よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012年03月

エロゲーの作品と比較と歴史の話

先日ぼんやりとタイムラインを眺めていたら、「君のぞもやらずにWA2を語るな」というようなツイートが流れてきました。実際はもう少し過激な文面であり、本来ならそれをここで引用するのが筋なのですが、鍵アカウントの人が、更に鍵付きの相手から非公式RTしたという複雑な事情があり、私のほうで発言の当事者が本当にそんなことを言ったのか裏をとれていない又聞き状態なので(こんな発言捏造しても誰も得しないので、嘘ではないと思いますが、冗談の一環として発言している可能性はある)、だいたいそんな感じの発言がどうやらあったらしい、というくらいに認識してください。

私はこれを聞いて(正確には読んで、ですが)、「またか」と思いつつ、あまり良い気持ちはしませんでした。理由は大きく二つあって、一つは、なぜ「君のぞ」と「WA2」が繋がるかを示さずにそういうことを言う、その中味の無さ。もう一つは、意見の表明なら自由にすれば良いと思うのですが、根拠があるんだかないんだかわからない権威主義的(たぶん自分が「君のぞ」をやっていることが権威として機能しているからこういうことが言えたんだろうと思います)な態度で、他のユーザーを頭ごなしに否定するところ。

実際問題、この手の「~も知らないくせに、偉そうに語るな」みたいな言説、ずーっと昔からたまに見かけます。ハッキリした傾向でなくとも、たとえばエロゲーやってる本数が多いとか、昔の作品をやっているとか、そういうことが端的にすごいことだと受け取られる傾向はある。その延長に、やった本数が多いと威張れる・少ないと気後れする、ということがあるのでしょう。けど、私としては、こんなバカな話は無いと思います。たかがエロゲーに必死になって、などと言うつもりは毛頭ありません。むしろ、必死だからこそ思うのです。エロゲーだろうがなんだろうが、好きなモノについて語るのに、何の資格が要るというのか。

昔は、こういう発言を聞くたびにカチンときて、でも自分に知識がない言い訳で抵抗していると思われたら嫌だから、なけなしの金をはたいて必死にエロゲーをやりまくりました。そうしてかれこれ十数年。人並み以上に本数をこなしているという自負はありますが、こなした本数なんて、ぶっちゃけ大したことないと思います。いや、正確には、こなした本数が価値を持つのは、非常に限られた条件のもとではないか、と思うようになりました。

つらつら考えてみるに、この手の本数至上主義というか、知識崇拝というか、そういうのの背景にはおそらく、エロゲーの――正確にはエロゲーに限らずオタク文化全般の――学問化のようなものがあるのでしょう。学問化という言い方が適当でないかもしれないので言いなおすと、エロゲーの作品に対する評価というのがユーザーの間でメジャーなコンテンツになった。その時、評価をするうえで導入された、既存の「学問的方法論」の影響が色濃く出ている、という感じです。

ことわっておくと、私個人としてはそのような傾向に対して否定的ではありません。むしろ、個人的な感想を繰り返すだけでなく、ある種の客観的基準を導入しようという試みは、作品の内容をより豊かにする助けになるでしょうし、批評文化が盛り上がることはコマーシャル・セールスという実利的な面からみても少なからずプラスがあるはずです。

しかしながら、生兵法はけがのもととでも言いますか、無自覚に方法を振り回すと、かえってたちの悪いことにもなりかねない。その代表例が、冒頭にあげたように中途半端な博物学的関心でしょう。


「学問的方法」のなかで、傍目にはとても分かりやすそうに見える手法の一つが、おそらくは比較論です。AとBを並べて、その違いやつながりを説明する。客観的な証拠もあり、違いが言えた/繋がりが言えたということで、一応結論らしきものも出る。形式のテンプレートにも載せやすいし、知識を加工(分析や読解)無しに直接使える……ように見えます。

しかし、比較するということは、実は結構難しい。AとBを比べるためにはまず、AとBとの間で同じところと違うところがどこか、説明しなければなりません。さらにそのうえで、なぜその2つを比べたのか、比べることで何がはっきりするのかも明らかにする必要がある。たとえば、「ケーキとまんじゅう」を比べるとき、両者は菓子という共通性があるけれど、西洋と東洋という違いがある。2つを比べることで、欧米と日本の間の甘さに対する感性の違いを明らかにしたい……というように。

比較においてはそのような「目の付け所」こそが重要なのですが、多くのエロゲー的比較論は、単に「あれとこれが似ている」「ここが違う」という、説明に終始していて、それがどういう意味を持つのかは等閑視されがちです。そうやって並べて違いを見ているというのは、二つの作品の箱を並べて「パッケージの色が違うネ!」と言っているのと、たいして変わりません。そりゃ違う作品なんだから、細部は異なるわい。そんなことが言いたいだけなら別に、君のぞやらずにWA2について語っても何の問題もないと思うわけです。

逆に、もしAとBの間――「君のぞ」と「WA2」の間――に、比較するに値することがあるかもしれません(実際あるだろうと私は思います)。しかし、それはあくまで比較において導かれることであって、作品単体をかたってはいけない、ということにはならない。比較すると違うものが見えてくる、というだけのはずです。

