よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2014年04月

ドラクエ4のスマホ版登場

DQ4がスマホでプレイできるようになりました。やったねー!

 ▼「【速報】ドラクエ4のアプリ配信開始!iPhoneでもAndroidでもプレイできるぞっ」(IT速報)

私の携帯機種だと、DQ8はプレイできなかったのですが、こっちはOKだったので早速購入。おねだんは1,800円。スマホのゲームとしては高いですが、PS版とかファミコン版のことを考えると安いですよねぇ。ちなみにいろんなのが出てるDQ4ですが、私は2バージョンしかやってないです。PSとFCのみ。なので、ずいぶん久々。懐かしいのに新しい。


ドラゴンクエスト4 CM

で、プレイ開始と同時にDQのテーマソングが流れ始め、一気にテンションが高まります。戦いのファンファーレとともに、冒険が始まるわけですよ。ヤバい高揚感です。心配していた操作性の悪さも全くなし。キーのポジションを自由に変更できるし、タップをうまくつかうと、本家十字キーより快適なくらいです。


(ドラクエ1~8 序曲メドレー ゲーム音源)

小学生当時、DQ4は発売日に買えなくて、数週間後になってようやくプレイをしはじめたのですが、子供ごころに「凄い音楽だ!」と思ったのを覚えています。フィールドの音楽、戦闘の音楽、街の音楽……どれもレベルが高くて、雰囲気にぴったり。すぐに覚えられるのに、ずっと聞いていても飽きない……。5章で、仲間が揃うとフィールド音楽が変わった時は、鳥肌がたちました。(実は揃う前の音楽のほうが好きだったりしますが)

いや、DQ1~3の積み重ねがあってできた音楽だというのはわかってるし、好きだ好きだと言いつつアレンジがはいってるよねここはとか専門的なことにはタッチできない恥ずかしさはあるのですが、素人のガキが聞いても「おお~」と思うくらいすごかったんですよ。


ドラゴンクエスト4 全BGM集(FC音源)

結局仕事の連絡が来て、1時間ほどしかプレイできなかったんですけど、凄い満足です。バトランドの創設者の話とか、昔は読み飛ばしてた(ライアンが本棚調べたら読めた)部分をこまかくチェックしながら進めていきたいです。1日に1時間だけですけど、王宮戦士とか、おてんば姫の付き人とか、愛妻家のメタボ商人になって、冒険をする生活に入りそうです。

そう、冒険。この感覚を久しく忘れていたなぁと、ふと思いました。

DQシリーズは、「ドラマを見せる」ことを目指した某RPGと違い、「プレイヤーを冒険の世界に誘う」ことを目指していた(今はどうかしらない)のだと、風のうわさに聞いたことがあります。スタッフに知り合いがいるわけでも、メーカーの中の人から直接聞いたわけでもないのでなんとも言えません……というか正直ガセじゃないかと思ってますけど、「プレイする側」の気持ちとしてはそういうところが強かったのは、個人的な経験に照らし合わせても言えるような気がします。

たとえば、DQシリーズのTVCM(広告代理店が作ってるやつ)には、「愛がある、冒険がある、人生がある」とか「画面の中にあなたがいる。」とか、「人生を体験できるゲーム」とか、「冒険という、もう1つの人生」という感じで、冒険と人生をつなぎ合わせるようなメッセージが多用されるんですね。冒険こそが人生だ、みたいなノリ。


【CM】 ドラゴンクエストⅤ SFC

私なんかは単純だから、これにコロッと乗せられちゃうんですよ。ゲームをしているとき、私はDQの世界にいる冒険者なんです。「4」は、複数の登場人物を操るので「誰が自分なのかわからない」という状態になることが懸念されたんですが、「めいれい」システムによってその辺がクリアーされました。私の頭のなかでは、私は「勇者さまご一行」に付き従って(画面には表示されないけど)後ろをついていってる軍師(アドバイザー)、みたいなポジションでした。戦闘力は無いけど方針を伝える、みたいな。

で、彼らと一緒に冒険して、その記録を残す人、みたいな。当時、小説版DQがマイブームだったのも手伝っているかもしれません。「後代に残された歴史」と、「消えてしまった真実」みたいなものの違いをずっと考えていました。うーん。微妙に黒歴史ですけど、まあ若気の至りというやつで。

