よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012年12月

さようなら2012年

三國志レビュー更新したので、もう今年を締めくくっても良いかなと思ったのですが、まあ日記代わりというか、この年のことを後で思い出せるように、最後の最後にちょこっとだけ更新します。1日に2度更新は本当に久々というかそもそも滅多にやってなかったですが、大晦日記念に。

今日はコミケ3日目に行きました。サークル参加でほんとに雑用していたのですが、途中でちょこっと企業に並ぶ機会がありまして、だらだらと外の待機列に並んでいました(そのときにめっちゃかっこいい外人さんがいたんですが、あれはいったい……)。

その後はいろいろな方のところをまわってご挨拶に。then-dさんは本当に律儀というか腰が低いというか頭を垂れる稲穂というか、朝に会いに来てくださって、私が行くべきだっただろうと申し訳なく思いましたが、今年の最後にお会いすることができてよかったです。ありがとうございました。

あと、今年私がプレイした中で最高の同人ゲーだった『柊鰯』(18禁じゃないのにとりあげるってのは結構よっぽどのことだと思ってください)関連で夕街昇雪さんのブースへご挨拶に。新刊の柊さん本をはじめいくつかの作品を手に入れることができました。

ポスター(メイド柊さん)もそのときにゲットしたのですが、なんだか割と予想外だったようで、しかもほかのお客様も並んでおられたのに手間と無理をおかえしてしまい、大変失礼しました。でも、すごくきれいな出来なのでうれしいです。大事に飾ります。

なかばやし黎明さんはブログを拝見したところコミケには参戦されていないということで、それだけが残念です。「柊鰯」で一発で惚れてしまったので(特に瞳の表情とか、髪の感じがすごく好き……なんですがほんとに好きなものってなんかあんまり理由とか関係ないだろっていう気もします)、画集とかあったら買っちゃっただろうなぁと。私はエロゲーマーですが、それは単に私の趣味であってすばらしいものにはエロだろうがそうでなかろうが関係ないわけで、まあ何というか、もっと見たいわけですよね。サイン会とかあったら沖縄だろうがアメリカだろうが行ってしまいそうな気はします。いやまあ、資金と日程的なことはあるから現実にはハードル高いですけど、勢いとしては。

その後もいろいろ知人・友人関係を巡り、最後はツイッターでお知り合いになった方何人かとお会いすることができました。

皆さんおもしろい(もちろん良い意味で)方で、私はお話を聞いてばかり(しゃべるはしゃべったけど意味のあることはあんまり言わなかった気がします)。非常に刺激的でした。でもまあそれ以上に、ツイッターでしかお会いしていなかった関係の枠組みが広がった感じがして、すごくうれしかったというのが一番です。

ネット関係での交遊って実際に会うとなるとハードルがある程度高くなるし、そういうのを嫌われる方もおられるのでどうしようか迷うこともあるのですが、ウザがられたり、いやがられてもそのときはそのときだ、とばかりに思い切ってお声かけして良かった。声をかけていただいたかたは、貴重なチャンスをいただいて感謝です。

最後はお食事にも誘っていただき、今年最後の夕飯を最高に楽しく締めくくることができました。いろいろあったけど、ブログとかツイッターとかをやりはじめてよかったなぁと思えた。本当にありがとうございました。

おし、なんか綺麗に〆られた感じがするのでこれでおしまいにしましょう。

それでは皆さん、改めて良いお年を。来年もよろしくお願いします。

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プレイレポート『三国志12』遼東プレイ(2)

関連記事:プレイレポート『三国志12』遼東プレイ(1) (2012年5月1日)

随分久々になってしまいましたが、年内に更新する! と宣言したこともあって、今回久々の「プレイレポート」です。どういう話だったかちょっとだけおさらいします。

KOEIさんから発売された『三國志12』の中でもマゾ君主と評判の、公孫度を使ってゲームクリアを目指そうというのが企画の主旨。その中で、以下のような条件を付けました。

・ 基本的にバグ利用を除く禁止行為は無し。(外交や秘策もフル活用する。縛りは無し)
・ セーブは中断時と、1年に1回、1月のみ。(登用等ランダム要素の吟味行為は無し)
・ ゲームオーバー時にはロードしてリトライあり。

実はこの作品、オンライン認証ということもあって細かい仕様がどんどん変更されているので、もはや「どのパッチがあたったときか」を説明しないことには細かい部分の違いがガンガンでてきてしまうのは避けられないのですが、プレイ中にも何度か仕様変更がかかっていちいち検証していると話が進まないので、だいたいのイメージで捉えていただけると幸いです。

主要登場人物は、君主である公孫度(父)、公孫康(兄)※武官、公孫恭(弟)※文官、の三名。

公孫恭: 「随分と久しぶりの登場になりますが、父上」
公孫度: 「おう」
公孫恭: 「いままでやっていたことを覚えておられますか」
公孫度: 「忘れいでか。目の上のタンコブ、公孫瓚を始末しようと企てたところだ」
公孫恭: 「さすが父上。左様でございます。我が兄、公孫康も帰還しました。
公孫康: 「我等親子三人、手を携えて中華の覇権を握る足がかりを手に入れましょうぞ」
公孫度: 「その意気や良し! して恭よ、公孫瓚を倒す妙案はあるか」
公孫恭: 「はっきりと申し上げますと」
公孫度: 「ふむ」
公孫恭: 無 理 でございます」
公孫度: 「(;´Д`)」
公孫恭: 「ちょっと戦力差あるくらいならよかったんですけどねー。圧倒的ですから」
公孫康: 「具体的には、将の質・能力・経済力・軍事力、全てにおいて公孫瓚軍が上です」

※三國志12の「国力」要素としては、まず経済力があります。都市には「商業都市」(金が多くはいる)、「農業都市」(兵糧が多くはいる)、「大都市」(兵士が多くはいる)、「通常都市」(ノーマル)があり、公孫瓚は農業都市を押さえていて、しかも内政建築数が多い。一方公孫度は通常都市で特に経済的メリットを受け取れないうえに、そもそも武将の人数が3人から増えないので内政に人数を割けず、ただでもショボい国力をフルに活かすことすらできません。

公孫度: 「むむ……能力的には我が軍もそれほど悪くないと思うのだが……」
公孫康: 「我等が公孫瓚の軍に加わったとしたら、二軍がせいぜいでしょう」
公孫度: 「(´・ω・`)」
公孫康: 「恭なんか武力30台ですよ……正直申し上げて、戦いでは役に立ちません」
公孫恭: 「悔しいですが兄者の仰るとおりです。しかも公孫瓚は本人が相当強いだけでなく、盧植、田豫という有能な部下を抱えています。この2人だけで我が軍は兵士が倍以上いても蹴散らされるでしょう」

※盧植、田豫の2名は能力がバランスよく高い上、「火計」「大打撃」という全体攻撃スキルを所持しており、兵士数が少ない序盤においては圧倒的な強さを誇ります。特に盧植の「火計」は、 アホばっかり 余り知力が高くない公孫度軍には致命的。迂闊に飛び込むとゴリゴリ兵士が削られて、「ぎんもぢいぃぃ゛ぃ゛ぃ゛」状態を味わえます。

公孫度: 「なんということだ……では、我が軍は絶望的ではないか。どうやって公孫瓚を倒せば良いのか」
公孫恭: 「なに、簡単な話です」
公孫康: 「然り。一人で倒せないなら、援軍を呼べば良い。それだけです」
公孫度: 「ほう……援軍とな。となると、どこかと同盟を結ぶわけか」
公孫恭: 「スタート時の状況を考え、公孫瓚攻めを行えるような隣接国となると、西の劉虞か南の袁紹でございますが、ここは袁紹と結ぶのが得策でしょう」
公孫康: 「劉虞は弱国なので援軍を頼んでもロクな相手が来ませんし、そもそも早急に袁紹に滅ぼされる可能性がありますので、結ぶ意味がございません。同盟を組むなら、袁紹一択です」
公孫度: 「なるほど。つまり、大国である袁紹と同盟し、彼らに兵をださせて、我が軍は弱った公孫瓚を叩いて漁夫の利を得ようというわけか」
公孫恭: 「イグザクトリィ(その通り)。我々が公孫瓚を滅ぼすには、正面から戦うのではなく袁紹軍の優秀な将と兵とを公孫瓚にぶつけることが不可欠というわけです」

※ちなみに公孫度軍の将の使い勝手の悪さというのは相当で、まず兵科が結構バラバラ。恭は弓、度と康は馬。なので、兵科の開発をしても全員が強くなるわけではありません。しかも、城門の破壊力がある槍兵がいないので、攻めにはかなり不利。また、せめて騎馬の兵科開発をしようとしても、公孫康の武力が68とギリギリ70に届かず、「修行」で武力を上昇させないと満足に兵科を開発できません。また、このゲームには武将三人で「秘策」を開発することができ、戦闘や内政で非常に役に立つ(たとえば全国から在野武将を登用できる秘策などもあります。公孫瓚軍はこの秘策を開発して、優秀な武将を自軍に引き入れることが多いです)のですが、能力が帯に短し状態の公孫度軍では、ロクな秘策を開発できません。踏んだり蹴ったり。

▼同盟を結ぶ
公孫度: 「しかし恭よ、そうなるとひとつ問題があるぞ」
公孫恭: 「なんでしょう?」
公孫度: 「袁紹は、わが国と同盟を結んでくれるのだろうか? 相性データを見ると、私は相当嫌われているようだが……」
公孫恭: 「それはまあ、そうでしょうね……。わが国はどちらかといえば曹操寄り。一方袁紹は、その曹操に滅ぼされているので相性が良いハズは無いかと」
公孫度: 「ならば、同盟など夢のまた夢ではないか!」
公孫恭: 「アイテムなどを貢げば手っ取り早いのですが……父上、何かアイテムをお持ちですか?」
公孫度: 「ない」
公孫恭: 「デスヨネー」

※実はこのシナリオでは、孫堅が所持していた「古錠刀」が「探索」によってランダムで手に入ります。ただ、そもそも遼東に古錠刀が来る率が低い上、公孫度軍のメンバーの知力ではアイテムの発見はよほど運がないと難しいので、「アイテムに頼る」という選択肢は捨てたほうが無難です。

公孫康: 「しかし父上、心配召されるな。ハッキリ申し上げると、世の中のことは金で大抵なんとかなります」
公孫度: 「この年齢になって息子にそんなことを諭されるとは思わなかったが、なるほどそれは尤もだ。では、金を貢げば良いのか」
公孫恭: 「ところがそう単純ではありません。戦争につぐ戦争が起きているこの世界では、金よりも兵糧のほうが価値が高い。ぶっちゃけ、金をいくら積んでも同盟してくれない相手でも、兵糧の現物をちらつかせると飛びついてくることがよくあります」
公孫度: 「なるほど……」
公孫康: 「しかし問題は、兵糧はこちらの兵士を動かすのにも必要だということですな。いくら必要だからといって貢ぎすぎると、今度はこっちが兵を動かせなくなって滅びかねない」
公孫恭: 「我々は政治力が低いですから、兵糧収入もそれほど高くはなりませんしね」
公孫康: 「そんなわけで父上、兵糧というカードはできるだけ最後に切るほうがよろしいでしょう」
公孫恭: 「それまでは地道に、金を無償提供することで好感度をあげておきたいですね」

