下村文部科学大臣、すごいこと言ってます。

 ▼「センター試験、5年後メド廃止へ 新試験の実施、誰がいつ」(日経新聞Web刊) 

 現行の大学入試センター試験は5年後をメドに廃止され、高校での学習到達度を測る新共通試験「達成度テスト」(仮称)に移行する見通しだ。政府の教育再生実行会議は昨年10月、知識偏重で1点刻み一発勝負の現行試験の見直しを提言したが、実施主体やテスト時期の設定などなお検討課題は多い。

 達成度テストは難易度の異なる「基礎レベル」と「発展レベル」の2種類。センター試験に代わる「発展」は1点刻みの点数ではなく、5~10段階程度のランク別評価とし、高校在学中に複数回挑戦できるのが特徴だ。

 提言は「発展」を1次試験に活用し、各大学が実施する2次試験では面接や論文、生徒会やボランティア活動などを重視するよう求めている。

 具体的な制度設計は現在、文部科学相の諮問機関である中央教育審議会で議論されており、早ければ今春にも一定の方向性が固まる見通し。下村博文文科相は達成度テストの導入時期を「早くても5、6年後」としている。 

正直、学力テストというのはどのような方式を採用しても一長一短があるものだと思います。完璧で理想的な試験などありえない。だから、「必要な学力」を確認するために制度をつくる、ということが重要でしょう。 

では、文科省はどんな学力を見たいのか? 日本の教育が目指している学力とはどんな力なのか? まず問われるべきはそのことです。現行の文科省や学術会議の提言などを見た感触や、あるいはこの記事でも「知識偏重で1点刻み一発勝負の現行試験の見直しを提言」と言っていることからも、いま日本は「考える力」というのを養おうとしている、というのはわかります。

しかし、そのためにセンター試験というのは本当に役に立たないのかというと、私は首を傾げざるを得ません。きちんとした思考を展開するためには、それを下支えする膨大な知識が必要だと私は思います。知識なしで、つまりはろくな裏付けなしで、ただ思いつきを語って「考えました」というのは、個人の生き方や趣味ならば全く何の問題もありません。しかしそれは、「学」ではない。社会的にも、あまり意味があるとは思えません。

また、かつての日本の「知識人」――明治から戦前くらいまで――の文章を読んでいると、教養の質がいまの私たちとは段違いだ、という感じがします。私たちがいま「古典」として読んでいる丸山眞男の『日本政治思想性研究』なんて、たしか博士課程在学中の文章ですからね。それを、研究者が必死こいて読んでいるというのが現状です。私を含め、恥ずかしながら「知識偏重」にすらなってないんじゃないかなぁ。

現状の教育制度は「知識偏重」にすらなっておらず、したがって知識偏重型教育というのの成否を語るには不十分である。にもかかわらず、知識偏重をやめて思考力重視にしよう……という方針転換は、正直ただの場当たり的な改革であって問題の根本的解決につながるとは到底思えません。

センター試験を続けようが続けまいが構わないけれど、何のために何を問う試験にするかというのは、真剣に考えてほしいところですね。