よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2013年03月

らぶりけ2のサイン会とかイベントの話

4月の目玉、超期待の新作『LOVELY☓CATION 2』(公式)のサイン会と発売記念イベントが決定しているようです。

サイン会:こちら
記念イベント:こちら

うわああ。どっちも行きたい! 行きたいけど、思いっきり抽選です。「予定定員を超えた場合、下記メールフォームからご応募いただいた方の中から抽選となります。」って書いてありますけど、むしろ「予定定員を超えない」可能性があるのかと聞きたい。相当大変な倍率になるんじゃないでしょうか。特にサイン会は東京と大阪があるようで、これぶっちゃけ大阪に出しても良い気がする。こんどこそ。と言うか大阪二部制ですし、大阪のが当たりやすいんじゃないのかとかなんとか……。

らぶりけはとても好きな作品でしたし、今回もかなり期待できそうだなぁと思っているので、ぶっちゃけ大阪へ遠征するのも視野に入れて検討しています。でも、東京のほうでうまいこと転がり込んできたらそっちのほうが良いしなぁ……。ううん、どっちに出すか迷うまよう。

発売記念イベントのほうも、抽選の可能性大ですか、おそらく。当日チケットのほうが取りやすいのかもしれないと思ったり思わなかったり。ともあれ、しばし動向を見守りたいと思います。つかこれ発表したってことは、ほぼ確実に延期はしないってことで良いんですかね? マスターアップはしていないにしても、順調なんだろうなぁ。凄いです……。マジ優等生。さすが前作で1年間アペンド出し続けただけのことはあります。

『LOVELY×CATION2』を応援しています!
黒髪ロング最高や……。

あと、らぶりけとは関係ありませんが激戦が予想されるといえばオーガストさんのコンサート・ライブ「トラベリングオーガスト」。4月26日の12時からチケット販売についての案内があるということで、ネットに貼り付く人が増えそうです。かくいう私も、たぶん……。先着順とかだったらヤだなあ。

まあこういう抽選って「当たるかなぁ。当たんねぇだろうなぁ……」という気分で出すんですが、やっぱり心の何処かではものすごく当たって欲しいわけでして、それでも現実は厳しくて、とりあえず先手をうって今からへこんでおこうかな、などと考えております。

迷いすぎて募集出すのを忘れるのだけは避けよう。

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エロゲーは百代の過客にして

MMOエロゲーやらソーシャルエロゲーが出てきたという話から、いわゆる「コンテンツ産業」としてのエロゲーについてちょこっと思うところを。マーケティングとか専門外なのに、どうもおこがましいことを書いてしまうのをやめられず、お恥ずかしい話です。と、先手を打って言い訳。まあラクガキ程度に考えて下さい。

あ、ちなみにここでいう「コンテンツ産業」というのは、一個の作品としてゲームを出すのではなくて、その中のパーツを切り売りしたり、逆に要素だけを抜きだして拡張して販売(たとえばキャラグッズとか)するような形式のことを意図しています。一般的なコンテンツ産業の用法とは、少し違うので、最初にそれだけおことわりさせてください。

▼「大日本学園戦国記」の話
PeasSoftさんのMMOSLG(18禁)、『大日本学園戦国記』の公開が、いよいよ4月に決定しました(公式サイト)。個人的にではありますが、非常に楽しみです。

ゲーム概要は「基本プレイ無料の多人数参加型戦略シミュレーション」。「大日本」という架空の舞台を24エリアに分割、更にそのエリアを50程度の領土にわけ、6つの「学園」で領地戦を展開するみたいです。「ブラウザ三国志」とか、あんな感じなのかな、たぶん。同じくエロゲー系ということなら、「メガミエンゲイジ」とかあっちに近いのかしら。エロ無いけど。

基本無料ではありますが、PCゲームとの連動企画や、当然「課金」システムもあるのでしょうから、 搾取 利益をあげるつもりはまんまんなのだと思いますけれども、おそらくはエロゲーとしては初の、かなり本格的なオンラインゲーム(本格的でないやつなら幾つかありましたので)ということで、期待と注目が集まっています。主に、私の中で。

※DMMさんのやつがある(たぶんロードオブワルキューレですよね)というコメントを頂きまして、ブラウザゲームという意味では確かにそうでした。やっぱり迂闊に「初の」とか書くと怖いです。失礼致しました。

ぶっちゃけ、結構面白そうですよね。Peasさんだけあって絵も魅力的だし。

ただ、幾つか問題があるとは思います。まず大きいのは、そもそもどのくらいの人数が参加するのかということ。基本無料ということでハードルは低いわけですが、あんまり少なすぎるとさすがに盛り上がらないし、あっという間に廃れます。逆に多すぎると、トラブルやらサーバーの負荷やらで、とにかく運営がキツいでしょう。当然その中で、どのくらい課金する客が出てくるかという問題もあります。この辺りは正直、フタを開けてみないと何とも言いづらいところではありますが、頑張って欲しい。

次に、上記と関係して、運営がきちんとできるのか。これはナメてるわけではなくて、オンラインゲームの運営というのはエロゲーと違って常時継続的に行わないとなりません。サーバーのお金だけでもそれなりに大変だというのは、素人でもわかります。加えて、ユーザー間のトラブルや不正対策、データの維持管理、定期的なアップデートにユーザーサポート、不具合の修正……と、相当のマンパワーも要求されるでしょう。そしてユーザーというのは、運営側の「頑張り」なんぞ気にせず、常に結果だけを求めてきます。運営がクソでも続けたく成るような、よほど魅力的なコンテンツを用意できるならともかく、そうでないなら信用を失うと厳しい展開が予想されます。

そして、「18禁」というハードルをどうクリアするのか(そもそも、流通に載せないからソフ倫とか関係ないのかもしれませんが、それでもアダルトコンテンツとしての責任は発生するでしょうから)という問題。こればっかりは恐らく、自己申告に頼るしかないのでしょうが……。まあ、中高生がやっちゃう可能性は低くないですよね。いっそ、課金しないとエロが見られないことにして、課金はクレジットカード限定とかにすれば(あるいはビットキャッシュのEXとか)、ある程度防げるのかな、とか思ったりします。

その他細かいことはいくつも思いつきますけれど、最初なので全部が全部うまくいくことは無いでしょうし、これから手探りでいろんなことに対処していくのでしょう。願わくは、この試みがうまくいって、新しいエロゲーのスタイルとして定着してほしい気もします。こういう「ゲーム」的なエロゲーというのは、対人要素があるほうが面白いですし、そして対人要素があれば、コミュニティができてエロゲー人口が増加するかもしれない。

もちろんこうしたコンテンツ産業化に伴う、さまざまな危険性は承知のうえで、それでもエロゲーマーの裾野を広げ、新しい道を探る挑戦は、無駄ではないと信じたいところです。

▼「ゆず・ぱら」の話
そしてもうひとつ、ゆずソフトさんのソーシャルゲーム『ゆず・ぱら』がスタートしました(公式サイト)。

こちらはバリバリのソーシャルゲー。なんてったってモバゲーです。「ゆずソフトのヒロイン総出演!かわいい女の子達と冒険しよう!」ということで、かなり気合の入った有名ドコロの絵師さんたちが描いた、ゆずヒロインたちのイラストカードを集める……のが目的でいいのかな?

モバマス形式かと思ったらまさかのアクションだったので、対人要素とかは無さそう。ひたすら自分で成果を積み上げていくタイプのゲームではないかと思います。ギルドというのがあって、それで他のプレイヤーと交流したりもできるみたいですね。説明を見る限り。(メンテナンスで全然入れなかったので……)

ちなみに、このゲームも18禁です。つまり、ソーシャルエロゲーです。モバゲーのシステムよくしらないんですが、携帯電話とかの認証で18歳未満は弾けるのかな? だとしたら、かなり精度の高いブロッキングができますね。単なる自己申告なら、やっぱりお察しでしょうけれども。

それぞれの絵師さんによるエロ絵が拝めるとか、そういうことになればゲーム以外の部分でコレクション要素がでてくるのかもしれませんが、正直、現状(あんまり面白くなさそうな)アクションゲームとゆずソフト単体のヒロインたちでどこまで集客力があるのかは未知数だと思います。

ただ、なんだかんだでゆずソフトさんは魅力的なコンテンツをつくる力に長けているし、今後ゲームソフトとも連動させたりもあるでしょう。どういう風に展開していくのか楽しみではあります。

そういえば話はとびますが、ゆずソフトさんの作品ってアニメ化とかしてないんですよね……。絵師のお二人が思い切りライトノベルとかでも活躍されているので、ソーシャルやアニメのメディアミックスでもっと「一般」にシフトしてもおかしくないと思うのですが、18禁側で頑張ってくださっているのはエロゲーユーザーとしては嬉しいし、今後も応援したいところです。

ちなみに「ゆず・ぱら」というのは「ゆずパラダイス」かと思っていたら「ゆずソフト・パラレルヒロインズ」の略称だそうです。

▼コンテンツ産業としてのエロゲー
後は割と適当な話というか自分の話になりますけれども、最近「モバマス」をはじめて、先日とうとう課金してしまいました。といってもガチャではなくてドリンク(体力回復して行動回数を増やす)飲んだんですけど。

以前ゆず茶さんが「モンピース」にどハマりした記事を書いておられて、そのことが鮮明に思い出されました。これが射幸心を煽るってやつか……!