でも、他のRPGにはあんまりない、「DQの楽しみ」って何かって聞かれたら、私にとってはその部分だと答えます。ゲームを攻略しているとか、プレイしているとかではなくて、自分がその世界の中を冒険している感じ。目の前にありありと、世界の情景を思い浮かべられるような没入感。不思議なことに、他のRPGではあんまり感じたことが無いんですよね(時々感じるのはあります)。でも、DQだと感じる。ストーリーも、プレイのコツもだいたいわかっているRPGなんて、そうそう何度もやろうとは思わないものですが、DQシリーズについては「これで攻略本とか見ずに落ち着いてやれるな」とか思っちゃう。

「7」以降、操作やシステムが複雑になったせいでちょっとその辺が薄れていった感じがあるんですが、「4」はさすがですね。目の前に見えましたよ、バトランドの城が。イムルの村へと続く草原が。襲ってくる「おおみみず」が。

もちろんそれは「夢」にすぎないんですが、その「夢」を見せてくれる力が、幼少期の私を直撃して、今もなお虜にしてるのだと思います。「目を開けて、夢を見よ」。暫くの間、相変わらず1日1時間ほどになるでしょうけれど、楽しい夢を見てくることにします。

本気のおっぱい。

感動しました。

 ▼「究極の煩悩グッズ 等身大おっぱいマウスパッド

昨年末、コミックマーケット85会場で試作品を展示して以来、大きな反響を呼んだ「等身大おっぱいマウスパッド」。美少女キャラクターの等身大の巨乳を、思うがままに揉みしだける「究極のグッズ」と称されながらも、商品化は難しいと言われてきました。
今回、数々の試作段階を経て、更なるクオリティアップを図り、満を持しての「先行限定販売」を行います。記念すべき第一弾のキャラクターは、「小悪魔カノジョ」より、阿久野ミカ。Hisasi先生の描きおろしイラストを使用します。

ピンクパイナップルが総力を挙げてお客様にご提供する至福の時間(おっぱいタイム)を、心ゆくまでお愉しみください。

しゅ、しゅごい。 たぶんネタで書いたのであろう、怪しげな通販ショップみたいなノリの文章が、いまいちネタに思えないくらい凄いです。そして、何と言ってもこの仕様。

section1_img01

仕様
サイズ:約W380mm×H450mm×厚さ13mm
総重量:約1,600g
プリント:水性インクによる国内印刷
おっぱい重量:1,400g(Gカップ程度)
台座部分:ベース板ポリスチレン系素材、底面ポリエチレン系素材使用
国内工場にてハンドメイド製造

ハンドメイド(笑)。いや、笑いごとじゃありません。でも、笑う以外にどんな反応をすればいいんでしょうか。私にはわかりません。語りえないものにかんして、人は沈黙するしかないのです。

当然、50個ぶんは予約完売しておりました。18000円は安いよなぁ。いや、諭吉先生2枚というのは安価な品物ではないと思いますが、ネタ、実用性等々さまざまなことを勘案すれば、エロゲー2、3本ぶんの銭を突っ込んでもお釣りが来るでしょう、間違いなく。あとは、経年劣化がどこまでもつか……。ここまで凄いネタなら、多少汚れたり、発色が悪くてもいいので、長持ちする素材であってほしいと私なんかは思うんですけど、この手のポリエチレンって10年くらい保つんですかね。

