よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013年04月

注意一瞬

モバマスのフリートレードを眺めていたら、[ハロウィンナイトメア]白坂小梅+が、225マニーで出品されていました。ちなみに相場はこんな感じ。だいたい、スタドリ230前後のようです(※スタドリ1=1,000,000マニーくらい)。つまり、どう考えても価格が安すぎる……。

忍者よろしく購入だ! と思ったら一瞬で消えたので撤回したのかなと思ったら、スーパー忍者が隠密から攻勢を仕掛けたらしく、光の早さで取引完了してました。

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225マニーの悲劇。

これがワザとだったのか、価格付け間違えなのかはわかりません。前者ならいいけれど、後者だったらまあ悲惨です。

私もぼちぼち転売してるから設定ミスでうまい汁吸ったりもしてるからひとのこと言えないわけですが、ここまで大規模なのは初めてだったので「うわぁ」ってなりました。自分がやっちゃったら引退考えるレベル。というか、ふつうにウチのフロントに欲しいです。小梅ちゃん……。

ネトゲーにおいて価格のつけ間違いというのはしばしば発生する事例で、揉め事の原因になったりもするのですが、「三好紗南1マニー事件」の解説にも書かれてある通り、「出品してしまった以上は誰が落札しようと文句は言えない」のであって、これはもう、自らの不注意を呪うしかないパターンです。

しかし、この手のゲーム内アイテムは(特にスタドリは)基本的に現実のお金で購入するものです。このことをもって、ネットゲーム内での一部アイテムを現実の資産と等価で扱うという議論もあるくらいですから、システム的にもうちょっと、「ミス」を減らす工夫が欲しいかなという気もする。

現在、交換前には「この内容で問題ありませんか」みたいな確認がでますし、マニーが少額の場合、「少額のマニーのみで登録しようとしています」という警告が、赤字で上の方に出る仕様になっています。

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警告文が上に。

ただ、これどうも分かりづらい。せめて、「登録する」のボタンのところに出して欲しいかなぁと思ったりもします(つまり、ボタンをタップする時には見ないような気がする)。また、マニー登録のときとスタドリ登録のときで文字の色を変えるとか……。アイコンが違うからそこまでしなくても良いのかな。

転売を考えるとミスがあったほうが美味しいのは確かです。しかし、自分がミスすることなんかも考えるとブルッとなる。あるいは、そもそもゲーム内での「資産」が保護されるべきかという大きな話として考えると、「ゲーム内の資産には運営タッチしません」というのは怖い。サーバーが飛んだり、あるいはアカウントハックをされた場合などの救済措置も、原則取る義務がない、というような話になったりしそうだからです。

運営が積極的にユーザー間の揉め事に首を突っ込んで解決してくれ、というのではありません。あくまで自己責任というのは、ゲームを楽しむ者のスタンスとしては大事だと思う。ただ、運営側には運営側として、やっぱりシステム的に保護する工夫というのを最大限やっていってほしいなと、そんなことを思ったのでした。

……それとは別に、やっぱりフリトレやる時は設定ミスがないか注意したいですね。

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おもしろい講義

この四月に大学に進んだ、だいぶ年の離れた従妹が、「講義がおもしろくない」みたいな愚痴を言っていました。

話を聞いていると、いわゆる一般教養系の講義が多くて、知識は身につくけれど例年同じことを言っているらしくてノートやシケタイプリント(試験対策プリント)も出まわっており、実質受ける意味が無いのだとか、どうたらこうたら。

で、私はその大学の講義をうけたわけではないのですが、話を聞いて「はあ……まあ面白くないだろうなぁ、それは」と思ってしまいました。申し訳ないけれど。

ことわっておきますが、その大学の講義が面白く無いと言っているわけではありませんよ。ただ、話を聞いた限りで、そういう講義だとしたら面白く無いだろう、という話です。というのも、たぶんそのルーチンワークみたいなのを、教える教授自信が面白いと思っていないだろうからです。

私は大学時代、それほど真面目な学生ではありませんでしたが、「面白い!」と思える講義にはいくつも出会いました。そしてそのほとんどが、例外なく教える先生自身が面白そうだった。

思うに、大学というのは「教わりに行く」場所ではありません。教科を自分で選択していくことからも分かる通り、基本的には「学びに行く」ところです。つまり、待っていても「教え」は降ってこない。自分で能動的に探しに行くしかない。

