よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013年06月

文章の味わい方それぞれ

最近、いわゆる「味のわかる」友人とラーメンを食べに行くことが増えました。彼は結構すごくて、使ってるスープのベースを、味である程度判別できる。「アゴだな」(※トビウオのこと)とか言い出した時は、ちょっと尊敬しました。

本人も結構な料理好きで、もちろん素人なのですが、プロ顔負けのこった料理を作ります。材料にも詳しい。だからラーメンに限らず、いろんな料理の作り方から素材まで、おおよそのところはわかるようです。ばくばく食べて「うめーうめー」言ってるだけの私とは、食事の楽しみ方のレベルが違う。

で、「文章を読む」ってのも実は、これに似たところがあるのかもしれないなぁ、と思いました。文字はほぼ誰にでも読めるから、あんまり意識はされないけれど、たくさんの文章を読み、知識や概念を身に着けている人とそうでない人、普段文章を書く人と書かない人、そういうところで、他人の文章を受け止めるレベルは、やっぱり明らかに違います。

最近光文社から新訳が出た『ソクラテスの弁明』の訳者解説には、こんなことが書いてありました。「プラトンは、「知らない」ことをめぐる状態を、「不知/無知」という語で基本的に分けている」。もちろんこれは日本語に直した時の区別ではあるけれど、「Amathia」と「Agnoia」を使い分けるという意識は、ことばを「なんとなく漠然と」使う人には持ち得ない意識だろうし、それを「不」と「無」に分けて考えるという時にはやはり、知識が必要になるでしょう。

私が、ラーメンたべても醤油か味噌かくらいの区別しかつかないのと同じように、知識や経験無しにフクザツな文章を読んだって、そこに書かれてあることは分からない。こんなことを書くと、鼻持ちならない教養主義と見なされるかもしれませんが、そういうことは、現実問題として、確実にあります。

というか、ついでに言っておくと、私はどっちかっていうと「読めない」ほうです。訓練は積んだのでずぶの素人だった時よりはマシになったかもしれませんが、世の中にはほんとにすごく「読める」人がいて、そういう人の前に行くと、「こらアカンわ……」と打ちのめされます。教養主義的なことを言っておきながら、自分はそれに乗っかれていないというバカバカしさ。

ただ、私は、そうやって複雑な文章を読みこなせることが必ずしも良いことであるとは思いません。もちろん、読めるに越したことはない。けれど、文章の味わい方、楽しみ方というのは、そればかりというわけでもないでしょう。それこそ、素材や調理法を知らなくてもラーメンを美味しく食べることができるように、文章もまた、楽しみ方は人それぞれで良いはずです。

料理の話だと分かりにくければ、音楽とかはどうでしょう。クラシック音楽なんかは特に、過去の膨大な蓄積と、卓越した技術を背景に持っています。また、オーケストラとかになると楽器の量も多く、クラシックファンというのはその辺りを基礎知識として持っている――少なくとも今鳴っている楽器が何であるかの聞き分けくらいはできる――人が非常に多い。でも、「第九」を聞いて心踊っている素人がいたとき、彼の音楽の楽しみは、玄人的なファンの楽しみに劣るものなのでしょうか? そんなことはないだろう、と私は思います。

たしかに知識があると、楽しみに幅は広がるかもしれません。傍から見ると凄いと感じるでしょう。それをたとえば、「深い」と表現するのは構わない。でも、「深い」ことが「善い」ことであるとは限りません。善くないと言っているのではなく、善いか悪いかとは別の問題だと、私は言っているつもりです。

「なんとなく「分かっているよ」と片付ける人は、本当には分かっておらず、自己認識がないままに、曖昧なまま進歩もなく、思い込みの中で人生を送っていく。また、不十分なまま「知らないよ」と開き直っている人にも、そこから知に向かう積極的な動きは起こらない」(『ソクラテスの弁明』解説)。それは事実ではあろうけれど、現実問題として、常に「愛知(フィロソフィー)」し続けるなんてことは、私達には難しい(そもそもそれが「善い」かどうかは、やはりわかりませんが)。せいぜい、常に自分は「読み足りていないのではないか」という謙虚な意識を持ち続けるくらいが関の山ではないでしょうか。

