よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012年09月

自転車こわい

私は別に自転車に恨みつらみがあるわけではありません。初詣のおみくじに、「自転車に注意」と書いてあったなんてこともない。しかし、何かしらんけどこのところ、しょっちゅう自転車トラブルに遭遇します。今年に入ってから既に2、3度ぶつかりそうになったし(歩道を歩いていました)、雪が降った1月頃には、交差点で自転車がすっころんで連鎖事故を引き起こす場面に出くわしました。チャリと歩行者が激突して、ものすごい口論になって警察が出てきた現場に居合わせたこともあります。たしか、5月頃だったかな……。

そのうち自転車にぶつかるんじゃないかと思っていたら、とうとう今日、心配が現実のものとなりました。地元の大通りから駅に入る道に向かって曲がったら、正面に人がいたので左によけたところ、後ろから突っ込んできた自転車がズドン。幸いそれほどのスピードではなかったのでつんのめる程度で済みましたが、驚いたので「いてー!」っと大げさに叫んでちょっと恥ずかしい思いをしました。

振り向くと、銀色ボディの通学用自転車みたいなのを操っていたのは、背の高い、私よりちょっと年下くらい(たぶん)のお兄ちゃん。スポーツ刈りの頭がサワヤカです。自転車から降りたので謝罪がくるのかなと思ったらいきなり、「あぶねぇなぁ!」と怒鳴られました。えぇ……? 私が悪いの?

なんか以前にも歩道を歩いている人と接触しかかった自転車の乗り手が歩行者に怒鳴っているシーンを見かけました。私自身は自転車が車道を走るとかえって危ないかもしれないから、歩道を走ることについて、法律に即していないことは理解したうえで、そこまで目くじらを立てなくてもいいかなぁとは思っていますが(ちなみに私自身は東京に来てから、歩道を自転車で走ったことは、本当にただの一度もありません。なぜなら、自転車をもっていないからです)、さすがに遠慮くらいはしてほしいと思います。人で混雑していたら降りるとか、曲がり角はちゃんと止まるとか。ものすごい人ごみの中を、ふらふらしながら自転車で走っている人を見ると、さすがに何考えてるのかと正気を疑います。降りた方が楽じゃないのかなぁ。

今回の件は人がそんなに多くなかったとはいえ、駅前の道の曲がり角。電車に乗るために走っている人とか、逆に降りて大急ぎで走っていく人とかいる。曲がり角には危険がいっぱいです。そりゃまあ自転車からすると、前を歩いている人間がいきなり横にズレて道を通せんぼしたら驚くのはわかる。わかりますけど、どう考えてもそれで事故ったのは私のせいじゃないでしょう。私も聖人君子ではありませんからカッチーンと来て一言くらい言い返してやろうかと思ったのですが、言い争うとかえって厄介そう。なんかもうめんどくさかったのでそのままスルーすることに。せめてもの抵抗で、「すみません」という謝罪のことばは飲みこみました。いや、私も悪かったといえば悪かったかもしれませんけど。後方不注意かもしれませんけど……。

まあそんなこんなでお昼からイヤな目を見たので、アイスをやけ食いしてきました。しかしアレですね。車に乗っていると自転車と歩行者が邪魔で、自転車に乗っていると自動車と歩行者が邪魔で、歩いていると車とチャリはどっかいけと思う。人間なんて勝手なものです。都会に思いやりなんてなかったんや……。

何のオチにもなりませんが、皆さんも自転車に乗るときは歩行者に優しい気持ちを忘れないで下さい。そして歩いている時は、飛び出してくる自転車に気をつけましょう。自転車に乗っている人がすっ転ぶのは勝手ですが、自分がけがをしたらバカバカしいですから。というわけで本日はこの辺で。

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これは、気になります。

最近私が気に入ってるアニメ、『氷菓』。もともと原作から入ったクチで原作のファンなので「また原作レ○プじゃないだろうな……」と心配していたのですが、思いきり杞憂でした。アニメのアレンジ、すごく好きです。

原作に忠実なようでありながら、細かいところをちょっと変えるだけで、大胆に作風が変わるんだナーと興味深い。また、絵が綺麗なのもポイント高い。映像面の知識はからっきしな私でも、異様に綺麗なのはわかります。目覚まし時計の液晶表示のにじみとか、文庫本の読みグセとか、そういうところまで表現していたのは驚きました。あんまりアニメ見ない人間ですが、最近のアニメのレベルって本当にあがってるんですね。ヤシガニとは何だったのか……。

それはそうと、そんな『氷菓』に面白いグッズが登場するみたいです。Exciteニュースさんに掲載されていたこちらの記事をご覧あれ。その名も、「わたし、気になりマスク!」。

気になりマスク
えるたその瞳がデザインされたマスク。この発想は無かった。


「わたし、気になります」というのは『氷菓』の登場人物・千反田えるの放つ決め科白(鷹城宏が、『さよなら妖精』の解説でこう言っていました)。このセリフによって、普段は名家のお嬢様然としたえるたそが、一気に活溌な好奇心の権化と化すのです。その秘めた活溌さをたたえた瞳を再現したのがこのアイマスクというわけ。……うん、完全一発ネタですね。

一応amazon先生でも予約ができる(こちら)ので、売り切れることはないと思いますが、絶対手に入れたい! という方はお早めにどうぞ。ぶっちゃけ飛行機の中とかでこのアイマスクしてる人がいたら間違いなくギョッとするので、ネタとしての使い勝手は良さそう。

あとグッズで気になるといえば、「チタンダエルTシャツ」。

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か、可愛すぎる……。


ビックリマンシール風にデザインされた、「チタンダエル」(アニメで「気になります!」が炸裂したときに使われた好奇心の天使エフェクト)がぷりちー。背中のほうにも可愛いえるたそが描かれていて、なんというか、えるたそマジ天使。

なお、外人さんのブログやらYoutubeなんかのコメントを見ていると、「わたし、気になります!」は「I'm curious!」と訳されているようですが、グッズの別のTシャツで、「I can't stop thinking about it!」と書かれていて、これは巧い訳だなあと思いました。「can't stop」が良いですよね。本当は千反田さんは本当に人の嫌がることには踏み込まないようにしていますが、あえて「とめられない」というほうが、彼女の衝動を言い取っている感じがします。語感的には「I'm curious!」が「気になります!」という一息にぴったりですが、意味としては「can't stop」のが良さそう。

こういうのって、京アニさんで設定している公式訳があるんでしょうか。私、気になります!

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小学生にでも解る? 平均の話

先日、「日刊SPA!」さんに掲載されて、一部で話題になったこの問題。なんでも、「小学生でも解けるのに大人は間違えやすい話題の算数問題」だそうです。ドレドレ。
【問1】
たろう君は自宅から花子さんの家までを、行きは時速4km、帰りは時速6kmで往復しました。このとき、往復の平均速度は時速何kmでしょうか?

