▼エロゲーレビューの適正文字数はあるのか
あ、先に結論を言うと「ない」ということになると思います(爆)。正確には、スタイルにあわせて自分で決定するものであるから、自分にとっての「最適字数」を検討する参考になるような話をしたいな、というのが今回のテーマ。ここにはもちろん、書き手にとってだけではなく、読み手にとっての字数という意味も含んでいます。
さて、自己紹介にも書いている通り、私は「エロゲー批評空間」さんでぼちぼちレビュー活動なんかをしております。まだレビュー数50作品もいっていないぺーぺーですが、最近、ちょっと悩みがある。それは、字数。1レビューあたりの文字数が増えてきて、どうしたものかなあ、などと悩んでいます。
色々試していたのですが、どうも自分的には4000文字前後が書きやすい。ただ、後で見直すと冗長になっているところなんかがあるので、ブラッシュアップすれば3000文字前後というのが、現状ひとつの目安です。ただ、どうもこれちょっと長いんじゃないかと言う気がしないでもない。
ちなみに、レビューを「一つのテーマについてまとまったことを言うという作業」として考えると、同系統で一般的なものの一つとして、高校で習う小論文というのがあります。
たとえば多くの大学入試の小論文では、800~1200字というのがスタンダードな文字数。ですので(勿論入試の課題文とエロゲー作品では、量がだいぶ違いますが)、内容要約+意見表明で1000文字前後、長くて2000字あたりが(最長と言われたかつての東大後期入試文三の小論文が、1問2400字でした)、一般レベルで意見表明する適切な分量なのかもしれません。恐らく読む側としても、そのくらいが読みやすいのではないでしょうか。
ただ、「一般レベル」と断った通り、専門的に「論」を意識した場合、これは全く物足りない分量。私が大学を卒業(文系です)したのはもう10年くらい前になりますが、当時卒論の基準が最低でも400字詰め原稿用紙100枚、つまり4万字でした。そして修論は、およそその倍。1000字とか、ぺら紙一枚で提出する論文要旨、ないしは研究計画書のレベルです。
もっとも4万だの8万だのは、あくまでまだ未熟な学生にあわせた文字数。学会誌などに投稿する論文の場合、普通もっと短い。長くてもだいたい2万字が相場じゃないでしょうか。これは文字数が少なくなって良かった、と安心するところではなく、「内容を圧縮して密度を高め、2万字で論じきれ」ということ。ハードルはむしろ上がっています。ダラダラした話はできないし、表現も絞っていかなければならない。長けりゃ良いってもんでもないワケです。まあ、当たり前ですね。
言うまでもなく論文とレビューとでは、求められるものが微妙に異なります。論文というのは、その論文に対してまた新しい議論を行うことで研究を進めるのが目的ですから、とにかく一つの論を精密かつ丁寧に進めなければならない。一方レビューの場合、焦点は作品自体に絞られるので、どちらかといえば作品内容が的確に伝わるもののほうが好まれるでしょう。場合によっては、作品の良さをポエムで表現したって良いかもしれません。
とはいえ、何か一つのテーマなり作品なりについて、問いをたてて論を展開し、結論らしきものを導出するのには2万字は要る、という風に考える奴らもいるわけです。かたや2000字、かたや20000字。その差10倍。どちらが妥当かをこの例から考えることに全く意味はありませんが、レビューに関する適正な文字数というのは少し気になっていました。そして恐らくそれは、レビューする側だけではなく、読む側の需要との関係で成立するものでしょう。
もちろん本当の意味で適正な文字数というのを「決定」することは不可能。そんなものはありえないと考えています。しかし、自分なりに「だいたいこのくらいの字数にする」という基準をつくることはスタイル確立という意味で無駄ではない。また読む際にも、自分が求めている情報が載っているレビューを探す助けになるかもしれない。というわけで今回の話になります。
▼点数制紹介系レビューの時代
それにしても、昔と比べると、エロゲーのレビューに求められる内容というのはだいぶ変化――ないしは分化したと思います。昔といっても2000年以前くらいですが。
今の常識では信じられないかもしれませんが、修正パッチですらフロッピー配布。インターネットがあまり普及しておらず、回線だってADSL。ユーザーカードを送って登録しなければ、パッチがもらえずエラーを抱えたままのゲームをプレイしなければならないこともザラでした。余談ですが、「不具合」に対して古参のエロゲーマーが激しい拒絶反応を見せるのは、この辺りの事情も絡んでいると思います。