で、どうしてそういう風になるかというと、やっぱり「競う相手」がいるからなんですよね。正直モバマスって、ゲームとしてみたら単に画面タップしてるだけです。無課金だったらやれることが限られているけど、課金しても基本そこはかわらない。だからもし、これが「自分一人」でやるだけのゲームだったら、一時的にコンプ欲とかで時間を費やしたとしても、2ヶ月か3ヶ月で飽きるんだろうな、と。RPGのレアアイテム集めみたいな感じで。

それが続けられる/続いてしまうのは、一緒にやっている「誰か」の影が常に見えるからです。「誰か」というのはゲームの外で(たとえばツイッターなどで)話す仲間の場合もあれば、ゲーム内で成果を競い合うライバルかもしれない。ただ、こういう消費型コンテンツ産業というのは間違いなくコミュニケーションの手段であり、ゲームそのものとユーザーの関係で自足するというより、ユーザーどうしの関係をゲームが取り持っているような感じがある。それが、現時点でモバマスやってみた私の実感です。

で、そうやって考えた時に、私にとってのエロゲーっていうのは「そういうもの」では無いな、と。

ことわっておきますが、これは善し悪しの話ではないです。単に、私は周りにエロゲーやってる人とか誰もいなくて、ネットとかもなくて、せいぜい外との繋がりといえば雑誌くらいという状態でも二年くらいエロゲーを続けていて、ちっとも飽きなかった。コミュニケーションの道具としてではなく、エロゲーをすることそのもので自足できるタイプの人間だったし、そういうものとしてエロゲーがありました。

いまはイベントにいったりグッズ集めたりしていて、それは確かに「コンテンツ」としてエロゲーを消費しているんですが、根っこにはそうではない部分というのが確かにあって、それはたぶん、揺らがない。ソーシャルゲーの面白さ、MMOゲームの面白さと、私が作品としてのエロゲーに感じている面白さというのは、根本的な部分で違っているという感じが、漠然とですがいたしました。

さっきも言ったけど、どっちがいいとかわるいとか、優れているとか劣っているとか、そういう話ではありません。ソーシャルはソーシャルで、私楽しいですし。新田ちゃんかわいいお。(^ω^)ペロペロ。

むしろこういった動きによって、さきに書いた通り、エロゲー業界が活性化したり、あるいはソーシャルやMMOの収益を利用して「作品」を作っていくという形式ができあがれば、多少現在言われている「難局」を乗り切る手がかりになるのではないかと思ったりもします。どうせコンテンツを切り売りするんですから、「グッズ」の一環としてわりきって、キャラクターをがんがん売り、消費するシステムを、作品とは別につくる。あくまで一つの見通しですよ。それが良いってわけじゃない。

実際それなりに心理的な抵抗がある人もいるかもしれないし(カードゲームにまでなってんだからそうでもないか……)、各メーカーが単体でやっても効果は薄いと思う。やるなら、まず何か悪いイメージみたいなのを払拭しつつ、いくつかのグループをつくって……という風なのが良いんだとは思いますが、上記二作品の成功如何では、そういう感じの動きとかが今後活発になっていくかもしれませんね。

まあただ願わくは、乱立しながらも躍進を続けるコンテンツ産業形態の中に、既存の作品としてのエロゲーが埋もれていって、見えなくなってしまうことがないと良いなぁとは思います。提供側の問題としてだけではなく、受取る側の問題としても。


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【拍手へのお返事】
コメントありがとうございました。レビューは、自分の話ばっかりで情報としてどうなのかなーとか悩むこともあるのですが、楽しんでいただけていると言われると励みになります。

これからもぼちぼち続けていくつもりですので、どうぞよろしくお願いします。


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『流星☆キセキ』のトークイベントに行ってきた話

本日2013年3月29日は月末エロゲーの日! ……といっても、ずいぶんいろんなタイトルがかっとんでいったので購入本数は非常に落ち着いた感じになりましたが、ともあれ恒例の月末イベントが色々とありまして、一日の〆としてユニゾンシフト・アクセントさんの新作・『流星☆キセキ』のトークショーへ行って来ました。トークショー詳細はこちら

プロデューサーのAKOUさん、原画の織澤あきふみさん、そして営業の方というオッサン三人による色気のないトークということで正直期待は大きくなかったのですが、すみませんでした。めちゃめちゃおもしろかったです。(土下座)

オフレコっぽいことで言えない内容もありますが、ざっとレビュー。

▼イベントについて
会場はソフマップ・アミューズメント館さんの8Fイベントスペース。20分前くらいに会場に行くと、座席についての注意がありました。まず、整理券番号が若い人から順番に、好きな座席に座る。そして、席数が足りなかったら後ろから自分で持ってくるというお話。凄いフリーダムです。この大雑把なのに遊び心に満ちて、不快感を感じさせない処理、タダモノではありません。

んでまぁ始まったトークショーですが、こちらも超フリー。既に発売後でコマーシャルにそこまで注力しなくて良いという事情もあるのでしょうか、作品の話がほとんどでてきませんでした。内容はもっぱら、業界裏話的なこと。

まず、ユニゾンシフトさんは大阪のメーカーなのにイベントは東京が多い、というあたりから入ります。在阪メーカーは少なくないけれど、大阪ではめったにイベントが無い。営業さんの体感では、大阪:東京=1:5くらいだ、ということでした。これはやっぱり、集客の問題とかもあるみたいです。

実際、イベントにはさまざまなコスト(お金だけでなくマンパワーも)がかかる。でも、だからやめようというのではなくて、むしろ積極的にやっていって、ひとりでも多くの人に手にとってもらい、次に繋げたい、というのが現状、ユニゾンシフトさんの方針だとか。ユニゾンシフトさんは『Chu×Chuアイドる』のライブなども手がけておられますが、そういうライブイベントと、今回のようなユーザーとの距離が近いイベントをセットで考えていて、交流の中でブランドを根付かせていきたい、というようなお話でした。

なお、今年の8月4日に、でぼの巣製作所さんと合同で、榊原ゆいさんを中心にしたライブイベントを開催されるそうです。どちらも大阪のブランドだし、ゆいさん絡むことが非常に多いし、楽しそうですね。場所は新宿BLAZE。詳細はこちらなどに。

▼ジャンルについて
今回は「SF」のような装いの作品です。しかし、細かいところをつつかれると正直キツイ、とおっしゃっていました。なので、「寛い心でお楽しみください」と。

実際、営業さんの視点だと「SF」でなかなかヒットはでない。もちろん、何をもってヒットと呼ぶかという基準はあるものの、売り上げ的に見た場合、ここ数年で成功したと言えるほどの作品はほとんどないだろう、ということでした。

その要因の一つとしてあげられるのは、「設定」や「知識」への理解がある程度求められるということ。作中に細かい設定や用語説明をつけても、大多数の人は見ない。かといってHPの文字数を増やすのも、多くの人はそんな細かく読まないので効果が薄い。重厚な背景設定や、緻密な事前知識を必要として、そこで勝負するような作品は、入念に準備していかないと勝負にならないし、していっても苦戦するだろう、みたいなニュアンスだったかと思います。ちょっと私の意訳が入ってます。

とりあえず、『流星キセキ』はSFモノよりは学園モノとして見て欲しい、ということでした。

あと、もともとは「変わった部活を」というコンセプトで、演劇部だったのだそうです。営業の方が、「それ、俺が今もってる別のところでやってる」とおっしゃっていました。lightさんも担当されているということで、『BRAVA!!』のことだろうと思われます。「部」ではないですけど。結局、演劇ではなく天文部という流れになって、そこから今の企画になったのだとか。

▼発売日の話
『流星キセキ』は発売日が延期したのですが、背後にはインフルエンザの流行があったようです。ただ、二週間遅れると一ヶ月発売が延びるのは、いわゆる「月末発売」という慣例の弊害だな、というような話に。

発売日を月末からずらしてみようか……という話は、これは私には意外だったのですが、結構あるようです。

じゃあなんで今のままかというと、流通さんの事情もさることながら、給料日の問題がある。要は、25日給料日の人が多いであろうという見込みにもとづいて、そこで払いやすいように、と。

現地調査では10日という方も結構おられたので、これなら月末にこだわらなくてもいいのかなぁ、みたいなお話をされていました。

▼ライブのハコの話
続いて、大阪でもライブやりたいけど、なかなか「適当なハコ」が無いなぁという話。

まず、大阪のライブハウスは中規模のものがない。300人以下の小さなところの次が、1000人以上の大規模なところになってしまって、選びにくいのだそうです。営業さん曰く、実際に黒字が出るラインとしては、エロゲーメーカー単体なら400人の±200くらいなのだそうで。それを超えると、赤字になりかねないのだとか。

また、コストの面で見てもきつい。というのもライブハウスには「格」というのがあり、有名なバンドがライブをしたとか、そういうことがあれば料金に上乗せされる。大阪はそういう「名店」が多いせいで、コストも東京と比べて割高になることがあり、とにかく適当な場所を見繕いにくいのだそうです。

1000人規模でやるなら、単体ではなくてたくさんのブランドで集まって……という感じならできるかもしれないし、この業界お祭り好きな人多いからやれたらな、といったニュアンスのことをおっしゃっていました。

▼ブランドがわかれる話
オーディエンスからの質問で、「開発中殴りたいと思った人はいますか?」という質問から発展しました。よく「ブランドが分裂」とかあるけど、本当に仲たがいして……というケースは、実はレアらしいです。この業界で長くやってるような「オタク」(男性に限らず)は、空気を読む能力に長けているからマジ喧嘩にはなりにくい、と。