その、探しに行くためのモチベーションはどうやって作られるかというと、それは「分からない」という意識によってであろうと思います。それが「分かりたい」になるから話が面白くなる。

「分かった」も、一時的にはモチベーションの源たりえるかもしれないけれど、自分で考えることなく教わって知識を身につけるだけというのは、早晩飽きが来ます。なんたって私たちは、受験勉強とやらで死ぬほどそんなことをやってきているのですから。よほど辛抱強い人か、知識マニアかでなければ、以前と変わらぬ学習のあり方に厭気がさすでしょう。

魅力的な講義というのは、その「分からない」がそこここに散らばっている。それについて、考えようという気にさせてくれる。そして多くの場合、その「分からない」は、教えている先生(教授という言い方をしないのは、准教授もいるからです)自身にとっても、分からないことだったりします。そして、その先生もまた分からないことを面白いと思っている。

何を言ってるかサッパリわからなくても、その先生がとにかく生き生きと喋っていて、自分の興味関心をアピールしてくれる講義というのは、案外おもしろい。その人が、それほどまでに惚れ込んでいる対象が何なのかということを、知りたくなったりもする。一方、毎年同じルーチンワークをやっている先生というのは、ご本人にそのつもりがなくても、教えている側に新鮮な驚きが存在しないので、聞く側からも消えてしまう。まして今回の場合、シケプリと講義ノートをどこかから仕入れれば「答え」が分かってしまうのですから、尚更です。

私は別に大学のセンセイではありませんから、大学生相手にかくかくしかじかの講義をしろとは言いませんが、受講する側にアドバイスならできます。まず、先生が講義の対象を面白そうに扱っている講義を聞くのが良いと思います。少なくとも、毎年同じことをぐるぐるやってる人は(本当に好きだからそれしかやらない可能性はありますが)、そうでないことが多い。

また、配布されるプリントが雑過ぎたり丁寧すぎたりする場合も、警戒が必要です。雑すぎるというのはその対象に対する愛情が足りないというか、伝えたいことが少ないのでしょうから論外として、丁寧すぎるというのも考えもの。なぜなら、その先生にとって「分からない」ようなことは、入りたての大学生を相手にするためにチューニングすると、消えてしまうような繊細で微妙な内容のことが多いからです。

親切を無下にするのは気が引けますが、しかし、学生にあわせてくれた内容よりは、その先生のむき出しの問いのほうが、実は学生にとっても響くものがあるんじゃないでしょうか。

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ボタンがいっぱいついた話

さっき、DTIブログさんからメールが着ていました。

「ご好評頂きましたツイートボタンに加えて、この度 facebook、はてな、グーグル+、LINE、mixiのソーシャルボタンが追加されました。ソーシャルボタンの利用で、あなたのブログがもっともっと広がっていくチャンス!この機会にぜひぜひご利用下さいませ!」

ほうほうどれどれ……ということで、試しにちょっとやってみます。今後全部つけるかどうかはともかくとして。

以前から、ソーシャルボタンはつけて欲しいと思っていたのでありがたいですね(いちいち手動でつけるのが大変めんどくさい)。ツイッターのボタンについては、表示される文字が編集できない(自動でプロフィールの名前が書き込まれる)のが鬱陶しくて、いまでも手動で書いているのですが、このへんのカスタマイズができるようになると、ぐっと印象よくなるなぁ。

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上のがこれまでと同じタイプの手打ちソーシャルボタンですが、どんな風に並ぶんだろう。「記事を投稿」ボタンを押すのがちょっと楽しみです。

……ただ、こんなにボタンつけても、私やってるのツイッターだけなんですよね(ノ∀`)。

あ、WEB拍手は最近、結構押してくださる方が増えてきて、コメントも時々いただけたりして、嬉しいです。なんだかんだ言ってレスポンスがいただけるというのはありがたいことだなぁとしみじみ。そのうち、お礼の絵とかも設置してみようかと思っています。

ってなわけで、ボタン設置にともなってブログのデザインを大幅に変えるかもしれないという話でした。(えっ、そういう話だったの!?)