わからないこと、難しいことがあれば、それは文章の側に責任があるのではなく、読み手である自分の中に問題があるのではないかと考える――そういう意識を手放さなければ、文章の楽しみは人それぞれですから、別段是非善悪を論じる必要は無いだろうと、私は考えています。


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敵は内に在り

今日、路上タバコが禁止されている某区の道を歩いていると、犬の散歩をさせながらタバコをくわえ、それを火も消さずに道に棄てている若いお兄さんを見かけました。で、それを見て思ったわけです。「こういう人がいるから、喫煙する人は肩身の狭い思いをするんだろうなぁ……」と。

私は、タバコを吸いません。しかし、嫌煙家というわけではない。飲み会の席ではタバコを吸う人の隣にいても問題ないし、友人や家族には愛煙家どころか、チェーンスモーカーがたくさんいます。また、身も蓋もない話ですが、タバコで税金が入るなら、国にとって望ましいことだとも思っている。

しかし、そういう中立的な私をして、先ほどのお兄さんの行為というのは、眉をひそめしむるものがあった。

歩きタバコの実害というのが、どれほどのものであるか、私にはハッキリとはわかりません。赤ちゃんや子どもを連れている人からすれば、「ご遠慮いただきたい」行為なのでしょうが、重要なのは「実害」よりもむしろ、自治体が「路上喫煙禁止条例」を定めているということ。つまり、路上タバコを吸う人は、地域の公共性を損なっているということのほうです。

喫煙者は現在、とかく肩身が狭い。教育機関などでは、もう殆どの場所で喫煙が許されなくなりましたし、公共機関でも同じです。そんな中、すすんで条例を破るというのは、喫煙者を目の敵にする人に、格好の攻撃材料を与えてしまう。条例を知らなかったというのなら、そのこと自体が甘いと言わざるを得ません。

思うに、愛煙家にとって最大の「敵」は、タバコを忌み嫌う嫌煙家よりも、歩きタバコを平然と行うような「身内」でしょう。彼らはタバコを吸う人のイメージを損ない、かつ敵に攻撃材料を提供する。嫌煙家は放っておいても攻撃してきますが、中立に立っているような人々も敵に回る可能性が増えるわけです。

タバコに関しては、嫌煙運動家の中にも「おいおい、それはどうなの?」という人がいて、以前喫煙所に乗り込んできて喫煙者を罵倒していった「反対運動家」の女性がおられました。これはこれで、ルールに基づいて生活している人を弾劾しようというのですから、お話にならない。

タバコに限らず、多くの「論争」において、一番やっかいなのはしつこい敵よりも、足を引っ張る味方である、というのは、古来より通例だったようです。中国の史書を紐解いてみれば、儒の足を引っ張ったのは同じ儒者でした。目をカナンの地に向ければ、イエスの登場もまた、そうした足の引っ張り合いの帰結だった。そんなふうに見ることもできるでしょうか。

現代でも、たとえば「原発反対」や「非実在青少年規制反対」運動で、最も「厄介」なのは、自分たちの立場を強弁するためにデマを吹聴したり、誤った理解に基づいて派手なパフォーマンスをするような人たちでしょう。

戦に臨むにあたっては、まず内憂を片付けることが肝心なのかもしれません。


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ブログ不調のお知らせ

何やら昨日から、DTIブログが不調でメンテメンテの繰り返し。管理ページにも入れない状態が続いております。夜にどうなってるかは分かりませんが、とりあえずお知らせだけ。閲覧に来てくださった方にはご不便をおかけしますが、よろしくお願いします。