※上に書いた通り、このゲームでは「兵糧」だと無理が効く場合が多いです。或いは内部計算的には兵糧とお金の関係は適当なレートが設定されているのかもしれませんが、金よりも兵糧のほうが手に入りやすいという意味で、兵糧のほうが有効活用しやすいです。「外交」コマンドで「金」を無償提供して好感度をあげて、MAXになったら「兵糧」を条件にして同盟を組む、というのが最も効率的で成功しやすいパターンでしょう。ただし、兵糧を外交に使いすぎると兵糧不足になって攻め込まれたり、あるいは援軍要請が成功して合同攻めになっても、こちらが満足な軍を派遣できないということになりかねません。ご利用は計画的に。

公孫度: 「なるほど……では、恭よ。お前が袁紹のもとへ赴いて、仲を仲介してくれるか。」
公孫恭: 「かしこまりました。お任せ下さい」

※というわけで、ここからは政治力の高い公孫恭に外交に行って貰います。基本的に1度目の外交で1000~2000の金をプレゼントして好感度を100に。その後は兵糧がある程度たまったところで同盟を結びましょう。20000くらいで結べる場合が多いのですが、その後の戦闘のことを考えると、35000くらいはためてから外交にいかないと兵糧が尽きてひどいことになります。

ちうわけで、この後、恭の外交がうまくいくのか……。外交が成功したあと、公孫度軍はどのような攻め方をするのか。序盤の山場を迎えるあたりでいったんおわかれ。またぼちぼちと更新していきたいと思います。

今年中にはギリギリでしたが、何とか続きをかけた……。

それでは、また明日お会いしましょう。

って今日は大晦日だからちょっと違うこと言った方が良いのかな。

皆さま一年間ありがとうございました。どうぞ、良いお年をお迎え下さい!

場合によっては今日中にあと1度更新するかも?


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雨のコミケは地獄の話

2日目もコミケ参戦してきました。あいにくの雨模様ということもあってか、初動の人はかなり少なかった。七時ごろにつく電車でも、企業ブース余裕で間に合いました。

昨日取り損ねた「3rdEYE」さんブースでのサイン会整理券をゲットしたあと、返す刀でリリスさんの「対魔忍セット」を購入(イベント整理券はもう間に合いませんでした)。その後エウシュリーブースへ向かい、本日のミッションは完了。なぜか午後から仕事が入ってしまった(もともとの人がノロでやられたようです)ので早めに退散しなければならなかったのですが、13時からの大野哲也さんサイン会と、14時からの3rdEYEサイン会には出席しました。

しかし、雨のコミケは悲惨です。今日はそれほど雨が酷くなかったので「濡れる」心配はあまりありませんでしたが、対処を誤っている人も少なくない。まず、水を弾くパーカーとかレインコートを用意してきていないと、基本傘禁止ですので服が水を吸って悲惨なことになる。あとは帽子ですね。パーカーのフードとかが最高。とにかく頭を守るアイテムが無いときつかっただろうなと思います。布系の帽子は水すっちゃうからよくない……。

無理繰り傘をさしている人もいましたが(スタッフが「閉じろ」といってもさし続けているのはさすがに閉口しました)、やはりどこかでは閉じて並ばざるを得ないし、そうなるとあとはヌレヌレ状態でクソ寒い中何時間も過ごすハメになりますので、雨の日の対策はしっかり……と終わった後で言っても意味ありませんが、昔はなんか周り見渡すと「プロ」っていう感じで対策完璧な人が殆どだったけど、今日はむしろ「その格好は無茶やで……」という(ツイードのコートに布のシューズ、頭の防具無しとか)人が結構多くて、今は雨対策とかあんまり浸透してないのかなーとちょっと思ったのでした。

濡れたまま戦いを続けたみなさんは、どうぞくれぐれもお体にお気をつけて。しょうが湯など飲んでゆっくりと暖まってください。

あと、整列時私の前でずっとイチャついてたカップル(ずっと手を繋いでいて、男の子のほうが「顔かゆい~。かいて~。目のした~」とか言いながら、女の子のほうがかくというプレイをしていました。お前の空いている左手はかざりかと。自分でかけと)は、ただでも寒い中輪を掛けて寒くなったので爆ぜてくれて良いです。

まあ普段いかない2日目に行ってしまってさすがに疲れてきたので、今日はゆっくりやすんで、明日に備えようと思います。

それでは皆さん、今年もあと1日、頑張っていきましょう!

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コミケの着順格差について ~C83・1日目の話

年末の風物詩、コミックマーケットが本日よりいよいよスタート!

私も万難を排して出発……と行きたかったのですが、先日の疲れが残っていたのか、寝坊して痛恨の出遅れ(ノ∀`)。

有明についたころには、とんでもない列が既に形成されており、入場できたのが11時前。いつもよりだいぶ後れを取った形になってしまいました。

目当てはLeaf/AQUQPLUSブースだったのですが、ここは毎度人のハケが悪い。グッズ自体はある程度夜遅くでも残っているし、2日目、3日目でも買えるのでそんなに急ぐことは無いかと思い、結局AXLブースを先に襲撃。その後Leafブースにならびました。

ところが驚いたことに、あっというまに終わってしまった。いつもより人がいなかったこともありましたが、場所がいつもの変に狭いところじゃなかったせいもあってか、いつにないくらいきびきびと列を処理。お隣の「ダンガンロンパ」ブースの倍くらいの速度で列が消費されていき、12時前には購入完了。

こりゃさい先良いなぁと思ってリリスブースへ向かうと、なんとびっくり長蛇の列。しかも、布モノ(抱き枕カバー)や、「対魔忍セット」は売り切れ御免という状態でした。「アサギ3」発売が重なったせいもあるのか、予想を上回る人気にビックリ。明日「対魔忍セット」は少数の追加入荷があるみたいですが、果たして買えるのかどうなのか……。明日の動き方が俄然難しくなりました。

その他、サークル参加しておられたお友達と会ったり、知り合いのサークルで同人誌を購入したり(普段あまり読まないBL系の本を買いました。ちょっと楽しみです。こういうきっかけがあるから即売会は面白いですね)、ひとしきり遊んで帰宅。企業戦士としてのお目当てはほとんど手に入ったので、それなりに楽しく、満足のいく一日でした。

▼着順格差問題
で、まあ毎度話題になりますが、今回も「徹夜組」がいたようで。一応徹夜は禁止、ということになっているのですが、何度か大きな「ペナルティ」が課されたことはあるものの、近年は実質「黙認」状態になっているのが現実です。これには賛否両論……というかむしろ「否」しかなくて、運営(コミケの運営をしてくださっている皆さま)はこのけしからん連中を取り締まれ、という声が多く聞かれます。

実際「徹夜」行為には、治安上の問題であるとかゴミの問題であるとか、また参加者の健康の問題(冬のこのクソ寒い中で野宿をするというのは何かと大変です)なんかもあるのでしょう。ただ、コミケ参加者の「声」というのは、そういうものとは別のところから発せられている場合がほとんどです。

それは何かというと、簡単に言えば「先着特典」です。コミケというのはぶっちゃけ「早い者勝ち」なところがあり、有名な「なのは完売」のように、とにかく早く行かないと売り切れてしまうレアなアイテムというのがいくつもある。そういうのを目指して朝早くから行く人にとっては、自分も徹夜して良いものなら、それくらい苦痛ではないわけです。でも、ルールだからと我慢している。それを、堂々と破って黙認されている連中がいるというのは許せん……! とまあ、こんな感じでしょうか。察するに。

要するに、ルール自体が大事とか道徳的な熱意いうよりは、そのルールを守らないことによって多くの参加者、とくに熱心な参加者に直接的な不利益が発生するからこそ、このことが大きな問題となるわけです。

もちろんこういう不平等はある程度なんとかしたほうが良いのでしょう。しかし、じゃあ「運営さんなんとかしてください」で済むかというと、私はちょっと疑問だったりもします。

まあこの辺は考え方次第なのでしょうが、同人誌即売会というのはやっぱり、参加者(創作者と享受者)の手作りイベントなわけです。運営の方というのはサポートというか、黒子というか。黒子といえばバスケですがまあそれはさておき。

運営のかたがガンガン統制をかけるというのは便利ではありますが、「自由な創作と表現の場」に相応しいかというと、私はそうでもないと思う。今回それこそ、「黒子のバスケ」関連の同人誌が、警察の意向を受けた運営の介入によって持ち込み禁止になりましたし、今後運営が積極的に本の内容にチェックを入れる可能性もあるわけです。実際、いまもすでに緩やかとはいえ「検閲」はありますし。

もちろん現状はスタッフの皆さんがバランスに気を遣ってくださっていて、悪い状態ではないと思います。思いますが、そのあたりのバランス感覚とかを、全部運営側に任せるのもどうなのかなと。また、やはり表現行為において「規制」は少しでも少ない方が良いと私は思っています。

なので、「享受者」が「不平等」を感じているという声をあげたなら、「創作者」の側がそれになにか対応するような方法を考える――たとえば、できるだけたくさんのグッズを作ってくるとか、少数しか作れなかったものについてはくじ引きにするとか――必要はあるのではないか、と。

まあツイッターでも指摘されましたが、現実的には無理なのかもしれません。サークルさんもお値段の問題があるから、やたらめったら刷ってくることはできないわけですし。ただそれでも、あからさまなアンバランスの原因はなにも並ぶ側だけの話ではないのも事実だと思います。

最初の10人、20人で売り切れてしまうような状態だと、サークル入場がある時点で始発で来ようが徹夜しようが、手に入れるのは困難となってしまう。サークル入場者が先に並ぶのは良くないとか、そういう話もできますが、提供側の視点として、不平等さを解消する工夫を「自主的に」入れるのはアリなのかなと。現実的に可能かどうかはともかく、まあ理念としてということでひとつ……。

それでこそ「参加者」で作る即売会の姿として理想的なのではないかな、と思ったのでした。

▼ゴミの話
あと、ゴミが酷いということが話題になっていますが、これはそうだなと思います。

トイレに並んでいたとき、若い3人組の男の子が私の前にいました。彼らが談笑している中、一人の子のポケットから芝生の上にガムの銀紙が舞ったのを見た。そこで私が「落ちましたよ」って言ったら、「ボクのじゃないです。
もとからあったんです」みたいなことを言われまして。まあ確かに私の見間違えかもしれないから「それはすみませんでした」といって私が拾ったけど、よく考えると私が拾わなくてもいいですよね。むしろその子が拾えばいいだけじゃないか、と。