では何故分裂のようなことが起こるのかというと……。

エロゲー業界、早くても半年、長ければ一年に一本のゲームを出すために皆さん頑張っておられるわけですが、一年かけて一本とか、やっぱりしんどい。そして同じしんどいなら、自分のやりたいことをやろう、という話になって、そのために辞める人がいる。つまり、本当に「方向性の違い」というのが、少なくともお三方の見ている限りでは多いのだとか。

あ、原画のあきふみさんは「殴り合いで仲直り」したところをご存知だったそうですが。

エロゲーブランドで大げんかして、みたいなのは皆無ではないけれど珍しく、どちらかといえば元いたブランドさんとも仲良くやって……みたいなのが多いという、そんなお話でした。

▼業界の延期体質の話
これが一番面白くて、古のネタやら自虐ネタやらが飛び交い、スペシャルゲストなんかもいらして大変だったんですが、オフレコ的なことが多くて書けない(笑)! ごめんなさい( TДT)人。

いくつか問題無さそうな範囲で話をすると、まず、発売が延期したことで矢面に立たされて謝るのは営業とか流通さんで、制作スタッフさんは「そんなこと気にしてるヒマがあったらさっさと仕上げろ」という状況になるため、延びることに対して危機感や罪悪感が少し少ないのかもしれない、みたいなのがありました。

また、その場でオーディエンスに、「エロゲーの延期はもうしょうがないとある程度諦めてるか?」と聞いたところ半分以上が挙手をして、「そういう甘やかしもよくないよね」というような話に。

とはいえそれでも、モノを作る側としてはギリギリまで完成度をあげたいし、こだわるからこそ延びる場合も、現実にはある。延びるのはメーカーとしても無傷ではいられないので、好きこのんで延ばすところなんか無い(こういう表現ではありませんでしたが)、と。加えて、輸送中のトラックがひっくり返るとか、火事になるとか、メーカーとは何の関係もない不慮の事故によってマスターアップしていても延期する場合もあるので、そのあたりはご寛恕願いたいなぁ、という感じでした。

あと、外注さんの立場になると視点が全然かわって、自分の作った作品(たとえばイラストやデモムービー、OP曲など)が延期したぶんだけ長く流れるので、「案外アリだな」と思うようになったとか。

まあとりあえず満場一致だったのは、「ユーザーからすれば予定が狂いまくるから、延期はしないでほしい」ということと、営業や小売店としてもめどが立たないからやめてほしい。そしてメーカーとしても、「あそこはどうせ延期するから予約はまだいいや」となって予約の減少に繋がっているので、間違いなく損である、ということでした。

▼まとめ
というわけで改めて振り返ってもやっぱり、作品についてほとんど触れないトークショーでしたね(最後にちょっと、「すきなキャラ」の話とかありました。会場的にはトゥインク一番人気!)。そのぶん、いろいろぶっちゃけた話もあって面白かったです。

ぶっちゃけ話とはいえ「話半分」だとは思っていますが、アクセントさんのトークショーが凄く楽しかったのは内容自体というよりも、空気感に依るところが大きい気がします。「アレを言わなきゃいけない」とか、「これは言っちゃいけない」みたいな縛りが感じられず、自由に喋っておられて、また聞いているユーザーのほうもそのあたりを心得ている感じがあったところでしょうか。「好きなゲームは?」って訊かれてAKOUさん、「同○生とかア○スソフトさんとこみたいなゲーム性あるやつ……」って言ってましたもんね。

本当に気をはらずに楽しめて、それでいて雑とかいい加減ではない、しめるべきところはしめているという、絶妙のゆるふわ系トークでした。ビジュアルはおっさん三人衆でしたけど。

ってな感じでレポートおしまい。

あとはゲームやって感想書くくらいですね。あ、感想はとにかくありがたいし、全部目を通しているとおっしゃっていました。プレイされた方は葉書書いて返信するなり、ブランドにメールするなりすると喜んでいただけるかもしれません。

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『夏の終わりのニルヴァーナ』のサイン色紙が当選したっぽい件

ぱじゃまソフトさんの近作・2013年1月に発売された、『夏の終わりのニルヴァーナ』の発売後WEBアンケートに答えることで抽選の権利があったサイン色紙。どうやら私、当選したっぽいです。やったね、ぱうぱう~♪

「っぽい」というのは、まだメールでの通知だけで現物が来ていないからなんですが、嬉しいです。ありがたいです。感想も書いてないのにごめんなさい。そのうちちゃんと書きます。かならず。

思えば『夏ニル』は、コミケでのサイン会から始まって発売後のサイン会、そして今回と、なにかとサインに縁があった気がします。あれだなー。バナキャンとかもやっておけばよかったです。今更ながら後悔。

夏の終わりのニルヴァーナ
別にキャンペーンとは関係なく、バナーを貼ってみます。

あたったから言うわけではありませんが、内容はそんなに悪くない……というか結構私好みで、ちょっと逆に好みにかかりすぎてツッコミを入れたくなる部分もあるんですが、面白い作品だったと思います。2000年前後の、懐かしい雰囲気がして。

以前MOONSTONEさんのイベントで、『何処へ行くの、あの日』のような作品はなかなかいまは出せない、みたいなコメントがあったというお話をこのブログでも書きましたが、『夏ニル』はあえてあのくらいの時代の、「物議をかもしそうな」雰囲気を持ってきた感じがする。もちろんそのまんまではないですけれども、少なくとも、直球でイマドキの作品ではない。

まあ、ということはたぶん、(大変失礼ながら)あんまり売れないのかもしれないなぁと思ったり思わなかったりするのですが、是非ともぱじゃまさんには頑張っていただきたい次第。私は『めい・King』からの大野作品ファンで、氏がかかわっている作品には、「おもしろいものを出す」というよりもむしろ、「やりたいものを面白く見えるようにして出す」みたいな作品が多くて、それが好きです。何よりもまず先に、つくりたいものがある、という感じ。

今後も作品を楽しみにしたいところですが、まずは、色紙がほんとにくるのかをドキドキしながら待ちたいと思います。ヨモヤユメデハアルマイカ。

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浪人恐るるに足らず

3月が終わろうとしています。

いやいや、あっという間の3月でした。3月は去るとはよく言ったもので……。で、この時期になると思い出すのが、大学の入学式…………を横目に予備校に通っていた、自分の浪人時代です。というわけで今日はちょっと、「浪人も悪くないよね」みたいな話をしようかと。あ、でももし受験に残念ながら失敗したのに、悠々とこのブログを見てくださっている18歳の方がいらしたら、もうちょっと焦ったほうが良いかもしれません。


私はそんなに成績が良い方でもないくせに東京の方の大学に通いたい! という野望だけは持っておりまして。理由は、ズバリ一人暮らしをするためです(笑)。親の監視から逃れたかった……。ただまあ、見事に受験に失敗して浪人しました。

ぶっちゃけ浪人するだろうなーとか思っていたらそんなにダメージはなかったし、『キテレツ大百科』の勉三さんのようになることはないだろう、なったらなったでユキさんみたいな綺麗な恋人が出来るならそれもいいやとかワケわかんないこと考えて、のほほ~んと予備校の門をくぐったのですが、まぁびっくりしました。

何というか、集まってる人たちの悲壮感がバリバリ。もうね、重いのです。空気が。目に見えて。みんな顔上げないし。「うわー、ヤベェ」って思いました。雰囲気がYABAIのもそうだし、受験落ちてショック受けてない自分もなんかいけない人間という感じがした。通い始めたのがちょうど月曜だったので、教室で読もうとキオスクでジャンプ買って持って行ったら、そんなことしていたのはクラスで私くらい。浮きまくりでございました。


結局その重みに耐え切れず私は予備校サボって雀荘に通っていたのですが その後しばらく通ってくると、落胆の時期を過ぎたのか、段々明るい生徒も増えましたし、周囲から笑い声が聞こえるようにもなってきました。私は逆に、予備校の友人の影響で、ちょっぴり真面目に勉強するようになりましたかね(笑)。

で、予備校通って思ったのですが、これ意外と楽しいんですよ。基本学校の延長なんだけど、掃除とか学級会とかいらんイベントはなくて、とりあえず勉強に集中できる。しかも、予備校の授業って高校のそれとはやりかたも質も全然違っていた。

私は一応、県下で進学校と呼ばれる高校に通っていましたが、それでも予備校と高校では授業のクオリティが段違いだな、と感じました。まず、情報量が違う。高校では市販の問題集を解いて解説されるだけでしたが、予備校ではどの先生も、だいたい現在の受験の傾向を研究していて最新の情報を教えてくれるし、その傾向を踏まえて、なぜいまやっている問題が必要なのかを解説してくれます。だから、俄然やる気が出る。まあこのへんは、担任を持ったり各種雑務をこなさなければならない「高校の先生」がやるには無理があるのだろうな、と思います。時間的に。

また、教え方も随分違います。高校はどちらかというと「下に合わせる」授業でサボってる生徒がいたらそれにあわせて授業が遅れる、なんてこともザラでしたが、予備校だとやってこない奴は放置。弱肉強食・自己責任の世界です。それだけに、内容的には高度で、大学に入ってからやるようなことも取り入れてくれていました。教育指導要領とかに縛られず、各先生がやりたいように、やりたいことをやっており、その中にはかなり高度な内容なんかも含まれていました。

なので、いまやっていることが将来どういう形で役に立つのかとか、あるいはその知識がもっと深い部分ではどういうところと繋がっているのか、という風に、学習事項の全体像が見えやすかった。


その他にもいろいろ、高校とは全然違う経験を積むことができました。何より大きかったのは、自分がどうして(何のために)大学に行きたいか、大学で何をしたいか、というのを嘘でもハッタリでも考える必要があったし、その時間もあった、というところです。とにかくある程度は明確な目的意識がないと予備校生活のモチベーションを保てないし、基本勉強以外の時間はフリータイムなので、その合間に色々と考えることが可能だったわけですね。

時々は体を動かしたりもしましたよ。浪人生のフットサル大会とか、テニス大会とか、なぜかあった(笑)。予備校企画とかではなくて、学生企画で。予備校対抗戦とかしてました。勉強しろよ!

