よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2014年01月

こんどは城娘

2番煎じもここまで来ると清々しいというか……。

 ▼「城を美少女化「城姫クエスト」がスタート!「開城」で城姫があられもない姿に

「月刊コミック 電撃大王」の12月号から、城を美少女化する連載記事「城姫クエスト」がスタートした。

毎月一城(一人)ずつ、美少女イラストで城を擬人化する同企画。第一弾として美少女化されたのは武田信玄のライバルである上杉謙信の城として知られる「春日山城」。イラストレーター・漫画家の原つもい氏により、「色気溢れるちょっと天然なお姉さん」として擬人化された。

美少女化された城姫が、敵の猛攻を受けて「開城」してしまったイラストも公開。あられもない姿となったセクシーな春日山城になっている。

(後略)

kasugajyou
「開城」した春日山城
©KADOKAWA CORPORATION 2013

 

お、おう……。

なんかコメントに困る、というのが正直な感想ですが、アリかナシかでいえばアリの気がします。目の付け所が良いというか。「開城」のネタも面白いし。親会社のことを考えると別に問題ないっていうのも良いですね。

ただ、最大の問題は「2匹目のどじょう」がホントにいるのかよくわかんないところなのでしょうが……。

コンテンツとしての成功を考える場合、『艦これ』ほどの爆発力を期待するのは難しいし、また『艦これ』派閥からの冷たい視線も考えねばならないでしょう。いっそ、角川系列であることを強みに、コラボ的に展開するというのもありかもしれません。敵になる前に味方にとりこむ算段で。

あとは、『艦これ』以上にゲーム部分に力を注ぐ、とかでしょうか。『パズドラ』や『艦これ』が大躍進を遂げた一因として、ゲーム性の高さというのはよく耳にしますし(私はやったことないので確かなことは言えませんが)。対戦要素を増やすとか、コレクター心を刺激するとか、アプローチはさまざまありえそう。

……なんてことを思っていたのですが。

また、この連載をゲーム化してくれるメーカーも募集中だという。

見事な他力本願寺でした。 

勝てる!? センター国語(2014年センター現代文を解く 其之一)

昨年度の当ブログ記事からの続きになります。

 ▼「センター国語よ何処へ行く」(2013年1月21日)
 ▼ 「センター現代文・実践編」(2013年1月23日)

「実践編」のほうはちょっと解りにくいところもあり、手を加えないとなぁと思っている間にズルズル来てしまいましたが、とりあえず本年度のほうを優先します。今回は評論で(次回があるのか分かりませんが)。

上のリンクでも言っている通り、センター現代文の問題というのは日本の受験問題群の中でも比較的「よくできた」ものであり、じゅうぶんに検討することで、教育指導要領が想定している「理解力」や「論理性」が浮き彫りになる。そういう類の問題だと考えています。本年度の問題も、その基本路線からは漏れないものだったと言って良いでしょう。まあ、能書きはこのくらいにして実際の問題を見て行きましょうか。

 ▼河合塾 2014年度大学入試センター速報
  ※国語問題は「こちら」(pdf)

問1 漢字
省略します。

問2 正解は4
[プロセス1]
傍線Aに関して理由を問う(「それはなぜか」)問題。理由を問う問題の基本は、傍線の前に理由が書いてあるか、後ろに理由が書いてあるかを見つけるところから入る、ということ。これは、本文が理由→結論になっているか、結論→理由になっているかを見極められるか、という基礎的な論理性把握力が験されていると思って良いでしょう。今回の場合、傍線Aが明らかな話題転換なので、理由は後ろにある(前の部分とは切れている)と素直に考えます。

[プロセス2]
選択肢をパーツに分解し、横に比較(選択肢同士を比較)します。本問の選択肢1をパーツ分解すると、だいたいこんな感じ。

 (1) 中国に目を転じて時代をさかのぼり、
 (2) 中国古典文に見られる思想と文学の共通点を考慮に入れることで
 (3) 近世後期の日本において漢籍が知的世界の基礎になった根拠が把握できるから。

(1)の部分はすべての選択肢に共通なのでスルーします。(2)は、設問にある「もう少し考えてみましょう」の、「考える」対象は何か、という部分に対応する説明になっていますね(こういう、設問との対応関係を考えるのが、センターの目指す基本的な論理性だと思われます)。そう思って選択肢を横に並べると、次のようになります。(機種依存文字なんですが、センター選択肢なので①とか②とか使います。ごめんなさい)

 ① 中国古典文に見られる思想と文学の共通点
 ② 科挙を例に(した)学問の制度化の歴史的起源
 ③ 儒家だけでなく道家の思想も士大夫階級に受け入れられた状況
 ④ 中国古典文と士大夫階級の意識との関係
 ⑤ 中国古典文に示された民情への視線

あとは、これらを本文と照らしあわせて、どこがどう間違えているかを検討します。

まず⑤。これは、明らかに論旨に反します。本文の議論は、中国古典文は「士大夫」のものであり、人間一般を射程にとるものではない、ということを言っているからです。「農民や商人に向かって隠逸を説くのではない」のような部分からはっきりわかりますので、この辺を根拠としてバツにしましょう。

次に、③。これは、「道家の思想も士大夫に受け入れられた状況」がおかしい。③が参照している本文の該当箇所には、こう書かれています。「無為自然を説く道家にしても、知の世界の住人であればこそ、無為自然を説くのです」。「知の世界の住人であればこそ」というのが、(道家が)知の世界の住人だから、なのか、(説く相手が)知の世界の住人だから、なのかは判断のわかれるところですが、その判断を保留しても問題は解けます。なぜなら、どちらの解釈を採るにしても、「士大夫が道家の思想を受け入れた」という話ではないからです。ここで言われているのは、「語る」ことであり、「受容」(理解)のことではない。その部分を根本的に取り違えた③は、キーワードだけ拾うと一見妥当そうなことを言っていても「最も適当」とは言えないでしょう。よってバツ。

