先日ツイッターで回ってきた、三秋縋氏のこのツイート。
「ヒロインが主人公に惚れる理由がわからない」「その展開に至る伏線がない」といった不満がよく聞かれることからわかるのは、人々が潔癖なまでに「公正な物語」を望んでいるってことかもな。「よくわかんないけど、そうなった」なんて、現実じゃよくある話なのに、物語においては最悪とされてしまう。
— 三秋 縋 (げんふうけい) (@everb1ue) November 10, 2013
たとえば、最後の最後まで目も合わせてくれなかった女の子から渡された遺書に、「あなたのことは、ずっと好きでした」と書いてあったとします。こういうとき、僕は筆者に一から十まで説明をしてほしくはないんです。精々四くらいの説明でいい。残りの六を自分で埋める楽しみを、奪わないでほしい。
— 三秋 縋 (げんふうけい) (@everb1ue) November 10, 2013
ちなみに、僕は決して「潔癖なまでの公正さ」を否定して「理屈の排除されたご都合主義」を肯定しているわけではなくて、そういった批判の陰に見え隠れする「ロジカル=価値」といった態度に疑問を感じているだけです。そいつを裏返したところには、曖昧さに対する耐性の低さがあるんじゃないか、と。
— 三秋 縋 (げんふうけい) (@everb1ue) November 10, 2013