あと、あんまり見られていないんじゃないかと思いますが、注意書きがいちいち秀逸です。


【注意】

    • 本商品に「乳首」は造形されておりません。予めご了承ください。
    • 一点ずつ手作業で製造しますので、若干の個体差が生じる場合があります。
    • マウスパッドとしての機能を損なわない為、いわゆる現実女性のおっぱいよりも少し弾力性のある揉み心地となっております。(現実女性のおっぱいを揉んだ事が無いので「恐らく」ですが)
    • 商品到着時のおっぱいは少し固めになっております。揉みしだく事で布地が馴染み、ほどよい柔らかさを発揮します。
    • おっぱいパーツ上部~両おっぱいの間のいわゆる「谷間」部分は、あえて布地を接着せず遊ばせてあります。これは「布地とおっぱい素材の擦れによる気持ちよさ」を追求するためです。しかしながら、この部分を強く引っ張ったりすると接着芯部分が剥離してしまう可能性があります。
    • クロス部分は着脱不可能です(ベース部分に折り込んで固定してあります)。汚さないように上手に遊んでください。お友達に揉ませる時は手を洗ってから揉ませてください。
    • 商品の構造上、底面(おっぱいの下部分)の布地は中央に寄せて巻き込み、固定してあります。この部分に関してはイラストが中央部に集約されるような形になってしまいますが、予めご了承ください。
    • あくまでも「マウスパッド」を想定して製造しておりますので、立てて使用する事は想定しておりません。ずっと立てて使用しても問題ない強度で設計しておりますが、経年の変化による事故が起きる可能性もありますので予めご了承ください。
    • お母様へ:本商品はアイロン台ではありません。息子さんの愛する、大事なキャラクターの顔にアイロンを充てるような行為だけはお控えください。


かゆいところに手が届きすぎ(爆) 。乳首がないのはちょっっと残念ですね。

ともあれ、おそらくはそのうち公開されるであろう使用感のレビューなどを見つつ、次があれば是非とも購入してみようと思っています。 

めんどくさい人のための、簡単なネクタイ選び

私、かれこれ5~6年は仕事に行くときネクタイなんですけど、これがめんどくさいんですよ。

奥さんとかいればお任せできるんでしょうけど、私のような、おしゃれの心得が無い独り身の人間にとっては苦痛。じっくり選んだりコーディネートを楽しむほどファッションに興味ないし、さりとてパッとハイセンスなものを選ぶほどの実力も無い。労力をかけないと恥ずかしい格好をしかねないとはいえ、朝の時間ないときとかに、ネクタイとシャツの組み合わせとか、選んでる暇無いわけです。でも、あんまり変な格好をしていくとナメられる。難しいところです。いっそ、会社も制服登校にしてほしいですわ。

まあ愚痴愚痴していても仕方ないのであれこれ話を聞いたり雑誌をパラパラ見たり、ネットで検索した結果、最低限これだけ気をつけていれば、ギリギリなんとかなるだろう、というラインにあたりをつけました。大々的に公表するものでもありませんけど、ときどき「お、ネクタイ良いですね」とか(本気で思ってるかは別として、話の潤滑油として)言われる程度にはごまかせるようになりました。

というわけで、いちいち考えたり鏡見たりしながらネクタイ選ぶの面倒だなーというときに、私が気をつけていることをちょこっとだけご紹介。繰り返しになりますが、オシャレをアピールするためではなく、「こいつ何考えてこんな格好してるんだ」と思われないための、最低ライン底上げです。

1.色編
色が一番目立つというか、ぱっと目に入る印象をつくるので、これが一番大事といえば大事じゃないかと考えています。

(1) スーツ → ネクタイ → シャツ の順番にグラデーションができるような濃さにする。
(2) シャツとネクタイで色合いを揃える。白シャツはオールマイティー。
例:赤系のシャツ → 赤系のネクタイ。 青系のシャツ → 青系のネクタイ。 白系のシャツ → だいたいなんでもOK。
(3)  シャツとネクタイをあわせて、カラフルにし過ぎない。MAXで3~4色くらい。ただ、単色は地味すぎ。

2.柄編
あんまり気にしてもしょうがないんですけど、フォーマルかカジュアルかくらいは区別したいと思っていました。

(1)  無地は万能。柄シャツともあうし、プレーンなものとの組み合わせもミスが少なくて便利。
(2)  ドット・水玉系は割と落ち着いた感じがでるのでフォーマルな場向け。色もあわせやすい。
(3)  ストライプは思ったより目立つ。相手に印象を与えたい時など。
(4) 小紋柄はバリエーション多すぎてスルー。たぶん上級者向け。1本だけ、比較的地味なのを仕事用に使ってます。
(5) チェック柄はカジュアル向けらしいです、オサレな人用っぽい感じがするのでつけていません。 

3.形状
ほとんど気にしてないところです。長い・短い・細い・太いあたりですね。時々、「ネクタイ短すぎですよ」とか言われることがあるので、気にする人は気にするところでしょう。 