【追記】
ボタンいっぱいつきすぎだろおおおおおお! あと、いままで「Google+」のボタン表示されなかったのが表示されるようになって良かったです。以前はDTIBlogでも表示されていたのが、一時期使えなくなっていたのはどうしてなんだろう。はからずも今回表示できるようになったことで、私がいつもGoogle+ボタンもコピペしていたことが証明されました。

怒れる人へ

 Ira Dei(神の怒)、――キリスト教の文獻を見るたびにつねに考へさせられるのはこれである。なんといふ恐しい思想であらう。またなんといふ深い思想であらう。

 神の怒はいつ現はれるのであるか、――正義の蹂躪された時である。怒の神は正義の神である。

 神の怒はいかに現はれるのであるか、――天變地異においてであるか、豫言者の怒においてであるか、それとも大衆の怒においてであるか。神の怒を思へ!

   ――三木清『人生論ノート』「怒について」



今日、というかついさっき、某レストランで夕飯を食べていると、隣の席から怒鳴り声が。

「テメェ、水持って来いつって、どんだけ待たせるんぞ! メシ持ってくる順番もおかしいじゃろボケが!」(原文ママ)

驚いてそっちを見ると、お父さん・お母さんと小さい娘さんの席で、お父さんが真っ赤な顔をして立ち上がっていました。セリフを聞く限り、水が来ないことに対してプッツンした模様。そのままこのご一家、「ふざっけんな!」みたいな罵詈雑言を並べ立てて出て行ってしまいました(お金は払ってるのを確認)。

嵐が去って、一同わりとポカーン。店員さんは周りに、「お騒がせしました」と平謝り。周囲は好意的で、「大変ですねぇ」とか声をかけている人もおられました。

どれだけ水を待たされたのか、正確なところはわかりません。ただ、私が入ったときは空いていた席でしたので、私らより後に入ったのは間違いない。ということは、30分とかとんでもない時間待ってはいなかったはずです。んで、最初に配られる水はおいてあった(グラスが空いていた)のは確認しました。つまり、最初に水を持ってこなかったのではなくて、おかわりが来なかったということでしょう。

夕飯どきで混雑する店内で、水が来ないからって怒るとはなんたる狭量……とは思いましたが、それよりなにより、一緒にいたこどもがかわいそうだなぁと。

なんせ、食べていたハンバーグセットみたいなの食べさし。オレンジジュースものみさし。彼女が残した食べ物が、寂しげにテーブルの上に残っていました。お父さんとお母さんはお酒を召し上がっていたようで、そちらはきっちり飲み干してあり(だから水を求めたんでしょうけど)。まあ、言ったら悪いけど子どもの都合無視して出て行ったんだと思います。たぶん。出て行くとき、名残惜しそうに、テーブルを眺めておりましたゆえ。

「その人を知りたければ、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ」とは、『ハンター×ハンター』ミトさんの名言ですが、なるほど、真の怒りは「我を忘れる」ような突発的なものであるのかもしれません。そのようなものだけが、「怒り」の名を冠することが許される。それゆえに、かえって思考されたものよりも私的な領域(つまり「我」)の本質に深く根ざしたものとなるのでしょう。

だとすれば、今回の一件で怒髪天を衝いたお父上は、周囲の迷惑を顧みず、むきだしの「我」で挑みかかる場面が、レストランで水が来ないという場面であったということ。私には、そのような「我」は恐ろしいとは思わない。もちろん減少としての怒りのあらわれ(たとえば殴る蹴るのような物理的な暴力)は恐ろしいですがその人そのものには、恐れを抱きません。

ついでに、もしも「怒」がそれでもコントロールに置かれうるものだとしたら、人となりを示すのはもうひとつ、怒り方もあるだろうと思います。お店が忙しい時間帯で店員さんがてんてこ舞いであったこと、周囲が楽しく食事をしている中で怒鳴ったら雰囲気が悪くなること、加えて自分たちのこどもがまだ食事中であったこと。それらのことを顧みず、このお父さんは怒鳴り散らし、食事を切り上げて帰って行った。

やむにやまれぬ事情があったのかもしれないし、あるいは水が来ないということが彼にとってとても大きな意味を持っていたのかもしれませんが、端から見ているこちらの評価としては「周りが見えてない人だな」というところに落ち着けるしかありません。

どっちにしても、私が見た「怒」は軽かったと思うし、軽い「怒」を振り回す人間は、軽く見えてしまうなぁと思ったり思わなかったり。私も先日コンビニのレジでかっとなったことを、いささか恥ずかしく思い返したのでした。

さりとて、全く怒らないというのも考え物かもしれませんけれどね。それは人徳者と呼ぶには少々気味が悪いというか、やはり怒りがあることが、人間の個性の一端を担っているのも事実でしょう。