「道のり・速さ・時間の問題は小学校で習う問題。10秒くらいでパッと答えられたらカッコいいな♪」(美優センセイ)

はあ、現役大学生タレントですか……。まあ三次元なんてぶっちゃけどうでも良いんですが(暴言)、この私に頭脳勝負を挑むとは良い度胸。なにせ私の頭脳力は530000です……ですが、もちろんフルパワーであなたと戦う気はありませんからご心配なく。

で、平均でしたっけ。時速4kmと6kmなんだから(4+6)わる2 で答えは時速5km! 小学生は4+(6わる2)で7とでも答えちゃうんでしょうか? 余裕でした





って、違うの!? マジで!?Σ(゚Д゚;

阿呆な独りツッコミはこの辺にしておきまして、答えは「4.8km/h」だそうです。上記リンクからも答えに飛べますが、一応美優センセイの解説はこちら。ふむふむ、わかったようなわからんような……。確かに、片道12kmと仮定すると解りやすいですね。

一般式で説明すると、たぶんこんな感じ。

花子さんの家までの片道の距離をaとおくと、往復の距離は2a。移動にかかった時間は、行きがa/4 時間。帰りがa/6 時間。合計は、a/4a/65a/12 時間。よって、平均時速は2a わる5a/12 時間で、24a/5a。イコール、4.8km/hである。

「小学生でも解ける」という触れ込みのせいでカンタンな問題であると思いきや、これ、実は意外と難しい。5kmじゃねーか! と思った人は私だけでは無いはずです。というか、言い訳ではありませんが5kmというのも完全に誤った解答とは言えない。いや、平均速度(平均時速)だから誤りは誤りですが、単に「平均」ならOKじゃないかと思います。どういうことかって? 平均が5kmか4.8kmかということで問題になるのは、「算術平均」と「調和平均」の違いです。

「算術平均」というのは「相加平均」とも言われます。そう言えば高校の数学で、「相加相乗平均」って出てきた気がするなぁ。要するに、フツーに足して、足した数で割る。普通「平均」と言うとこれのことを指します。Wikipediaセンセイも、そうおっしゃっています。

では、「調和平均」とは何か。定義としては、「逆数の算術平均の逆数」。ん、ちょっと何言ってるかわかりにくい……。こちらのページに詳しい説明がありますのでご参照ください。っていうか、「行きは時速4km、帰りは時速6kmで歩いた場合、平均時速は何kmですか」という問題の例がまるっきり同じやん。まあ、有名な問題だから仕方ないのかもしれませんが。

今回の美優センセイの問題で具体的なイメージを作ってみましょう。まず、「往復」というと面倒なので片道にします。たろう君の家から花子さんの家まで、時速4kmの甲君と、時速6kmの乙君が歩くのだと考えて下さい。

「相加平均」のイメージは、甲君と乙君の間を常に一定の間隔比率を保ったまま歩き続ける、ということです。こいつを丙君とすると、「甲君と丙君の距離」:「丙君と乙君の距離」=1:1になる。図で書くとこんな感じ。

相加平均

どの時点でも、甲君と乙君の中間地点にいる男。それが丙君です。これは、距離ベ-スで考えた平均であると言えます。

では、「調和平均」はどんな感じか。「調和平均」で歩く人を丁君とすると、丁君というのは「甲君と乙君が歩くのにかかった時間の平均で歩き続ける男」です。図にするまでもないというか、そもそも図にならない気がしますが、さっきのと対応するように描いてみるとこういう感じになるでしょうか。

調和平均

要するに、こっちは時間ベースで考えているということです。「時速」というのは距離を時間で割るわけですから、「平均時速」という場合は時間が基準になる「調和平均」のことを指すということになります。どうでしょう。多少イメージしやすくなっていると幸いです。

ただ、実を言うと上記のイメージは、厳密には少し嘘……というか表現しきれていない内容があります。美優センセイの問題を再び思い出して下さい。もし、たろう君が花子さんの家からの帰り道、大回りをして行きの倍の道のりを歩いたとしたら、どうなるでしょうか。行きを12km、帰りを24kmの道だと考えます。すると、行きは12/4で3時間。帰りは24/6で4時間。合計36kmを7時間で歩いたことになるので、「調和平均」の時速は36わる7で、5.142……km/h となります。直線距離にしているからわかりにくいのですが、甲君と乙君の歩く距離がそもそも違う場合、それも考慮してやらないといけない、ということですね。

なお平均には他にも、相乗平均とかがありますが今回は割愛。

どうして平均時速が5kmではないか、これで答えになったでしょうか。美優センセイが「小学生でも解ける」とナメナメで出してるこの問題、実は見えにくい二つの前提の上に成り立っているわけです。まず、「往復」する場合行きと帰りの距離は同じであるということ。そして、「平均速度」というのは基本的に調和平均を指すということ。前者はともかくとして、後者はなんでそうなのか、小学生に説明するのはかなり大変じゃないのかなあ。

というわけで今回は、現役女子大生に大人げなく喧嘩を売る 何気なく使っている「平均」という言葉にあえて引っかかってみる話でした。数学とか統計とか得意な人はもっと上手に説明できるのかもしれませんが、私にはこれが精一杯。気になった人はご自身で調べてみて下さい。そして、私に教えて下さい! (まるなげ)

それでは、また明日お会いしましょう。

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ネットゲームとコミュニティの話

Gigazineさんに先日掲載されていた、CEDEC2012での「オンラインゲーム時代における、 ゲーム内コミュニケーション設計の基礎知識」という講演のレポートが面白かったのでご紹介。

卒業してもやめなくていい永遠の「大人の部活動」がオンラインコミュニティ成立のためには必要

講演者は、DropWaveの本城嘉太郎氏。

内容の要点はざっと以下。
 ・ コミュニティは数ヶ月から数年という長期間のプレイを前提とするオンラインゲーの命。
 ・ オンラインゲームとオフラインゲームの違いは以下の3つ。
  1:「ゲーム内容が定期的に更新されているかどうか」
  2:「ゲーム内に友達と呼べる存在がいるかどうか」
  3:「ゲーム内に資産と呼べるものが形成できているかどうか」
 ・ オンラインゲームのコミュニティの目標地点は永遠に活動できる「大人の部活動」。
 ・ ゲームシステムとコミュニティの融合(「ゲームシステムとコミュニケーションを同時に設計してこそオンラインゲームである」)
 ・ 成功タイトルのコミュニティ設計例 … 「FEZ」、「伝説のまもりびと」
 ◆FEZの場合
 ・ ゲームが非常に面白い(深いコミュニティが形成される条件として、ゲームそのものが面白いことが大前提)
 ・ ゲームの目的が国家間戦争なので、キャラ作成と同時にユーザー間で敵と味方ができる(「最初からギルドが成立している」)
 ・ コミュニティがゲームシステムに組み込まれている(「『ギルドの目的』=『ゲームのメインディッシュ』」)
 ・ ゲーム中に綿密な意思疎通が必ず必要になる(「リアルタイムでの協力プレイが大前提のゲーム性」)
 ※たとえば「Diablo3」は「全く仲間と協力しなくてもゲームが進めてられてしまう」のが弱点。
 ・ 新規参入者がコミュニティに組み込まれやすい(「上級者が新入りの面倒を見る動機が提供されている」)
 ・ ゲームの目的がシンプルでコミュニティ内で共有しやすい(「コミュニティに対して、共通の話題が常に提供されている」)
 ・ 初心者が実質的な意味で必要とされるシステム(「初心者でも貢献できる仕組みがある」)