(1)  ネクタイの太さは、スーツとの組み合わせで決めるものらしく、スーツのラペルの幅(下写真)にあわせた太さを選ぶのがいいそうです。
rapel

4.結び方
幾つか覚えましたけど、一番気にしてません。 ウィンザーノットとかスッキリして格好いので好きですが、ややこしいし時間がない時にはできないので、フツーにプレーンノットで良いと思います。唯一気をつけているコツとしては、結んだあと形を整えるのではなくて、結ぶ前にある程度整形してから結んでます。

最近はYoutubeとかで結び方を閲覧できるから楽ですね。


ってな感じでした。あとは、夜寝る前にシャツとタイを揃えてハンガーにかけておけばおしまいです。

仕方なしに自分でいろいろ考えてやりくりしていますけど、最近この「無難」なのを見繕うレベルでも面倒になってきました。正直、スマホで、エロゲーのヒロインがおすすめの服装コーディネートしてくれるアプリとかでたら買っちゃうそうです。っていうか、どっか出してくれませんかね。シャツを自撮りしたら、オススメのネクタイ一覧を画像で表示してくれるとか。

カミソリと、キレてるネタ

ハイブリッドカミソリ、「Xfit」(クロスフィット)が凄いです。

 ▼「ヒゲ専門ラジオて…貝印のカミソリが斜め上すぎるw」(NAVERまとめ)

なんと、アプリ「HIGE LIFE」によってスマホと連動するらしいです。意味がわからん。

1年365日間、欠かさず約1分間のヒゲ情報番組を配信するために、「HIGE FM」を開設してみたり、ひげを自撮りすると、ヒゲ剃りのアドバイスや自分にあったスタイリングを教えてくれる「HIGE KARTE」が導入されたり……。気合が伝わってくる素晴らしいカミソリです。

ただ、ヒゲをファッションに使えるような人向けかなぁという気がしないでもないです。

私は結構ヒゲの伸びが早く、それでいて皮膚がカミソリ負けするので、毎朝のヒゲ剃りはいろいろと大変でした。 楽しめるほど余裕はなさそう。

まあでも、時間だけかかって苦痛なヒゲそりが、ちょっとでも改革できるなら良いかもしれません。 

一発抜いた話

「男もすなる自慰といふものを、女もしてみむとてするなり。」(『オナ日記』)



というのを前から考えてたんですけど発展性がなくてダメでした。抜くは抜くでも手抜きでした。

スミマセン、ネタが思いつかなかったんや……。 

敬語むずい

以前にも似たような話をした記憶がありますが、敬語ってほんと難しいですね。

これは私ではないのですが、「取り急ぎご報告まで」と書いていた同僚が怒られていました。「取り急ぎ」というのは目上の人に対して失礼であろう、と。言われてみればそうかもしれないのですが(急いでいるので手抜きしました、とも読めるため) 、一種慣用句的なところもあるし、基本的には時候の挨拶とそれに対応する結びの文言やら何やらを省きました、という程度の意味だと思います。また、頑張って解釈すれば「乱文失礼いたしました」のような謙遜の一種ともとれなくはありません(丁寧に書いたつもりではありますが、急いでいたので不足があるかもしれません)。

私に言わせれば「取り急ぎ」であれこれいう人は心が狭いというか余裕なさすぎじゃないかと思うんですが(少なくとも敬意を払おうとした跡くらいは認めてもいいでしょうに)、 そんな話をしていたらドンピシャの記事を見つけました。やっぱり、どこでも似たようなことが発生しているんですね。

 ▼「あなたのお仕事メールは大丈夫? 『取り急ぎ○○まで』の正しい使い方」 (マイナビニュース)

『取り急ぎ』にかわる好感度が高い文言とは?

 しかし、急を要していればすべてOKという訳にもいかない。“ぶしつけ”にと思わせるメールは、相手に不快な思いだけを残してしまう。そんな場合はあえて使わず、ほかの言葉に置き換えるとよい。

 「『まずは、確認のみの連絡になります。よろしくお願い致します』、『要件のみで、失礼致します』と少し言葉を変えれば敬意が表現できます」(平野氏)。誰にでも使えて無難な言葉なので覚えておいて損はなさそうだ。


ははあ、なるほど。 しかし、「まずは」とかその辺もひっかかる人はいそうですよ……?

