことを示すものでもありました。だから、いわゆるテクスト論に乗るなら、作家論的な読みもまた一つの読みの可能性として、平等に残されているはずです。「作者」は死ぬけれど死体は残る――神の地位から逐われたにすぎない、ということになるでしょうか。

はじめの『マトリックス』の話でいえば、すべてが「夢」として同じ地位に並んでしまうのです。にもかかわらず、「夢」から抜け出すときに仮の「真実」とみなす世界が存在するせいか、「作者」を「夢」であると指摘できる立場こそが唯一絶対の「真実」だと素朴に主張する論というのを結構見かけます。

もちろん、「作者」という神について別の神を立てて、どちらが「正しい」かを争うということ自体は可能です。だから「作者の死」には、神そのものを解釈の世界から放逐する無神論的な「作者の死」と、別の神への改宗を迫る宗教戦争的な「作者の死」という2通りの意味があるというのが適切かもしれません。

ですが、無神論的な「作者の死」の理屈を使いながら、自分は別の神を崇めているという場合があって、これは端的に矛盾というか破綻しています。そして、おそらく無神論的な解釈から解釈同士の交流の可能性を見出す道すじと、宗教戦争から解釈同士の交流の可能性を見出す(私は泥沼だと思うけれど)道すじは異なっているはずなのですが、破綻に巻き込まれるとそれが見えなくなってしまう。

結果的に、自分に都合よく相矛盾する理屈を使い分ける「無敵理論」を形成し、相手と交流するのではなく単に圧殺するだけの、もっともたちの悪い殺戮マシーンが一丁上がりとなるのではないかという危惧があります。それは、私も含めて本当に陥りやすい罠だと思う。

最初に取り上げた本のタイトルが『正義の哲学』であることも含めて、 「正しい」解釈をめぐる諸々について、いまいちどじっくりと考えてみたいなと思ったのでした。

C87『2次元メディア・コンテンツ研究』Vol.2の感想など

雨月さん(@udk91)を通して紹介して頂いた『2次元メディア・コンテンツ研究』Vol.2を、ようやっと読了しました。お礼も兼ねて感想など書いてみます。

3本の論考から成っていました。構成は以下。

 1.紙媒体最終話最速評論『結城友奈は勇者である』 ――タカヒロとStudio五組の勇者論―― (雨月)
 2.『楽園追放』 ――虚淵玄の問いかける楽園と人類の限界―― (雨月)
 3.ライトノベルの成功論2 ――小説家になろうから作家デビューして売れる本を書くための方法論―― (無想)

どれも興味深く拝読しましたが、『結城友奈は勇者である』と『楽園追放』は視聴していないので(ネタバレは気にしない)、「3.ライトノベルの成功論2」についてのみ言及します。

◆「ライトノベルの成功論2」 について
著者は無想さん(@musou_k)。

▼「1.はじめに」 (p.15~)
まず、全体の「前書き」や論考のサブタイトル、「はじめに」から、本書は研究・考察を狙ったものであり、基本的に「論」であるとみなして読みました。

論考冒頭の辞によれば、Webサイト「「小説家になろう」のランキング上位になるための必要な要素や、書籍化の成功に必要なことを考察し、最後に電子書籍の可能性について考えていく」のが狙い。結論は、「異性として異世界転生した俺は、異世界最強ハーレム人生を目指す!」になるのだとのこと。

▼「2.なろうランキングの上位になるための必要な要素」 (p.15~)
「小説家になろう」(以下「なろう」)のランキング上位になるために必要な要素として、論者は「なろう」累計ランキングBEST10を挙げ、そこから幾つかの要素をピックアップしていきます。たとえば、「転生前の経験・知識による無双」、「ステータスの表示」、「強大な魔力」、「ハーレムの形成」などです。リサーチ系の基本ともいえる方法ですが、しかし、私はここでけつまずきました。

理由は3つあります。(1)どういう判断基準で要素が選ばれたのかわからない。(2)その要素の中に挙げられている具体的な作品が適切だと思わない。(3)ほんとうにその要素が「ランキング上位になるための必要な要素」なのかについて根拠が書かれていない。