会場内部にも平気でゴミを捨てていく人がいるし、何か年々マナーが悪くなっている気がする。これはビッグサイトを今後も使わせて貰えるかということと関わる重要な箇所ですから、一度引き締めてもいいのかなと思うし、参加者でゴミを見つけたひとは積極的に拾う(ゴミ袋を各自持参するとか)、みたいなのでも良いかなと思います。

あと、それとは対照的に、今朝の話。道に落ちていた傘を拾って、通行人が怪我しないように横の方にのけている娘がいたんですね。凄くえらいなぁと。「傘おちてるわ。あぶねーナァ」と思ったけれど、すぐに体が動かなかった自分が恥ずかしくもありました。

あの娘さんのように、積極的・自主的に動く人がもっと増えるようなムードになると良いのかなぁと思ったのでした。

C83イベントの詳しいことについては、また後日、機会が在ればお話しようかと。それでは、また明日。

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レビュー:『操心術∞』

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タイトル:『操心術∞ 』(STUDIO邪恋/2012年11月30日発売)
原画:YUKIRIN
シナリオ:おくとぱす
公式:操心術∞OHP
定価:8800円
評価:A (A~F)

関連: 批評空間投稿レビュー (ネタバレ無し) ※外部リンク

※具体的な長文感想・内容紹介は、批評空間さまにて投稿しております。



▼評価について
いやあ、凄いゲームです。めちゃくちゃ面白い。細部の整合性がもう少しきちんととれていたらSつけたかも。

批評空間さんの感想で私は、「明らかにシリーズファン向け」と書いています。これはもうシリーズやってる人には当たり前のように分かって貰えるとは思うのですが、他の方のレビューをちょっと拝見すると、「シリーズやってなくても楽しめた」みたいな感想が多い。

ちょっと驚いたのですがよく考えてみるとこれは別に矛盾でも何でもなくて、やってない人でもそれなりに楽しめるし、やってないと気付かないような形でネタが仕込まれているというだけの話です。ほとんど不自然さは無くて、まさかあれやこれや、挙げ句にそれまで、過去作から引っ張ったネタだとは思わないわけです。しかし、やってりゃ気付く。そして気付くと、当社比(笑)で倍くらい面白さが変わります。

というわけで、過去作プレイしていなくてもそこそこの作品。やっていれば超面白いという本作。基本的に「買い」だと思いますが、買わない方が良い人は3種類。まず、過去のシリーズや『催眠遊戯』のような催眠系作品をプレイしたことがあって、「肌に合わないな」と思った人。基本的にやってることは同じなので面白くないと思います。次に、これから過去作をプレイする予定がある人。今回「∞」はシリーズの完結編という位置づけなので(春生を主人公にした外伝が企画されているようですが)、シリーズ全体のネタバレが含まれます。これ知ってしまうと過去作の面白さがスポイルされるので、「∞」を一発目に遊ぶのは避けたほうが良いでしょう。最後に、凌辱・アヘ顔・お漏らしがダメっていう人。この辺はHPで確認できると思いますが、割と派手にそういう描写があるので、ご注意ください。

▼雑感
色々書きたいんですが、ネタバレすると台無しになるので書けない……という人は多いのではないかなぁ。「3」や「0」ほどではありませんが、本作もネタバレ喰らうと面白さががくっと減ります。興味のある人、プレイする予定のある人は、できればネタバレを見ないことを強くお勧めしておきます。ただ、本作でネタバレが拙いのは、作品自体のストーリーの面白さを損なうと言うより、本当は作品が明かすハズだった過去シリーズの秘密が、ある一つの出来事を説明することによって一気に解明されてしまうから……というほうが適当でしょうか。

この作品の面白さはなんでしょうね。色々あるとは思うんですが、主だったところを挙げると……

・ エロい。(超大事)
・ ストーリー自体が面白い。(展開は読めるのだけど、その結果どうなるのか想像がつかない)
・ テーマがきちんとある。
・ シリーズがきちんと完結した。

こんなとこかな? あとスタッフが凄く丁寧に、大切に作品を作ってるのが伝わってくるので好きです。

「テーマ」っていうと何か大上段に構えた高尚なもの……と思われそうですが、そういう話ではないです。恋愛を描きたいなら、恋って何だとか愛ってなんだとか、こっちが問いを作品にぶつけたときに返事をしてくれるような「土台」を持っていること。私の考えるテーマ性というのはそれに尽きます。

で、本作のテーマは何だったかというと、批評空間さんの感想でも書いたとおり、やっぱり「愛」ですよ(笑)。要するに、「本当」の「心」って何だろうという。ずーっと延々このシリーズがやってきたことのようにも思います。この作品(シリーズ)は「心」を操るわけですが、じゃあ「心」ってどこにあるのか。どうすれば、その人の魂を手に入れたと言えるのか……。

「私がやりたいのは、もっと深く根本的な、人間そのものの作り替えだ」という伊吹の発言はやっぱりすごく意味深です。その後も、「人間の精神を構成する要素について、何か足りていない気がする」みたいなことを言う。伊吹はその「何か」の答えをすぐに見つけてしまいますが、ユーザーはそんな伊吹をどこか遠くから眺めることになります。

ここは私のブログなのでもう少し踏み込んでみると、結局人間の人間たるゆえんはどこにあるの? というところまで、この作品の射程はあるようにも思う。人間の本質は精神なのか、肉体なのか。そんな感じ。そして、恐らく作品は回答を出しています。スタッフの方がそこまで意図していたかどうかは解りませんが、精神でも肉体でもなくて、「関係」こそが人間の本体である、というような落とし方に持って行っている気がする。

ネタバレぎりぎりのラインの発言になりますが、今回「∞」にはクローン人間みたいなのが出てきました。で、クローンには名前が無いんですね。「クローンA」「クローンB」みたいな感じ。当然肉体は複製だし、精神というか思考みたいなものも基本的に元の相手のコピーということになっているし、クローンたちにはオリジナリティは欠片もない。

一方、街中でいきなり犯されるような「市民」には名前がちゃんとある。声だけの出演でも彼ら/彼女らは固有名詞で呼ばれています。ところが、ユーザーからすると明らかに「クローン」のほうが人間で、名前のある「市民」はただのモブに見える、と。

うーん、ダメだ。上手く言えないな。この辺りはネタバレとの兼ね合いをみながらまた書き直すつもりですが、とにかく衝撃のラストシーンで一気にいろんな可能性が開けるようになっています。

シリーズの謎がほぼ全て、見事に解明されますし、ファンならやらなきゃ絶対損。世間では『ガンナイトガール』や『ガクトゥーン』、『夏ペル』の話で盛り上がっていますが、私の中ではそれらと並ぶことに何ら遜色の無い、2012年末のすばらしいプレゼントでした。

スタッフのみなさん、最高の終わり方を(まだもうちょっと続きそうですが)していただいて、本当に有難うございました。待った甲斐がありました……。

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Veryコレジャナイ

世の中「こだわり」というのはたくさんあります。特に日常使うものにこだわっている人は多く、ブランドはここのものじゃなきゃダメだとか、ペンは重たいほうが良いとか、時計はデジタルよりアナログだとか、色々。

私たちPCのヘビーユーザーの日常品といえばPCサプライ。中でもキーボードやマウスにこだわりを持つ人が多い感じがします。キータッチがどうとか、フィット感がどうとか。

で、マウスのクリック感がどうだとかボールマウスがどうだという話を横目に見ながら、唐突に思ったのです。

おっぱいみたいな触り心地のマウスってないのかな? と。

ぷにぷにっとした触り心地で、突起部分がホイールになっていてそこをカチカチっと押したりできる。どうでしょう。オシャレ感満載ではありませんか。

そして、思いついたら無性に欲しくなる。何たって「おっぱいマウスパッド」があるくらいです。パッドがあるんだから本体があっても良いだろうというわかったようなわからんような理屈に基づいて、とりあえずグーグル先生にたずねてみました。

1fe7eb77.jpg

検索結果。

検索かけると、「おっぱいマウスパッド」がズラリとヒット。あー。まあそうだよねと思っていたら、上から五番目に「おっぱいマウスまとめ」の文字が! これは来たか! と思ってクリックしてみたんですが、やっぱりマウスパッドのほうでした。残念。

検索方法が悪いんでしょうね。今度は、「おっぱい マウス クリック」で検索。すると、「【画像有り】おっぱいマウス、乳首ダブルクリックしちゃうぞ 」なる「がっQしんぶん」さんの記事がヒット。

いやあビンゴです。そうですよ。マウスパッドはクリックできませんからね。さすが私。

喜び勇んでページを開くと……。

おっぱいマウス01
2011年9月30日記事より)

…………。

………。

……。

(;゚ Д゚) …!?

なんでしょう、このコレジャナイ感。ちゃうねん……確かにチクービをクリックとかできるんですが、こんなカエルの親玉みたいな形状じゃなくて、もうちょっと何というかこう、せめて可愛げを……。

その後ユリイスさん(@on_the_armchair)に「そのタイプならこっちの方が好み」と教えて頂いたのが、こちら。ああうん、まあ、さっきのよりは百倍くらいマシですね……。想定とは違うんですが、これなら辛うじてアリ……かな?

なんか「プロジェクトの実態」の絵を思いだしてしまった。

8a232f61.jpg

こんなヤツ。

というわけで私の求める理想のおっぱいマウスは残念ながら発見できませんでした。あるよ! という人いらしたら、是非教えてください。

それでは、本日はこの辺で。また明日お会いしましょう。

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ものの見方あれこれ ~PCゲーム倶楽部を巡って

先日ソフマップの「PCゲーム倶楽部2013」に関するとある記事を拝読しました。こういう、簡潔・明瞭で立場のはっきりした記事を読むと思わず納得してしまいそうになったのですが……。「あー、なるほど!」と思う一方、「あれ? そうなの?」と疑問に感じたことがあったのでちょこっとだけ。(「そろそろソフマップの色紙販売について一言言っておくか」)

別にこの記事をかかれたhalf_moon氏に特別な感情も無ければ、ソフマップに恩も義理もない(つまり私の主張がない)ので本当にただの「言説に対する感想」になりますが。あ、一個あるとすれば、私が「PCげーむ倶楽部」予約いれてるので、その自己弁護でしょうか。

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【関連記事】
[エロゲ/ギャルゲ]「ものの見方あれこれ ~PCゲーム倶楽部を巡って」へのレス」(「Half Moon Diary@はてな」さま2012年12月18日記事)※外部リンク

(「そろそろソフマップの色紙販売について一言言っておくか」「Half Moon Diary@はてな」さま2012年12月14日)※外部リンク

ものの見方あれこれ(2) ~half_moonさんへのお返事て」(2012年12月19日)