更に②を見ます。「科挙を例に学問の制度化の歴史的起源」と言っていますので、本文から科挙について述べているところを探すと、次の場所が見つかると思います。「唐代以降の科挙による詩作の制度化を待たずとも……」。つまり、科挙による「制度化」の前に注目している。よって、科挙を例に云々が不適当。

また、ここで科挙は「思想」ではない「文学」(詩)に関わるものとして参照されています。実際の科挙がどうであったかはさておき、本文で筆者がそのように述べているので、この「詩作」を「学問」と言い換えて良いのかどうか、というのもちょっと引っかかるトコロかもしれません。私は今回の場合、この言い換えは問題ないと思いますが(17段落で科挙と「学問吟味」を対応させる記述があるため)、この手の地味な「言い換え」でマル・バツが付けられることもあるので、ことばづかいには注意しておいて損はありません。

[プロセス3]
これで、残りは選択肢①と④です。ただ、この2つは(2)の部分での判別は困難なので、あきらめて(3)の部分に行きましょう。(3)の部分は、「考え」たことによって何が把握できるか、ということです。

①と④は一見すると同じことを言っているように見えるでしょうか? ちょっと並べてみます。

 ① 近世後期の日本において漢籍が知的世界の基礎になった根拠が把握できる
 ④ 近世後期の日本において漢文学習を通して思考や感覚の型が形成された過程が把握できる

どこが違うでしょう……と言われて、パッと気づけた人はセンター試験向きだと思います。これ、①は「根拠」、④は「過程」なんですね。ことばをひらくと、①は「なぜ」が把握できると言っており、④は「どのように」を掴むと主張している、ということです。

どちらが正解か。言うまでもなく④です。これは「近世後期の日本」の話になっているので、中国の話をしている6段落から9段落はかっとばし、10段落を見ます。すると、「心の構えがそうなってしまう」という表記が見つかります。この「なってしまう」は、原因・理由への言及ではなく、過程への言及と読むべきです(前後も踏まえて)。よって①より④のほうが「適当」と考えます。


問3 正解は2
以下、手続きとしては同じようにやっていきます(文字数の都合で、問2ほど細かくは見られませんがご容赦ください)。「具体的にどのような展開があったのか」という設問なので、傍線に対応させながら具体的な展開が書かれている箇所(傍線の後ろ)を探します。すると、「人がことばを得」は「書きことばの世界は古典世界としてのシステムを整えていき……」という部分に。「ことばが人を得」は「古典詩文の能力を問う科挙は……」という部分に対応することが見えてきます。まあ凄い雑駁に言っちゃうと、人間がことばによってシステムを整え、そのことばを使うことで、今度は同じような人間がつくられるという循環構造になってるっていう話ですね。んで、科挙によってそれが制度化されて拡大していった。そういう話。

これも選択肢を分解します。正解の②をサンプルに。

 (1) 中国古典文の素養が士大夫にとって不可欠になると、リテラシーの獲得に対する人々の意欲が高まるとともに、
 (2) 中国古典文が書きことばの規範となり
 (3) やがてその規範に基づく科挙制度を通して統治システムが行き渡っていった。

こんなところで3パーツに分けるのが妥当でしょうか。(1)が「人がことばを得」の具体説明、(2)が「ことばが人を得」の具体説明、(3)が「その世界は拡大」の具体説明、という対応です。

で、選択肢①。これは即切り。「上昇志向を捨てた人々がいる一方で」の「一方で」がおかしい。人と制度は対立するものではないからです。論理構造そのものを大きく取り違えているので却下。他の②~⑤は、(1)のところでは切りづらいですね。

次に、(2)のパートに目を向けると、④と⑤もわりと簡単にカットできます。④は「民情を取り入れたもの」、⑤は「士大夫が堅持してきた書きことばの規範が大衆化」がそれぞれおかしい。というのは、士大夫の思考や感覚の型(「士人的エトス」)は「民」のそれとは異なる、という話をしているので、そこを接近させたらマズイですよね。「統治のために民情を知るという視線はすでに定まっています」とある通り、民情はあくまで士大夫の立場に回収されるものとして扱われています。

ラスト残った③。幾つか細かいポイントがあると思いますが、一番わかりやすいのは「儒家の教えが社会規範として流布し」というところでしょうか。ここで言われる「士人的エトス」というのは、「儒家の教え」に限定されてはいません。「特定の地域の特定の階層」という言い方には、先ほどみた通り老荘思想も含まれているようですしね。あと、「伝統的な身分秩序を固定化」云々というのは、なんか怪しい気がするんですけど、本文のどこを参照してるのかよくわからず、根拠をもって排除できなかったので据え置きました。



問4 正解は4
これちょっと難しいでしょうか。「どういうことが可能になったのか」という設問形式は、これまであんまり見たことがありません。その辺で面食らった人も多かったかも。

どこに着目すればいいかというのは、選択肢を分解すれば(あるいは設問を読めば)明白です。「近世後期の武士は」と言っているので、傍線C付近で「近世後期の武士」という単語を探すと、隣の第15段落にすぐ見つかります。「やや誇張して言えば、近世後期の武士にとっての文武両道なるものは……」ここですね。

ただ、だからといって「じゃあとりあえず傍線の後ろに注目しておきましょう」といかないのが本問の難しさ。この話は文脈の中にある(前後の繋がりが強い、「途中」の部分)ですから、13段落あたりから始まって16段落くらいまで、幅広く傍線の前後を見たほうが解きやすくなっています。