(1)についてですが、たとえば「ステータスの表示」という要素。累計ランキングTOP10の中(※『2次元メディア・コンテンツ研究』Vol.2 の時点では10位が『フェアリーテイル・クロニクル』だったが、2015年1月14日現在では10位が『転生したらスライムだった件』に変わっている。他は順位変更なし。ここでは論者が参考にしている『フェアリーテイル・クロニクル』を10位として話をすすめる)で、論者が触れているような意味でのステータス表示を採用しているのは、3位『異世界迷宮で奴隷ハーレムを』、5位『ありふれた職業で世界最強』、6位『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』、7位『盾の勇者の成り上がり』の4作品くらい。「ステータスかそれに類する要素を導入している」という程度ならわかるのですが、論者が言うように「体力や魔力などの数値、どのようなスキルを保有しているかを確認することができ」、そのわかりやすさがウケているのだ、というのはいささか乱暴に見えます。ついでにいえば『フェアリーテイル・クロニクル』は、「これが現実だと確信した理由の一つが、ゲームの能力を使えるくせに、ステータスの参照が出来ない事である」(第一話)と、ステータスの表示ができないことをリアリティの梃子として用いているので、ランキングを用いて証拠とするならそのあたりのことにも触れなければアンフェアでしょう。

また論者は、「『ありふれた職業で世界最強』や、年間ランキング35位の『神眼の勇者』などでは……」と、折角ランキングを引用したにもかかわらず、ランキング外の『神殿の勇者』を突如として引用しています。なぜ他のランキング内作品ではなく、『神殿の勇者』を敢えて採用したのか。この辺りにも若干、論の運びに疑問を覚えました。書籍化が決まったからでしょうか? しかしランキング中の2位を除き、すべてが書籍化しているのでやはり35位から召喚する意図がいまひとつわかりません。

他の要素についても、概ね似たような感じです。妥当性が高そうに見えるのは、「ハーレムの形成」くらいでしょうか。

続いて、(2)。「周囲を見返す展開」の例として『八男って、それはないでしょう!』(以下、『八男』)が挙げられていますが、これは正直どうかと思います。『八男』はたしかに「貧乏貴族の八男で、立場は低かった」けれど、「周りを見返す」という展開には到底読めません。むしろ幼い頃から「神童」扱いで、実家ではその力を見込まれて「家の乗っ取り」を持ちかけられたり、隠そうとしていたのに大魔法使いの弟子であることがバレて士官させられたりと、どちらかと言えば過大評価されて本人もノリノリ、という物語です。この例ならば、最初は理不尽な罠にはめられ迫害を受けつつ戦闘の活躍で次第に受け容れられていく『盾の勇者の成り上がり』のほうが妥当であると思うのですが……。(また、この要素についても『神眼の勇者』が出てきます)

『八男』については他の参照部分でも、「かなり頑張らないとそうは読めないんじゃ……」というところがあります。たとえば、「転生前の経験・知識による無双」の項目でも引き合いに出されています。たしかに指摘される通りの事実はあるものの、『八男』の主人公ヴェンデリンの特徴は現世の知識より異様な魔力のほうにあり、その力は幼少時から自覚的に訓練したことであるということが最初から繰り返され、最近になって異界からの転生者の持つ特徴というのも加わっています。そちらがメインであって、この作品については経験や知識は帝国内戦時くらいしか本格的には役に立っていないと言えるのではないでしょうか。

せっかく、「ランキング上位」の作品をピックアップしたのに、それらについてあまり適切な分析・解釈がされていないなぁという印象を受けました。参考文献も偏っており、資料として挙げるからにはせめてTOP10の作品には全て目を通し、言及があってもよかったのではないかと思います。