三木は「怒について」の中で、次のように言っていました。

今日、愛については誰も語つてゐる。誰が怒について眞劍に語らうとするのであるか。怒の意味を忘れてただ愛についてのみ語るといふことは今日の人間が無性格であるといふことのしるしである。

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レビュー:『天にひびき』no.7

天にひびき07
やまむらはじめ『天にひびき』no.7 (少年画報社、2013年4月)

大好きな『天にひびき』の新刊が出ていたので、遅ればせながら久々のコミックレビュー。

今回は、前回からの続き。主人公である久住秋央(表紙右側の男の子)がヴァイオリンコンクールにでるお話から始まります。コンクール編がトータルで三話。

ひびきとの再会によって、ひびきのコンマスになりたいという具体的な目標を持つようになった久住は、これまでフラフラしていたのが嘘のように力をつけはじめます。もともと榊教授(音大の先生)のもとで学んでいた秋央はしっかりした基礎があったので、目的意識と自信によって良い演奏ができるようになった。

秋央の指導教授である如月風花は、秋央と南条(秋央の同級生)をステップアップさせるために「あまりメジャーでない」都内の小さなコンクール(東都音楽コンクール)に協力なライバルはいないとふんで送り込んでいたのですが、これなら大丈夫だろう……と一安心。

ところが、優勝賞金が規模の割に高いこともあってか、このコンクールに、現在日本の若手ヴァイオリニストの中でも注目株が2人も参加。秋央らと賞を争うことになってしまいました。「個性的なタイプに影響され易い」せいで自分の演奏が定まらず、あちこちにフラフラしていた秋央は、案の定これに影響されて、予選で大打撃をうけてしまいます。また南条も、圧倒的な実力差を前にして、勝手に自分の限界を決めてあきらめる、「必要以上に自分を守る」癖が出てしまう。

さてさて、本戦はどうなることやら……。

という感じのお話がメイン。静かながら迫力のある展開で、終わりも良い感じでした。

あとは、秋央と美月、美香(波多野さん)の三人で病院にチャリティーコンサートに行く話が一つ、ひびきが指揮者としてステップアップしていく話が二つ。

このコンクール編がとにかく良かった。何が良いって、自分の身と重なるのが良い(笑)。音楽とは違いますが、なにかを表現するという分野では、否応なく人と比較されますし、また自分とその比較対象の「圧倒的な差」みたいなのを感じてしまうというのは、私のような天才ならぬ身には、とにかくありがちです。

「上手い人間なんてゴロゴロいる。この世界にいると事あるごとに思い知らされるこの事実」

「キチンと曲が弾けたとしても、とてもあの2人に勝るとは思えない」

「なぜ同じ楽譜を見て演奏しているのに、あれ程差が出るのか……」

「単に僕が下手なだけと言ってしまえば簡単なんだけど、自分の方向性も見極めずに只、闇雲に上手くなりたいって思ってても、ああはなれないだろう」

上のような感じで秋央くんは悩むのですが、「いやー、わかるわかる!」って思ってしまったわけです。超わかる。文章で言えば、深く読める人間・鋭いことが書ける人間なんてごまんといる。そういう人たちの中で、自分が少しでも彼らより勝っているといえるところがあるのか。その世界で生きていこうと思ったら、圧倒され、劣等感に苛まれ、誰よりも自分で相手との差を自覚しながらも、戦っていかなくてはならないわけで。

南条が「その他多勢」になってしまう自分の演奏に、何の意味があるのか悩んだのも、凄く共感できるところがある。もちろん彼らの悩みと私の感じた悩みは違うのでしょうけれど、具体的なシチュエーションから伝わってくる「迷い」が、凄く身近に感じられました。

あとはどうやって秋央がそれを克服するかだったんですが、このハードルの超え方も、納得の一言。本巻はこれまでのように恋愛描写が強いことも、できごととして派手で面白いことが起こるでもなく、ひびきのあたりも含めて一部登場人物の内面を掘り下げていくタイプの話が続いていて地味です。

ですが、やまむらはじめさんの真骨頂は、やっぱりこの辺りの描写の力にあると思う。「カムナガラ」や「ドォルズ」が流行ったぶん、アクションがないと物足りないと感じる人は多いのかもしれないけれど、私は人間ドラマが好きです。