そんな時代ですから、エロゲーの体験版だってほとんど無かった。CD付きの雑誌に、幾つかのブランドの体験版がまとめて数本収録してあるか、ショップの店頭に体験版CDが置いてある程度。ダウンロード形式の体験版なんて皆無です。それどころか、公式HPだって見るユーザーは限られていました。普段から雑誌を買ったりエロゲーショップに通っている人は良いでしょう。しかし、それにはお金も時間もかかります。また、今ほどエロゲーの認知度が高くありませんでしたから、雑誌を買ったりお店に頻繁に出入りすることに抵抗がある人も多かった。つまり、エロゲーの情報というのがそれなりに希少価値を持っていた。
だから、当時のユーザーがレビューに求める第一の価値は情報に置かれました。体験版がどれほど面白いかという内容的なことが軽視されたわけではありませんが、むしろ「こんな体験版がある」という事実や、スタッフが誰で、ジャンルは何かといった情報それ自体のほうが重視される傾向があったわけです。その具体例として、当時行われていたレビューの一つを下に載せてみます。
実はこれ、90年代後半から数年間、私が共同運営に参加させて頂いていたエロゲーレビューサイトのフォーマット。まんま載せると問題あるかもしれないので(あと私の黒歴史がバレるのが怖いので)多少レイアウトを変えましたが、いわゆるクロスレビュー採点形式。A~Eの5人の人間が、0点~3点(どうして1~5点とかにしなかったのか今でもよくわかりません)の点数を各項目に振っ、最後はそれを合計するというものでした。
5人もレビューする奴がいれば、見に来た人のセンスと合うのが1人くらいはいるだろう。そして、要素に分解することで、見に来た人の好みにあう要素を選んで貰える。なるべくユーザーが自主的に判断できる材料を増やし、徹頭徹尾「購入の参考」になる情報を提供する、というのがレビューの基本コンセプトでした。端的にまとめてしまうと、紹介系のレビューということです。
文章による「感想」よりも、要素分解による「点数制」を重視したサイトは他にも多かったですが、「紹介」という根っこの思想は同じだったのではないかと思います。無機質で表情が出にくい「数字」に評価を託すことで、なるべく評価に客観性を持たせ、データ的に処理できるようにしようとした。
勿論、そんなレビューばかりだったわけではありません。たとえばこの時期流行したレビュー形式の一つに、「対談形式レビュー」があります。そこでは文章形式で内容について詳しい紹介がされていました。ただ、いま敢えて「紹介」と書いたように、あくまで情報提供を目的としたレビューだった、という部分は大差ないと思います。もっとも創作(とくにイラスト)系のサイトで対談形式レビューが採用されていた場合、管理人さんの創作活動が主目的という場合もありましたが、まあ細かいことを言い出すとキリがないので、この当時は「情報提供重視のレビュー」が多かったということで、大ざっぱなまとめとさせてください。
▼批評系レビューの隆盛
しかし、インターネットの普及、回線の高速化にともない、ゲームの情報はどんどんブランドから公式発表されるものが増えてきました。デモムービーや体験版もどんどん配信される。そうなると、これまでレビューサイトが提供していた情報レベルでは、公式に配信されるゲーム情報に太刀打ちできなくなります。グラフィックの質がどうかは、体験版やOHPの画像を見た方が早いし、音楽はデモムービーで確認できる。となると、求められる情報は、公式では見えない内容になります。
くわえて、エロゲー作品自体にも質的な変化が見られるようになってきました。「Hシーン無し」でもクリア可能だった『Kanon』(1999年、Key)の登場に代表されるように、強い精神性を付すような作品も増えた。私見ですが、中でも大きな画期だったのは、『AIR』(2000年、Key)の登場ではないかと思います。複雑かつ難解な作品解釈を巡って、あちこちでかまびすしい議論が行われたわけですが、そのような状況下でレビューに求められたのはこれまでのように客観的な情報よりもむしろ、レビューを読む人が納得できるような「解釈」でした。
ここからゲームレビューは、大略二つの方向にわかれます。一つは、メーカー公式や雑誌の紹介以上に深く突っ込んだ形で作品紹介するという、紹介掘り下げパターン。もう一つは、作品の「解釈」に注力する、いわゆる「批評系レビュー」のパターンです。この際、どちらが優れているとかそういう議論をするつもりはありません。そもそも、目指している方向が違う。
