よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013年07月

丸戸史明先生のサイン会に行ってきた話

本日ゲーマーズさんで開催された、「『冴えない彼女の育てかた』4巻発売記念 丸戸史明先生 朝チュン♥ サイン会」へ行ってまいりました。9時45分開場だったので、50分くらいについたのですが、ほとんど最後くらいの勢いでした。みなさん気合入ってます……。

入り口には、Leaf/AQUAPLUSの下川さん贈呈のフラワースタンド。その他いろいろな関係者からの花がありました。

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イベント会場(秋葉原ゲーマーズ)の入り口。写真は許可を頂いて撮影しております。

内部には、「王雀孫、かんなぎれい、黒谷忍、タカヒロ、tappe、なかむらたけし、深崎暮人、みぶなつき、山下智生、るーすぼーい」(敬称略)の連名でスタンドが二つ。顔ぶれを見ると、『太陽の子』を連想してしまうのですが……。

イベント自体は特にかわったところもなく、丸戸先生入場 → 拍手 で淡々とスタート。隣におられたスラッとしたスーツのかたが、不死川の町田 編集の萩原さんだったのかしら。

会場内で一切のモバイル機器は取出すことも禁止、といわれたので、ツイート等が封印されて手持ち無沙汰に。小説はすでに2,3度読んだしなあ。何か暇つぶしアイテムを持ってくればよかった。

とか思っていたのですが、皆さんサインを頂く時に、ひとことふたこと……どころではおさまらない「熱い思い」を語っておられて、また丸戸さんが面白く受け答えをしてくださるので、それを聞いているだけで、待っている間も楽しかったです。

私の番では、簡単な差し入れ(食べ物ではありませんので「差し入れ」かどうか微妙なラインですが、まあプレゼントです)をお渡しして、サインをいただきました。

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丸戸先生のサイン。

ぶっちゃけ、いろいろお話しようと思っていたのに、前に行くと頭が真っ白になってあんまり言いたいこと言えなかった……。でも、「次巻では倫也の兄貴と結婚したけど即未亡人になったお姉ちゃんキャラをだしてください」という要望は伝えましたよ! あと、「もう、しょうがないなぁ」って言って下さいとお願いしてみたのですが、「やだ( ゚ω゚ ) 」とおことわりされてしまいました。無念!

やっぱあれですね。女の子が可愛くお願いすべきでした。そうすれば、やってくれたかもしれない。詩羽先輩よろしく、ボイスレコーダーを探すことになりそうです。あ、会場の1割くらいは女性でした。エロゲーのイベントだとスタッフ以外フルで男とかザラなので、「女性ファン多ッ!」と思ったけど、一般的には少ないですよね、たぶん。

そういえば丸戸先生、私がブログ書いてることとかご存知でおられて、ありがたいお話なのですが、ちょっとビックリ。この後、「WA2ライブ」でお会いした皆さんとゲーマーズの外で集まって話をしていると、「ツイッターで書いてたことを読んでてくれた」とか、「(宛書の)本名からツイッターアカウントあてられた」とかいう報告が続々。ライブのときに、メッセージアルバムを贈ったからでしょうか。何にしても丸戸先生、 どんだけエゴサーチしてるんだと すごくファンのことを見てくださってるんだなぁと、皆大変感激していました。

ファンは基本礼儀ただしくて、とんでもないトラブルもなかったし、携帯出すなと言われたら出す人は皆無。また、丸戸先生とのお話も、後のひとのことを考えて「ワガママ」に続ける人はいませんでした。やっぱりファンの年齢層が高いからなんですかね……(笑)。

そういえば、会場のアンケートで年齢聞かれました。また、「一番好きなヒロイン」や「丸戸シナリオのゲームはプレイしているか」というのもアンケートがあり。どの辺をターゲットにして書くか、というのをこれから一層考えて展開していくのでしょうか。「好きなヒロイン」についてはどういう反映の仕方になるのか存じませんが、先生におかれましては是非とも、最不人気キャラ大勝利の話にしてドSっぷりを発揮した後、読者からの袋叩きにあってM属性に転向するという流れを作っていただきたいと願う所存でございます。

イベント後には参加していた皆さんとの交流もあり、たいへん有意義な時間を過ごすことができました。楽しいイベントを企画してくださった富士見書房さん、そしてサインしてくださった丸戸先生、本当にありがとうございました。