具体的に考えてみましょうか。あくまでも私見ですが、「君のぞ」を「WA2」と比較する場合、三角関係という構図が同じであるにもかかわらず、ユーザーの印象が結構違う。それは何故か。「君のぞ」は水月か遙のどちらを選ぶか、という作品だったのに対し、「WA2」はかずさか雪菜、どちらを切るか、という作品になっている。だから、孝之はどんなに相手を振る選択肢を選んでも振り切らないし、春希はつきあう選択肢を選び続けても問題が解決しない。結果は同じでも、過程が違う作品で、だからこそ描かれている恋愛観がずれているんだ――とかなんとか、言おうと思えば言える気がします。

で、そこからたとえば「WA2」の恋愛観について何か言えたとしましょう。

その結論は原則、「WA2」単体からでも導けるものでなければならないはずです。当たり前ですね。そうじゃなかったら、「WA2」についての話になりません。「君のぞ」はあくまで見通しをよくする為のサポートで、「君のぞ」無しでは出てこないような話になるなら論外です。

または、「君のぞ」と「WA2」の比較からしか言えないこと、というのもあるかもしれません。しかしそれは、そもそも「WA2」の話をしたい人にとってはどうでもいいことのハズです。「WA2」の話がしたいのに、別の作品との関係でしか言えないようなことを言われるというのは、カレーたのんだらラーメン持ってこられたみたいな理不尽きわまりないお話でしょう。いずれにしても、ある作品について語るのに、別の何かを知らなければ何も言えない、なんてことは無いはずです。


比較以外にもう一つ、感想や評価を権威付ける手っ取り早い方法として、「歴史」というのがあります。こういう歴史の流れの中に位置づく、ということを言えば、何か大きなことが言えた……! というパターンです。今回の場合なら、三角関係作品という系譜の中にあてはめた、ということですね。

しかし、これもまた実際にはそう簡単ではありません。そもそも、歴史というのは別に客観的な事実ではないので、ただ単に並べれば良いってものじゃないわけです。私は歴史学には門外漢なので、偉そうなことを言うのも気が引けますが、歴史記述ということを巡っては多少専門に片足突っ込んでいる部分もありますので、少し回り道をさせてもらいます。そんな専門的な話ではなく、かなり端折った大ざっぱな話ですが。

最近の学生は――といっても、私の同年代が大学生だったころからそうですが、歴史というのが一つの思想であるということを聞いたことがない、という人が結構多いみたいです。確かに、高校とかでは習わないんですよね。酷いのになると、年表というのは事実の羅列だと思っている人がいる。

当たり前の話ですが、実際の歴史的事実というのは、教科書やら年表やらに書き残せるものではありません。叙述された歴史というのは、何らかの意図に沿って編集されたものでしかないわけです。たとえば今の日本史の教科書・近現代史なら、「民主主義の称揚」と「反戦」いうのが大きなテーマでしょうか。その線に沿って編集されている(だからこそ、「つくる会」との教科書問題が起こるわけです)。

歴史マニア、記録マニアと言われた古代中国なら、王朝の勃興から滅亡までをことこまかく記している、あれは客観的事実記述を目指したんじゃないのか、という反論があるかもしれません。しかしああいった歴史にしても、始まりから終わりまでを描くことで、なぜ始まり、なぜ終わったのかが問われている。その歴史が描いているのはさしずめ、「天帝」の意志でしょう。「最後の審判」へと向かうユダヤ・キリスト教であれば、歴史には「神」の意志があらわれる。ヘーゲルが「歴史は絶対精神の発展過程」と言ったのもそういうことです。

ちょっと話が飛びました。要するに、歴史の中に何かを位置づけるというのもやはり、ものの見方を提示することに意味があるのであって、なんとなく繋がりました、なんて言っても「あ、そう」で終わっちゃうわけです。

分かりやすい例になるか知りませんが、エロゲーなら、ランキングのようなものを想像してみれば良いのではないでしょうか。2011年をエロゲーで振り返ってみて、と言われたとき、たとえば1月に1本をとりあげて12本のエロゲーで1年を語ることもできるし、売上の1位~10位を並べて10本で1年を語っても良い。自分の好きな作品を並べることもできるし、特定のジャンルに絞って振り返ることも可能でしょう。

結局、作品相互の繋がりというのは、やろうと思えばどんな風にでも繋ぐことができる。だからこそ、なぜその2つが繋がるのか、それを繋ぐことで何が言えるのか、という「視点」の説明こそが、本当に重要な課題となるはずです。それが言えたなら、ある作品を過去の作品の歴史(エロゲー史)の中に位置づけるということの意味は出てくるでしょう。文学史にしても政治史にしても思想史にしても、その「史」が何を語るために必要なのか、ということこそが重要で、それがあるから、「~も読んでないなんて論外」みたいな話が出てくるわけですが、エロゲーにそこまで体系だった「史」が存在しているという話は、私は寡聞にして存じません(あったら是非教えてください)。

そして、よしんば存在したとしても、別にだからといって作品個別について何かを語ることが禁じられるわけではないだろう、と思います。


なんだか最初の話から、随分遠いところへ来てしまった感じがしますが、とにかく「~を知らないから語るな」というような言い方は、個人的にはNGというか論外に思えます。そして、過去の作品との比較で何かを語ったり、史的な観点で作品を位置づけるなら、たんに事実を並べるだけではなく、そのことの意義こそが重要なのだ、ということが今回の話の結論ということになるでしょうか。頭にやや血が上っていたので、自分でも何を書いてるか覚束なくなっていますが……。