まず⑤が切れます。というかこの選択肢⑤は全体的に論外で何言ってるかよく分かんないんですけど、「出世のための学問を重んじる風潮に流されず」というところが、「文武両道」に反しますので、形式的にカットします。もちろん、「文武両道」の「文」は「出世のための学問」という意味ではありませんが、ここでのポイントは「文」と「武」が共存しているというところにありますから、対立させたらダメでしょうという、それだけの話です。「武を文に対立するものとしてでなく……」(14段落)と言われていますから。形式的ってのはそんなところで。

次に切りやすいのは③でしょうか。「刀を持つことが本来意味していた忠義の精神の中に」がおかしいですね。傍線Cが「刀は、武勇ではなく忠義の象徴となる」と言っています。「なる」っていうんだから、もともとは違ったんでしょう。つまり、「本来意味していた」というのが余計というか明白に誤解です。おしまい。

次に、②。「単なる武芸の道具であった刀」で削除でどうでしょう。「武勇でなく忠義の象徴となる」という言い方から察するに、「武勇の象徴」だったと読むのが妥当。じゃあ、「単なる武芸の道具」ではないだろうということで切りました。ただ、これは「もともとは何の象徴でもなかったのが、(武勇でなく)忠義の象徴となる」という具合に、2択の片方を選んだ、という意味にもとれる。キチキチに考えるなら、ちょっと危ないかもしれません。補強として、「刀を……吏僚としての資格と……」というところを挙げておきます。「吏僚としての資格」は、本文の内容から考えて「文」です。ここでの論旨は、「刀」は「文」でも「武」でもなく「忠」だという話(行政能力としての「文」と忠義の心を15段落で分けています)になっていますので、「刀」が「文」を象徴している、という記述はおかしい。これでいかがでしょうか。

最後、難しいのは①と④の比較。結論から言うと、①は「刀が持つ武芸の力を忠義の精神の現れと価値付ける」の部分がダメ。それだと、「武芸の典型としての刀を忠義の精神の現れと見なし」という④もダメじゃないか……と思われるかもしれません。しかし、④は厳密には違う書き方になっています。たぶん、私のこの方法を採った場合、受験生にはここが一番難しい(たぶんですよ)。

正解である④の書き方を、もう一度見てください。「武芸の典型としての刀を忠義の精神の現れと見なし」です。書かれている情報を並べると、下のようになります。
  1.  刀は武芸の典型であった。
  2.  その刀を、忠義の精神の現れと見なす。
これは、「武勇の象徴だった刀が忠義の象徴となった」と言い換えても問題ないでしょう。傍線Cそのままです。一方、①は何と言っているか。「刀が持つ武芸の力」を「忠義の精神の現れ」と見なす、と言っているのです。順番が逆というか、対象が違う。これで切って良いんじゃないかと思います。

あと、①については「日本独自の文と武に関する理念」云々もちょっとあやしい。第12段落で宣言されているように、ここでは「中国の士大夫と日本の武士が漢文を介してどのように繋がるのか」に焦点があります。つまり、日本の独自性みたいな話ではない。こっちのほうが楽に削除できるかもしれません。


問5 正解は3
「傍線部はどういうことか」という、傍線部の解釈問題。 基本、傍線部を分解して、選択肢と対応させてやればほぼおしまいです。具体的に見て行きましょう。

傍線部Dは、選択肢と対応させると以下のように分解できます。

 (1)「漢文で読み書きすることは」
   →選択肢では①~⑤に共通の「武士の子弟たちは、漢文を学ぶことを通して」と言い換えられている。
 (2)「道理」
   →①~⑤で別々に言い換えられている
 (3)「天下」
   →①~⑤で別々に言い換えられている
 (4)「背負ってしまう」
   →①~⑤で別々に言い換えられている

で、第17段落と18段落が(2)と(3)のそれぞれの答えにあたります。「道理」とは、「士族が身を立てる」こと。政治と全く無縁ではありませんが、「あからさまな官吏登用試験ではない」のような言い方から、 ひとまずは私的な学問が「道理」に対応することがわかります。

一方「天下」というのは、公的な、あるいは政治的なものです。 第18段落が「もう一つ」という言い方から始まっているので、これが二つ目であることはハッキリとわかるでしょう。「治国・平天下」という、統治を意識したものとなります。

この(2)と(3)、特に(2)に注目すると、本問は楽。まず、選択肢①は(2)の部分を「幕府の教化政策を推進する者に求められる技能」と言っていますが、幕府は関係ない(私的な立身がテーマ)ので削除。同様に、「行政能力としての文」と言ってしまっている②を切ります。

引き続き(2)を軸に考えるのですが、コンビネーションとして(4)に注目すると、更に見やすくなります。「道理」を「背負ってしまう」、「天下」を「背負ってしまう」というのが、各選択肢では以下のように言い換えられています。

 ①技能を会得/エリートとしての内面性を備える
 ②個々の内面において調和/不可欠な資格を獲得
 ③知識を獲得/あり方を体得
 ④修身を実践/経世の志を明確に自覚
 ⑤(中国の伝統的な)思考法に感化/天命として引き受ける気になる

④の「修身」は、「天下」の側の問題として書かれています(第18段落、「儒学はまず修身に始まるわけですが、それが治国・平天下に連なっている……」)ので、その言い換えとして書かれている「経世の志」と「修身」を並列させているのがそもそもダメ。また、「実践」ではなく読み書きの中で身に付ける、という話なのでどっちにしてもダメですね。