採点・紹介パターンのレビューは、これまで通り購入の参考になることを目指したものです。しかし、「解釈」のほうに舵を切った批評系レビューは、購入後、いかにして作品を楽しむか、というところがクローズアップされていると言えるでしょう。ネタバレ要素を含むレビューなら尚更です。ですから、批評系レビューにとっては単に結論を出すことより、なぜそう思うかや、ある行動や台詞をどのように捉えるか、という過程部分の話が重要になってくる。必然、どんどん文章化――もっと言えば長文化が進みました。読み手に対して提供する情報の変化に伴い、語り方それ自体も変化していったわけです。
以上はかなり大ざっぱな――雑すぎてエロゲーレビューに一家言ある人ならば文句の2、3もつけたくなるであろう――素描ですが、レビューが「購入前の参考」を主とするか、「購入後の解釈」を主とするかに枝分かれしたという基本理解は、それほど大きくハズしていないと思います。
▼レビュースタイルに応じた字数の目安
さてそうなると、レビューが何を目指すかによって(あるいは読み手主体の言い方にすれば、レビューに何を求めるかによって)、適正な文字数のラインというのは変わってくるのではないかと思われます。要するにどんな類のレビューを目指すか、そしてどんな読み手に対してそれを書くか、ということがポイントになるという、きわめて当たり前の結論になるわけですが(長々話をしてきてそれかよ!)、以上を踏まえてもう少し突っ込んで考えてみたい。
いわゆる紹介系レビューは基本、コンパクトに情報がまとまっていることが求められます。購入の参考にするための資料なわけですから詳しいに越したことはありませんが、アホみたいにリサーチに時間をかけて、いつまで経っても肝心の作品を購入できないというのでは本末転倒。必要な情報をぴしっとまとめ、見やすく整理してくれたものほどありがたいということになります。また、当然複数のデータを参考にするのが前提となりますから、極端な話、一つのレビューで作品の内容を総覧できる必要もありません。あるポイントに関してのみ細かいデータを出すだけで充分価値ある情報となるし、仮に読み手にとって不要な情報であれば勝手に取捨選択してもらえるでしょう。そして、あまり自分と合わないレビューは見なくなる。それだけのことです。
一方批評系レビューは、上述したようにプロセスの提示がポイントになります。紹介系レビューと異なるのは、レビュー側の解釈の結果が読み手の感想と異なっていても全然問題がない、というところでしょう。すなわち、批評系レビューが作品の解釈を深めるためのものであるという視点にたてば、「レビューを読んで他の人が解釈する手掛かりとなる」ことこそ、レビューにとっての本義となるわけです。全く同意できない感想に出会ったとき、なぜこの感想に同意できないかを考え、それが作品を更に楽しむきっかけになる……なんてことはザラ。ですから、批評系レビューの場合は多少長くなっても丁寧に、読み取った内容やポイントを説明することが肝心。それさえ出来ていれば、結論には同意できなくても充分意味があるレビューなのです。
先日紹介した◆lainmistさんのご感想を、再び引き合いに出させて頂きます。lainmistさんはレビューで、ご自身の考えのプロセスを示しておられたからこそ私も反論するきっかけを掴むことができた。いわば私は、lainmistさんのご感想に助けられて自分の読み方を深めることができたわけです。その意味で、賛同はしないけれど参考になるレビューということになります。
これがたとえば、何を根拠にしたかの説明一切無しで「主人公は職人として駄目」とだけ書いてあったとか、あるいは「洋菓子店の描写が浅い」のような《結論だけ》の文章だったら、賛成も反対もできません。もっと厳しいパターンは、抽象的なマジックワードを連発するレビュー。私がかつてそういうレビューの書き手だったので(当時の感想を読むと、大声を上げながら町内を走り回りたくなるくらい恥ずかしいです)、自戒を込めて言いますが、レビューというのは「何となくそれらしい単語」で何か言えた気になって安心するということが非常に多い。「本当の幸福」(本当ってなんだ)とか、「あるべき姿」(あるべきって誰がきめたの)とか、価値をあらわす形容詞なんかには顕著にそれが出ます。あと、以前このブログでとりあげた「リアリティ」なんかは、その代表格かもしれません。