結局、この記事でも書かれているように、定型化されている敬語とはいえ、やはり「人によってとらえ方が異なる言葉」 であり、「相手次第でどうにでも変ぼうを遂げてしまう可能性」は否定できません。「くださる」と「いただく」とかもそうですし、決まっているようで曖昧なところもあるのに、なまじ使い方が確立されているせいで、「きちんと使えないヤツはダメ」となりがちなんですよね。最悪なのは、教科書通りの「ちゃんとした敬語」を身につけていても、相手がそれを理解していなければ、「変な敬語」扱いを受けかねないというところ。

つまるところ、相手とのコミュニケーションの中で様子を見ながら柔軟にやっていくしかないんでしょうなぁ。んで、間違いなのは、敬語表現にうるさい人はめんどくさい、ということくらいでしょう。敬語がダメだからって死ぬわけでもないんだし、余程の場合を除いて、そこで不機嫌になる意味ってあんまり無いように思うんですけどねぇ。

ともあれ、取り急ぎ投稿いたします。 

怒りの矛先と怒り方

先週の土曜日(12日)、御茶の水の丸善に立ち寄った際にちょっと気になることがありました。

新書の棚で立ち読みをしていた、若いメガネのにーちゃんが、何度か連続でくしゃみをしたんですが、そのときに立ち読み中の本を口元にあてていたんですね。

わざとだったのか反射だったのかはわかりませんが、まだ買ってもいない本を「汚す」行為であり、ちょっとぎょっとしました。そんな風にした本を買うのかと思ったら、そのまま立ち読みを続ける構えでしたし……。

正直イラッときて、ひとこと物申そうかと思ったのですが、よくよく考えてみると、私が彼に「怒る」というのは、完全に論外ではないにせよ、やや筋違いかもしれません。 

というのも、私はいまのところその本の持ち主ではないし、買うつもりもないわけで、直接の被害を被っているわけではないからです。一般論的に非常識な行為であり、いつか私が見えないところで被害を受ける可能性を考えると、「注意」するくらいが私の領分でしょうか。あるいは、彼が他のところでそういうみっともない行為をやらかさないよう親切で言ってあげるとか……。でも、それってあんまりピンと来ないかもしれない。

色々考えた結果、「先生に告げ口」作戦を刊行し、丸善の店員さんにかくかくしかじかである、ということを報告しました。防犯カメラでも設置されていれば、あとで確認もできるでしょうし。もし彼に対して「怒る」人がいるなら、それは現在の本の持ち主であるところの丸善だと思うんですよね。で、厳正に対処してくれるならよし。なぁなぁで済ますというのなら、丸善の本の管理というのはその程度だということで、私が丸善から遠ざかれば(そういうことにちゃんと気を配っている書店で本を買うようにすれば)良いのかな、と。

まあ電車の時間もあったので、結局その後、店員さんがどういう対応をとったのかまでは見届けられなかったのですけれど。

「告げ口作戦」が最善の一手だったかと訊かれると、私には自信がありませんが、怒って怒鳴りつけるよりはよかったかなぁ。なんかこういう、ひとさまに「注意」をする時って凄く難しいですよね。注意したくなるほどモチベーションがあがる行為だったら、個人的な怒りとか苛立ちみたいなのも入ってくるだろうし、でもそういうのをうかつに入れてしまうと、正当性を嵩にきた単なる罵倒になりかねないし。

学校の先生とかもこういうこと考えてるんだろうなぁと思うと、大変さがちょっと分かる気がします。 

ながら族

危ないですよね、歩きながら何かやるのって。たとえば、歩きスマホ。

 ninomiya4

あと、歩きながらの携帯ゲーム。

ninomiya2
(写真は企画用のイメージ写真で、実際には止まって撮影しているものです)

こういうのは昔からあったわけでして、ほら、有名な二宮 金次第 金次郎先生。

 ninomiya

荷物を背負ったまま本を読んでいます。実にけしからん。最近の若者が歩きながら携帯ゲーム機で遊んだり、歩きスマホをするのは、小学校校舎に悪しき見本があるからに違いありません。携帯会社とゲーム会社は、早いところシーシェパードと結託して全国の二宮像撤去運動を推進すべきです(なわけない)。

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ちゃんとお行儀よく座っている人もいるんですけどねぇ……。