PCげーむ倶楽部2013の話」(2012年12月2日)
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まず、深く納得したのは「要するに1月に現金が必要ってことでしょう。なまぐさい話ですなあ。」ということ。ナルホド・ザ・決算期。私は前の記事で「どういう意図でのサービスなのか」よくわからないと書いたのですが、これは真偽のほどはわかりませんが、説得力あります。某大評論家先生風にいえば、「そうかも知れぬ、そんな気もする」。

あと、「気になるのは会員になった人が途中で引っ越した場合」という一言。これはまったくその通りであると思いました。むしろこっちのほうが問題の気がする。基本的に店舗のみでの受け取りなので、そういう事態は十分考えられるんですよね……。私は「旅行中とかに思いだして変なところで申し込むと地獄を見る」とか書いておきながら逆(受取時に場所が変わってしまう)の可能性を完全に考えていなかったので、これは恥ずかしいことです。

-----おまけ-----
※まあこのへんは簡単に調査できますので、ソフマップさんに直接行って確認してきました。電話でもよかったんですが、対面のほうがいろいろ聞けるかなと思ったので。

アキバ☆ソフマップ1号さんとアミューズメント館でそれぞれ質問してみたところ、ともに丁寧に対応してくださいました。ありがとうございます。回答はどちらもほぼ一緒ですが、1号さんのほうが内容について詳しく教えて下さいました。

まず、どちらも「申し込み後住所等が変更になっても受け取りは最初の予約店のみ」というお返事。住所変更等の届けをしてもダメ。あまりにも融通がきかないので理由を問いただしたところ(ウザくてごめんなさい)、店舗ごとに予約数ぴったりを最初に発送するためだ、ということだそうで。

言質はとれませんでしたが、たぶん2月の配布時点で4ヶ月ぶん全て用意されている予定なんじゃないかな。一応例外的に、バインダーを受け取る際に受け取るスタンプカードと本人のソフマップカードの両方が用意されていれば、代理人引き取りも可能だということでした。ただこれ、クレジット機能付きのソフマップカードの場合はほぼ不可能ですね。
-----おまけ終わり-----

▼half_moon氏のおっしゃっていること
個別の議論内容を捨象して再構成すると、half_moon氏の主張はおよそ以下のように読むことができます。

(1) 「PCげーむ倶楽部」は「会員制」をうたっているが実態はただのグッズ販売である。
  (「要するに色紙12枚+バインダーを6300円で売るってこと」)
(2) 「PCげーむ倶楽部」には幾つかの実務的な問題がある
  (ユーザーのリスク等)
(3) 「PCげーむ倶楽部」には3つの「理念的な問題」があり、そちらのほうが深刻である
 [問題1]ソフマップでゲームを買うこととこのサービスの間に何の関連性もない
 [問題2]色紙の有償提供はファンサービスの精神に反する
  (色紙は伝統的にご愛顧に対する感謝の気持ちを表すもの)
 [問題3]全ての有償会員サービスに対する冒涜である

さて、このお話、それこそ氏の「理念」を取り出せば賛成したい部分が多々ある。真摯な方だと(皮肉ではなく)思います。ソフマップさんがあまりお好きではなさそうだなという部分は措いておくとしても、クリエイターのかたのギャランティにまで配慮したり、「行き過ぎた特典商法」に警鐘を鳴らそうという姿勢からはエロゲーや作品・その作り手に対する敬意と愛情を感じます。

ただ、議論としてはちょっと乗りづらく思うところがある。結論より過程で。では具体的にプロセスの何が問題なのか。

上記(1)、(2)については、まあそりゃそうです。特に(1)はグゥの音も出ないくらいその通りです。ただ、「入会」する人のほとんどが「色紙一枚500円計算か」と思っているんじゃないかという気もする。(2)についてもごもっともですが、これはどんな商品・サービスにもある程度リスクはあるわけで、今回企業側のある程度の不親切さ(発送費用削減のために取りに来させる)を除けば、そんなに目くじらたてるほどではないか。実際氏もあまり大きな問題であるとは考えておられないようですし、これ以上踏み込むことはしません。

したがってこれから取りあげるのは主に(3)のこと。一つずつ見ていきましょう。

▼ソフマップでゲームを買うこととサービスとの関係
まず[問題1]について。

うーん。ぶっちゃけるとこれ、問題なんでしょうか……。何かの会員サービスの理念と実態のズレを糾弾するというのは、いささか現実的ではない気がします。たとえば、「日頃のご愛顧の感謝を込めて」というデパートの会員向けバーゲンセール。これ、理念的には「日頃使ってる人」しか買えないはずですよね。しかし、誰も買い物履歴とか参照しないし、下手をすると当日デパートのカード会員になってもそのサービスを受けられる。これは「サービス」と「理念」がズレていますが、まあ良いかって感じでしょう。

とはいえこのパターンは、会員になった後買い物をするから「後から関係を作る」という意味で一応建前的に理念を満たしているのかもしれません。では、次のような場合はどうか。

私は池袋の某百貨店で一度も買い物したことがない状態でカードを作ってもらいました。買い物しなくても作れました。百貨店のお得意様のためのカードを、クレジット機能(VISA)目当てで買い物せずにつくったわけです。使用はもっぱらAmazonです(爆)。当然、作るだけ作ってあとはカード会員の優待割引とかのためだけに利用しても構わないでしょう。こういう例はごまんとあるし、「PCゲーム倶楽部」もまた同じ程度のものではないのか。

つまり、「ソフマップ会員になってくださいね」(ついでに個人情報よろしく)くらいのものとして捉えることに、それほど問題はないと思うんです。前向きに捉えるなら、「これから買い物を考えている人」にも先行投資で配る感じがある。ソフマップで買ったことが無くても今回の購入でカード作ってポイントも溜まったら今後ソフで購入する可能性も増えますからね。

ちなみに、会員制にしておけば18歳未満禁止の絵柄が色紙に使われてもモメることはないし、一応それなりの理由もありそうには思えます。メインではないのでしょうが。

あと、一応秋葉原店に限って言えばエロゲー売ってるか予約を受け付けている場所に申込書が置いてある(原則)し、初日は月末エロゲーを購入するために並んでいた人とエロゲーのイベント引換者のみに手渡しで配布していました。現実問題としてはソフマップでエロゲーを買う人ほど目に入りやすいし、そういう対応を認めても良いのではないかな、と。

もちろんそれを不純であるとか、裏に見えない意図が潜んでいることが卑劣だ、という原則を貫くなら理解できるのですが、そうすると他のいろんなサービスも軒並み批判せねばならなくなる。それは私としては少々窮屈に感じます。

▼色紙はファンのための無償サービスが原則か?
続いて[問題2]について。「ゲームの要素技術を切り売りするような商売」というのは、まっとうな批判であると思います。

しかし現実問題、すでに色紙は販売用グッズ扱いになっている部分もある。たとえばあかべぇさんはコミケで、「あかべぇスペシャル色紙セット」なるものを「販売」します。氏のおっしゃっている「色紙は特典」というのは、エロゲーの業界ではもうメーカー自身がその枠組みを破棄しつつあるのかもしれません。善し悪しは措くとして。

逆に言えば、それが商売として成り立つほどファンからの要望が多いのでしょう。だとすれば色紙販売は、「ファンサービスの精神に反する」のか、「新しいファンサービスの模索」なのか、判断はつけづらいところであると思われます。

少なくとも色紙を売り払うというスタイルは「PCげーむ倶楽部」に固有の問題ではないし、むしろその文脈で言うならば、「PCげーむ倶楽部」は直接の色紙販売という形をとらず、あくまで「会員サービス」として提供しようとしているぶん、ユーザーの希望と「ファンサービスの精神」との間の折り合いをつけている(少なくとも直接販売するスタイルより間接的である)という見方になるのではないでしょうか。

▼「有償会員サービス」に対する冒涜か?
最後、[問題3]。これが結構half_moon氏の議論の中では説得力高そうにも見えるんですが、よく考えるとたぶん、「ファンクラブ」と「会員サービス」を混同しておられる気がします。

「有償会員サービス」は、ファンクラブに限らずたとえばクレジットカード(年会費アリ)もその類です。先ほど例に挙げた百貨店会員なども、年会費があればそうですね。

たしかに「PCゲーム倶楽部」が「ファンクラブ」であればhalf_moon氏のおっしゃるとおりです。しかしこれ、「PCゲームファンのための」サービスであって「ファンサービス」まして「ファンクラブ」ではないですよね。ついでに規約と紹介パンフを読むと、「PCゲームファンのための」という文言も見あたりません。検索をかけた限りですが、ソフマップの公式ツイッターが枕詞に用いているだけかもしれない。(私の見落としだったらごめんなさい)

むしろ全面に押し出されているのは、「ソフマップ会員様のための」のほう。ソフマップ会員限定のオプションですよ、と。

要するに「PCゲーム倶楽部」は、ただの有料サービス(最初から「金払ってくれたらうちのツテで色紙あげます」)と身も蓋もなく公言しているのであって、「PCゲームのファンサービス」ないし「ファンクラブ」として在るべき姿ではない、という批判は今回の場合あたらないように思われます(なぜならファンサービスではないから)。プレゼントという言い方が紛らわしいけれど、入会特典がバインダー。サービス内容が年4回の色紙プレゼント、という。

どうでしょう。この解釈間違っていますかね……。

▼まとまらないまとめ
たぶん、私とhalf_moon氏との間でずっと認識がズレているような気がしたのはここであって、氏は一貫してこのサービスを「ファンクラブ」ないし「ファンサービス」であると捉えているのに対して、私は最初から「有料会員サービス」(会員になって金はらったらサービスが受けられる)として捉えているところなのではないかな、と。だから氏は「エロゲーファンとしての理念」に問題意識が向かうし、私は単に「会費に見合うだけのペイバックがあるか」という即物的なラインに落ち着いたのではないかと思われます。

なんか書いてるうちに問題がクリアになった気がする。今回私頑張ってる?

