よい子わるい子ふつうの子2(仮)

18禁PCゲームをメインに、ラノベや漫画についてもダラダラ話を書きます。長文多いです。

2012年03月

アイコンとか

なんか最近つらつら思うのですが、アイコンって大事ですよね……。いまツイッターのアイコンは、(普通の人には)良くわからない(であろう)円グラフを使っているのですが、それで真面目な話とかを呟いていると、いかにも堅苦しくて圧迫感がある、と言われてしまいました。

まあ、実際そうかなあとも思うところはあります。やっぱりタイムラインを見ていても、二次元美女の顔で面白いことやらエロいことを呟かれると和むけれど、実写系、とくにマジで人の顔だったりすると、キツ目の一言に「オウフ」と思うこともある。私自身はそれほどアイコンを気にしない(自分を二次元キャラにしていない程度には無頓着)ほうであるにもかかわらずそれなので、気にする人にとっては相当気になるのかなあ、とか。自己紹介を見ると、二次元アイコンの人にはフォロー返します、というようなことを書いている人もおられますし……。

そんなわけで、アイコンを変更しようかしまいか、ちょっと考えます。なんだかんだで自分の「顔」ですから、あまり頻繁には変えたくないのですが、自分が所属している(であろう)クラスタ的には、変えておいたほうがコミュニケーションもスムーズなのかな……とかとか。

昔からTRPGの時などに使っているイメージ画があるので、ちょっとお友達に色塗りを頼むことも考えつつ、もう少し色んな意見を見てみたいと思います。ツイッターでお世話になっている方でこちらをご覧の方がおられたら、いきなり私のアイコンが変わっても驚かないでください。

というわけで、本日はこんなところで。それではまた明日。

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また明日

最近使っている「また明日」というこのブログの結語ですが、読んでくれている友人から「OYOYOくんは「また明日」好きだよね」と言われました。割と昔からお別れの時に使っているのですが、実はちょっと元ネタがあったりします。

テレビ朝日で1997年から2005年まで放送されていた、「あしたまにゃ~な」。「「あした」のための情報をお届けする、あしたまにゃ~な」というキャッチフレーズが印象的な情報番組で、ナレーションは濱田マリさん。人物は一切登場せず、翌日公開される映画や演劇、CDなどの情報を流してくれていました。

OPクレジットのあと、「明日間に合うのは……」というナレーションが流れるとおり、もとの意味は明日にまにあう、ということなのですが、もう一つ。「Hasta mañana」(アスタマニャーナ)というスペイン語(スペ語では文頭Hの音を読みません)。これが、「また明日」(=さようなら)という意味なのです。

私がこの番組(あしたま)を好きだったことと、「また明日」というフレーズが別れの言葉としては結構好きなので、好んで使うようになってしまいました。まあ、本当に毎日更新できるか解らないのでいつまで「また明日」と言えるかが問題なので最初は使っていなかったのですが、自分を追い詰める意味でも使ってみました。更新が途絶えたら、その時は適当に違う言葉にしましょう(笑)。

ブログに、別れの言葉を入れるというのはちょっとおかしいのかもしれません。ただ、以前阿久悠さんの「ぼくのさよなら史」という文章を読んで、なるほどな、と思ったことがあったのです。阿久さんは、現代人が「さようなら」を言わなくなったことを嘆いて、こう言っていました。
なぜ、さよならを言わなくなったのであろうか。なぜ、別れたことに気がつかないような不思議なことになったのであろうか。
私達は、別れてもメールやツイッターで、いつでも繋がっている。いや、繋がっているような錯覚の中にいる。そのことが、「別れ」という人生の本質的な出来事に対する感性を奪っているのだ――。私なりに阿久さんの言葉を解釈すると、そんな感じになりました。そうして、それは何となく解る気がする。いざというとききちんと別れるためにも、日頃から別れというのは、やはり私達にとって何ごとか自覚的な事態であるべきかもしれません。

ところで、「さようなら」と「また明日」は、本当は少し意味が違う。よく言われるように、「さようなら」とは本来「そうであるならば」という接続詞であり、それを別れの言葉として用いる日本は、世界的に見ても割と特殊なのだそうです(たとえば欧米なら、グッバイなど)。「また明日」は、「See you again」や「再見」に近い語ですから、ニュアンスとしては微妙に違うのでしょう(この辺考え出すと面倒なので思考放棄)。ただ、私はその意味では「さようなら」という語があまり好きではない。どうしてかというと、「そうであるならば」と、一旦そこで何かを切ってしまう感じがあるからです。それよりは、また明日、というほうが好みかな、と。

繋がっていると錯覚しているわけではなく、けれど別れてしまったということを押し出すのでもなく、昨日今日と同じように明日もまた繋がりたいという願いを込めて、「また明日」というのは、何となく気持ちが良かったりするのです。完全に個人の趣味ですが。