「この作品にはリアリティが無い。だから駄目」というだけの論評は、何か言っているようで、《議論としては》、実はなんにも言えていなかったりします。まず、「リアリティ」という語をどういう意味で使うのか(馬鹿げた虚構に対する現実の意味なのか、目指すべき理想に対する現実の意味なのか)はっきりしませんし――まあそこは文脈である程度理解できるとしても――どの部分で「リアリティ」が無いと判断したのかサッパリわからない。更に、「リアリティ」が無いことは何故だめなのか(逆に、「リアリティ」があると何が良いのか)もわかりません。たとえば、空から女の子が降ってくるというのは、どう考えても非現実的(虚構的)という意味ではリアリティがありません。じゃあ、『天空の城のラピュタ』というのは、リアリティが無いから面白くない作品なのでしょうか? このように考えると、「リアリティが無い。だからつまらない」というのは、論弁的な形式をとっているだけで、批評にはなり得ていないことがおわかりいただけるかと思います。しかし、《結論としては》駄目であるということをはっきり述べている。明確な評価は下しているわけです。だからむしろ、「つまんなかった」「趣味にあわなかった」という結論を述べた、紹介系レビューと考えた方が良いでしょう。
以上を踏まえれば批評系レビューというのは、どうしても一定以上の字数が必要になる。ポイントを絞ってモノを言う、というのは紹介系レビューと変わりませんが、自分が使う語句の意味や判断根拠となる作品の該当箇所を、きちんと説明しなければ成り立たないわけです。そして読む側も、レビュー内容がしっかりしたものほどレビューそれ自体や作品を長く楽しむことができるというメリットがあります。プレイを終えてなお作品を楽しむEXステージだと考えれば、レビューを読むことも含めて長く作品を楽しめるほうがお得と言えるかも知れません。
私のレビューは現状、紹介系と批評系の中間を狙っています。というか、批評空間さんではそういうレビューが結構多い気がする。ネタバレを避けて購入の参考になる情報的価値を確保しながら、一応作品に対する一つの解釈も示す、という形。ただ私の場合は、どちらかといえば批評系寄りに書いています。特に新作でないものについては、今更新しく購入の参考にする人よりは解釈を読みたい人のほうが多いのではないかということで、完全に批評系にシフトさせます。逆にマイナーで他にあんまりレビュー書いている人がいない作品については、紹介よりにシフトさせています。
ただいずれにしても、購入データの参考になりつつ、プレイ後に読んでもそこそこ参考にできるような(同意してもらえなくても、そういう視点もあるのかねと思って貰えるような)レビュースタイルにしようかな、と考えて書いているところ。最初に述べた「だいたい3000字」という基準は、小論文で1テーマについて内容的考察をする2000字前後と、要約・概要説明に求められる800字前後を足した数です。単純な足し算というのは芸がないと思いつつ、目安なのでその辺は適当で。私のレビュースタイルなんぞ心底どうでも良いことだと思いますが(延々話をしてしまってすみません)、この記事の前フリを私自身の話で始めたので、最後はやはり私の話で締めたほうがいいかなーと思って一応してみました。まあレビューする人間なんでその程度に目立ちたがりなのは勘弁してください。
私の話は措くとして、レビューを読む/書く際には、如上の内容をある程度意識すると、スタンスをとりやすくなるのではないかな、と思ったりします。個人サイトやブログ等で突っ込んだ論を展開したい場合は、それこそ何万字になる「大著」が向いている可能性はあります。特に閲覧者がそれを望んでいる場合は尚更でしょう。逆にAmazonレビューなどになると、よりコンパクトな紹介が求められる。読むのに何十分もかかる長い紹介より、一発で興味がわく、あるいは興味を失うような鋭い切れ味ある文章のほうが向いているように思います。
既に書いたとおり、レビューがどうあるべきか、などということは本来言えないし、言うべきではない。ただ、形式が内容に対して意味を持つということは事実としてあるはずです。その辺をもし意識化・自覚化したらどういうことになるかという一例をぐだぐだ書いてみましたが、いかがだったでしょうか(その割に最後が足し算といういい加減さですが)。エロゲーレビューを読んだり書いたりする皆さんにとって、なにがしかの参考にでもなればこれ幸い。……かなりいい加減なことも言っているので、ご批判ご意見あればそこは真摯にうけとめる所存でアリマス。
まだ何か言い忘れている気はするものの、そろそろ長くなってきたので撤退かな。……ブログの記事の「適切な字数」ってどれくらいなんでしょうね(ry。
それでは、また明日。