んで、もしもこのサービスにもの申すなら、むしろ一種の「詐欺」にはあたらないのかとか(こういう「あとからプレゼントします」ということにして実態は何もない会員サービスというのはそもそもサービスとして認められるの? みたいな)そういう路線のほうが糸口があるようにも思われます。実際どうなのか全然知りませんのでたとえばの話ですよ、もちろん。

私は最初、氏がある種の先入観に基づいているというか、結論決めうちをしているかと疑っていたのですが、それはちょっと悪意のある見方だったかもしれないと反省しています。たぶん、いま述べた辺りの認識の齟齬が大きく響いているだけかなと。そして、氏の主張のためにこの議論では足りない、というくらいが妥当なラインかもしれません。

「行き過ぎた特典商法」を批判するなら、おそらくもう少し違った議論が必要です。そのビジョンは私にはまだはっきりとは見えませんが、まず「グッズ」と「特典」の差異をある程度明確に定義し、そもそも「特典商法」の何が問題であるかという具体的な話に入っていくのが先決のように思われます。私なら、「作品への愛情のバロメーターが金銭ベースでしか測定されなくなる」というような論線を張るかもしれません。まあそれは別の話なので、今回は一旦保留しましょう。

とはいえ、大手の始めた意味不明なサービスですし、ゲームメーカーと小売店の微妙な関係というのはそれでなくてもよく取り沙汰される。ですから、この両者の間に(もしご本人にその意図がなかったとしても)「隠れた対立関係」や「不平等」を読み込んでそれを「暴露」してみせれば、短絡的に乗っかる人が増える可能性が高い。そういう事態に「警鐘」を鳴らしておくことは、一応必要でしょう。もちろん、自戒も含めて(私自身よくやってしまうことですから)。

情報を発信する側も、また受け取る側も、果たしてある結論がプロセスからの論理的な必然なのか、それともどこかでジャンプがあるのか。ジャンプがあるとすればなぜ飛んだのか(往々にしてそういうところにこそ、筆者の言いたいことの本質が出る)。そしてそのジャンプは妥当か否か、というところに注意を払っても良いのかなと。それは、いたずらな「推測」がゴシップ誌のような「憶測」になり、意図せぬ被害をどこかに及ぼすことを避けるのに重要だと考えています(風評被害というのはそういうものである、と)。

結論こそ大事という立場や、むしろ結果を出さねばと言う実行主義の立場もあり得ますが、私は原理原則主義なのでこういう言い方になる、というくらいに考えてください。

あ、もちろんこれは実態としてhalf_moon氏のおっしゃっていることが間違っているという話ではありません。100%完璧に当たっているかもしれない。だとしてもあんまり今回の私の話には関係がありません。

また、ソフマップさんがちょっと手抜きすぎかなというのは、そうかなと思いました。そして、half_moon氏の掲げておられる理念についてはむしろ賛成に近いです。単に、氏のロジックから導かれる結論としては飛躍があったり、前提に誤解があるように見える、というだけです。

私の言いたいことをまとめると、およそ次のような感じ。

・ half_moon氏の主張内容と論証はたぶんずれている。
・ 氏の主張には賛成したい。
・ ただ、「PCゲーム倶楽部」に戦う議論としては妥当ではない気がする。

批判的に検証する形式をとりましたが、繰り返すように内容というか問題意識みたいなものは私も重要だと思うので、なるほどです。同じものを見ていても立場によって大きく見え方は変わってくるのだな、ととても興味深い記事でした。

この場でのことで恐縮ですが感謝を申し上げます。

以上、不明瞭・グダグダで立場がどこにあるかはっきりしない人間のたわごとでした。

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せんきょをしらないこどもたち

自民党だけで過半数越えの294議席。予想される自公連合で三分の二(「圧倒的多数」)越えというとんでもない結果に終わった第46回衆議院選挙(2012年12月16日執行)。色々な人がいろいろなことを述べておられますが、私も少しだけ、日本の未来を憂う(笑)有権者として思うところを書いておきたいと思います。

▼私の投票先
まず私は、小選挙区で自民に入れました。余り具体的に言いすぎると所在があれでナニするのでぼかして書きますが、改憲や原発について各党の候補は殆ど似たような意見でした(ちょっと意外)。共産の方は当然改憲反対でしたが、まあ他は似たり寄ったり。割とどの候補も中立的で落ち着いた意見。

で、まず実現不可能なドリーミーなことを除外して政策を比べると、みんな同じようなことしか言っていなかった。ということは誰選んでも大差ないかなというところだったんですが、自民の候補はプラスアルファで教育や外交問題でオリジナルな意見を出していたので、「誰を選べば最も良い施策が期待できるか」で考えれば自民の人になるかなと。積極的に選んだように言ってますが、ぶっちゃけ消去法と言えなくもないですね。要は、一人だけちょっとちがうこと言っていたからです。

比例は民主に入れました。理由は二つ。一つは積極的に、原発対策の継続をしてもらいたかったから。目下継続性という意味では民主がこの問題に対して適任なわけで、ついでに泥船は御免とばかりにやる気のない人は逃げ出したので、まあアリかなと。二つ目は消極的理由で、恐らく自民党が圧倒的に勝つだろうという予測に基づき、「自民党にそこまで全部お任せするつもりはありませんよ」という反対意見を表明するためです。その反対意見の受け皿として選ぶなら第二党でないと意味が無く、維新になるか民主になるか悩んだのですが、維新は「太陽の党」とのゴタゴタがあったのでたぶん大きく伸びることはないだろうという予測に基づき、民主に入れました。結果、民主は大差がついたとはいえ第二党になったので一応読みは当たったかたちですが、それにしたって維新伸びすぎ、民主崩れすぎ。これはちょっと予想外でした……。

ただ、一応自分としては投票でハッキリした意思表示ができたので、その意味では満足のいく投票でした。

あ、最高裁国民審査は岡部氏と大谷氏に×をつけました。岡部氏は表現問題、大谷氏は著作権関係を巡る考え方で私と大きくひらきがあるな、と思ったので。というか国民審査は「白紙で出すと信任」になるので、よくわからない・興味がないという人は「投票用紙を返却することで棄権」するのが一番良いといわれています。

▼自民の「圧勝」は国民の総意なのか
さて、今回自公が「圧倒的多数」をとり、文字通り「圧勝」したわけですが、これをどう考えるか。私としては正直、避けたい事態でした。

東京新聞が12月17日付けの記事で、「有権者は白紙委任したわけではない」と言っていますが、これは正直何を馬鹿なこと言ってるのかという感じです。問題は事実として「白紙委任状」を渡したのと同義になっているという、そっちのほうではなかろうかと。「渡したわけではない」のではなく、「渡すつもりはなかったのに、渡してしまった」ならわかります。いや、渡すつもりあった人も多かったのかもしれませんけれど、少なくとも私には、渡すつもりはなかった。

実際、こんなデータも出ています。「自民の比例得票率、大敗した前回選とほぼ同じ」(讀賣新聞2012年12月17日)必ずしも積極的な自民支持に「転じた」とは言い難い状況もある。

改憲や、あるいは経済的混乱を打開するために「断固たる」改革を必要であると考える人にとっては、この結果は望ましいものなのでしょう。大きな改革を行う為には強い力が必要になるわけで、多少強引にでも政治を引っ張っていくパワーが生まれたということは喜ばしい。

しかし、私はそこまで――つまり、彼らが何をやってもついていきます、というくらいにまで――自民党を信じられるかというと、まったくそんなことはありません。もちろん民主党(特に昔の)よりゃマシだろうなとは思いますが、それはただ「マシ」なだけであって、自民党を積極的に、諸手をあげて歓迎したいというニュアンスでも無い。誰かが言っていましたが、消去法で自民党になった、というほうがしっくりくるわけです。

実際、マスコミ各社の記事や世論調査を見ても似たような傾向は多い。つまり、「他に入れるところもないし自民党」というニュアンスがつよい。そして、もし多くの国民がそう考えていたのだとしたら、今回の選挙にはその「国民の意思」はただしく反映されてはいないと私は考えます。

どういうことかというと、単独で「絶対安定多数」(269議席)を確保し、連立で「圧倒的多数」(320議席)をしのぐというのは、明らかに「自公さんが何をやっても国民はついていきます」という意思表示です。政治不信が騒がれる現状、こんな結果になるのは奇妙といえば奇妙。もちろん、熱狂的に自民党を支持している人も増えているのだとは思いますが、それにしたって前回の選挙から考えると増えすぎです。

恐らく直接の原因は、政党が分裂しすぎたせいです。そりゃ自民以外に入れようってなったときに候補がいくつもあれば迷う。分散する。こりゃもう、明らかに第三極とかの連繋ミス。自民の比例が前回と同じくらいの得票率であるにもかかわらず、結果がひっくりかえったのはそういう背景があるでしょう。

しかしもう一つ。政党だけではなく国民の側にも問題があるように思われる。それは、国民の多くが選挙制度を通して、どのように自らの意思を国政に反映させるかということに対してあまりにも無頓着なために生じた現象ではないかということです。つまり、「自民が政権をとれば良いとは思う。でも、圧倒的多数はやりすぎだろう」と思う人は、いろんなやりようがあったはずなのですが、そういう手段を「自覚的に」選んだ人が、果たしてどれほどいたか。

要は比例を「自民」と書かなければ良いわけです。もしくは小選挙区で自民以外に入れて、比例では自民にいれるとか。(バランスばかりを元に入れる必要は無く、基幹となる政策への賛否で決めるという態度はもちろん重要です。ただ、そうすれば必ず良い結果になると信じすぎるのは微妙だと思うのですが、どうでしょうか)。

データ的なことを言えば、今回小選挙区で「維新」を選んだ人は相当多かったことがわかっています。もしかつての比例方式なら、だいぶ違う結果になっていたでしょう。(参考:「what_a_dudeの日記」2012年12月17日記事「もし全国1区比例代表ドント方式なら議席配分はどうだったか」)

これはもちろん「制度的な問題」であるわけですが、別の言い方をすれば、現状の制度であればこういう事態をある程度避けられないと言われていたにもかかわらず、その制度内で何とか民意を反映させるような有効な手段を考えなかった国民の問題もあるのではないか、というのが私の問題提起です。実際、選挙制度改革を至上命題として訴えている某党はあんまり注目されなかったみたいですし。おすし。

まあちょっとゴリ押し気味なのは自覚していますが、やはり「完璧な制度」はどこまでいってもあり得ない以上、運用でなんとかするのが重要だと思うのですよね。そして、こと日本の選挙はその運用の部分がちゃんとできていないというか。そんな感じ。

理念的なことで付言すれば、選挙は当選か落選かという「オールオアナッシング」ではなく、「50%賛成」や「70%賛成」を表現することもできる。それが、民主主義という「制度」の活用であると私は思っています。たとえば、落選しても対立候補がもの凄い追い上げを見せたら、当選した候補は「こりゃ迂闊なことをするとそっぽ向かれるな」と危機感を抱くでしょう。その意味では、敗れた候補者への投票も単純な「死票」とはならないはずです。

ところが、高校の政治経済の教科書をひらくと、「死票」は当選しなかった候補に投票して意味がなくなった票、みたいなことが書いてあって、こりゃアカン……と思うわけです。や、単純な語句定義なのかもしれないんですが、それにしても中学や高校で、選挙や民主主義のシステム的な意味を考える機会がなければ、私たちはいつまでたっても投票のバランスを考えて、民主制度を活用することなどできないのかもしれません。

つってもさっき言ったように、今回は反自民の受け皿がもの凄い分散しちゃったんで、ホントにどうしようもなかったかも。

▼自民の「圧勝」は良いことか
先ほども述べましたが、強い改革を推進するためには良いことだと思います。

ただ、私は個人的な立場としてあんまりうれしくない。というのは、私がエロゲーマーだからです。

エロゲー勢はつい最近も、表現規制問題やら児童ポルノ問題やらで国家権力と壮絶な戦いを繰り広げていましたが、結局のところ「少数派」です。他にも少数派というのはたくさんいると思うのですが、そういう人びとにとって、政府が「強く」なることは、じつはあんまり望ましくない。なぜなら、強い政府ほど「少数派」の声が届きにくくなるからです。