いやもちろん、昔を懐かしんで、「あれとこれって似てるよね!」というような話を否定するつもりは全くありません。そういう話は私だってどんどんします。どちらかというと懐古厨ですから。ただ、知っているということだけをかさにきて、他の人を攻撃するとか、そういうのは本当に無意味ですよね。

まあツイッターではちょっと言いましたが、そういう人はきっとそのうち、若い世代の最先端からどんどん取り残されて、可哀想なことになるんだろうなああ、ほっときゃ良いか、とも思うのですが、現在進行形の問題としてやはり、いらないプレッシャーを与えているわけですし、「単に物知りになったら良い」というような、私が植え付けられた洗脳じみた誤解が蔓延するのはよろしくないことだという気もするわけです。

それとは別に、この記事の最初のほうにちょっと布石を打ったのですが、「エロゲー史」的な興味関心に基づいて体系立った「通史」を、考えてみるのも面白いのかな、と。もちろん、それに近い著書やWEBサイトをいくつか存じ上げてはいるのですが、私の知る限り、まだたたき台、という感じがします。私自身は史学的視点をまったく持てない大ざっぱな人間なのですが、個別の作品をより深く捉える上で、史的な視点というのが欲しくなるときはやっぱりある(ここまでの議論とは矛盾しませんよ!)ので、だれかやってくれないかなー。やってくれたら本買うのになー……。

と、今回はそんなお話でした。グダグダになりましたが、この辺で。それでは、また明日。

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ボタンを付けてみようと思ったけれど

今のところ私はツイッターしかやっていないのでツイッターボタンだけでも良いかなと思っていたのですが(そんなにアクセス数も無いし)、集客増やそうと思うならボタンつけなきゃ! と強く言われ、そりゃそうだなーと思いました。ついでに、ツイッターボタンの表示がちょっとおかしいのもこの機に直そうかと考えたのですが、めんどくさいからいいや……。

とりあえず、「はてブ」「Google」「facebook」あたりが主流だと聞いたのですが、私の記事でfacebook系の人は来ないだろうという読みから(あと、個数が増えると単純にめんどくさい)、前者2つを増設しようかと思います。

といっても、本人がその手のボタンをツイッター以外押したことがないので、どういう効果があるかサッパリ解っていないのですが。皆さん、どういう基準でどういうボタンを付けているんでしょう。ま、やっていればそのうちわかるのかもしれないし、何ごともやってみてからですね。

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レビュー(ラノベ):冴木忍『メルヴィ&カシム』

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冴木忍『メルヴィ&カシム』1~6巻
(1991年~ 富士見ファンタジア文庫 イラスト:幡池裕行【1,2】→竹井正樹【3~6】)
シリーズ一覧
『幻想封歌』:1991年
『銀の魔女』:1993年
『いかなる星の下に』:1994年
『未来は君のもの』:1995年
『明日はきっと晴れ!』:1996年
『六花の舞う頃に』:2000年

以前紹介した『カイルロッド』の作者、冴木忍さんのデビュー作。それが、『メルヴィ&カシム』です。また古い本、しかも未完というダブルパンチで需要が低い気もしますが、こういうほうが逆に新しいだろう! という意味のわからない言いわけをしつつ、紹介させていただきます。

全世界に名を轟かす大魔法使いメルヴィと、その弟子・カシムが主人公。語りは、カシムの一人称です(冴木氏の作品の中では結構めずらしい)。魔法使いというのは基本的に誰かの依頼を受けて厄介事を解決するなどして生計を立てており、メルヴィは容姿端麗なうえに並ぶもの無しの実力者。さぞや繁盛しているだろう……と思いきや、二人は毎日塩スープ(要するに具が無い)をすするしかないような貧乏ぐらしを強いられていたのでした。

それもこれも、原因はメルヴィ。なにせ、傲岸不遜、美女には優しいが男に対してはゴミ以下の扱いというフェミニスト。ひとたび動けば強大な魔力で気に入らないものを全て吹き飛ばすというありさま。おかげで、轟くその名は悪名ばかり。依頼人もほとんど来ない。曰く、「依頼しに行くときの暗い表情が、帰る時はさらに暗くなる」、「最悪が二乗になる」、「依頼しないほうがマシ」……。本当にどうしようもなくなって、大博打に出た人か、とんでもない陰謀にメルヴィを利用しようとする人しか依頼には訪れない、という状況。カシムはそんなメルヴィに拾われて弟子入りしたものの、魔法は一切教えてもらえず、専業主夫として家事にいそしむ毎日を送っているのでした。

そんなメルヴィ一家ですから、ひとたび依頼が舞い込むと、さぁ大変。とんでもなく厄介な依頼だったり、とんでもなく胡散臭い依頼だったりと、行く先行く先で金田一少年やコナン君も真っ青のトラブル連発。基本的には全てメルヴィが解決するのですが、その過程で、「なんでもできる」魔法の力というのが決して無邪気に幸せをもたらすものではないということや、魔法では解決できない(してはいけない)問題があるということなどをカシムが学び、少しずつ成長していく、という物語です。

シリーズものではあるのですが、基本的に1話完結の物語が続いていて、全てを紹介してもうっとうしいだけ(私としては苦痛ではないのですが)でしょうから、デビュー作である『銀の魔女』(単行本2冊目ですが、第一回ファンタジア大賞で佳作をとったのが『銀の魔女』)のお話をしておきましょう。

