赤雪トナさんの『竜殺しの過ごす日々』(ヒーロー文庫)という小説があって、私は世界観や展開が好きなので読んでいるのですが、時々文章に「おや?」と思うことがあります。それは、たとえば次のようなところ。
2013年04月
「ケータイがなかったあの頃。待ち合わせは、ときめきだった。コーヒーは、うまかった。」
覚えておられる人もおいででしょうか。キリン・ファイア「昭和喫茶」のキャッチコピーです。
先日たまたま入った喫茶店で、この懐かしい缶コーヒーのキャッチを見かけまして、「ああ、良いなぁ」と思ったんですね。なんというか、わかる感じ。少なくとも、全く論外とは思わない。
そりゃあ勿論、携帯があったほうが便利だし、正直いまとなっては携帯の無い生活は考えられません。便利だからというよりは、社会の要請として、携帯があって困ったときはすぐ連絡をとれるというのが望ましいことになっている。そのこと自体を、否定はしません。
ただ、「待ち合わせは、ときめきだった」ってのは、思い返すとそうだな、と。一定以上の年齡の人でないと、携帯持たずに待ち合わせとかしたことないかもしれませんけれど……。
女の子との待ち合わせみたいな洒落たシチュエーションじゃなくても、友人とか家族とか、そういう人と待ち合わせをしているとき、携帯があるとどうしてもすぐ連絡とれる。で、とれると「見えちゃう」んですよね。
たとえば、ああ寝坊したなとか、約束忘れてたなとか、連絡無いってことは大変なことが起こったかまだ寝てるかだなとか、色々。で、このある程度ハッキリと「見えちゃう」というのが、趣がない。待ち合わせの、あるいは待つということの、本質的な受動性みたいなのが薄められている感がある。
それが、いいことなのかわるいことなのかはわかりません。実際問題、「見えない」ことが楽しいわけじゃないので(むしろイライラしたり、不安になったりすることのほうが多いです)、「趣がない」なんて言っちゃうとさも昔のほうが良かったという懐古主義に誤解されるかもしれないけれど、「見える」ことでストレスは減ったし、スケジュール通りの動きはやりやすくなった。
ただ、何でもかんでも自分のコントロールに置くのではなくて、自分にはどうしようもない部分で進行していることを、ただ待つっていうのも、それとしてまるで無意味とは思わない。「まだ来ないな……」とやきもきしながら待っている間に、相手のこととか自分のこととかをあれこれ考える時間というのは、苦痛ではあるけれど、心が激しく動いている。そのことをして、「ときめき」と言うのなら、凄くわかる気がするんです。それは、携帯のメールで「まだ?」「ごめん、20分遅れる」というやり取りをすれば終わってしまっては手に入らないものでしょう、確かに。
「見えない」のはしんどいけれど、「見えすぎる」のもやっぱりしんどいんですよ。実際、携帯を家に忘れたりすると、その日一日謎の開放感に支配されますもん。「やった、これで今日連絡こねぇ!」って。……家に近づくと、「凄い大事な連絡来てたらどうしよおおおお」って開放感の100倍くらいの不安にさいなまれるんですけど。
ま、そんなわけでたまには「見えない」のもアリじゃないかなーとか。
携帯がなくなればいいとか、待つのが楽しいとか、そういう話ではありません。ただなんとなく、私たちはいろんなものを便利に便利にしてきたけれど、そのせいで自分のコントロール下に置くことのできないものを受け止める機会を、失いつつあるのかなという気がしました。
「昭和喫茶」のキャッチフレーズ。
期待も、いらだちも、そういう自分ではもうどうしようもないものを受け止める時の心情というのは、全部含めて振り返った時、私にとってはなるほど、「ときめき」だったと言えるかもしれません。コーヒーの味はともかくとしまして。
ツイート
覚えておられる人もおいででしょうか。キリン・ファイア「昭和喫茶」のキャッチコピーです。
昭和喫茶。
先日たまたま入った喫茶店で、この懐かしい缶コーヒーのキャッチを見かけまして、「ああ、良いなぁ」と思ったんですね。なんというか、わかる感じ。少なくとも、全く論外とは思わない。
そりゃあ勿論、携帯があったほうが便利だし、正直いまとなっては携帯の無い生活は考えられません。便利だからというよりは、社会の要請として、携帯があって困ったときはすぐ連絡をとれるというのが望ましいことになっている。そのこと自体を、否定はしません。
ただ、「待ち合わせは、ときめきだった」ってのは、思い返すとそうだな、と。一定以上の年齡の人でないと、携帯持たずに待ち合わせとかしたことないかもしれませんけれど……。
女の子との待ち合わせみたいな洒落たシチュエーションじゃなくても、友人とか家族とか、そういう人と待ち合わせをしているとき、携帯があるとどうしてもすぐ連絡とれる。で、とれると「見えちゃう」んですよね。
たとえば、ああ寝坊したなとか、約束忘れてたなとか、連絡無いってことは大変なことが起こったかまだ寝てるかだなとか、色々。で、このある程度ハッキリと「見えちゃう」というのが、趣がない。待ち合わせの、あるいは待つということの、本質的な受動性みたいなのが薄められている感がある。
それが、いいことなのかわるいことなのかはわかりません。実際問題、「見えない」ことが楽しいわけじゃないので(むしろイライラしたり、不安になったりすることのほうが多いです)、「趣がない」なんて言っちゃうとさも昔のほうが良かったという懐古主義に誤解されるかもしれないけれど、「見える」ことでストレスは減ったし、スケジュール通りの動きはやりやすくなった。
ただ、何でもかんでも自分のコントロールに置くのではなくて、自分にはどうしようもない部分で進行していることを、ただ待つっていうのも、それとしてまるで無意味とは思わない。「まだ来ないな……」とやきもきしながら待っている間に、相手のこととか自分のこととかをあれこれ考える時間というのは、苦痛ではあるけれど、心が激しく動いている。そのことをして、「ときめき」と言うのなら、凄くわかる気がするんです。それは、携帯のメールで「まだ?」「ごめん、20分遅れる」というやり取りをすれば終わってしまっては手に入らないものでしょう、確かに。
「見えない」のはしんどいけれど、「見えすぎる」のもやっぱりしんどいんですよ。実際、携帯を家に忘れたりすると、その日一日謎の開放感に支配されますもん。「やった、これで今日連絡こねぇ!」って。……家に近づくと、「凄い大事な連絡来てたらどうしよおおおお」って開放感の100倍くらいの不安にさいなまれるんですけど。
ま、そんなわけでたまには「見えない」のもアリじゃないかなーとか。
携帯がなくなればいいとか、待つのが楽しいとか、そういう話ではありません。ただなんとなく、私たちはいろんなものを便利に便利にしてきたけれど、そのせいで自分のコントロール下に置くことのできないものを受け止める機会を、失いつつあるのかなという気がしました。
「昭和喫茶」のキャッチフレーズ。
期待も、いらだちも、そういう自分ではもうどうしようもないものを受け止める時の心情というのは、全部含めて振り返った時、私にとってはなるほど、「ときめき」だったと言えるかもしれません。コーヒーの味はともかくとしまして。
昨日の話を大まかに振り返ります。
『WHITE ALBUM2 SPECIAL ENCORE』ライブの日だったんです。
前回のWA2ライブ(東京公演)で参加者をまとめ、フラワースタンド贈呈や、その後のファンの交流会を企画してくださった、ぐらいどさんが今回も活躍。ご本人はライブに当選できなかったにもかかわらず、フラワースタンド企画や、出演者・スタッフの方々へのメッセージカードの作成、その他ファンの集いを再度企画してくださっていました。
もちろん、ぐらいどさんだけではなく多くの皆さんが有志でそれをサポートする形でしたし、その皆さんのおかげでスムーズにことが運んだのは事実です(当日の参加者確認や、メッセージカード作成補佐など)。ただ、お名前を全員挙げていると大変なので代表者ということで、ぐらさんをひたすらヨイショいたします(笑)。それで問題ないハズだという気持ちは、あの場にいた方なら概ね分かってくださると信じて。
ライブ自体は17時から。その前に物販(サイリウム・タオル・リストバンドなどのセットや、峰城大付属のエンブレムワッペン等)が13時から行われるということで、早めにライブの地・ 御宿 新宿へ。本当は11時前には現地にいって、ぐらいどさんに挨拶し、出演者の方々へのメッセージカードをアルバムに入れるつもりだったのですが……。
寝過ごしました。
ぐらさんマジすみませんでした……。まあ私一人いなくても別に何の問題もないにしても、行くと言っていた時間に来ないといらぬ手間がかかるし、なんせ60人以上の参加者が見込まれていたので、同じような奴が10も20も出てくると大混乱必至。とにかく各自が整然と動くことが求められていたというのに……。恥ずかしい話です。
ただまあ、実際だいぶ余裕のある時間だったので混乱は無く。あらかじめ書いていたメッセージカードを、アルバムに綴じさせていただきました。宛先は、上原れなさん、下川直哉さん、津田朱里さん、なかむらたけしさん、生天目仁美さん、丸戸史明さん、水島大宙さん、米澤円さん、の合計8名。
他の参加者の皆さんは、結構でかい紙にメッセージ書いておられたところ、私だけだいぶ小さいサイズになっていたので、ちょっと後悔。でも逆に目立っていいかな……と無理やり思い込むことにしました。メッセージに込めた想いは小さくないから良いんだ!!!!