で、⑤ですが、本文にはこうあります。「あからさまな官吏登用試験でないほうが、武士たちの感覚にはよく適合した」。これを「(中国の伝統的な)思考法に感化」と言い換えたのでしょう。しかし、これはむしろ中国(あからさまな官吏登用試験)との違いを示した部分です。科挙ではなく「学問吟味」や「素読吟味」として、日本的に中国の制度を導入していった、そういう文脈として読まれるところでしょう。なので、⑤もバツ。

正解を書いている、という積極的な評価より、余計なことを書いていないという消極的な評価によって、③にマルがつきます。

問6 省略します。(割と難しかった気がしますが、読解より事実関係の確認くらいしかすることがないので)

《追記》
省略すんな、と言われたので簡単に説明だけ。
問6の(i)
① 第9段落が「問いかける」形になっていない。
② 正解
③ 第3段落が念押し云々の内容ではない。
④ よくわからないけど、たぶん「観念的」がバツ。普通「観念的」というのはマイナスの意味だし、本文は具体例も多いので。
※「観念小説」のような言い方もあるように、観念的という語は論者によってどんな意味で使われるかいまいちよくわからない(文脈がないと読めない)語なので「たぶん違うだろう」くらいしか言えないので。こういう価値判断含んだ部分で正誤判定させるのは、ちょっとしんどいというか普段のセンター国語らしくない感じがします。

(ii)
① 正解
② 第17~20段落は「補足」ではない。
③ 「前半が概略的な説明」ではない。
④ 第20段落が単独で結論ではない。

という感じでしょうか。


各予備校の講評などをまだ見ていないのでまだ全体的に難度とかどうだったのかよくわかりませんが、個人的にはなかなか難しかったと思います。いや、文章が小林秀雄より読みやすいっていうのは間違いないんですけど、選択肢を選ぶのに骨が折れるというか、広い範囲や細かいところを見ていかないといけないので。

あと問4みたいな、これまでのセンターとちょっと違う感じの(勘違いかもしれません。追試とかは見てないし、追試ですでにでてたら失礼)問いが出てきたのが意外といえば意外でした。問2も、本文を参照する範囲が問題をまたがったりしていて、なかなか大胆に変わっているなぁと。

また、問6は省略していますけど、時間内で解くことを考えるとちょっとキツいです。解釈いらないんで省略しただけで、たぶん難度で言えば今回の評論の中ではうえのほうに来そう。とりあえず、問題文の難解さという見かけ上のことにまどわされないなら、今年の問題のほうがレベル高いんじゃないかなぁ……。古漢次第では平均更に下がるんじゃない? というところで、本日はこれまでにいたします。

色紙の輸送方法について(『MA☆KO HUNTER』色紙が届いた喜びと、ちょっと悲しい話)

『MA☆KO HUNTER』バナーキャンペーンで当選した色紙が到着しました!!

クロックアップさんありがとうございます。・゚・(ノД`)・゚・。

クロアプさんのバナキャン色紙は豪華寄せ書き集。生で見ると、ホントに豪華でした。

manhanautograph
 
左上から右に、鈴音華月さん、榛名れんさん、桜水季さん、御苑生メイさん、東かりんさん、赤司弓妃さん、花南さん、蒼衣ハルさん、杉原茉莉さん。総勢9名。壮観です。メイメイさんの黒い絵は、葉っぱではなくて羽根(獣人キャラなので)だと思われます。

で、たいへん嬉しかったし休日なのに届けてくれた佐川のおにーさんには感謝したいところなのですが……。

色紙の左上、鈴音さんと御苑生さんのサインの中間くらい、折れ線がはいっちゃってます。・゚・(ノД`)・゚・。 

荷物には「色紙」と書かれていたし、梱包自体は 丁寧にしていただいて、ぷちぷち(緩衝材)も入っていたのですが……うーん、まあこればっかりは仕方ないことなのでしょうか。

おのれ佐川! と一瞬思ったものの、よくよく考えると必ずしも輸送中に傷んだとは限らない。そこまで目立たない折れ目なので、ひょっとすると文房具屋さんの時点で、最初からこうだったかもしれない。それを考えると佐川さんに噛み付くのも理不尽ですし、残念だけどそれはそれとして受け入れるしかなさそう。自分の思い出として飾るぶんには全然問題ないですしね。

ただ、こういうのすごく気にする人はいるし、そういう人だったら大変だったかなぁと思います。

何度かキャンペーンで色紙を頂いたことがありますが、だいたいどのメーカーさんも緩衝材(ぷちぷち)だけで処理しておられるんですよね。 今はやりかたを変えた、というメーカーさんもあるかもしれませんが……。ただ、それだけだとやっぱり不慮の事故で傷んでしまうことがある。

昔、文具店(というか画材屋に近かったかな?)のバイトを少しだけしていたことがあるのですが、紙製品を渡すときにはボール紙なんかで「あて紙」をしていました。これで、折れ目とかがつくことはほとんどなくなります。今回の色紙も、裏面には折れ目がついていないので、表面の上側から圧力がかかったんじゃないかなと想像するわけですが、ボール紙か、せめて厚紙をかませてから梱包していただけると、損傷確率はぐっと減るし、それで損傷していたら諦めもつくかなという。いや、今回は私もう諦めてますけどね。

あと、クロックアップさんは色紙をきちんとビニルの袋にいれてくれているので大丈夫ですが、むき身のまま入れて送ってくださるメーカーさんもあり、その場合雨でひどいことになる可能性があります。これは割と怖いのでさすがに勘弁してほしいところ。

私が体験した中での「送り方」は以下のような感じです。
  1. 封筒にむき出しのままの色紙 (冗談みたいな話ですが、ホントに一度ありました)
  2. 緩衝材つきの封筒にむき出しの色紙
  3. 緩衝材+色紙自体を水濡れから防ぐような梱包
  4. 「3」に加えて厚紙で表裏をガード  ※Ariesさんから頂いた色紙はこれでした。
頂けるだけありがたいですし、またそもそも梱包手数料や送料を払っているわけではないので贅沢言えないんですが、 綺麗な状態で頂けると喜びもひとしおかなぁと思う次第であります。

まああれこれ言いましたが、こんないいものゲットできて、素直に嬉しいです。やったね! 