発端は、都市国家《青の都》の大臣からの依頼。王子二人による王位争いのさなか、シルディールという謎の美女が突如あらわれ、王の遺言状と王冠を手に王位を簒奪。王子ともども大臣をたたき出した……。と、そこまで聞いたところでメルヴィがぶち切れ。「お家騒動なんぞにつきあってられるか!」と、大臣を殴り飛ばし、酒場を吹き飛ばしての大惨事。挙句の果てに大臣のふところから金銀宝石を盗んでいたということで警備隊に囲まれ、あわや大捕物の大ピンチに。その後なんだかんだあって、シルディールに面会したカシムは、《青の都》にまつわるある大きな秘密と、彼女の意外な正体を知ることになるのでした。

50ページほどの短編で、(加筆修正されているとはいえ)デビュー作。テーマ先行というか、途中経過や心理描写がすっとばし気味で唐突なのは否めません。他の作品や、2巻に収録されている「月の雫の降る都」や「君に吹く風」と比べても、完成度はやや劣るというのが正直なところです。

しかし、それにもかかわらずなのか、それゆえになのか、後半怒涛の展開に含まれるエッセンスは、いかにも「冴木節」という感じ。全てを見届けた後のシルディール。カシムの叫び声。そして、「俺だとて夢をいつまでも残してはおけん」という、メルヴィの重く、悲しい一言。

人は誰もが、どうしようもないできごとに直面して、どうしようもない想いを胸に生きて、結局どうすることもできないままに死んで行く。冴木忍の描く世界は、そういうやりきれないキャラクターたちが大量に出てきます。本作には、そういう「冴木ワールド」のエッセンスが、びっしりと詰まっている。

昨今のエロゲーだったら、「鬱エンド」とか言われていたかもしれません。けれど、『メルヴィ&カシム』が人気なのは、鬱だから、というわけではないでしょう。多くのレビューが「悲しくも美しい」という表現を好んで用いているように、この物語は、どこかで「救い」があって、綺麗に落ちがつく。確かに悲しくて、哀しくて、やりきれない想いが渦巻くのだけれど、どこかでこのキャラたちは救われたという感じがする。

それ(救われた感)はたぶん、メルヴィが「なんでもできる」魔法使いと称されているからこそ、それでもどうしようもないできごとを前に本気で苦悩していることと、無力なカシムが自分の無力と世の理不尽に対して本気で嘆き悲しんでいることとが、読んでいる私たちに伝わるからだと思います。カシムやメルヴィは、きっとこのどうしようもないことを、ずっと覚えているだろう。そして、読み手である私たちも同じように、このできごとを悲しみ、記憶にとどめておこう。そう思えるということが、作中のキャラクターにとって何よりも強い慰めや救いになるのだと思います。

ここまでしてきたような説明からだとちょっと青臭いというか、冴木作品の引力が劇的に働く年代というのは、思春期の真っ只中という印象をうけるかもしれないのですが、そんなことはありません。私自身の経験で言えば、昔はカシムやメルヴィに重ねていた想いを、いまは依頼人のほうに重ねて読むことができる。違った視点で読むことで、また違った面白さが見えてくる作品です。

今回は『メルヴィ&カシム』のお話でした。一部同年代のオッサンとか、コアなファン狙い撃ちと言われそうですが、実際その通りなので言いわけはしません。でも、手に入るならぜひ読んでみてほしいなーと思います。富士見さん、復刊してくれませんか……。というか、続刊はもうでないかなあ(泣)。

というわけで、本日はこれにて。また明日、お会いしましょう。それでは。

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グリザイアミュージアムに行ってきた

グリミュ
秋葉原ぷちげま前。中は撮影禁止なので、入り口のみ。

ちょっとお昼に時間ができたので、気になっていた「グリザイアミュージアム」に特攻してきました。場所は、秋葉原のぷちげま。中央通りに面した建物の地下一階です。開催期間は2012年3月10日(土)~4月8日(日)。時間は、11時~19時。

3月10日には限定グッズ販売があったそうですが、残念ながらそこには行けなかった(´・ω・`)。こんな中途半端な時に行くのもどうかなーと思いつつ、平日の昼間ならそんなに人も居るまいという読み。

で、入ったところお客さんは2、3名。カップルもいました。デートで美術館とはなかなか良いご趣味で……。まあこちとら天音さんとかとの時間を過ごす為に来ているので、爆発しろ! なんてことは思いません。むしろ二次元の恋人に集中できない彼に、哀れみの視線を投げておきました。フッ……。

それはさておき、階段を降りて左手がミュージアム。ゲーム内CGや、雑誌・ポスター用イラストの特大パネルが展示してありました。でかいだけあって綺麗だし迫力はある! 凄く良い……のですが、ちょっと枚数が少なくて拍子抜けしたのも正直なところ。スペースの都合上、そんなに大がかりなものではないと解っていましたが、じっくり見ても30分かからないと思います。それ以上居られると、人数が飽和しちゃうので仕方ないのでしょう。

あとは、物販スペースと大画面で流れるグリザイアのムービー。店内BGMも当然テーマソング。キャラクター人気投票スペースには、学園の制服が展示してありました。3000円以上購入で、豪華賞品(直筆サイン入り特大タペストリーや、OPアニメフィルムなど)があたるガラポンが引けるようでしたが、特賞がまだ残っているのかどうか、確認するのをすっかり忘れて、なんにも買わずにそのまま帰ってきてしまいました。一回くらい引けば良かったかな……。でも、新作ラッシュ控えているし我慢我慢。

3月24日には、限定グッズの「絵馬」が発売されるそうで、それを2つ購入のうえ、でじこ神社に奉納すると、特製ブロマイドが貰えるそうです。気になる方は、24日に行かれると良いかと。私もちょっと覗いてみるつもり。

すごい展示を期待して行くと肩すかしかもしれませんが、グリザイアが好きで、雰囲気にどっぷり漬かりたい! ということなら行って損無し。限定グッズも購入できるので、話の種にはなるし、お土産やプレゼント(笑)にも良いかもしれません。

というわけで、本日はグリミュに行ってきたという話でした。それではこの辺で。また明日お会いしましょう!

