タイトル:『月に寄りそう乙女の作法』(Navel/2012年10月26日発売)
原画:西又葵/鈴平ひろ/羽純りお
シナリオ:真紀士/王雀孫/森林彬/東ノ助
公式:月に寄りそう乙女の作法OHP
定価:8800円
評価:A (A~F)
関連: 批評空間投稿レビュー (ネタバレ有り) ※外部リンク
※具体的な長文感想・内容紹介は、批評空間さまにて投稿しております。
▼評価について
結論から言えば非常に満足です。ただ、バラつきは大きい。ルナ・ユーシェルートの完成度で全体が統一されていたらなぁと勿体無く思う気持ちはあります。とはいえ、欠点を補って余りある魅力を発揮していたのも事実であり、Aということにしました。贅沢を言えばやはり、サブキャラ攻略はちょっとくらい欲しかったかなぁ。まあそちらはFDということなのでしょう。
共通A ルナA ユーシェA 湊B 瑞穂C みたいな感じです。なお私の周囲では、湊より瑞穂のほうが評判が良いみたいです。
▼雑感
以下、ネタバレを含みます。
百合ゲー、女装ゲー等々の評判を耳にしていたので、割とそちらのバイアス強めで読んでいました。しかし、一発目にプレイしたのがルナ様だったこともあっていきなりその感覚を吹き飛ばされてしまい。もちろん表面的には――というか、ブランド側の狙いとしてはおそらく、女装・百合のようなところで押しているのだとは思うのでそっちで受取るのがまっとうな楽しみ方だとは思うのですが、この作品、特にルナルートはそういう枠組みをぶち壊す力を持っていると思います。
詳しくは長文感想をご参照ください、ということにいたしますけれども、ポイントは衣遠による「暴露」をルナが粉砕するシーン。これ、要はルナが「朝日」の外見も性別も名前も、すべてを通り抜けてただ人間性(本質的なもの)を見る、と宣言しているのが大きい。もちろんこれは、ルナから「朝日」への宣言であって、「朝日」からルナへの想いはまた違っている可能性はあります。特に、彼らの場合対等な恋人関係である以前に主人-従者というポジションがありますから、立場の違いが愛情の質の違いになっている可能性は否めない。
だから私もあれこれ考えたし、何度も読みなおしたのですが、やっぱりここでルナはラディカルに恋愛の枠組みを破壊しにかかっている気がします。意図的に、というよりは、結果的に。
遊星がプロローグで、「すべてを赦すことができるとすれば、それは神の愛だろうか」みたいなことを、ちょっと原文とは違ったかもしれないのですが、言っていました。ルナの愛が神の愛だとは言わないにしても、人間的なものは突き抜けている気がするんです。少なくとも、遊星が想像上の母親(すでにいない)に託してきた想いを引き受けることができるほどの愛を、ルナは注いでいる。
遊星が寝言で母親ではなくルナの名を呼ぶというのは、だから、単に遊星がマザコンから抜けだしたとかそういう話ではなくて、愛情の質の問題なんだと思う。母親という、ある意味無条件で子供の「居場所」になれる存在を飛び越えて、その相手の居場所となれるような愛。それを持ちうるということが、ルナという少女の恐るべき純粋さであり、美しさなのだろう、と。
親子というのは、まあ普通に考えれば、人間の中で最も自然的であって、かつ強固な関係です。もちろん昨今DVだのなんだのでそこを疑う視線というのは出てくるようになりましたが、少なくともこの作品の中では、親子・血縁というのは結構な重みをもって描かれている。しかし、ルナはそれをぶっ壊すわけです。身体的結合の最たるものである血縁関係をぶっ壊して、じゃあ何でつながるかというと、こころ。精神性です。
身体より心の方を重視する、というだけならそれなりによくある話なのですが、ルナの「突き詰める」性質がそういう中途半端を許さず、結果的に「精神性だけで」愛は成り立つ、というところまでいってしまっているんじゃないか、というのが私の受けた感覚です。
あと、これがルナから「朝日」へ向けた感情の話だけではないか、ということについては、ルナと「朝日」は立場を相互に交換しあう存在ではないか、という形で返答しておきます。これも感想に書いたことですが、ルナは優しさと厳しさという、相反する性質を併せ持っています。その矛盾を両立させられる相手として、「朝日」/遊星がいる。だから、ルナから「朝日」へ注がれる愛情は、そのまま遊星からルナへの愛情になるのではないかな、と。ルナも家族と切れてますしね。
まあそんな感じだったので、ルナ様は凄いし憧れるけど、遠くてまぶしすぎてちょっとこりゃ私にはキツイな、と。なんか綺麗なものを大事に崇め奉る感じとでも申しますか。
そこでユーシェのルートが効いてくるわけで、彼女は最後、フィリア・クリスマスコレクションでルナに勝利して遊星を手に入れるんですが、この部分が凄く微妙な表現になっています。たぶんこちらのほうはスタッフの方があえてそうしたのではないかと思うのですが、ユーシェは完全勝利したわけではないんですね。
このへんも感想に書いたので(こればっかやな)細かい説明は省きますが、ユーシェは単独ではルナの才能に勝てていない。あくまでもトータルとして勝利しただけだし、その勝利も、小手先のテクニックというか詐術をつかって、うわべでごまかしたものです。
だからというべきか、彼女は「一部しか」ルナに届かなかった。一部だけでも届いた、というべきかもしれませんけれども、そのあたりのニュアンスの違いは措くとして、それが彼女の限界なわけです。そして、受賞スピーチから明らかなように、彼女自身限界であることをわかっている。わかっていてなお、憧れ続け、目指し続けようとするわけです。
それは、とても大変なことです。強さと覚悟が要る。そんなわけで、ルナが愛の物語だったとしたら、ユーシェはたぶん、勇気の物語と言って良い気がするんですね。そして、恋愛モノとしてはちとどうかという話はあるかもしれませんが、私はそういう、人間的な勇気の溢れる物語に寄りそいたい。届かない美しい理想より、届かないと知りつつ手を伸ばす人間にこそ憧れてしまう。
ルナと朝日が「月と太陽」のように(あるいは月と乙女として)扱われますが、もうひとつ、ルナとユーシェも対になっていると見ていいんじゃないかなぁと、そんなことを考えているんですけれども、いかがなもんでしょう。
ちょっとで終わらせるつもりが、随分長くなってしまった……。細部にこだわって読んだつもりだったのですが、DG-Lawさんにご指摘頂いた衣遠お兄さまの話とか、見落としていた部分もあり、まだとりこぼしたり、抑えきれていない部分は多々あるので、しばらく寝かせてからまた、再プレイしてみようかなと思っています。