まあ歩きスマホは自分にとっても危ないし他人にとっても危ないわけですが、これを規制するとなると、じゃあ歩きながら電話してる人とか、歩きながらメモ見てる人とかどうすんの? っていう話にもなってくるので、歩きタバコと違って条例やら何やらでの規制は難しいのかなぁ。何も考えずにやっちゃうところがあるかもしれませんけど、そういうのって「車内では携帯電話の電源を切れ」みたいな「悪しき風習」を残すことになりかねないので、あんまり良くないと思う。かといって、何も手を打たないのも、事故とかにつながってよろしくないのか……。

そうなると、厳密な法制化よりも「モラル」の問題として心理的にプレッシャーをかけるのが有効という話になるわけでして、そういう観点から歩きスマホの危険性を訴えるキャンペーンで面白いなと思ったのは、ニューヨークでパフォーマンス団体「Improv Everywhere」が展開した、「Seeing-Eye-People」というイベント。

ninomiya3

「盲導犬」ならぬ「スマホ導人」が、リードをもって先を歩き、歩きスマホをしている人にかわって「目」となって街中を案内するというもの。たしかにこれなら、スマホをしながらでも《安全に》街中を移動できますね(笑)。で、こういうことをやっている集団が、大量にニューヨーク市中に解き放たれたようです。

もちろん、これは歩きスマホをしている人たちへの皮肉であって、歩きスマホしていた人がこれと出くわして、この反応。

ninomiya7

人のふり見て、ではありませんけれど、自分のやっていることを戯画的に見せられたほうが、普通に直接注意されるよりも素直に受け入れられるかもしれませんね。

まあ私も時々歩きスマホとか歩きながらメールとかしているので偉そうなことは言えませんけど、やっぱり人通りの多いところとか、交通量の多いところ、 信号の多いところや道幅の狭いところでは、控えたほうがいいんじゃないかと思います。

小保方騒動と、専門性と、学問と。

あまり深くつっこむつもりはなかったのですが、フォームから「どう思ってるの」というフォームからのメッセージを頂きましたので(リクエストありがとうございます)、ちょこっとだけ。

といっても、ここ最近のバタバタもあって、会見を動画で見た程度で周辺の議論とかもきちんと読めてはいないので、正直申し上げてあまり大した意見も書けそうにありません。質問頂いてから、後追いでまとめを見たり検索かけたり……という状態でした。

以上をおことわりの上でになりますが、感想としては「自殺とかしなきゃいいけど」くらいの感じです。可哀想とか同情とかではありません。もちろん、一般論的に今回の件についてはけしからんと思っていますし、非難するロジックを組み立てることはできます。曲がりなりにも学問的な分野に携わる身分としてもの申したいことはございますし、《日本の》学問分野における信頼を失墜させたという意味では、国民という立場から表明したい怒りもございます。

しかし、そういった事情は所詮間接的なものでありまして、ここまでことが大きくなった現状、直接的な利害関係が薄い人間が、まだ首を突っ込む段階ではないだろうと思っています。

これは、いわゆる「当事者問題」とも関わることなのできちんと考えておく必要があるかとは思うのですが(たとえば、どこまでが「当事者」か、みたいな議論もできます)、私は決して、非当事者が首を突っ込むなと言っているわけではありません。ただ、うかつに触れるには余りに騒ぎが大きくなりすぎたし、デリケートすぎる段階ではないか、ということです。ネタとして触れるくらいならまだしも、真面目に……つまり自分のことばに責任をもって話をするには、いまはまだ適切な段階ではないだろうと。

んで、そういう、この問題を外側から見ている人間として言えることは、とりあえず生き死にの問題にならなきゃいいなぁというくらいです。

その辺を取り払って、現象として今回の件を見た場合、こちらの方の意見が比較的私の立場に近いかなと思います。

 ▼「STAP界隈でこれから何が起こるのか」(戦争だ、90年代に戻してやる) 

一見してわかるように、両者の主張は全く噛み合っていません。理研は研究方法の不備について指摘しているのに、小保方さんはSTAP細胞の存在について主張しています。両者の意見は完全に平行線です。