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『WHITE ALBUM2 ORIGINAL SOUNDTRACK ~setsuna~』収録曲投票

数日前から、Leafさんの公式サイトで、『WHITE ALBUM2』のOSTに関する告知が始まっています。どうやら、ユーザー投票によって収録するヴォーカル曲の一部を決定する模様。
第3弾「WHITE ALBUM2 ORIGINAL SOUNDTRACK ~setsuna~」 2012年夏頃 発売予定
予価 3,150円(税込)

本編で歌っている曲以外に、他作品の曲を4~5曲ほど新規収録します!
下記バナーよりあなたが雪菜に歌ってほしい曲をお聞かせください。
WA2OST

現在は「Feeling Heart」(To Heart)と、「I hope so」(天使のいない12月)、「舞い落ちる雪のように」(アニメ版WHITE ALBUM)の3曲でしのぎを削っている様子。その下も団子ですが、先日までは「I hope so」がちぎっていたので、追い上げてきた「Feeling Heart」のほうが強そうに見えます。しばらくは目が離せない戦いになりそう。

しかし、この上位三曲、ファンのセンスの良さが光る一方で、ある意味非常に解りやすい選曲。古参のLeafファンは「Feeling Heart」、アニメから入った新しいWHITE ALBUMファンは「舞い落ちる雪のように」。そしてその辺のバックグラウンド無しに『WHITE ALBUM2』の雰囲気が好きなファンは「I hope so」、という図式ではないかと思われます。まあそのしたには『うたわれるもの』関係も控えているし、単純な図式ではないのでしょうが、純粋に曲の良し悪しだけではなく、作品への思い入れが強く反映されてそうなアンケートだな、という気はします。

まあ、良い曲ですからどれが入っても文句なし。そうなると当選しそうなのは放っておいて、自分の好きな他の曲を応援したくなるのが人情。『君をのせて』とか『Hello』も好きなのですが、あまり同じ作品からばっかりとっても(『Routes』からは本編で既に2曲はいっていますし)どうかなーと思うし、それならSuaraさんの『花詞』(リメイク版『痕』のOPテーマ)は……と探したのですが、残念ながら無し。・゚・(ノД`)・゚・。 他に何があるかな、と見ていくと、『まじかる☆アンティーク』のEDテーマ、「歩み」がありました!
今思えば懐かしくて胸が痛むけど、頑なな心があなたを苦しめていた
昔くれたあなたの優しさ抱きしめたら、新しい道歩みだせる明日のために
というサビが非常に印象的な、私がとても好きな曲です。雪菜の雰囲気にもよくあっているんじゃないかと思います。『まじアン』自体が古い作品ですし、特に大きく取りあげられる機会が少ないのでご存じない方も多いだろうなあとは思いつつ(あ、でもサントラとか買っている人はわかるか……)、私はこの曲押しで行くことに決めました!

一緒に投票しましょう! などとは言いませんが、ぼちぼち好きな曲に投票しつつ、結果を楽しみに待ちたいと思います。

それでは、また明日。

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レビュー(ラノベ新刊):『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!3 』

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村上凛『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』3巻
(2012年 富士見ファンタジア文庫 イラスト:あなぽん)

ファンタジア文庫の新刊が発売されていたので、購入。楽しみにしていた『おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!』の続きが出ていました。早速読了。今回かなり薄くて、流して読んだら1時間ほどで終わってしまい、もう1周。じっくり読んでも(途中で恥ずかしさのあまり悶えるとかしなければ)2時間かからないと思います。

まだシリーズが始まったばかりということで、これから読もうかと考えている人もおられるかもしれませんから、簡単に2巻までのあらすじを説明していきましょう。オタクの主人公・柏田直輝は高校で「リア充」になろうと決意。オタク趣味をひた隠し、あれこれチャレンジしようとはするものの、どれも「思う」だけで実行に移せず、思い切って行動すると全部的外れで空回り。思い人の長谷川さんに想いを告げることもできず、悶々とした日々を送っていました。

ところが、ふとしたきっかけで超イケメンにして重度のアニヲタ・鈴木くんと仲良くなった直輝。それが縁となって、鈴木に惚れている美少女の恋ヶ崎桃と親しく話すようになります。桃は、直輝が最も苦手とするギャル系女子で、直輝曰く浮ついた「ビッチ」かと思いきや、実は色々斜め上の方向に勘違いをしているだけで、実は清純派のお嬢様。気性が荒いのが玉に瑕だけど、面倒見も良い「女の子」でした。

で、二次元にしか興味のない鈴木を振り向かせるべく、直輝は桃がオタクになる協力を。逆に桃は、直輝が長谷川をゲットできるよう脱オタ指南をするという協定を結びます。その後は色々あって桃と鈴木・直輝と長谷川がうまくいきそうだったり駄目だったりしながら物語は進行。2人に桜井小豆というコスプレ大好き巨乳少女の友人が出来たところが2巻までの概要。