何にせよこういう経験というのは、今ふりかえってみても得がたいものだったと思います。予備校時代の友人とはまだ連絡をとっている相手が少なくありませんし、「高校」と「予備校」と「大学」を見たことは、たとえば家庭教師などで自分が「教える」側に回った時の貴重な財産となりました。


そんなわけで私は、以前ツイッターでもつぶやいたかもしれませんが、「浪人は人生のエクストラダンジョンである」と思っています。最短クリアのためには不要だし、行かなくてもゲームはクリアできるけれど、行けばいろんなお宝が眠っていたり、思わぬイベントに出くわすこともある。そういう可能性を秘めたところなのです。

また、これは私の先生に言われたことですが、世の中いい経験になるかならないか、最初から決まっているものなんて一つもない。後から振り返って、いい経験だったと思えるか思えないかである。だから、私たちはどんなことも、いい経験に「する」ために頑張れば良いのだ、と。

これは本当に、その通りだなと思うのですね。後から振り返って「あのことがあったから今の自分がいる」と考えることができるよう、前向きに挑むこと。それこそが、「いい経験」を呼び込む秘訣なのでしょう。

残念ながら来年度の浪人が決定した方もおられるかもしれませんが、予備校に通える人ならば特に、むしろ普通にできない経験が出来てラッキーくらいに割りきって、楽しく生活するのが良いと思います。「浪人しちゃった」という危機感はもちろん大切ですが、それに囚われてネガティブになると、えてして勉強もはかどらないし、なにより、有益なたくさんのことを見落としてしまうかもしれません。それはやはり、すごく勿体ないことだと思います。新しいことを身につけるチャンスを得ている部分だってあるのですから。

たとえばそう、私のように、浪人時代に地元のエロゲーショップでエロゲー買うことを覚えたりですとか。

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FULLTIMEさんの新作が色んな意味で「凄い」話

FULLTIMEさんの新作『UNDEROID -アンダロイド-』。2013年3月29日に発売を控え、なかなか面白そうだなぁとチェックしておりました。実際、いろんな部分でかなり気合入ってる。

たとえばOHPを見ると、「当社の限界を超えてしまいましたが、困難を乗り越えて最高の仕上がりになり、ビッグタイトルとしてのボリュームと完成度を実現しました」ですとか、「目指すのは世界レベルのクオリティです」のようなフレーズが踊っており、並々ならぬ意気込みと自負を感じます。そしてプレイムービーなどを見た限り、あながち大言壮語とも言い切れないようです。

リアルタイム3Dのガンシューティングゲームというのが私にとってはややハードル高いのですが、エロゲーの進化としては異端にして最先端を突っ走ってるFULLTIMEさんの作品だけあって凄いとんがりようで、満足にプレイできなくてもちょっと買ってみようかという気になってきました。

ただ、なんかちょっとやりすぎた感があるのが「CONCEPT」(開発のスタンスとポリシー)のコーナー。

全文引用すると、こうです。

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■ これはもはやエロゲーというレベルではない!! 弱小エロゲーメーカーが世界レベルを凌駕する!! 
「所詮はエロゲーメーカー、エロゲーメーカーに凄いものは作れない。」これが今までの業界内外の常識です。
前作『 ILLUSION FIELD -幻影現実- 』の技術を継承し、さらに世界レベルのゲームにする為により洗練し新しい技術をも取り入れて開発しています。
本作はこれまでの業界の常識を打ち破り、業界内外に衝撃が走ります!!

■ 美少女ゲームメーカーが本気で作ったTPS!! 業界初!次世代リアルタイム3Dゲーム!! 
本作はグラフィック、プログラム、ストーリー、音楽など、全ての面で妥協を許さない世界レベルのリアルタイム3Dによるガンシューティングゲームです!
このゲームは業界内で FULLTIME しか作れません!!「ハイクオリティ映像」と「最新技術」の結晶、それが『 UNDEROID -アンダロイド- 』です!!

■ 現代社会の問題に重ね合わせるかのような臨場感溢れるストーリー!! 
現代社会に渦巻く領有権問題になぞらえて制作された異次元の日本とその周辺国の姿。
巨大自然災害にカムフラージュされた国家機密兵器売買に絡む謎のウィルス、そして暗躍する組織と国家を陥れんとする人間の金と性への欲望。
その戦いに翻弄される女戦士たちの運命を描いた超過激問題作!!

■ モーションキャプチャーによるリアリティへの追求!! 重力を感じる生身の人間の動きを作り出す!! 
リアルな映像にはリアルなモーションが必要です。本作では FULLTIME 初の モーションキャプチャー を導入しました。
アクション女優を起用して演技をゲームに使用する事で、迫力ある本物のアクションを実現しています。

■ 何故このゲームを作ったのか!? 
バーチャルリアリティである事がゲームの証であり、それを進化させ提供し続ける事がゲームメーカーとして必要であると FULLTIME は考えます。
たれ流しの映像、音声、テキストなどを受け取るだけのシステムではゲームたり得ない。
3D仮想空間の中のゲームシステムがどうあるべきか、それをもう一度確認し証明しなければならないと考え『 UNDEROID -アンダロイド- 』を製作しました。

これまでに無い最高の映像と内容の『 UNDEROID -アンダロイド- 』に、ご期待ください!

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いやあ凄い。冒頭からいろんなもの巻き込んで炸裂しそうな勢い。ボンバーマンのリモコン爆弾セットして、誘爆するのを今か今かと待ち構えている感じがそこはかとなく趣深いです。何というか、ゲームよりこの文章のほうがとんがってるかもしれません。

まず、「所詮はエロゲーメーカー、エロゲーメーカーに凄いものは作れない」というのは「業界内外の常識」だそうです。ホンマかいな。

このブログでは何度も書いてきた通り、少なくとも私はエロゲーにはエロゲーにしかできないものがある、と思っておりますし、また業界の人もそう思ってるんじゃないんですか。少なくとも建前では無く、そう考えている人はいるでしょう。

というか、FULLTIMEさんのおっしゃる「所詮はエロゲーメーカー」ってどういうことなのかが気になります。性産業でナメられてるということなんでしょうか。それだったら、単に棲み分けの問題だし「世界レベルのゲーム」がどうとか言わなくても良さそうですが。「弱小」のような言い方から察するに、単に開発費が満足にでないし市場規模も小さいくらいの意味なのかもしれません。しかしそれなら、もっと丁寧に言ったほうが敵を作らなくて良いように思われます。

もうひとつ気になるのが、「世界レベル」ということば。仮想敵というか目標地点として、アクション系の「ゲーム性」を想定している、というのは何となくわかります。わかりますが、そこでの「世界レベル」ってなんでしょう。FPS洋ゲーとかなのかな。そして、ビジュアルや音楽が、一体どうなったら世界レベルだと理解るのか。

それとは別の問題として、日本の美少女ゲームは既に「世界レベル」だと思いますよ。というか、読み物ゲームにこんだけ気合入ったシステムと演出つけてるってそれだけで凄いと思うんですけど、そういうところは見ないのか、少し疑問です。そもそもゲームとしてADVを低く見ている、というのはあるのかもしれません。

総じて勢いがあって自信に満ちているのは小気味良いのですが、いかんせん業界に対して挑発的というか挑戦的なのが、私的には気になってしょうがありません。たとえば、「このゲームは業界内で FULLTIME しか作れません」くらいは技術力のアピールとして許容範囲だとしても、何の留保もつけずに「バーチャルリアリティである事がゲームの証であり、それを進化させ提供し続ける事がゲームメーカーとして必要である」というのは、そういう方向性でゲームを考えていないところは論外、と切ってすてるような乱暴な態度に見えますし、「たれ流しの映像、音声、テキストなどを受け取るだけのシステムではゲームたり得ない」のような文言をデカデカと載っける意味ってあるのかなぁ、と……。

問題にしたいのは、なぜこの人たちはエロゲーを叩いていると見えるようなことを、殊更に言い立てる必要があるのかということです。というのも、この人達の前提では、エロゲーは「凄いもの」を作れないという常識と実態があったわけですよね。その中で、自分たちは「世界レベル」のものをつくったのだ、と。

それなら、エロゲー相手に競うより、他と戦うほうが順当じゃないですか? ということが言いたい。少なくとも、仮想敵はエロゲーで無いところに置いたほうが生産的です。「世界で勝負できる」のに比較対象は(FULLTIMEさんが世界から程遠いと思っている)エロゲー業界のままで、そこと比べてるだけというのはどういう了見か。無意味な「身内叩き」にしか見えません。ぶっちゃけ。