で、アルバム作って物販買って、その後私は戦線離脱。秋葉原へ。目当ては、かみやまねき先生のサイン会です!
サイン会はかみやまねき先生の初アートワークス『Flavor of Alice』の発売記念。秋葉原のK-Booksで行われておりました。(これ)
既に本自体は購入済みだったので先に中を見ていたのですが、なかなか充実してます。かみやまねき先生といえば割とふりふり衣装のイメージが多い中、一番私の心にヒットしたのは、パロディイラスト「パンチランキング」掲載の黒タイツ。素晴らしいです。
画集に頂いたサイン。
画集発売おめでとうございます&サインありがとうございました! これからもがんばってください! (。・x・)ゝ
その後アキバをちょっとふらふら(ニャル子さんのイベントとかやっていたので)。一度家に帰り、ヤボ用を済ませてから再び新宿へ。ライブ終了後に行われる物販で、WA2ラジオの同好会CD、Vol.2が発売されるということで、それを購入。ほんとに一番最後のほうに並ぶハメになって、売り切れないかドキドキしたけれど大丈夫で一安心。荷物をつめて、最後懇親会へ向かいました。
懇親会は入った瞬間からもう凄い騒ぎでして、なにせ60人とかが集まって、ライブ終わった後のテンションで盛り上がってるわけです。ライブに参加できないのに遠方から来られていた方も多数おられ、本当に「深く」愛されている作品だなぁと思いました。
私は遅れて行ったぶん、だいぶ奥地の喫煙スペースに入ることになったので(私自身はタバコすわないけど、タバコ煙は大丈夫なので)、全員の方と顔をあわせることは残念ながらできなかったのですが、そのぶんまったりと色んなお話ができました。何人かの方には「ブログ読みました」、といって頂けて、これは素直にとても嬉しかったです。
出島さん(大阪公演でフラワースタンド企画や懇親会を実行された中心の方)のストラスブール旅行談をうかがったり、うんばらさんと麻雀話をしたり……あれ、作品についてあんまり話をしてない(爆)。一応みんな、ちゃんと「WA2のここが良かった!」みたいなトークをして、頷き合っていました。
こういう機会は二度目で、前回も今回も驚いたのは、とにかく「統率」がとれている。エロゲー+お酒ということで基本20歳以上の成熟した面々があつまっているということもあるのでしょうが、60人いて大騒ぎしているにもかかわらず、ハメは外れていなし、争いも起こらない。号令がかかればぱっと動くし、お互いに気遣いしながら楽しむというステキな会でした。
もちろんみんな腹の中では不満があったりとかするのかもしれませんけれども、少なくともそれを出して場を汚す人はいなかった。そういう意味で、大人の会だったと思います。
素敵な作品を愛する素敵な仲間と一緒に楽しい時間を過ごすことができたというのが、今回は本当によかった。またこういう機会が持てるかどうか、あったとしても私が参加できるかは分かりませんが、ファンの集いを通して、よりいっそう作品を好きになることができたし、それは作品やスタッフの力もさることながら、ファンの皆の(懇親会に参加しておられた人だけではなく)力あってのことだと思います。みなさん、ありがとうございました。
あと、この成功はやっぱり、ぐらいどさんのお力とお人柄だよなぁと、本当に改めて思います。ぐらいどさん凄い。マジ凄い。
60人をきっちり束ねる手段やリーダーシップにも増していいなぁと思うのは、理念的な部分です。まず、「自分がやりました」みたいなことを全然言わないし、言わないだけじゃなくて態度にもださない。ファンのみんなが楽しむ、というのを考えて、そのために動いておられるというのがわかるので、協力する人が凄く多いんですよね。
解散時も、お店の前に溜まったりしてじゃまになることが無いよう配慮しましょうと言うときちっと皆守って運営に協力するし、一部の人はゴミや忘れ物チェックで残って、自分たちで役割分担しながら手伝いをしていました。ちなみに私は、その様子をのんびり眺めているだけという簡単なお仕事を担当。
また、フラワースタンドやメッセージカードの件も、アクアプラスさんときちんと連絡をとりあい、向こうに失礼の無いよう、またこちらもやりやすいような手段を模索してくださっていました。こういう「身内の盛り上がり」企画というのは、とかく身勝手になりがちで周囲を置き去りにすることが多いのですが、ぐらいどさんはその辺の配慮を物凄くしっかりしておられる。
だからこそ、前回ライブの東京組と大阪組のドッキングや、まったく新しい方が入ってきてもお互い気兼ねなく交流できた。言い方が難しいのですが、その場限りのファンの自己満足で終わらず、「WA2」という作品を本当の意味で盛り上げていこう、という意識に基づいた方だな、と。そういう部分が、今回の懇親会の最後にもあらわれていたと思います。
なんか上手く言えないんですけどね! ごめんなさい! 要はぐらいどさんすごいってことですよ! もちろんぐらさんだけじゃなくて、東京組と密に連絡とりあってくださってるよーだすさんとか、関西組の交流の要になってくださってる出島さんとか、あるいは遠方から懇親会のためだけに集まっておられる皆さんの心意気あってのことなんですけど、それらを可能にしてるぐらいど節みたいな。たぶん。きっと。
で、最後になりましたがどうやらアニメ化は決定らしいです。2013年秋公開予定。さてさて、どうなりますことやら。盛り上がりたいけれど、不安というか怖い部分もあるのが嘘偽らざる気持ちで、やっぱりドキドキします。
アニメ化があるということは、今後またこういうイベントなんかもあるのでしょうから、形は変わるにしても集まったりお話する機会が増えるはず。これからも、良い盛り上がりの中で作品を楽しんでいけることを期待したいところですね。
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『WHITE ALBUM2 SPECIAL ENCORE』ライブの日だったんです。
前回のWA2ライブ(東京公演)で参加者をまとめ、フラワースタンド贈呈や、その後のファンの交流会を企画してくださった、ぐらいどさんが今回も活躍。ご本人はライブに当選できなかったにもかかわらず、フラワースタンド企画や、出演者・スタッフの方々へのメッセージカードの作成、その他ファンの集いを再度企画してくださっていました。
もちろん、ぐらいどさんだけではなく多くの皆さんが有志でそれをサポートする形でしたし、その皆さんのおかげでスムーズにことが運んだのは事実です(当日の参加者確認や、メッセージカード作成補佐など)。ただ、お名前を全員挙げていると大変なので代表者ということで、ぐらさんをひたすらヨイショいたします(笑)。それで問題ないハズだという気持ちは、あの場にいた方なら概ね分かってくださると信じて。
ライブ自体は17時から。その前に物販(サイリウム・タオル・リストバンドなどのセットや、峰城大付属のエンブレムワッペン等)が13時から行われるということで、早めにライブの地・
寝過ごしました。