本巻は、いよいよ直輝が長谷川とデートします。

詳しい内容には触れませんが、なかなか良い感じになったり、思ったより進展しました。小豆と直輝の関係もはっきりしてきましたし、長谷川さんの「意外な」(むしろ読者からするとほぼ予定調和ですが、直輝的には意外な)過去も少しずつ見えてきた。ほとんどが点線だった人間関係が、実線で描かれる部分が増えてきた、という感じです。

今回の直輝は、桃・小豆らと夏コミに出かけたり、クラスの花火大会にでかけたりと、一気にレベルアップ。前回はスライムを倒すのもやっとだったのが、今やキラービーくらいなら瞬殺できるのではないかという成長ぶり。相変わらずヘタレてはいるのですが、モテ期到来を予感させる、ニヤニヤ巻でした。

構成としては、これまで曖昧だった桃以外のヒロイン・長谷川と桜井の2人と直輝の距離感をやんわりと固めてしまおうという形だったと思います。桃と直輝との関係は最後の方まではっきりさせるわけにはいかないでしょうから、脇で釣るパターン。セオリー通りですが、それだけに揺るがぬ面白さがあります。ついでというと失礼ですが、直輝の妹、あかりも色々態度がはっきりしてきて、これは今後台風の目も期待して良いのでしょうか。全然関係ないですがあかりちゃん、p.75のパンチラがヤバいです

気になる新キャラ、同人作家のムラサキさんも登場。私としてはカラオケボックスのあの人の関係者じゃないかと思っているのですが、どうでしょう。完全MOB気味のくせになぜかイラストがあった渡辺さんともども、今後の出番に期待ですね。

最後はまたちょっと気になる終わり方。恐らく一悶着したあと、実は妹だったとか従姉妹だったとかいう話になりそうですが、次巻は桃の恋が描かれる巻になることが予想されます。なかなか楽しみなヒキでした。「非常にちょうど良かった」とか「受容がある」(需要)のような微妙な表現、誤字などが散見されましたが、まあ許容範囲。総じて良い巻だったと思います。

さて、3巻の話はこの辺にして、ちょっとだけ作品全体についての話を。

あらすじでおわかりの通り、本作は『とらドラ』と『俺妹』と『はがない』を足して割ったような感じがします。その辺は発売当初から、ネット界隈で言われていました。私も、そんな印象を受けます。

ただ、そういう有名作品群から本作を区別できるものがあるとすれば、ひとえに主人公・直輝の「痛々しさ」に尽きるかと思います。京介はもともと常識人という設定ですし、竜児も思考回路はマトモ。顔面のせいで差別迫害されているといっても、直接そういう描写はほとんど無いし、作品の中ではイケメン主人公と大差なし。小鷹は確かに残念な奴ですが、周りに更に残念無双している連中がわんさかいるせいで、相対的に真人間に見える(※)。

ところが直輝は、間違いなく作品内で差別迫害されているし、一番の非モテキャラ。考え方の後ろ向きさ加減なども割と等身大に描かれていて、笑えると同時にちょっと身につまされて痛い(とくにオタクには)ところがあります。女の子の反応に一喜一憂したり、メールの返事の仕方一つでうんうん悩んだり。もちろん物語用にデフォルメされていますが、最もかっこわるくて、でもだからこそ応援したくなる主人公が出てくるのが、この作品でしょうか。複雑に絡んでくる恋愛模様もそうですが、直輝の心の揺れ動きを見るのが楽しい作品ですね。

高校生であるにもかかわらず主人公がエロゲーしますし、あとクラスメイトが飲酒する場面が出てきたので、そういうのが気になる人は(あまり居ないとは思いますが)ご注意ください。このご時世になかなか思い切ったことをやるな、と個人的には賞賛したい気持ちもありますが、エロゲーはともかく飲酒のほうは、作品的に必然性が無いばかりか、これまで描かれてきたプラトニックな恋愛を「酔った勢い」に転換することにもなりかねない、マイナス要素の方が多い仕掛けだったと思うので、使うならもっと効果的に使って欲しかったです。ご時世を考えればせめて、苦情が来たときに「作品にどうしても必要だから」と突っぱねられるような使い方が求められるかもしれません。

目下の不満としては、単に「リア充」の象徴として、直輝の真逆という相対的ポジションのキャラとしてしか描かれていない鈴木くん。彼が、今後どのくらいスタンドアロンに動くのかがポイントでしょう。三角関係になるのか、我が道を行き続けるのか……はたまた、別の女性があらわれるのか。期待したいと思います。

と、言ったところで本日は失礼します。それでは、また明日。
(※)…小鷹の場合は「リア充」の要素が恋愛ではなく「友達」なんですよね。この辺は『はがない』最新刊でどうして「恋愛」関係を嫌うかという話が出てきて、『はがない』的には消化されそうですが、普通にリア充の定義としてモテ要素が入っているぶん、直輝の場合は非モテ的痛さが増幅されています。


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アイコンとか

なんか最近つらつら思うのですが、アイコンって大事ですよね……。いまツイッターのアイコンは、(普通の人には)良くわからない(であろう)円グラフを使っているのですが、それで真面目な話とかを呟いていると、いかにも堅苦しくて圧迫感がある、と言われてしまいました。