やまむらはじめさんの描くキャラクター心理の魅力の一つは、やっぱりそれが、キャラの「今後の物語」を連想させるところです。ドラクエでレベルアップしたら次の街に行くのがわかるように、キャラの心理が変化したり、成長することで、次のステップが見えてくる。心理をベースにして物語をつくるのがとても上手だな、と。

恋愛話が少なかったのが物足りないと思いつつ、不幸になることが目に見えてるけど波多野さんには頑張ってほしい私としては結構ご褒美も多かったので、トータル大満足。非常に読み応えのある巻でした。

次も楽しみです。

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これだけは怠るなかれという話

四月も半ばを過ぎ、そろそろ新しい環境に慣れてきた頃でしょうか。ただ、この辺で確認しておきたいのが、各種の手続き関係。年度初めというのはとかく忙しいので、取り紛れてすごすうちに、ふと「やろうと思っていた」ことを忘れてしまって後からさあ大変……ということが多いものです。

私は比較的ズボラなたちでして、積極的な先送り政策の果てにしょっちゅう「締切オーバー」を味わったりもするので偉そうなことは申し上げられないのですが、それでもひとつ、絶対に気をつけたほうが良い、というお話をしておこうかなと。

お金が直接絡む手続きについては、後回しにしない。

これです。これ、超大事。他の手続きは良いとして、お金が絡むものについてはなるべく早く、そしてちょっとでも時間が空いたら、そのチャンスに済ませる。そういう心構えを大事にしたほうが良いと、私は思います。

これは私の知人の話で――と言うと、にわかに、「お前の話だろ」という感が高まりますが、本当に知人の話でして、昨年、お金がらみでとんでもない目にあった人がいました。

彼は大学院を留年したのですが、奨学金をもらっていて、ほうっておくと返還手続きが始まってしまう(いまは口座から自動引落で変換のシステムになっている)。そこで、本来は在学手続きなるものをとって、しばらく変換の猶予を(学生時代で授業料払いつつ変換は厳しいから)求めるものなのですが、どうしたことかその手続をすっかり忘れていたそうで、自動的に変換が始まってしまった。

そのことに気づいたのが7月頃だったそうで、そこから大学の事務に在学手続き受理を願い出たそうですが結局受け入れてもらえず、一年間奨学金変換をし続けるハメになったと。そのせいで授業料が維持できずバイトに明け暮れて、結局後期から休学することになった、という話でした。

詳しい事情は本人からの体験談なのでどこまで事実かわかりませんし(実際、事務に在学届けを受理してくれるよう、本当に頼んだのかどうか。割と諦めが早い性格なので、頼んでいないのかなーと思っていたりも)、またあんまりそのまんま書くと誰のことかバレる可能性もあるので一部「改変」しているのですが、まあとにかく、返済絡みでトラブったがために一年棒に振ったという酷い話です。

他にも、クレジットカードの決済で引き落とし口座に十分な額が残っておらず、延滞扱いになってブラックリストに載ったとかもよく聞きます。これも結構挽回が大変ですよね。

世知辛い話ではあるんですが、とにかくお金関係のことについてだけは、どれだけ面倒でもしんどくても余裕があると思っても、早め早めに対処しておくのが賢明だと思います。突然事故に遭って手続きを忘れてしまい、そのまま取返しのつかないことになったりするかもしれませんし……。

いや、そんなの金に限らず緊急性高い手続きは全般的にそうだろと言われればその通りなのですが、上記の例のように、お金がらみのことは直接その後の生活に響く可能性が非常に高いということです。ほかは、案外なんとかなったり、別の方法でリカバリーできたりもするのですが。

ともかく、ゆめゆめ油断めされるな、ということで。

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インプット不足

最近我ながらヤバいなぁと思うんですが、どうもインプットが不足してきている。

エロゲーやってない、という話じゃなくて(エロゲーはそこそこやってます)、それについて考えたり、何か書いたりする際の、自分の考えを広げていくような出会い、そういうものを貪欲に求める姿勢が、やはり欠けてきている。本を読んだり、人と議論したりという、たとえば。

なんでそんなことを言い出したかというと、自分の「見方」が硬直化してきてるなーと思ったからです。どうも、他の人の話や議論を聞いて、驚くことが少なくなった。いや、驚いたフリは自分の中でしているのですが(こんな面白い話を今日はきけた、とか、読んだとか、思うようにはしている)、本当にそこに自分が新鮮さを感じているかというと、どうもそうではなくて、今までにあった経験の枠にあてはめて、「結局こういうことだよね」って納得しちゃってる。