ぐらさんマジすみませんでした……。まあ私一人いなくても別に何の問題もないにしても、行くと言っていた時間に来ないといらぬ手間がかかるし、なんせ60人以上の参加者が見込まれていたので、同じような奴が10も20も出てくると大混乱必至。とにかく各自が整然と動くことが求められていたというのに……。恥ずかしい話です。
ただまあ、実際だいぶ余裕のある時間だったので混乱は無く。あらかじめ書いていたメッセージカードを、アルバムに綴じさせていただきました。宛先は、上原れなさん、下川直哉さん、津田朱里さん、なかむらたけしさん、生天目仁美さん、丸戸史明さん、水島大宙さん、米澤円さん、の合計8名。
他の参加者の皆さんは、結構でかい紙にメッセージ書いておられたところ、私だけだいぶ小さいサイズになっていたので、ちょっと後悔。でも逆に目立っていいかな……と無理やり思い込むことにしました。メッセージに込めた想いは小さくないから良いんだ!!!!
で、アルバム作って物販買って、その後私は戦線離脱。秋葉原へ。目当ては、かみやまねき先生のサイン会です!
サイン会はかみやまねき先生の初アートワークス『Flavor of Alice』の発売記念。秋葉原のK-Booksで行われておりました。(これ)
既に本自体は購入済みだったので先に中を見ていたのですが、なかなか充実してます。かみやまねき先生といえば割とふりふり衣装のイメージが多い中、一番私の心にヒットしたのは、パロディイラスト「パンチランキング」掲載の黒タイツ。素晴らしいです。
画集に頂いたサイン。
画集発売おめでとうございます&サインありがとうございました! これからもがんばってください! (。・x・)ゝ
その後アキバをちょっとふらふら(ニャル子さんのイベントとかやっていたので)。一度家に帰り、ヤボ用を済ませてから再び新宿へ。ライブ終了後に行われる物販で、WA2ラジオの同好会CD、Vol.2が発売されるということで、それを購入。ほんとに一番最後のほうに並ぶハメになって、売り切れないかドキドキしたけれど大丈夫で一安心。荷物をつめて、最後懇親会へ向かいました。
懇親会は入った瞬間からもう凄い騒ぎでして、なにせ60人とかが集まって、ライブ終わった後のテンションで盛り上がってるわけです。ライブに参加できないのに遠方から来られていた方も多数おられ、本当に「深く」愛されている作品だなぁと思いました。
私は遅れて行ったぶん、だいぶ奥地の喫煙スペースに入ることになったので(私自身はタバコすわないけど、タバコ煙は大丈夫なので)、全員の方と顔をあわせることは残念ながらできなかったのですが、そのぶんまったりと色んなお話ができました。何人かの方には「ブログ読みました」、といって頂けて、これは素直にとても嬉しかったです。
出島さん(大阪公演でフラワースタンド企画や懇親会を実行された中心の方)のストラスブール旅行談をうかがったり、うんばらさんと麻雀話をしたり……あれ、作品についてあんまり話をしてない(爆)。一応みんな、ちゃんと「WA2のここが良かった!」みたいなトークをして、頷き合っていました。
こういう機会は二度目で、前回も今回も驚いたのは、とにかく「統率」がとれている。エロゲー+お酒ということで基本20歳以上の成熟した面々があつまっているということもあるのでしょうが、60人いて大騒ぎしているにもかかわらず、ハメは外れていなし、争いも起こらない。号令がかかればぱっと動くし、お互いに気遣いしながら楽しむというステキな会でした。
もちろんみんな腹の中では不満があったりとかするのかもしれませんけれども、少なくともそれを出して場を汚す人はいなかった。そういう意味で、大人の会だったと思います。
素敵な作品を愛する素敵な仲間と一緒に楽しい時間を過ごすことができたというのが、今回は本当によかった。またこういう機会が持てるかどうか、あったとしても私が参加できるかは分かりませんが、ファンの集いを通して、よりいっそう作品を好きになることができたし、それは作品やスタッフの力もさることながら、ファンの皆の(懇親会に参加しておられた人だけではなく)力あってのことだと思います。みなさん、ありがとうございました。
あと、この成功はやっぱり、ぐらいどさんのお力とお人柄だよなぁと、本当に改めて思います。ぐらいどさん凄い。マジ凄い。
60人をきっちり束ねる手段やリーダーシップにも増していいなぁと思うのは、理念的な部分です。まず、「自分がやりました」みたいなことを全然言わないし、言わないだけじゃなくて態度にもださない。ファンのみんなが楽しむ、というのを考えて、そのために動いておられるというのがわかるので、協力する人が凄く多いんですよね。
解散時も、お店の前に溜まったりしてじゃまになることが無いよう配慮しましょうと言うときちっと皆守って運営に協力するし、一部の人はゴミや忘れ物チェックで残って、自分たちで役割分担しながら手伝いをしていました。ちなみに私は、その様子をのんびり眺めているだけという簡単なお仕事を担当。
また、フラワースタンドやメッセージカードの件も、アクアプラスさんときちんと連絡をとりあい、向こうに失礼の無いよう、またこちらもやりやすいような手段を模索してくださっていました。こういう「身内の盛り上がり」企画というのは、とかく身勝手になりがちで周囲を置き去りにすることが多いのですが、ぐらいどさんはその辺の配慮を物凄くしっかりしておられる。
だからこそ、前回ライブの東京組と大阪組のドッキングや、まったく新しい方が入ってきてもお互い気兼ねなく交流できた。言い方が難しいのですが、その場限りのファンの自己満足で終わらず、「WA2」という作品を本当の意味で盛り上げていこう、という意識に基づいた方だな、と。そういう部分が、今回の懇親会の最後にもあらわれていたと思います。
なんか上手く言えないんですけどね! ごめんなさい! 要はぐらいどさんすごいってことですよ! もちろんぐらさんだけじゃなくて、東京組と密に連絡とりあってくださってるよーだすさんとか、関西組の交流の要になってくださってる出島さんとか、あるいは遠方から懇親会のためだけに集まっておられる皆さんの心意気あってのことなんですけど、それらを可能にしてるぐらいど節みたいな。たぶん。きっと。
で、最後になりましたがどうやらアニメ化は決定らしいです。2013年秋公開予定。さてさて、どうなりますことやら。盛り上がりたいけれど、不安というか怖い部分もあるのが嘘偽らざる気持ちで、やっぱりドキドキします。
アニメ化があるということは、今後またこういうイベントなんかもあるのでしょうから、形は変わるにしても集まったりお話する機会が増えるはず。これからも、良い盛り上がりの中で作品を楽しんでいけることを期待したいところですね。
いまのところ噂だけで(震源)確定ソースが出たわけでもありませんから、気が早すぎるのかもしれませんけれども、『WHITE ALBUM2』がアニメ化するとかいう話がでておりまして……。どうなんでしょうね。私アニメのこういう情報って詳しくないのでわからないんですが、サブタイトルすら決まってない状況で雑誌に出るものなんでしょうか。『ニュータイプ』読んでないからなぁ。
まあ噂の真偽はともかくと致しまして、アニメ化。やったね、やれめでたい! ……とはなかなかならない感もあり。