最後(3)についてですが、これはそのままです。『神眼の勇者』を引っ張ってきたこともそうですが、なぜそう言えるのか、という部分の説明がほとんどありません。たとえば「色々な亞人族」というのが人気要素として記載されていますが、亞人族を登場させている作品というのは、それこそ星の数ほどあるはずです。しかし、『謙虚、堅実をモットーに生きております!』や『八男』(最近魔族が出てきましたが長い間亞人はいなかった気がします)、『理想のヒモ生活』あたりには亞人はほとんど出てこない。「亞人」が「なろう」での人気要素だと言うには、たとえば「なろう」小説全体では5割~6割の亞人率だけど、TOP50では7割を越えている、というような比較が必要なはずです。そのあたりの手続き的な部分があまりよくわかりませんでした。

その他の要素も概ねそうですね。俺TUEE無双やリベンジ展開、ステータス表示などは「なろう」小説の特徴として挙げるなら分かる気がしますが、「上位になるために必要な要素」かと言われると、むしろランキングTOP10が示すのは、「なくても上位になれる」ということのように思われます。

この辺り、単に「なろう」小説の特徴を書いただけだったのか、「なろう」小説の特徴だからそこを強調した方がいいという考えなのか、それとも根拠はないけれど論者がそう思っているということなのか、はっきりしません。はっきりしないので読んでも判断を保留するしかなく、感想も言えない、という感じです。

それとは別に、これは書き方の問題として、「ライトノベルの成功論」という論のタイトルともかかわる部分でちょっとした引っかかりを覚えました。具体的には、「主人公の性別は男性に設定すべき?」(p.17)という要素(主人公の性別要素)についての言及の箇所です。

これ、「なろう」小説でランキングTOP10に来ている作品は圧倒的に男性主人公が多い、という話として読めば、それなりに納得はできます。ただ、先日よりまとめていた「なろう小説オススメ」でも触れた通り(この記事)、女性主人公の作品自体は決して少ないわけではないし、ランキング上位にまったくいないわけでもありません。また、アリアンローズ文庫などいわゆる「女性向け」レーベルで積極的に書籍化されています。

論者は、「ライトノベルの主な読者層は男性」であり、「ライトノベルにおいては、男性を主人公に設定する方が無難である」と述べていますが、この部分はもう少し慎重に扱ったほうが良いのではないかと思います。いわゆる少女小説のようなものを、「ライトノベル」の中に入れるのか否か。入れるのであれば「ライトノベルの主な読者層は男性」というのはやはり乱暴な議論ですし、「なろう」小説だけで「ライトノベル」全体を引き受けた語り方をしていいのか、というのが問題になるでしょう。

たとえば『ライトノベル・スタディーズ』(青弓社、2013年)所収の論文・山中智省「ライトノベル史再考」では、「ライトノベルとSF作品、あるいは少女小説との関係をめぐる動向など、取り上げるべき課題はまだ数多い」(『ラノスタ』p.65)のように書かれており、「SF」や「少女小説」とひとまず区切った形で「ライトノベル」というものを慎重に定義しています。しかし本論考では、「なろう」小説の話をしていたはずがいきなり(どういう範囲を想定しているのかよくわからない)「ライトノベル」全体の話へと移ってしまっており、いささかとんでいるな、という感じを受けました。

「なろう」小説とライトノベルを享受する層は同じなのか。両者をそのまま重ねてしまって良いのか。「論」としてあるいは「研究」として考えた場合、対象となるものが何であるかを明示するのは基本であり、その範囲に関する先行の議論を踏まえていないというのは物足りない感じがします。


▼「3.書籍化の成功に必要なこと」 (p.18~)
ここからはマーケティングというか、「なろう」小説が書籍化されていくうえで「売上」を伸ばすにはどうすればいいか、という話がなされています。
・本のサイズと価格を適切にしよう!
・萌えるイラストにしよう!
・WEB上の公開コンテストの課題
という3項目について言及され、それぞれ文庫サイズ・1000円以下にする、萌えるイラストにする、「編集者の評価と読者の評価は違う、というふうに、論者が考えるマーケティングの理想が書かれています。

ただ、これについては業界の事情などもあるので私はよくわかりませんし、またそのよくわからない部分についてこの論で、しっかりした調査が行われていたり説得的な議論が展開されているとも思いませんでした。