 ◆伝説のまもりびと
 ・ FEZと異なり各プレイヤーごとにゲームの目的があるシステム
 ・ ソロよりPTプレイ重視(「人の助けを借りると圧倒的に有利になるゲーム性」)
 ・ 一緒にゲームをするのではなく、キャラクターを借りるというシステムの自由度の高さ(「非同期だけど、ログイン時間が近いだけで絆を感じられるゲーム設計」)
 ・ 簡単なコマンドで感謝の応酬ができる
 ・ ログインだけで援護できるので、手間も時間も取られない(「ただログインするだけでも人の役に立てるお手軽さ」)
 ・ お礼の累積でアイテムが貰えるなどコミュニケーションによって得られるメリットが大きい(「人の役に立てば立つほど、自分も有利になるゲーム性」)
 ・ 交流の報酬がログインボーナスに転用され、接続の継続に貢献している
 ・ ゲーム自体に他人との交流が有効な手段(経験値稼ぎ)として組み込まれている(「ゲームのメインサイクルに、他のプレイヤーへの巡回が入っている」)
 ・ 交流することで相互にメリットがあり、積極的な交流の動機付けができる
 ※「あの人の役に立ちたいから、課金したい」いうところまでコミュニティを昇華している


「うんうん」と思うところと「そうかな?」と思うところがありますが、でも概ね納得できます。ただ今回の話はユーザー視点ではなくクリエイター視点、しかも「ゲーム内コミュニティ」に限定した話ですから、ちょっとついて行きにくい部分もあり。基本ソロプレイヤーなんですよ(涙)。

ネットゲーム全般ということになれば、ネット麻雀のようなコミュニティ意識が希薄な設計のゲームもあるし、ゲーム外のコミュニティ(たとえば匿名BBSでの場外乱闘とかRMTとか)の抱える問題みたいな話も出てきますが、今回の話でそこにつっこむ必要はなさそうです。

数は多くないけれどネットゲーを幾つかプレイしてきた身としては、ハマる時はどっぷりハマるけどすぐに離れてしまう焼き畑農法みたいなネットゲーというのはもうゴメンです。ダラダラでも、続けられるヤツが良い。「長期間のプレイを前提」とするこの講演と基本コンセプトは一緒です。そしてその観点からすると、「正直ゲームとしては飽きたけど、ゲームを起動すれば仲間に会えるから、やっぱりまだ続けよう」というのと、「このゲーム援護がしんどいからやめちゃいたい」というの。この2つのモチベーションは凄く大事な気がします。

ネットゲーを離れる理由として、ゲームがつまらないからとか飽きたからというのは意外に少ない……というか逆に、ゲームがもの凄く面白いから続けているわけではそもそもない。どんな面白いゲームだって、どんなに頻繁にアップデートされたって、余程の作品じゃなければ1年も経たずに飽きます。それでも続けるというのは、この講演のテーマが言うとおり、コミュニティの力の為せる業でしょう。

ただ、たとえばツイッターですら10日ほどログインしないと復帰が難しい(どういう感じで入れば良いかわからなかったりしません?)のと同様、コミュニティというのは一旦疎遠になると、なかなか戻りにくい。そして、ゲームを引退していく理由はここにあると思います。仕事が忙しい、試験期間が来た、恋人と別れて精神的にキツい、新作のエロゲーでそれどころじゃない……etc。理由はさまざまですが、長期間プレイしていると1度や2度はゲームを起動するのも億劫だ、となることがあるでしょう。また、ゲーム内の誰かと喧嘩してログインが気まずい、なんてのもあるかもしれません。他には、変なのに絡まれたとか。そうなったとき、多くのユーザーはゲームから離れていく。

つまり、オンラインゲームには「繋ぐ理由」と同時に「繋がない理由」もあるわけです。しかし、後者が注目されることって意外と少ない。というか簡単に諦められている気がします。ゲームの魅力とか何とかで前者にばかりスポットがあたりますが、ユーザー自身と密接に関係した後者へのフォローというのが重要なのは言うまでもありません。今回の講演録を読んでいて、私はプレイしたことがないのですが、「伝説のまもりびと」という作品はそこをフォローする意識が高いようにも見えました。

ログインによってユーザー相互のメリットがあるということは、ログインにある程度強制力が働くということです。つまり、ユーザー同士の親密な交流が基本です。それでいて、距離を取ろうと思えばかなり大胆にとれるのが凄い。とりあえずログインして一言挨拶すれば良いというだけなら、仕事が死ぬほど忙しくても食事をとる合間に数分でできますし、他のユーザーと喧嘩して気まずくても、その人との関わりをほぼシャットアウトしてゲームプレイができるということなのでしょう。そうやってしばらく過ごしていれば、また密な交流がとれるようになるかもしれませんしね。

「コミュニティ」というのは当然、常に一定ではありえません。人の往来もあるし、関係の変化もある。だから、良い状態にもなれば悪い状態にもなる。最高到達点を高く高く引きあげて魅力を出すのも大事ですが、コミュニティの状態が悪くなったときに被害をおさえられることも大事だと思います。セーフティーネットというか。そう考えると、「FEZ」のように全プレイヤーが目的を共有しているタイプのコミュニティとは違い、「伝説のまもりびと」のコミュニティというのは「部活動」より「学校」に近いモノにも見えます。出席義務はあるけど、とりあえず登校さえしていればあとは授業中寝てても良い、みたいな。

今更何か新しいネットゲーを始めようかという気にはなかなかなりませんが、「学校」とか「部活」みたいな世界がオンライン空間の中にできあがるんだと考えれば、これはなかなか面白い気がしてきます。オンラインゲームの可能性というのは、実はまだ全然発掘されていないのかもしれません。

というわけで本日はこれで。また明日。

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おなかにヒット

なんかお腹痛いナー。ガリガリ君(コンポタ)を食べ過ぎたかなあ……とか思っていたら、えらいヤバい痛みになってきまして、お昼に病院へ。診断の結果、ウィルス性腸炎とか言われてしまいました。要するに、食あたりっぽいです。キッツ……。

幸いそこまで重篤な症状でもなくて、まあ1時間に2度ほどおトイレに籠もるくらいで済んでいるのですが、お尻を拭きすぎて痛いのと水をあんまり飲めないのが苦しい。原因は何だか良くわからないそうです。たぶん魚でも中ったんじゃないのって言われましたが、昨日は魚食べてないんですよね。まあ症状が出るのに一週間とかいうのもあるそうですから、何時のがヒットしたのか判りません。