当たり前の話ですが、政治家は「支持者」を大事にして政治を行います。支持者の信任を得て国政を担当しているのですから。このとき、もしその政治家の人気が「ギリギリ」だったら、敵を作りたいとはあまり思わないでしょう。下手に藪をつついてネガティブキャンペーンでもされたら、たまったものではありませんから。

ところが、もし圧倒的強者だったら、多少の敵なんかねじ伏せて自分のやりたいことをやるのは目に見えています。独裁者というパターンですね。

むろん、自民も一枚岩ではないからことはそう単純にはいかないにしても、やはりこれまでと比べると圧倒的に強気な戦いができる政府であるということは間違い在りません。また、これだけの成果を残した党代表にはなかなか逆らえないという側面もあるでしょう。首相としても2度目だけに、前回の「反省」を活かそうという意気込みもみてとることができます。議員としても、少数の有権者の声よりも党の命令大事、という人は当然増えるでしょう。

じゃあ具体的に言えばどんなことが想定されるのか。

表現規制問題で、たとえばPTAから「児童ポルノ規制しろ」という話が出たとします。「弱い」政治家なら、これには乗り気にはなれない。なぜなら、PTAの要望はある程度無視しても指示が減るということはそこまで考えられませんが(直接的に不利益が増えるというわけではないから)、下手に表現規制問題にクビをつっこんだら、何千人、何万人の反発を買う可能性があるからです。あるいはもしも、PTAの要望を聞いて規制に乗り出したとしても、そのPTAたちを上回る勢いを規制反対派が見せれば、引き下がる可能性が高くなります。

しかし、1万人や2万人がガタガタ言ったところで関係ないや、という状態になっていたらどうでしょうか。少数派の意見など特に聞く必要も無く、「強引に」改革することが可能となります。このとき注目したいのは、PTA側の要求もまた、通りにくくなっているということです。つまり、1万人のPTAの署名を見せて嘆願しても、その人数の持つ効果は相対的に薄れてしまう。何が言いたいかというと、結果的に規制が行われたか行われなかったかとは別の問題として、自分たちの主張が聞き入れられるかどうかが自分たちの努力より、政治家の好みのほうに左右されやすくなるということです。PTAがどんなに頑張っても、政治家が規制反対派なら聞く耳をもってもらえない。

ですから、私たちのような「少数派」としてのアイデンティティに重きをおき、しかも現実問題としてお国とドンパチやらかしてるような人たちは、本来なら今回のような「圧勝」は避けたほうが、自分たちの声を政治に届けやすいわけです。そして多くの人はたぶん、自分の中に「少数派」な部分を持っていると思うので、保険として政党間の「バランス」を取ることも意識しておいたほうがいいのではないかな、と。もちろん、バランスをとったからといって民主党も規制に賛成、とかなって結局ダメという可能性はあるし、自民一党独占状態でも、党内の意見対立によってバランスをとることは可能だと思いますけれども。

▼若者は投票にいくべきか
いきましょう。

これは単純な話で、少子高齢化が進む現在、ますます「若者」の選挙に占める割合は少なくなっています。実際今後の国政は、ますます高齢者向けの施策が多くなるでしょう。国民全体に利益があることを除けば、ワリを食うのは若者世代ということになります。

この状況を少しでも良くするには、若者が少しでも多く選挙に行き、若い有権者の票の力を候補者に認めさせねばなりません。候補者が、「あいつらのこともちょっと考えないとな……」と思うようでなければならない。もちろん、候補者や高齢者の「おなさけ」で、彼らの役に立つ範囲で「若者を大事に」して「頂く」ことはできるかもしれません。でも、そんなことをして頂いても嬉しいかという話。本当に自分たちのためになる政治・ためになる政策を求める運動というのは、やはり若者たち自身でやっていく必要があるんじゃないかなぁ。涙をこらえて歌うだけでは、余りにも悲しすぎるので。

あ、私も若者ですよ……ね。もちろん。

▼いちばん偉い人へ、いまなにをするべきか
最後はこれなんですが、正直、いま「安倍内閣はダメだ」みたいなことを言っても始まらないと思うんですよね。そういう意見、しょっちゅう見るんですが、一体なにが言いたいんでしょう。はっきり言って、「安倍を選んだお前等はバカだ、これから酷い目にあって反省しろ!」と叫んでいるようにしか聞こえない。ごく一部ですがホントに「自民に投票したヤツはゴミだ」みたいなこと言ってる人もいますし……。それこそ大きなお世話で、そう叫んだから何になるのかっていう話です。

建設的な話をしたいなら、安倍政権になることはひきうけたうえで、今後の対応を考えるなり何なりがあると思うのです。

現行政権に対して危機感を煽りたいとか警鐘を鳴らしたいというのならわかります。わかりますが、それならそれで言い方がある。もっと具体的には、「どの層に向けて言うのか」というターゲットの問題を考えないといけない。

もともと安倍政権に批判的な人たちは、いまさらそんなこと言われなくてもわかっています。彼らの同調を得たいだけならなんぼでも叫べば良いけど、それって空しいだけですよね。ツイッターで言えば、仲間内だけでリツイートとお気に入り登録を繰り返して人気者気分を味わっているだけ、みたいな。まったくの無駄とは言いませんが、効果は薄いと思います。

では、安倍政権バンザイの人にぶつけたら? これは当然無意味です。聞く耳もちません。信仰と信仰の衝突。宗教戦争勃発です。不毛のきわみ。

ということは狙いは、「とりあえず自民に投票はしたけど、そんなに深く考えていたわけでもない人たち」のはずです。そういう対象を、どうしたいのか。叱りとばしても反発を買うだけですから、そりゃ味方に引き入れたいのでしょう。引き連れてデモをするとか。しかし、「圧倒的多数」を確保した相手にそういう手が通じにくいということこそ、まずまっさきに認めなければならないことではないのかという気がする。

何が言いたいかというと、もう自民政権を一気に瓦解させるとか、国民を「啓蒙」して反自民にして大革命とかいうのは困難だと思うわけです。現実問題として。ならば、いまの政権の中でどれだけ自分たちの主要な要求を通していけるかということを考えるほうが大事なんじゃないか、と。撤退戦だと言われるかも知れませんが、そりゃもうあれだけ派手に自民が勝ってる時点で、それに抵抗するなら撤退戦です。そこを放置して勝ち負けの戦いをしてもしょうがない。

たとえばですが、自民党の中で自分たちと比較的意見の近い相手を探してリストアップし、彼らの発言力が大きくなるように働きかけるとか、逆にどうやっても絶対無理、という相手を見つけて監視するとか(これはやってる人多そうですね)。高潔な理想を掲げ、叫べば良いというのは立派な「永遠の野党」的発想であって、政治への働きかけを考えるならそれでは済まないだろうと。

実際、そういう活動にすでに移っている方もおられますし、私が見ている以上に多いのかもしれません。自民の悪口と、自民に投票した人の悪口をいってるだけというほうが特殊な例なのかもしれませんが、まあでも、そう言う人の方が目立つってのはあると思うんですよね……。

それ以前に私みたいな口先だけのヤツに何か言われること自体がお嫌かもしれませんが。

なお同様のことは私のように自民に投票した人にも言えることで、反-自民の人が言っている重要なポイントには耳を傾け、自民党政権が舵取りをあやまらないよう注意していかねばならないと思います。

これは綺麗事ではなくて、政府が強い力で政治を運営するようになったのだから、国民の側もある程度一致団結して、その政府のコントロールをしないといけないと思うんですよね。それなのに無駄に対立を煽ろうというのは馬鹿げているし、今回は自民に「乗った」人が圧倒的に多いのだから、反-自民の側は戦略的に多少迂回する必要もあるのではないのかな、と。

……まあそういう器用なことは難しいから、今回みたいな選挙結果になったといえばその通り。

▼じゃあお前は何してんのよという話
これが問題ですよねー。エラそうに講釈たれて、じゃあお前はどうなの? っていう。実際のところ、私は未来への展望をいまのところあまり持っていません。というか安倍政権が実際どう動くかは未知数だし、たぶん実際に大きな動きを取るのは参院選の後ではないかと考えているので、その間の様子を見ながら考えるしかないと思っています。

ただ、今回の選挙の「反省」はある程度しておかねばならないとも思った。そういう意味では私の関心は、民主主義制度について一人一人がもっと意識と知識を持つことになるのかもしれません。私自身まだまだ勉強しないといけないことは山積みですが、そうした問題意識の「実践」として今回のような記事を書いてみた次第です。書きたいことは多々あるし、目配りが行き届いていないところも同様に山のようにあるとは思うのですが、ひとまずここで〆に。

今日はリアリティの話続けようかというところ、タイムリーな話題と言うことで選挙に乗っかってみました。一応自民政権で良いとは思ってるんですよ。できれば僅差勝ちが良かったというだけで……。まあ徴兵制は勘弁してもらいたいなあ。エロゲーできなくなりますし。

なんか中途半端につっこんで終わったなぁと思われたらごめんなさい。でもいまはこれが精一杯。

そんなわけで、これにておわかれ。また明日(。・x・)ゝ。


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「リアリティ」なる語を巡って(1) ~私たちは沈黙すべきか

先日、このようなツイートがタイムラインにリツイートされてきました。






私もこれをリツイートしたのですが、諸手をあげて賛成というわけではなかった。逆に、私はこの考えには乗れないところもあるな、と。今回はちょっと鳥山氏のこの発言をたたき台にして、再び「リアリティ」について考えてみたいと思います。

さて、まず鳥山氏のツイートは番号が振ってあることからも明らかなように、一部抜粋です。もう少し大きな話の中でくだんの発言がなされた。というわけでこれらがどういう流れで出てきたかを確認しておかねばなりません。拝見したところ、合計6つのツイートで構成されていました。全文はこうです。

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(1)『ガールズ&パンツァー』に否定的なフォロワーさんが散見されるので軽く説明を。まず、戦車と少女というフェチの組み合わせに嫌悪感を抱いている場合は、ストーリーがどんなに面白かろうが、否定的な感情しか湧かないので視聴を止める以外の解消方法はありません。これは異常な事ではなく……
元ツイート

(2)……創作物を見る際に誰にでも起こりうることです。たとえば、私はバンド+少女というフェチの組み合わせがどうしても理解できなかったために、『けいおん!』は十数分で視聴を止めています。そうしないと、今度は自己正当化を始めることが分かっていたからです。完璧な作品がない以上……
元ツイート

(3)……どんな作品でも批判は可能です。前述した『けいおん!』の場合は、バンドを組んだ女の子が全員美人なのは「リアリティがない」とか「画面に女性しか登場しないのはリアリティがない」とか、いくらでもケチのつけようがあるわけですが、そこが嫌悪感の本質ではありません。
元ツイート)