これはマズいなぁと反省するわけです。読みの態度としても真摯さに欠けてるし、全部自分が納得できることに回収しちゃっていたら、そこから「新しい」ことは生まれてこない。深くもならない。同じところをぐるぐる回って自分のよく知った結論、納得できる話に落ち着いて「ああ、よかった」と胸をなで下ろすだけの、つまんない思考回路のいっちょあがり。

つらつら思うに、よくもわるくも自分のスタンスみたいなものを固めてきてしまって、その弊害かな、なんて。

昔、読んだり書いたりする方法論について何の意識もなかった頃は、はやく自分のスタイルを固めたいと思っていたのですが、いつの間にかそういうスタイルを作ることそのものが目的になってしまっていたことに、遅まきながら気づいたというところ。なぜそのスタイルが必要かというと、より深く読み、ものを考え、その思考を形にしていくためだったはずなのに。

どこかでじっくりと腰を据えて、いろんなことをインプットしていきたい。ただ、世の中はどんどんアウトプットを求めてきていて、なんか成果をはき出していかないと認めてもらえない時代になってしまったわけでして、その中でどれだけ非生産事項に時間をとれるかというのは結構深刻な問題なのですが、それでもどこかでインプットの場面を確保していかないと、先細っていくばかりだなぁという懸念も……。

ってなわけで、何とかいろいろ、じっくり考えたり読んだりする時間をとりたいんですけど、優先事項とか生活とかあると、なかなか難しいな~。

やっぱり時間がある年代のときに「貯金」するのって大事ですね。お金じゃなくて。

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新しいスタート

新年度がはじまってしばらく経ちます。

見知ったエロゲーマーの方々の中には、めでたく就職されて、 社畜 社会人として頑張っておられる方も結構いらっしゃる。で、よくそういう社会人の方に対して「社会人の心得」みたいな話を見かけるのですが、私としては、「心得」とやらが必要なのは、むしろ新しい人を迎える側ではなかろうかと思ったりもします。

「入って○ヶ月で辞めるとか、最近の若者は根性がない」とドヤ顔で説教してみたりする人がいますが、ふつうに考えればそれは、育成ミスです。少なくとも、育成側に「も」問題があるはず。それを棚に上げて、新人に根性がないとはヘソでTeaがBoilもいいところです。プロ野球で、ドラフト経て入った連中が一年で8割やめたりしたら、コーチが責任とって辞めるレベルですよ。

私はそんな数多くの企業を見てきたわけでもないですから実際どうなのか知りませんけれど、居続けたら絶対体壊す、みたいなブラックな組織は論外として、そうでもないところでバタバタ新人さんが辞めていくとか、それは私が思うに、職場の精神的な部分が問題なんだろうと。

なんでこんなことを言い出したかというと、私の職場で最近、「あの新入社員は良い」とか、「あれは悪い」とか、そういう話をしてる人たちがいたからです。好き嫌いを話し合って、好きな奴はとりこんで、嫌いな奴は排除する……みたいな空気を作ってる。幸い私はその輪に巻き込まれずに済んでいますが、こういうセクショナリズムみたいなのこそが、新人さんにプレッシャー与える元凶のひとつだと思うのです(「ひとつ」ですから全てではないですよ、勿論)。

場の空気であるとか先輩の御覚えみたいなものに、機敏に乗っかれる人はいいんですが、そうでもない人のほうが多いでしょう。と言うか、新人さんというのは自分の仕事で手一杯で、人間関係にまで頭も手も回らない人のほうが多いはずです。それは能力がないというより、真面目だと捉えるべきでしょう。

そういう「フツー」の人が、とりあえずは安心して仕事に慣れていけて、実力を発揮できる環境作りってやっぱり大事だと思うのです。んで、そういう環境の大前提って、好き嫌いはあっても差別しないことかな、と。

人間ですから好き嫌いはあるのは仕方ない。でもそれを、あからさまな待遇の違いとして表に出したりするのはやっぱり良くない。組織というのは私的な空間ではないのですから、そこで私情だけで行動する人がいると、周囲の人間としてはつかれます。とにかくつかれる。組織内で私情を振り回す人というのは、結果が成功しようが失敗しようが、周りに精神的負担を強いているわけです。