『MA☆KO HUNTER』応援中です!  

コーヒーの効能

カフェインが記憶の定着に良い、という記事を読みました。

 ▼「記憶を長時間維持したいなら、濃いめのコーヒーを「学習後」に飲むと効果的であることが判明:米研」 

主任研究者のYassa博士によると、これまでの研究では、カフェインは長期の記憶維持、固定にはほとんど影響しないとされてきたが、そういった研究ではカフェインが実験の「前に」投与されるケースがほとんどで、覚醒、集中といった他の効果が影響して、「記憶の固定」に限った効果の有無がはっきり証明されてこなかったのだとか。今回の研究により、カフェインには記憶を維持する効果が確かにあることが判明したわけだ。

おお、凄い! という気持ちと、本当かなぁ? という気持ちが半々くらい。「眉に唾をつけて」いる状態です。どうでもいいけど、単純にカフェインの量をとりたいなら、コーヒーより玉露のほうが良いです。

 ▼参考:「代表的な飲料に含まれるカフェイン含有量

NO種類量(ml)カフェイン
含有量(mg)
備考
1玉露150180 
2コーヒー(ドリップ)150100 
3コーヒー(インスタント)15065 
4ココア15050 
5栄養ドリンク(カフェイン入り)10050  


Nature Neuroscience」誌にこの論文(Post-study caffeine administration enhances memory consolidation in humans)が掲載されているということで、もちろんそれなりに信憑性はあるのでしょうが、だからといって鵜呑みにできない、というところもあり。

一年ほど前ですが、赤ワイン健康説に関する学術論文が真っ赤な嘘だった、みたいな話もありました。

 ▼参考:「「赤ワインは健康にいい」論文、データ捏造で米教授に懲戒解雇
米コネチカット大学(University of Connecticut)は12日、同大所属の教授について、科学専門誌11誌に発表した赤ワインの健康効果を主張する論文に100を超えるデータの改ざん・捏造があったことが明らかになったとして、懲戒解雇したと発表した。
これはまあ掲載された雑誌が「Nature」グループのものほど権威がない(だから、たぶん査読もしっかりしていない)んだろうと思いますけれど、こういう何らかの商品が爆発的に売れるきっかけになりそうな「研究成果」については、ちょっと身構えてしまいます。三大誌の権威があれば、極端な話、さらなる検証でデータは間違いだと分かりました、ということにしても、数ヶ月、場合によっては数年の間、「カフェインは頭に良いというデータがある」という風に言って売上アップを見込めるわけで。ジェックマンもこんなこと言ってますしね……(「ノーベル賞を受賞したランディ・シェックマン教授、3大科学誌に対し不満の意を示す」)。

まあ「効果があったらラッキー」くらいに考えておくのが良いのでしょうか。プラシーボ効果で思わぬ結果が得られるかもしれませんし。なんだかんだ言いましたが、「勉強」した後にはカフェインを摂取しようかと思います(笑)。

あと、コーヒーの効能や問題点については、こちらのサイトさん(「珈琲の効用(効能)と害について」) が非常にまとまった記事を書いておられます。コーヒー好きの方や、健康にご関心ある方は、お読みになると面白いかと。

πタッチ

モバマスネタ。

昨日来た新ガチャ、「はじけて♪サマー水着パラダイス」ガチャのSRしまむらさん(島村卯月)を一発で引き当てまして……。いや、嬉しいです。勝ち組です。

で、しまむらさんスク水です。この前ブルマだったし、完全に狙ってますね、色々。

uduki01  uduki02
スク水のSRから華麗にイメチェンしたSR+。下乳が眩しい。

今回はガチャで引き当てると「思い出エピソード」もついてきたので再生してみたところ、驚くべきことが。

uduki00

お触りありですかあああ嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼!?

これもう、完全に『たっち、しよっ!』別ゲーじゃないですか。けしからん。実にけしからんです(マウスかちかちかちかち)。

この路線で行くのはマジ勘弁してください……お金がいくらあっても足りませんOTL。あ、でも新田さんの時は遠慮無くお願いします。手加減ナシで。 

ちなみにこの後、イベント(アイドルロワイヤル)の景品でSRを2連続でヒット。30回くらいしかメダル回してない気がするんですが(数えたら25回でした)、どうなってんの。他人が同じことしてたら殺意を覚えるレベルです。

tinatu01  tinatu

ホントに良いのかってくらいツイてます。かつてない強運。走る気無いときに限ってこういうの来るのは巡りあわせなんでしょうか。まあ、今回はどんなにツイていても走りません。初志貫徹で。
 

危機管理

個人情報管理はしっかりしないとね、という話。

 ▼「「先生は危機感不足」の封書、中から紛失USB」(読売オンライン)
  岡山県奈義町教委は9日、町立奈義小学校の30歳代女性教諭が2012年4月、児童の個人情報が入った個人所有のUSBメモリーを紛失していたと発表した。