今日は自分語りになってしまいましたが、これからも皆さんにお付き合いいただけると幸せです。それでは、改めまして、また明日。

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レビュー:『彼女(アイドル)はつっこまれるのが好き!』6巻

彼女はつっこまえるのが好き06
サイトーマサト『彼女(アイドル)はつっこまれるのが好き!』6巻
(2012年 電撃文庫 イラスト:魚)

先日購入した『彼女はつっこまれるのが好き!』6巻の感想をちょこっと。さすがにネタバレをするわけにはいきませんので、なるったけ内容を明かさないように、でも感じは伝わるように書きたいと思います。6巻なのでさすがに、既刊は読んでいるという前提で、でも5巻読んでない人がいたら困るのでその辺も配慮しつつ……と、前置きが長くなりました。さっさといきましょう。

結論から言うと、本巻ではストーリーはあまり進展しません。前回トラブルの種となった「事件」の張本人であり、まどかを「お姉さま」と呼ぶくせ、妙に突っかかる中学生声優木立陽菜乃とまどかがひたすら絡む会。良人とまどかの進展……を期待していると、わりと肩すかし。しぐれさんもほとんど出てきませんし、流星さんにいたっては完全謹慎状態。いわゆる停滞巻というやつです。

ただ、それじゃあ捨て巻かというとそんなことは無さそう。まどかパパの秘められた過去が伏線的に顔を覗かせるし、陽菜乃は今後も何かと絡んで来そう。何より、最後にはとんでもない大事件が待ち受けて次巻へ続く、ということになっていました。ただ、その事件自体は全く明かされていないので、すっとばして7巻を読んでも特に問題はなさそう。今後の陽菜乃の出番や、源太さんの過去はどの程度本編に絡むかわからないので、この巻の位置づけは正直、続刊が出てから振り返るしかない。だから、「そんなことは無さそう」という自信のない言い方になりました。

一応、陽菜乃とのやりとりの中でまどかの声優業に対する考えが語られたりはしますが、良人の見せ場も(まどかに対しては)少ないし、現状、陽菜乃と良人が接近して恋の鞘当て……のような気配も無し。レギュラーキャラの出番も少ないと来れば、いささか盛り上がりには欠ける部分があります。そのぶん、まどかの高い理想やしっかりした考えが、同じ声優業の後輩との対比によってきちんと描かれている……とも言えるのですが、それは既刊でも充分になされてきた範囲。

結局、今のところは陽菜乃というキャラの紹介と、次回への橋渡し的役目を果たした巻という評価しかしようがありません。別に面白くなかったということはないのですが、ちょっとパンチは弱かったと思います。

とまあ、今回はそんなところで。それでは、また明日。

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レビュー:『お姉さまは保健医「弟が好きすぎて、泣き叫ぶほどいじめたくなっちゃうの」』

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タイトル:『お姉さまは保健医』(ARMADILLO/2012年2月24日)
原画:光星/シナリオ:前山信頼
公式:http://marigold.1000.tv/armadillo/hoken/index.html
批評空間レビュー投稿:済 → ネタバレ無
定価:8800円
評価:C(A~E)


詳しい感想は批評空間さまに投稿していますので、よろしければそちらも併せてご覧になって下さい。こちらは、簡単な紹介と補足的な感想になります。

▼雑感
主人公・夏目つかさは極度のシスコン。実姉である夏目桜子と、スキンシップ過多な二人暮らしをしています。春から通うはずだった男子校に向かう途中、拉致されたつかさは、なぜかそのまま女装させられ、桜子や、幼なじみの若竹朱音の通う女子校に入学することに……。

というわけで、無理矢理感全開でスタートする本作。タイトルはどう見てもM系属性向け。一応女装潜入、ショタ、実姉、といった多用なニーズへのレスポンスが期待されますが、はっきり言ってほとんど関係ありません。桜子ルートを除いてヒロイン以外のキャラがほとんど出てこないうえに、つかさはほとんど保健室登校状態なので、潜入ものの「いつバレるか」という緊張感などは皆無。桜子とのただれた関係も、最初からただれきっていて誰一人抵抗感を感じていない+指摘する外部の目も無いので、背徳感ゼロ。辛うじてショタ、女装属性には対応してますが、メインに押し出されている感じもありません。肝心のM属性についても、せいぜいが受け専門程度。痛みや恥辱で「いじめる」という感じではなく、快感を与えて「いじる」のが関の山。時には主人公が攻めにまわることもあり、なんだかなあ、という感じです。