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身近な「初心者」にエロゲーをすすめるとき

以前こんな記事を書いたかもしれないし、書いてないかもしれないし……有り体に言えば恥ずかしながら、すっかり忘れてしまったのだが、先日また、「初心者に勧めるならどんなエロゲーが良いかなぁ」ということを訊かれた。そこで、ぼんやりと考えたことを書き留めておく。

最初にことわっておくと、ネットで不特定多数の人に向かって「初心者におすすめ」というのは、私には無理だ。荷が重い。そもそも、そういう「オススメ」については、既に動画サイトやまとめサイトなどを中心に、星の数ほど候補があがっている。今更私など、お呼びではないだろう。

だからこれから私が話すのは、「身近にいる相手にエロゲーを勧める」場合の話だと、そう思っていただきたい。

さて、では身近にいる知人友人、兄弟姉妹、あるいは恋人に両親――まあ両親は無いか。だが、恋人や、「妹のことが好きでしょうがないシスコン兄貴」とかに勧めることはあるかもしれない――のような人に、どんなエロゲーを勧めれば良いのか。

タイトルならいくつも思い浮かぶ。『遺作』、『EVE』、『鬼畜王ランス』……古典的名作と呼ばれる、昔のelfやアリス、C'zの作品。「葉鍵」と呼ばれて一世を風靡したleaf、key作品。Fateのようにメディアミックス・アニメ化したものも選択肢に入るし、クリエイターを軸に選んでいくというのもある。

だが、どれが初心者に向いてるかと訊かれると、その答えは、私には私にはてんで分からない。だから、こんなタイトルをつけた記事だけど、具体的なお勧め作品の名前は、挙げるつもりがない。詐欺同然というやつだ。

いや、どうか石を投げずに最後まで聞いて欲しい。私がわからないのは、具体的に「何のソフトを」勧めれば良いか、だ。もとよりそれを語ることが今回の記事の目的ではない。私が目指しているのは、「どのように」勧めるべきかという、方法の側の説明である。

「何を勧めれば良いか」の答えとしてふさわしくないというのなら、こう言い直そう。「ある条件を満たしていれば、何でも良いのではないか」と。

こんなふうに言うと読者諸賢は、えてしてその「条件」というのはゲームの側の条件だ、と思われるかもしれないけれど、そうではない。むしろ、勧める側の勧め方こそが問題なのだと、私は思っている。

どういうことか。

そりゃあ言うまでもなく、人によって好き嫌い、合う合わないはある。凌辱が苦手なひとに、いくら面白いからといって『螺旋回廊』を勧めるのはバカだし、ラブコメをやりたいと言っている人に『あやかしびと』を勧めても効果は薄い。とはいえそのような「好み」というのは、外からはもちろん、当の本人自身にも、実はよくわかっていないものだと思う。まして、エロゲー初心者なら尚更だ。

仏教には「応機説法」という考えがあって、この「機」というのは、機会ではなく機根――つまりはその人の資質に応じてふさわしい真理の説明があるのだと、おおよそそんな意味らし。「嘘も方便」の「方便」とは、この時に用いられる真理の一面だけを捉えた言説のことを指すのだとものの本に書いてあった。

ともあれ、釈迦の昔より、理想としてはその人にピッタリ合うような作品を探り出して与えるのがベストなのだということはわかる。わかるけれど、それはお釈迦様だからこそなせるみ業というやつだ。お釈迦様は、相手のことも、自分が伝える「教え」の内容もきちんと把握していたから、機に応じてあれこれできたかもしれないが、み仏の導きもない身にそれは、さすがに少々難しい。

では煩悩具足の私たち凡夫はどうするのが良いかというと、これはもう、自分が本当に好きな作品を勧めるしかない、と思う。相手のことと自分のこと、どっちのほうがまだ分かっているかというと、自分のことについてのほうがまだマシだろう。