新人さんは直接「好き嫌い」の対象でもあるわけですから、いきなりそういう精神攻撃にさらされるとそりゃあ「やってられん」となることもあるだろうと。

言いたいことが余り上手く纏まった感もないのですが、要するに、新人さんの前でセクショナリズムを堂々と公言したり(あの連中は好かんとか、あいつらはろくでもないから近寄るなとか)、更にはその派閥性をちらつかせて脅すようなことを無自覚にやる「先輩」はたちが悪いなぁと、傍目で見ていると思ったのです。アレ、当人たちはそういう文化で育ってきたし自分のいる派閥こそが正義だと思ってるから特に疑問も感じないのでしょうが、やられる方からすると相当プレッシャーですよ……。

というわけで、新人さんが程よく成長していける環境づくりの一歩として、「先輩」がたは好き嫌いの判断は保留して、一年なり二年なりは常に彼らの味方になるような、そういう心構えも大事じゃないかなぁ、なんてことを考えているのですが、なかなか難しいですかね。少なくとも私は、そういうつもりで接しているんですけれど。

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『テラべっぴん』の公式設定資料集が届いた話

数日前のことになりますが、とうとう『テラべっぴん』の公式設定資料集が届きました!

テラべっぴん冊子
携帯のカメラで撮ったので映りがアレだが、本体は綺麗な冊子。

CLOCKUPさんありがとうございますヽ(=´▽`=)ノ。というか、あんまりにも来ないからもう無かったことになったのかと心配していました。疑ってごめんなさい……。

そういえばゆず茶さんがバナーキャンペーンに当選されておられて、色紙五枚セットのプレゼントを受け取っておられました。超羨ましい……! イラストやメッセージも入った丁寧な色紙で、これはファンとしてはもらい甲斐があるなぁという感じ。

私にもバナキャンの神が舞い降りないものでしょうか……。当たる人はほんとにあたってますよね、バナキャン。やはりもっとガンガン貼るべきなのか……。でも、キャンペーンのためだけにバナーはって放置も、なんか悪い気がするし、やっぱり応援したいものを応援して、当たればラッキーくらいで行こう。


最後になりましたが、拍手に頂いたコメントにお返事など(気づくのが遅れてもうしわけない)。


>カペルさん
どもです! 東京公演のときは、中央テーブルに後から参りまして、中立地帯だーとかいって喜んでおりました。(その辺の事情はこちらに)たぶんお会いしてますよね……。私も記憶が曖昧で申し訳ない(´・ω・`)。ツイッターのほうでもどうぞよろしくお願いします(。・x・)ゝ。

>英語のかた
誰かほとんどわかってるんだけど書けないこの辛さ(笑)! いつもありがとうございます! またぼちぼち頑張っていければと思っております。


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ヤマグチノボル氏の訃報に思う

『ゼロの使い魔』などの作者であるヤマグチノボル氏が亡くなられたという話が飛び込んで参りました(MF文庫J公式)。心よりおくやみを申し上げますとともに、気持ちの整理がてら、思うところを少し。

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ヤマグチノボル氏の訃報。

ショックです。『ゼロ魔』もさることながら、FrontWingのエロゲー『カナリア ~この想いを歌に乗せて~』や『私立アキハバラ学園』、『ゆきうた』など、私にとって思い出深いさまざまな作品に関わってこられた方。ご病気をうかがった時からある程度覚悟はしていましたが、それでももう、氏の新しい作品が読めないということが残念でなりません。

ヤマグチノボル氏は、私の印象ですが、とにかく文体への意識が高い方だったように思います。コミカルな時はコミカルな文体で、しっとりとした時は重い文体で文字を綴る。代表作である『ゼロ魔』からは、海外の翻訳小説(『三銃士』と書いておられましたが)への意識を強く感じました。会話については、とりわけ顕著に。

「ヤマグチノボルの文体」は、読むよりも詠む――つまり、声に出した時に、その醍醐味が味わえる。私は常々、そんなことを言ってきました。句読点、表現の使い分け、倒置。すべては、流れるような文章の勢いのためにあり、そのリズムが、私たちのこころに、気持ちよく響く。

外に向かって放たれたことばが、私たちの目の前に、物語の世界を立ち上げて行く。改めて読み直してみると、そんな力を感じます。

『ゼロ魔』は、残り二巻での完結を前に、とうとう物語の「終わり」を迎えることができなかった。

でも、それで良いという気もするのです。終わらない物語で、良い。

氏の書かれた、私が大好きな文言を思い出します。

《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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