マイナス面ばかり言いましたが、個々のパーツのレベルは高め。テキストはテンポ良く楽しめるし、小ネタが豊富。ストーリーもちゃんと起承転結しています。絵も、多少崩れますがこのレベルなら及第点でしょうし、なによりもこのタイプの絵柄を苦手という人は少ないでしょう。どれも平均よりちょっとうえでまとまっている感じ。

ただ、投稿感想にはそのことをメインで書きましたが、まとまってはいるけれど繋がってはいないのがネック。どれもパーツとしてしっかりしているのに、この絵やテキストじゃなければ伝わらない魅力というのが感じられません。何かひとつ、セールスポイントを設定してそれにあわせて全体をコントロールしてあれば、こういうちぐはぐ感はでないのですが、その「中心」が無い。

また、単体で飛び抜けて魅力的、という要素もありません。人気絵師さんやライターさんを起用しているわけでもなく、また名前を背負っていなくても押し切れるだけのパワーも無し。あくまで無難に、平均以上のラインの要素をあつめてセットにした、という印象でした。

シーン数も水増し(選択肢の分岐がそれぞれ別シーンとして登録される)などがあり、ちょっとボリューム少なめ。特に抜きゲーとして見た場合は、Hシーンの間があきすぎることが多く、中盤以降の中だるみに繋がっていました。選択肢が多めで、攻略が面倒なのも玉に瑕でしょうか。しかもあんまりよくわからない選択肢が多いし……。

パーツのデキはいいし、もうちょっとコンセプトを明確にしていたら面白かったと思うのですが。うーん、ちょっと残念です。バランスの良さを加味してC評価としましたが、印象点としてはDくらい。エロにもストーリーにも的を絞りきれず、ふわふわした感じになってしまった作品でした。

それでは、今日はこの辺で。また明日。

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電撃文庫の新刊購入

電撃文庫3月の新刊、購入しました。といっても、今月は3冊のみ。

竹宮ゆゆこ/駒都えーじ『ゴールデンタイム』4巻
岩田洋季/涼香『花×華』5巻
サイトーマサト/魚『彼女はつっこまれるのが好き!』6巻

どれも楽しい作品ですが、起承転結の「転」にあたる巻になりそうな感じが漂っています。いや、『彼女は~』はそうでもないのか……とにかく、楽しみにしています。

今月は『ココロコネクト』の新刊も出ていたし、他にもいくつか読みたいのが出ますが、全体では10冊以内に収まりそう。そのうち、ぽつぽつと感想など書くかもしれません。

ちなみにいま、電撃で一番楽しみにしているのは『烙印の紋章』なのですが、もうすぐ終わりそうな感じがぷんぷんと……。もう10巻だから続いたほうかもしれませんが、最初の風呂敷がすごく大きかったし、使い切ってないキャラがたくさんいるから是非続いて欲しいなあ。『偽りのドラグーン』の(事実は知りませんが)余りにも見事な「俺たちの戦いはこれからだ」的な「畳み方」を見てしまった後では、不安にもなってしまいます。

ともあれ、今月はラノベのほうでファンタジー系が全くないので、『VENUS BLOOD FRONTIER』で補充しようと思っていたのですが、まさかの延期! どうしようかなあ……。逆にこういう機会に、本屋さんをぐるっとまわって面白そうな本を物色したいなあと思っています。

思春期を、ネットの無い状態で迎えたせいでしょうか、Amazonなどで「お薦め本」を探したり、サイトさんを巡ったりというのは確かに便利だし私もよくやるのですが、一番楽しいのは、「こんな感じの本を読む!」と決めて、本屋さんで本を物色している時だったりします。

私は「絶対面白いもの」を読みたいだけでなく、そうやって自分にとって面白そうなもの、自分が読みたい物語がどんなものなのかを探すというプロセスも、本を読むという行為の一貫であると考えています。

だからでしょうか、タイトルを見て、カバーを見て、後書きを読んで、吟味する。それがとても楽しい。「こんな感じの本」というイメージ(たとえば今回なら、「ファンタジー」)と決めていても、その中味というのは、意外と固まっていません。勇者が大活躍する話が良いのか、孤独に旅をする話が良いのか、ドロドロした宮廷政争ものがいいのか、戦記ものが良いのか……。そういう決まっていない細かい部分を、実際に本を眺めながら、ちょっとずつ形にしていくのは、私にとって、時間をかけるに値する行為なのです。私にはあまり縁がないのですが、ウィンドウショッピングを楽しむというのも、案外こんな気持ちなのでしょうか。

ただ、品揃えが良くてもアニメイトでは本を保護するために、ビニルカバーがかかっていますが、あれだと後書きを見たりすることができないんですよね。そこで、行き先はジュンク堂とか三省堂とか紀伊国屋とか、書泉とか。その辺の本屋さんにでかけて、何時間も本棚を行ったり来たりする。昔はいつでもとれた、そういう贅沢な時間を、久々にどこかでとってみようかな、などと思いました。