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カンニング問題

Togetterでまとめられていた「カンニング」に関する問題を読んでの、ちょっとした感想です。

参考 :「試験問題作成の憂鬱、カンニングはなぜいけないのか」(Togetter)

内容が結構あちこちに飛んでいるし、複数の論点があり、読者がどこに比重を置くかで解釈が変わる部分もあるので、本当は更に詳しくまとめたほうが良いんでしょうけれど、めんどくさいので省略。

とりあえず、ここで言われているのは試験の理念および目的との関係でカンニングが考えられるべきである、ということです。「「ダメに決まっているだろう」という人は多いが「なぜダメか」という理由については皆に一致する強力な論拠があるわけではない」というのが、全体を貫く軸(であると私は読みました)。

で、確かにご説ごもっともではあるんですが、ぶっちゃけ大学レベルの高等教育の話に限定されてる議論なんですよね。渡邊芳之さんはそのスタンスで語っておられるし。だから、大学未満の場所での試験ってどういう目的なのか、ということには余り触れられていない。そこで高校・義務教育段階に触れてみましょう、というのが今回の記事。別に、Togetterの内容に反対ということではないです。むしろ賛成に近い。ただ、大学未満だと様子はだいぶ変わるんじゃないかなという直感(直観ではなく)で出発しています。

じゃあ高校以下ではカンニングってどうなの? と言われたら、こりゃあまあ、大部分の人の答えは「悪」でありましょう。私も同意。持ち込みもアカン。そして、大学の場合とは異なり、概ね「皆に一致する強力な論拠」があるように思います。

なんせ高校以下の学校での学習は、学校の方針によって変わる部分はあるにせよ、基本的に「基礎学力」の習得と定着にあります。中卒で働くにせよ、大学以上で高等教育を受けるにせよ、「次のステップのために必要な知識を身につける」ことが目指されている。大学レベルなら「方法」を学ぶというのがメインにできそうですが、高校以下は、「方法」を用いる下地づくりです。

身につけるということは、自由に使いこなせるということです。たとえばシューティングゲームにたとえて考えてみましょう。Togetterにまとめられているのは、基本操作ができる状態で、あるステージで出てくる敵の対処法を覚えていなくても攻略本を見れば良い、という話。しかし、いくら「マニュアルを読めばできる」からといって、操作方法を全く覚えずいちいちマニュアルを見ていたら話になりませんよね。

格ゲーで言えば、対人で対戦するのが大学のテスト。その前に自キャラの操作キチンとできるようになってないと、いちいち波動拳コマンドからググって確認してるようではお話にならない。

足し算引き算は、電卓使えばできます。でも、現実にはお釣りを出す時に電卓叩けない。単語の意味や故事成語は、辞書を引けば載っています。でも、他の人との会話の際、あるいは自分が意見を述べる際に、いちいち辞書を引けない局面はたくさんでてくる。求められているのは、そのレベルの基本です。

小中高くらいの学習というのは基本を叩きこみ、どのくらい達成したかを確認するのが目的ですから、カンニングされたらその判断ができなくなります。

他にも、大学入試を考えたら大学の制度が持ち込み不可のところが多いから、トレーニングとして自分の力だけで解くように教えるのだという考え方や、カンニングは悪であるという一般通念を身につけさせる道徳的配慮だとか言うこともできるんでしょうが、このあたりは外的な問題で、システムが変われば消えてしまう話なので措くことにします。

肝心なことは、大学までで学ぶことというのは原則、自分の血肉になっていないと話にならんようなものだ、ということです。大学以上のレベルのことばかりに目が行くと見落としがちですが、きょうび、たとい「持ち込み可」にしても答案を書けない学生なんてやまのようにいます。高校ならたくさん、大学でも少なからず。

なんせ、資料を参照しても文字が読めない。以前古典を教えていたとき、単語帳に現代語訳で「奥ゆかしい」と書いてあったのですが、「奥ゆかしいってどういう意味ですか?」と訊かれたことがありました。そんな子が、辞書をひきひき形だけの訳文を書いたって高校教育としては意味無いわけです。

大学以下の試験の目標というのは、評価付けは副次的なものであって、本来的には、学生の知識の定着を(危機感を煽るというかたちで)サポートしたり、結果から自分に足りていないところを確認するところにあるのではないかと思っています。