病院で紹介されたことで何ですが、厚労省のサイトに「食中毒」に関するページなんかもあるそうです。私はもう遅かりし由良の助とはいえ、今後また来たら困るのでちょっとお勉強しておこうかと思います。インフルとかと違って、一回なったら安心どころか逆に体力も胃腸も弱って再度罹る可能性が高いという話ですし。あ、どうでも良いけど「遅かりし由良の助」ってのはアレです。『仮名手本忠臣蔵』の由良之助。

なお、私はお腹下しだけでしたが、吐き気を伴う場合もあるので食あたり・食中毒になった場合は絶対に仰向けには寝ないこと。吐いたものが詰まって大変なことになる場合があるそうです。あと、夏場は特に、しんどくてもお白湯とかを飲んだほうが言いそうで。でも、お腹ピーピーだと飲む気にならんですよ……。

というわけで皆さまもお気を付け下さい(´・ω・`)。

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ツゴウノイイコトバ

会話をしていると、相づちの上手い人がいるというのがわかることがあります。話を聞きながら、あれやこれやとこちらの気分を乗せて、どんどん話を引き出してくれる人。しかし私はあんまり聞き上手ではないので、どうもリアルでもチャットでも、相づちを打つとパターン化してしまう。「fmfm」とか、「ほうほう」とか、まあそんな感じです。

そんな私が、微妙な居心地の悪さと共に「せやな……」と大いに納得したのが、便利な言葉四天王「なるほど」「まじか」「たしかに」あと一つは?というスレタイでした。

なるほど、コミュニケーションにおいて便利なことばというのはたしかにあります。早速左の一文で二つを使ってしまいましたが、単に「使う頻度の多い言葉」ではなくて「便利な言葉」というのがポイントですね。「ホントにその三つが便利かぁ?」と思って色々考えたのですが、考えれば考えるほどなかなか優秀なチョイスに思えてきます。

スレにはたくさんの「四つ目」候補が挙がっていて、それはまあそれなりに納得できるのですが、ランダムに挙げていったのではキリがありません。そこで、どういう意味で「便利」なのかを確定させるところから入りましょう。「なるほど」「まじか」「たしかに」という語がどのような意味で「便利」なのかが見えれば、四つ目の語もまだ絞りやすくなるはずです。

「なるほど」というのは、自分が相手に説得された、あるいは自分の知らないことを相手が教えてくれた、ということを端的に伝えてくれます。そして「たしかに」というのは、自分も知っていた、わかっていたことを相手が言った、ということの表現です。そして「まじか」というのは、自分が知らなかったことを相手が言ったけれど、それに対して納得しかねる、という意思表示です。つまりこれは、会話における情報伝達を簡便に行う語、という風に考えるのが良さそう。

会話を相手との情報のやりとりであると仮定するなら、考え得るパターンは以下です。

(1) 相手も自分も知っている
(2) 相手は知っているが自分は知らない
(3) 相手は知らないが自分は知っている
(4) 相手も自分もしらない

「たしかに」は(1)の場合に。「なるほど」と「まじか」は(2)の場合に使います。(3)の場合は相手に詳しく伝える必要があるので、そもそも「便利な言葉」で端的に解決することは困難です。ということは、(4)に該当する語があれば良い、ということになるでしょうか。つまり、相手から訊ねられて自分も知らない、というシチュエーションですね。「さあ……」はちょっと無愛想。素直に「知らない」とか「わからない」とかがベターかもしれません。

しかし、「知らない」というのは何か思考放棄っぽくてあんまり「便利」という感じがしない、と友人に言われました。「便利」なことばですから、求められるのはまず、色々な局面で使える幅広い応用力。そして誰に対してもあまり角が立たないこと(あたりさわりがない)。そして短い(使いやすい)こと。その路線で三つの語を考えてみると「わからない」は優秀だと思うのですが……。しかし言われてみると、「知る」という動詞が入っている時点で著しく範囲が限定されるというか、使える局面が限られすぎている感もあります。

ちなみに友人があげた「便利な言葉」は「すみません」。まあ確かに謝罪から挨拶まで使える最も便利なことばの一つだし応用力はありますが、他の三つと並べるのはちょっと浮いていると私は思いました。

しかし、他に便利なことばというと……。ちょっとシミュレートしてみましょうか。

A「~ということなんだって」
B「なるほどー」
A「で、~らしいよ」
B「あ、たしかにねー」
A「でも、~という話もある」
B「マジか!」

「知らない」を言いそうな流れは、こんな感じでしょうか。

A「ところで、~の話って知ってる?」
B「いや、知らない」

うん、自然。でも、これじゃ駄目だとおっしゃる。となると、もうこの三つの言葉を使い切ったシチュエーションであると決めうちしましょう。こういう展開の後で、このあとAが言いそうな台詞といえば……。

A「お前、人の話聞いてる?」

こんなのかな(笑)。だとすればBの返答はこうですね。

A「お前、人の話聞いてる?」
B「もちろん!」

おお、これならいけそうだ。「もちろん」。なんか便利そうですね。短いし。他の三つの語ではフォローできない部分を補ってるという意味でも優秀な感じがする。御礼や謝罪はできませんが、その辺はそもそも「便利な」ことばで済ませる内容では無いと考えれば、そもそも選択肢に入ってきません。

ってなわけで個人的には「もちろん」を推したいんですけど、どんなもんでしょうね。

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レビュー:『僕らはみんな河合荘』3巻

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宮原るり『僕らはみんな河合荘』3巻(少年画報社、平成24年8月30日)

関連記事: レビュー:『僕らはみんな河合荘』(2012/04/18)

『河合荘』の3巻が発売されたので早速購入。良かったです! 「コミックナタリー」さんの記事によれば、「ヤングキングアワーズ10月号(少年画報社)では単行本3巻の発売を記念して、巻中カラーページにて「僕らはみんな河合荘」の特別企画を実施。同誌の表紙や単行本のために執筆されたが、使われることのなかったラフイラストを一挙に公開している。」とのこと。人気出てきてるのかな……。気になっている方はこれを期にチェックしてみるのも良いかもしれません。

ぱっと見は何というかもう、ラブコメと言って良いのかどうか微妙な内容になってきました(笑)。宇佐くんと律先輩の仲は一応描かれるものの、進んだような進んでないような、実に微妙な感じ。むしろ、二人を取り巻く人々の日常というか生態が話の中心となっている巻のようにも思われます。特に今回は、河合荘の中でも特に謎おおきあのお方の過去が少し明らかになります。まさかアッチ系の人だったとは……。