というわけで、本日はこの辺で。それでは、また明日。

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レビュー『くびわ学級 ボクは幼なじみ様のしもべです』

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タイトル:『くびわ学級 ボクは幼なじみ様のしもべです』(AHAAN/2012年2月24日)
原画:あらいぐま/シナリオ:伊藤ヒロ
公式:http://ahaan.net/products_05.html
批評空間レビュー投稿:投稿済(ネタバレ無)
定価:2000円
評価:C(A~E)


▼攻略
なし (一本道です)

▼感想
さて、何と言ったものか……非常に感想がやりづらい作品。批評空間さんに投稿していない(※)のも、他人様にお見せするほどのまとまったことを書けるかという問題があるからだったり……。抜きゲーとして使えるかどうかといわれると、ぶっちゃけかなりハイレベルな人向けじゃないかと思います。

(※)……いろいろあって、2013年1月15日に投稿しました。

シナリオライターは、『R.U.R.U.R.』などを手がけた伊藤ヒロ氏。相当癖のあるテキストを書かれるライターさんです。今回もその例に漏れず。そのせいもあって、かなり当たりはずれは激しい。

タイトルだと首輪を付けられるのは誰か判りづらいですが、付けられるのは主人公の優太。ショタ系美少年の優太が、好きな子の縦笛(呼び方古いな!)をナメナメしているのを見つかり、それをタテに性的ないじめを受け、次第にマゾに目覚めていく……というストーリー。

初っぱなっから質の高いエロシーンが続きます。深夜にプレイを開始して、このままだと朝を迎える頃には立派なマゾ豚が一匹できあがっているんじゃないかと心配したものの、すぐにそれが杞憂だったと思い知りました。なんせ、エロが高度すぎる。「ドM男探偵」の記事で、Mにしてはぬるい、みたいなことを書きましたが、こっちはハードすぎます。殴る蹴る、叩く縛るは当たり前。女装で市中引き回し、首輪を付けて全裸で散歩(日中です)はご褒美上等。さすがにどんびきしたのは、生理用ナプキンを食べさせられるシーンでしょうか。それに喜びを感じる優太くんをみて、こりゃあもうついて行けない、と思いました。ベジータさんが戦意喪失するレベル。真のマゾ道の奥深さとは恐るべきものであります。

あ、ちらっと書きましたが、女装プレイ多め。そうでなくてもショタ系主人公がCVあり(ももぞの薫さん)でひたすら虐められる展開なので、ショタ属性向けの人には案外ハマるのかもしれません。

基本的に全編エロ満載。ただしベテランの伊藤ヒロ氏だけあって、それでも物語にギミックを盛り込んで起伏をつけてきます。本作でいえば、優太の思い人である、出水ひなぎくと、「ご主人様」になる出水のぎくが姉妹というところでしょうか。優太はひなぎくが好きなのですが、縦笛ぺろぺろをのぎくに見つかり、のぎくの奴隷になります。ところがどうも、のぎくには他に複数の奴隷がいるようで、中でも謎の存在として顔をマスクで覆われた「豚」という、割とそのまんまのキャラが出てくる。

この豚さん、「ぶひー」しか喋らないのですが、優太は彼女が実はひなぎくなのではないか、と淡い期待をしているのですね。んで、「豚」の正体が、一応この作品最大の仕掛けとなります。言うほど大げさなものではなく、OHPやげっちゅ屋などのキャラ紹介をじっくりと見て、読めばおおかた想像はつくと思いますが……。実際完璧に予想通りでした。えっへん。

そんなわけで、単純なエロ連鎖ゲーに比べると読み応えはあります。設定された謎を読み解く楽しみもありますし、エロが斜め上方向に亜音速で飛んでいくぶん、ストーリーの読み応えがあるのは救い。ただ、作品のラストはなかなか切ないというか、伊藤ヒロ氏らしくもやっとした感じで終わります。

あまりネタバレをすると面白くないので軽く紹介するに止めますが、最後に「豚」と交わりながら、優太は「幸せか?」と訊かれ、「そう命令されたから幸せです」というような答えを返すのですね。この場面が、エロを除けば本作の白眉で、優太と「豚」はお互い幸せだと言うのですが、優太の幸せと「豚」の幸せは少しずつ違っている。更に、それを眺めるユーザーからすると、これって本当に幸せなのか? と疑問を抱かざるを得ない。いくら本人同士が幸せだと言っているからといっても、限度があるだろう、という気にもなります。私のような普通(普通ですよね!?)の人間からすると、若干気持ち悪くなるような過激なプレイをガンガン描いたのも、単にハードMユーザーの嗜好を満たすためではなく、この辺に意図があったのではないかと邪推したくなる。