「エロゲーにだってこんな凄いことができる」と言いたいのなら、FULLTIMEさんが考える「世界レベル」の相手と比較して、ここが凄い、あそこが凄いと言ってくれれば、「おお、エロゲーの星や!」というふうに思えたでしょう。でも、肝心な部分は「本物」とか「世界レベル」という抽象的なことばだけ並べてお茶を濁し、あとは「お前らは本物じゃないよね」ってエロゲー業界を見下してる感じがする。

実はその通りで、「既存のエロゲーはダメだ。これだけがゲームだ!」と、内部改革をしたいのかもしれませんけれど。

そんなつもりは毛頭ないかもしれないし、あるいはゲーム性や革新性を追求しない業界へのいらだちが多少はあるのかもしれないんですけど、いずれにしてもこういう書き方はゲームの魅力を伝える文章にはなってないように、私なんかは思います。

あと、ストーリーで妥協を許さないのは良いとして、「現代社会に渦巻く領有権問題になぞらえて制作された異次元の日本とその周辺国の姿」とかをテーマにしちゃうってのは、妥協を許さなすぎて許されるのかと、微妙に心配だったりも……。

もちろん、メインカルチャーではいろんなしがらみがあってなかなか扱えないこの手の問題を、フィクショナルな形でとはいえ盛り込むということに意義はあるでしょうし、そういう社会的なメッセージ性を盛り込みたいというのは分からないでもないんですが、本当にすべての部分で「世界レベル」を目指すなら、この辺にもある程度配慮必要なのではないかと思ったり思わなかったり。まあ『レイプレイ』の時とは違って国際問題に発展することはないでしょうけど。異次元らしいし。

OHPの宣伝文句にツッコミ入れるとか、私もたいがい暇ですけれども、こういう言い方はカチンとくる人もいるでしょうし、また、他のゲームの良いところを見ようとしていない、独善的な感じに見えてしまう。私たちはゲームをやって判断すれば良いわけですが、それにしても変な先入観を与えてしまうのは勿体ないかなぁと思ったりした次第です。余計なお世話か。

**********

さてさて、私はネタにマジレスしちゃったんですかね。それにしたって、こんな全方向に無差別絨毯爆撃に出るような開発スタンス載せなくてもやりようがあるようなないような……。

ともあれ、実際にFULLTIMEさんの「世界レベル」がどんなものか確認せずに終わるのは何かモヤモヤするし、また非礼でしょうから、もう予約はできませんが、発売日当日かその前後に購入して、内容をチェックしようと思います。


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レビュー:『ポケットに恋をつめて』

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タイトル:『ポケットに恋をつめて』(青空ビスケット/2013年3月15日)
原画:くない瓜、生煮え(SD)
シナリオ:北灯ちとせ、うたや、伊舞新、藤谷優
公式:「ポケットに恋をつめて」OHP
定価:8800円
評価:B (A~F)

関連
批評空間投稿レビュー (ネタバレ無し) ※外部リンク
・ 「解体する物語によせて ――『ポケットに恋をつめて』という作品について」(2013/03/22)

※具体的な長文感想・内容紹介は、批評空間さまにて投稿しております。
※ゲーム画像の転載・素材利用については青空ビスケット様に確認のうえ掲載しております。



▼評価: キャラクターと、彼らが生きる世界をしっかりと描いた良質な作品
「奇妙な」ということばを連呼しましたが、言うほどヘンではないというか、目に見えてヘンな感じではありません。少なくとも、ぬるぬる動くバナーほどヘンではない。パーフェクトではないにせよ、全体としては「キャラクターと、彼らが生きる世界をしっかりと描いた良質な作品」というのが、ぴったり来ると思うし、その意味ではとても地に足の着いた作品。

システム・テキスト・演出を含めて細かい粗が目立ったのが大きな減点要素。そこは本質じゃないだろう、という見方もあるとは思いますが、私は商業作品であるなら完成度も問題にすべきだと思います。理由は二つあって、まず、そうでないと、きっちりやってるところが浮かばれないから。もう一つは、細かいところが雑でも良いというのは、その程度の大雑把なことしか言う気がないと見られても仕方がないと思うからです。なお現在は、パッチによって大きな問題のほとんどが解決しています。


▼雑感: 魅力的なキャラクターたち
共通から個別ルートに分岐すると、基本的に他のヒロインとのイベントは起こりません。ちらほらと出てきますが。あと、個別分岐が早いキャラに関しては、後半ちょっと、共通の内容が挿入されることもあります。こういう自由な組み換えが、この作品のおもしろいところですね。

ともあれ、各キャラの紹介と感想。

#1 呉藤 凛音
  ――これは私の嫉妬で、罪悪なの。いつも他人にいい顔をしようとしている、私の。

絵に描いたような優等生、呉藤凛音。どんな時も動じずにテキパキ動き、スマートにものごとをこなすように見える。けれど本当は努力家で、テンパリやすく、見栄っぱりで、嫉妬深い、普通の女の子。たぶん、全ヒロインの中で一番普通。そしてそれゆえ、いちばん親しみやすい女の子です。同い年ということもありますし。

©青空ビスケット 以下画像はすべて同じ。
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修次に自分の「屈折」を打ち明ける場面。彼女の真面目な性格がかいま見える。

凛音の性格を最もよくあらわすのは、「生真面目」ということばでしょう。彼女はいつも真剣で、全力で、だからこそ、行き詰まりやすく折れやすい。必要以上にものごとをマイナスに捉えてしまう。修次はそんな彼女にとって心を預けられる存在になっていくわけですが、その「恋に落ちるまで」のプロセスの描写が凄く良い。さわやか3組も裸足で逃げ出すさわやかっぷり。

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この笑顔である。ちなみに、これでまだ付き合い始めていない段階。

他のヒロインが割とあっさり(ゆり姉はちょっと特殊だけど)肉体関係に走るのに対して、凛音は物凄く過程が長くて丁寧で、そのぶん見応えもあります。付き合いだしてからのイチャラブも悪くはないけれど、「性春」よりも「青春」の色が強かったです。

ちなみに、上の画像の次のセリフ、「知らなかった。理解されるだけで、満たされる事もあるんだ」は、凛音ルートのハイライトだと思います。何かよく分かんないけど聞いた瞬間ガッツポーズしていた私ガイル……。

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心を許し始めてから見せる、素顔がとてもかわいらしい。

相手の「心」のありかを手探りしながら想いを深め合い、お互いのいろいろな表情を知っていく。いわゆるボーイミーツガール的な路線の王道として、パーフェクトに近い内容だったと思います。

**********

#2 篠原 ゆりえ
  ――ずーっと前から、大好きだったよ。

揺れる双丘を武器に虎視眈々と獲物を狙うラブ猛禽類、歩く淫獣・篠原ゆりえ。通称・ゆれ姉ゆり姉。幼なじみでお姉ちゃんで巨乳、という、私的にはトリプル役満のキャラでした。

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割とボディタッチ多め。ノーブラは攻撃的だよ。

凛音がボーイミーツガールなら、こちらは「ずっと好きだった」タイプ。幼なじみという関係を、どうやって一歩踏み込んだものにしていくか、というのが物語の動力です。途中ゆりえが言う、「あわよくば、自然にそうなったらいいな、なんて、虫のいいこと考えてた」というセリフが、二人の距離感をうまく表しているでしょうか。

あと、ライターさんが違うのか書き分けなのかわかりませんが、凛音は「事」のように漢語を使うのが多いのに対して、ゆり姉はいまの引用の通り、「こと」とひらがなを多用します。「たいせつ」なんかもそうかな。凛音が「かっちりきっちり」した感を出すのに対して、ゆり姉はやわらかい感じが伝わるようになっている行き届いたテキストで、文字重視の私としてはたいへん満足。

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ラブ猛禽類宣言。卒業しているはずなのに、なぜ制服を着ているのか……。(Ver1.02段階)

ゆりえはスタート時に3年生なので、ゲーム期間2年のうち最初の1年で「ヒーロー部」どころか学園からも卒業してしまいます。が、その後も時々戻ってきて要所要所で活躍するのでご安心あれ。

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ぽわぽわしているようで、意外としっかり者。そして、一度決めると強い。

ゆり姉のルートはとにかくラブラブしていて、正直見てるこっちが胸焼けおこしそうだし、あとエロエロもしているので色々疲れて大変だったんですが、ほんわかした天然ボケキャラみたいなイメージに反して、かなりしっかりした自分の意思を持っているし、他人に対しては思いやりが凄くある。

某ルートで篠崎(主人公の男友達)が主人公に、「お前がまっすぐそだったのはゆりえの影響」みたいなことを言うんですが、本当にそうでしょう。変人揃いのヒーロー部の良心にして太陽。人間的魅力にあふれたキャラです。そんな彼女がブラ外して胸をグイグイ押しつけてくるんだから、そりゃもうたまらんであります。

**********

#3 西洞院 多紀
  ――平然となんて、してないわ。いつだって、分かってもらえないけど。

旧華族の完璧お嬢、ただし、不思議系のクラスメイト。冷淡なのかとおもいきや、主人公たちの暴挙に手を貸したり、「楽しそう」という理由でヒーロー部に入ってくるあたり、なんとも「つかみどころがない」という感じでした。

ただ、接する時間が増えて近くで観察すると、感情の起伏がきちんとあることがわかるタイプ。実際、小さなイベントの端々で彼女の「らしさ」が表現されています。エロ関係のときは、とくにハッキリしますけれど(笑)。

どうやら彼女、エロいことに興味津々なんですYO! クール系でエロ大好きとかなにこれ! ヒャッホウ! というわけで、誰よりも早くHに突入を試みるのですが……。

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は、はあ……本に……。博識でいらっしゃる。

天 然 す ぎ る 。

天然キャラ枠、ゆり姉かとおもったらこっちでした。「服の内側を見せるのは、凄く失礼なこと」とかのたまい脱衣をためらわれあそばされますが、全然OK。むしろガンガンみせてくれていいのよ?

