ジンバブエにゴブリンが出たそうです。

 ▼「ジンバブエの4つの学校 ゴブリンで閉鎖」(The Voice of Russia)

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ジンバブエの4つの学校 ゴブリンで閉鎖

ジンバブエの南マタベレレンド州にある小学校および中学校では、教師らがゴブリンに襲撃されたことをうけて閉鎖となった。4つの学校が影響を受けた。AllAfrica.comが伝えた。
閉鎖の決定は、ゴブリンが一連の襲撃事件を起こしたことを受けたもの。地元の長老の話では、子供たちはパニックに陥り、学習を続ける状態ではないという。最初の襲撃は今年8月に発生し、10月までに多くの両親が子供を学校にやるのを断念したという。

いつ授業が再開されるかの目途はたっていない。教師らは長老らと相談のうえ、今後の対応策を考える。伝統にしたがえば、ゴブリンの出現は呪いによるものだという。

ジンバブエでは黒魔術が広く信じられており、ゴブリンもその一つ。ゴブリン襲撃による閉鎖はこれが初めてではなく、今年夏には診療所がゴブリンに襲われ、職員らが仕事に出るのを拒否したことがあった。
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ゴブリンとか出ちゃうジンバブエすげーっていう感じなんですが、これを単なる「迷信」を笑うことはできない気がします。

たとえば、朝目覚ましが壊れたせいで寝過ごして、「ついてないなぁ」と思っていたら普段乗っていた電車が事故にあった。あるいは逆に、万全を期して準備をして出勤して、一本早い電車にのったら、たまたまそれが事故にあって怪我をした……。

人はそれを、「神のいたずら」と呼んだり「運命」と呼んだりして、説明しようとしてきた。それは、本当に神が存在し、運命が人間の手の届かないところにあるという信仰の問題であると同時に、人間にとって理不尽に見えるこの現実を、なんとかして耐え、やり過ごすための「知恵」でもあったはずです。

いまでは多くの国、多くの人びとの間ではその地位を科学が占めています。しかし、科学も所詮は説明不可であるという言い方で、最後は諦めるしかないということを示しているにすぎないようにも、私には思われます。

ジンバブエの人びとにとって「ゴブリン」がどのような意味を持つ存在なのかを考えてみる。そうすると、私たちの暮らしの中にも実はひっそりと息づいている不可思議なものの存在を、身近に感じることができるでしょう。そして、そういうものの中にこそ、私たちが世界に対して抱く驚き(thaumazein)の感情が眠っているのかもしれません。

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