なんせアニメ化には色々「ヤバイ」こともあるわけで、正直な話、ただコンテンツとして都合よく使い捨てられるのだとしたら、やっぱり残念だなぁと思うわけです。なぜか無性にキャベツが食べたくなってきた。
アニメ化のメリットを見た場合、おそらく二つのことが考えられます。まず、単にアニメを自分が楽しめる。もう一つは、アニメ化することによってさまざまな「波及効果」が生まれる。たとえば円盤は出るでしょうね。グッズも充実して、フィギュアがでるかもしれないし、CDがバンバンでるかもしれない。イベントも活発になるかもしれないし、アニメによってユーザーの間口が広がって二次創作が活発になるかもしれない。それでなくとも、コンテンツとしての「寿命」は伸び、長いスパンでみれば10年、20年経ってリメイクがあるかもしれません。
実際、丸戸さんが『WA2』を手がけたのは『WA』のファンだったからということですが、それが可能になったのも、アニメ化やら何やらで『WA』の寿命がぐっと延びていたから、という側面はあると思います。つまり、アニメが「私」にとっては大外れであっても、今後作品としての寿命が延びるようなアタリ方をすれば、結果的に受ける恩恵が大きい。
まあ普通はやっぱり、純粋に自分が楽しみたいというのが一番ですけどね。
ただ、原作原理主義でいくならそんなもん知ったこっちゃないというか、原作はもうあれで完結。完成品。「何もたさない、何もひかない」の精神で、あとにあるのはぜーんぶオマケ。むしろ余計なものが混ざるぶん、無い方がいい、なんていう考え方もあると思います。
それとは別に、アニメが大バッシングを受けたりすると世間的にイメージが悪くなって、関係ない原作まで袋叩きに合うのが怖い……という考えもあるでしょう。「当たればいいけど外れたら最悪」というのは都合の良い話ではあるけれど、ファンとしては偽らざる本音のひとつではないかと。ぶっちゃけ、私もそう思う。こうなってくるとやっぱり難しいんですよねー。
本当に蓋を開けてみるまでわからないというか、結果論でしか語れないのが辛い。ただ、『WA2』に関してはちょっと微妙な部分もあって、たとえば(私の読みだと)ことばや態度にしている部分が必ずしも本当ではない、というような部分が「届かなさ」として描かれている作品ですから、映画とか舞台ならわかるけどアニメ映えする内容ではないし、表現もどうやるのかよく分かんない。
いまなら、「原作レ○○は勘弁してくれ」と祈っていた方たちの気持ちが解ります。声優さんが全然違うひとになったり、作画がいきなりヤシガニになったりしたら、「余計なことしないで欲しかった……」とどうしても言いたくなってしまうでしょう。
ツイッターでこんな無茶苦茶言っちゃいましたけど、とにかく「無難」におさめてほしいという想いがある一方で、ゲーム以上の何か凄いインパクトを得られたら、本当に最高だろうな……という期待をしてしまうところもあり。
そもそも確定情報かどうかわからないし、確定していたとしてもなるようにしかならんのですけれど、アニメ化って聞いて素直に喜べず、「うげぇ」って思っちゃった私は、どうやっても革命軍に所属することはできなさそうです。
何にせよ、決まってからですね。あ、もし全60話とかで3、4年やってくれるなら、どんな内容でもOKです。
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まあ噂の真偽はともかくと致しまして、アニメ化。やったね、やれめでたい! ……とはなかなかならない感もあり。
なんせアニメ化には色々「ヤバイ」こともあるわけで、正直な話、ただコンテンツとして都合よく使い捨てられるのだとしたら、やっぱり残念だなぁと思うわけです。なぜか無性にキャベツが食べたくなってきた。
アニメ化のメリットを見た場合、おそらく二つのことが考えられます。まず、単にアニメを自分が楽しめる。もう一つは、アニメ化することによってさまざまな「波及効果」が生まれる。たとえば円盤は出るでしょうね。グッズも充実して、フィギュアがでるかもしれないし、CDがバンバンでるかもしれない。イベントも活発になるかもしれないし、アニメによってユーザーの間口が広がって二次創作が活発になるかもしれない。それでなくとも、コンテンツとしての「寿命」は伸び、長いスパンでみれば10年、20年経ってリメイクがあるかもしれません。
実際、丸戸さんが『WA2』を手がけたのは『WA』のファンだったからということですが、それが可能になったのも、アニメ化やら何やらで『WA』の寿命がぐっと延びていたから、という側面はあると思います。つまり、アニメが「私」にとっては大外れであっても、今後作品としての寿命が延びるようなアタリ方をすれば、結果的に受ける恩恵が大きい。
まあ普通はやっぱり、純粋に自分が楽しみたいというのが一番ですけどね。
ただ、原作原理主義でいくならそんなもん知ったこっちゃないというか、原作はもうあれで完結。完成品。「何もたさない、何もひかない」の精神で、あとにあるのはぜーんぶオマケ。むしろ余計なものが混ざるぶん、無い方がいい、なんていう考え方もあると思います。
それとは別に、アニメが大バッシングを受けたりすると世間的にイメージが悪くなって、関係ない原作まで袋叩きに合うのが怖い……という考えもあるでしょう。「当たればいいけど外れたら最悪」というのは都合の良い話ではあるけれど、ファンとしては偽らざる本音のひとつではないかと。ぶっちゃけ、私もそう思う。こうなってくるとやっぱり難しいんですよねー。
本当に蓋を開けてみるまでわからないというか、結果論でしか語れないのが辛い。ただ、『WA2』に関してはちょっと微妙な部分もあって、たとえば(私の読みだと)ことばや態度にしている部分が必ずしも本当ではない、というような部分が「届かなさ」として描かれている作品ですから、映画とか舞台ならわかるけどアニメ映えする内容ではないし、表現もどうやるのかよく分かんない。
いまなら、「原作レ○○は勘弁してくれ」と祈っていた方たちの気持ちが解ります。声優さんが全然違うひとになったり、作画がいきなりヤシガニになったりしたら、「余計なことしないで欲しかった……」とどうしても言いたくなってしまうでしょう。
WA2アニメ、マジっすか……。もし5年間を12話に圧縮したり学園祭までで終わりみたいな無茶をやるのなら、延々雪の御宿駅を30分流し続けるような感じで良いと思う私がいます。それか、ストラスブールの名所巡りアニメ。
— OYOYO(御夜宵子)さん (@Oyoyoiko) 2013年4月6日
ツイッターでこんな無茶苦茶言っちゃいましたけど、とにかく「無難」におさめてほしいという想いがある一方で、ゲーム以上の何か凄いインパクトを得られたら、本当に最高だろうな……という期待をしてしまうところもあり。
そもそも確定情報かどうかわからないし、確定していたとしてもなるようにしかならんのですけれど、アニメ化って聞いて素直に喜べず、「うげぇ」って思っちゃった私は、どうやっても革命軍に所属することはできなさそうです。
何にせよ、決まってからですね。あ、もし全60話とかで3、4年やってくれるなら、どんな内容でもOKです。
以前、当選したと言っていた『夏の終わりのニルヴァーナ』声優さんサイン色紙が到着しました!