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しらんがな。

凛音とは別のかたちで、複雑な心をしている多紀。彼女のコンプレックスは「普通でないこと」なのでしょう。それは家柄とかではなく、自分の感情を持て余す、という意味で。凛音が、物凄く明確な自意識の枠にじぶんをあてはめて、その束縛でがんじがらめになっているキャラだとしたら、多紀は、その自分をあてはめる枠を見つけられなくて苦労している感じ。同じように内面に目を向ける展開でありながら、非常に好対照です。

また、凛音が恋愛にいたる「過程」を重視していたのに対して、多紀の場合ははじまってしまった恋を、どう消化していくか(意味づけていくか)にクローズアップしていく。キャラ絵のかぶり具合も含めて、凛音の対になっている感があります。

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ヤバい興奮する……。修次もこの多紀さんを見て一気に野獣化。むべなるかな。

多紀は、自分の「内」と「外」が一致していない。その部分をどうやって埋めていくかが話の中心……になるかと思ったんですが、想像以上のエロ担当でした(笑)。修次も、ウブな多紀さんをいじめて大喜び。私の息子も大喜びです。というかこんな目とこんな表情で、「帰らないで」とか言われて理性保てるヤツいるんですか?

そんなこんなで、「キスよりも遠く、触れるには近すぎ」る感じがなんとも味のある多紀さん。物語的にはこちらもボーイミーツガールですが、カラダの関係から先に始まるタイプ。ただ、この娘本体のかわいらしさもあって、あんまり不純な感じはしません。全体としてみると、ゆり姉につぐイチャラブというかイヤラブというか、そんなルートでした。

**********

#4 大泉 舞羽
  ――疲れるんですよ。まるで同じ量を返して欲しいって要求されてるみたいで。

明るく元気でロリロリした後輩――などでは全然なくて、恐らく4人のヒロイン中、最も癖があるのが、このまうぞうさん。自称が「まうまう」だの「まうぞう」だの「まうっち」だのとコロコロ替わるのですが、それがどうしてかということは、ゲームを進めていればわかってくると思います。ただのボケキャラでは、決して無い。

実際物凄く頭が良くて、しかも冷淡。たとえば凛音がある事件でとった行動に対して、舞羽はバッサリ言います。「傷つけられるのが嫌ならそう言えばいいんです。でも、言えない。言えないから呉藤先輩は呉藤先輩なんです」

舞羽の特徴は、この頭の良さというか、ちょっと離れたところから自分や、自分を取り巻く関係を見るところ。そして自分も「造る」、そういう物凄く自覚的で意図的なところにあるのだと思います。だからかどうか知りませんが、彼女の立ち絵は常に正面ではなくて、ちょっとナナメを向いています。ストレートには来ない。

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面白さ。それが彼女の求めるもの。

ある意味で凛音よりよほど原理原則主義者で、多紀よりもずっと醒めたキャラなのですが、そんな彼女が「ヒーロー部」に参加したのは「楽しい」から。いったい彼女がどうして楽しさを求めたのか、そこで見つけようとしていたのは何だったのか。そのあたりは、プレイしてからのお楽しみということで。

彼女に関しては突っ込んだ話をすると色々楽しみが薄れそうなのでこの辺で止めますが、世の中や人間を斜めから見ている彼女に対して、主人公はまっすぐそういうものと向き合っている。だったら、どうやって彼女の心の扉を開くか。それはもう、全力でバカ(アホ)なことをするしかない。

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呆れつつも、心からの声に対してはきちんと向き合ってくれる舞羽。

理屈で自分をかためたり、そういうものでは舞羽のほうが一枚も二枚も上です。だから、修次がそこで勝負しても、彼女の心には届かない。修次の武器は、たとい打ち返されるとわかっていても、まっすぐにストレートを投げ込むクソ度胸しかないわけです。

そういう、ある意味ではアツい……と言えなくも無いかもしれない舞羽ルート。正直物議を醸すというか、「工エエェェ(´д`)ェェエエ工」という人もいるだろうし、この後の2人がどうなっていくのか想像すると、必ずしもそこにあるのは平坦な道じゃないだろうなと思うのですが、そういう想像が働くということが、この2人のキャラクターが凄く上手に描けているということに思えるし、私はこういう余韻の物語は好きなので、かなり気に入っています。

**********

あとは本当は高日向修次という主人公についても書いたほうがいいのかもしれませんが、まあ男の話はどうでもいいやということで、これにてキャラクター紹介兼、本編の内容紹介はおしまい。

キャラについてもっと知りたい! という人は、初回特典の小説必読だと思います。ゆり姉と修次くんの「昔のエピソード」とか。

さて、私が『ポケ恋』について思うのは、キャラを中心に動かした作品だ、ということです。

そして、それを可能にしたのが既存のADVという「思想」からの、些細な逸脱の積み重ねであった、ということばかり、これまでは書いてきました。(本当は「画期的」とか「革新的」のほうがイメージ良いのですが、そこまで行くと、今度は本当に突拍子もないものを期待する人がでてはいけないと思い、あえて「奇妙」という言い方にしています)

ただ、そういうレビューは物凄くイビツです。なぜというに、「作品内部が楽しい」と言ってるのに、その「内部」の話にはほとんど触れていないから。カタチの話しかしてない。本を褒めるのに、装丁の話ばかりしているようなものです。

もちろん、多少わざとやっている部分もあります。それは、説明しないとただキャラがいいだけの普通のゲームになってしまうからというだけではなく、表現の形式と内容をずらした作品だという主張によって、作品の面白さを言うという逸脱を真似してみようとか、そういう遊びの気持ちもあって。

ただ、一度くらいきちんとキャラの話をしておきたくなり、今回はキャラ紹介を中心に本編のレビューといたしました。私の考えでは、これが一番ストレートに、作品の魅力を伝えることになるのではないかと思いますし、少しでも伝わることを祈るばかりです。

最後にではございますが、スタッフのみなさんには、たいへん楽しい時間を過ごさせて頂いたことに感謝を。

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自分のタイムラインは信じたいかもしれない

統計もとっていなければ特に有力な根拠もないので、かなりテキトーな話になりますが、今日ちょっとあるかたとお話をしていたときに、「最近はソースすら確認しない人が増えたよね」という話題がでました。

勿論情報ソースのことで、おたふくとかウスターとかではありません。そういえば昔、「情報ソースは案外気にされないという話」なんて記事もかきましたし。今回もそれのパターンみたいなもんです。

そう。ソース。2chに限らず昔のインターネットというのは、それはそれは怖いところ……だったかどうかはわかりませんが、とにかく、恐ろしくデマや誤解が飛び交っていたし、事実無根のネタで他人を引っ掛けてやろうみたいな動きもありました。

私は高校生当時とかあまりネットをしていなかった(テレホーダイとかの時代ですからね)のですが、それでも「いんたーねっとはこわいところや……」という意識だけは漠然と持っていました。それは、狐と狸の化かし合いの世界が広がっているというイメージがあったからです。

そういう世界の鉄則は、「疑わしきは信じない」ということだったのだと思います。私の友人はネットが今よりもずっと、世間からの評判が悪かった(いまも良いとは言いがたいのかもしれませんが、2ch読んでるとか書いてるなんていうのは犯罪者予備軍みたいな扱いをする人があふれていた時代もあります)当時から、情報の取捨選択を行なうリテラシーが無いと読めないけれど、そういう文化にも触れていないとそもそもリテラシーを養えないよ、みたいなことを頻繁に言っていました。

その彼が常に言っていたのは、「経験談は信じるな」。そして「ソースを確認しろ」ということでした。まあそうやろうな、と思います。与太話なら良いのですが、重大な話や何かの判断に使う場合には、きっちりしたエビデンスが求められる。それが無いのならそもそも信じるな、ということです。また、ソースがついていてもその解釈が本当に妥当かどうか。全然違うふうにも解釈できるのに、強引に一義的な解釈をしている……などのように、ソースはあってもその扱いが不適切である、ということも少なくありません。

こういう「ソース確認」というのは、ネット文化が他のメディアに対して非常に優位に立っていた部分であると私は思います。たとえばTVでは、ニュース番組ですらソースを提示することはほとんどありません。だいたいが「独自調査」で、それは「経験談」とほとんどかわらない。あるいは、専門家のインタビューなどを取ってくる場合もありますが、それはやはり「自分たちで編集」しているもので、誰にでも手に入るものではないうえに加工が自由ですから、ソースとしての力はきわめて弱いと言わざるを得ないでしょう。そういう部分を、まずは疑ってかかる、というのは「新たなメディア」で育つ世代の基本スタンスになるだろう。これで既存のメディアは息の根を止められるか、少なくとも変革を迫られるかもしれない。そんな漠然とした予感もありました。

しかし、そんな「ソース大事に」を保ってきたネット文化で、今やツイッターでデマが大拡散……などというのは日常茶飯事とまでは言わないまでも、非常に頻繁に起きる事態になりました。なんでそうなってしまったのか。帰ってきてから、ぼんやりとそんなことを考えていたんですね。