まあもちろん、私の考えはやはりあるバイアスがかかったひとつの立場なんですけど、そもそもの話として中高レベルでカンニングや持ち込みを可にした場合、メリットってあるのかな。その辺考えてみようと思ったんですが、私にはあんまり思いつきませんでした。

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満淫電車

今日朝の電車(微ラッシュ)で前のおじさんがスマホを丸見えの状態でいじってたんですが、なんか痴漢サイト見てるんですよ。ハッキリ内容まではわからないけど、少なくとも痴漢冤罪対策とかそういうのじゃなくて、卑猥な写真とともに黒い背景に赤字で「痴漢」とデカデカと書かれているようなとこ。

もうね、アホかと。他人ごとなんですけど、言わずにおられない。

公序良俗に反するとかそういう話じゃなくて、誰かに見咎められたら一発でアウトですよ、たぶん。本人やる気なのか趣味で見てるだけなのか知りませんけど、絶対やめたほうがいい。しかも、ピーピングする気もない私に見られてるんですから、本気で覗くつもりの人が後ろだったら、バッチリ確認されていたでしょう。

電車内の男性は圧倒的に立場弱くて、とにかく被害者の女性が黒といえば白いものも黒になる世の中。痴漢サイトなんぞ見ていたところがうるさがたに発見されたら、「疑わしきは被害者の利益に」的な法則にしたがって豚箱行きなんてのも大げさな話ではありません。

しかも、痴漢はマジ人生狂います。日本ではとかく性犯罪が冷たい目で見られがちなところへもってきて、痴漢は卑劣で、しかも小心者がやる、みたいなイメージがある。攻撃しても反撃が来ないから堂々と攻撃する。昔……といっても小学生ぐらいの頃、私と同じマンションに痴漢で訴えられた人がいたんですが、それはもう恐ろしい速度でご近所じゅうにその話が広まり(小学生の私が聞き及ぶくらい)、「出て行け」運動みたいなのが展開されていました。

私は中学に入るときに引っ越したので、その後の顛末はよく知らないのですが、とにかく痴漢の犯人よりそれを攻撃している人たちのほうが、よほど恐ろしげであった記憶があります。

今は冤罪問題なんかもとりあげられ、あまりナイーブなことはできない状態が作られているのでしょうが、そういう、傍目には「行き過ぎ」の行為であっても、相手が痴漢なら許されるみたいな心理は、変わらず残っているように思われます。だから、とにかく容疑もかけられないように気をつけたい。

私は、鞄は網棚の上にのせ、両手を上に上げる。つり革につかまれなくても、バンザイしてます。そのくらいアピールしてちょうどかな、とか思ってる。文字通り、「触らぬ神にたたりなし」。ひたすら用心深く、卑屈に行くのが、満員電車の生存戦略です。

そのぶんの鬱憤は痴漢系エロゲーで晴らさせて頂きますけれども。

ああ~。良い感じの痴漢ゲーでないですかね(駄)。

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結婚シーズン

愚痴です。

この時期、結婚式に行くことが多くなるのですが……。まあ、理由はわかります。7、8月は安いから。なぜ安いかというと、暑いからです。あと8月にはいると、盆や長期休みに他人の式に出かけるというのが、(招待される側にとって)迷惑になりやすいというのもあるのでしょうか。とにかく、式を行う側にとって配慮が難しい時期だけに人気がなく、値段が下がる。親戚のやってる式場では、半額くらいにするプランもあるということでした。スゲー。

ただそうなると、値段を目当てに「突撃」する人も増えるわけでして、私の友人・知人関係にはそういう人が多い。ボンビラスではないハズなんですが、ちょっとでも節約しようってことなんですかねぇ。

おめでたいことですから、存分にお祝いをしたいのですが、同じ時期に式が重なるとさすがに財布が苦しい。かつ、正装でこのクソ暑い中式場まで長距離移動したり、外での(つまり冷房がない中での)作業を強いられたりすると、なかなかこう、精神的にクるものがあります。

「別にクールビズや私服で来てくれてもいいよ」なんて言ってくれたりもしますが、自分一人が「常識のないやつだ」とナメられるならまだしも、新郎・新婦の関係者として列席する以上、主役に恥をかかせるわけにはいきません。最低限服装やその他のところで、粗相がないように振る舞うことを心がけたい。そうなるとやはり、あんまりいい加減なこともできないわけです。