 今月8日にUSBが町教委に郵送され、紛失の事実が判明。同小校長は事実を町教委に伝えていなかった。今のところ、悪用された形跡はないという。

 町教委によると、女性教諭は12年4月下旬、2008~12年度に勤務した美咲町や鏡野町の小学校や奈義小の児童計228人の名前や電話番号、成績などが入ったUSBを紛失したことに気付き、校長に報告して校内などを探したが見つからなかった。教諭は職員室の机の中に保管していると思っていたが、自宅に時々持ち帰っていたという。

 紛失したUSBは「1住民」と書かれた封書で届き、「先日拾って、中身を確認したが、小学校のものではないか。個人情報を扱う先生として危機感が不足しているのではないか」などと指摘する手紙が同封されていた。

 笠木義孝教育長は「情報管理検討会議を設置して検証し、校内の情報管理体制の見直しや再発防止の研修を実施したい」と話している。
(2014年1月10日  読売新聞) 

うーん。こういうの怖いですよね。

正直、「児童の個人情報を持ち帰る」というのは先生的に褒められたものではないと思います。昔はクラスどころか全学年の名簿を配っていたのですから、個人情報の取り扱いにうるさい、堅苦しい時代になったと嘆く向きもあるかもしれませんが、現実問題住所や電話番号を「悪用」した犯罪が跋扈するようになり、現場にはそれだけ危機管理体制が求められている。「何かあってからでは遅い」のですから。

もちろん、個人情報を一切持ち出さずに……というのは難しい。たとえば、父兄と頻繁に連絡をとらねばならない事情があったり、なんらかの問題を抱えていて(たとえば家庭内暴力等)先生に24時間連絡をとる必要がある場合などは、一部生徒の電話番号が携帯電話に入っている……という可能性はあるでしょう。これだって、個人情報持ち出しです。でも、やむを得ないと思う。

ただ、今回の場合は200人位上。しかも特に必然性もなさそう。更に、見つかっていたことを隠蔽していた(少なくとも教委には伝えていなかった)というのですから、まあお話になりません。しかもUSBメモリーにいれて(どうでもいいけどこの記事、なんで「USB」って書いてるんでしょうね。まあわかりますけど)持ち歩いているなら、せめてパスワードはかけようよと言いたい。ホントこういうタイプの人多いです。危険な情報持ち出すのにフツーにデータ入れて帰ったり、電車の中とかで明らかに機密っぽい情報をノーパソでみていたり。身内にもいるから侮れない……。

あと最近怖いのは、メールとかでも機密情報っぽいのを平気で送ってくる人がいて、これマジで多いんですよ。本人は大丈夫なつもりか、そもそもなんとも思ってないんでしょうけど、宛先間違えて他の人のところに送ったらどうするつもりなんだろう……。パスワードつけてるけど、メールにパスワードを書いてるとかもあり。それ誤爆送信した時に何の役にも立ちませんから……(´・ω・`)。

よくよく考えてみると、下手に携帯に入れるとか、あるいは紙の機密情報持ち歩くより、閲覧パスワードをかけたデータのほうが安全かもしれないんですが、折角の機能も使いこなせなければ宝の持ち腐れ。

昨日ネットリテラシーの話をしましたが、特に現在中年以降の人たちに対しては、こういうデータの取り扱いなんかの基本的な意識を育成したほうがいいのかな、という気がしています。

まあ私も偉そうに言えるほどかっちりしていないので、ホントに気をつけよう。 

謎のソース

久しぶり、ネットリテラシーのお話。

一昨日、こんな記事が投稿されていました。 

 ▼「日本人小学生の放った言葉に中国人家族が絶句、「われわれの愛国教育は間違っていた!」―中国メディア

いかにも、一部の人が好みそうなセンセーショナルなタイトルです。レコードチャイナの記事(もとはこちら)。

2014年1月8日、中国のゆがんだ愛国主義教育が、純粋な子供の心をねじ曲げてしまったことを如実に示すエピソードを、中国人ユーザーが軍事関連ネット掲示板・米尓社区に投稿した。以下はその内容。

日本人男性と結婚した従姉が、夫と彼の親戚の男の子を連れて中国に里帰りした。男の子は俊夫という名の小学校1年生。見知らぬ国で言葉の通じない人々に囲まれて、とても緊張している様子だったが、一生懸命カタコトの中国語で私たちに挨拶し、深々とお辞儀をした。その姿がとても愛らしく、私たちはいっぺんで俊夫のことが大好きになった。

だが、その従姉の一番上の姉の子、小学3年生の鵬鵬(ポンポン)だけは違った。最初から敵意むき出しの顔で俊夫をにらみつけ、こぶしを振り上げると「打倒小日本(ちっぽけな日本をやっつけろ)!」と叫んだのだ。

(中略) 

こんな小さな子供がここまで日本を憎むとは、あまりにもおかしい。鵬鵬の愛国観はすでにゆがんでしまっている。善良で純粋で友好的な日本の子供を前にして、中国の子供がどれほど恐ろしい敵意と憎しみを日本に抱いているかを私たちは思い知らされた。中国の愛国教育はもっと客観的で冷静であるべきではないのか。(翻訳・編集/本郷) 
で、これがもうあちこちでとりあげられておりました。個人サイトからまとめサイトから。面倒なのでリンクは貼りませんが。

ただ、これ読んで「あれ、どっかで見たことあるぞ、この話……」と思ったんですよね。検索してみると、2013年3月に書かれていた、この記事がヒット。

 ▼「「私は死んで当然の小日本です」我が家にきた日本の子どもの言葉に凍り付いた―中国」 

こちらの記事主さんは元ソースのことにも触れておられます。

■2013年3月8日追記
コメント欄やはてブでいろいろご意見、ご質問をいただいているのでちょっと回答を。

(1)この記事はコピペ?:上記にリンクした猫撲は初出ではなく、確認できる最古の書き込みは2012年11月。昨年の反日デモの後のもの。はてブでは11月12日付青青島社区をご紹介して頂いています。その後、いろんなネット掲示板、ブログに転載されたという次第。