(4)……『ガールズ&パンツァー』の場合も、同様に戦車を初心者の少女が自在に操っているのは「リアリティがない」とか、砲弾が命中しているのに死傷者が出ないのは「リアリティがない」とか、いくらでもケチはつけられますが、そこが嫌悪感の本質かどうかをもう一度再考することをお奨めします。
元ツイート

(5)創作物を批判する際に「必要性がない」とか「リアリティがない」はマジックワードで、自己の嫌悪感を正当化する際に頻繁に使われますが、その一方で批判した作品以上に「リアリティがない」作品を称揚するケースが多く、ほぼ例外なくこの手の批判者はダブルスタンダードに陥ります。
元ツイート

(6)また、その点を指摘されると、自己弁護のために詭弁を繰り返す悪循環が発生します。そうなる前に、自分の「好き・嫌い」の感情を信じましょう。嫌いな創作物を無理に見る必要は全くありませんし、嫌いである理由をひねり出す必要もありません。「嫌いだから見ない」で十分です。
元ツイート

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どうやら、『ガールズ&パンツァー』の作中描写を巡っての話だったようです。

この後、氏は他の方とのやりとりの中で「フェチ」と「リアリティ」を結びつけ、「「リアリティがない」という批判は「自分の強迫観念と一致しない」と同義だと思います」と述べておられるので、氏の言わんとすることはおそらく、次のようにまとめることができます。

作品を批判する際によく持ち出される「リアリティ」や「必要性」(今回の場合は、『ガールズ&パンツァー』という具体的作品への批判)というのは、あくまで主観的な嫌悪感を自己正当化するための客観的装いであって、本質的には意味のない「マジックワード」(※1)にすぎない。作品というのはそもそもやろうと思えばどんな批判も可能であるから、批判自体は成り立つだろう。しかし、それは「嫌悪感の本質」では無い場合がほとんどである。そして、そうした「自己正当化」は矛盾をうむ。なぜなら、もし「リアリティ」の無さが「嫌悪感の本質」だとしたら、この世に完璧な作品は存在しえない以上、その人は全ての作品を嫌悪するか、ダブルスタンダードにならざるを得ないからだ。よって、嫌悪感を中途半端に理論武装するより、素直に「嫌いだから見ない」で良い。

※1)…ここでの「マジックワード」は、「バズワード」のような意味で用いられており、Wikipediaで紹介されている「人を動かす魔法のことば」というニュアンスとは少し違うと思われます。

氏の論旨は明快で、私としては同意できるところが非常に多い。まず、「リアリティ」という語が便利に使われすぎている(マジックワード・バズワードである)というのは同意です。この辺りは私自身も、大昔の記事でもちょっと触れたところ。そして拙記事をお読み頂ければ、大略同じような認識をしているにもかかわらず、その時の私の結論が鳥山氏のそれと全く逆になっていることがお解りいただけるかと思います。

物語が創作である以上――というより、ことばで書かれたものである以上、生の現実とは確実に違うモノです。だから、その違いを「リアリティ」ということばで表現するなら、どんな物語に対しても「リアリティが無い」と言えてしまう。すると、何か明確な定義がなければ「リアリティ」という語は何を表現しているか解らない語になる。これはまあ、よくわかります。

現実との整合性だといえばそうですが、その整合性を判断する客観的な基準はないだろ、というのがここでの問題でしょう。それは結局、個人の恣意に委ねられるしかない。たとえば『キャプテン翼』は明らかに物理法則を無視したシーンがあり、それは「リアリティが無い」と言えます。しかし、勝負の興奮や少年時代の心理描写はとても「リアリティがある」と言う人はいるかもしれません。そして、「リアリティが無いからだめ」というとき、その人は無自覚に、「物理法則のリアリティのほうが優先」という選択をしている。この辺に恣意性が垣間見えますね。

そして鳥山氏が述べておられるもうひとつのこと。それは、「自己正当化」でした。自分がその作品を嫌いであるというそのことが、おそらくは先ほど書いた「リアリティ」の恣意性の部分と結びつきやすいのでしょう。自分が気に入らない・嫌いだという直観はその時、「リアリティ」という語の解釈の中に隠蔽され、都合の良い批判ができあがるというわけです。

この分析はまことにごもっともで、ほぼ全面的に同意したいところです。しかし今回問題にしたいのは、その後の部分。すなわち氏が、「嫌いである理由をひねり出す必要もありません。「嫌いだから見ない」で十分です」と述べておられる部分です。

氏の言わんとすることを雑駁……を通りこして超訳風に要約すれば、「嫌いなら黙ってろ」(文字通り黙るという意味ではなく、その感情を無理に別の「嘘」に置きかえるなという意味)でしょう。しかし、本当にそれで良いのか? と私は思うのです。

「リアリティ」という語が「マジックワード」であるというのと同様、「嫌悪」もまた、きわめて多様なニュアンスを含んでいます。たとえば気色悪い虫に感じる嫌悪感と、犯罪者に感じる嫌悪感と、嫌いな食べ物に感じるそれとは、全て同じでしょうか。私の場合、どれも微妙に異なります。

物語が現実の反映ではないというのを伏線にしたつもりなのですが、ことばというのはそもそも現実の切り取りであって、現実そのものではないのですから、私たちの感情そのものを表現することはできません。ならばそれは、「リアリティ」と名指そうが「嫌悪」と名指そうが、大した違いは無いといえば無いわけです。むしろ肝心なのは、そう名指すことによって人が、いったいどんな感情を表現しようとしていたかという内実のほうではないのでしょうか。

鳥山氏はおそらく、「なんのために」そう名指すのかということに注目されたので、「黙れ」という結論になるのだと思います。しかし、私に言わせればそれは思考停止、あるいはもっと酷い思考放棄を招いてしまうのではなかろうかと。ことばを紡ぐ者として肝心なのは、自分の嫌悪がどんなものなのかを突き詰めて考え・伝えようとすることであり、それを読む者は相手が何を伝えようとしているのか、真摯に耳を傾けることではないのでしょうか。

ことばというのは、伝えようという意識によって紡がれ、受け容れられるものです。一人で自己完結して構わないなら、ことばなど要らないのですから。ことばに関わろうとする者はだから、交流の可能性に絶望してはいけない。私はそう信じています。

たしかに、本当に中味なんて無い、ただ叩きたいだけで「リアリティが無い」とがなり立てているような感想というのはたくさんあります。むしろ氏の本当の仮想敵は、自分の嫌悪をタテマエで隠すような人ですらなく、そっちではないかという気もする。しかし逆に言えば、その人は少なくとも発言したくなるくらい何かをその作品から感じ取っているわけです。いったんそのことを引き受けて、「リアリティ」なり「必要性」なりということばでその人が言おうとしていたことは何なのか。それをすくいあげることもまた大事なことのはずです。

同時に、発言する側も自分が言いたいことは本当に「リアリティ」ということばに載せて良いものなのか、もっと適切なことばはないか、あるいは何故自分がそのことばを選んだのか等々考えるべきことは多いでしょう。「恋愛のリアリティ」と言うとき、自分は登場人物の心情を重視しているのか、それとも行為(電話の頻度や会話の内容、コンドーム買うか云々)を重視しているのかで、同じ「リアリティ」や「必要」ということばも内実は変化するのですから。

肝心なのは「リアリティという語が自己弁護のために使われている」という政治的背景を暴露することではなく、「中味の無いことばになっているから「リアリティ」という語からはその人の真意が見えない」という認識にたって「真意」を見極めようとすることです。「「嫌いだから見ない」で十分」という結論は、その「真意」へ近づく可能性を放棄しようという態度に見えてしまう。

私は、鳥山氏の「嫌いである理由をひねり出す必要もありません」とは逆に、無理にでもひねり出してみるのが良いと思うのです。そうすれば、矛盾があれば誰かがそれを指摘し、その矛盾によって自分の真意のありどころがより明確になるのですから。「キミの言ってること、こことここで違うよね。どっちが本当に大事なの?」と言われてようやく、自分の言いたかったことに気付くというのはとてもよくあることではありませんか?

鳥山氏は「自己正当化」の卑怯さと不毛さを批判なさりたかっただけで、ことばの内実を突き詰めることを否定してはいない、と言われるでしょうか。たぶんそうなんじゃないかなと思います。あるいは、自己を正当化するのではない、本当のことばを紡げと言っているということなら、私が述べてきたことと同じ(ことばを突き詰めろ)とおっしゃっている部分があるのはもちろんわかります。ですから、私がいま述べていることは既に、鳥山氏への直接的な批判という文脈からは外れかかっているのかもしれません。

けれど、氏の発言の結びはやはりことばからの逃げを宣言するものであるように私には見えてしまった。「嫌いだから見ない」では十分ではなくて、そこから「私の「嫌い」って何だろう? 「リアリティ」がないことかな? その線で説明してみよう……」と語り、他の人がそれを聞いて、「ふーん、そんなもんかね。でもさ……」と考えることのほうを、私は目指したい。どれほど大変でもしんどくても、私はことばによって交流することを諦めたくはないし、それなら「リアリティ」という語が空虚だから語るなというのではなく、その語に実際に込めたかった意味は何なのか、考えることから入りたいなと。

もっといえば、鳥山氏の批判や私の批判もまた、広い意味では自分の感じた「嫌悪」を何か形にしようとしているのではないでしょうか。少なくとも私は、氏のツイートに感じた違和感や不満を語りだそうとしている。そして、氏が私に「嫌いだから見ないで十分」/「好きだから見るで十分」と言われるならば、それに対しては頑なに抵抗すると思います。「嫌いだからこそ(好きだからこそ)語りたいのだ」と。

ちっちゃいブログではありますが、ことばを紡ぐ世界の端っこのほうで生活する身分として、そんなことを思ったのでした。

と、今回は鳥山氏の発言に対する話ばかりになってしまって、肝心の「リアリティ」なる語についてはちょっと踏み込めなかったので、その辺はまた後日改めてやるかもしれません。長くなったので本日はこのあたりで。お付き合いありがとうございました。


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体験版レビュー:『LOVESICK PUPPIES』

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タイトル:『LOVESICK PUPPIES』 (COSMIC CUTE/2013年1月25日発売予定)
原画:三九呂、羊箱(SD原画)
シナリオ:安堂こたつ
公式:『LOVESICK PUPPIES』 OHP (※リンク先18禁)
定価:8880円
期待度:A (A~F)