ま~あれですよね、やっぱ。心置きなくお祝いするためにも、この時期の結婚式は、できれば室内でやってほしい。あと、都心でもバスだしてくれると嬉しい。非常に嬉しい。呼ぶ側になったことないので分かんないけど、呼ばれる側のワガママとしては、強くそう思います。

真夏に式場の値段がさがるのは、納得しちゃうなぁ……。

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作品に内在するという話

文学でも映画でもエロゲーでもいいんですが、ある作品を鑑賞する立場として、「作品内在」ということが時々言われます。まあ「内在」ということばそのものは、やや水ぶくれ気味になっていて明確な定義が難しいことばなのですが、要は、物語の登場人物たちの立場を踏まえた上で鑑賞しよう、というくらいの意味で良いかと思います。歴史的には、作家論の流行や、それに対する「内在批評」の展開といった背景があり、どちらかと言えば既存の鑑賞形式を「外在」として纏めあげて、それらに対抗するために言われ始めた語という感があり、それだけに、敵に応じて「内在」の意味も揺れ動く、そういうタイプの語ですかね。

で、私自身は比較的この「内在」という態度が好き……というか極端な「外在」的態度があまり好きではないせいで、頻繁に「内在」ということを言います。

私の言う「外在」とは、たとえば、女の子を賭けて決闘する物語を読んで「女性をモノのように扱うとはけしからん」と言い出したり、愛していた恋人が死んだことを嘆いて自ら命を断つ登場人物に対して「自殺は不道徳だからけしからん」と言ってみたり……。まあそういう、作品に描かれている内容そっちのけで、自分の立場からしかものごとを見ないような、そういう態度です。

で、「外在」はあんまり面白くないから「内在」を心がけたいよね、みたいな話をしていたら、ある友人が「その割にOYOYOくんは分析とか何とか言って、素直に読まないよね」みたいなことを言われまして。もう一人その場にいた友人にもうなずかれてしまいました。

それを聞いて、「ああ、やっぱりなぁ」と思いました。どうも「内在」というのは、自然で素朴な読み、のように思われているフシがある。たとえば、自分がそのキャラになりきって、心情を代弁するような。でも、そうではありません。

確かに、私は頭でっかちなことを言うし、物語に対してもそうすることがままあるのですが、そのことは基本、「内在」的であることとバッティングしません。

たとえばシェイクスピアの劇を観て、劇に「内在」するためには、16世紀ごろのヨーロッパの文化や常識を、ある程度知らねばならないでしょう。ハリウッド映画でも、中国の古典でも同じことです。ある世界の中に入っていくためには、その世界についての知識や何やらが、当然必要になる。

いや、そんなことはない。そういう物語には、人間の普遍的な感情が描かれていて、だからいま現在の自分が感じた自然で素直な感情のままに読めば良いのだ、という人がいるかもしれません。しかし、私はそういう態度こそが、「外在」的な態度の極致ではないかと思う。なぜなら、ある物語に「普遍的な」感情が描かれていると簡単に言ってしまうということは(その前提で読むということは)、その物語の世界はただの仕掛け(手段)にすぎなくて、他の物語でも代替可能だと――つまりその物語世界は「不要」だと――言っているのに等しいからです。物語の内にはいるなら、そんなことを言えようはずがない。

「外在」的な読みを支えるのはおそらく、知識ではなく共感です。私にとっての常識が、同時代の他の人たちにも、そして当然、場所も時代も異なる物語世界の内部にも、通じるはずだという意識。そういう共感への無批判な信頼に根ざしている。

あるいは全く逆で、そもそも意思疎通など不可能だという諦めに基づいている場合もあります。読み取るなんて不可能だから、それなら勝手に押し付けても良いだろうという開き直り。

このどちらかによって、外在的な読みは成立するのでしょう。行き着く先は、「私はそう思うから」という根拠で、「私はそう読みたいから」という読みを、作品に押し付ける態度です。まあ私はやっぱりあんまり好きじゃないし、面白いとも思いません。