価値観を揺さぶる、というと偉そうですが、この作品の登場人物たちにとって、幸せな終わりとは何だったのか、ということを強く考えさせられます。そのくせ、答えはでないように出来ている、というあたりがスッキリしない、もやっとした感じの正体。『R.U.R.U.R.』を凌辱色に染め上げて、テーマを先鋭化させるとこんな感じになるのかもしれないな、などと考えました。

ただ、さすがに短い作品で、キャラの心情や幸せの内実については描写不足が目立ちます。EDのキモは、それぞれの幸せをいかにうまく相対化できるかというところに尽きると思うのですが、基本は優太の心情ばかりを描くことになっていたので、まあ優太が幸せならそれでいいのか、などとも思えてしまう。エロの属性補正も手伝って、マゾヒスティックな幸せの極限を描いてみたと言われても違和感がない感じになってしまっています。それはそれで、大喜びの人がいるとは思いますが、ちょっと着地点がズレてるかなという感じ。

抜きゲーとして見れば、かなり上級者M属性向け。低価格でとんがったことをやるのは、合理的で良いですね。ストーリーとして見れば、とんがってはいるけれど描き込み不十分で、ちょっと不完全燃焼、といったところ。あらいぐま氏の絵は魅力的だし、価格を考えれば十分楽しめる作品なのは確かですが、属性が無い人は回避したほうが無難。間違っても、素養のない人がこの作品をきっかけにマゾに目覚めました……などということにはならないと思います。

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「ビールと間違えるほどのうまさ」は、褒め言葉なのか?

サッポロ「麦とホップ」を一躍有名にしたCMコピー。それが、「ビールと間違えるほどのうまさ」でした。サッポロビールのサイトでは、製品が次のように紹介されています。
「サッポロ 麦とホップ」はその名の通り、素材と製法にこだわることで「ビールと間違えるほどのうまさ」を実現し、多くのお客様にご評価いただいている新ジャンル商品です。
ふむふむ……。ビールと間違えるほどうまいのか! そりゃあ良い……! と、一瞬思うでしょう。というか、思う人が多いからこそ、このコピーは大々的に流行り、商品も売れているのだと思います。しかし、落ち着いて考えてみると、このフレーズ、本当に褒め言葉になっているのでしょうか。

もちろん、言いたいことは分かります。ビールは健康上の問題などで飲めない場合がある。そのときに、ビールのかわりとなる飲み物がある。そう言いたいのでしょう。発泡酒がビールの代用品として生まれた経緯を斟酌すれば、なにも間違っていない。けれど、それはやはり、志が低いようにも思えるのです。

もし、ビールよりも発泡酒の方が好きだという人がいたとして、このコピーを聞いたらどう思うでしょう。ビールはダメだけど、発泡酒なら飲める、という人にとって、「ビールと間違える」というのは、果たして良いことなのでしょうか? 「ビールと間違えるほど」というのは、結局のところビールの方がうまいことを、ビールには勝てないということを、認めてしまっているということでもあります。これが、ビールのようなうまさ、ならまだ良かったかも知れませんが、何故ビールと間違えなければならないのか。これでは、発泡酒は所詮ビールのまがいものどまりで、オリジナルの価値は無いということを喧伝しているようなものです。本当に発泡酒の味的な価値を主張したいのなら(味にこだわらないなら、ビールより健康に良いという圧倒的なメリットがある)、ビールとは別の美味しさをうちだしてこそ、でしょう。

少し話を拡げてみます。一般に、良いと思われているものを引き合いに出すことで、あるものの価値を主張する、というのはよくあることです。たとえば思想なら、「その考えはハイデガーの主張と似ている」とか、「まるでニーチェの永劫回帰のようだ」というように。こういう解釈は、その考えを提示した人が、ニーチェやハイデガーといった著名な思想家と同じ考えをした、スゴイ、という風に褒めているともとれるでしょう。けれど見方を変えれば、既に言われていることを知らなかった無知であることを暴露されているともとれます。

ですから、もし褒めるなら「それはハイデガーの現存在という考えと同じことを言っているけれど、より解りやすく言っている」(言い方がうまい)とか、「それはニーチェの永劫回帰と似ているけれど、そこで解決できなかったこの問題を解決できる可能性がある」(視点が新しい)のように、違いを打ち出さなくてはいけないと思います。全く同じなら、先にあるハイデガーやらニーチェを読めば良いわけですから。

ことは、批評や論文でも同じです。先行研究や先人の言葉を引用し、「これと同じだ」というだけでは意味がない。むしろ、オリジナルの価値が無いと大声で叫んでいるようなもので、かえって恥ずかしいかもしれません。論文には普遍性と特殊性の二つが必要だと言われますが、扱っている素材を先行する言説に回収してしまうということは、普遍性を言えても特殊性を言えない――つまり、なぜその素材を扱うのかという重要なことがらを説明できない――ということになりかねません。