こんな感じ。缶バッジも同封されていた。
当選したのは如月那由役の不破弥莉亜さん。というか車の人のサイン。ニコニコ大百科の「キャストを眺めて、見覚えがなく、車っぽい名前の人がいたら、ほぼこの人」という説明は完璧だと思います。誰だか解りにくいのが難点ですが、ほとんど一点物みたいな感じなので、たいへん嬉しい。
どうでもいいのですが「如月那由」っていうと私は、『FAKE』の工作員ことピンク姉を思い出すしてしまい……。10年前のエロゲーとか今となってはアレでございますね。遠い思い出。
というわけで、ぺんしるさん(ぱじゃまそふとさん)、ありがとうございました! 色紙、大事に致しますヽ(=´▽`=)ノ。
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こんな感じ。缶バッジも同封されていた。
当選したのは如月那由役の不破弥莉亜さん。というか車の人のサイン。ニコニコ大百科の「キャストを眺めて、見覚えがなく、車っぽい名前の人がいたら、ほぼこの人」という説明は完璧だと思います。誰だか解りにくいのが難点ですが、ほとんど一点物みたいな感じなので、たいへん嬉しい。
どうでもいいのですが「如月那由」っていうと私は、『FAKE』の工作員ことピンク姉を思い出すしてしまい……。10年前のエロゲーとか今となってはアレでございますね。遠い思い出。
というわけで、ぺんしるさん(ぱじゃまそふとさん)、ありがとうございました! 色紙、大事に致しますヽ(=´▽`=)ノ。
新田さんキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
はい、とうとうドローモンスターカードです。自力で引けたよおおお! ウサミンをドナドナしてSR+の新田さんはお迎えしていたんですが、素のVerがどうしてもきになっていて。念願かないました。とか言って結局あれから、フルプライスエロゲー5本ぶんくらい追加で使いましたが……。マジやばい。ガチャやばい。アワワワわ。
とうとう女神をお出迎え。
SR+の新田さんは前をはだけてオープンスタイルです。
特訓後の新田さん。
開放的な気分になってるのは良いんですが、やっぱり新田さんは特訓前のポーズのほうがこう、なんというか雰囲気あって良いです。というか新田さん、19歳なのに漂うJK感がヤバイ。アナベベ安部菜々さんと違って漂う本物っぽさ……。これが王者の風格か。
あと、「にったみなみ」でググると小学校がヒットしたけど見なかったことに。
今回割と私勝ち組じゃないかと思うんですよね……いや、出費的にはどう考えてもアカンのですが、これで残りは笑顔の女神新田さんSRにお越し頂ければ、ひとまず新田さんコンプですし、既に艦隊も組めるし、うん、満足です。モバマスを始めた目的のほとんど全てを達成しつつある。
あとは特に課金もせずにダラダラかなっ。
あ、でも川島さんはちょっと気になる。アンチエイジングェ……。
ツイート
はい、とうとうドローモンスターカードです。自力で引けたよおおお! ウサミンをドナドナしてSR+の新田さんはお迎えしていたんですが、素のVerがどうしてもきになっていて。念願かないました。とか言って結局あれから、フルプライスエロゲー5本ぶんくらい追加で使いましたが……。マジやばい。ガチャやばい。アワワワわ。
とうとう女神をお出迎え。
SR+の新田さんは前をはだけてオープンスタイルです。
特訓後の新田さん。
開放的な気分になってるのは良いんですが、やっぱり新田さんは特訓前のポーズのほうがこう、なんというか雰囲気あって良いです。というか新田さん、19歳なのに漂うJK感がヤバイ。
あと、「にったみなみ」でググると小学校がヒットしたけど見なかったことに。
今回割と私勝ち組じゃないかと思うんですよね……いや、出費的にはどう考えてもアカンのですが、これで残りは笑顔の女神新田さんSRにお越し頂ければ、ひとまず新田さんコンプですし、既に艦隊も組めるし、うん、満足です。モバマスを始めた目的のほとんど全てを達成しつつある。
あとは特に課金もせずにダラダラかなっ。
あ、でも川島さんはちょっと気になる。アンチエイジングェ……。
ちょっとメモ書き風になるので読みづらいかもしれず、ご容赦いただきたいのですが、友人と「天然キャラって難しいよね」という話をしていました。
「天然」の定義にもよると思うのですが、一応Wikipedia先生の「天然ボケ」あたりを参考に、「無自覚な行動が一般的な人とズレまくってる」みたいな感じで考えておきます。
で、まあ「天然」さんってのを、無自覚にずれていく人であるとした場合、キャラってそもそもある程度自覚的に作られてるわけじゃないですか。その時問題になるのは、自覚的に作られた天然キャラというのはありえるのか、という。問題の定義ですでに混乱しているかもしれないのですが、もうちょっと続けさせてください。
この問題の答案としては、以下のようなものが考えられると思います。
(1) 実物の天然キャラをコピーした。
(2) 作中できちっと「天然」性をつくりあげた。
(3) 気づいたら天然キャラができあがっていた。(ライターさんが天然だった)
(4) 気にしてない。(とりあえずそういう属性ということにした)
まあ(3)みたいな「ナチュラルに外す」のってきわめてレアいというか、あったとしても「天然」属性の人が満足するような話になるかというと相当微妙な感もあります。つまり、実際マジモンの「天然」さんが目の前にいたら、やっぱり多かれ少なかれギョッとするところってあると思うんですよね。ツイッターとかでときどき、「天然や……」みたいなコメントとともに紹介されている人がいますが、なるほどこちらの理解をぶっちぎって明後日の方向に飛んで行ってる感がある。ああいうオドロキというか、ギョッとする感じって、なかなか出せません。
その点エロゲーの(エロゲーに限らずでしょうけど、一般にフィクションの)天然さんというのは、そのズレ方が理解できるというか、むしろそうでないとユーザーとしては安心できない部分があるわけです。たとえば、先日紹介した「ポケ恋」の西洞院さんを私は「天然」と評しましたが、彼女の場合は単に、自分の内面を対他的に語るコードを持たないというだけの話です。ズレはズレているし、本人には自覚されていない。だから、(2)のパターンです。ただそれは、外から見れば理解可能なものになってしまう。作中の「天然」さと、外側から見た「天然」さが、一致はしないのではないか、と。
そこで疑問なのは、そもそも私たちは「天然」という属性に(まことの「天然」な人ではなくて)、別の何かを求めているのかもしれないな、と。たとえば純真さであるとか、周囲とのズレによる葛藤であるとか、傍若無人さであるとか。ただ、その「何か」がいったいなんであるかについてはよくわかんないし、またその性質がどうやって表現されるのがふさわしいのか(「天然」で良いのか)、そんなことを話していて、夜が明けてしまいました。
ちょっと抽象的な話になったので、今度は具体的にキャラとか挙げながら話をしたいね、と言っていたんですが、お互い忙しくなりそうな感もあり、いつになるやら。とりあえず、忘れないうちにメモ的に残して、おいおい考えてみようかと思います。
考えても、何も出てこないかもしれませんけれども。
ツイート