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あ、先に結論を言うと「ない」ということになると思います(爆)。正確には、スタイルにあわせて自分で決定するものであるから、自分にとっての「最適字数」を検討する参考になるような話をしたいな、というのが今回のテーマ。ここにはもちろん、書き手にとってだけではなく、読み手にとっての字数という意味も含んでいます。
さて、自己紹介にも書いている通り、私は「エロゲー批評空間」さんでぼちぼちレビュー活動なんかをしております。まだレビュー数50作品もいっていないぺーぺーですが、最近、ちょっと悩みがある。それは、字数。1レビューあたりの文字数が増えてきて、どうしたものかなあ、などと悩んでいます。
色々試していたのですが、どうも自分的には4000文字前後が書きやすい。ただ、後で見直すと冗長になっているところなんかがあるので、ブラッシュアップすれば3000文字前後というのが、現状ひとつの目安です。ただ、どうもこれちょっと長いんじゃないかと言う気がしないでもない。
ちなみに、レビューを「一つのテーマについてまとまったことを言うという作業」として考えると、同系統で一般的なものの一つとして、高校で習う小論文というのがあります。
たとえば多くの大学入試の小論文では、800~1200字というのがスタンダードな文字数。ですので(勿論入試の課題文とエロゲー作品では、量がだいぶ違いますが)、内容要約+意見表明で1000文字前後、長くて2000字あたりが(最長と言われたかつての東大後期入試文三の小論文が、1問2400字でした)、一般レベルで意見表明する適切な分量なのかもしれません。恐らく読む側としても、そのくらいが読みやすいのではないでしょうか。
ただ、「一般レベル」と断った通り、専門的に「論」を意識した場合、これは全く物足りない分量。私が大学を卒業(文系です)したのはもう10年くらい前になりますが、当時卒論の基準が最低でも400字詰め原稿用紙100枚、つまり4万字でした。そして修論は、およそその倍。1000字とか、ぺら紙一枚で提出する論文要旨、ないしは研究計画書のレベルです。
もっとも4万だの8万だのは、あくまでまだ未熟な学生にあわせた文字数。学会誌などに投稿する論文の場合、普通もっと短い。長くてもだいたい2万字が相場じゃないでしょうか。これは文字数が少なくなって良かった、と安心するところではなく、「内容を圧縮して密度を高め、2万字で論じきれ」ということ。ハードルはむしろ上がっています。ダラダラした話はできないし、表現も絞っていかなければならない。長けりゃ良いってもんでもないワケです。まあ、当たり前ですね。
言うまでもなく論文とレビューとでは、求められるものが微妙に異なります。論文というのは、その論文に対してまた新しい議論を行うことで研究を進めるのが目的ですから、とにかく一つの論を精密かつ丁寧に進めなければならない。一方レビューの場合、焦点は作品自体に絞られるので、どちらかといえば作品内容が的確に伝わるもののほうが好まれるでしょう。場合によっては、作品の良さをポエムで表現したって良いかもしれません。
とはいえ、何か一つのテーマなり作品なりについて、問いをたてて論を展開し、結論らしきものを導出するのには2万字は要る、という風に考える奴らもいるわけです。かたや2000字、かたや20000字。その差10倍。どちらが妥当かをこの例から考えることに全く意味はありませんが、レビューに関する適正な文字数というのは少し気になっていました。そして恐らくそれは、レビューする側だけではなく、読む側の需要との関係で成立するものでしょう。
もちろん本当の意味で適正な文字数というのを「決定」することは不可能。そんなものはありえないと考えています。しかし、自分なりに「だいたいこのくらいの字数にする」という基準をつくることはスタイル確立という意味で無駄ではない。また読む際にも、自分が求めている情報が載っているレビューを探す助けになるかもしれない。というわけで今回の話になります。
▼点数制紹介系レビューの時代
それにしても、昔と比べると、エロゲーのレビューに求められる内容というのはだいぶ変化――ないしは分化したと思います。昔といっても2000年以前くらいですが。
今の常識では信じられないかもしれませんが、修正パッチですらフロッピー配布。インターネットがあまり普及しておらず、回線だってADSL。ユーザーカードを送って登録しなければ、パッチがもらえずエラーを抱えたままのゲームをプレイしなければならないこともザラでした。余談ですが、「不具合」に対して古参のエロゲーマーが激しい拒絶反応を見せるのは、この辺りの事情も絡んでいると思います。