たとえば1000円B6版というサイズについて否定的な意見がありますが、これはまあ感覚的にそうだろうな、という感じはします。B6版で出ているのは論者が指摘するとおり1冊あたりの利潤の大きさ、というのを想定しているのだと思われますし、富士見ファンタジアや電撃文庫、最近ではモンスター文庫のようなもともと文庫からデビューしている作品は当然文庫サイズで出版され、『白の皇国物語』や『ゲート』はそれなりに人気が出たと見るや、B6版につづいて文庫化が進んでいます。おそらく文庫の方が売れるのでしょう。

また絵についても、そりゃあ「絵買い」などということばがあるくらいですから、絵のクオリティが高いほうが売れるに決まっています。しかし、その絵の善し悪しの基準は何なのか。

論者は次のように書いています。

例えば、電撃文庫の「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」や、MF文庫Jの「僕は友達が少ない」のイラストは非常に可愛くて萌えるイラストであり、これらの作品はメディアミックスに成功している。一方、なろう累計ランキング1位の『無職転生 ~異世界行ったら本気だす』のイラストは確かに上手くて綺麗なイラストではあるが、萌えイラストではない。

「萌えイラスト」と「上手くて綺麗」だけどそうではないイラストの違いは何なのか。いち読者としては、そこが気になるのですが、言及はありません。『フルメタル・パニック』や『狼と香辛料』の絵は、萌えなのでしょうか。そうではないのでしょうか。また、イラストはどのくらいセールスと結びつくのでしょうか。そもそも、メディアミックスについては出版社の事情などもあるので、一概に「萌えイラストかどうか」が売上の決め手になるという話にもしづらいでしょう。「絵買いというのがあるから萌え絵のほうが良い」というだけならそれは誰でも言える当たり前のことにすぎないので、何か数字を伴った根拠のようなものがあれば、より興味深く説得的な話になったのではないかと思われます。

▼「4.電子書籍の可能性」 (p.20~)
この部分については、数字なども使って興味深い内容が書かれていました。電子書籍の現状や将来の見通しについて、勉強になった、という感じです。

ただ、「なろう」小説とのつながりについてはほとんどないというか、ものすごく唐突に出てきた感じがあります。偉そうで恐縮ですが、別々のテーマとして分けても良かったのではないか、と。

むしろこちらの視点で掘り下げた内容をいろいろ拝読したかったですね。

▼「5.まとめ」 (p.21~)
一応、電子書籍にするには……という内容を盛り込んで、これまでのまとめとなっています。「男性主人公にするほうが無難」と言っていたはずなのですが、男性がTS(トランスジェンダー)して「異性として異世界転生」するのが売れる秘訣だ、となるのはどうしてなのか、いまだによくわからないままでいまひとつスッキリしませんが、世間一般のテンプレート的な「なろう」小説像に着地させて終わり、という感じでした。

◆総括
ううむ……。同人誌として出されているもの、しかもお知り合いの本についてこういう感想を書くのはどうなの、というコメントになってしまった気もするのですが、忌憚のないところを書くのが「論」に対してはむしろ礼儀かなと思うので、できるだけ細かく根拠を付して書いたつもりです。

上を読んで貰えば分かる通り、失礼ながらあまりクオリティが高い内容とは思いませんでした。私の未熟ゆえに論者の意図を汲み取れていない部分もあれば、「なろう」小説の世界に足を踏み入れたばかりの私が、ちょっとかじった程度の知識と経験で色々指摘しているのもどうよという感じもありますので、勘違いや誤解等があればご叱責のうえお教えいただければ幸いです。

言い訳じみて聞こえるかもしれませんが、お断りしておきたいのは、私にはこの論を非難したりする意図はありません。むしろこういった論を積み重ね、クオリティをあげていくことによって、「なろう」小説をめぐる言説というのがより成熟したものになっていくのだと思っています。だから、とても意味があると言いますか。

現状、ごく一部でしか存在しない「なろう」小説に関する論考をお書きになるということはとても大変なことだし、それだけで、(上から目線ですが)何もせずにケチをつけているだけの私なんかよりはるかに重要なお仕事をしておられると思います。だから私は、その生産性に参与させていただく、あるいはおこぼれにあずかるというくらいのつもりでいます。