サブカルオタク界隈で言えば、東浩紀の言説がよく引用されます。しかし、「これは東浩紀の言うデータベース消費だ」などと言って止まってしまうというのは、上に述べたのと変わらない態度でしょう。もともと東は、現代社会において広く適用できる射程を持った「解釈」を述べています。だから、多くのことに東の作った枠組みが当てはまるのは、ある種当然であって、個別の事象に東の枠組みが当てはまることを嬉しそうに「発見」してみたところで、それは東の手柄を強化することができても、「発見」した人の手柄にはあまりなりません。一生懸命東浩紀の理論を実証してまわる働き蟻となっているわけです。

余りにその傾向が一時期強かったので、東浩紀の名前を出しましたが、西洋古典哲学者などの名前であっても同じこと。「この作品の主張はレヴィナスの言う「愛撫」と似ている!」といわれても、その言い方だとレヴィナスは凄いかもしれませんが、作品は所詮レヴィナスに回収されることしか言えていないわけで、レヴィナスファンには面白いかもしれませんが他には微妙。しかも、レヴィナスを読んでいれば作品を読まなくてもいいのではないか、などと邪推してしまいます。

もちろん、オタク界隈に限りません。一時期社会分析や物語分析で流行った精神分析的な手法などもそうで、何を分析しても「人間の無意識」、「リビドー」と言い出す。決められた結論に向かって論を構築するパズルになっているというのも滑稽ですが、何よりも、「フロイトの理論がこんなことにも当てはまりました!フロイトすげーっ!」というメッセージを発し続けることにしかなっていないのに、嬉々としてその作業をしている「学者」が山のようにいたことに驚かされます。

勘違いしないで欲しいのは、決して先行の研究を引くな、といっているわけではないということです。むしろ、積極的に先行する言説は取り入れるべきでしょう。そのような教養の量が、紡ぐ論の深みになる、ということは紛れもない事実です。ただ、それを「紹介」したり、個別の事象に「あてはめ」てみることは、オリジナルの価値にはならない。肝心なのは、なぜその言説を引いたのか、自分の意図を説明し、その引用した考えと自分がどう違うのか、その違いによってどんな新しいことが言えるのかを、きちんとアピールすること。

先行する言説を引き合いに出すということは、簡単なようで実は難しい。下手をすればただの知識自慢(自分はこんな言説を知っているんだ)であるとか、権威主義(この人の言うことと同じなんだからスゴイにきまっている)に陥りかねません。

あるものの価値をどのように主張するか、という方法についてはさまざまなやり方があると思いますが、安易な引き比べには注意しましょうと、今回はそんなお話でした。

それでは、また。

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レビュー+攻略:『兄妹秘哀 ~イヤなのに、カンじちゃう~』

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タイトル:『兄妹秘哀 ~イヤなのに、カンじちゃう~』(アパタイト/2012年2月24日)
原画:一河のあ/シナリオ:岡下誠
公式:http://www.appetite-game.com/apt_008.html
批評空間レビュー投稿:済 → ネタバレ無
定価:2000円
評価:C(A~E)


批評空間さまにて、感想を投稿しております。内容について興味のある方は、上記リンクから拙文をご覧下さい。こちらは主に攻略と、補完的な雑感を扱います。

▼攻略
EDは2種類。BADENDはシーン・CG無しです。「」を選べばTrueEndに到達。
選択肢1 きついお仕置きをする 立場をわからせる
選択肢2 部活を覗きに行く 教室に呼び出す
選択肢3 淫乱ぶりを見せつける 調教の成果を見せつける
※シーン回想、CG閲覧を埋めるには、選択肢を総当たりしてください。

CGは差分無し15枚、シーン登録数12。ただし、1シーンで2つのシチュエーションが入ることもありますので、実質15場面ぶんくらいの量でしょうか。ちょっと少なめですが丈も長いので、問題ないと思います。それよりは全体ボリュームの少なさのほうが問題。2時間保たないのは、いくら抜きゲーでもちょっと寂しいかなあ、という感じです。

▼雑感
近親相姦モノ、寝取りモノというタグが付いていたのでそちらが来ると身構えていましたが、どちらかというと形だけでした。本質的な部分は、「復讐」にあると思います。

陸人に見せつけるようにHしたり、有紗に対してとにかく「征服」という言葉を使いたがるのは、羞恥プレイや凌辱プレイという性的快感以上の意味をもって、本作では描かれていました。ストーリーが短すぎて、その部分がきちんと説得的になっていたかといわれるとかなり微妙なのですが、雰囲気として、ふつうの抜きゲー凌辱ではあまり無い、重苦しいものがありました。エンディングはどちらも(BADはそう思えないかもしれませんが)、彼の望んだ「破滅」があらわれていた。そういう風に受け取りました。