これが、作品でなく人間だったらどうでしょう? たとえばあなたが、目に砂が入って泣いていたとします。それを見た誰かが、「あいつは涙を流している。私は悲しい時に涙を流すから、あいつも悲しいことがあったにちがいない」とか言い出したら、「何じゃそりゃ」と思うでしょう。求められるのは、人間が涙をながすシチュエーションに対する知識と、周囲の状況(風が吹いている、砂が舞っている等)への分析です。

心理にしても同じことで、態度のひとつひとつ、言葉遣いのひとつひとつから、丁寧に拾い上げていくしかない。「内在」というのはだから、誰でもが理解できるような客観性を示し、つきつめていくのと似ている。目の前の対象を、あくまで自分と違うものだと考えて、それにアプローチを仕掛けていくわけです。あの人はこういう態度をとって、こういう発言をして、日頃はこういうことを言っているそうだから……っていう感じで。

その結果、対象本人が気づかなかったような心理が出てくることもあるかもしれません。ほら、あるじゃないですか。他人から言われて自分のクセに気づくとか、自分の気持ちに気づくとか。それは、読み手の解釈を押し付けているのではなくて、対象の側から見えなかったものを引っぱり出しているわけです。

もちろん、「内在」というのは完璧に行うことは不可能です。なぜなら、対象はあくまで対象でしかなく、「自分」になることは無いのですから。しかしだからこそ、そこで安易に自分と対象を重ねたり、「どうせ分からない」と開き直ったりせず、踏みとどまって考えるということは、その相手を本当に大事にしている(認めている)のだとも言える。

自分と違うものがある、ということを認めた上で、そこに何とか近づこうとする試み。それこそが「内在」するということの本質的な意味(あるいは目指すべきところ)であり、そのために必要なのは、決して単純な共感のようなものではないと、私は思っています。

……ま、自分にできるかどうかはこの際おいておきまして、ですけれども。

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心情描写のことば選び

「 二人でいるときの沈黙は、やはり気になった。あまりに沈黙が長いと、なんだか申し訳なくなってしまう。食事が終わって短い会話を交わしたあと、沈黙に耐えられなくなると、わたしは黙って席をはずすか、テレビに集中しているふうに目を凝らすか、横たわって眠いふりなどをする。」

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青山七恵『ひとり日和』、序盤のワンシーンから引用しました。うまいなぁ、と思う。文章が巧いかとかそういうことはわからないけれど、心情描写として、とても丁寧に見える。

ここでの「わたし」の気持ちを説明せよ――そんな問題が「現代文」で出たとしたら、私はお腹を抱えて笑うかもしれません。無粋極まりない。だって、説明できないから、こんなにも丁寧に描いているわけでしょうに。

「申し訳ない」というのは、「わたし」の気持ちではありません。いや、もちろん多少思っていることは思っているのでしょうが、気持ちのすべてではない。また、あくまでこの時の相手(下宿先のおばあさん)に対する感情であって、「わたし」が「わたし」自身に向ける真情としてはふさわしくない。

しかし、「所在ない」だとか「居心地が悪い」のように、何か感情をあらわすことばで言いとってみたところで、引用した上の文章で描かれている感情に、届くとは到底思えません。

以前このブログで、心情描写が直接的すぎる物語の話をしましたが、直接的な感情語というのは、ことばの力が強すぎて、こういう繊細で微妙な心の動きを表現しようとしても難しい。

ここで描かれている「わたし」の感情は、強くてハッキリとしたことばによる規定をすりぬけてしまうようなものだし、そもそも感情というのは本来そういう性質のものでしょう。

ためしにもうひとつ、「わたし」が失恋するシーンを同じく『ひとり日和』から抜いてみます。

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「恋の終わりは予想以上にあっけなかった。わたしが待っていた自然の流れというのは、こういうことなのだろう。言ってはみたが、よく考えてみれば言葉に出すほど最悪でもなかった。悲しくもなければ、憎らしくもない。どちらかといえば、期末試験が終わった帰り道のような気分だ。」

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「悲しい」や「憎らしい」といったできあいを拒否して選ばれたことばには、解放感や倦怠感、諦め、後悔……そんなさまざまなニュアンスが込められている。「期末試験が終わった帰り道のような」ということばには、そんな諸々を想像させる力があります。