だいいち、相手が初心者とか上級者とか、そういう「区別」をしてみたところで、どれほど意味があるのか。自分のことを思い返してみると、エロゲーの経験は「ステップアップ」していった感じがあまりしない。最初からガツーン! だった。少なくとも私は、かなり初期からハード凌辱ものをやっていたし、似たような人を何人も知っている。そうして、そういう人ほど案外長く、この業界にとどまっていたりする。

というよりも、である。

よくよく考えて欲しいのだが、どうして私たちは「身近な相手」に、エロゲーをやってほしいと願うのだろう。それはやはり、同じ話題を共有したいからではないのか。もちろんそのために、少しずつ蟻地獄に吸い込むようにエロゲーにハメていくというのはわからないでもないのだけれど、私のようなオタクというのは、とにかく我慢が利かない。好きなものについてはガンガン語りたいし、突っ込んだ話を聞いてみたい。飲み会や何やらで空気を読むことはあっても、基本そんな欲求が心のなかでとぐろを巻いている。

そんな人間が欲するのは、同じ目線で考え、語ることのできる仲間である。少なくとも、私はそうだ。だから、他人にエロゲーをすすめるときは、同時にそれが、これからエロゲーについて語り、一緒にプレイしていく仲間として、相手の資質を確かめるものであると、効率が良い。

たとえば、熱くエロゲーについて語ってもドン引きしないか(そのうち、どうせボロが出てしまうのだから)。自分とどの程度趣味が合うか。そういうことを、確認したほうがいい。身近な素人相手にエロゲーを勧めるというのは、単にエロゲーを布教するという意味以上に、自分にとって快適な環境をつくるという要素も、きっと、どこかしらに存在している。

そのためには、いちいち様子見などせず、いきなりズバッと自分が「これぞ」と思う作品を差し出してみるのが手っ取り早い。相手が嫌がるような内容を無理にやらせる必要はないけれど、好きも嫌いもなさそうなら、最初から主力で一気に本丸を攻める。

――これを大好きって言ってくれるヤツとなら、話があうだろうなぁ。

そんなふうに思える作品を、試しにプレイしてもらうのが一番ではないだろうか。そうすれば、相手の人となりも、趣向も、自分を基準にしてきちんと測ることができる。自分の周りで「エロゲーの輪」を広げていくには、まことに都合が良い。大好きなお兄ちゃんに、妹萌えのエロゲーをやらせる某美少女は、だから、大変合理的なのである。

あるいは、こう言っても良い。あなたが大好きな作品を気に入ってくれるようなエロゲーマーが近くにいるのが良いんじゃないですか? と。趣味が合わない相手でも、エロゲーマーがいてくれることはありがたいけれど、合えば尚更嬉しいだろう。

そんなわけで、身近な人にエロゲーを勧める場合は、自分が「これぞ」と思っているのを、いきなりガツンと勧めてしまうのが良いと、私は思っている。案外そういうもののほうが、伝わる側の熱意も一緒になって伝播して、楽しんでくれたりするものだ。少なくとも、「最高っていうわけじゃないけど初心者ならこのくらいからスタートが良いかな」なんて、妥協の産物を勧められるよりは、よほど熱が入るんじゃないだろうか。

エロゲーを勧める時に、まず伝えるべきなのは、おそらく勧める人の持っているその「熱量」。それを受け止めて、呼応してくれる人であれば、この先きっと、私たちの「仲間」になってくれるはずである。

ってなわけで、DTIが長期メンテやってたこともあり思いがけず時間が多めにとれたので、今回は読み物を意識したスタイルでやってみました。


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リカバリー

今日、ちょっと大きなミスを……「ちょっと大きな」ってよく考えるとなんかヘンですけど、まあ小さくはないミスをしでかしまして、謝罪行脚をしておりました。ううん、油断した……。

ただ、ちょっとその失敗を元に教訓めいたことを言わせて頂きますと、とにかくミスをしたら隠さない。そして、自分の身を守るより、その失敗によって損失が生じるところへの配慮を第一にする。これに尽きるなぁという感じ。それが最終的に、自分にもベターな結果をもたらしてくれます。