そんな時代ですから、エロゲーの体験版だってほとんど無かった。CD付きの雑誌に、幾つかのブランドの体験版がまとめて数本収録してあるか、ショップの店頭に体験版CDが置いてある程度。ダウンロード形式の体験版なんて皆無です。それどころか、公式HPだって見るユーザーは限られていました。普段から雑誌を買ったりエロゲーショップに通っている人は良いでしょう。しかし、それにはお金も時間もかかります。また、今ほどエロゲーの認知度が高くありませんでしたから、雑誌を買ったりお店に頻繁に出入りすることに抵抗がある人も多かった。つまり、エロゲーの情報というのがそれなりに希少価値を持っていた。
だから、当時のユーザーがレビューに求める第一の価値は情報に置かれました。体験版がどれほど面白いかという内容的なことが軽視されたわけではありませんが、むしろ「こんな体験版がある」という事実や、スタッフが誰で、ジャンルは何かといった情報それ自体のほうが重視される傾向があったわけです。その具体例として、当時行われていたレビューの一つを下に載せてみます。
実はこれ、90年代後半から数年間、私が共同運営に参加させて頂いていたエロゲーレビューサイトのフォーマット。まんま載せると問題あるかもしれないので(あと私の黒歴史がバレるのが怖いので)多少レイアウトを変えましたが、いわゆるクロスレビュー採点形式。A~Eの5人の人間が、0点~3点(どうして1~5点とかにしなかったのか今でもよくわかりません)の点数を各項目に振っ、最後はそれを合計するというものでした。
5人もレビューする奴がいれば、見に来た人のセンスと合うのが1人くらいはいるだろう。そして、要素に分解することで、見に来た人の好みにあう要素を選んで貰える。なるべくユーザーが自主的に判断できる材料を増やし、徹頭徹尾「購入の参考」になる情報を提供する、というのがレビューの基本コンセプトでした。端的にまとめてしまうと、紹介系のレビューということです。
文章による「感想」よりも、要素分解による「点数制」を重視したサイトは他にも多かったですが、「紹介」という根っこの思想は同じだったのではないかと思います。無機質で表情が出にくい「数字」に評価を託すことで、なるべく評価に客観性を持たせ、データ的に処理できるようにしようとした。
勿論、そんなレビューばかりだったわけではありません。たとえばこの時期流行したレビュー形式の一つに、「対談形式レビュー」があります。そこでは文章形式で内容について詳しい紹介がされていました。ただ、いま敢えて「紹介」と書いたように、あくまで情報提供を目的としたレビューだった、という部分は大差ないと思います。もっとも創作(とくにイラスト)系のサイトで対談形式レビューが採用されていた場合、管理人さんの創作活動が主目的という場合もありましたが、まあ細かいことを言い出すとキリがないので、この当時は「情報提供重視のレビュー」が多かったということで、大ざっぱなまとめとさせてください。
▼批評系レビューの隆盛
しかし、インターネットの普及、回線の高速化にともない、ゲームの情報はどんどんブランドから公式発表されるものが増えてきました。デモムービーや体験版もどんどん配信される。そうなると、これまでレビューサイトが提供していた情報レベルでは、公式に配信されるゲーム情報に太刀打ちできなくなります。グラフィックの質がどうかは、体験版やOHPの画像を見た方が早いし、音楽はデモムービーで確認できる。となると、求められる情報は、公式では見えない内容になります。
くわえて、エロゲー作品自体にも質的な変化が見られるようになってきました。「Hシーン無し」でもクリア可能だった『Kanon』(1999年、Key)の登場に代表されるように、強い精神性を付すような作品も増えた。私見ですが、中でも大きな画期だったのは、『AIR』(2000年、Key)の登場ではないかと思います。複雑かつ難解な作品解釈を巡って、あちこちでかまびすしい議論が行われたわけですが、そのような状況下でレビューに求められたのはこれまでのように客観的な情報よりもむしろ、レビューを読む人が納得できるような「解釈」でした。
ここからゲームレビューは、大略二つの方向にわかれます。一つは、メーカー公式や雑誌の紹介以上に深く突っ込んだ形で作品紹介するという、紹介掘り下げパターン。もう一つは、作品の「解釈」に注力する、いわゆる「批評系レビュー」のパターンです。この際、どちらが優れているとかそういう議論をするつもりはありません。そもそも、目指している方向が違う。