感情を、テンプレートで乱暴にきりとってごまかさず、微細なニュアンスを少しでもすくい取る。そういう表現のほうが、読んでいて面白いなぁと私は思います。もちろん、娯楽としてはシンプルなのが良い時もありますけどね。

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レビュー:『海街diary』

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吉田秋生『海街diary』(小学館)flowers コミックス、1~5巻(続刊)

ふらっと出かけた三省堂で超プッシュされていたので、吉田秋生『海街diary』を買って読みました。

いやあ、超良かったです。

鎌倉に住む三姉妹の一家(香田家)が話の中心。彼女らを捨てて再婚した父親が死に、葬式の場で、異母姉妹を引き取るところから一巻の物語は始まります。エロゲー的な軽いノリではなく、父親の浮気や再婚という現実を伴って描かれる一連の出来事は、ポップでやさしい絵柄に反して、重たく、とてもドロドロしている。

そういう人間関係の現実を厳しい目で描きながら、人の想いそのものは綺麗に描いているというのが、本作の特徴でしょうか。傍から見ると不誠実な関係、どうしようもない行為、しょうもない葛藤を描きながら、その底に流れている人間の純粋な気持ちを取り出している。そんな感想を抱きました。

個別の話として見ると、いろいろ深刻な「事件」は起きているものの、大きな枠組として見ると、彼女たち一家の「日常」が描かれているだけの話です。でも、ちっとも退屈ではない。

ストーリー仕立てで進行する作品というのは、ドラマチックな部分ばかりがクローズアップされ、そうではない部分は切り捨てられてしまいがちです。しかし、私たちの生活というのは2割の劇的さより、8割の平凡さから成り立っていて、その平凡さの中にこそ生きている実感があるものだと思います。

本作は、事件を切り取っているようでいながら、実はその裏側にある平凡な暮らしの連続を描いている。「diary」というタイトルが、実に相応しい作品です。

出産の話はまだあまり無いけれど、人が暮らしていくこと、恋すること、別れること、老いること、死ぬこと……。人生の「イベント」に直面したときに見えてくる日々の生活のありようと、そこに流れる人間の情念が、1ページ1ページから伝わってきます。

いささか各キャラを「わかりやすく」描きすぎかなという気がしないでもないですが、関係の複雑さを描く上では、かえってこのくらいのほうがすっきりまとまって良いのかもしれません。不定期連載ということで次がいつになるかは分かりませんが、続きが楽しみです。

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熱の恐怖

このくらいの時期になると毎度恒例なのでしょうか。ハードディスクがカッコンカッコン、嫌な音を立てております。もう、夏の風物詩ですね……。

まず、Windowsのマウスが時々挙動不審になります。Winupdateが降ってきてる時の感じ。

次に、HDDに何かが引っかかっているような音がします。

カッコン

カコン カコン カコン

カッッッッコン

という感じ。

それからしばらく画面がフリーズして、ブルースクリーン……。

という展開が、本日だけで2,3度。もうこれはアカンと思ってバックアップを始めているのですが、5月6月とエロゲーラッシュでカネも時間も無い時に、ホント勘弁してほしいです。PCリニューアルは難しいので、システムだけ移行させるしかないかなあ。

いっそ、SSDにとも思ったのですが(1台はSSDにしてすこぶる快適なので)、やっぱり先立つモノがありませんので、当座は容量小さめで安いHDDを買ってきて凌ぐことに致します。

これ前回危ない音がした時にも言った気がしますが、ぶっ壊れる前に予兆が出てくれただけマシですね。いきなりご臨終でうんともすんとも言わなくなった時ほど悲惨なことはありませんから。携帯破損の時にも申し上げたとおり、こまめなバックアップが一番の対処法なのかもしれません。

まあ、そんなマメな性格だったら、そもそもPC不調にここまで怯えないんですけどね。

あー。早く秋にならんかしら。

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狭量その2(ヘイト値)

以前にも書きましたが私は狭量で、しかも結構好き嫌いが激しいタチです。たとえばですが、若かりし頃は嫌いな相手、いけすかないヤツがちやほやされてるのを見たりすると、それだけでイライラした。人間だけじゃなくて作品もそう。いまはだいぶ薄れたものの、かつては気に入らない作品が褒めそやされているのを見ると、わけもなくけなしたくなって、まず否定から入ったりしたものでした。お恥ずかしい話です。