まあ、実際そうかなあとも思うところはあります。やっぱりタイムラインを見ていても、二次元美女の顔で面白いことやらエロいことを呟かれると和むけれど、実写系、とくにマジで人の顔だったりすると、キツ目の一言に「オウフ」と思うこともある。私自身はそれほどアイコンを気にしない(自分を二次元キャラにしていない程度には無頓着)ほうであるにもかかわらずそれなので、気にする人にとっては相当気になるのかなあ、とか。自己紹介を見ると、二次元アイコンの人にはフォロー返します、というようなことを書いている人もおられますし……。

そんなわけで、アイコンを変更しようかしまいか、ちょっと考えます。なんだかんだで自分の「顔」ですから、あまり頻繁には変えたくないのですが、自分が所属している(であろう)クラスタ的には、変えておいたほうがコミュニケーションもスムーズなのかな……とかとか。

昔からTRPGの時などに使っているイメージ画があるので、ちょっとお友達に色塗りを頼むことも考えつつ、もう少し色んな意見を見てみたいと思います。ツイッターでお世話になっている方でこちらをご覧の方がおられたら、いきなり私のアイコンが変わっても驚かないでください。

というわけで、本日はこんなところで。それではまた明日。

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また明日

最近使っている「また明日」というこのブログの結語ですが、読んでくれている友人から「OYOYOくんは「また明日」好きだよね」と言われました。割と昔からお別れの時に使っているのですが、実はちょっと元ネタがあったりします。

テレビ朝日で1997年から2005年まで放送されていた、「あしたまにゃ~な」。「「あした」のための情報をお届けする、あしたまにゃ~な」というキャッチフレーズが印象的な情報番組で、ナレーションは濱田マリさん。人物は一切登場せず、翌日公開される映画や演劇、CDなどの情報を流してくれていました。

OPクレジットのあと、「明日間に合うのは……」というナレーションが流れるとおり、もとの意味は明日にまにあう、ということなのですが、もう一つ。「Hasta mañana」(アスタマニャーナ)というスペイン語(スペ語では文頭Hの音を読みません)。これが、「また明日」(=さようなら)という意味なのです。

私がこの番組(あしたま)を好きだったことと、「また明日」というフレーズが別れの言葉としては結構好きなので、好んで使うようになってしまいました。まあ、本当に毎日更新できるか解らないのでいつまで「また明日」と言えるかが問題なので最初は使っていなかったのですが、自分を追い詰める意味でも使ってみました。更新が途絶えたら、その時は適当に違う言葉にしましょう(笑)。

ブログに、別れの言葉を入れるというのはちょっとおかしいのかもしれません。ただ、以前阿久悠さんの「ぼくのさよなら史」という文章を読んで、なるほどな、と思ったことがあったのです。阿久さんは、現代人が「さようなら」を言わなくなったことを嘆いて、こう言っていました。
なぜ、さよならを言わなくなったのであろうか。なぜ、別れたことに気がつかないような不思議なことになったのであろうか。
私達は、別れてもメールやツイッターで、いつでも繋がっている。いや、繋がっているような錯覚の中にいる。そのことが、「別れ」という人生の本質的な出来事に対する感性を奪っているのだ――。私なりに阿久さんの言葉を解釈すると、そんな感じになりました。そうして、それは何となく解る気がする。いざというとききちんと別れるためにも、日頃から別れというのは、やはり私達にとって何ごとか自覚的な事態であるべきかもしれません。

ところで、「さようなら」と「また明日」は、本当は少し意味が違う。よく言われるように、「さようなら」とは本来「そうであるならば」という接続詞であり、それを別れの言葉として用いる日本は、世界的に見ても割と特殊なのだそうです(たとえば欧米なら、グッバイなど)。「また明日」は、「See you again」や「再見」に近い語ですから、ニュアンスとしては微妙に違うのでしょう(この辺考え出すと面倒なので思考放棄)。ただ、私はその意味では「さようなら」という語があまり好きではない。どうしてかというと、「そうであるならば」と、一旦そこで何かを切ってしまう感じがあるからです。それよりは、また明日、というほうが好みかな、と。

繋がっていると錯覚しているわけではなく、けれど別れてしまったということを押し出すのでもなく、昨日今日と同じように明日もまた繋がりたいという願いを込めて、「また明日」というのは、何となく気持ちが良かったりするのです。完全に個人の趣味ですが。

今日は自分語りになってしまいましたが、これからも皆さんにお付き合いいただけると幸せです。それでは、改めまして、また明日。

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レビュー:『彼女(アイドル)はつっこまれるのが好き!』6巻

彼女はつっこまえるのが好き06
サイトーマサト『彼女(アイドル)はつっこまれるのが好き!』6巻
(2012年 電撃文庫 イラスト:魚)

先日購入した『彼女はつっこまれるのが好き!』6巻の感想をちょこっと。さすがにネタバレをするわけにはいきませんので、なるったけ内容を明かさないように、でも感じは伝わるように書きたいと思います。6巻なのでさすがに、既刊は読んでいるという前提で、でも5巻読んでない人がいたら困るのでその辺も配慮しつつ……と、前置きが長くなりました。さっさといきましょう。