なぜ小保方さんはこんなかみ合わない答弁を行ったのでしょう。それは彼女のメッセージが理研ではなく、マスコミを始めとする一般マス層に向けられたものだからです。

そもそもSTAP細胞を巡る報道の焦点は、「小保方論文の研究手法は正しかったのか」ではありません。そんなこと、はっきり言って視聴者は誰も気にしていません。科学の素人たるマス層が気にしているのは「STAP細胞は存在するのか否か」です。

別に小保方さんがお涙頂戴の政治的天才だとか、戦略家だとか、「肌が蘇るSTAP美容液」や「STAP細胞効果でみるみる痩せる奇跡のSTAPサプリ」を売りだしてお金持ちになるだろうとか、その辺はどうでもいいんですけど、理研(あるいは学者界隈)と一般の人(および小保方さん)との間で問題関心がズレていて平行線だ、という指摘については異論がなく、それが今回の件を妙に複雑というか、ややこしい感じにしているのだろうと思います。

専門家、今回の場合であれば学者界隈が問題にしているのは、「学問的誠実さ」あるいは「学的良心」 というやつですが、これはいわゆる世間一般の道徳的な話ではなく、学問的手続きの厳密さの問題です。上記記事の指摘で言えば、「研究手法」の問題、つまりは方法論の話です。これに対して、小保方さんの回答と、彼女の言動について同情的なコメントを寄せる人の多くが、「STAP細胞は実際にあるか否か」という結果のほうを問題にしている、というのは、私が観測している範囲の印象になりますが、概ねその通りでしょう。少なくともワイドショーやニュースを始めとするマスメディアの関心は後者のほうにあります。

これは、ちょっと不思議な感じもします。たとえば、ドーピングをして100m走の世界記録を樹立したとして、人はその記録を認めないでしょう。しかし、嘘八百を並べ立てても結果的に有用なものが出てくれば、認める人がいる、ということなのですから。しかし、よくよく考えてみると、私たちにとってこういう話題というのは凄く身近なことかもしれません。というのも、ブログ記事とかが後者の典型ですよね。プロセスの厳密さやおかしさがあったとしても、結論がなんとなく納得できる、実感に即している、役に立つ気がするなら、まるっと全体を認めてしまう、という。

これを、専門家vsマス(大衆)のような構図にしてしまうのは、今回であればアカデミズム至上主義的な空気が醸しだされてイヤですし、「専門家特有の厳密さ」が閉鎖的に発揮されると悪く働くことも当然あるので、どっちが良いとか悪いとかいう話は、今回はやめておきます。私自身はなんだかんだいってアカデミズムのほうを擁護したい気持ちがあるのは確かですが、それが美点ばかりでないことも理解しているつもりです。

そんなわけで、小保方騒動を見ていて思うのは、学問的なプロフェッショナリズムというのは少なくとも一般の人びとになかなか届きにくいし、実際あまり届いていないのであって、学者の側もそのことに対して危機感だとか問題意識をあまり抱いていないんじゃないかということ。

かつて東北でひらかれた某シンポジウムで、「携帯電話の電磁波」の問題を巡って、市民団体と科学者の先生が言い争いをしていたことがありますが、まぁ酷かった。科学者の先生は、「現状では電磁波に健康を害するような影響は認められない」ということを繰り返し、市民団体は「でも将来はわかりませんよね?」とか「まだ見つかっていない未知の電磁波があるのではないでしょうか?」みたいなことを繰り返す。これなども、ある意味で「過程」を重視する科学者と、「結論」に重きをおくマス、という図式に当てはまるかもしれません。

で、こういうズレというかすれ違いってやっぱり決定的だし、それを価値観の違いだとか、学者センセーはお高く止まっているだとか、大衆はバカだとか言ってたんじゃいつまでたってもこの社会はまともに機能しないと思うんですね。

まあその辺を考える上で、小保方さんの問題というのは興味深いんじゃなかろうかと思っています。

期待されたものと違うのではないかと思いますが、こんなところでお返事になったでしょうか。 

走らないメロス

以前話題になった、「メロス走ってないじゃん」という話。村田一真くんの自由研究ですね。

 ▼「「走れメロス」は走っていなかった!? 中学生が「メロスの全力を検証」した結果が見事に徒歩」 (ねとらぼ)

 メロスは作中、自分の身代わりとなった友人を救うため、王から言い渡された3日間の猶予のうち初日と最終日を使って10里(約39キロ)の道を往復します。今回の研究ではこの道のりにかかった時間を文章から推測。例えば往路の出発は「初夏、満天の星」とあるので0時と仮定、到着は「日は既に高く昇って」「村人たちは野に出て仕事を始めていた」とあるので午前10時と仮定して……距離を時間で割った平均速度はずばり時速3.9キロ! うん、歩いてるね!