嫌いな云々というのは、必ずしも意見が対立する人であるとか直接被害を受けた人というわけではなくて、なんとなくそりがあわない人であるとか、他の人に対して何か酷いことをしているのを見たとか、そういう場合も入ります。作品であれば、正直なところ結構楽しんだにもかかわらず、この作品がもてはやされるのは許せん! みたいなこともあった。

嫉妬ではないですよ。別に自分と比較して……とかじゃないので。もちろん自分と直接の利害関係が発生するとストレスは倍増しますが、そういうのとは無関係に成立つ話だと思って下さい。

ようするに、たいした理由もなく「直観的に」イヤだというのが抑えられないという話。我がことながら漂う小物臭がハンパない。でも、ありませんかそういうの。「あいつ(あれ)が評価されるなんて、世の中間違ってる……!」みたいに思っちゃうこと。

私であれば、「ああ、これはムリ」と思う人がバイト先にいたことがあります。とにかく差別というか好き嫌いが激しくて、気に入る/気に入らないでえこひいきをするし、自分の価値観を絶対だと思って押し付けて他人の言うこと聞かないし、セクショナリズムを発揮して身内囲いを始めるし……。更に上のスタッフに気に入られて重用されていたんですが、「この人が出世すんのか」と思うと、なんかもうやってられなかった。自分の直属の上司ではなかったけど、ぶっちゃけ呪われろ! くらいのことを考えたこともあります。

そして、現実問題こういう考えを持っていまうと、精神衛生上あんまりよくありません。力づくでその相手をねじ伏せることが出来たら(実際に権力を使って潰すとか)話は早いのですが、それがなかなかそうもいかない。

いかないからどうするかというと、「理論武装」をはじめます。かくかくしかじかの理由があるからあの人(作品)はけしからん。自分の批判は正当である……という感じですね。

こうして、嫌いなことに理屈をつけていくにつけ、自分がヤなヤツになってるなぁと思ったりもする。ですが、よくよく考えてみると、これは単に攻撃のためにあとづけの理論を捏造しているというだけのものではないのかもしれません。おそらく、自分が抱いた「いけすかない」という直観が何処から来たモノなのか、それを辿って見つめなおすプロセスでもあります。

嫌いだから理論ができるのか、先に見えない自分の中の理論があって嫌いになるのか。鶏が先か卵が先かみたいな話だけど、そういう機会(大嫌いなもの、許しがたいものに出会う機会)が無いと、自分の内に潜むものは見えてこないのかもしれません。

「その人を知りたければその人が何に対して怒りを感じるかを知れ」とは、以前にもとりあげた『ハンター×ハンター』ミトさんのセリフですが、これは自分についても言えることでしょう。自分が何に怒り、何を嫌悪するかというところから自分が見えてくる。そんなこともある。だから存分に嫌えというのではなくて、そういう「自分」に出くわした時に、それとじっと向き合うことが大事かもしれないなあと、最近はそんなことを思っています。

もうちょっと膨らませる話にしようかと考えていたのですが、ちょっと収拾がつかなくなりそうだったので、本日はこの辺で。好き嫌い、怒りから批評の話にもっていくのは、また今度にいたします。それでは、また明日。

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クールビズスーツ

連日暑い日が続きます。皆様、体調など崩されておられないでしょうか。

オフィシャルな格好が求められる勤め人にうってつけなのが、このアイテム。

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じゃーん。

っ「クールビズス~ツ~」(ネコ型ロボの声で)

汗をかきづらく、かいても対応しやすく、そのまま制汗スプレーなども使え、洗濯も容易。ちゃんとエリもボタンもついておりますし、これで夏の暑さを吹き飛ばせ! 節電・温暖化対策もバッチリだ!

……とはまずならないようなシロモノですが、まァ実際問題こんな格好したくもなる。ちょっと前まで涼しかったから、まだ身体のほうが対応しきれていないのかもしれません。熱中症にはくれぐれもご注意ください。

どうでもいいけどこのウェア、エロいプレイに使えないすかね……。早苗さん(下)みたいな感じで。

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逮捕しちゃうゾ。

更にどうでもいいけど、「おまわりさんこいつです」って省略すると「おま(わりさ)んこ(いつ)です」になるかと思うんですが、いかがでしょう。流行らないかな……。


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