あと、前巻でちょっと後腐れの残りそうな別れ方をした宇佐くんのお友達も再度登場し、一応大団円のような形を迎えていました。優しい展開ですね。

ただ、「ぱっと見」と変なことわりを付けたように、どれだけ周りの人々が出てきてもそれはスパイス。やっぱりこの物語の中心は律と宇佐――というか律でしょう。

今のところは、ですけど、律の「一人でいたい」というのは臆病であり甘えであると思います。基本的には寂しがりだし、構って欲しい。けど必要以上には構って欲しくない。彼女が一人でいたいのは、結局そういうの考えるの面倒だから。

でもやっぱり根っこの部分は寂しいから、時々無性に人恋しくなる。それで、自分の都合の良い時だけコミュニケーションとれる(必要以上に踏み込んでこないし、踏み込まなくてもやっていける)宇佐や河合荘の住人が好きなんだけど、それってただのワガママじゃないか、という自覚もあって、そういう自分に自己嫌悪……みたいなめんどくさいメンタリティ。これが外れていないのだとすると、私にはとても良くわかる……気がする。

自分が求めるもの、欲しいものがあるけれど、それを手に入れようとしたときの面倒くささや、自分が傷ついてしまうことを考えて結局求めるのをやめてしまう。律はたぶん、そういう生活を送ってきた。彼女が本を好きなのは、そこに何か求めるものがあるというのも確かなのでしょうが、それ以上に、本は能動的に彼女を傷つけることが無いからだと思います。少なくとも律は、そんな風に本を「利用」している。

対する河合荘の住人たちはどうか。彼らは律と比べるとバカをやっているようにしか見えないけれど、自分が求めるものに正直で、そして傷つくことを恐れない。彼らはノー天気なお馬鹿さんに見えるけれど、でもそれは何も考えていないからではなくて、自分自身に対してバカ正直だからじゃないかなあ。傷ついても傷ついてもまっすぐ向かっていく「かわいそう」な住人たちと、傷つくことを恐れて立ち止まっている「かわいそう」な律と。どちらも「かわいそう」ではあるのだけれど、その意味は微妙に違っている。そんな風にも思います。そして、そんな律の微妙な変化がこの巻でははっきりと描かれていて濃密な内容。

いずれにしても、まったり日常系でありながら俄然面白くなってきた3巻。あんまり密度が高くなりすぎると長期連載は難しいかもしれませんが、ダラダラやって盛り上がる話でもないと思うので、引き続きこの調子で引き締まった展開を期待したいです。

といったところで、本日はこれまで。また明日。

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情報ソースは案外気にされないという話

そろそろ時効というか嵐も過ぎ去ったと思うので、そのうち書こうと思っていたネタを。

だいぶ前になりますが、駄文にゅうす様で「ハッピーエンドとは何か」という当ブログの記事が紹介されていました。で、その後なんか「tumblr」とかいうURLからいらっしゃるお客様が異様に増えた。まあ、異様にってもトータル20人とかですが、うちのブログからすると1日のアクセス数の1割程ですから結構な数です。

「つんブラって何ぞ?」と思っていたのですが、どうやらタンブラーという新手のSNSが…………って、タンブラーくらい知ってる? そもそも新手じゃない? そりゃまた失礼いたしました。私はつい最近まで全くその辺のことを知らなかったもので。いや、さすがに名前は知っていましたが、Tumblerだと思っていました。あれはグラスでしたか。

……何の話でしたっけ。ああそう、記事の話です。で、まあ私の記事はエロゲーの話なわけですが、タンブラーの方では記事の中の、私の先生の発言だけを拾って掲載、コメントをつけておられました。それ自体は別に問題にすべきことでもないし、また私の記事へのリンクも貼ってあったので、引用そのものについてどうこう言うつもりはありません。むしろ、とりあげて頂いて嬉しいくらい。

ただ面白かったのは、そのタンブラーの記事にはもの凄い数のリブログが着いていたこと。100以上だったと思います。「本を読んで、自分の尺度でしか測らないのであれば、君はもう本を読まなくても良い。」で検索するとタンブラー関係がトップにくる程度には広がっていました。紹介系の拠点に取りあげられると拡散する、というのは体験済みだしハブがどうのこうのという記事でも書いたこと。なので、人のふんどしで相撲をとってと怒るとか、私をリスペクトしろ! とかそんなセコいことを言うつもりは全くありません。元記事より抜粋のほうが便利で目立つというのは、2ch系のまとめサイトさんとかが典型でしょう。そもそも私の記事だって、先生が言っていたことをうろ覚えで書いただけですからね……。元ネタで言うなら先生に帰属です。

私が面白いと思った――もう少し正確に言えばちょっと驚いたのは、それだけの数の人がリブログしたにもかかわらず、ソース元を確認に飛んできたのは20人しかいなかったという、そっちのほうです。情報ソースを見たり掲載したりするっていうのも存外常識ではないんだなぁ、と。オチを先取りしちゃえば、なにかものを読んで「自分の尺度でしか測らない」ということに対して批判した文章をお気に入り(とは限らないので注目、くらいが良いのかな)した人が、ソースは確認せず自分の尺度で内容を斟酌して満足しているというのが、シュールなギャグっぽくてええじゃないか音頭。

自慢じゃないけど私もソースチェックしっかりはしていません! ただ少なくともお気に入り登録するときとかは確認するなあ。でないと、どういう文脈で言われた内容かわからないじゃないですか。昨日の記事とも絡む内容として言えば、相手が何を言っているか、きちんと考える前に自分のところにひっぱりこんで解釈しちゃう人が多いっていうのは、こういうところにも出てるのかもしれません。

もちろん、とても丁寧に私の文脈を追いかけて引用してくださっている方もおられましたので、それは「読んでくださってるんだ!」と嬉しかったです。ただ同時に、そういうことをする/できる人というのはやっぱり限られているというのも実感しました。毎日山のような情報がはいってくる今の時代、たとえ断片的であってもぱぱっと入ってきてすぐ実用できる情報のほうが重宝される。考えてみると私もそうです。日々、考えることなく使えるネタを探している。

わかりやすくあれ。端的であれ。文脈なんていうのはいまの時代、めんどくさいコース料理のようなもので、ごく一部の人しか気にしないのかもしれませんね。だからといってインスタント食品ばかりになってしまうと、私はちょっと寂しい気がしますけれど。

そんなわけで本日は、情報ソースは案外気にされないという話でした。それでは、また明日。

(2012年9月19日、少し文章に手を加えました)

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議論を「引きつける」やりかた――とある『はつゆきさくら』感想を拝読して思うことなど

先日のことになります。kaikokaikoさんの『はつゆきさくら』の感想について、ツイッターでちょっと呟いたら思った以上に色々なご意見を頂きましたので、割と今更なんですが少しだけこの件について書いておくことにしました。まあこの件では私のような考えの人は少数派だと思うし、周りの人はとりわけこのご感想で盛り上がっていたので水をかけるというか、逆に前回のツイート等でご不快を与えていたら火に油を注ぐことになるというか、そういうのがちょっと怖いですが、それでも書いておく意味はあるかなあ、と思ったので。

