先日飛び込んできた、衝撃的なこのニュース。



 ▼「Russian shot in quarrel over Kant’s philosophy」 (GlobalNEWS、2013年9月16日)

タイトルからも分かる通り、「ロシア人がカント哲学で口論になって銃をぶっ放した」というお話。

いや~、悪いけど笑っちゃいます。それでいいのか(笑)。

カントという人はよく知られている通り(高校の授業でやりますよね)、「道徳法則」とか「定言命法」とか言っていた人です。

それゆえ意志は、ただ法則に従うのではない。そうではなく、意志とは、自ら法則を与えるものでもあり、まさにだからこそ法則(意志は自らをこの法則の創始者であると見なすことができる)に従うと見なされねばならないのだ。  (『人倫の形而上学の基礎づけ』)

私のような素人が聞きかじりで取り組めるような思想家ではないので専門家に頼らせていただくと、「人間は、自らルールを定め、自分が定めたルールなのだから、自分から進んでそのルールに従うことができる、そのようにして自由と「理」性を両立させることのできる存在である」(藤野寛『高校生と大学一年生のための倫理学講義』)というあたりが簡潔なまとめでしょうか。

要するに、「理性」(理)というのは本来、「自然の理法」とか「円環の理」(笑)みたいに、逃れられない法則性のようなものを言います。だから「自由」とは反対の意味に思われがちだけど、理性的に振る舞うということが人間にとっての自由であると考えることができるのではないか。カントはそういう道筋をつくろうとした人である、という解釈ですね。

つまりカントは理性的な行為こそが人間にとっての道徳的な行為であり自由だと言おうとしたわけですが、このロシアの人、そのカントの解釈をめぐって口論になった挙句銃をぶっぱなしました、と。

完璧にギャグです。

いや、人死にがでなかったからまだ笑い話ですみましたけど、哲学を学ぶものが必ずしも哲学を実践するものではないという、余りにもテンプレ的な事例を前に、乾いた笑いが止まりません。

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