「天然」の定義にもよると思うのですが、一応Wikipedia先生の「天然ボケ」あたりを参考に、「無自覚な行動が一般的な人とズレまくってる」みたいな感じで考えておきます。
で、まあ「天然」さんってのを、無自覚にずれていく人であるとした場合、キャラってそもそもある程度自覚的に作られてるわけじゃないですか。その時問題になるのは、自覚的に作られた天然キャラというのはありえるのか、という。問題の定義ですでに混乱しているかもしれないのですが、もうちょっと続けさせてください。
この問題の答案としては、以下のようなものが考えられると思います。
(1) 実物の天然キャラをコピーした。
(2) 作中できちっと「天然」性をつくりあげた。
(3) 気づいたら天然キャラができあがっていた。(ライターさんが天然だった)
(4) 気にしてない。(とりあえずそういう属性ということにした)
まあ(3)みたいな「ナチュラルに外す」のってきわめてレアいというか、あったとしても「天然」属性の人が満足するような話になるかというと相当微妙な感もあります。つまり、実際マジモンの「天然」さんが目の前にいたら、やっぱり多かれ少なかれギョッとするところってあると思うんですよね。ツイッターとかでときどき、「天然や……」みたいなコメントとともに紹介されている人がいますが、なるほどこちらの理解をぶっちぎって明後日の方向に飛んで行ってる感がある。ああいうオドロキというか、ギョッとする感じって、なかなか出せません。
その点エロゲーの(エロゲーに限らずでしょうけど、一般にフィクションの)天然さんというのは、そのズレ方が理解できるというか、むしろそうでないとユーザーとしては安心できない部分があるわけです。たとえば、先日紹介した「ポケ恋」の西洞院さんを私は「天然」と評しましたが、彼女の場合は単に、自分の内面を対他的に語るコードを持たないというだけの話です。ズレはズレているし、本人には自覚されていない。だから、(2)のパターンです。ただそれは、外から見れば理解可能なものになってしまう。作中の「天然」さと、外側から見た「天然」さが、一致はしないのではないか、と。
そこで疑問なのは、そもそも私たちは「天然」という属性に(まことの「天然」な人ではなくて)、別の何かを求めているのかもしれないな、と。たとえば純真さであるとか、周囲とのズレによる葛藤であるとか、傍若無人さであるとか。ただ、その「何か」がいったいなんであるかについてはよくわかんないし、またその性質がどうやって表現されるのがふさわしいのか(「天然」で良いのか)、そんなことを話していて、夜が明けてしまいました。
ちょっと抽象的な話になったので、今度は具体的にキャラとか挙げながら話をしたいね、と言っていたんですが、お互い忙しくなりそうな感もあり、いつになるやら。とりあえず、忘れないうちにメモ的に残して、おいおい考えてみようかと思います。
考えても、何も出てこないかもしれませんけれども。
昨晩というか今朝のことです。
ちょっと小腹が空いたのですが、ひと仕事している最中で何の準備もなかったので、コンビニにお酒と弁当を買いに行きました。
んで、QUICPay(ポストペイカード)で支払いをしようと、「クイックペイでお願いします」と言って、カードをかざしました。で、店員さんはレジ操作してくれたんですが、なかなか決済されないので、「あれ?」と思っていたら読み取りカードが「nanaco」になっていました。
※ポストペイカードは「何のカード」かをレジに入れないと反応しないシステムになっており、このへんの操作はコンビニによって違います。ローソンとかだと買う人が「QUICPay」のボタンを押して、利用するカードを選択するステップが挟まるので気づきやすいのですが、私の行ったのはセブン-イレブンだったのでレジ側の操作のみでした。近所のファミマではQUICPay使えません。
レジを再操作して支払いは済んだのですが、その時、弁当を袋に詰めながら、その店員さんが言ったんです。
「あのね、何のカード使うか言ってもらわないと、できないんですよ」
聞き間違いかと思って、「え?」と聞き返すと、その人はマスクをとって同じことを繰り返しました。
で、これ聞いて、私はカッチーンときたんです。主に三つのことで。
▼
まず、私は「クイックペイで」と言いました。これは私が毎回支払いの時に、口癖のように言っているし、そもそも最初に使ったときに、言わないと対応してもらえないというのをわかっていたので、必ず言っています。だから、「何のカードか先に言え」というのは、てめーが聞いてないだけだろう、と。一瞬、怒鳴りそうになりました。大人げないですが。
とはいえ、私マスクしてましたし、声がこもって聞こえなかったのかもしれません。実際、目の前の店員さんはマスクしていたせいで、声が聞こえづらかった。だから、私は言ったけど聞こえていなかったのかもしれない。あるいは、私は「言ったつもり」で本当は言っていないのかもしれない。そう思って、怒鳴るのは思いとどまった。言ったか言ってないかという、事実関係を巡る話をするのは、録音でもしていなければあまりにも不毛です。
んで、次に来たのは「客にその態度はどうなの」ということ。ただ、私よくこのコンビニで立ち読みとかしてるし、客として認識されてないか嫌われてる可能性はあります。この店員さんもよく見るし(というか、以前何度もクイックペイで支払いしてるんだから、覚えておいてくれよと思わんでもない)。それに、店員は客に文句を言ってはならんというのもおかしな話なので、これも何か怒り方としては違う気がしました。
で、私が最後にその場で思ったのが、「お前こそ私のカードが何かを確認せずにnanacoで読み取りにしてたじゃないか」ということ。これは、少なくとも私の落ち度ではありません。
もし、言われなければわからないというのなら、私がカードを出した時点で「何のカードでしょうか」と訊けば良いんです。それをせずに、勝手にnanacoだろうと予想してレジ操作しておいて、違っていたら「おまえが言わないのが悪い」とばかりに文句を言ってくるというのはどういうことか、と。しかも、私は別に「おい、支払いできないぞ」と怒ったわけでも何でもありません。ただ読み取られないなぁと、カードを裏表にしたりズラしたりしていただけです。
「何のカード使うか言ってもらわないとできない」なら、私のカードが何かわからずに操作を先にやったあなたは何なんですか、ということを、その場で言おうかと思いました。その不満を、私にぶつけるのは間違っている、と。
でも、やめました。やめて、「そうですか。ちゃんと言ったつもりだったけど、ごめんなさい」と言って帰りました。
▼
理由はいくつかあります。まず、この店員さんも疲れていたのかもしれない。人間誰もがイラッとすることはあるでしょうし、私が行ったのは結構夜中の、棚おろしとかで忙しい時間だったので、そんなところに来た人間が作業の邪魔(買い物)をしたので腹が立っていたのかもしれません。その辺は分かりませんがまぁ、虫の居所ってありますからね。
次に、めんどくさかったから。ここで言い争うのがまず面倒だし、家から近くて便利なコンビニなので変なこといって「クレーマー」扱いされるのも面倒ですし、またこの店員さんが、理性的に対応してくれるかも解らなかった。少なくとも、この程度のことで客に文句言うような人ですから、自制は効かないし他罰的な人(何か問題があったときに自分よりも他人に責任を求める人)なのだろうな、と。偉そうな言い方になりますが、他罰性が強い人に、責任の取り方をめぐって議論を仕掛けるというのはかなり体力と精神力要ります。その時の私には、どっちも無かった。