中学生の「研究」ということで注目を集めたものの、一種のトリビア的ネタというか、『空想科学読本』みたいな感じで、「創作にマジレスしてみました」的な受け取られ方が多かった気がしますが、 この研究、実は結構面白いんじゃないかなとずっと思っていました。

というのも、かつてブログで書いたように、太宰の作品というのはある種過剰な「自意識」を表現しているものと読めるからです。そのときにとりあげたのは、確か『黄金風景』(本文)だったでしょうか。

私はつい癇癪かんしゃくをおこし、お慶をった。たしかに肩を蹴ったはずなのに、お慶は右のほおをおさえ、がばと泣き伏し、泣き泣きいった。「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」うめくような口調で、とぎれ、とぎれそういったので、私は、流石さすがにいやな気がした。

たとえばこの部分、一人称の「語り手」は「肩を蹴った筈」と言っているのに、蹴られた当人であるお慶は「頬をおさえ」、「顔を踏まれた」と言うわけです。もちろんお慶が嘘を言った可能性はあるにしても、語り手が現実を都合よくごまかしている文章だ、とも解釈できるでしょう。そこに、語り手の見栄、欺瞞などといった「自意識」の痕跡を読み取ることができます。

で、太宰を「そういう作家」であると見てやると、『走れメロス』は語りがちょっと特徴的なんですよね。「メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐じゃちぼうぎゃくの王を除かなければならぬと決意した。」で始まるこの作品は、最初は三人称語りです。そして、「勇者は、ひどく赤面した。」という、やはり三人称で締めくくられる。ところが、途中で一人称語りが挟まれます。それが、この部分。

ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天いだてん、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代きたいの不信の人間、まさしく王の思うつぼだぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身えて、もはや芋虫いもむしほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐ふてくされた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。

という感じ。「メロス」から「おまえ」となり、「私」へと段階的に語りがシフトしているのが分かるかと思います。この移行は明らかに意図的なものでしょう。んで、「この「私は、これほど努力したのだ」からしばらくの間、地の文で一人称語りに変わっています。他にも何度か「私は」という語りがありますが、まあこの部分が一番長い。要するに、「メロスが精一杯頑張った」というのは徹頭徹尾メロスの自己申告となっているわけです。少なくとも、三人称が俯瞰的に語る客観的事実としてではなく、主観的な現実として、メロスの「精一ぱい」は描かれている。

ですから、もし太宰が村田くんの研究のような内容を意図的に描いていたのだとすれば、メロスはのんびり歩きながらこんなことをのたまっていたわけです。したがって『走れメロス』という作品は、美しい友情やら何やらという見かけの背後に、メロスという一人の青年の、壮大な自己欺瞞があったのだ、という話になるかもしれません。まあ太宰が意図的に描いていなかったとしてもそのようなことは言えるかもしれませんが、意図的だったというほうが、傍証としては強くなりそうですね。

これで、実は太宰がちゃんと距離を計算していたとか、あるいは地理を調べていた、というような客観的な証拠(蔵書の中に関連する書籍があったとか、手紙にそれらしいことを書いていたとか)が出てくればその路線で話が進むというか、きちっと煮詰めていけば論文一本書ける……とまではいかなくても、国文系の学会発表くらいはできるんじゃないかと思ったりするんですけど、そんな甘いもんじゃないかな? でも、メロスに関してそういう角度からの研究って既にあったりするんでしょうか。文学プロパーじゃないんでよく分かんないけど、あれば読んでみたいので存じ寄りのかたおられたら教えて下さい、是非。

「ぱっと読んでこうだと思った」ことが裏切られていくというのが、ある種読書の醍醐味というところもあり、読みの可能性を広げるって面白いよねというのと、そのきっかけはやっぱり細かいところの分析の蓄積しかないという、そんなお話でした。
《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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