記事主さん曰く、「家里来了个日本小孩 竟让我们全家人无地自容」という青青島社区の書き込み(2012年11月12日)を確認できる最古のソース(こちら)。私も調べてみましたが、それ以上のことはわかりませんでした。

また、やっぱり既視感を覚えた方もそれなりにおられるようでした。たとえば、「知恵袋」にはこんな投稿も。 

 ▼「『日本人小学生の放った言葉に中国人家族が絶句、「われわれの愛国教育は間違っていた!」―中国メディア』という記事について」 

言いたいことほとんど全部書かれてますね。

たぶんですが、この記事って何度も中国の掲示板やらコミュニティやらに投稿されてるやつで、おなじみのコピペみたいな感じなんじゃないでしょうか。事実なのかネタなのかはわかりませんけど、少なくともテンプレ化してるか、定期的に貼り付けて「宣伝」する人がいる。そういうネタなんだと思います。

レコードチャイナさんがどういうつもりで 掲載したのか存じませんが、「2014年1月8日」に初出の話題のような(断言はしていませんが)書き方をするのはどうかと思うし、「翻訳・編集/本郷」と「編集」したことを明記しておきながら、元ソースへのアクセスが書かれていないのも微妙。だいたい、この記事についてる「資料写真」ってのも、何が資料なのかさっぱりわからん。イメージってことでしょうか?

記事のクオリティの低さにも言いたいことはあるんですが、読み手のわれわれの心構えとして、この手の「報道」を(ソースにあたらず)鵜呑みにしちゃう と、やっぱり問題は多いと思います。「大衆」を騙すのなんて簡単なことだと思われたら困りものと言うか、こんな質の悪い記事が無批判に拡散されつづけると、読者がなめられると言いますか。どんどん質の悪い記事が量産されるようになりかねない。それで結果的に損をするのはわれわれです。

まとめサイトは、まあその名の通り「まとめ」るだけですから、仕方ないのかもしれません。しかし、それを利用するわれわれは、やはり慎重になるべきだと思う。まとめサイトがまとめている内容にソースとなる記事があっても、更にその記事のソースはどうか、というところまできちっと確かめるべきでしょう。われわれが注目すべきソースというのは「1つ前の情報」ではなく、本来、一次情報の発生元なのですから。

なんかもう、中国の愛国教育がどうこういうよりも、実用的なネットリテラシーの教育を早いうちに、きっちりと学校でやってくれっていう気がします。心の底から。

批評や感想における内容と形式のズレの話

昨日というか今日というか、深夜にちょっとツイッターででていた話を読んでいて思ったことを少し。

もとの発言を引かないのは、その発言は特定の文脈に依存したもので、元となる「論争」みたいなものがあったのですが、それについては今回はノータッチというか、文脈から切れた話をしようと思うからです。あくまできっかけにすぎなかったということで。

で、早速本題に。

エロゲーの感想とか、本について「批評」っぽいものとかを書くときに、いっつも「困ったなぁ」と思うのは、「この私にとって面白かったこと」を表現したいという想いと、「この作品の面白さを伝えたい(紹介したい)」という想いの板挟み。非常に極端な分け方をすれば、前者は「自分語り」をしたいのであって、後者は「魅力の伝達」をしたいわけです。

ただ、よくよく考えてみるとなかなかこの2つは両立しません。前者で言い取りたいのは、つきつめれば「私だけが見つけた、私にとってのこの作品の意味」みたいなものです。しかし、後者のためには、エビデンスを挙げて誰かに説明可能なものとして語りださねばならない。つまり、「誰にでも分かるものを読み取った」という語りになってるんですよね。そこでズレが生じてしまう。

批評ならという前提で考えてみましょう。

私が、「こんな風に読めるよね」とか「これ読んでこういうことを思い出した」という批評を書いたとします。まぁなんでもいいんですが、『君が望む永遠』をやって、三角関係になった時のことを思い出しました、みたいな。たとえば。私はなったことないですよ。

その時、そういう読み方をした自分のオリジナリティを提出しているのですが、同時に他の人もそう読めることを認めることになります。「遥が、病院のベッドから微笑んでくるシーンがよかった」とか、「遥が目が覚めた後の水月の葛藤にぐっときた」とか、「緑髪のメガネ怖い」とか、具体的に説明することで、他の人にもそれが伝わることを期待する。共感を求めている、のような言い方のほうが良いでしょうか。その批評に納得してくれた人と私は、同じような読書体験を共有することになるでしょう。

しかし、私自身の想いとしては、「私にしか分からない作品の魅力がある」という、そんな気持ちも抱いているわけです。それは、論説的な文章――つまり、客観的に誰かに伝わることを意図した表現の中に、滲ませることはできるかもしれないけれど、しかしその方法では直接拾い出すことはなかなか難しい。ような気がする。

もちろん、最初から紹介そのものが目的であれば問題ないでしょう。ですが、自分の中で思い入れがある作品、語りだすことによってその思い入れを何らかの形で昇華したいという欲求が渦巻いているときはそうもいきません。

じゃあ誰かに伝わるように書く必要無いじゃない、と言われるでしょうか。それは確かにそうなんですよね。だから、自分の想いのままに暴れまわったり、歌を歌ったり、詩を書いたり……という表現の仕方もあると思います。自分の想いを発散したいだけなら、それで良いと思う。でも、文章にして公表して、誰かに読んでもらいたいというときは、その「自分だけの想い」が伝わって欲しいとも考えているんじゃないかなぁ。