私は結構これまでもミスをしてきたのですが(粗忽な人間なので)、その繰り返しから学んだのは、「時間が経つと傷口がひろがる」。これです。およそいかなるミスにも言えるんじゃないかと思う。放っておいて、あるいは見なかったふりをして、自然になんとかなることというのはほとんどない。

ただ、いざ自分がミスしてみるとわかることで、すぐに動くというのがほんとうに難しい。まず、「なんでこんなことになったんだろ~」とか思ってクヨクヨしちゃうし、「上手いこといまから挽回できないかな……」とか先のことを考えちゃう。あるいは、「評価さがるかな……」とか「言い訳なんて言ったほうが印象悪くならずに済むだろう」とか、保身考える。このパターンが多いです。

でも、そんなことをしている間に、どんどん取り返しがつかなくなっていくことが多いんですよねぇ……。なのでもう、「起きてしまった」ミスはそれとして、即座にフォローに走るしかないです。起きなかったことには、できませんから。そうやってフォローして、自分にとって悪い結果が残されるなら、もとよりそれ以上の結果にはなりません。悩む前に、行動あるのみ。

私のミスが今回、それでうまく解消されるかはまだしばらくたってみないとわかんないのですが、今のところ大きな騒ぎにはならずに済んでいます。とりあえず、無事に終わると良いのですが……。あとは天に祈るばかりです。

何にせよミスしないのが一番ですな、ホント。

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罪を憎んで

軽々しい気持ちで取り上げる問題ではないと思うのですが、やはり衝撃的だったので、少しだけ。

北海道の、この事件

------引用------
 【帯広】「加害者以上に交通事故が憎い」―。釧路地裁帯広支部で12日、死亡事故を起こしたとして自動車運転過失致死などの罪に問われた男(51)の論告求刑公判が行われ、この事故で父親を失った十勝管内清水町の男性会社員(37)が被害者参加制度を利用して意見陳述を行った。男性はこれまで、別の2度の交通事故で妻子と妹を亡くし、今回が4人目の身内の不幸。法廷で男性は涙をこらえ輪禍の根絶を訴えた。

 男性は2001年、知人の運転する車に同乗していた妹=当時(21)=を単独事故で失い、12年には自らが運転する車が一時停止を無視した別の車に衝突されて同乗の妻=同(35)=と次男=同(3)=を亡くした。

 今年3月には、交通整理をしていた父=当時(61)=が、清水町で乗用車にはねられ死亡。起訴状によると、運転していた男は酒気を帯びていた。

 男性は意見陳述で「3度にわたり4人の家族を交通事故で奪われた者は、この世で私以外にいるのでしょうか」「心が張り裂ける思い」などと悲痛な思いを吐露。「(被告の男が)危険運転致死罪に問われず無念。本件が厳しく判断されることで、父の死が交通事故の抑止になってくれることを強く望む」と、時折言葉を詰まらせながら話した。<北海道新聞6月13日朝刊掲載>
------終了------

最近、近くはない親戚が事故で亡くなったこともあって、ちょっと事故の話に敏感になっていたところに……これは壮絶な話です。自動車事故で、自分だけが生き残ってしまった話なんかも聞きますが、そういうのとは別種の悲惨さがある。

「加害者以上に交通事故が憎い」という、遺族の方のことばが、胸に来ます。人ではなく、罪を憎む。よく言われることではあるけれど、たぶん、とても難しい。それを言い得てしまうところに、限りない、やりきれなさを感じます。はたして、どんな想いで口にしたのだろう。もちろんそんなこと、わかろうはずもないのだけれど。

私たちは、人の罪を「懲役何年」とか、「罰金いくら」のように数量化して――つまり計算可能なものとして扱うという文化に慣れています。でも、これは良くないなぁと思う時もある。

思い出すのは、『金田一少年の事件簿』の「悲恋湖殺人事件」。ある海難事故で、ボートに近づいてきた女性が突き飛ばされて命を喪い、彼女を「殺された」と恨んだ兄によって、突き飛ばした男が命を狙われるという筋書きです。