といっても、批評空間さんでの採点がどうあるべきかとか、投票やコメントのつけかたがどうあるべきかとかそういう問題とはあんまり関係ありません。その辺は人の自由だと思いますし、ぶっちゃけ私が興味あるのは作品の内容と言説のほうで、点数はどうでもいいかなっていう……。いや、点数をデータとしてどう読むかには興味ありますけどね。

今回わざわざ記事として書くのは、言説に対するスタンスが私自身にとって重要だと思ったからです。しかし、いきなりその話をしはじめても話が飛びすぎますかね……。ひとまずは今回の件をどういう問題として捉えるか、そのことを検討するところから入りたいと思います。(※以下、「良作」・「佳作」というのはkaikokaikoさんのユーザー情報欄の定義に準拠)

kaikokaikoさんの主張の内容
とりあえず、kaikokaikoさんのご感想がどのような内容だったかキチンと把握しないと話になりません。まとめると次のような感じでしょうか。

(1) 『はつゆき』は中央値84点だが、平均的で飛び抜けた作品ではない。(「普通」の一言)
 ・理由:「エロゲテンプレの良くいるキャラという印象」

(2) 中央値80点以上の作品というのは、飛び抜けたところがある。
 ・具体例:『こんにゃく』『月姫』『ひぐらし』『G線』『つよきす』『大悪司』『AIR』『かにしの』『うたわれ』『あやかしびと』『加奈』『プリンセスうぃっちぃず』『大番長』『痕』『群青の空を越えて』
  ・80点というのは「一つの壁」(コメント欄)

(3) よって佳作の『はつゆき』に84点はおかしい。
 ・80点以上の作品には「勢いというか魂というか、そのようなもの」がある。
  →「尖った作品が少なくなった」(コメント欄)
 ・「80点未満の作品に感じる「良いところもあった」感を非常に強く感じた」
 ・「感覚的には75点周辺の作品たちと並ぶのがしっくり」くる。
  →具体例:『CloverPoint』『いつ空』『こみパ』『姉しよ2』『秋色恋華』『とらハ』『青空の見える丘』

(4) これに84点の中央値をつけている最近の批評空間の基準は甘くなった。
 ・今後出るであろう名作(+荒削りな迷作)までスルーするようにならないことを懸念(コメント欄)


疑問点
さて、上記の意見はわかりやすくて、かなり解りにくいと私は思いました。どういうことか? 簡単に言えば結論はすごくハッキリしてるんですが、どうしてその結論が出てくるかはよくわからないということです。たとえば、「はつゆき」に84点付けるのが甘いというのが、どうして「今後出る名作をスルー」することになるのか。名作なら、別に「はつゆき」とは関係なく良い点数がつくんじゃないの? と思います(この辺は後で解消します)。また、中央値80点以上の作品の「飛び抜けた」ところも良くわかりません。私の知る限り『CloverPoint』は妹ルートでもの凄くハジけていたし、『姉しよ』シリーズも属性特化のとんがった内容。『こみパ』も、当時出来たばかりのLeaf東京開発室デビュー作ということでもの凄い気合いが入った斬新な作品でした。

私はそれらが80点を超えるべきだと言うつもりはありません。いや、むしろ私の中では妥当であるとさえ思われます。ただ、それはあくまで私の考えです。多分、kaikokaikoさんのお考えとは違うはずです。そしてその違いを無視して、私の考えをkaikokaikoさんのご感想に押しつけてしまうのは拙いんじゃないかなと思うわけです。要するに、私はkaikokaikoさんが考える「85点前後」の飛び抜け具合が何なのかを知りたくなる。でも、たぶんそれは書かれていない。だから「かなり解りにくい」と思うのです。

というわけで、ちょっと解りにくいところを整理しながら話を進めます。ただ、私自身の考えをまとめるのが大変面倒なので、私が疑問に感じたことをトレースするという形で進めさせてもらいます。

[0] なんで80点がラインなんだろう?
まず不思議だったのはここでした。私の場合75~84を満足ラインに設定しています。80点を境に佳作と良作を切り分けるというのとはスタンスが違う。また、批評空間さんでブランド別作品リストを選ぶと、中央値75点以上で色が変わるようになっていました。ということは、75点以上が「壁」と読むのがシステム的には妥当である……というような話も成り立つはず。ただ、その部分は叩いてもひたすら不毛でしょう。そもそもkaikokaikoさんは、実感として批評空間さんには80点前後に中央値の壁があったはずだと述べておられる。だから、得点は80点が境界になるべきか否かのような話として読むとつまんないと思います。よって、この思考はここで一旦打ち切り。

[1] 「最近の評価は甘い」ってホントに言える?
これは実証性とか手続きの問題。要は、結論ははっきりしているけどホントに妥当なの? ということです。たとえば『はつゆき』を高く評価している最近のユーザーの多くが、『AIR』に70点をつけていたら、過去の良作は厳しく評価されていると言えます。このように、「昔なら評価が低かったような内容の作品が高評価」であることと、「最近の評価が甘い」こととは必ずしもイコールではない。たぶん「最近の評価が甘い」ことを言うなら、一番単純なのはここ2、3年の中央値の平均(平均値ではなく)を計算して過去の中央値平均と比べるとか、そういう手続きが必要のはずです。この点は全くしっかりしてないよな、と思っていました。

[2] 「甘い」ってどういうことなんだろう?
さて、次。私の中では「最近は評価が甘い」というと、どんな作品にでもポンポン高得点がつく、というイメージです。ところが、どうもkaikokaikoさんはそういうことが言いたいわけではなさそう。

kaikokaikoさんのご感想は、「テンプレキャラ」しか出てこなくても良作扱いになるのが「甘い」という風に読めます。確かに、明らかに劣っていると思われる部分があるのに高く評価されていたら、それは「甘い」。ですが、たとえば『加奈』や『月姫』のグラフィックはやはり最近のCGクオリティから見れば劣って見えます。しかし、これが高く評価されるのは「甘い」と言わないらしい。つまり「甘い」というのは、評価基準がゆるくなっているという意味だけではなさそうです。

では、どういうことなのか。まずkaikokaikoさんは、キャラやストーリー、ゲーム性など「特定の部分の評価」に限って「甘い」か否かを判断しているように見えます。たとえば、演出(CV・音楽)やCGは判定基準として入れていない感じがする。それら「特定の部分」が飛び抜けていれば高得点、ということなのでしょう。まあこれは、人によって評価を重視するポイントが違うというだけの話なので大したことではありません。重要なのはむしろ次のこと。つまりkaikokaikoさんがおっしゃっている「甘い」というのは高得点がつきやすいかどうかではなくて、一流認定が出やすいか出やすくないか、ということだったのではないか、ということです。