自分で書いた感想とかを読んでいて時々感じるのは、この部分でズレているものって結構多いな、ということ。つまり、「私だけが見つけた、私にとってのこの作品の意味」みたいなのを語りたかったのに、「誰にでも分かるもの」として語ってしまっている。あるいは、逆のパターンでは他人に伝えようとしていたはずなのに、書いた自分にしかわからないような書き方になってしまっていることも少なくない。

この辺りは書き方を意識することで変えていかねばならないかなぁと思っています。

徹夜ノススメ

久しぶりに徹夜すると、身体がガタガタになっていかんです。すぐ眠くなるし……。

10代の頃は、意識せずに徹夜できていました。そもそも一晩中眠くならなかったし、ちょっと寝たら翌日も普通に活動できた。

20代に入ると、徹夜の最中、「眠いな」と思うようになった。また、徹夜で仕事を終えた後、翌日は完全にグロッキー。

20代後半から30代になって、最近は徹夜を決めたら事前にドリンクなどを飲みまくり、 準備万端整えても徹夜の最中うたた寝をしてしまうことがしばしば。更に、翌日以降しばらく(下手をすれば数日)、体調が悪くなったり気怠い状態が続くようになりました。

体力がなくなったのか、精神的なものなのか……。とにかく、「年をとったなぁ」と感じます。徹夜なんてしなけりゃいいじゃん、と言われるかもしれませんが、私のようにギリギリまで仕事を溜め込む人間にとってブーストは必須。また、あれこれ仕事を溜め込んでいる間に身動きがとれなくなり、修羅場が連続して襲い掛かってくるようになると、どうしても一時的なブーストが必要になるのです。たとえその後酷い目に逢うとわかっていても。 

中年ビジネスマンにとっても徹夜はひとつの課題らしく、マイナビニュースにこんな記事がありました。

 ▼「避けられない「徹夜」とうまく付き合うための6つのヒント」(マイナビニュース)

記事の趣旨としては、いわゆる「完徹」を避け、徹夜の間も最低限の効率を保ちながら体調を維持する方法、ということで、徹夜を無理やりにでもやり遂げる方法、という感じではありませんね。

実際問題、睡眠時間3時間で20年以上暮らしてる人とか身近にいるんで、徹夜にも何か「コツ」があるのかなーと思っているんですが、こういうのも素質なんでしょうか。まあ徹夜ができない人は、無理せずに済むようになるべく仕事を先に先に片付けていくしかないんでしょうかねぇ。それができないと、いつかパンクしてダメになってしまうのかも。

徹夜のやり方を考える前に、徹夜せずに済むよう努力すべし。そういうことかもしれません。 

難しいタイトル

コピペネタでよく使われるこれ。
841 :おさかなくわえた名無しさん :2008/02/14(木) 19:47:20 ID:2nzJxgOb 
レンタルビデオ屋に、頭文字Dのビデオ借りに行ったんだけど 
「か行」探しても全然ないんだよ 
で、レンタルビデオ屋のアホ店員は「あたまもじD」って読んでるんじゃね?と思って 
「あ行」を確認したらマジで置いてあってびびったwww

もちろん、頭文字(イニシャル)だから「あ」行にあるわけですが(ネタの解説を大まじめにやるほど無粋なことはないですね)、あて字とか特殊な読み方をさせるタイトルって多いですよね。『特攻の拓』とか、「ブッコミ」って読めないよ……。ビデオ屋さんでも本屋さんでも大変だなぁと思います。

昔、筒井康隆が、自分の書いた『心狸学・社怪学』という本が「心理学」の棚に置いてあったというエピソードを話していました。ネタかマジかはよくわかりませんけれども。

sinrigaku

書店で「この本ここじゃないだろ……」みたいなのもよく見かけます。『探偵小説の社会学』とか『ミステリーの人間学』が「推理・ミステリ」のコーナーにあると、おや? となる。どっちも岩波の本ですから、普通に考えたらここじゃないだろと思うわけですが……。まあああいうのは、ミステリとかに興味がある人に買ってもらえるよう、親切で置いてるんですかね。三国志の小説のところに関連書籍まとめるみたいなノリで。

そういえば最近、近所の個人書店に、『艦これ』特設コーナーができていて驚きました。艦これ関連の本に、戦艦系専門書とかを並べておいてあるの……。街の小さな本屋さんにまで侵食してくるとは、艦これおそるべし。

 話がずれましたが、こういうそもそも読みにくかったり、内容がわかりにくかったりするのとは別に、タイトルのせいで「大変だなぁ」と思うことがあります。それは、エロゲーをソフマップで買うとき。

月末エロゲー祭りの日にソフマップでエロゲーを買うと、大量の「特典」がついてきます。それを確認するために、カウンターにリストが置いてあるのですが……これを読み上げる店員さんが大変そう。主にタイトルが凄いせいで(笑)。

たとえばの話、『信じて送り出したフタナリ彼女が農家の叔父さんの変態調教にドハマリしてアヘ顔ピースビデオレターを送ってくるなんて……』が発売されていたら、それを読み上げないといかんわけです。最初の数文字しか読まない人もおられますが、律儀にタイトル全部読む店員さんもいらっしゃるので、そういう場合は半ば羞恥プレイのようになっています。読みあげる側にとっても、読み上げられる側にとっても……。

どうでも良いけどこの前発売された『HHG 女神の終焉』は、「ハイパーハイスピードジーニアス」ではなく「えいちえいちじー」の読みだったようで、「あ」行に配列されていたのが意外でした。 
《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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