ただ、このままではやはり調査・研究としては良質なものとは思い難く、気になった点を指摘させていただくことで、次の刊行物に何らか反映できる部分が出てくるかもしれないと考えてこうした記事を書きました。

次回、コミケや文フリ等で刊行物が出たとき、許されるならまた購入させていただきたいし、「なろう」小説に関して引き続きご所論を拝読したいと思っています。

レビュー: ゆうきまさみ『でぃす×こみ』1巻

月刊のほうのスピリッツで連載中のゆうきまさみ先生『でぃす×こみ』、とうとう単行本が発売されていたので買ってまいりました。

discomu01
万年選外ながら、漫画家を目指す女子高生・渡瀬かおる。しかしある日、ビッグな新人漫画賞を受賞! だが授賞式で仰天&顔面蒼白―――。それもそのはず、「あたしが描いた漫画じゃないっ!!」!!

なんと、かおるの名前を騙って、しかも“BL漫画”を応募したのは―――実の兄だった!? 

笑劇必至、ゆうきまさみの新境地!! 努力の妹×天才の兄が織りなす、凸凹漫画家コメディー!
 (小学館サイトより)

 公式サイト(1話試し読みができます)は、こちら

ゆうきまさみがBLを!?」というコピーで脚光を浴びた本作ですが、読み終わってみればゆうきまさみ先生らしい深みのあるコメディでした。

苦しんで苦しんで、それでも認められない漫画家のたまご・かおると、就活に失敗しまくる社会不適合者ながら、彼女の漫画を手伝う中で妹が「楽しそうだったから自分もやってみよう」という理由で生まれて初めて描いた漫画が賞を受賞してしまった兄・弦太郎というでこぼこコンビ。順風満帆に見える作家「渡瀬かおる」のバタバタした内側を描いています。

タイトルには、ディスコミュニケーションだけでなく(英語タイトルはDiscommunicationとなっています)、コミックへのdis、のようなニュアンスも込められているのでしょうか?

漫画が大好きでたまらないのに才能がない凡人と、その道にまるで興味がないのに誰よりも優れた天才というのは、喜劇のようでいて悲しくもあり、このあと2人がどんな壁にぶつかり、どうそれを乗り越え、最後にどんな結論を出すのか、というのがとても楽しみ。

また、ゆうきまさみ先生といえば『じゃじゃ馬グルーミンUP! 』のようなラブコメ路線が個人的にはかなり好きなのですが、今回はそれを期待できるのではないかな、と。たとえばですが、BL漫画を描く渡瀬先生の家におしかけのアシスタントやライバル少女漫画家が押し寄せて一悶着……なんて展開が目に浮かぶようです。

ストーリー的なウリとは別に、毎回4P、カラーでゆうき先生のBLっぽい漫画が載っています。そしてこの部分、「作中作のBLを描かにゃならんのだがどーやっても普段と違う絵なんて描けん」のだけど「なんとか「いつものゆうきの絵とどことなく違う」ところまで持って行けないか」ということで、他の作家さんに着色をしてもらっているそうです。そのせいか、確かに毎回雰囲気が一寸ずつ違っていて面白いですね。

1巻はまだ大きな問題もおこらず、かおるも弦太郎も現状にあわてふためいて、勢いだけで必死にいろんなことを取り繕おうとしている段階ですが、これが落ち着いてからどうなるのか。2巻を心待ちにしています。
《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
 ▼OYOYOの新着レビュー

ご意見、ご感想があればメールフォームからお寄せ下さい。面白かったよ! という時は、彼女に拍手してくれると喜びます。


記事検索
応援バナー(1)
シルキーズプラス A5和牛 『バタフライシーカー』

あけいろ怪奇譚
バナー(3)
AXL新作第12弾「恋する乙女と守護の楯~薔薇の聖母~」 2016年2月26日発売予定!
発売中応援作品
メールフォーム
Twitter
応援バナー(2)
『夏色ラムネ』を応援中!


もっと!孕ませ!おっぱい異世界エロ魔法学園!

情熱FX大陸