もちろん、その延長線上に「近親」も「寝取り」もありますが、うまく転がせばもっと面白くなったかな、という印象があるだけに残念。少なくとも、テキスト量少なすぎでした。全スキップしたら10分くらいで終わってしまう……。

しかし、一河のあさんの絵は相変わらず良い感じですね。丁寧な塗りも得て、本作はかなり私のストライクゾーンでした。CVの凪さんの声も、ツンデレ系というか気の強いキャラにわりと良い感じでマッチしていて良かった。システムは最低限揃っていて、無用なストレスなくプレイできました。

これなら十分元は取ったかな。次回もまた期待したいと思います。

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レビュー+攻略:『ドM男探偵がイク 勝手にイッたらオシオキよ!』

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タイトル:『ドM男探偵がイク 勝手にイッたらオシオキよ!』(U・Me SOFT/2012年3月2日)
原画:陽秋ゆう/シナリオ:首藤頼多
公式:http://www.ume.gr.jp/product/ume/doemuo1/doemuo1.html
批評空間レビュー投稿:済 → ネタバレ無
定価:3200円
評価:C(A~E)


批評空間さまにて、感想を投稿しております。内容について興味のある方は、上記リンクから拙文をご覧下さい。こちらは主に攻略と、補完的な雑感を扱います。

▼攻略
エンディングは2種類。聡海EDとその他ED。
 選択肢
 A01 股間蹴り、体験してみる? → してみる
 A02 初手コキの感想は? → 強がる
 A03 聡海に抵抗する? → する ※「しない」でその他ED

 B01 美女の胸に包まれて… → 感触を味わう
 B02 素乃子にどうして欲しい? → 手で…

 C01 女のコの前でオナニーを… → してみたい
 C02 すばるの足コキの感想は? →気持ち良かった
回想登録は多いように見えるが、実際には1つのシーンが分割で登録されているので、それほど多くありません。ただ、そのぶん1つ1つのシーンは濃い目です。

CG・回想などを埋める場合は、Hシーンの選択肢をセーブ&ロードで総当たりしてください。上の選択肢はあくまで、EDを見るためだけのものです

▼雑感
普段の会話は割とテンポよく、ノリも面白い(オヤジギャグですが)ので、展開がどうも引っかかる……などと言うことはあまり無いと思います。声優さんの演技も、日常・Hシーンともども良好で、楽しく会話を聞けました。

ただ、投稿した感想のほうにも書いた通り、「ドM」という感じはしません。せいぜい、「M」どまり。あとは、基本的に「探偵」業務はすっぽかされます。伏線は全部投げっぱなしジャーマン。うまくやれば面白い探偵作品にできたと思うのですが、その辺は残念でした。

全体の印象としては、ちょっとM属性が高めのいちゃラブ系ハーレム作品として見た方が妥当でしょう。シーンの内訳などは投稿したほうに書きましたが、全体的に心理的な意味での責めが多め。肉体的には手コキなどでバンバン快楽を与えながら、「こんなので感じちゃうなんて情けないM男ね!」と罵るタイプです。ヒロインたちも基本、主人公ラブですから、まあホントのドMというよりは、プレイ的なM。苦痛はほとんどありません。

私はドMではありませんから、このくらいが丁度良いというか十分満足なのですが、ガチでドMを期待した人には、少々物足りないのではないかと思います。そして、低~中価格帯のこういう作品は、とんがった趣味を持つ一部の人の嗜好に応えられるのが強みですから、「ドM」の名を冠する以上、是非ともそれにふさわしい作品にしてほしかった、という感じはあります。私はドMではありませんが

というわけで、ドMゲーとして見るには弱く、ソフトM系作品として見るぶんにはそこそこだけれど、別に他のブランドの作品と大きく違いがあるかというとそうでもない、というちょっと中途半端なところで終わってしまった印象。絵柄やシチュがあえば悪くない、という、低価格~中価格ソフトおきまりの言葉で結ぶことになりました。

探偵もので同じくトリッキーな作品といえば、『Holmes!~でっちあげ名探偵~』(deeps、2000年2月25日)というのがありました。最初から犯人をでっちあげる目的でゲームを進行するという面白い作品。興味があれば是非に。

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ブックカバーの話

割とどうでもいい趣味なのですが、OYOYOはブックカバーが好きです。正確には、ブックカバーをつけて本を読むのが好きです。それも本屋さんでオマケでついてくる紙のやつでなく、わりとしっかりした革製のやつが好きです。

