先日発売された、舞阪洸先生の『ロムニア帝国興亡記4』を購入。読んでいたのですが、その中で、こんな記述を発見して、いろいろと考えるところがありました。

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曰く。

 閑話休題。
 最近の若い学生諸子のあいだで、「確信犯」を「悪いことと知りながらも敢えて行うこと、または行う人」という意味で使う場合があるようだが、本来の意味は「政治的、道徳的、宗教的信念に基づいて自分の行為が正しいと信じて為される犯罪」のことである。
 ときたま読解力を問う試験で語意を問われることがあるので、筆者は敢えて読者諸賢に指摘しておこう。
 先刻承知という場合は流してくれればいい。
 では話を本編へ戻そう。

この作品は、ある歴史家(歴史学者?)が史料と資料をひもときながら、ロムニア帝国の興亡を記述する、というスタイルをとっているので、ときどきこうした「作中の語り手」の叙述が入るのですが、「おや?」と思った。

「閑話休題」というのは、話を脇にそらすのではなく、脇にそれていた話題を元にもどすときにつかうことばだからです。ルビでときどき、「それはさておき」などと振ってあるせいか、「さて措」かれても良いような内容に移るのだと誤解されている場合も多いのですが。

 ▼「閑話休題」(デジタル大辞泉)
かんわ‐きゅうだい〔‐キウダイ〕【閑話休題】
文章で、余談をやめて、話を本題に戻すときに、接続詞的に用いる語。それはさておき。あだしごとはさておき。

私は、別に文法至上主義者ではありません。なので、「全然」にしろ「荒らげる(あららげる)」にしろ「爆笑」にしろ、使われている意味の中で捉えれば良いとは思っています。また、この部分は「作中の語り手」によってなされているものですから、作者である舞阪先生が実際に「閑話休題」を誤解しているのか、それとも「確信犯」的に誤ってみせた(つまり、この語り手である歴史家をそういう人物として描きたかったのか)は判りません。

ただ、「確信犯」という語に対する知的なアピールを行っている場面で、別の誤解されがちな語をミスっているというのは、なんとも面白いなぁと思ったのでした。

こういう語法の問題というのはなかなか難しくて、きちんとした文法・語法にしたがって語るべき、という強い主張がある一方で、文法・語法というのはルールが先にあってつくられたものではないのだから、ルールのほうから「かくあるべし」というべき論を展開するのはおかしい、という意見もよく耳にします。たとえば、化学者がモノを観察して分子の動きを定式化することはあっても、分子はこう動くべきだ、などとは言わないように、文法学者も観察者であるべきだ、と。

私個人としては、もちろん辞書通りの意味で使えたほうがカッコイイとは思います。また、そういうルールに暗黙裡にしたがうからこそ相互の意思疎通も可能だとは思うのですが、かといって話している相手が辞書通りの意味を使えないからといってバカにしたり、それで話を打ち切ったりするのもどうかなぁという感じ。

コミュニケーションの目的は、語句を「ただしく使うことそのもの」にあるではなく、「それによって相手と意思疎通をすること」にあるはずですから、手段の側が多少ぐらついていたからといって、不可能でないなら適宜修正を図ったほうがいいかなと。

だからといって、自分勝手な語句の意味を押し通して開き直る態度は、相手と意思疎通する気がないということだから良くないと思うし、またそういう一般的な意味を知らずに使っているということは、これまで他の人の話を注意深く聞いてこなかった、読んでこなかったのだなということを吹聴しているようなもので、恥ずかしいことだとは思いますけれど。

ちなみにフォローでもなんでもなく、作品は面白いし好きです(でなきゃ4巻も買わない)。