私の説明がわかりにくいですよね。私もわかりにくい(爆)。ちょっと例を使って説明しましょう。

たとえば野球で、現役のA選手(打3、守3、走3、気3)という12点の選手がいるとします。一方、引退したB選手(打5、守2、走2、気3)という12点の選手がいた。kaikokaikoさんが80点がどうのという話をなさっていたので、私はトータルの点数の話をしていると思っていたんですね。だから、「いや、A選手への評価が甘くなったなら、B選手の評価もついでに甘くなって、15点くらいになるから良いんじゃないの? 実質変化してないでしょ」とか、「今と昔は環境違うから、B選手は今なら10点だなー」となったら別に甘く無いじゃないか、とか考えていました。で、kaikokaikoさんもそういう話を多少はされてるんですが、それだけじゃない。プラスして、「オールスター(80点越え)に出すのはAよりBが相応しい」という話をしている。点数だけではなくて認定の話をしているのだと思います。80点というラインへのこだわりが意味を持ってくるわけですね。

つまり、「80点というのはオールスター枠で、そこに入る資格があるかないか」というのがkaikokaikoさんの議論の中心であって、採点がどうこうみたいな話は実質余り関係ない。「甘い」というのはオールスター選出基準が甘くなったということ。そしてその基準というのは飛び抜けた要素の有無ということなのでしょう。スターと呼ばれてる選手のスター性がさがった、みたいな話でですね。

突出していなくても80点というボーダーを超えてしまうような――あるいは、80点というボーダーが意味を失い、過去の作品の価値が相対的に下がってしまうような、そういう「採点基準の変化」。これこそが問題意識だった。うん、そう考えるとだいぶスッキリした感じがします。

最初この部分がよくわからなかったのですが、賛同する多くの方にはきちんと伝わっているようです。たとえばコメント欄を見てみると……。k-qさん曰く「クセがない無難な作り」。mezamashiさんなら「小粒感」。SANEATUさんなら「飛び抜けた部分がない」。feeさんは「優等生的で、大きな欠点もない」……なるほど、突出した部分の有無について皆さん話をしてらっしゃいますね。私がアホだっただけか! ただ、純粋に採点論と考えている方もおられるようですから、言葉の意味のズレは他の方との議論で少々混乱の原因にもなっている感。

とりあえず以上が正しいなら、kaikokaikoさんのご関心は中央値の平均とは特に関係無いので、私の「疑問1」は無意味な疑問ということで良さそうですね。

[3] どうして『はつゆき』はダメなのだろう?
さて、それならポイントは絞られました。kaikokaikoさんのご意見では、『はつゆき』はキャラがテンプレで、「尖った」ところが少ない、ということになる。しかし、では具体的にどこでそう感じたのでしょうか。これが読めればkaikokaikoさんのご感想を一通り読み切ったと言って良さそう。

しかし、うーん。これ書いてあるのかなあ? 「尖った」ところが無いことを証明するのは悪魔の証明みたいなものですから、訊ね方としては「じゃあどうすれば尖っていたことになるの?」と訊くのが妥当でしょう。キャラ。キャラなのか。キャラのどこなんでしょう……。解明の鍵を握るのはおそらく、kaikokaikoさんが挙げておられる具体例です。

kaikokaikoさんは中央値85前後の作品を全部挙げているわけではなく、割と恣意的にピックアップしておられます。ご自分がプレイされたものをチョイスされたのかもしれません。ただ、それらに共通する「勢いというか魂」が具体的に何なのか見えればOKのはず。『鬼畜王ランス』に100点をつけておられるので、『大悪司』や『大番長』はシステムで評価しておられるのでしょうか。いやでも、もしかするとキャラかもしれない。先ほども言いましたが、佳作(75点クラス)の代表に挙がっている『こみパ』は、当時としてはアイディアもシステムも非常に斬新でしたが、これはなぜ「飛び抜け」ていないことになってますからね。……と考えていくと、どうもやっぱり私には分かりません。チョイスしておられる以上kaikokaikoさんご自身の中では繋がっているのだとは思いますが、その繋がりが見えるかと言われると、否。

そして、その「繋がりが見えない」ことは、やっぱりあんまり良くないように思えます。たとえばですが、こんなことが書いてあったと想像してみてください。
イタリアは世界の2004年度観光名所ランキングでトップ10に入っているけれど、他のトップ10の国、フランス、スペイン、アメリカ、中国、イギリス、ドイツなどに比べて良いとは思えない。メキシコの風景はどこにでもありがちだ。メキシコには突出した「勢い」が無い。観光客の評価が甘くなったのではないか。
構造としては全く同じですよね。「勢い」のような語も、あえてそのまま使ってみました。で、私はこれじゃあわからんだろと思う。風景が問題なのは良いけど、じゃあ具体的にどこを回ってきたのか。他の風景との違いはどこなのか。そもそも「勢い」って何なのか。実際にメキシコの風景を見てその通りだという印象を持てば良いのだとしても、その印象が論者の言っていることと一緒なのかを気にする必要は無いのでしょうか。

「メキシコ」の部分に、自分の名前を入れて想像してみてください。私なら、言いがかりをつけられたと感じる。この言い方では、メキシコ観光協会が気の毒です。

kaikokaikoさんの感想に対する周囲の否定的な反応として、「『はつゆき』と関係ないことを書いてる(批評空間批判、採点基準批判でしかない)」。だから、そもそも感想として成立していない、というのがあります。もしそうだとすれば、それは作品に対してとても失礼なことでしょう。「はつゆき」ファンは怒るべきだ、くらい言っても良い。だって、理由があるんだかないんだかわからないのに「キミはちょっと良作じゃないよね」「ありがちだよね」とレッテル貼られているわけですから、これは私が作り手やファンならキレます。いやまあ、逆に特に理由もないからスルーでいいか、となるかもしれませんが、私なら具体的に指摘があってケチョンケチョンに貶されたほうが気持ちは楽かなあ。

他にもたとえば、『はつゆき』は飛び抜けたところがある、と考えている人が反論できないことは問題でしょう。『はつゆき』に80点以上を付けている人がいて、その採点は「甘い」という前提ではじめられたkaikokaikoさんのご感想は、意図しているにせよしていないにせよ、そのような人たちに対する論争的なところがあります。もしかすると80点以上つけている人たちは、『はつゆき』に突出したところを読み取っているのかもしれない。実際それがわかる感想を書いているかたもおられるでしょう。それに対して「佳作」どまりだと言うのなら、その根拠をきちんと提示しないと、反論も議論もできないただの言いっぱなし無敵論法で終わってしまうのではないでしょうか。

なお誤解の無いようにことわっておくと私は、判断した根拠が無いと言っているのではありません。そのことは次に述べますが、たぶんあるのだろうけど、伝わる書き方がされていないから「わからない」と言っているつもりです。ここは重要なのできちんと説明しておきます。