採点・紹介パターンのレビューは、これまで通り購入の参考になることを目指したものです。しかし、「解釈」のほうに舵を切った批評系レビューは、購入後、いかにして作品を楽しむか、というところがクローズアップされていると言えるでしょう。ネタバレ要素を含むレビューなら尚更です。ですから、批評系レビューにとっては単に結論を出すことより、なぜそう思うかや、ある行動や台詞をどのように捉えるか、という過程部分の話が重要になってくる。必然、どんどん文章化――もっと言えば長文化が進みました。読み手に対して提供する情報の変化に伴い、語り方それ自体も変化していったわけです。
以上はかなり大ざっぱな――雑すぎてエロゲーレビューに一家言ある人ならば文句の2、3もつけたくなるであろう――素描ですが、レビューが「購入前の参考」を主とするか、「購入後の解釈」を主とするかに枝分かれしたという基本理解は、それほど大きくハズしていないと思います。
▼レビュースタイルに応じた字数の目安
さてそうなると、レビューが何を目指すかによって(あるいは読み手主体の言い方にすれば、レビューに何を求めるかによって)、適正な文字数のラインというのは変わってくるのではないかと思われます。要するにどんな類のレビューを目指すか、そしてどんな読み手に対してそれを書くか、ということがポイントになるという、きわめて当たり前の結論になるわけですが(長々話をしてきてそれかよ!)、以上を踏まえてもう少し突っ込んで考えてみたい。
いわゆる紹介系レビューは基本、コンパクトに情報がまとまっていることが求められます。購入の参考にするための資料なわけですから詳しいに越したことはありませんが、アホみたいにリサーチに時間をかけて、いつまで経っても肝心の作品を購入できないというのでは本末転倒。必要な情報をぴしっとまとめ、見やすく整理してくれたものほどありがたいということになります。また、当然複数のデータを参考にするのが前提となりますから、極端な話、一つのレビューで作品の内容を総覧できる必要もありません。あるポイントに関してのみ細かいデータを出すだけで充分価値ある情報となるし、仮に読み手にとって不要な情報であれば勝手に取捨選択してもらえるでしょう。そして、あまり自分と合わないレビューは見なくなる。それだけのことです。
一方批評系レビューは、上述したようにプロセスの提示がポイントになります。紹介系レビューと異なるのは、レビュー側の解釈の結果が読み手の感想と異なっていても全然問題がない、というところでしょう。すなわち、批評系レビューが作品の解釈を深めるためのものであるという視点にたてば、「レビューを読んで他の人が解釈する手掛かりとなる」ことこそ、レビューにとっての本義となるわけです。全く同意できない感想に出会ったとき、なぜこの感想に同意できないかを考え、それが作品を更に楽しむきっかけになる……なんてことはザラ。ですから、批評系レビューの場合は多少長くなっても丁寧に、読み取った内容やポイントを説明することが肝心。それさえ出来ていれば、結論には同意できなくても充分意味があるレビューなのです。
先日紹介した◆lainmistさんのご感想を、再び引き合いに出させて頂きます。lainmistさんはレビューで、ご自身の考えのプロセスを示しておられたからこそ私も反論するきっかけを掴むことができた。いわば私は、lainmistさんのご感想に助けられて自分の読み方を深めることができたわけです。その意味で、賛同はしないけれど参考になるレビューということになります。
これがたとえば、何を根拠にしたかの説明一切無しで「主人公は職人として駄目」とだけ書いてあったとか、あるいは「洋菓子店の描写が浅い」のような《結論だけ》の文章だったら、賛成も反対もできません。もっと厳しいパターンは、抽象的なマジックワードを連発するレビュー。私がかつてそういうレビューの書き手だったので(当時の感想を読むと、大声を上げながら町内を走り回りたくなるくらい恥ずかしいです)、自戒を込めて言いますが、レビューというのは「何となくそれらしい単語」で何か言えた気になって安心するということが非常に多い。「本当の幸福」(本当ってなんだ)とか、「あるべき姿」(あるべきって誰がきめたの)とか、価値をあらわす形容詞なんかには顕著にそれが出ます。あと、以前このブログでとりあげた「リアリティ」なんかは、その代表格かもしれません。