「緊急避難」がテーマであったと言われるこの事件は、果たして突き飛ばした男は罪に問い得たのか――つまり、「誰がどのように悪かったのか」をめぐる問題として扱われることが多いのですが、私は少し、そういうのとは違った感想を持ちます。

私が印象的だったのは、むしろその突き飛ばした男が罪の意識に苛まれ続けたというエピソード。彼は、「緊急避難」が適用され、裁かれなかったことによって、かえって苦しんでいたのだとも言えるでしょう。

そしてまた、彼を憎んだ被害者の兄も、彼に妥当な裁きがくだらなかったことで、その憎しみをふくらませた。そう考えればこの事件は、「起こってしまったこと」に対して、適切な事後処理が行われなかったがゆえに起きた事件だったわけです。

たぶん、現代の法に必要なのは、その意味の「適切さ」を提供する力ではないか。私は、そんなふうに思うのです。

世の中というのは不条理で、時には信じられないことが起きてしまう。帯広の交通事故の話は、それこそ天文学的な確率なわけで、そういう、人間には及びもつかないような「何か」の力を否応なく感じる事件です。

でも、ここまでの事件でなくても、およそ多くの「事件」というのは究極的に、被害者にとっては(あるいは加害者にとっても)なぜ起きたか分からないものなのではないでしょうか。

大昔はそれを「因縁」のように言って宗教的に納得する回路がありました。でも、いまは「動機」のような因果関係と、「量刑」による数値換算ですべてを説明するために、その「わからない」部分が――つまり、「やりきれない」部分が、どこにも行き場を失って、処理されないまま残ってしまう。

法や制度が、単なる機械的な判断基準を超えて、社会に益するものであるには、その見えない部分をなんとかすくいとる必要があるのではないかなぁ。「大岡裁き」の見事さというのは、公明正大だというだけではなく、その裁きによって、不利益を被った側も適切に位置づけられたというところにあるのでしょう。

被害者だけでなく加害者にとっても、ただしく罰されるということが救いになるということは、ありえるはずです。そしてそのただしさは、どこかに数値化して書いてあるものではなく、その社会に生きる人々の合意のうえに成立つものであるはずです。

交通事故というのは、どう裁かれるべきなのか。その適正さというのは、法学者ではなくてむしろ、私達「国民」が考えるべき問題なのかもしれません。

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まさかのトーマス

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「勝負の中でしか生きられない男達がいた……これは、後にトーマスと呼ばれた、伝説の痴漢の物語である」

というわけで、かの名作『痴漢者トーマス』がソーシャルゲーになるそうです。(公式

すみません。突っ込んでいいですか。

なんでやねん!

そんなアホなって感じです。なんかもう、色んな意味で大丈夫なんでしょうか、Xuseさん。まず、こういうソーシャルゲーを出そうという、その正気を疑います。いや、好きですけどね、こういうノリ。

次に、電車の中でこれプレイしてたら、割りとマジでおまわりさん呼ばれるんじゃないかっていう心配があります。正直、やらないほうが良いんじゃナイカナー。特に、満員電車の中では……。

最後に、クオリティーの心配。なんかカードのほう見ると、明らかにトーマスじゃない(『つくもの~やどりぎロマンス』とか)のが見えますが……。まあ、ネタとしては面白そうですし、フルボイスってのがどんなもんなのか興味津々なのですけれど、さて、どうしたもんでしょうね……。

突撃する方は、いま事前登録すると開始時にアイテムが受け取れるそうなので、頑張ってみて下さい。私はもう少し、慎重に考えてみます。

ソーシャルゲーム『痴漢者トーマス ロワイヤル』
とりあえずバナーをぺたぺた。


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懐古趣味と、いまの楽しみ

昔の○○は、もっと面白かった――。


私の場合、「○○」の部分には「エロゲー」が入ることが多いのですが、そういう言い方は、割りとそこかしこで耳にすると思います。私もたぶん、何度か言ったことはある。何度どころか、何十回かもしれません。