いつごろからブックカバーにハマったのか、経緯をはっきりとは覚えていないのですが、きっかけとなったできごとは覚えています。中学時代、行きつけの本屋さんで『魔術師オーフェン』を買ったとき、おまけで革のブックカバーを貰ったことでした。「いつも買ってくれるから」とおじさんがカバーをくれ、私は無邪気にありがとうとうけとっていたのですが、その直後、本屋さんは潰れてしまい、一種の形見に。

さすがにこれはショック。同時に、なにかとても大切なものを頂いたという印象がついて、文庫(主にファンタジア文庫)を通学電車の中で読む際、必ずそのカバーをつけて読むようになりました。そうこうしているうちに、ブックカバーはぼろぼろになり、本屋さんへの思い出というか義理立ても薄れていったのですが、ブックカバーを使うクセだけは残りました。そんなわけでなんとなく、ブックカバーを色々集めて使うようになった、とこんなわけです。

革製ブックカバーというのは、合皮ならまだしも本革になると安いものでも2000円前後(文庫サイズ)、スタンダードなものになると5000~10000円くらいするのが相場。正直、そんなにお金を掛ける意味があるのかと言われると、微妙です。パラフィン紙でも巻いてるほうがダメージ抑えられるし趣もある。使い回しが効くとはいえ、ウン千円の金をはたいてブックカバー買う直接的なメリットなんて、使ってる私からしてもあんまり思いつきません。

じゃあ何故やってるかというと、馬鹿馬鹿しい話かもしれませんが、自分の「読書領域」を作るため、という感じです。移動中や喫茶店といった「他の人がいる場所」で本を読むことが多いのですが、私は元来気が散りやすい性質。放っておくとちっとも読書が進みません。

そこで自分縛りというか、「自分の」ブックカバーによって、自分の読書空間を無理矢理作り出そう、ということ。革製のカバーというのは使っていると色が変わってきて、自分だけのオリジナリティがでる(といわれています)。一種のジンクスとか儀式みたいなものですが、私にはこれがぴったりきたみたいで、カバーつけた本を読むと多少難解な本でも、一気に読み切ったりできます。

読書というのは結局のところモチベーションが大きくモノを言うと思うので、何らかのかたちでモチベーションをあげる自己暗示みたいな方法があれば、それが良いと思うんですよね。それが音楽の人もいれば場所の人もいるし、私にとってはブックカバーだったということだと思います。

まあそんなとりとめもない話なのですが、最後に個人的お薦めのブックカバーを紹介。まず、ブリットハウスのトスタゴートカバー。ちょっと面白い火入れ加工をしたヤギ革で、柔らかさや色合いがGOODです。ちょっとつるつるした表面が好みではないのですが、使っているうちにだいぶ手に馴染むようになってきました。値段もそれなりにお手頃。エロゲー一本分より安いです。

もうひとつは、こちら。ブッテーロのブックカバー。ベジタブルタンニンなめしだけに、ちょっと堅めなのですが、こちらは使い込むにつれて色や触感が変わってきてとても良い。革は使い込むにつれて良くなると言われますが、それは特に、タンニンのもので顕著です(クロームなめしだと劣化のほうが目立つことが多い)。そのぶん、お手入れも大変で、私は濡れ手で触って一個酷い染みをつくってしょんぼりしました。マメさには自信あるぜ! という方は、育ててみると自分だけのカバーができて、きっと楽しいと思います。

ブレイリオのラムスキンブックカバーも、デザイン凄く洗練されていて、手触りはふかふかで面白いのですが、いかんせん傷が付きやすい。家使いなら良いかも知れませんが、鞄に筆記具などと一緒にいれるには脆すぎます。光沢もすぐになくなって、最初は良かったけど長く使っているとちょっとなぁ、という感じでした。逆にこのメーカーさん、コードバン(馬革)の財布とかは滅茶苦茶良い感じですので、そっちのがお薦めです。

ただまあ、高い。中古で売り払えるわけでもないのに、うん千円のカバーを何冊ぶんも買うというのは、かなり変です。贈答品などで買うこともありますが、それを除けば基本的には1、2冊ぶんで十分でしょう。逆に言えば、1冊ぶん本気のブックカバーがあれば、ずーっと使える。そう考えると、五千円くらいならまあいいかなーとか思っちゃう人は、ブックカバーマニア予備軍です。是非大きい文具屋さんにおでかけして、現物をご覧になってください。

そんなわけで、今回は全く役に立たない、本当に単なる趣味の話。いや、これまでも役に立つ話をしていたかどうかは微妙なのですが……。

まあでも、革のブックカバーとか上手くやれば一生使えるものですし、二十とか三十とかのときに一生つきあえるアイテムをひとつ、選んで使い続けるのって何か楽しくありませんか? 別にキーケースとか財布でも良いとは思うのですが、そっちは割と消耗度も激しいですからね……。というわけで、ブックカバーの話にしてみました。

それでは、また。

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