これはまあ、メディアリテラシーの低下だとか、利用層の違いだとか、そういうことは確実にあるのでしょう。いわゆる「まとめサイト」なんかの恣意的な編集に踊らされたり、あるいはそもそも勘違いで書いていた内容を多くの人が鵜呑みにしたり……というのは、明らかにそういう部分から来ているのだと思います。ただ、ツイッターに関して言えば、そういうのとは別に、ツールの性質に依存している部分が大きい気がします。

というのは、ツイッターのタイムラインというのは基本、自分で構成するものです。多くの場合、そこにいる人たちとある程度の親密なやり取りはあるでしょう。そういう「自分で選んだ」という自負と、「知り合いだから」という遠慮みたいなものが、その発言者に対して強くツッコミを入れたり、彼の勘違いを暴いたり、あるいはそもそも「嘘かもしれない」と疑う気持ちを薄めてしまうのではないか。論敵しかフォローしない人とかは知りませんけれども。

つまり、インターネットの「匿名」性が失われたことで、信じることのハードルが下がった、あるいは疑うという行為へのハードルが高くなった。そんな事情があるのかもしれません。

よく言われる、人間「見たいものしか見ない」というのもあって、相手への信頼性が高いと、明らかな嘘でも信じやすくなるということについて▼こんな研究▼こんな研究が心理学の分野で行われて、相当程度事実であると認められているようですしね。最初から「この人の言うことは信用できる」とか、「この人の言うことを嘘だと指摘すると気まずいしめんどうだ」とか考えていると、ソースを確認する手間を惜しむようになるのではないかな、などと。













…………というわけで、無関係ではないけれど「全然ソースじゃねえだろ」っていう話をリンクで貼ってみたんですが、どうだったでしょうか(爆)。

いやまあ、さすがにこういう「実際に見ないと何もわからない書き方」をすると確認しやすくなるとは思うんですけれど、逆に言えば「うまい書き方」をすれば、ソースを適当にでっち上げることもやりやすいのだと思います。

最後のリンクのことはちょっとした遊びのつもりなのですが、なんか「試された」みたいで不快に感じられる方がおられるかもしれず、そのことについては最後に謝罪しておきます。「ンなもん引っかかるわけないだろ。最初に『有力な根拠もない』と書いていたのをちゃんと覚えているわい、バカにすんな」という場合も、それはそれで失礼いたしました。

で、偉そうに言っておいて私もあんまりソース確認しないですっていうのが毎度のオチ。


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まぐれでも何でもあたれば嬉しいという話

AXLさんの新作、第九弾『百花繚乱エリクシル』の声優さん情報が発表されました。

公式:『百花繚乱エリクシル』キャラクター情報

結果は以下のとおり。

マーガレット: 碧山もか
アンドロメダ: 青山ゆかり
カトレア: 鈴音華月
バジル: 桃井穂美
ジャスミン: 歩河みぃな
(敬称略)

で、「本気で挑戦」と称し、過去三度にわたってグダグダ記事書いてきた私の予想は「『百花繚乱エリクシル』の声優さん当てクイズに本気で挑戦してみる(3)」(←こちら)だったわけですが……。

自慢させてください! なんとびっくりの全問正解でした。やったね、ぱうぱう~♪ まあ、言うほど難しくもなかったのはわかってます。でも、ノリで。たまには……。

いやただ、まさか全部あたるとは思っていなかったので、ちょっと嬉しいです。きっとあたった方は他にもおられる(コメントくださった雨楽さんも同じ予想だとおっしゃっておられましたし、検索かけるとちらほら見つかります)でしょうから、ここからサイン色紙的なものが当たるにはまだまだ遠い道のりだとは思うのですが、それでも最初の関門は突破したということで……。色紙、あたると良いなぁ。(というかこれ、そもそも「完解」で色紙ではなくて、各キャラごとにあたっていればOKなのかな? だとしたら倍率はもっと高そうです)

どうでも良いけど、クイズに「あたる」のと色紙が「あたる」のが一緒なので面倒くさい。前者を的中、後者を当選、とか言い分けるべきでした。もう面倒だからこのままいきますけれども。

もしこれまでの記事を参考にして、「まあこいつの予想に乗ってやるか」と応募したらあたったよ! という方が一人でもおられると、記事を書いた冥利に尽きます。ぶっちゃけこういう結果しか意味のないタイプ(思考過程はどうでもいいといえばどうでもいい)の記事は、書くときになかなか勇気がいりましたので……。ほんと、一安心です。

解体する物語によせて ――『ポケットに恋をつめて』という作品について

先日プレイし終えてから色々考えていた『ポケットに恋をつめて』(青空ビスケット、2013年3月15日)の感想を、批評空間さんに投稿した(こちら:ネタバレ無し)。

したのは良いが、なんだか当初の予定と大幅に(これは本当に大幅に)違うものができあがってしまった。ツイッターでB2Fさん(@B2F_ )の勧めもあって、箇条書きにしようかとか(B2Fさん、その節はアドバイスありがとうございました)、あるいは楽しい話に相応しいコント的な文章を書こうかと思っていたのだが、結局いつもどおりか、いつにもまして、嫌がらせのようにくどい説明話である。一応装いはレビューのようにしたし、最低限のことは盛り込んだものの、どこに何が書いてあるか分かりにくい。どんな作品かを知りたくて見るには、明らかに不向きだ。

自分で読み返してみたけれど、正直あの感想を読んだ人が、「どんなゲームか分かった!」というのは、あんまり無いんじゃないかと思う。もちろん感想なり批評なりというのは純粋な「紹介」ではないので、必ずしも内容の説明になっていなくても構わないとは思うが、それにしたって参考になるかどうかも怪しいレベル。

ただ、書きたいように書いたことの後悔はないし、そう思うと今度は言い足りないところも出てきてしまい、今回少し記事として自分なりにまとめてみることにした。自分のために書いていたのがいつの間にか大きくなった形なので、少々読みづらいかもしれず、そこはご容赦いただきたい。

なぜそんなモン投稿するのかと言われれば、一応自分で書いたとはいえ、我ながらグダグダになった感想が、少しはわかりやすくなるかもしれないという期待のため。さきほどは「参考になるか怪しい」と自嘲したけれど、やっぱり私には、あんなのでも一つの「紹介」になっているという自負が、多少はある(でなければそもそも投稿しない)。だから、それは説明をしておきたかった。

という名目と、あとはまあ、実はこういうこと考えてましたとアピってみたいのだとか、そんな功名心みたいなものも汲み取って、生暖かく見守って頂ければ幸いである。

▼奇妙なおもしろさ
『ポケ恋』という楽しい作品の感想を書いていたはずなのに、どうしてあんなことになったのか。つらつら考えていたのだけれど、理由は簡単で、ひとつには私が頭でっかちな性分だから。かといって私だけのせいかというとそればかりでもなく、作品にも原因の一端を引き受けてもらうならば、もうひとつの理由は、あの作品を褒めようと、あるいは面白かったところをあげようとすればするほど、作品をけなし、面白くなかったところをピックアップしているようにしか見えなかったからだ。

たとえば、私が最初に書いていたメモを見てみると、やれ「話がバラバラで繋がっていない」だとか、「ストーリー性が薄い」だとか、「ユーザーへの配慮より登場人物の都合を優先している」「キャラ中心のゲーム(キャラゲー)」のようなことがずらずらと書き並べてある。それは私にとって、間違いなく『ポケ恋』という作品の良さを語ろうとして、苦心した末に出てきたことばだったのだけれど、しかしまあ、どう考えたって「褒め言葉」からは程遠い。

何としてこの溝を埋めようか。そのことを考えながら書いていたら、あんなんになってしまった。我ながらひでぇ話だと思うけれど、実はそれほど特殊なことを言ったつもりも無い。結局のところ、上に挙げたようなこの作品への「賛辞」が、一般的なエロゲーにとっては否定的な意味を持つという、そのような事態がなぜ発生するのか。私の問題意識はそこにあり、それはたぶん、この作品をプレイした多くの人に共有されうるものではないかと思う。「『ポケ恋』って、なんかヘンなゲームなのに、なんで面白いんだろう?」というかたちで。

▼物語の構造と解体
さて、与太話はこのくらいにして本題に移ろう。本題と言い持って少し関係ない引用から入るのが恐縮だが、もう少しお付き合い頂きたい。

かつて更科修一郎は『カラフルピュアガール』誌(2000年くらいのエロゲー雑誌です)の『Kanon』の記事で、こんなことを書いていた。

物語を構築する要素というのは、ウラジミール・プロップの「26のカード」以降、現在では分析され、かなり法則化されている。更に、近代化に伴って、スピリチュアルで曖昧だった物語要素は、更に表層的な記号へ解体され、方程式を組むように商品を作ることができるようになったし、記号の選択と方程式の組み方さえ間違えなければ、ユーザーを「泣き」や「萌え」の状態に導くのも、割と簡単にできる。実際、ほとんどのおたく向けヒット商品&作品はそういう計算の上で作られている。逆に、ヒットしない商品のヒットしない理由とは、作り手の創作性……悪く言えば、偏執的なこだわりがノイズになってしまったケースが大半だったりする。

 そして、全ての事象が表層的な記号へ分解されていくこの状況が、この連載で何度も書いてきた[オブジェクト嗜好]の正体で、別の場所では[ポストモダン]と呼ばれていた状況だったのだ。

 商品として成立させるために、計算によって整合性を高めると、計算できない要素はノイズとして排除されてしまう。例えば、スピリチュアルな物語要素の代表例である[奇蹟]は、近年は「陳腐なもの」として、扱うことを避ける傾向にある。(N.P.C. Vol.08『Kanon~残された者のために祈りを』 )



