私のちょっと上の立場にあたる人たちは、どうもクラシック音楽が好きかつ精通しているようで、食事のときとか旅行やら何やらで集まったときにそっち系の話になるとしんどい。私は置いてけぼりです。

ショパンだのベートーベンだのみたいなド素人にも分かりやすい話ならまだ良いんですけど、やれラフマニコフだのドビュッシーだのという単語が飛んできて、主なクラシック音楽の情報ソースが漫画な私にはついていくのとてもむぅ~りぃ~(森久保乃々)。なんだよドビュッシーって。射精音かよ、みたいな(失礼な)。

チャイ語って言うと私の中では中国語なんですが、彼らにとってはチャイコフスキーの交響曲第5番(チャイ5)だそうで。話がかみあわねー! (全然精通してる感じしないかもしれませんが、私が覚えてるのがこのくらいの話題しかないだけで、ホントはなんかもっと詳しいこと言ってます。身内の名誉のために一応弁護をしておきます)

まあ私は耳も大したこと無いので、アシュケナージの演奏がどうだとかこうだとか言われてもさっぱりわかんないし、わかる人はすげーなぁという感慨を抱くしかない。音楽的感性とはちょっと違いますけど、絶対音感とか羨ましい。憧れの的です。ただ、ちょっと「おいおい」と思うこともあり。

というのも、どうも彼らはJ-POPがお嫌いらしく(洋楽がどうなのかは、話しているのを殆ど聞かないので不明)、あんなのは音楽じゃないとか、深みがないとか低俗だとか、まあそういうことを言っちゃう。私は、それを聞くとも無く聞いてしまう。

んで、J-POPとアニソンで育った私としては「う~ん」となるわけです。

好きなモノをけなされたから嫌だというのはもちろんあるんですけど、そもそも私には彼らが信奉するクラシック音楽の「高尚さ」がさっぱりわかんないんですよね。もう少し言えば、その高尚さからしてJ-POPやアニソンはどう低俗で、そのことがどう問題なのかよくわかんない。

一度聞いてみたこともあるんですが、音楽文化にとってどうだとか音楽表現とはこうだとかいう話をされて、最後は「まあOYOYOくんみたいな素人にはちょっと厳しいかな」(※意訳)みたいなことを言われてゲンナリして、以降深入りするのを避けるようになりました。今どきこういう化石みたいな選民思想を持ってる(しかもそれを公言しちゃう)人っているんだなぁという妙な感慨を抱き。

こういう話をしたのはもちろん、クラシック好きな人が無茶苦茶だと言いたいわけではありません。今回の話、クラシックVSJ-POPみたいな対立構造でも読めるような話になっちゃったのはちょっと失敗したでしょうか。

そもそも、どちらかというとこういうのって、クラシックよりJ-POPとかのほうに多い気がする。たとえばJ-POPやアニソンを好きな人が「高尚さ」故にクラシックを貶すというのは、今回のことの裏返しでしょう。ポップスはもともと、クラシック音楽などに対する「サブカルチャー」だし、アニソンなんかはカウンターカルチャーみたいなところがありますし。

私が「ビミョー」と思ったのは、要するに偏狭なセクショナリズムを発揮して自分たちの集団の結束のために外の敵を攻撃するというパターン。私の上の人達の発言というのは紛れも無くそれだと、私は判断しています。

実際、クラシックを楽しむためなら他の音楽をけなす必要はないし、他の音楽の問題点を指摘するなら、自分たちの好きなものと比較してその優越性を誇示する必要はないはず。他の文化は他の文化で認めれば良いし、喧嘩をするつもりならもっと深くきちっとした準備をするのが礼儀というものでしょう。

外に敵をつくって、しかもその相手をただ貶めることによって自分たちの主張の強化をしたつもりになったり、あるいは所属するコミュニティの結束を固めるというのは見ていてあまり気持ちのいいものではありませんね。

まあ、飲み屋で行われる与太話と同じような身内での会話にそこまで目くじら立てる私も大人げないといえば大人げないのですけど。

……え、この記事自体が「外の敵を貶めることで自分の主張を強化している」んじゃないかって? ううん、それを言われると弱い(駄)。そういうブーメラン性は認めざるをえないのが、この手の話題をするときの難しいところです。

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