そしてラスト、この人がほかで失敗しても良いや、と思っちゃった。
私がここで文句を言ったり、あるいはこのコンビニ宛に、「○○さんという人がこういう対応をしたので不快でした」と言えば、店員さんは一時的に気分を害するでしょうし、実際怒られれば、それで私の溜飲は下がるのかもしれません。ただ、この場で怒鳴るなり、議論するなりすれば、それは同時に、店員さん自身が行動改善する機会にもなり得るわけです。「ああ、こんな面倒な客がいるなら迂闊なことは言わないようにしよう」か、「俺が間違っていた」かはわかりませんが。
でも、そういう機会が無かったらこの人はこのまんまの態度を続けて、いつかどこかで大失敗するかもしれない。ぶっちゃけ、私よりよほど気が短くてアグレッシブな人に同じことを言えば、もっと「面倒な」ことになっただろうと思います。
まあ実際その辺は相手を見てうまくやっていて、私をナメてるからそんな態度をとったのかもしれない。それならそれで、別に構いません。この人が失敗しないことを悔しいとは思わないので。ただ、私がその可能性をUPさせる義理はないな、と思った。なので、何も言わずに帰りました。
▼
結局のところ、憎まれ役になったり、近所のコンビニでクレーマー扱いされる危険を背負ってまでこの人に、私が「良かれ」と思うことを伝える気にはならなかった、ということで良いのかな。コンビニの店員さんに何を大げさなと思われるでしょうが、「ついカッとなって」以外のところで誰かに意見を言うというのは、結構しんどいし、覚悟が必要です。しかもそれが相手の意図を否定するようなことだったりすると特に。
もし今回の件、相手が親しい友人だったり、あるいは何か話をしたいと思う人であれば、私は遠慮なく言いました。もしそれで嫌われたとしても、それは私の言い方が悪かったのだと諦めることにして、とりあえず自分の考えを伝える。もちろん私の考えが100%正しいと、傲慢に信じているわけではありませんよ。でも、少なくとも自分の基準としてはあなたのほうがおかしいと思うということを伝える。それが相手に対する誠実さだし、また相手の人にとっても自分を見つめなおすチャンスになるのだと、そんな風に思っています。
私のスタンスでいえば、たとえば他の人の発言をとりあげたり議論にかみついたりする際、(単に枕というか話題のネタの場合もありますが)だいたいはそれだけのコスト――つまり反論されてもめたり、鬱陶しがられたりする――を支払うに値する内容だと思ったからこそ、そうします。自分が興味深く読んだのだから、自分の読みが未熟でも的外れでも、自分の感想なり意見なりを伝えるのが、その内容への礼儀だ、と。作品へのレビューなんかも基本一緒です。
人間関係もやはり同じでして、やっぱり「こういうの良くないと思う」とか、「そういう考えはおかしいと思う」という(もちろんその逆に、あれ良かった、もそうですが、ほめられて嫌がる人は少ないでしょうからコストはかかりにくいですね)、ある程度踏み込んだ話というのは、その人に関わっていく覚悟みたいなのが要るし、そういうもろもろを引き受けても良いと思える相手にしかできないわけです。で、この店員さんに理不尽な文句を言われた時に、彼は私の中から、そういう人ではなくなった。
我ながら狭量だとは思います。あと、暗くて理屈っぽいですね(笑)。スカッと怒って終わりとかにすればいいのに、ネチネチと。人間性が疑われます。加えて、この私の「クレーム」自体も、批判されうるものかもしれません(いわゆるブーメランとなって)。それは覚悟している。
まあでも、私の「怒り」の表現としては、怒鳴ったりお店にクレームつけるより、「何もしない」(こうしてブログには書いていますが)ことのほうが、適切かなぁと思ったのでした。
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ちょっと小腹が空いたのですが、ひと仕事している最中で何の準備もなかったので、コンビニにお酒と弁当を買いに行きました。
んで、QUICPay(ポストペイカード)で支払いをしようと、「クイックペイでお願いします」と言って、カードをかざしました。で、店員さんはレジ操作してくれたんですが、なかなか決済されないので、「あれ?」と思っていたら読み取りカードが「nanaco」になっていました。
※ポストペイカードは「何のカード」かをレジに入れないと反応しないシステムになっており、このへんの操作はコンビニによって違います。ローソンとかだと買う人が「QUICPay」のボタンを押して、利用するカードを選択するステップが挟まるので気づきやすいのですが、私の行ったのはセブン-イレブンだったのでレジ側の操作のみでした。近所のファミマではQUICPay使えません。
レジを再操作して支払いは済んだのですが、その時、弁当を袋に詰めながら、その店員さんが言ったんです。
「あのね、何のカード使うか言ってもらわないと、できないんですよ」
聞き間違いかと思って、「え?」と聞き返すと、その人はマスクをとって同じことを繰り返しました。
で、これ聞いて、私はカッチーンときたんです。主に三つのことで。
▼
まず、私は「クイックペイで」と言いました。これは私が毎回支払いの時に、口癖のように言っているし、そもそも最初に使ったときに、言わないと対応してもらえないというのをわかっていたので、必ず言っています。だから、「何のカードか先に言え」というのは、てめーが聞いてないだけだろう、と。一瞬、怒鳴りそうになりました。大人げないですが。
とはいえ、私マスクしてましたし、声がこもって聞こえなかったのかもしれません。実際、目の前の店員さんはマスクしていたせいで、声が聞こえづらかった。だから、私は言ったけど聞こえていなかったのかもしれない。あるいは、私は「言ったつもり」で本当は言っていないのかもしれない。そう思って、怒鳴るのは思いとどまった。言ったか言ってないかという、事実関係を巡る話をするのは、録音でもしていなければあまりにも不毛です。
んで、次に来たのは「客にその態度はどうなの」ということ。ただ、私よくこのコンビニで立ち読みとかしてるし、客として認識されてないか嫌われてる可能性はあります。この店員さんもよく見るし(というか、以前何度もクイックペイで支払いしてるんだから、覚えておいてくれよと思わんでもない)。それに、店員は客に文句を言ってはならんというのもおかしな話なので、これも何か怒り方としては違う気がしました。
で、私が最後にその場で思ったのが、「お前こそ私のカードが何かを確認せずにnanacoで読み取りにしてたじゃないか」ということ。これは、少なくとも私の落ち度ではありません。
もし、言われなければわからないというのなら、私がカードを出した時点で「何のカードでしょうか」と訊けば良いんです。それをせずに、勝手にnanacoだろうと予想してレジ操作しておいて、違っていたら「おまえが言わないのが悪い」とばかりに文句を言ってくるというのはどういうことか、と。しかも、私は別に「おい、支払いできないぞ」と怒ったわけでも何でもありません。ただ読み取られないなぁと、カードを裏表にしたりズラしたりしていただけです。