ただ、最近思うところがあって、あんまり言わないようにしています。いやまあ、昔を振り返ったり懐かしむことはある。また、「昔のやつだけど、○○は良かった」みたいなことは言います。でも、(いまと比較して)「もっと」という言い方はやめておこう、と。あくまで、私だけの話ですよ。他人様が言ってるのは別に、気になりません。

んで、私がやめてる理由は二つあります。

一つ目の理由は、これは単純に、事実かどうかわからないから。いわゆる「思い出補正」が入っている可能性は多分にある。おそらく、当時のものをいまに持ってきたら、満足できない可能性は高い。いや、満足できるのかもしれませんけれど、じゃあいまのものを当時に持って行ったら不満かというと、全然そんなことはないだろうという感もあります。

つまり、比較するのは良いけれど、基準が一定かどうか分かんないよなぁ、と自分で自信がなくなった。なので言わない。もし基準が違っていたら、生産的な話にはなりにくいですからね。自分でかみ合わない議論を生んでいるだけになってしまう。

もう一つの理由は、どっちかというとこれがメインなのですが、対象の問題ではなくて自分の問題ではないかという気がしてきたから。

個別に、この作品とこの作品を比べてこうだ、というなら別として、漠然と「昔の○○は……」みたいな言い方をするとき、私の場合たいていは、「昔はもっとワクワクしたのになぁ」という、雑駁な印象でモノを言っています。そしてそれは、単に自分の見方が硬直化してきてるだけなんじゃないかという気がする……とでも言いましょうか。

だから、「昔の自分は、もっと○○を楽しんでいた」というのが正解ではないか。わかりやすい例を挙げれば、教育テレビとかでやってた子ども向けの番組を見なくなるのは、番組自体が面白くなくなったからではなくて、それを見る側の好みの変化によるところが大きいでしょう。パターンは逆ですが、それと似たような感じです。

もしかすると、心持ちや見方を変えるだけで、「いま」は劇的に楽しく、面白くなるかもしれません。懐古趣味にかまけてとまでは言わないにしても、昔を懐かしむことに必死になり、いまの楽しみを見失ってしまったら勿体ない。

そんなふうに発想を切り替えて、できるだけ「いま」の楽しみを探していこうかなぁと思っています。なかなかに難しいですけど。

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紳士の御業

誰が考えたのかしらんけど……。ネットで見たコレ。この画像。

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秀逸なアイディアだと思います。マジで。何というか、凄い。敬服しました。紛れも無い紳士のわざ。マ○ド、最高や。

あとは、コーヒーじゃなくて日本茶か何かだったらなおよしでしょうか。

世界は広いです。

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『lain』のガイド本が復刊される話

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ファン待望! というわけで、割りとマジで待望していた、アニメ『lain』のビジュアルファンブック『visual experiments lain』が、6月18日に発売されます。やったね、ぱうぱう~。

『lain』は1998年に放送されたアニメ(公式)。ゲーム版もあって、まとめて「serial experiments lain」というんですが、まあ内容がアニメとゲームで結構違うのはおいときまして、コンピューターネットワークを通して世界に「偏在」していく、岩倉玲音(レイン、れいん、lain)という少女を描いた物語。

内容のおもしろさはもちろんのこと、「Windows」が定着し、インターネットが多くの場面で「使えるツール」として広がり始めた、当時の世相を反映していて、今のほうがかえって見応えあるかもしれません。アニメとしては、私の中では傑作の部類に入ってる作品です。

数年前にBD箱が出て、同じくらいの時に「scenario experiments lain」が復刻されていたのですが、これでシナリオ、ビジュアルともにめでたく復活になりそうです。当時手に入れられなかったからありがたいですね~。

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そんなわけで、18日を楽しみにしています。

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《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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