――過去は比べるためにあるんじゃない。越えるためにあるんだ。

というわけで(何がというわけなのかわかりませんが)、『LOVESICE PUPPIES』の体験版感想など。

いちおー「わけ」を申しますと、「体験版レビューキャンペーン」なども実施されておりまして、まあそれに向けてちょっと書こうかというので書いていたのです。〆切は14日で、たぶんギリギリ間に合ったでしょう。もう用済みといえばそうなのですが、本来ブログにあわせて絵などを入れる前提で書いていた体験版感想だったので、こちらではそれを補うかたちで一応残しておこうかなと。なんせ、「体験版のキャプチャ画像をご掲載いただいてもかまいません」ということなので、こりゃやりたい放題できるぞという。うふふ。

やっぱり、ゲーム画像好きに貼って良いとなると、かなり楽しく感想とか書けるんですよね……。なにより説明が楽だし。

さて全体の印象としては、まず非常に楽しい。そして楽しい中にもシリアスが混ざっている……というよりは、シリアスな中に楽しさが混ざっている、というほうが正確な気がします。楽しい→シリアス→楽しいという往来をするのではなくて、キャラクターのシリアスな意識が常に底を流れていて、でも普段はそれを「ネタ」で覆っている。だから、ギャグからシリアスへの繋がりがスムーズで違和感を感じさせません。流れるように物語が展開していって、全然疲れないし飽きない。良い作品です。

それではちょっと個別の要素を具体的に見ていきましょう。

▼システム
システムについては、基本的なところは全て揃っている感じ。特に、各種ショートカットの設定ができるのは便利。キーボードだけでなくマウスも割り当てることができました。Hシーンと通常シーンでウィンドウの濃度を調整できるのも良いですね。あと欲しいのは、やっぱりシーンジャンプ・「一つ前の選択肢に戻る」などの、大規模な移動かなあ。

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あてってうれしいSC設定。その他、基本的なところは揃っている。


▼演出
個人的にはですが、かなり力が入っていて、しかも成功していると思います。たとえばコンフィグで、「時間帯によるキャラクターの色補正」なんて項目がある。しかも、とりあえずつけてみた死に設定というわけではなく、あると無いとで雰囲気というか臨場感みたいなものがぐっと変わることに驚きました(夜の映画館とか)。

また、テキストウィンドウのキャラ絵も連動して動いていて、割と芸が細かいです。立ち絵を自由自在に動かし、画面をフルに使って、物語の「時間」と「空間」をうまく表現しているなぁと。まぁこの辺は実際体験版をプレイしてもらうのが良いのだと思いますが。巷ではぬるぬる動くういんどみるさんの「E-mote」が話題ですが、もちろん単純に較べるモノではないにせよ、静止画文化もまだまだ捨てたもんじゃないと認識させてくれます。

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立ち絵のバランスで距離等を表すのは基本だが、しっかりやれば幅広い表現が可能になる。


芸が細かいといえば、携帯端末(PDA)の出し方も面白い。基本的にはキャラ紹介や「報告書」作成に使われるくらいですが、単純な物語の進行(作品内世界)から離れた、外部情報をまとめて提示するのに上手く活用されているな、と思いました。こういうのって作中の地の文に入れるとそこで作品から離れてしまうし、かといって無理矢理内部世界にねじ込むと説明セリフになってやっぱり違和感が残るところなので、微妙な中間点をうまく縫って進んだな、という感じ。

あとは、PDAのボタンを押すとか、そういう操作ができればなおよかったかもしれません。一応ゲーム内のシステムボタンがそれにあたることになってはいますが、HOOKソフトさんの『SuGirly Wish』にあったPITシステムみたいなのでも、と。かえって操作が面倒かなあ。まあ難しいところです。

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プレイヤーへの「説明」を担うPDA。途中からぷりちーな擬人OSになって愛着も倍増。


一番気に入っているのは、織衣とバスを待つシーンか、雨の中自転車を押して並んで歩くシーン。前者は1枚の絵に物語を閉じこめて圧縮している感じが、後者は静止画を組み合わせることで普通に動いているアニメーションより心の動きを綺麗にきりとっている、物語的「躍動感」が凄く良かった。ちょっと自分でも何言ってるか解らなくなってきた……。前者は綺麗なイラストを、後者は面白い漫画のコマを見ているというか、だいたいそんなところで。

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おそらくは体験版のハイライト。明らかに「狙って」いるが、狙い通りやられてしまった。絵の動きは止まっているのだが、降っている雨も、歩いている二人も、自転車を押す音や、空を見上げる織衣の息づかいまで浮かんでくるような動きのあるシーンになっている。


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私が一番好きなのはこちら。その場の雰囲気を写し取ったかのような1枚。切り取られた部分から、描かれていない余白をどんどん想像できる名シーンだった。


▼CG
あ、スゴイ綺麗です。言うこと無し。でもエロシーン無いからな! まだ何とも言えません。キャラクターの表情が凄く良いのは印象的でした。バリエーションも豊かだし。

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立ち絵の表情は勿論、Hシーン以外でも差分で表情がころころ変化する。基本コミカル路線。


どうでも良いけど、ソーニャが両手を広げるあのポーズ、『WHITE ALBUM2』の雪菜さんを思いだして切ない気持ちに。いや、こんなポーズのキャラ他にもいっぱいいますけど、髪型が微妙にアレだし設定もなんか歌姫っぽいし。そこんとこどうなんでしょう。バンザイしてるほうはぽんこつ娘っぽいんですけどね……。pomさんからああいう話を聞いたからというだけで、考えすぎかしら。

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どうなんでしょう……。


▼音声
最初ちょっと織衣の声に違和感があった(もうちょっと低く、冷たい感じかなと思っていた)のですが、終わってみると全然問題なかったというか……慣れたというより、織衣のイメージがぐっとかわったのが大きいと思います。逆に彩乃がもうちょっと声キンキンでもよかったかなとか思ってしまいました。まあ好みの問題ですけど。

他のキャストさんも凄くマッチしてる。特に千景室長は良いです(笑)。さすが女王様やで……。有希は日常会話がポンポンでてきて凄く楽しい。こんな会話幼なじみとしてみたいです。その前に幼なじみください。サンタさんにお願いしたら届けてくれますかね……。

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この2人の掛け合いはとても楽しい。千景の影に隠れているが、彼女とやりあえる会長もまた相当のやり手だろう。


ソーニャは歌があるかな~と思っていたら無かったので、製品版期待です。まあ設定的にここで歌わせるわけにもいかなかったのでしょうが、ちょっと残念。

▼音楽
あんまり詳しくないので何とも言えませんが、作風にマッチしていて良いと思います。今のところ(体験版範囲では)コミカルな曲が中心で、どれも聞いていて楽しくなってくる感じでした。

▼ヒロイン
すみません。正直なめてました。ここまで良いとは……。みんな一生懸命で、嫌なキャラや嫌みな奴がいません。ぶっちゃけサブキャラ含めてみんな攻略したいくらいです。ヤバい。

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三枚目親友キャラ・蓮次。ヒロインではないが彼のようなサブキャラが積極的に物語を彩り、盛り上げる。


会長(めいこ)とか志穂さんとか室長とか……。「ああ、やっぱ無理だよねー」とぼやきながら、何度もHPのキャラ紹介と相関図を眺め、メインヒロインとの間に設けられた区切りを見ては肩を落としていました。

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頼れないおねーさん、志穂。それでも虎太郎の良きアドバイザーであり、寮の癒し担当。


本作のキャラが良いなと思うのは、単体の時よりかけあいをしている時のほうが輝いてみえること。これは何というか、作品のテーマみたいなものとも少し関わるのではないかと思いますが、人の見え方ってやっぱり一通りではない。見る人によって、また並んでいる相手によって変わってくる。キャラクター1人1人が活き活きしているから、それが2人、3人と組みあわさると、同じキャラのはずなのに全然違った側面が見えてきたりする。そういう楽しさがあります。もっともっと話を進めてみたいという原動力になってくれました。

一応簡単に、メインヒロイン5人の感想を。

【織衣】ちょっと優遇されすぎです。何とも思ってなかったのに、これでスキになるなというほうが難しい。体験版範囲はほとんど織衣の物語。さすがセンター。最初のイメージと、途中からのギャップも良いし、それでいて本質的な部分で皮肉屋というか、ちょっとクールな感じも素敵です。

【まるな】体験版範囲だとあんまりよくわかりません……。たぶん良い子。

【ソフィーヤ】同上。ちらちら出てくるだけでした。残念。歌は楽しみです。

【勇】棗と双子なのが信じられない……というか名前逆じゃないかと疑いました。おっぱい枠。ただ、性格もかなり可愛いです。下ネタ耐性が極度に低いのもチョロそうでグッド。ただ、今ひとつ飛び抜けない感じはありますよね。

【有希】一番私が好きなタイプ。幼なじみ最高。なんかこう、常に虎太郎と阿吽の呼吸で進んでいるのが良い感じです。会話が楽しくて、特に学食で料理(キャベツ千切り)を作るときの「わかってるよ~」という感じがたまらんかった。恋愛感情なさそうな、サバサバしたこの娘がどう変わるのか本当に早くみたいです。

あと、サブヒロインもホント魅力的なんですよね~。特に会長と志穂さんは是非なんとか……。

▼ストーリー
幾つものフックというか、ストーリーを駆動させる「謎」が散りばめてあって、なかなか興味深い展開。最初は織衣の「問題」にクローズアップしながら、じわじわと虎太郎の過去やその他のヒロインが抱えている問題を浮き上がらせるのも上手だと思います。

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こんなことを宣っていた織衣がどう変わっていくのか。ユーザーは楽しみにクリックできるだろう。


基本そういうシリアスな話が底の方を流れていながら、普段はテンポの良いギャグで進行するので、体験版範囲だと楽しくプレイできました。今後の展開はまあ、蓋を開けてのお楽しみというところでしょうか。

あと主人公(虎太郎)のキャラもなかなか。空気を読み、心を読み、それでいて青臭くアツイ男。好感度がうなぎのぼりです。ちょっとやりすぎ感もしますが、「助けてやるではなくて力になる」みたいなスタンスが押しつけがましくも嫌味のない、誰にも行動が納得しやすいタイプかと。ちょっと自意識過剰なところもあるんですが、変にこじらせたところはなくて、割と幅広い層にウケる造型ではないかと思います。

なにより、下ネタとユーモアのセンスがあるのが私好み(笑)。

というわけで大急ぎでしたが、『LOVESICK PUPPIES』の感想でした。正直買おうか迷ったんですが、体験版やって購入決定。これは期待しちゃいます。

何というか「良い作品」というのは、そりゃまあ売れるに越したことはないので売れた作品がエラいんですが、それだけじゃないところがあると私は思っています。普通にユーザーを楽しませるのはもちろん、それプラス何かその作品にしか残せないような、固有の主張みたいなものがあるんじゃないかと。さもなくば、何年か経ってさくっと忘れられてしまうよう。この作品にはそういう、心に残る作品になる「かもしれない」(もちろん、今後の展開次第です)というのを期待させるものがありました。

『LOVESICK PUPPIES』を応援しています!

応援バナーを貼り付けて本日はお終い。それでは、また明日お会いしましょう。

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エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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