「何のカード使うか言ってもらわないとできない」なら、私のカードが何かわからずに操作を先にやったあなたは何なんですか、ということを、その場で言おうかと思いました。その不満を、私にぶつけるのは間違っている、と。
でも、やめました。やめて、「そうですか。ちゃんと言ったつもりだったけど、ごめんなさい」と言って帰りました。
▼
理由はいくつかあります。まず、この店員さんも疲れていたのかもしれない。人間誰もがイラッとすることはあるでしょうし、私が行ったのは結構夜中の、棚おろしとかで忙しい時間だったので、そんなところに来た人間が作業の邪魔(買い物)をしたので腹が立っていたのかもしれません。その辺は分かりませんがまぁ、虫の居所ってありますからね。
次に、めんどくさかったから。ここで言い争うのがまず面倒だし、家から近くて便利なコンビニなので変なこといって「クレーマー」扱いされるのも面倒ですし、またこの店員さんが、理性的に対応してくれるかも解らなかった。少なくとも、この程度のことで客に文句言うような人ですから、自制は効かないし他罰的な人(何か問題があったときに自分よりも他人に責任を求める人)なのだろうな、と。偉そうな言い方になりますが、他罰性が強い人に、責任の取り方をめぐって議論を仕掛けるというのはかなり体力と精神力要ります。その時の私には、どっちも無かった。
そしてラスト、この人がほかで失敗しても良いや、と思っちゃった。
私がここで文句を言ったり、あるいはこのコンビニ宛に、「○○さんという人がこういう対応をしたので不快でした」と言えば、店員さんは一時的に気分を害するでしょうし、実際怒られれば、それで私の溜飲は下がるのかもしれません。ただ、この場で怒鳴るなり、議論するなりすれば、それは同時に、店員さん自身が行動改善する機会にもなり得るわけです。「ああ、こんな面倒な客がいるなら迂闊なことは言わないようにしよう」か、「俺が間違っていた」かはわかりませんが。
でも、そういう機会が無かったらこの人はこのまんまの態度を続けて、いつかどこかで大失敗するかもしれない。ぶっちゃけ、私よりよほど気が短くてアグレッシブな人に同じことを言えば、もっと「面倒な」ことになっただろうと思います。
まあ実際その辺は相手を見てうまくやっていて、私をナメてるからそんな態度をとったのかもしれない。それならそれで、別に構いません。この人が失敗しないことを悔しいとは思わないので。ただ、私がその可能性をUPさせる義理はないな、と思った。なので、何も言わずに帰りました。
▼
結局のところ、憎まれ役になったり、近所のコンビニでクレーマー扱いされる危険を背負ってまでこの人に、私が「良かれ」と思うことを伝える気にはならなかった、ということで良いのかな。コンビニの店員さんに何を大げさなと思われるでしょうが、「ついカッとなって」以外のところで誰かに意見を言うというのは、結構しんどいし、覚悟が必要です。しかもそれが相手の意図を否定するようなことだったりすると特に。
もし今回の件、相手が親しい友人だったり、あるいは何か話をしたいと思う人であれば、私は遠慮なく言いました。もしそれで嫌われたとしても、それは私の言い方が悪かったのだと諦めることにして、とりあえず自分の考えを伝える。もちろん私の考えが100%正しいと、傲慢に信じているわけではありませんよ。でも、少なくとも自分の基準としてはあなたのほうがおかしいと思うということを伝える。それが相手に対する誠実さだし、また相手の人にとっても自分を見つめなおすチャンスになるのだと、そんな風に思っています。
私のスタンスでいえば、たとえば他の人の発言をとりあげたり議論にかみついたりする際、(単に枕というか話題のネタの場合もありますが)だいたいはそれだけのコスト――つまり反論されてもめたり、鬱陶しがられたりする――を支払うに値する内容だと思ったからこそ、そうします。自分が興味深く読んだのだから、自分の読みが未熟でも的外れでも、自分の感想なり意見なりを伝えるのが、その内容への礼儀だ、と。作品へのレビューなんかも基本一緒です。
人間関係もやはり同じでして、やっぱり「こういうの良くないと思う」とか、「そういう考えはおかしいと思う」という(もちろんその逆に、あれ良かった、もそうですが、ほめられて嫌がる人は少ないでしょうからコストはかかりにくいですね)、ある程度踏み込んだ話というのは、その人に関わっていく覚悟みたいなのが要るし、そういうもろもろを引き受けても良いと思える相手にしかできないわけです。で、この店員さんに理不尽な文句を言われた時に、彼は私の中から、そういう人ではなくなった。
我ながら狭量だとは思います。あと、暗くて理屈っぽいですね(笑)。スカッと怒って終わりとかにすればいいのに、ネチネチと。人間性が疑われます。加えて、この私の「クレーム」自体も、批判されうるものかもしれません(いわゆるブーメランとなって)。それは覚悟している。
まあでも、私の「怒り」の表現としては、怒鳴ったりお店にクレームつけるより、「何もしない」(こうしてブログには書いていますが)ことのほうが、適切かなぁと思ったのでした。
エイプリルフールです。
何を書いても「嘘だろ」といわれる日です。
とりあえず、適当なこと言って「うそだよー☆」って言えば良いという空気がうざいです。
みんな面白がって気合の入った嘘をつくせいで、ある程度センスのあることを言わないと冷たい目で見られるのが最悪です。私にそんなセンスは無い。
本当のことを言っても嘘だと思われるのが辛いです。天使のような私が、嘘をつくと思われるだけで屈辱です。
エイプリルフールなんてこの世からなくなればいいのにって思います。
さて、エロゲーメーカーさんのエイプリルフールネタを見て回らないと。今日は忙しくなるぞぉ。
……あ、モバマスで課金デビューしまして、月末ガチャというのをまわしました。フルプライスエロゲー二本分くらい。
自称17歳。永遠の。昔着ていた毎日着ている制服を引っ張りだしたらしい。
あべななさんという人をお迎えしました。しかも2人。ホントだよ?
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何を書いても「嘘だろ」といわれる日です。
とりあえず、適当なこと言って「うそだよー☆」って言えば良いという空気がうざいです。
みんな面白がって気合の入った嘘をつくせいで、ある程度センスのあることを言わないと冷たい目で見られるのが最悪です。私にそんなセンスは無い。
本当のことを言っても嘘だと思われるのが辛いです。天使のような私が、嘘をつくと思われるだけで屈辱です。
エイプリルフールなんてこの世からなくなればいいのにって思います。
さて、エロゲーメーカーさんのエイプリルフールネタを見て回らないと。今日は忙しくなるぞぉ。
……あ、モバマスで課金デビューしまして、月末ガチャというのをまわしました。フルプライスエロゲー二本分くらい。
自称17歳。永遠の。
あべななさんという人をお迎えしました。しかも2人。ホントだよ?
《自己紹介》
エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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