結論から言うと、本巻ではストーリーはあまり進展しません。前回トラブルの種となった「事件」の張本人であり、まどかを「お姉さま」と呼ぶくせ、妙に突っかかる中学生声優木立陽菜乃とまどかがひたすら絡む会。良人とまどかの進展……を期待していると、わりと肩すかし。しぐれさんもほとんど出てきませんし、流星さんにいたっては完全謹慎状態。いわゆる停滞巻というやつです。

ただ、それじゃあ捨て巻かというとそんなことは無さそう。まどかパパの秘められた過去が伏線的に顔を覗かせるし、陽菜乃は今後も何かと絡んで来そう。何より、最後にはとんでもない大事件が待ち受けて次巻へ続く、ということになっていました。ただ、その事件自体は全く明かされていないので、すっとばして7巻を読んでも特に問題はなさそう。今後の陽菜乃の出番や、源太さんの過去はどの程度本編に絡むかわからないので、この巻の位置づけは正直、続刊が出てから振り返るしかない。だから、「そんなことは無さそう」という自信のない言い方になりました。

一応、陽菜乃とのやりとりの中でまどかの声優業に対する考えが語られたりはしますが、良人の見せ場も(まどかに対しては)少ないし、現状、陽菜乃と良人が接近して恋の鞘当て……のような気配も無し。レギュラーキャラの出番も少ないと来れば、いささか盛り上がりには欠ける部分があります。そのぶん、まどかの高い理想やしっかりした考えが、同じ声優業の後輩との対比によってきちんと描かれている……とも言えるのですが、それは既刊でも充分になされてきた範囲。

結局、今のところは陽菜乃というキャラの紹介と、次回への橋渡し的役目を果たした巻という評価しかしようがありません。別に面白くなかったということはないのですが、ちょっとパンチは弱かったと思います。

とまあ、今回はそんなところで。それでは、また明日。

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レビュー:『お姉さまは保健医「弟が好きすぎて、泣き叫ぶほどいじめたくなっちゃうの」』

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タイトル:『お姉さまは保健医』(ARMADILLO/2012年2月24日)
原画:光星/シナリオ:前山信頼
公式:http://marigold.1000.tv/armadillo/hoken/index.html
批評空間レビュー投稿:済 → ネタバレ無
定価:8800円
評価:C(A~E)


詳しい感想は批評空間さまに投稿していますので、よろしければそちらも併せてご覧になって下さい。こちらは、簡単な紹介と補足的な感想になります。

▼雑感
主人公・夏目つかさは極度のシスコン。実姉である夏目桜子と、スキンシップ過多な二人暮らしをしています。春から通うはずだった男子校に向かう途中、拉致されたつかさは、なぜかそのまま女装させられ、桜子や、幼なじみの若竹朱音の通う女子校に入学することに……。

というわけで、無理矢理感全開でスタートする本作。タイトルはどう見てもM系属性向け。一応女装潜入、ショタ、実姉、といった多用なニーズへのレスポンスが期待されますが、はっきり言ってほとんど関係ありません。桜子ルートを除いてヒロイン以外のキャラがほとんど出てこないうえに、つかさはほとんど保健室登校状態なので、潜入ものの「いつバレるか」という緊張感などは皆無。桜子とのただれた関係も、最初からただれきっていて誰一人抵抗感を感じていない+指摘する外部の目も無いので、背徳感ゼロ。辛うじてショタ、女装属性には対応してますが、メインに押し出されている感じもありません。肝心のM属性についても、せいぜいが受け専門程度。痛みや恥辱で「いじめる」という感じではなく、快感を与えて「いじる」のが関の山。時には主人公が攻めにまわることもあり、なんだかなあ、という感じです。

マイナス面ばかり言いましたが、個々のパーツのレベルは高め。テキストはテンポ良く楽しめるし、小ネタが豊富。ストーリーもちゃんと起承転結しています。絵も、多少崩れますがこのレベルなら及第点でしょうし、なによりもこのタイプの絵柄を苦手という人は少ないでしょう。どれも平均よりちょっとうえでまとまっている感じ。

ただ、投稿感想にはそのことをメインで書きましたが、まとまってはいるけれど繋がってはいないのがネック。どれもパーツとしてしっかりしているのに、この絵やテキストじゃなければ伝わらない魅力というのが感じられません。何かひとつ、セールスポイントを設定してそれにあわせて全体をコントロールしてあれば、こういうちぐはぐ感はでないのですが、その「中心」が無い。

また、単体で飛び抜けて魅力的、という要素もありません。人気絵師さんやライターさんを起用しているわけでもなく、また名前を背負っていなくても押し切れるだけのパワーも無し。あくまで無難に、平均以上のラインの要素をあつめてセットにした、という印象でした。

シーン数も水増し(選択肢の分岐がそれぞれ別シーンとして登録される)などがあり、ちょっとボリューム少なめ。特に抜きゲーとして見た場合は、Hシーンの間があきすぎることが多く、中盤以降の中だるみに繋がっていました。選択肢が多めで、攻略が面倒なのも玉に瑕でしょうか。しかもあんまりよくわからない選択肢が多いし……。

パーツのデキはいいし、もうちょっとコンセプトを明確にしていたら面白かったと思うのですが。うーん、ちょっと残念です。バランスの良さを加味してC評価としましたが、印象点としてはDくらい。エロにもストーリーにも的を絞りきれず、ふわふわした感じになってしまった作品でした。

それでは、今日はこの辺で。また明日。

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《自己紹介》

エロゲーマーです。「ErogameScape -エロゲー批評空間-」様でレビューを投稿中。新着レビューのページは以下。
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