この感想は『はつゆきさくら』の感想として妥当なのか
実は、kaikokaikoさんに肯定的な人の中にも、このご感想は作品と無関係な批評空間さんの採点論・点数論として読むべきだと言う方はおられます。そっちはそっちで解らなくもないのですが、本当にそれで良いのでしょうか? 万一kaikokaikoさんがそれで良いとおっしゃっても、「この感想は『はつゆき』と関係ない」と簡単に言ってしまうのは、感想の読み手としては拙い気もします。

kaikokaikoさんは感想の最初にこう書いておられました。「この作品をプレイした時に最初に思ったのは「普通」の一言」だった、と。そして、長年ROMをしてきたけれど「思うところがありまして、初めて書き込みを」したわけです。ということは少なくとも『はつゆき』に、そう決意させるだけのきっかけがあった。単に量的な(『はつゆき』がたまたま我慢の飽和限界だった)ことかもしれません。しかし『はつゆき』が、kaikokaikoさんが考えておられる「佳作」の典型であることは間違いないでしょう。

その意味で、この感想は『はつゆき』の感想として必然性があるはずです。この作品を例に取ればきちんと伝わるはずだからこそ、選ばれたはずです。ですから、kaikokaikoさんの考える「佳作」が何で、「良作」が何であるかをきちんと考えた上で『はつゆき』が選ばれた理由を考えるのがkaikokaikoさんのご感想に対する誠実な賛同であり、そこをスルーして「俺も同じことが言いたかった!」と言うと、下手をすれば我田引水というか、今度はkaikokaikoさんのご感想・ご意見とは関係なく自分の主張をしているだけになるのではないでしょうか。

たとえばコメントを書いておられる方々が、kaikokaikoさんの言っておられる「勢い」とはどんなもので、どこを見てなぜそう思ったのかを考えることなしに、みんな自分の好き勝手言っているのだとしたら、それは先ほどの「メキシコ」の例と同じような気の毒さを感じます。否定的だったら悪くて肯定的ならまあ良いか、ということは多少あるにしても。

言い方を変えるとこうです。「kaikokaikoさんが『はつゆき』と直接関係ない話をしているのはまずい」というのはそのまま、「kaikokaikoさんのご感想と直接関係ない話(批評空間の採点論)をしているのはまずい」という意見として返ってくるのではないか、と。もちろんこれは、kaikokaikoさんが『はつゆき』を選択して今回のことを述べた積極的な理由がある、という前提に立っていますが、それが無いとなると、そもそも「作品の感想なのだからそもそも議論すべきことじゃない」、「コメントは余所でやるべき」で感想全否定、はいおしまい。場違いな感想に場違いな反応をしているだけ、となって余計自分の首を絞める感じになりかねないと思います。

結局私は何が言いたいのか
kaikokaikoさんの感想に意味を見出さないというのなら、「『はつゆき』の感想ではない」とか、「この感想は抽象的一般論であって何も内容が無い」と言ってしまうことも可能です。ただ、私自身は上述したように、「手掛かり」は感想の中に書かれているとは思う。しかし、同時にそれが十分ではない、とも思います。だから、「俺の思った通りのことが書いてある!」という意見に対しても、「ホント……?」と思います。要するに私は、kaikokaikoさんのご感想に対しては「よく分からない」ときちんと発言することが、一番ご感想に対して誠実な態度ではないかと思ったのです。

はじめにも述べましたが、別に批評空間さんで投票するなとか、コメントつけるなとか、そういうことを言いたいわけではありません。批評空間さんの使い方等について議論をするほど私はきちんと規約等について理解しているわけではないので語る資格も無いし、個人的な問題意識は全くそこにはない。私の意識が言説のほうにあるということは、本ブログをお読み頂いている方ならご理解いただけると信じます。

私が言いたかったのはたぶん、次のようなことです。誰かの発言をダシというか材料にして自分の言いたいことを言うという、それ自体は普通のこと。でも、それはダシにする作品なり感想なりをまずきちんと読み込み、解釈した後での話になるのではないかな、と。

失礼を承知で申し上げれば、kaikokaikoさんのご感想を含め、今回の件で盛り上がっている内容をじっと見ると、対象をきちんと把握しようという過程をすっとばしている印象を受けました。いや、実は皆さんきちんとコンセンサスが取れていてそれを私が見られていないだけ。私こそが誤読している、と言われればそうかもしれません。ただ、根拠はここまでで示してきた通りです。

私の見ている限り、kaikokaikoさんのご感想の内容は相当な部分の説明がカットされていると思う。でも、kaikokaikoさんに「この言葉の意味はどういうことですか?」と訊ねている人も、「ここはkaikokaikoさんのおっしゃる意味とは違うかもしれないが」と留保を置いている人もいない。割とみんな速攻で、自分の問題に引きつけている。kaikokaikoさんの言う「尖った部分」がどんなものなのか、皆さん具体的にイメージできているのかなあ。それとも、私がどんくさいだけなのでしょうか。真面目な話、少なからずその可能性はあると思います。同じような問題意識を共有していたり、同じコミュニティにいるとツー・カーで意思疎通ができるということはありますから。ただそれなら、もう少しコメントの内容が噛み合っても良いと思うんですよね。

もちろん多くの人が自由に発言した理由は、kaikokaikoさんが曖昧で、「どうとでも取れる」ようなことを――偶然か意図的にかは判りませんが――書かれたことに原因があると思います。しかし、それならまずその部分を確認するところから入っても良い。何故こんなことを言うかというと、私が批評空間さんに『無限煉姦』の感想を投稿し、工作員扱いされたときのことを思い出したからです。

意見・感想に対する肯定的な評価と否定的な評価というのは、一見全く逆に見えるかも知れませんが、私は質的な構成において今回の件と似たようなところを感じてしまいました。つまり、私を工作員認定した方というのは恐らくですが、「90点つけた」「曖昧なことを言っている」という結論を自分の自由に解釈して、私の感想とは直接関係のない自分の意見を表明したかったのだろう、と。書いてある内容を精査せずに自分に引きつけて好きなことを言って良いというのは、一歩間違えばそういう方向(言いがかりとか)にも行きうることだと私は思います。褒めるか貶すかというのは結果論であって、内部の構造は変わっていない

あるいはそれすらも、感想を書く者の自由だ、というラディカルな自由論はありえます。それなら納得はしないけど理解はできる。ただ、私は対話というのはお互いにとって意味があるからやるものだと思っています。ラディカルな自由論は最後には対話にならず、独り言を延々言い続けるような空しい行為になるのではないでしょうか。それは、私にはちょっとしんどいかな。

とはいえよくよく考えてみると、こうして直接kaikokaikoさんご本人に申し上げることもなくグダグダ言ってる私よりは、積極的に書き込んで対話をしにいった方のほうが立派だし誠実ですね。そして、私のここまでの解釈が壮大な言いがかりになっている可能性ももちろんある。うん、議論を自分の俎上に引っ張り込むって難しいです……。ただ曲がりなりには、非常にまわりくどい説明をしながら、どうしてこのような解釈になったかという説明はきちんとしたつもりです。おかしいところや異論反論があれば、おっしゃって頂ければ議論いたします。

では、長くなりましたがこの辺で。また明日お会いしましょう。

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