「この作品にはリアリティが無い。だから駄目」というだけの論評は、何か言っているようで、《議論としては》、実はなんにも言えていなかったりします。まず、「リアリティ」という語をどういう意味で使うのか(馬鹿げた虚構に対する現実の意味なのか、目指すべき理想に対する現実の意味なのか)はっきりしませんし――まあそこは文脈である程度理解できるとしても――どの部分で「リアリティ」が無いと判断したのかサッパリわからない。更に、「リアリティ」が無いことは何故だめなのか(逆に、「リアリティ」があると何が良いのか)もわかりません。たとえば、空から女の子が降ってくるというのは、どう考えても非現実的(虚構的)という意味ではリアリティがありません。じゃあ、『天空の城のラピュタ』というのは、リアリティが無いから面白くない作品なのでしょうか? このように考えると、「リアリティが無い。だからつまらない」というのは、論弁的な形式をとっているだけで、批評にはなり得ていないことがおわかりいただけるかと思います。しかし、《結論としては》駄目であるということをはっきり述べている。明確な評価は下しているわけです。だからむしろ、「つまんなかった」「趣味にあわなかった」という結論を述べた、紹介系レビューと考えた方が良いでしょう。
以上を踏まえれば批評系レビューというのは、どうしても一定以上の字数が必要になる。ポイントを絞ってモノを言う、というのは紹介系レビューと変わりませんが、自分が使う語句の意味や判断根拠となる作品の該当箇所を、きちんと説明しなければ成り立たないわけです。そして読む側も、レビュー内容がしっかりしたものほどレビューそれ自体や作品を長く楽しむことができるというメリットがあります。プレイを終えてなお作品を楽しむEXステージだと考えれば、レビューを読むことも含めて長く作品を楽しめるほうがお得と言えるかも知れません。
私のレビューは現状、紹介系と批評系の中間を狙っています。というか、批評空間さんではそういうレビューが結構多い気がする。ネタバレを避けて購入の参考になる情報的価値を確保しながら、一応作品に対する一つの解釈も示す、という形。ただ私の場合は、どちらかといえば批評系寄りに書いています。特に新作でないものについては、今更新しく購入の参考にする人よりは解釈を読みたい人のほうが多いのではないかということで、完全に批評系にシフトさせます。逆にマイナーで他にあんまりレビュー書いている人がいない作品については、紹介よりにシフトさせています。
ただいずれにしても、購入データの参考になりつつ、プレイ後に読んでもそこそこ参考にできるような(同意してもらえなくても、そういう視点もあるのかねと思って貰えるような)レビュースタイルにしようかな、と考えて書いているところ。最初に述べた「だいたい3000字」という基準は、小論文で1テーマについて内容的考察をする2000字前後と、要約・概要説明に求められる800字前後を足した数です。単純な足し算というのは芸がないと思いつつ、目安なのでその辺は適当で。私のレビュースタイルなんぞ心底どうでも良いことだと思いますが(延々話をしてしまってすみません)、この記事の前フリを私自身の話で始めたので、最後はやはり私の話で締めたほうがいいかなーと思って一応してみました。まあレビューする人間なんでその程度に目立ちたがりなのは勘弁してください。
私の話は措くとして、レビューを読む/書く際には、如上の内容をある程度意識すると、スタンスをとりやすくなるのではないかな、と思ったりします。個人サイトやブログ等で突っ込んだ論を展開したい場合は、それこそ何万字になる「大著」が向いている可能性はあります。特に閲覧者がそれを望んでいる場合は尚更でしょう。逆にAmazonレビューなどになると、よりコンパクトな紹介が求められる。読むのに何十分もかかる長い紹介より、一発で興味がわく、あるいは興味を失うような鋭い切れ味ある文章のほうが向いているように思います。
既に書いたとおり、レビューがどうあるべきか、などということは本来言えないし、言うべきではない。ただ、形式が内容に対して意味を持つということは事実としてあるはずです。その辺をもし意識化・自覚化したらどういうことになるかという一例をぐだぐだ書いてみましたが、いかがだったでしょうか(その割に最後が足し算といういい加減さですが)。エロゲーレビューを読んだり書いたりする皆さんにとって、なにがしかの参考にでもなればこれ幸い。……かなりいい加減なことも言っているので、ご批判ご意見あればそこは真摯にうけとめる所存でアリマス。
まだ何か言い忘れている気はするものの、そろそろ長くなってきたので撤退かな。……ブログの記事の「適切な字数」ってどれくらいなんでしょうね(ry。
それでは、また明日。