プロップって誰やねんというツッコミが入りそうなので、まずはそこから。ウラジミール・プロップはロシア(旧ソ連)の民俗学者であり、構造主義を物語分析に適用した(『民話の形態学』)、文学畑ではそこそこ有名なオッサン。プロップ自身の専門は、民話(むかしばなし)で、彼は民話から抽出した構造が、あらゆる物語にあてはまると考えた。[※1] 要は、神話や民話、あるいは詩のような古典的な文学のみならず、近代の小説も――もっといえば人間が物語を語るということそのものに関して原理的な考察を行おうということであり、そういう物語研究の土台が彼によって作られた、くらいの認識で良いだろう。たぶん。

ともあれここで更科が述べているのは、物語というものの構造があきらかになり、それによって「スピリチュアル」だった物語というのは、まるで工業製品のように機械的に生産可能なものになった、ということだ。あるいは「なってしまった」という否定的なニュアンスを含んでいるかもしれないが、ともあれそこでは、「読み手にウケるか」という結果までも、ある程度折込済みにして物語を作る態度が定着していった。「スピリチュアル」に対して、「マニュアル」とでも言えば良いだろうか。あえて分かりやすさを重視して言い直せば、一点物の、その人にしか作れない(実存的な)「物語」は姿を消し、かわりに大量生産・大量消費の量産商業主義的な物語が生まれた。そしてそれは、物語なるものを分解し、分析の対象としたことによってひきおこされた、というわけだ。

こうした分節化されてゆく物語の帰結=更科が言うところの「オブジェクト嗜好」(「志向」ではない)に関する検討が、どの程度妥当なものであるかはともかくとして、物語を構造的に把握しようという考え方が2000年以降現在にいたるまで、クリエイター・ユーザーを問わず、オタク界隈ではある程度共有されてきたということは疑いのない事実であるように思われる。

それは私のような、頭でっかちなサブカル崩れの人間だけではなく、現場で実際の創作に携わるような人たちの間にも、強固に、そして隠微に共有された信仰だ。実際たとえば、「ライトノベルの書き方」のような本が書かれ、クリエイター志望の人間にひろく読まれ、専門学校でその手法が教えられ……といった制度化の動きは急速に進み、そして今なお残っている。ヒロインは何人が良いだとか、その属性はなんだとか、そういった考え方そのものが既に、セールスを織り込んだ物語の「マニュアル」なのだ。

[※1]……たとえば、『桃太郎』は「主人公の出発」、「主人公の移動」、「敵対者の処罰」……のように要素分解され、その組合せによって物語は作られている。そして、対象が昔話であれ近代小説であれおよそ物語である以上、限られたパーツに分解できる、あるいは物語というのは、パーツの組合せによってつくり上げることができる、というのがプロップの主張の骨子である。七十年代から八十年代にかけて爆発的な影響力をほこったフランス現代思想に深く食い込んでいたこともあって、それなりに日本でもはやった。さすがにリアルタイムの受容がどんなものだったかは知らないけれど、今でも名前を時々耳にするくらいには。

▼構造という名の束縛
プロップの、あるいはその後続いた記号論的な物語読解が主張するような「物語の構造」の発見というのは、つまるところ、「人間のあらゆる言説行為の中に、再現可能な構造を探り出そうという試み」(中沢新一)である。

その構造なるものが具体的にどんなものかについて、ここで詳述は避けるが、物語にそういう構造ないし秩序があると見なすことが、ある種の束縛として機能することは理解されよう。物語は「かくあるべし」という形で規定され、定式化されることによってはじめてその構造が浮かび上がる――あるいは逆に、構造が「発見」されたことによって、物語は秩序化され、縛り付けられた。

けれど、ここでひとつ問うておかねばならない。果たして私たちは、構造を求めて物語を読むのだろうか。

記号論的な物語読解が主張する「物語の構造」とは、普遍的ななにものかだ。どんな物語からでも取り出すことができ、比較可能なもの。物語を人間に喩えるならば、構造とはその骨格標本といったところだろう。なるほど、皮をそぎ、肉を落として浮かび上がったそれは、ある意味でそのいきものの本質といえるかもしれない。だが、私たちが交わり、友誼を結んでいる「誰か」を思い出せと言われて、骨格標本を想像する人間が、果たしてどれほどいるというのか。あるいは、DNAの塩基配列でも良い。それは人間の本質であって、塩基の配列が私たちの形質のすべてを決定しているのだとしても、そのことと私たちが生きている現実とは直接には結びつかない。

私たちが目指すのは常に目の前にいる誰か――常に、肉も皮もある、総体としてのその人である。

物語とて同じこと、構造を抽出され、分解され、分析された諸要素が、私たちの求める物語そのものであるということは、恐らく無いだろう。『浦島太郎』の、「漁師が亀を助けて竜宮城に行って戻ってきたが、禁忌を犯して老人になる話」という要約をきかされたところで、そこには私たちが生身で触れた「浦島」の姿は無い。「浦島」は、物語の文体や表現、句読点のひとつひとつに偏在し、ただ総体としてしか姿をあらわし得ないのだ。

昔話を読んだ時に感じるあの興奮を、「主人公の帰還」の如き抽出要素から、私たちはおよそ感じ取ることができない。私たちが物語から受取る享楽というのは、常に構造の外側にも(あるいは構造を取り出すことによって削ぎ落とされ、排除されたような細部にも)またひとしく宿っており、取り除いた瞬間に総体としての力は失われてしまうのである。

かくて私たちは、物語そのものからは程遠い「物語の構造」に縛られたまま、その中で物語を求めてあえいでいる。

▼構造の内破と総体性の回復
私が『ポケ恋』から感じたのは、構造という軛から物語を解き放とうとする力である。

それが具体的にどのようなもので、またどこからそう感じたかについては、批評空間のレビューをご覧いただきたいが、敢えてまとめるならば、物語の諸要素を細分化し、それらを再構成することによって、構造を用いながら構造が保っていた秩序を破壊する試みが、そこにはあったように思われるのだ。その試みが意図されたものであったか、はたまた偶然の産物であるかを、ここで問うことはできないけれど。

物語を読むことで私たちが求めていたものは、物語の構造ではない。少なくとも、そのように思う人たちは少なからず存在する。私たちは、ただ物語という経験に惹かれるのだ、と。そう信じる人に向けて、新しい物語を紡ぐこと。私たちが生きてきた、物語という制度を内破させ、想像力を拡げていくこと。それこそが、『ポケットに恋をつめて』という風変わりな作品が示し得た境地である。そのように言うことは許されないだろうか。

物語は構造によってではなく、ただそこに生きる人びと(キャラクター)によって成り立っているのだと、既存の物語という制度を組み替えることで『ポケ恋』は振舞ってみせる。このときキャラクターは、制度化/秩序化された物語の世界を、内側から突き破る力となるだろう。そして、自由になった物語は、キャラクターのもとでその総体性を回復するに違いない。総体性とはつまり、物語の世界が自律的に駆動し、常に構造化から逃れているということ。要するに、キャラが勝手に動きまわって書かれている以上の物語を内部から生成していくような、想像力の源泉としての力である。

今後も続く可能性となるのか、あるいは一代限りで途絶えるのか。それは私には分からない。ただこのような作品に出会えたということが、そしてこのような作品が現にあったという事実が、物語に縛られたこの世界を生きる人にとって、いくらかの、慰めとなるかもしれないとは思う。

▼物語のはじまり
私はこの記事のはじめのほうで、「どうしてあんなことになったのか」と書いた。今更ながら振り返れば、私が感じていた書きづらさの正体は、本当はきっと、ここにあるのだと思う。つまり、物語の構造化を破ろうという試みを前に、その「構造」を取り出そうとすることは、この作品の本質的な部分を、どこか決定的に損なってしまうのではないかという懸念があった。ただひとこと、「面白かった」とだけ言えばそれでこと足りる、そういう作品だと言われればそうなのかもしれない。しかし同時に、この作品から受け取った違和感を、何か形にしてみたいという気持ちもぬきがたくあった。

とりあえずやってみた感想としては、ぐるぐる回った挙句しょうもないことしか言っていないという挫折感と、またこういう内容について、私のようにまわりくどい説明的な形をとらず、しかも私よりずっと端的かつ鮮やかに示すことができる人はたくさんいるはずで(私の頭のなかですぐに2、3人の名前が挙がるくらいには)、そういう人に任せりゃよかったなぁと思うものの、そもそも「そういう人」がプレイしない可能性もあるわけで、ならまあ紹介役くらいにはなれていたら良いなぁという、割と卑屈な思いがあったりする。

ともあれ、言いたいことはほぼ尽きた。いや、本当はまだある気がするけど、これ以上は蛇足だ。

ゲームが終わる時、私はなんとも言えない名残惜しさと、それでもきっとまだ彼らの世界は続いているのだろうなという妙な安心を同時に感じた。「ポケットに恋をつめて」というタイトルは、文法的にはこの後に続く文章を、内容的にはどこかへ出発していくイメージを、想起させる。だからたぶん修次たちの物語は終わるのではなく、ゲームが終わったところから始まるのだ。この作品で描かれていた「恋」をポケットにつめて、私はもう少し、彼らとの物語を楽しんでみたい。

……普通のレビューは、別途ちゃんと書こうかなと思っています。なるたけ楽しい紹介文を。

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